ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ダリア視点
初めて見た光景であるのに、何故か既視感を感じる。
それどころか、この先の展開さえ何故か分かってしまっている。
若かりし頃のダンブルドアと……いずれ私を造りだすであろう少年の会話を聞きながら、私は不可思議な感覚を抱き続けていた。
遠回しな言葉ばかりであったが、老害が私のことを闇の帝王の幼い頃と同質なものと捉えていることは分かっていた。
それは目の前の少年が、嘗て『秘密の部屋』で相対した男と同じ顔をしていることからも明らかだ。
嘗てあの部屋で、少年は私に語った。
『ヴォルデモート卿は……僕の過去であり、現在であり……未来なのだよ。この名前は僕が在学中の頃から使っていたものだ。僕のような偉大な血筋を引く人間が、いつまでもマグルの父親の名前なんて使うわけにはいかないからね。勿論親しい者にしか明かしてはいなかったが。でも僕は知っていた。この名前こそが、僕の本当の名前になると。この名前こそが、いずれ全ての人間が口にすることも恐れるようなものになるのだと。ヴォルデモート卿である僕こそが、この世界で最も偉大な魔法使いになることを!』
トム・リドル。今はヴォルデモートに成り果てた、嘗て同じ学び舎にいた少年。老害は私の中に嘗ての彼を見出していたのだろう。
彼の様に怪物に成り果てる存在だと。
実に腹立たしいが、老害の観察眼は決して間違ったものではない。寧ろ鋭すぎる観察眼だと言える。何故なら私は闇の帝王が造り出した、人を殺すためだけの怪物であり……この体の半分は奴の血で造り上げられている。一見縁も所縁もないマルフォイ家の娘から、よく奴との類似性を一瞬で見出したと感心する程だ。現在私が置かれた状況を抜きにしたとしても、彼の私への警戒心は決して間違ったものではない。
しかし納得はしても、それを肯定的に受け取るかはまた別の話だ。私は怪物であっても、この体と魂の全てはマルフォイ家のためだけのもの。私は闇の帝王の僕などではなく、マルフォイ家のためだけに存在する怪物なのだ。たとえ老害が間違っていなかったとしても、闇の帝王と同類にされるのは堪ったものではない。
だが……そんな怒りを感じながらも、それ以上の不可思議な感覚に私は何も言えなかった。
目の前の光景の何もかもに既視感を感じる。目の前で会話する少年の感情が手に取るように分かる。何もかもが他人事であるはずなのに、どこか自分自身のことのように思えて仕方が無かった。
そして何より、この少年の感情が……ダンブルドアが先程語ったように、もう救いようのない過去の話であることが悲しくて仕方が無かった。
言葉もなく立ち尽くす私を老害が見つめている。そんな私達に頓着することなく、嘗て孤児院で為された会話は進み続けていた。
『……『特別』かは分からんが、確かに君は魔法使いのようだね』
『……お前も魔法使いなのか?』
『いかにも。君が望むなら、ここで魔法を一つ見せてもよい。だが、その前に……もし君がホグワーツへ入学する気があるのであれば、私のことを教授または先生と呼びなさい。これは基本的な礼儀の話だ』
『……あぁ、すみません、先生。では先生、どうぞ僕に魔法を見せてもらえませんか?』
環境故に礼儀を知らなかった子供に、正しい礼儀を諭す教授。一見すれば特段おかしな光景には見えない。
でも、私には分かっていた。もうこの段階で、既に少年は目の前の風変わりな格好をした男のことを警戒している。……初めて同類に会ったというのに、彼はどこまでも孤独な存在であるしかなかった。少年を見つめる視線が、今まで出会ってきた他者と全く変わらないものであった故に。
ダンブルドアは少年の未来を予見する程敏いが故に、どうしようもなく彼のことを既に警戒していたのだ。
私にはこの瞬間こそ、彼が本当の意味で救われない存在になってしまった瞬間に思えた。
嘗てのダンブルドアが杖を振ると、部屋にある唯一の洋箪笥が燃え上がる。一度被った仮面がまた剥がれ落ちそうになっている少年を前に、奴はほとんど無感情に応えた。
『私が思うに、あの箪笥の中には君が持ってはいけないモノが入っているね。この炎はこの部屋の中にある
この男がしたことは何一つ間違っていない。教師として模範的な回答と言えるだろう。悪いことをしたのだから叱る。それは当然のことだ。
しかし、やはり私には致命的にタイミングが悪いように思えた。もはや少年は仮面を被ることすら忘れ、ただ嘗ての老害を睨みつけるだけだった。
『……はい、先生。そうします』
『よろしい。では入学に先立ち、必要な物を揃えなければならない。資金の心配はない。ホグワーツには必要な者に援助をする資金がある。そして必要な道具はリストに書いてある。買う場所はダイアゴン横丁だ。君には聞き覚えのない場所だろう。だから私が共に、』
『いいや、お前は必要ない……ダンブルドア先生。自分一人でやることに慣れてる。いつだって僕は一人でロンドンの街を歩いてるんだ。そのダイアゴン横丁への行き方さえ教えてもらえればいい』
『……分かった。気が変わったら直ぐに言うのだぞ』
そして老害は孤児院から『漏れ鍋』への行き方を伝えた後続ける。
『このパブは周りのマグル……魔法使いでない者のことだが、その者達には見えないようになっている。だが、魔法使いである君には見えるはずだ。バーテンのトムに色々尋ねるといい。君と同じ名前だから覚えやすいだろう……『トム』という名前が嫌いなのかね?』
そこで老害は少年に尋ねた。彼はたたでさえ鋭い老害への視線を強め、更に不機嫌に顔を引きつらせていたのだ。
私には彼が何故不機嫌になったのか分かっていた。何故なら彼は、
『……トムって在り来たりな名前、どこにでもいる』
その名前が心底嫌いだったから。私には分かっていた。彼が
それは言葉通り、自身が特別で
だがそれ以上に、それが自分自身を探しにも来ない父親と同じ名前であることも理由だったのだ。彼がまだ人間であった……怪物に成り果てる前ならば。
私は悲しかった。このまだ僅かに残っていた人間性が誰にも気づかれることなく、もはやこの世界のどこにも無くなってしまったことが。
でも確かにここに存在したのだ。誰にも気づかれなかった、それこそ彼自身すら目を逸らしていたのだとしても、その葛藤は確かにここに存在したのだ。
『僕の父親の名前もトム・リドル。そう聞かされた。僕の父親は魔法使いだったの?』
『……いいや、私には分からない。トム・リドルという名の魔法使いは知り合いにおらん』
『……そんなはずない。父が魔法使いのはずなんだ。母は魔法使いであるはずがない。そうでなければ死ぬはずがないんだ。父は魔法使いなのに僕を……。いや、そんなことはどうでもいい。そういえば、僕は蛇と話が出来る。これは魔法使いにとっては当たり前なの、』
「もういいじゃろぅ。ダリア、部屋に戻ろう」
隣に立つ老害が二人の会話を遮りながら告げる。しかし私は記憶の中から昇りながらも、ただひたすら少年と……嘗てのダンブルドアを見つめ続けていた。
憎いはずなのに……見ていると悲しい気持ちになる怪物の始まりの存在を。賢いが故に、その少年の未来まで
どうしようもないことであり、誰にも罪はないというのに……
ただ無情に流れ続ける涙をそのままに、私は見つめ続けるしかなかった。
ダンブルドア視点
慣れ親しんだ校長室は静寂に満ちていた。
ワシとダリア、どちらも言葉を発することなく、ただ部屋の中で立ち尽くしておる。
ワシはただ呆然とダリアを見つめ、そしてダリアは……ただ静かに涙を流しながら『憂いの篩』を見つめ続けておった。
ダリアの記憶を見た反応を見て、それを以て彼女の人間性を推し量る材料にしようと思っておったというのに……あまりに劇的な反応にワシの理解は追い付かんかったのじゃ。
この記憶を見た時の反応を、ワシはある程度の予測を立てておった。
一つ目は現実逃避。決して華々しいとは言えぬ生い立ちを受け入れず、ヴォルデモートとトムを全くの別物として捉える反応。おそらく多くの『死喰い人』はこの反応をとることじゃろぅ。事実一部のトムの生い立ちを知る者でさえ、この事実をひた隠しにしておる。いわゆる見て見ぬ振りというものじゃ。
彼等はヴォルデモートを純血の王として崇めておる。その彼の生い立ちがただのマグルとの間の孤児などと、彼等は現実を突きつけられてなお受け入れることはない。
そして二つ目が賞賛。このような生い立ちでありながらも、今の様な地位に上り詰めたのじゃと称賛する反応。無論、この反応も一種の現実逃避であることに違いはない。ヴォルデモートの主張と真っ向から矛盾する生い立ちに、自身の中に生まれた矛盾を無理やり正当化するものでしかない。どの道ヴォルデモートとトムを別の者として扱うことに変わりはない。
最後に落胆。正直ワシとしてはこれを最も期待しておった。現実を受け入れ、ヴォルデモートの正当性に何の根拠もなく、彼の暴力的な人間性の発露が現状の姿でしかないと受け入れる反応。この反応であれば、ダリアの善性にワシは少しでも期待を持てる。ヴォルデモートの下から、彼女を引き離す見込みも立つ。
他にもいくつか反応は考えられるが、それは全てヴォルデモートの傘下にない者の反応じゃ。軽蔑、憤怒、あるいは同情。ハリーなどは恐らく両親を奪った相手に憎しみを抱くと同時に、僅かばかりの同情を示すやもしれぬ。この記憶を彼に見せるのは次回の事ではあるが、母譲りの優しさを備える彼ならばそのような反応を示すことじゃろぅ。じゃがそれは決して、ダリアが示すモノではない。既に『死喰い人』である彼女であれば、三つのどれかの反応を示すモノじゃと、ワシは予想しておったのじゃ。
じゃが、現実は全く違った。
「ダリアよ……。何故其方は……そのように泣いておるのじゃ? 何故そのように……悲しそうに
ワシが知るダリアの表情は、どれも無表情のモノばかりじゃった。時折彼女から怒りや憎しみを感じ取っても、表情だけはいつも無表情でしかなかった。
何もかもに達観し、何もかもを路傍の石として見下す表情。ワシは彼女の常に浮かべるその表情をばかり見ていたからこそ、彼女の人間性を警戒しておったというのに……今の彼女は、どうしようもなく表情豊かに見えてしまっていた。
彼女はその冷たい瞳で、一体何をこの記憶から感じ取ったのじゃろぅ。何故その冷たい表情を歪ませてまで、このように涙を流し続けておるのじゃろぅ。ワシの勘違いでなければ、彼女はただ同情してトムのことを見ておるわけではなさそうじゃった。彼女は涙を流しながら……ワシ等のことを見つめておった。彼女は悲しんだのじゃ。トムと同時に、ワシのことを。嘗てトムと対峙した、若かりし頃のワシのことを。ワシは彼女の人間性を確かめる……そんな当初の目的など関係なく、ただ衝動のままにダリアに尋ねた。
「……」
ダリアは一瞬こちらを見た後、未だ涙を流しながら俯き応えようとせんかった。しかし、ワシにはその動作も拒絶とは感じ取れんかった。ただ彼女も困惑し、自身の中にある感情をどのような言葉で表現しようか悩んでいるように思えたのじゃった。そして、そんなワシの洞察は正しかった。ダリアはしばし俯いた後、ポツリと呟いたのだった。
「……私にもよく分かりません。ですが……ただこの記憶の結末を知っておりますので。校長の仰る通り、この記憶に救いがない……そのことが悲しかったのかもしれませんね」
『みぞの鏡』を見せた時、明らかにダリアは自身の真の望みを隠していた。彼女が一体鏡に何を見たのか。彼女は決して話すことはないじゃろぅ。じゃが、今回は違った。ワシの勘が正しければ、今回彼女は真実を話しておる。ワシには彼女の表情を見て、どうしようもなくそう感じていた。
ワシはダリアの表情を見つめ続けながら尋ねる。
「悲しいか……何故そのように感じるのじゃ? 確かにトムの境遇は悲惨なものであったじゃろぅ。同情を感じないわけではない。じゃが同様の境遇におっても、彼の様な存在に成り果てる者もそうはおらん。見ての通り、彼は初めからその暴力性を内に秘めておった。それを救いがないというのは、一体どういうことなのじゃ?」
もはやワシの中に、目の前の少女がワシを殺そうとしておるという意識はまるで残っておらんかった。ただ初めて感じたであろう彼女の人間性に驚き、衝撃のまま尋ねるばかりじゃった。
「救いがないのは、校長が仰ったことではないですか。トムという少年は……今や『闇の帝王』に成り果てたのでしょう? 救いなどないではないですか。確かに彼の人間性は、お世辞にも善良ではなかった。他者への共感性は薄く、他者を真に思いやることが出来ない。先生の言う暴力性。境遇だけの問題ではなく、それが彼の生まれ持った本質だったのかもしれない。境遇が違っていたとしても善良な存在には成りえなかったやも……。ですが……確かにそこに存在していたのです。彼だけの苦悩が。……彼は知らなかった。彼の世界はあの場所だけだったから。彼は何も知らず、そして知る術すら知らなかった。そして結局……彼自身にすらその苦悩は知られることはなく、彼は怪物に成り果てた。彼の本質がどうであれ、もう彼の苦悩はこの世のどこにもない。そのことが……私には堪らなく悲しく感じたのです」
ワシにはダリアの言っていおることの意味が殆ど理解出来んかった。彼女もワシに理解してもらいたくて話しておるわけではないのじゃろう。ただ自身の中に生じた感情のままに話しておるように見えた。じゃが、ワシにも理解できることはあった。ワシは彼女が『死喰い人』であることを知っておる。それどころか、ワシは入学当初からダリアとトムは同一のモノに成長すると思っておった。じゃが、
「ダリア、お主……トム、いやヴォルデモートのことを怪物と……悪と見なしておるのか?」
彼女の無表情な仮面の下に隠れておった内面は、ワシの想像とは全く違うものであったのやもしれぬ事じゃった。
「……さぁ、どうでしょうね。ただ校長は……怪物と悪は同一のモノと考えておられるのですね。……いえ、その通りですね。私もそう思いますよ」
相変わらずはぐらかされた返答。じゃが、その表情はどこまでも悲し気なもの。
客観的に見れば、トムと現在のダリアは同じく怪物と言えるじゃろぅ。トムは闇の帝王と成り果て、ダリアはその手先と成り果てた。彼等に敵対する者からすれば、同じく闇の陣営の怪物でしかない。じゃが、トムはそんな存在をこそ目指しておったが……ダリアは違ったのではないか。
ワシはそんな考えが脳裏を過った瞬間、遥か昔に解決した疑念を思い起こさずにはおれんかった。……強烈な罪悪感と共に。
ワシはいつも間違ってばかりじゃった。未来を予想しながら、この長い人生に於いて限りない程大きな間違いを犯した。アリアナ、グリンデルバルド。そしてトム。
トムと出会った時、ワシは彼の中に未来の巨悪を見た。じゃが見通しておったからこそ、ワシは未来を変える行動を何か出来たのではないか? ワシの行動次第では、トムが引き起こす多くの悲劇を防げたのではないか?
幾度となく考えたことではある。しかしいつも答えは一つじゃった。ワシにはどうすることも出来んかった。彼の未来はあの時点で確定しておった。彼の人間性は、あの時点で既に悍ましいものじゃった。他者を傷つけることに抵抗が無く、自身の力で他者を屈服させることをこそ快楽としておる。いずれその凶暴性を他者に向けるのは必然的な未来じゃ。じゃがそれはあくまで未来の話。教師は生徒を導くものであっても、生き方を強制することはあってはならぬ。それでは他者を支配しようとしおったグリンデルバルドや……嘗てのワシと同じになってしまう。たとえ生徒が初めから間違った道に突き進んでおったとしても。そもそも救いを求めぬ者に、誰一人として救いの手を差し伸べることは出来ぬ。じゃからワシに出来ることは、彼をホグワーツ内で警戒することのみじゃった。ワシが警戒せねば、彼はホグワーツ内ですらより多くの事件を引き起こしておったことじゃろう。……じゃからあくまで教師に徹するワシには、何一つ出来ることは無かったのじゃ。
そうワシは自身に言い聞かせてきたのじゃが……ふとした時に考えたことはあった。
ワシはそもそも根本の部分でまた間違いを重ねているのではないか? 間違いを回避するつもりで、それ以上の思い違いをしておるのではないか。グリンデルバルドの再来を警戒するあまり……実際は何一つ目の前の人間のことを理解しておらんかったのではないか? 人の表面ばかりを見て、その人間の全てを理解しきっているつもりなだけではないか。特にあの時期、ワシは人の闇に敏感になり過ぎておった。トムの闇の面も小さいとは言えぬが、決して彼の全てではなかったのではないか? ワシは僅かな可能性を思考から放棄しておったのではないか? ……ワシは教師として、もっと他にやるべきことがあったのではないか?
そのような罪悪感を覚えることは確かにあった。しかしトムがいよいよヴォルデモートに成り果て、ワシの予想していた未来が現実のモノになった時、ワシはそのような罪悪感を抱くことはほとんどなくなっていた。
やはりワシは間違っておらんかった。ワシは未来を見ることを止めた。じゃが、それでも尚予想した未来は現実のモノとなり、ワシの疑念を感じる余地を無くしたのじゃ。
そう、ワシは何一つ間違ってはおらんはずじゃったのじゃ。
じゃが、
「すみません、校長。お話の途中とは思いますが、今夜は帰ります。もう遅くなってしまいましたから。……またの機会があると理解しても?」
ただ静かに涙を流しながら告げるダリアを見て、ワシはその罪悪感を思い出しておった。
マルフォイ家の娘。全てを見下すような無表情。そして無表情の裏から時折見せる残虐性。トムと非常に似通っておる。どの要素を取っても、彼女に明るい未来を見出すことは出来ぬ。であるのに、今までワシが警戒し続けておった彼女の姿は、今この瞬間はどこにもありはしなかった。
ただそこにいるのは……過去の悲劇を目撃し、悲し気に涙を流す少女のみじゃった。
要するに……ワシはダリアの全てを理解しているつもりで、結局のところ何一つ理解してはおらんかったのじゃ。ダリアの全てを理解したつもりではおらんと、ワシは散々そう口にしておりながら……愚かにも内心では全く違う思考をしておった。それがたとえ困惑しておっても、今のワシに分かる唯一のことじゃった。
「も、勿論じゃ。すまぬのぅ、長々と引き留めてしもうた。突然このような物を見せられたというのに、感想を聞かせてもらった。本当にありがたいと思う。お陰でワシは……お主に少しだけ近づけたように思う。では、おやすみ、ダリア」
「……えぇ、おやすみなさい、校長」
ワシも困惑する思考で何とか別れを告げたが、ダリアも同様のようじゃった。あれ程殺意を籠めてワシを見つめておったというのに、今はただ逃げるように校長室を出てゆく。やはり涙を流し、自身の中に渦巻く感情に戸惑うような
やはりそこには……ワシの今まで見てきた無表情のダリアは居らず、ただ誰かのために涙する少女がおるだけじゃった。
「ダリア……」
ワシは一人になった空間で、ただ今しがた少女が出て行った扉を見つめながら呟く。
何故マルフォイ家の長女に、吸血鬼の血が混じっておるのか。何故純血思想と亜人と言う、本来なら交じり合うはずのない存在が一つ屋根の下に同居しておるのか。どのような事情と思考の下で、彼女はマルフォイ家に受け入れられたのか。
ワシが探らねばならぬ彼女の秘密は沢山ある。じゃが、この時のワシはそのようなことを考える余裕はなく、ただ……内心
ダリア視点
余計な事を言ってしまった。私は寮への帰り道を急ぎながら、そんなことを考えていた。
闇の帝王の過去を私に見せることで、老害は一体私の何を知りたがっていたか。奴の言葉が正しいのであれば、記憶に対する反応を見ることで、私の為人を多少でも推し量ることが目的なのだろう。無論それだけが奴の目的であるはずがない。大方私に闇の帝王の出自や人間性を見せて、私が闇の帝王に幻滅することでも期待していたのだろう。
そんなことをせずとも、私はそもそも闇の帝王に一欠けらの忠誠心も抱いていないというのに。
実に無意味な行動だ。そもそも私は帝王が純血でないことを既に知っている。人間性も言わずもがな。あれはそもそも最早人間ですらない怪物だ。それに奴が純血であろうとなかろうと、私にはどうでも良い事だ。私が奴に従っているのは、奴がマルフォイ家を脅かす存在だからでしかない。倒せない以上従う他ない。ただそれだけの理由なのだ。だから私は寧ろ闇の帝王のことを憎んですらいる。私の大切な人達を縛る怪物。お父様やお母様、そして今ではお兄様までも。奴が死を克服する程強大な存在でなければ、私が奴のことを殺してしまいたいくらいだ。
……であるはずなのに、
「……トム・リドル」
私はどうして、こんなにも涙を流しているのだろうか。どうしてこんなにも、
もう誰にも……それこそ『怪物』になった彼自身にも思い出されないだろう彼の記録。私はそれを見た時、ただ無性に悲しかった。
ただ心の中に浮かぶのは、自分自身の過去を見せつけられたような感覚。自分とは全く関わりのない、どう考えても他人事であるはずなのにだ。そして浮かび続ける一つの思い。
ただ悲しい。誰も真にトム・リドルのことを理解しきれなかったことが。本人さえ自身を理解していなかったことが……ただただ悲しかった。
彼は知らなかっただけだった。愛を。愛し方を。そして愛され方を。彼は愛を与えられも、そして愛を感じる機会すら与えられはしなかったし、両親に愛されていたかもという幻想すら描くことを許されはしなかった。本物は勿論、偽りの愛さえ彼には与えられなかった。そうして愛を知らず、与えられもしなかった彼は、『怪物』として生まれ変わった。人を殺したことで、彼自身も死んだ。
彼は『怪物』になることでしか生きられなかったのだと。
あの断片的な記憶を見ただけで、何故このような感情を抱くか分からない。彼の当時の感情が直接流れ込むような感覚。そしてそれを彼以上に客観的な視点で見ている矛盾。あの記憶が
しかし、いつまでも分からないことを考え続けているわけにもいかない。私は寮の前まで辿り着くと涙を拭い、深呼吸で内心を落ち着かせる。ここまで歩いている間に、大分気持ちも落ち着いた。私は頬が濡れていないことをもう一度確認した後、寮の扉をそっと開ける。すると寮の扉を開けるやいなや、ソファーの辺りをウロウロしていたダフネが私に飛びついて来たのだった。
「ダリア! あぁ、良かった! どこにもいないから心配していたんだよ! ドラコも行き先を知らないみたいだし! あぁ、本当に良かった! でも……どこに行っていたの? それに……どうしたの!? もしかして泣いて、」
「ダフネ、心配をかけて申し訳ありません。ただの散歩ですよ……。泣いてなどもいません」
帰りが遅い私を心配して、彼女はずっと待ってくれていたのだろう。彼女の背後を見れば、お兄様も安堵した表情を浮かべながらこちらを見ている。こんな私であっても、彼等は変わりない親愛を向けてくれる。それこそ私が何一つ真実を語っていないと、彼等は当然のように分かっているだろうに、それでも尚私のことをこのように心配して下さっている。校長室に行っていたなど、いずれ露見することだと私にも分かっている。でも、私はその時を少しでも先延ばしにしながら考える。
老害は次の機会も設けると明言した。ならばこそ、私にはまだ奴を殺すチャンスがあるはずだ。今回は予想外の出来事で混乱しただけ。次こそは記憶などに惑わされることなく、ただ目的を完遂してみせる。私の余計な言葉で、奴は私が真に闇の帝王に忠誠を誓っていないことに気付いただろう。当初は微塵も信じていなかったが、本当に奴は奴なりに私に歩み寄ろうとしていたのかもしれない。だがそんなことは関係ない。寧ろ私に歩み寄ろうとする分だけ、奴を殺す隙が生まれる。私が奴を殺さなければならないのは、私に課せられた義務ですらあるのだ。
だから私は、決して老害……ダンブルドア校長のこと憐れんではいけないのだ。
今も私の中で
しかし、私の中で別の何かが叫ぶ。全てはどうしようもなく、仕方がない出来事だったのだと。ただお互いの巡り合わせが悪かっただけ。あの決別で……二人共が真に孤独な存在に成り果てた。あの記憶に救いなど無く、ただ誰にも受け入れられなかった少年と……現実と理想の狭間で苦悩するしかなくなった老人が生まれたのだと。少年は決して老人に本心を見せることはなく、それ故に老人もただ怪物が生まれる過程を見つめ続けるしかなかった。誰よりも未来を見通しながら、教員であることに固執し続けた故に。何より、彼自身も愛を理解しきれなかった故に。
何故だか無性に悲しい。しかし目を逸らすことが出来ない。
何故か彼等の姿を見ていると……
私は戸惑う内心を押し殺し、ダフネの頭をただ撫で続ける。
自分のすべきことはハッキリしている。その状況は何一つ変わっていない。ただそれなのに……何故か次校長に呼ばれる機会を、今までとは違った心持で期待している自分自身がいるのだった。