ハリー・ポッターと帝王のホムンクルス 作:オリゴデンドロサイト
ダフネ視点
違和感自体は初めからあった。
ここにいるはずのないミリセント。いつもより知性を感じる瞳のクラッブとゴイル。
ただ、最初は疲労のためその違和感に気付くことはなかった。
でも、ミリセントが。いや、ミリセントの姿をした
『マルフォイさん』
と口にした瞬間、強烈な違和感が私を襲った。
まず、ミリセントはダリアのことを『マルフォイさん』などとは呼ばない。その呼び方は、聖28一族ではないスリザリン生達。そしてスリザリン寮以外では、
そのことに気が付いた時、私はどうやって
先程談話室にいた時、どう見ても彼女たちはミリセント、そしてクラッブとゴイルの姿をしていた。
そして、そんなことが出来る方法は一つだけだ。そして彼女たちならそれが可能だということを、私は知っていた。
『ポリジュース薬』
スネイプ先生の授業で、話の中ではあるが一度だけ登場した薬。誰かの姿に完全に変身することが出来るという危険薬物。
危険な薬物であるため、当然生徒がそんな薬を作ることは出来ない。よしんば作ろうとしても、『禁書棚』に分類されている本を読まない限り、その製法すら生徒が知ることは不可能だ。勿論、スネイプ先生に贔屓されているスリザリン生であれば、比較的簡単にその本を読むことが出来る。実際、ダリアはスネイプ先生からいとも簡単に閲覧許可をもらい、私も彼女が読んだ後にその項目を読ませてもらった。でも、彼らはスリザリン生ではない。本来なら
しかし、私は知っている。
わざわざスネイプ先生以外の先生から許可をもらってまで。
普段であれば彼女の好奇心の賜物くらいにしか思わなかっただろう。でも、今なら分かる。あれは紛れもなく、今回の行動の前準備だったのだ。
そして製法を知った彼女達は、どうやったのかは知らないがクラッブとゴイル、そしてミリセントの髪の毛を調達し、何気ない顔で私たちの談話室に忍び込んだのだ。
何のために?
何のために、そんな危険を冒してまでスリザリン寮に忍び込もうと思ったのか?
……決まっている。
この時期にわざわざ『ポリジュース薬』まで作ってスリザリンに忍び込む。
そして先程の質問の数々。それらを総合的に考えれば、彼女たちの目的なんて簡単に想像できる。
それを認識した時、私の心の中に激しい怒りが燃え上がっていた。
彼女達は……ダリアが『継承者』だと証明するために、ダリアを捕まえるために、スリザリン談話室に入り込んだのだ。
突然立ち上がった私に戸惑うドラコを無視し、熱く煮えたぎる思いで談話室を飛び出すと、私はこっそり
階段を駆け上がる彼女達にばれないように、私は足音を忍ばせてついていく。後ろを振り返ることなく廊下を駆け抜ける彼女達に、私も必死についていく。
そしてたどり着いた先が、この『嘆きのマートル』のトイレだった。
確かに、ここなら誰も来ない場所だろう。まさに危険な薬物を作るにはうってつけの場所。彼女達は、あの本を借りてからずっとここで薬を作っていたのだろう。
ダリアを犯罪者扱いするために。ダリアを捕まえるために。
私は怒りの赴くまま、トイレのドアを押し開けた。
そしてそこには、案の定彼女達がいた。先程までの見慣れたスリザリン生達の姿はどこにもない。
床に転がるように座る、ハリー・ポッター、ロナルド・ウィーズリー。
そして……ハーマイオニー・グレンジャー。
彼女達がそこにはいた。
「やっぱり……。あなただったのね、グレンジャー」
トイレに入り声をかけると、彼らはひどく驚いた表情になった。あんな杜撰な計画だったのに、彼らは私にバレてないとでも思っていたのだろう。
でも、今はそんな彼らの愚かさなどどうでもいい。彼らが愚かなのは今に始まったことではない。
私は驚きの表情から次第にバレたことに対する恐怖と、そしてスリザリンに対する敵意の混ざったような表情に変わるポッターとウィーズリーを無視し、ただただハーマイオニー・グレンジャーを睨み続けた。
ポッターとウィーズリーも勿論許しがたい。でも、最も許せないのは……
「グレンジャー。あなたは違うと信じていたのに……」
丈の明らかに合わなくなった服を身に着け、グレンジャーはこちらをポカンとした表情で見つめ返していた。
ポッター達と同様、彼女も作戦が上手くいったとでも思っていたのだろう。突然現れた私に対して、未だに理解が追いついていないらしい。ポッター達と違って敵意こそ感じないが、その表情は驚愕で彩られている。
その表情を見ていると、私の心の中はさらに煮えたぎってきた。
グレンジャーを睨みつける私の瞳から、知らず知らずのうちに涙が零れ落ちていく。
私は……悔しかった。
ただ悔しくて。
悔しくて悔しくて、ただ悔しくて仕方がなかった。
ダリアのことを思うと、悔しくて、悲しくて、苦しくて、そして彼女を裏切ったグレンジャーが憎くて仕方がなかった。
ダリアはあんなにもグレンジャーを守っていたのに。人を避けなければならないと考えているダリアが、それでも必死に守ってくれたのに。
なのに、当のグレンジャーがダリアを裏切ったことが、私には悔しくて仕方がなかった。
ダリアの純粋な好意、そしてそれに付きまとう彼女の苦悩と葛藤。それらが土足で踏みにじられたような気がした。
ダリアのことを思うと涙が出てくる。
どうして……。どうして皆ダリアをこんなにも簡単に裏切ることが出来るのだろうか。
一体あの子が何をしたというのだろうか。
「信じていた……。あなたは違うって。貴女もダリアを裏切ったりしないって。でも……あなたはダリアを裏切ったのね。あれだけ助けてもらっておきながら、あなたはダリアを『継承者』だと疑ったのね?」
震えそうになりながら絞り出した声は多分、今までの人生の中で一番冷たいものだったと思う。
信じていたのに。
ダリアは彼女のことを気に入っていた。それは去年のハロウィーンの時からもう知っている。別の寮であるにも関わらず、たった数か月でダリアに気に入られた彼女に嫉妬していなかったかというと嘘になる。でもそれ以上に、グリフィンドールでありながらダリア自身をしっかり見ようとするグレンジャーに、私は確かな信頼感も持っていたのだ。話したことは数える程しかなかったけど、奇妙な親近感と期待感を私は持っていたのだ。
彼女もきっとダリアを守ってくれる。ダリアを決して独りにしようとはしない。彼女もきっと、ダリアを信頼してくれる。
たとえ寮が違ったとしても、彼女はダリアの心を癒してくれる。
そう思っていた。
なのに……。
「ち、ちがうの!」
私の言葉で、先程の犯行がバレていると確信したのだろう。『ポリジュース薬』を作るのは、その薬の特性上どう考えても校則違反だ。下手をすれば退学も考えられる。
それは分かっているのか、グレンジャーが顔を真っ青にしながら慌てて言い訳をしようとする。
でも、私はグレンジャーの言葉など聞きたくもなかった。こんな裏切り者の言葉なんて。ダリアに守ってもらいながら、ぬけぬけと彼女を傷つけるような人間の言葉なんて。
あふれる涙を拭いもせず、グレンジャーをひたすら睨み付けながら話す。
「談話室に入って、私達からダリアの犯罪行為でも聞き出そうとでも考えたの? それでダリアを捕まえようとでも思ったの? ダリアがいれば、本人に聞こうとでも思ったの? あなたは『継承者』なのかって。ダリアの気持ちも考えずに……。あの子が今どんな思いをしているかも考えようとせずに! あれだけダリアに気にかけてもらっておいて、あなたはダリアを犯罪者のように扱おうとしたの!?」
「お願い、聞いて!」
「一体何を聞くっていうの!? ダリアは『継承者』なんかじゃない! そんなことすら分からないような連中から、一体何を聞くことがあるの!? もううんざり! あなたにも、この学校の生徒にも、ダンブルドアにも! あなたみたいな奴等がいるからダリアは……」
腹が立って、悔しくて、悲しくて、苦しくて、頭がどうかしてしまいそうだった。
こんなはずじゃなかった。去年は思った以上に距離を縮めれなかったけど、今年こそはダリアに友達だって言ってもらうんだと思っていた。そして家族と過ごせず落ち込んでいたダリアには悪いけど、私は今年のクリスマスは非常に楽しみにしていた。彼女と一緒に過ごすクリスマスは、さぞ幸せなことだろうと期待していた。
その全てが、『秘密の部屋』が開かれてからおかしくなってしまった。
ただでさえ辛そうだったダリアがさらに追い詰められ、挙句の果てに寮にすら帰ってこない程になってしまった。
楽しいはずだったクリスマスは、ただただ空しいだけのものになった。
何もかも理不尽で。ただただダリアのことを思うと胸が張り裂けそうだった。
そしてその理不尽を体現したかのような所業をなしたグレンジャーが、私はどうしても許せなかった。
「ま、待って、そんなつもりじゃ、」
「もういい! ダリアを捕まえるつもりだったのかもしれないけど、捕まるのはあなた達よ! ポリジュース薬を作ってスリザリンに忍び込んでたって先生に伝えるわ! ダリアを貶めようとしたこと、絶対に後悔させてやる!」
尚何か言おうとするグレンジャーや、急転直下に危機的状況に陥ったことで顔を真っ青にしている二人を横目に、私はトイレの個室に向かって足を進める。
今スリザリンの生徒の言葉は紙くず同然に扱われている。その証拠に、グリフィンドール生が襲われた夜、私達スリザリン生はダリアがその時間帯何をしていたか尋ねられた。勿論、皆の答えはダリアの潔白を証明するものだった。……でも、それでダンブルドアが意見を変えた様子は一切ない。
『継承者』はサラザール・スリザリンの思想を受け継いだものとされている。そのスリザリンが創った寮の生徒の言葉など、信頼に値しないということなのだろう。だから今私が先生の元に駆け込んだとしても、ダンブルドアはこの件を黙殺するかもしれない。
でも、証拠があれば別だ。証拠さえあれば、言葉ではなく、彼女たちが校則を破ったという確固たる証拠があれば。
そして、それはすぐに見つかった。
入口から一番近くにあった個室の中に、彼らの作った『ポリジュース薬』の残りが入った鍋が置いてあった。
わずかではあるが、未だに中身の残っている。鍋の中には、私が勉強した通りの特徴を持った薬が入っていた。
鍋を持ち上げながら宣言する。
「これが動かぬ証拠よ! これさえあれば、貴方たちがどんなに言い繕おうと、必ず先生方も貴方たちを処罰するわ!」
これを今すぐにでも先生の元に持っていくつもりだった。他の先生方は知らないが、スネイプ先生なら必ずグレンジャー達を喜々として退学に追い込んでくれる。いくらダンブルドアが何か言ってこようと、この証拠さえあればスネイプ先生が何とかしてくれる。
そう思いながら、私は鍋を片手にトイレのドアを目指そうとして……
止まった。
振り返った先、トイレの入り口の前には、
「お願い! 話を聞いて!」
ハーマイオニー・グレンジャーが必死の形相で手を広げ立っていた。
その瞳からは、私と同じように冷たいものが流れていた。
ハーマイオニー視点
「……さっきも言った。貴女の下らない話をこれ以上聞くつもりはない。私はこの薬を持って、今すぐ先生の元に行くつもり。貴方たちが嫌いなスネイプ先生の元にね」
残った薬の入った鍋を抱えたグリーングラスさんは、未だ憎しみを宿した瞳で私に告げる。
彼女は本当に怒っていた。
その理由は、私達グリフィンドールがスリザリンに忍び込んだからなんかではない。
彼女は……マルフォイさんのために、こんなに怒っているのだ。
私達がマルフォイさんを陥れようとした。そう考え、彼女はこんなにも怒っているのだ。
彼女はマルフォイさんのために、こんなにも怒り、悔しくて涙を流しているのだ。
その事実が……私には耐えられなかった。
それこそ、今から退学になるかもしれない事実がどうでもよくなってしまう程に。
スネイプと聞いてが恐れおののいているハリーとロンを横目に、私は絞り出すように言った。
「……お願い、話を聞いて。話を聞いてくれたら、薬のことを先生に言いに行っても構わないから」
グリーングラスさんの動きがわずかに止まった。
「おい! ハーマイオニー!」
「ロンは黙ってて!」
私の発言に憤るロンを黙らせ、再びグリーングラスさんに真剣に話かける。
もしかしたら、私はマルフォイさんを、そして彼女の友達を傷つけてしまったかもしれない。
その事実に耐えられなくて、私は溢れる涙を拭うこともせず、真剣にグリーングラスさんにお願いした。
「お願い……」
グリーングラスさんは、私がスネイプ先生に告げ口しても構わないと言ったことを訝しんでいる様子だった。
「どういうつもり?」
「私は……退学になりたくない。この学校に来て、私はいろんなことを知ることが出来た。いろんな人に出会うことが出来た。だから、私はこの学校が好き。そんな学校を退学になるなんて耐えられない」
私はグリーングラスさんに静かな口調で話し始める。
私はこの学校が好き。この学校に来て、私は初めて勉強より大切なことを学んだ。初めて友達が出来た。初めて誰かに憧れることが出来た。
初めて、誰かと友達になりたいと思えるようになった。
それを教えてくれたこのホグワーツから、私は退学になりたくなんてない。でも……それ以上に……。
結局私が始めたのがただの命乞いだと思ったのか、グリーングラスさんはさらに怒りを募らせながら大声を上げようとする。でも、その前に、
「でもね。私はそれ以上に、貴女に誤解されたままこの学校を去らないといけないことが嫌。マルフォイさんを裏切ったって思われたまま、この学校を去らないといけないことが嫌なの。私は裏切ってなんかない。マルフォイさんを疑ってなんかいない。それだけを、貴女に言いたいの。お願い、話を聞いて。私の話を聞いて、それでも私のことを許せないなら、すぐに先生たちの所に行ってもいいから。だから……お願い」
もし、このまま薬のことが先生にばれてしまったら、私が薬を作った理由はマルフォイさんを捕まえるためだったと思われることだろう。それは生徒のみならず、きっとマルフォイさん本人にも伝わってしまう。それだけは……どうしても耐えられなかった。
不名誉だからとかそんな理由ではない。私の行動が、結果に的にマルフォイさんを傷つけてしまう。そんな自分を、私は許せない。
「……」
口を開きかけたグリーングラスさんは、そのまま何も言わずに口を閉ざした。少しだけ私の話を聞いてくれるつもりになってくれたらしい。
でも、未だにその瞳には怒りと疑心が映っていた。彼女は無言で私に話の先を促す。
一応私の話を聞いてくれる気になったグリーングラスさんに感謝しながら私は話し始めた。
「……私は、ポリジュース薬を使ってスリザリンの談話室に入れば、きっとマルフォイさんと警戒されずに話をすることが出来ると思ったの。今回彼女はいなかったけど、彼女のお兄さんのドラコや友人の貴女からなら、きっと彼女について話をしてくれる。そう思ったの」
「なら、」
早とちりしたグリーングラスさんが再び怒りの声を上げようとするのを遮り続ける。
「でも、それは彼女を捕まえるためなんかじゃない! 私は彼女が『継承者』だなんて思っていない! でも、皆はそんな風に考えてない。マルフォイさんがマルフォイ家だから、彼女が無表情だから。彼女のことをダンブルドアが疑ってるから。そんな理由でマルフォイさんのことを疑ってる。でも、私は知ってる。彼女がそんなことをするはずがない。彼女はミセス・ノリスが襲われた直後、私を心配してくれた。マグル生まれの私が襲われやしないかって、彼女は真っ先に心配してくれた! そんな彼女が『継承者』なはずがない!」
私はそこで一息つき、
「私は悔しかった。私を真っ先に心配してくれたマルフォイさんが、皆に真っ先に疑われたことが。だから……私は彼女の無罪を証明がしたかったの。彼女が無防備にした話なら。彼女と最も近い場所にいるあなた達の無警戒にした話なら、きっと彼女がやっていない証拠になる。そう思っただけなの。お願い……許してなんて言えない。でも、私はマルフォイさんを疑ってたわけじゃないの。それだけは信じて……」
私はそう、静かに言い終えた。
この学校を退学にはなりたくない。でも、マルフォイさんに誤解されたまま去るのはもっと嫌だ。
彼女が助けた私に、彼女が裏切られたとは思われたくなかった。
マルフォイさんに……嫌われたくなんてなかった。
彼女を……傷つけたくなんてなかった。
言いたいことを言い終え、ただ涙を流す私を、グリーングラスさんはじっと見つめていた。
奇妙な沈黙がトイレの中を満たしていた。
先程から立ち尽くすばかりのハリーとロンは、ただ青い顔をして成り行きを見守っている。
そしてグリーングラスさんは、ただ私をじっと探るように見つめていた。
今トイレの中で聞こえるのは、時折『嘆きのマートル』がたてる水の音だけだった。
何分くらいそうしていただろう。
一分くらいだったかもしれない。実は数秒だったのかもしれない。逆にもっと長い時間そうしていたかもしれない。
ハリーとロンの緊張がいよいよ限界に近付いてきた時、グリーングラスさんが大きなため息をついた。それはまるで、自らの中の熱を無理やり追い出すかのようなため息だった。
私の気持ちが伝わったのか、グリーングラスさんの瞳に写る憎悪は、わずかながら薄まっていた。
「……本当に、ダリアを疑ってたわけじゃないの?」
「ええ。それだけは信じて」
未だに疑り深く私を見つめるグリーングラスさんに、私は真剣にうなずいた。
「私が言いたいことはこれだけ。……後は貴女の好きにしていいわ」
言いたいことは言い終え、目的を果たした私は、そう言ってトイレの入り口の前から体をずらした。
少なくとも、グリーングラスさんの誤解は解けた。退学になるにしても、これでマルフォイさんに誤解されながら学校を去ることだけはなくなる。
私の話を聞き終えたグリーングラスさんは、鍋を小脇に抱えたままトイレの入り口まで歩いてきた。
……やっぱり許してはくれないのだろう。
私は静かに目をつむりながら、今までこの学校であった色々なことを思い出す。
ホグワーツから手紙が届いた時から、この日まであった辛いことも楽しかったことも全部。
そんな色々なことを思い出している私の横を、グリーングラスさんは通り……過ぎなかった。
「……グレンジャー。もう一度聞くよ。……本当に、ダリアを裏切ったわけじゃないんだね?」
グリーングラスさんが再び静かに問いかけてくる。
私はそれに勢いよく頷いた。
「勿論よ」
「……」
私の前で立ち止まったグリーングラスさんは、少しの間考え込んでいる様子だったけど、
「……いいよ。貴女がダリアを疑っていなかったってことは信じる」
「……ありがとう」
グリーングラスさんはぽつりと絞り出すように告げた。
どうやら誤解は完全に解けたようだった。でも、
「でもね……やっぱり私は、貴女を許すことが出来ない」
グリーングラスさんは続ける。私も、マルフォイさんを疑ってないと信じてもらったとしても、それだけで許してもらえるとは思っていなかった。理由はどうあれ、私達は彼女達をだまそうとしたのだ。許されるとは思っていない。
でも、彼女が私を許さないと言った理由は、私の予想とは違ったものだった。
「……ねぇ、グレンジャー。あなた、『ポリジュース薬』を作るのに、どうやって材料を集めたの?」
思いがけない質問に、私は一瞬言葉に詰まった。
何故今そんな質問がされるのか、私には分からなかったのだ。
「え? そ、それは、」
おそらく、『ポリジュース薬』を作る過程において最も退学になりうる理由の一つ。
それを突然尋ねられ、私は答えに窮してしまった。そんな私を無視してグリーングラスさんは続ける。
「薬を作るのにいくつか生徒には手に入らないはずの材料があるよね? それこそ、スネイプ先生の倉庫に入らない限り。……グレンジャー。あなた、材料を盗むのに、魔法薬学の授業中に花火を使ったでしょう」
「……ええ」
ここで嘘をついても仕方がない。私は素直に彼女の言葉にうなずいた。
それに嘘をついたとしても、先生に薬のことを言われれれば、いずれ必ず分かることだ。
「やっぱりね……」
グリーングラスさんは、先程々ではないが、静かな怒りを宿しながら私を見つめる。
「それが理由だよ。私は、あの時の貴方たちがあんなことしたことが許せないの」
ハリー視点
目の前で事態は二三転していた。
作戦と達成したと思っていたところに突然現れたスリザリン生。烈火のごとく怒る彼女に、ハーマイオニーが必死に自身の思いを訴える。
ハーマイオニーの言葉を受け、怒りがわずかに収まったと思った矢先に、グリーングラスはまた何かに腹を立てだしていた。
「……あの時、あなた達が花火を使ったせいで、ダリアに薬がかかっちゃったんだ」
「え?」
グリーングラスの言葉に、ハーマイオニーは目を見開いていた。
「少量だったから大事にはならなかったけど、確かにダリアに薬はかかったんだ。そのことが……ダリアを追い詰めたの。あれのせいで……ダリアはあんなにも傷ついてしまったの」
「そ、それってどういう、」
「……ごめん。訳が分からないよね。本当は私も分かってるの。貴方たちが悪いわけじゃない。あの時注意を怠った私が悪いの。でも……貴方たちがあんなことしなかったら、ダリアはこんなに追い詰められることはなかった。ダリアはクリスマスを……心穏やかに過ごすことが出来た」
グリーングラスの言葉は意味の解らないものだった。そもそも、僕たちに分かるように話しているようなものでもないのかもしれない。
彼女の言葉は、僕たちにではなく、どこか自分に向けて話しているような響きを持っている気がした。
でも、ハーマイオニーはそう思わなかったらしい。ハーマイオニーの顔は、グリーングラスが言葉を進めるうちにみるみる真っ青になっていた。
「……私はそこまで人間が出来ていないから、あんなことした貴方たちを許せない……」
そして言いたいことを言い終えたのか、グリーングラスは今度こそトイレから出て行ってしまったのだった。
トイレに残されたのは、慌てふためく僕とロン、そしてグリーングラスの言葉に何故か打ちのめされた様子のハーマイオニーだけだった。
談話室に戻ってきた僕の気分は最悪なものだった。
朝目覚めた時、僕は最高の気持ちだった。
友達から届いたプレゼント。久しぶりに手に入れた視線のない生活。そして、今夜あの忌々しいマルフォイ兄妹を捕まえることが出来る。
僕はそう思い、ここ最近辛かった生活が嘘であるかのように幸せな気持ちになっていたのだ。
それが今はどうだ。
ダリア・マルフォイを捕まえれる証拠をつかむどころか、スリザリン生の一人にばれてしまった。今頃あいつは、スリザリンらしく喜々としてスネイプの元に薬を届けているに違いない。
そうなれば、僕たちは明日にも退学になってしまうかもしれないのだ。特に僕とロンは、今年の登校の件で後がなくなっている。暴れ柳から命からがら逃げ延びた後、僕らはダンブルドア直々に次はないと言われているのだ。
「やばいよ! どうするんだよ!? このままじゃ僕たち、明日にも退学になってしまうかもしれない!」
ロンもそれが分かっているのか、血の気が引いた真っ青な表情で慌てふためいている。
一方、
「……」
ハーマイオニーはすっかり黙りこんでしまっていた。ロンと同じく真っ青な表情をしているが、慌てふためくといった様子ではない。彼女はグリーングラスの言葉を受けてから、じっと黙り込むばかりだった。一言も話さず談話室に戻ってきた彼女は、そのままじっと思い詰めたように床を見つめていた。そんな彼女の横で、ロンはわめき散らしている。僕もわめき散らしこそしないものの、頭の中では非常に慌てふためいていた。
「ど、どうしよう、ハリー、ハーマイオニー!? このままじゃ僕たち退学になるよ! 僕、きっとママに殺されちゃうよ!」
「僕も、ダーズリー一家の元に戻されちゃう……。でも、あいつらは僕が退学になったことを喜ぶだろうな……。僕の不幸で三度の飯が食べられる奴等だから」
僕とロンはただ明日来るであろう破滅に慌てふためいていた。でも、ようやくしゃべったハーマイオニーは、僕らとは全く別の言葉を話した。
「私……退学になってもいい。ううん……。私は、退学にならないといけないの……」
ぽつりと呟いた彼女の言葉は、僕らには信じられないようなものだった。
「な、なにを言ってるんだ、ハーマイオニー!? どうして退学になってもいいなんて言うんだ!? 君は僕らと違ってまだ退学にならない可能性があるんだぞ! 僕らはもう後がないけど、君は校則を破ったのは今年はこれで初めてじゃないか!? そんなことより、ハーマイオニー、どうしてあいつをあのまま帰したんだ! あいつの好きにしていいって!? 君は大丈夫かもしれないけど、僕たちは間違いなく退学になっちゃうかもしれないんだぞ!」
グリーングラスを黙って行かせてしまったハーマイオニーに、ロンが大声を上げる。でも、それ以上の剣幕で、
「登校の時は貴方たちの自業自得でしょう! それに、私達は退学にならないといけないの! さっきグリーングラスさんが言ってたじゃない! 私は、マルフォイさんを助けるつもりで、彼女を知らず知らずのうちに追い込んでしまっていたの! あの日花火を使えば、こんなことも起こるかもしれないって簡単に分かることだったのに! 私はそんなこと考えもしなかった! こんなバカな私がここにいていいはずがないの!」
そう大声で叫ぶと、ハーマイオニーは僕たちの制止も聞かず、女子寮の方に駆け込んでしまった。
残された僕とロンは唖然とした表情で見つめあった。突然すさまじい剣幕で叫んだハーマイオニーの姿に、僕たちは何だか冷静になってしまった。
「……どうしたんだ、あいつ」
ロンの疑問に対する答えを僕は持ち合わせていなかった。先ほどのグリーングラスの言葉は、正直僕には意味不明なものだった。それにハーマイオニーがなにを思ったのか、僕には想像出来なかったのだ。
訝し気につぶやくロンに肩をすくめると、僕は疲れはてた体を談話室のソファーに沈めた。
どれくらいそうしていただろうか、ややあってロンも僕の対面に沈み込みながらつぶやく。
「ああ、退学だ……。よりにもよってスリザリンに退学にされるのか……。今回、僕たちは何をしたんだろうな……。結局、ダリア・マルフォイが『継承者』じゃないって分かっただけだし」
「……そのことなんだけど」
ハーマイオニーがいなくなったので、僕はロンに思っていたことを喋ることにした。
ハーマイオニーは、今回の件でダリア・マルフォイを完全に信じてしまっている。そんな彼女に、僕は自分の考えを言うわけにはいかなかったのだ。
明日にも退学になってしまうかもしれにない現実から目を逸らすため、僕はずっと思っていたことを語り始めた。
「……本当に、ダリア・マルフォイは犯人じゃないんだろうか?」
作戦前からダリア・マルフォイを信じ切っていたハーマイオニーは、スリザリンの談話室でされた話を聞いて、さらにその信用を深めてしまった。でも、僕は騙されてはいなかった。確かに、ドラコとグリーングラスからダリア・マルフォイの犯行を確定することは聞き出せなかった。でも、
「……どういうことだい? だって、さっきドラコとさっきのスリザリン生が言ってたじゃないか。ダリア・マルフォイは犯人じゃないって」
「うん、そうだね。それは間違いないよ。でもね……」
僕は、半ば確信をもって言った。
「ドラコとグリーングラスが知らないだけで、今回の事件はダリア・マルフォイ単独でやってるんじゃないかな」
「……どういうこと?」
僕の言葉を咄嗟には理解できなかったらしいロンに答える。
「……ダンブルドアは、ダリア・マルフォイだけを疑ってるんだよ。同じスリザリン、いや同じマルフォイのドラコだっているのに、ダリア・マルフォイ個人をダンブルドアは真っ先に疑ったんだ。つまり、今回はあいつ一人の犯行で、あいつの兄も知らないだけじゃないかな。それならドラコがダリア・マルフォイのことを知らない理由になる。ダンブルドアは最も偉大な魔法使いだ。そんな人が間違った人間を疑うはずがないんだ」
「……確かに」
「それに、さっき僕たちが知ったのは、ドラコ達がダリア・マルフォイの犯行を知らないということだけじゃない。……さっきのあいつらの雰囲気。もしかして、最近ダリア・マルフォイは談話室に帰っていないんじゃないかな。それこそ、昼夜問わず」
ダリア・マルフォイが最近どこかを歩き回っていることは、事前にフレッドとジョージに言われていた。でも、いつも冗談ばかり言う彼らだ。今回も『継承者』だと疑われた僕を励ますための優しい嘘の可能性があった。しかし、今回の作戦でそれは確信になった。
ダリア・マルフォイは、今獲物を探して学校中を歩き回っている。
こんな時期に外を出歩く理由なんてそれくらいしか思いつかない。
「そうか! あいつ!」
理解が追いついたのか、ロンが退学のことを忘れたように大声を上げた。
「うん。きっと次の犠牲者を探してるんだと思う」
もしかしたら、僕たちは明日退学になってしまうかもしれない。
でも、今回の行動は無駄ではなかった。もし僕たちが退学になっても、ダリア・マルフォイに一矢報いることができる。あいつが単独で学校内を歩き回っていることが分かれば、きっと先生たちはあいつを今以上に警戒してくれる。もしかしたら、それを知らせた僕らを許してくれるかもしれない……。
それだけじゃない。これで僕らは、少なくともハーマイオニーは守れるのだ。
今回の件で、ハーマイオニーだけは退学にならないかもしれない。その時、学校に残った彼女を僕たちは最後に守ることが出来る。流石に先生たちに警戒されれば、ダリア・マルフォイも次の犠牲者を探し回ることも難しくなるだろう。それどころか、今度こそあいつの悪事を暴くことが出来るかもしれない。
退学になってしまうかもしれない状況の中に、わずかな希望を見出すことが出来た。
退学になりたくなんてないが、全く希望がないわけではない。僕達が手に入れた情報で、もしかしたら状況がひっくり返るかもしれないのだ。
……後は明日、喜々として僕らを呼び出すであろうスネイプにどこまで抗うことが出来るか。
それだけを考えながら、僕らは男子寮の階段を上がるのだった。
ダフネ視点
誰もいない廊下の真ん中で、私はじっとまだわずかに温かい鍋を見つめて立っていた。
先生に告げると言ったものの、私は迷っていたのだ。この鍋を先生の元に持っていくべきかどうか。
この鍋をスネイプ先生の元に届けるのは簡単だ。これはグレンジャー達が校則を大きくやぶった確固たる証拠だ。グリフィンドール嫌いのスネイプ先生のことだ。絶対に彼らを退学に追いやってくれるだろう。
でも、それを本当にやってしまっていいのだろうか?
退学になる彼女らが可愛そうになったわけではない。グレンジャーがダリアを裏切っていなかったのは分かったとはいえ、彼らのせいでダリアに薬がかかってしまったのは間違いないのだ。
いくら私がダリアの体のことを忘れてたとはいえ、あれさえなければダリアは傷つくことすらなかったのだ。
それを私はどうしても許すことが出来なかった。
彼女達をこのまま退学にしてやりたいと思った。おそらくグレンジャーと違い、私の当初の予想通りダリアを貶めに来たポッターとウィーズリーは勿論、疑ってなかっとはいえ、これを計画し実行したグレンジャーも私は未だに許すことが出来なかったのだ。
でも、同時に思う。
もし、彼女達を退学にしてしまえば……それは本当にダリアのためになるのだろうか?
ダリアは今回のことを当然知らない。私だって、今回のことがなければグレンジャーが花火をゴイルの鍋に投げ込んだなんて想像もしなかっただろう。
ダリアは……自分に薬をかけた元凶がグレンジャーだとは、夢にも思っていないことだろう。
それを知ってしまった時、ダリアは一体何を思うのだろうか。
グレンジャーを退学にしてしまえば、当然彼女がやったことは明るみにでる。勿論、花火の件も含めて。
薬をかぶってしまった原因がグレンジャーにあると知ったダリアは、一体何を考えてしまうのか。
今、ダリアが何を思って談話室に帰ってこないかは分からない。
でも、そんな彼女が今回の件を知って、いい気持になることはないことだけは、私にもはっきりと分かっていた。
グレンジャーが本当に裏切っていたのなら迷う余地などなかった。ダリアのために、そんな人間をこれ以上この城にいさせてはならないと考えただろう。でも、彼女の心を知って、わずかながら迷う余地が生まれてしまったのは事実だった。
私の中で、グレンジャー達に罰を与えたいと思う気持ちと、ダリアを思う気持ちがせめぎあう。
そしてその勝負は一瞬で終わった。
私はダリアが幸せになってほしい。それの邪魔になるというのなら、たとえ私の感情だって押し殺してみせる。グレンジャーを許すことは出来ないが、それをダリアに気付かれないようにそっと胸の内にしまい込むことは出来る。罰を与えるだけなら、もう既に彼女達罰は与えることが出来た。今頃彼女達は、明日訪れる退学の知らせを震えながら待っていることだろう。
ベッドで震えているだろう彼らの姿を想像して僅かに溜飲を下げると、私は鍋の中身を魔法で消し、鍋を抱えたまま