閣下は、私なんかが護衛する必要も無いくらいに、隙の無い御方だった。
畏怖を感じずにはいられない方だからこそ、時折見せる優しさや穏やかな表情は、一層眩しく映る。
ただの護衛に過ぎない私にも気を遣って下さったことに、感謝と尊敬の念を抱かずにはおれなかった。
抱いた感情はそれだけかと問われると、少し苦しい。
そんなことをなさるようには見えない方だが、ジョークを飛ばして場の空気を解すこともあった。
暇なときは、私に声をかけてくださることも度々あった。あの方は、意外に話し好きなのかもしれない。
そんな閣下を護ることができるというのは、無論、少しの妥協も許されないという責任の重さを伴う反面、本当に光栄で幸運なことだった。
この誇りある仕事に従事する日々が、いつまでかはわからないけれど、まだこれから先も続くのだと、漠然と思っていた。
明日も、明後日も、明々後日も、スケジュール帳に記された文字を追うように。
職業柄、覚悟はしていたつもりだった。
いざその瞬間を迎えた自分は、とてもその覚悟を持っていた人間のようには思えなかったけれど。
こんな終わり方もあるのだと、予測できないわけではなかったろうに。
――思考するより早く、体が反応していた。
向こうの照準が合うより早く閣下を後方に逃がし、射線を塞いで引鉄を引く。
相手の正中線上に2,3発放って間もなく、私の身体は崩れ落ちた。
倒れて見れば辺りは夥しい紅で彩られた血の海。なのに、それが自分から噴き出たものなのだと理解するのに、おかしなほど時間がかかった。
アドレナリンのせいだろうか。負傷した部位は痛いというよりも熱く感じられた。
それとは反対に、体の芯はじわりじわりと少しずつ冷えてゆく。
自分の身体なのに、何もかもが「ちぐはぐ」で正しく認識できなくなってゆく。
そんな中、冴えているのか狂っているのか、やけに冷静に状況を観察している自分がいる。
相手が放った弾の殆どを受けたのだとすれば、出血多量で意識も命も長くは持つまい。
視界が暗くなって瞬きさえ億劫になり目を閉じる。
耳はまだそこそこ機能しており、慌ただしい靴音や銃声、サイレン、人々があちこちで叫ぶ声などを拾っている。ただ、なんとなく聞こえてくるだけで、内容はまるでわからなかった。
閣下のことは、仲間が安全圏まで守り抜いてくれるだろう。
凶弾から護るためとはいえ、突き飛ばしてしまったことを謝罪しなければならないが、それももう叶わない。
眼裏を眺めるのにも疲れ、うとうとし始めた頃、幻を見たような気がした。
あの方が必死になって私の心肺蘇生を試みているという、有り得ない幻。
貴方はここに居てはいけないはずの人。
私は貴方の盾になるために居るのだから、貴方がそんな表情をする必要はないのに。
もう私がどうにもならないって、貴方もとっくにわかっているはずなのに。
彼は周囲が止めるのを振り払い、繰り返し私の胸骨を押し、乾いた唇から息を吹き込む。
頬が何かで濡れている気がする。滴っているのは、血? 汗? それとも――。
幻でも構わない。最期に分不相応にも程がある、都合が良すぎる幸せな夢を見ることができたのだ。
それに、私は護りたい人を護って生涯を閉じることができるのだから、この最期に悔いは無い。
……もしあるとすれば、それは先ほどの無礼を謝罪できなかったということ、それから。
最初で最期の口づけが、血の味しかしなかったことが悲しかった。