では。
──────地上に戻って見上げた空は、泣き出しそうな曇天だった。
中庭の花壇の縁に腰を下ろして、白矢曙宇とランサーはいた。少女の手には弓が戻り、ランサーは槍を手に華奢な少女を見下ろしている。
「……白矢、ランサー」
大丈夫か、とは聞けなかった。
そんなわけがないのだ。
冬木のあの大火災を生き残った子どもたちは、きっともうこの二人しかいない。
いなく、なってしまった。
「……あれをやってたのは、言峰神父か?」
「……」
こくり、と俯いたまま白矢が頷いてこちらを見る。
あの不思議な燐光は消え、青い瞳に戻っていた。心無しか、蒼が強くなっているようにも見えた。
「……ここからは推測も混じるけど、多分そこまで外してはいないと思うよ。……まず、言峰神父は前回の聖杯戦争のマスターだった。契約サーヴァントは、私たちが八番目と呼んでたあの黄金の英雄だ」
「真名は、恐らく古代ウルクの王ギルガメッシュ。十年前の聖杯戦争で受肉し、現界を続けていた。地下室の彼らから搾取した魔力を、言峰神父は自らのサーヴァントに捧げていたのだろう。……本当に糧となっていたかは、定かではないが」
「今のギルガメッシュは、聖杯を降臨させて人類を大量に殺そうとしてるけどね」
「な、何でそんなコトを?」
「元々裁定者ではあるのだろう。……十年の現界で今世を心底疎んじたか、大地に増え続ける人類を排除して星を守るとしたか、その両方かと思しい。大地を守るため、人を鏖殺して
マハーバーラタで語られる大戦争、クルクシェートラの戦いは、大地の女神を苦しめる人間を減らし、世界を救うための仕組まれたものでもあったと言う。
その時代を生きて死んだ英雄は平然と述べ、その主も肩をすくめた。
「ギルガメッシュは神代に人として君臨した王だ。偉大だとは思う。……でも、今は神々と同じ視点から判断を下すようになったんだね。……うん、合ってるとか間違ってるとかは、言えないな。視点がね、違いすぎて」
「人を殺すコトがか?あんなふうに、人から魔力を奪うようなヤツが、正しいのか?」
「地下室の彼らは、ギルガメッシュの価値観で測れば己が受け取って当然な貢物なのだろう。そして、当代の霊長である人類が見境なく増えれば、星は死ぬ。食い止めれば、大局的にはより多くの生命が助かると言えるかもしれない。星の寿命を延ばすため、蔓延る人類を一掃する方法は誤りではない」
「───────!」
何故、切り捨てるように言うのか。
酷薄なまでに無表情な槍兵は、けれど首を横に振った。
「ギルガメッシュの決定の是非について、おまえと論じる気はない。無益だ」
「……じゃあ、おまえはその方法を許すのかよ、ランサー」
「あり得ない。ギルガメッシュは聖杯を降臨させるため、オレのマスターを器にするつもりだ」
「はいちょっと待ってください!」
ぶんと杖を振って、キャスターが割り込んで来た。
「何ですか、なんて言ったんですか。聖杯を降臨させるために、ギルガメッシュはハクヤを使うつもりなんですって?」
「そう言ったが」
「だから、ランサーはギルガメッシュの目的や動機は正しいかどうかなんてどうでもよくなったんですね?だって、どんな理由でもハクヤとは取り替えられないから!」
「当然だ」
「それをちゃんと言って下さい!」
ランサーは、目を瞬いていた。
つまり、ギルガメッシュを偉大な者として認めてないわけではないが、彼がその目的の犠牲として白矢曙宇を選んだ時点で、ランサーの優先事項からギルガメッシュの裁定は滑り落ちた、ということらしい。
とても、脱力した。安堵で。
それなら絶対に、ランサーはギルガメッシュに手を貸さない。
「あんた、やりたいコトはめちゃくちゃわかりやすいのに、何でそんなにわかりにくくなるんだ……」
「む?」
「惚けてる場合じゃないですよ。ハクヤってば、聞いてました?」
「え?」
いつもならランサーのフォローをしているのに、何故か今の今まで黙っていた白矢である。
その手の中には小石があり、読めない文字が光を放っていた。
「ごめん、事態が進んだ。まずい方向に。
「了解した」
「いや待ちなさぁい!」
「本当に待ってくれ!何だって⁉」
だからなんでこの主従は言う事成す事がすっ飛ぶのだ。
ランサーは実体化したまま、既に踵を返していた。白矢も花壇の縁から立ち上がっている。
だが、彼らはアインツベルンが───────イリヤスフィールとバーサーカーが、ギルガメッシュに襲われていると言ったのだ。
「時間が惜しい。ついてくるならば、話は移動しながら行う。バーサーカーとイリヤスフィールだけでは、ギルガメッシュに勝てまい」
「わかりました。エンジンは何とかします」
何とかすると言った白矢の行き先は、教会のガレージである。その前に、遠坂邸と衛宮家に矢文は飛ばしていたが。
ランサーが紙屑か何かのようにシャッターを引き千切って、中の車に白矢が駆け寄る。手に握った短剣を鍵穴に突き刺して回転させるや、ドアのロックが容易く外れた。
「白矢、それって泥ぼ───────」
「誰かの生命を奪うわけじゃないし。不可抗力だよ不可抗力。不可抗力ね?いい?正義の味方志望くん?」
一切光がない青い目に見据えられ、衛宮士郎は頷いた。元から咎めるつもりじゃなかったのだ。
「わかった。けど、それなら俺も見る。エンジンの仕組みを伝えるぞ。魔力で何とかしやすくなるんじゃないか?」
「その通りだね。助かる」
同級生同士の会話に、サーヴァント二人が顔を見合わせた。
「うわぁ……さすが魔術使い……。神秘を使うのに躊躇いってものがない……」
「物体をすり抜け干渉する一族の短剣と、物の構造を的確に把握できる衛宮士郎か。なるほど、組めば現代の物理的セキュリティとやらは大半が意味を成さなくなるだろうな」
「聞こえてますよそこ二人。もう動かせます」
実際、軽くエンジンの癖を伝えるだけで指先から魔力を迸らせてどうにか白矢はエンジンを起こしていた。車なんて言う現代の代物と魔術は相性が良くないだろうに、一発である。
これはこいつ、似たようなコトを他所でもやっていたのだろう。が、今はその手際の良さとアングラ上等な精神が有難い。
そのまま乗り込み、ハンドルはランサーが握った。
「街を出たら、法定速度は無視で。近道を知っていますから、そこへ」
「心得た。それでは全員シートベルトとやらを付けてくれ。荒くなる」
躊躇いなくハンドルを握ったランサーは、前しか見ていなかった。
マハーバーラタの大英雄が、日本で、BMWのハンドルを、大真面目に握っている。
状況が状況でなかったら、笑っていたかもしれない。笑いたかったかもしれない。キャスターは、隣で静かな八面相になっていた。
「ランサー、一応聞くぞ。運転免許、あるか?」
「オレは
サーヴァントって運転もできるのか、という素朴な疑問は、一瞬で後ろに引きちぎれて行く景色とキャスターの悲鳴に忘れ去られて行った。
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移動しながらの白矢による説明は、実に簡素だった。
アインツベルンの偵察に赴いたセイバーとそのマスターが、アインツベルンを襲撃せんとするギルガメッシュを発見。
このままではバーサーカーが敗退し、アインツベルンが管理しているであろう『小聖杯』が奪われると判断し、ランサーたちに参戦を要求してきた、ということだった。
「ば、バーサーカーっ、は、あんなに強いのに、かっ?」
冬木の街外れにある森林地帯に佇むアインツベルンの城への道なき道を突っ切るランサーの運転で舌を噛みかけながら、衛宮士郎は言う。
言峰綺礼の教会にあったBMWは、最早森林内を爆走する鉄の獣と化していた。街を抜けて然程経たないうちから、ランサーが急な右ハンドルを切って脇道に逸れ、崖を登り始めたときはどうするのかと思ったが、ハンドルとアクセルを操る槍兵に迷いはない。
その状況で、衛宮士郎は尋ねる。
いつぞやの夜、ランサーと真正面から切結んだバーサーカーの姿は覚えている。
ランサーの槍で貫かれても、国を焼く宝具を受けて落命しても蘇り、イリヤスフィールに従って猛り狂う姿はまさに大英雄だった。
あの狂戦士が、何故負けると断言できるのだろう。
「バーサーカーは絶対の一、ギルガメッシュは無限だ。相性が悪い上、イリヤスフィールでは勝てない」
「……?」
ハンドルを握るランサーの隣に座り、レバーを握って何とか姿勢を維持しつつ、時折ウィンドウを開けて外へ矢を撃ち、アインツベルンの森の結界を壊している白矢が口を開いた。
「バーサーカーと戦った時、ランサーはイリヤスフィールを狙わなかったけど、ギルガメッシュは間違いなく狙うよ。そうなると、バーサーカーはイリヤスフィールを庇いながら突撃するしかない。あったはずの技量がほとんどないんだもの」
「でもバーサーカーは、蘇ってましたよね?」
「アサシンが言ってたけど、バーサーカーの真名は古代ギリシャ神話の最強ヘラクレスらしい。彼は十二の難行を越え、神の座に至った英雄なんだ。……無限の蘇生があり得ない以上、あの蘇生は十二回だけかもしれない。しかもランサーが三回は殺してるし、幾ら攻撃に耐性がつくと言ったって、宝物庫を持ってるギルガメッシュには不利」
「こ、攻撃に耐性ってどういう、意味、だよっ!それに、宝物庫って、のはっ?」
大きくバウンドした車の天井に頭をぶつけそうになってキャスターにぎりぎりで庇われつつ言うと、キャスターが頷いた。
「バーサーカーは、ランサーの槍に何回かは刺されてましたけど、二回目は一回目より浅い傷でした!多分、一度くらった攻撃には耐性がつくんです!」
「うん。でも、ギルガメッシュ王はこの世のすべてを集めた蔵を持ってた。ランサーの槍や鎧みたいな宝物……宝具を大量に収蔵してるとしたら?」
「大量の、宝具でっ、バーサーカーを殺すつもり、っか!」
「恐らく。……私たちの家にも似たのがあるから、そうなんじゃないかって思ってる。最悪の予想だけど」
概ねそういうのほど当たる、と小さく少女は呟いていた。
「だから、ランサーとバーサーカー、ギルガメッシュの戦いの場に、私たちは迂闊に近寄るべきじゃないよ、衛宮くん。いるだけで、マスターは邪魔だし、あっさり死ねるもの」
「けど!けど、イリヤスフィールはいるんだろう!」
「そう。それが一番の難題。私たちが着いた時、彼女がまだ生きてるならどうかしないと。……助けたいんでしょ?」
「ああ!でも、おまえまた危ないコトする気じゃ──────」
「己の姉を助けることだけに専念しろ。余分まで考えれば、死人が出る。衛宮士郎、今のおまえでは、救えて二つだ。それとて、己の生命か魂を使い尽くす勢いになる」
言い捨てたランサーは、一際アクセルを踏み込んだ。車が軋む音を立てて浮き上がり崖を飛び越え、そのまま坂を駆け下りる馬のように地肌も露わな斜面を降りる。
口を開けば舌を噛みそうなほど激しく上下左右に揺れる車の中で、白矢曙宇は平然としていた。
「衛宮くん、イリヤスフィールは私が何とかきみのとこまで持っていくから、その後はキャスターと死ぬ気で逃げてね。どうなるかわからないけど、王様を興ざめさせるまで逃げたらどうにかはなるから」
「ハクヤァ!その何とかの詳細を言ってください!インドビームですか!」
「ビーム?ブラフマーストラのこと?人を助けるのに、あんなの危なすぎるよ。……えーと、神話で例えるならジャヤドラタの首?」
「……了解しました。何やるつもりかは承知しました。わかりたくなかったかもだけど!」
やけくそ気味に、キャスターは瞳を決していた。
どういう意味かと尋ねたいが、生憎洗濯機の中の木の葉の状態ではまともに口も利けなかった。マハーバーラタの
耳元で、キャスターの澄んだ声は続いていた。
「シロウ、説明すると、ハクヤが矢でイリヤスフィールを運んでくれるから、わたしたちは彼女を受け止めて逃げようって話です。三つ……四つ巴で戦い始めたら、わたしたちはとにかく離れましょう」
「矢で?」
「矢で!あとジャヤドラタは、マハーバーラタに出てくる王様です!彼の首を矢で貫いたアルジュナは、矢でその首を遠くまで運んだんです!戦場の、その遥か先にまで!……ハクヤは同じコトをやるつもりなんですよ!もちろんイリヤスフィールを撃つ気は全然ないですが!」
「せいかーい」
……つまり、白矢曙宇という少女は、何千年と前の大英雄の絶技を再現して、イリヤスフィールを助けると、そう言っているらしい。
──────こいつこそ。
お人好しだとか何だとか、人に言えた立場じゃないだろう!
強く、そう思った。
第一、サーヴァント同士の戦いにマスターが割って入るのは自殺行為だと言った舌の根も乾かぬうちにこれである。
相談も取引も何もなしに、自分とは縁もゆかりも無いイリヤスフィールを助けるのをとうに決め込んでいたらしい少女は、教室で、教師に面倒な問いを当てられた時のように肩をすくめていた。
「大英雄アルジュナが何でそんな大変なコトをしたかは、生き残って自分で調べてね。とりあえずそう言うことだから、イリヤスフィールの着地は任せたよ。ランサー、次、そこの岩から東に跳んでください」
「承知した」
言った瞬間、BMWはアクセルを吹かせて岩を駆け登り、文字通り跳んだ。ジャンプ台のように滑らかな岩の斜面を駆け登り、一気に車体が宙に躍り出る。
最高点に車が到達するや、ランサーと白矢が同時に左右の車のドアを開けた。
冷風が勢いよく吹き込む中、白矢は首だけを巡らせて振り返った。
「キャスター、衛宮くんたちをお願いしますね」
「お任せください!」
「えっちょっ…………うわぁっ!」
そして衛宮士郎も、キャスターに抱えられて車の外へ飛び出していた。
天地がぐるりと一度はひっくり返り、内臓が浮き上がる気持ち悪さを感じる。
が、気がつけば両脚は地面についていて、槍の主従はとうに走り去っていた。一瞬、ランサーの手に黒の大弓が握られているようにも見えたが、気の所為だったかもしれない。
いずれにしても、二人の姿は遅れて落ちてきた車の向こうに消えていた。何かの魔術を使ったのか、車は原型を留めてはいる。サイドミラーは片方が歪んでいたし、バンパーは凹みだらけだったが。
キャスターに、軽く背中を叩かれた。
「シロウ!ほら早く!早く走って!もう城が襲われてる!」
「ああ、わかってる!」
そうだ。
衛宮士郎は今、イリヤスフィールを助けることを考えるべきだった。
それ以上を望まず、ただそれだけを考えろとランサーも言っていた。
相変わらず、冷たい物言いだとは思うが、カルナという英雄は決して嘘をつかない。つかなすぎて生きづらいと思えるぐらいには。
その彼が、衛宮士郎は
木々の向こうに威容を誇る城の姿はよく見えていた。その屋根に、幾つもの大穴が開いているところまでも。
「イリヤ……!」
間に合え、と衛宮士郎はただ前へと足を進めた。
ジャヤドラタは、ドゥフシャラー/アーユスの夫でまぁまぁ主人公は生前に面識がありました。
その死に様を知ったら哀しむぐらいには。
『姉』が死ぬのは許容できなかった現シスコン主人公。