※注・授業中です
イマドキの高校生でリア充サイドの女。さらにその中でもカースト上位に位置する相模とは、通常であれば接点など存在しない深夜アニメネタ。男女が入れ替わって隕石回避しちゃったりパヤオアニメだったりと、一般人のあいだでも話題になったようなアニメ映画であればいざ知らず、地上波、それも深夜にやってるアニメなんて、相模のような正にイマドキ女子高生とは真逆の位置にあるもの。
それ故こいつがアレを観ているなんて発想自体、普通ならありえない。常ならばそう思うところだろう。
だがしかし今は違う。なぜなら先日ドリアをご馳走になりにいったあの日、二人でリビングのソファーに腰掛けている時に、確かに相模はこう言ったのだ。
『へー、ウチ普段アニメとか全っ然観ないんだけど、けっこー面白いんだー』
と。
これはあくまでも推測の域に過ぎないが、多分相模はあの時アニメの魅力に気付いてしまったのだ。そして目についたアニメを視聴するうちに、たまたまアレに辿り着いてしまったのだ、と。
そしたらどうだ。位置関係だけで言えば、画面の向こう側で楽しそうに男子をからかうヒロインの位置に座るのは自分。そしてそのヒロインにからかわれ、常に敗北感に頭を抱えている主人公の位置に座っているのは俺。明らかに相模はからかう側の立ち位置。そして俺はからかわれて悶える側の立ち位置である。
そしてその相模さんはと言えば、現在友達になったばかりの俺に対して絶賛調子乗り乗り中なのだ。
この公式から導き出される答えはひとつ。「ぷっぷー、比企谷の奴をからかって、照れさせて楽しんでやろう! ざっまぁ!」……しか考えられない。
ではあの間接キス事件も胸触らせ事件も、全部相模の計画だったというわけだ。
くっそぉ相模さんめー! してやられたぜ! まんまとドキドキしちゃったじゃねぇか。あぶねぇ、もしこれが中学時代に折本にやられていたとしたら、ドキドキどころか簡単に落ちちゃってるとこだったわ。
別にこんなこと一切されてなかったのに、簡単に落とされていたどうも俺です(白目)
つーかやるならやるで徹底してやれよ。照れたら負けのからかいバトルだというのに、からかう側のお前がいつもいつもそんなに照れててどうすんだ。どんだけからかい下手だよ。本家見習ってもっと飄々としてろよ。
……しかし、あっぶね! 幸いにしてまだバレンタイン以降雨は降ってないが、もし雨が降っていたとしたらこの女、傘を忘れたフリして俺と一緒に帰って相合傘させる気だったろ。そしてその帰り道、俺に愛してるとかアイラブユーとか言わせようと画策して嘲笑う気だったんだろう。な、なんと恐ろしい……
でも甘いよ、甘すぎるよ相模さん! その程度の企みで、俺を陥れられると本気で思っていたのかい!? (完全に陥れられてました)
危ないところだったが、気付いてしまえばどうという事はない。企みが露呈した以上、もう相模ごときのからかいなんかは気にしなければいいだけなのだから。
例えスカートで逆上がりしようと、例え消しゴムに『ろうかみろ』などと意味不明な文言が書かれていようとも、そんなものはもう児戯に等しいのである。
言っておくが、俺はあの中坊と違ってお子様じゃないんでね。別にお前のからかいに付き合ってやったりはしないぜ。
相模ごときにニヤニヤと勝ち誇られた面をされるのはちょっとだけ悔しいけれど、仕返しとかして相手にしちゃったらなんか負けな気がするから絶対やらん。
フッ、馬鹿め。勝手にやって勝手に照れてやがれ。
──ん? 消しゴム……?
そうか、その手があったか!
確かにあの中学生男子と違って、大人な俺は別にからかい返して照れさせてやろうだなんて、ガキ臭い反撃をしようとまでは思わない。そもそも反撃なんかしなくても、こいつ勝手にやって勝手に照れてるし。
やだ! 気付かなかっただけで、労せずして常に勝利していたのか! 負けを知りたい。
しかし反撃とまではいかなくとも、未然に攻撃を防いで相模にぐぬぬ顔をさせてやる事は十分可能なのである。
……そう、あの消しゴムネタを使って。
フハハハハ! ざまぁみろ相模! 今この俺が、お前の姑息な作戦など事前に叩き潰してくれるわ! せいぜい悔しがるがいい!
× × ×
消しゴムドッキリ。それは、学生間におけるイタズラとしては、とてもポピュラーかつ効果的なイタズラであり狩猟方である。
何気ない会話の中に甘い罠を巧みに忍ばせ、攻撃対象を誘導し罠を発動させる、言わばハニートラップ。
「あ、そういえばさー、消しゴムに好きな人の名前書いて最後まで使いきれたら両想いになれるとか言うよねー」などという餌で獲物に自身の消しゴムケースの中身を意識させ、いざこっそり見てみるとトラップ(『バカが見るー!』等)が発動。そして罠に掛かり絶望の表情を浮かべる瀕死の獲物を陰から覗いて嘲笑うという、古来から伝わる恐ろしいハンティング方法である。
その例に漏れず、アレでも当然のようにその罠は仕掛けられ、そして当然のようにからかわれ上手が引っ掛かっていた。まぁそこは流石のからかい上手系JC。そのポピュラーな罠の中にも独自のアレンジを加えていたが。
まさか授業中にトイレ行ったフリをして廊下から様子を覗き、消しゴムに『ろうかみろ』と指示を書き込みほくそ笑んでいるとは、なんという恐ろしい女子中学生か。
仕掛けるのがとても容易で、かつ破壊力も抜群と言えるこの罠。アレを観た上で俺をからかって愉しんでいる相模の事だ。もちろん俺にも仕掛ける気満々のはず。これから罠を仕込む気か、もしくはすでに仕込み済みで、トラップ発動の隙を窺っているのか。
いずれにせよ、この罠にはひとつ重大な欠点がある事をご存知だろうか? それは、捕食者が餌を撒く前に消しゴムの中身を見てしまえば、その罠は無意味になるという事。
この罠は、あくまでも『もしかしたら消しゴムに俺の名前が書いてあるかもしれない!』と獲物に期待させておかなければならない。だからこそ捕食者は事前に前フリをしなければならないのだ。あ、そういえばさー……、と。
考えてもみて欲しい。そういった前フリが一切無い時点で先に獲物に『バカが見るー!』や『ろうかみろ』との文字を見られてしまったとして、果たして獲物は「やられたー!」と悔しがるだろうか? 否、なにも感じないのだ。それどころか食物連鎖上位者である自分が、ただ消費されるだけの被食者に「こいつ一人でなに書いてんだ? 頭大丈夫か?」と小馬鹿にされてしまう始末。つまり、策士、策に溺れる、だ。
そしてもし事前チェックでなにも書かれていなかった場合も、当然その罠は失敗に終わる。
なぜならこういったおまじないの類いは、消しゴムを卸したての時点で名を記しておかなければ効果は無いと云われているからだ。
つまりこの時点ではまだ何も書かれていないのに、たったの数日内に「あ、そういえばさー」との前フリがあったとしても、それはただの罠である──と、容易に判断する事が可能になるのだから。
だからこそ、餌を撒く前に先に消しゴムの中身を見られた事を捕食者側に知らしめる事が出来さえすれば、二度とその罠を発動する事が出来なくなるという寸法である。
自分の目の前で消しゴムを見られれば、調子に乗っているさすがの相模でも、この作戦は二度と使えないと悟ってぐぬぬと顔を顰めるだろうよ。
アハハハ! ざまぁないね相模さん! せいぜい悔しがればいいさ!
そうと決まれば善は急げ。都合がいい事に、現在授業は板書きの時間。今なら相模の消しゴムを奪うにはもってこいだ。
たまに黒板の方からチョークが折れる音……、いや、折れるというよりはパキョッと粉砕するような音が聞こえるのが気になるところではあるのだが、今はそれどころではない。とっとと相模の消しゴムの中身を拝んでやろうではないか。てか先生、なんでそんなにイライラしてるのかは知りませんが、あんまりイライラしてると小皺が増えちゃいますよ?
……おっと、どうやらチョークがもう一本犠牲になったようだ。あれかな? 俺と平塚先生は通じあってるニュータイプかな? やめて! 視線だけで精神攻撃してこないで! 精神崩壊しちゃう!
さて、カミーユとシロッコ遊びも程々に、そろそろヤツへと仕掛けるとしようか。
そしてこの仕掛けにより、もし今までの予想が正しいのであれば……
「……なぁ、相模」
「ん、なに?」
「悪い、消しゴム貸してくんね?」
「………………え」
なにその間。ただ消しゴムを貸してくれとお願いしただけで、そこまで間が空くのはおかしいよね?
俺はほくそ笑む。相模には決して気取られぬように。
──フッ、やはりな。俺の予想は間違ってなかったようだ。
「……な、なんで消しゴム貸してあげなきゃなんないの……?」
「昨日家で勉強してる時、机に置いてきちゃったみたいなんだ」
嘘です。もちろんしっかりと筆箱に入ってます。
ぼっちはどこかの誰かさんみたいに忘れ物なんか出来ないんだよ。なぜなら忘れ物しても誰も手を差し伸べてはくれないからな!
「……え、やなんだけど」
「……おい、毎日毎日これだけ教科書見せてやってんだから、別に消しゴムくらいいいだろ」
「……ぐっ」
通常、隣の席のヤツにたかが消しゴムを貸すくらいの事で、ここまで抵抗したりはしないものだ。
ごめん、貸してくんない?
はい、どうぞ。
この程度の簡素なやり取りで済んでしまうのが、隣人同士の消しゴムの貸し借りなのである。
それは、俺の学生生活における隣の女子との今までの消しゴムの貸し借りを思い出してみれば、容易に分かる事だろう。
CASE①!
『……ご、ごめん、消しゴム忘れちゃったんだけど、ちょっと貸してもらえない?』
『…………え。……ま、前か後ろの男子に借りればよくない……?』
CASE②!
『……ご、ごめん、消しゴム忘れちゃったんだけど、ちょっと貸してもらえない?』
『…………ブチッ。……はい。……あ、それ返さなくていいから』
っべー、俺超見栄張ってたわー。全然簡単に貸し借り出来た記憶なかったわー。
涙ながらに後ろの席の津久井君から借りられたのは、まだいい方の思い出だったなぁ。
無表情で消しゴム(米粒サイズ)ちぎって机の上に投げて寄越してくれた座間さん、あの時は助かりました。本当にありがとうございました(白目)
ふぇぇ……でもあんなサイズにちぎられたゴムの欠片じゃ、どっちにしろ返すことなんて出来なかったよぅ……
どうしよう。なんか辛くなってきちゃったよぅ。八幡もうお家帰りたい。
……いや待て、いかんいかん。もうあの頃とは違うのだ。
相模は座間さんとは違う。なぜなら相模は俺の教科書とか余裕で触れるし、なんなら俺が食ったあとの弁当箱だって平気で触れる奇特な女の子なのだから。てかいつも弁当箱は洗って返すって言ってんのに、相模さんてば「別にいい」の一点張りなのよね。アレかな? 帰ってからペロペロしてるのかな? 飼い犬か飼い猫が。
だから少なくとも座間さんみたいに、俺に触られた消しゴムには触りたくないとか、そういうんじゃないはず。な、ないはずだよね!
であるならば、こうも消しゴムを貸す程度の行為を嫌がるというのは、とても違和感がある……いやさ違和感しかないのだ。
そしてその違和感が指し示す答えはひとつ。そう、俺が貸してくれとお願いした瞬間から、お前が両手で強くHUGっと、HUぎゅ〜! っと握り締めているソレには、すでになんらかの罠が仕掛けられていることに他ならない! つまりなにかの拍子に俺に見られてしまっては都合の悪い“ナニカ”があるのだ、その消しゴムには!
激しい動揺が見て取れる相模を横目で一瞥し、俺はまたもほくそ笑んだ。
「なぁ、早く貸してくれよ。板書き間に合わなくなりそうなんだが」
「……だ、だったらあとでウチのノート写せばいいじゃん……っ」
「いやそれ余計に手間でしょ……」
動揺もここまでくると最早滑稽でさえある。
消しゴム貸さないのにノート貸してやるとか、いくらなんでも無理ありすぎんだろ。
「ホント一瞬で返すし、なんなら使った分のゴムは返すから」
「い、要らないわよそんなの!」
なんだよ要らないのかよ。そういや座間さんも返さなくていいって言ってたっけ。女子ってみんな思慮深いのね!
……またも辛い記憶に苛まれて一人涙していると、相模がチラッ、チラッとこちらの様子を窺うような上目遣いで、消しゴムが乗った躊躇う左手をそっと伸ばしてきた。
「…………ほ、ほんと一瞬だからね。変なことしないでよ……?」
本当に、本当に渋々ではあるのだが、ようやく消しゴムを貸してくれる事を決意したらしい相模。さすがに毎日毎日教科書見せて貰っといて、たかだか消しゴムを貸さないというのは無理があると悟ったのだろう。
「……別になんもしねーよ……。なんだよ消しゴムに変なことって」
鼻に突っ込むとか? もしくはゴムに染み付いたさがみんエキスをペロペロしちゃうとか? 誰がするかそんなこと。ちょっとケースを外しちゃうだけですよふへへ。
「……じゃ、じゃあ、はい」
そう言って相模は恐る恐る消しゴムを渡してきた。
あ、軽々しく消しゴム貸してくれとか言っちゃったけど、よくよく考えたら手渡しされる瞬間って結構危険じゃね? 教科書とか弁当ならサイズ的に問題ないけど、これだけ小さな物だと、渡される瞬間にちょっと手が触れちゃうかもしんないじゃん。っべー、手汗かいてきちゃった。
「……おう、助かる」
少しでも相模の指に触れると妙に意識しかねないので、まるで宝石を扱うかのよう慎重に慎重を重ねて、相模がぎゅっと握り締めていた故ほんのりと温かい消しゴムを受けとった。
てかよくよく考えたら、いつも貰ってる飴玉の方が余程ちっちゃいのに、今まで手が触れたことなんてなかったわ。てへ。
ついに俺の手元へとやってきた相模の消しゴムに、口元はニヤけてしまうし、なんだかとってもドキドキしちゃう。
女子の体温が残る消しゴムを手にして興奮しちゃうとか、俺って完全に変態そのものじゃないですか。そりゃ相模も変なことしないでとか言うよね。
おっと、いつまでも消しゴムに欲情している場合ではなかった。消しゴムには欲情してねぇよ。
一瞬で返すと言ったからには、すぐ使ってすぐ返さなければならないのである。
しかし、借りた消しゴムのケースを何の理由もなく突然外すという行為は、通常であれば奇行ともいえる行為だ。普通借りた消しゴムのケースとか外さないもんね。貸した消しゴムのケースをおもむろに外しだしたら、え、なにしてんのこいつ、と危険人物認定されること請け合いである。
まぁそもそも俺の目的が『俺が相模の消しゴムの中身を確認した事を相模に見せ付ける』である以上、奇行と思われようと危険人物と思われようと一向に構わないのだが、計画実行中──つまりケースを外そうとしている最中に相模に阻止され奪われてしまっては元も子もない。
なにせこの消しゴムのケースというのは案外厄介なヤツで、いざ外そうとすると中々に抵抗するヤツなのだ。脱ぐのを抵抗するあまり、あーれーお代官様〜と言わせたくなっちゃうレベル。
さらにこの相模の視線である。
こいつは俺に消しゴムを渡してからというもの、絶対に変な真似はさせまいと、俺から……てか俺の手元から目を離さない。それはもう穴が開くほど、警戒と不安が入り交じる瞳でジィっと見つめている。もしも消しゴムに両手をかけようものなら、即座に奪う気概なのだろう。
しかしこの俺に抜かりなどあるはずがない。
相模の目を盗んでケースを外し、さらにはなぜ人様の消しゴムのケースを外すのかと追及された場合の理由付けも、とっくに算段などついているのだ。
……まったく。やはりお前は所詮相模だな。どう転んだって、お前は高木さんにはなれないんだよ。
そうやって慌てれば慌てるほど、警戒すれば警戒するほど、この消しゴムにはなにかがあるという事が明白になるばかりだと気付かないのか? あのJCならこんな不用意な態度は決して取らない。仮に予定外の事態に見舞われたとしても、次なるチャンスに備えて飄々と受け流すことだろう。なんなら慌てたフリして、それさえが罠まである。
やはり中学生にも劣る相模さんなど恐るるに足らず。その程度のメンタルで俺をからかってきたこと、後悔させてあげるよ!
俺はおもむろに相模の消しゴムを使いはじめる。ゴムの摩擦により、鉛筆の芯を紙から削り落とすのだ。
するとどうだ。強く激しく摩擦することにより、俺の机はガタガタと大きく揺すられる。それにより、中心に教科書を置くためにくっ付けられた俺と相模の机に、ほんの僅かな隙間が作られていくのは必然である。
机と机の中心に置かれた教科書。そしてその机と机の間で徐々に広がりつつある隙間。そこに浮かび上がる答えはひとつ!
『バサッ!』
そう、重力の前には教科書だろうと鉄球だろうと抵抗は無意味。落体の法則により、物体は等しくは床へと落ちてゆくのである。
「ちょ、なにしてんのよ、机揺らしすぎだっての」
「おう、すまん、なかなか消えてくれなくてな」
なかなか消えてくれなくてな、じゃねーよ。どんだけ強く擦ったら机があんなに揺れるんだよ。もはや震源地(俺の机)は震度5強レベル。どんだけ筆圧強いんだ俺。
あまりの筆圧の強さに、相模はやれやれと呆れた様子で俺を一瞥し──
「ったくもー……」
落下してしまった教科書に手を伸ばした。
しかし、床に落ちた物を拾うのにそのままの体勢では届くはずもないので、当然屈み腰に。必然的に視線は俺から床へと注がれることとなる。
フッ、さすがはお間抜けさがみん。あれだけ俺と消しゴムの行方を警戒していたというのに、突如舞い降りたアクシデントに思考を全部持っていかれてやがる。まさに隙だらけ。
だからお前はあのJCと違って温いというのだ。
──そして俺はついに口にする。借りた消しゴムのケースを突然外すという奇行に対する理由付けの言葉を、俺の行動にすぐには対処できない体勢に入った相模の耳に届くように……
「……あー、やっぱこう丸まってると上手く消せねぇな。……カドで消すか」
そう! なんの不自然さもなく消しゴムのケースを外す言い訳。それは、カド。
消しゴムってさ、ケースから出てる頭部分って、丸まっちゃってて細かな場所は消し辛いよね。そしてこの相模の消しゴムときたら、それはもう上手い具合に丸まっているのだ。目算で二ヶ月程度は使用しているのであろう消しゴムの頭は、黒ずんだ曲線を描いていた。
そうしたら次に取る行動など、もう決まっているだろう。そう、ケースを外して反対側のカドで攻めるのが定石。
これこそが他人の消しゴムのケースを自然に外す際の、完璧なる理由付けである。
「え」
俺の口から発せられた思いもよらない言葉に、相模は教科書を拾うことも忘れて慌てて身を起こし、必死の形相で阻止を試みる。その様はまるでスローモーションのよう。
だがもう遅いのだ。その頃にはもう俺の右手は、我が国初の色彩商標登録を認められた事でお馴染みの、青・白・黒で構成されたあのケースをすでに脱がしにかかっていたのだから。さぁ、今こそその白く透き通った柔肌を、公衆の面前に晒すがよいわ!
イレイザたん「あーれぇー! ご無体なぁ!」
すぽんっ!
脳内にイレイザたん(消しゴム)の羞恥の悲鳴が響き渡る中、ついに彼女(消しゴム)の生まれたままの肢体があらわになった。
うへへ、大丈夫大丈夫、優しくしてあげるからね!
そして俺の予想通り、その白き魅惑のボディーには、とある文字が書かれていた。さぁ、なんて書いてある? バカが見るー! か? それとも廊下を見ろ、か?
だがなんて書いてあろうとも、捕食者が餌を撒く前に見てしまった以上、その文字はなんら意味を成さない。だから今からしっかり目に焼き付けてやるよ。しっかり目に焼き付けて、こんな下らないからかいを仕掛けようとしていた相模をぷぷっと笑ってやろうではないか。「お前消しゴムになに書いてんだ、ウケる〜!」と。
そして俺は見た。相模が言い逃れ出来ないように、その文字をしっかりと網膜にも脳裏にも焼き付けた。
え。
「ぎゃーーー!! ちょ、ちょっと比企谷なにしてんの!? なに人の消しゴムのケース勝手に取ってんのッ!?」
「え、あ、や、……だ、だからちょっとカドを使いたいなぁ、と……」
「そ、それは聞いたけど! で、でもウチに断りもなく勝手に取っちゃうとかあり得なくない!? マジなにこいつ超サイアクなんだけど! キモ! マジキモ! ちょっと死んでくんない!?」
「……お、おう」
想定してたよりもずっと激しく罵ってくるさがみん。
そりゃね、楽しみにしてたからかいを暴かれてしまったのだから、いくらかは怒ったフリして誤魔化すだろうくらいには思ってたけども、このまくし立てっぷりはそれはもう物凄い。
「そ、その……、なんだ、すまん」
「謝って済むなら警察いらないから! てか謝んなくていいから警察に捕まれば!? もうマジ最ッ悪! 一生塀の中に居ろ! ばぁぁぁか!」
おうふっ……。こうして、今までの人生の中でも一、二を争うんじゃね? ってくらいの激しい罵倒が続くのだが、しかし俺の心には、なんの怒りも悲しみも悔しさも浮かんではこない。
なぜなら、俺から強引にむしり取った消しゴムとケースを、先ほどよりも強く両手でHUぎゅ〜! っと胸に抱え込んでいる相模が、尋常じゃなく頬を上気させ、不安そうな涙目で弱々しく睨みつけているから。
そして消しゴムに記されたとある文字を見てしまった俺も、理解が追い付かずに頭がくらくらとしているから。
「…………み、見た……?」
相模は消しゴムを胸に抱えてぷるぷると俯いていたのだが、しばらくしてゆっくり小さく顔を上げた彼女は、怒りの形相……とはちょっと違う、不安と不満が入り交じるような潤んだ上目遣いで、ようやくそう尋ねた。
「えと……」
見た? と聞かれたら見たと答えてあげるが世の情け。
だから答えてやればいい。見たぞ、と。お前消しゴムになに書いてんだよ、と、小馬鹿にしてざまぁと笑い飛ばしてやればいい。
それでこのからかいに終止符を打ってやるのだ。
「……い、いや、見たもなにも、別になにも書かれてない普通の消しゴムだったが……?」
なのに俺ってばこう答えちゃう! だって、見ただなんて口が裂けても言えませんもん。どんな顔して見たって言えばいいのん?
だから俺は二分の一の確率に賭けるのだ。ああいうのって、両面に書いたりはしないもんだよね?
「ほ、ほんと!?」
「お、おう」
「ほんとに、マジ……!?」
「お、おう」
「……そ、そう」
……と、どうやら賭けには勝ったご様子。やはり文字が記されていた面は片面だけで、俺が見ちゃった側はなにも書かれていない面だったという与太話を信じてくれたようだ。
「……よ、よかったぁ……、そっちかぁ……」
そして未だ胸元で消しゴムをぎゅうっと握り締め、真っ赤な顔で安堵の微笑みを浮かべる相模南は、どこの誰よりも耳聡い俺でなければ聞き取れなかったであろう小さな声で、ぽしょりとそう呟いた。
そんな相模のホッとした横顔にパニック寸前の俺ではあるけれど、ここで勘違いしてしまうようなヤワな鍛えられかたはしていない。エリートぼっちを舐めるなよ?
バレンタインから今日までのからかいっぷり、調子に乗りまくってるウザっぷり、そしてこの消しゴム騒動という一連の出来事を頭の中でゆっくり租借し吟味して、この事態を勘違いしないで済む道筋を脳内データベースの中から必死で検索する。
すると、いとも容易く答えが見つかりました。さす俺。
──ああ、そうか、これはまた騙されるところだった。
書いてあった文字が予想の遥か斜め上をいくモノだったから思いっきり面食らってしまったが、よくよく考えたら、からかう手段としてはそっちの方向性もあったんだよね。
…………そう、書いてあった文字は『バカが見るー!』でもなければ『ろうかみろ』でもない。そこには、とても可愛らしい文字で
『ひきがや』
とだけ書かれていたのだ。
うん、これはあれだ、あれに違いない。いざ罠を発動させた際は、自分の名前が書かれてて戸惑い悶える俺の様をにんまりと眺め、「なに? 本気にしちゃったのぉ? ぷっぷー!」と嘲笑う作戦だったのだ。
であるならば、餌を撒く前に先に見られてしまったら、そりゃ焦るに決まっているではないか。だって作戦前にそれを見られてしまったら、俺の事が好きだと勘違いされてしまうのだから。
この勘違いは、軽く想像しただけでも恐ろしく屈辱的だ。だってなんの罠も仕掛けてない時点で先に見られちゃったら、もう言い訳のしようがないもん。
「いやいや、それただのイタズラだから! あんたが見ちゃうように誘導しようとしてたのに、あんたが先に見ちゃっただけだからぁ!」とか言い訳を始めたって、ただただ必死に誤魔化してるようにしか見えないもんね。
例えば俺がこの類いのイタズラを材木座に仕掛けたとしよう。しかし先にネタを見られてしまい、材木座に「ほほう! なーんだ、やはり八幡は我のこと親友と思っていたのだな! モハハハハ! よいよい、そう照れて誤魔化さずとも、我も八幡を親友ポジに置いておいてやってもよいのだぞおっ!?」とか勝ち誇ったブタ面で言われると思ってみろ。
……すげぇな、想像しただけで殺意の波動に飲まれちゃったよ。よし、次の休み時間に殴りにいこう。
そう、つまりはそれだけのこと。
別に相模が俺を好きとか、そんな事があるわけがない。あのJCに影響されただけの、ただのからかいの一例でしかないのだ。
そもそもいい歳した高校生が、中学生でさえ「子供騙し」と一笑するような安いおまじないをするわけがないだろ。
だからあの消しゴムに書かれていたのは、あくまでもおバカで調子に乗った相模が、あのJCに悪影響を受けただけ。相模が偶然あのJCと液晶モニター越しに出会うことがなければ、決して消しゴムに文字など書く事は無かったのである。
「ほんっと比企谷とかマジ最悪ー。女子の嫌がることして喜ぶとか小学生かよって感じ! 比企谷ウチのこと好きすぎじゃない? 実はこうやってウチの気を引きたいんじゃないの〜?」
「……」
……ほら見ろ。今泣いた烏がもう笑う、ではないけども、さっきまであれだけ涙目になって慌てふためいていた相模が、もういつもの調子を取り戻して、厭らしくニヤニヤと挑発してきやがってる。
つまり今の状況など、仕掛けた罠を先に見られていないのであれば、どうという事もない些末な出来事でしかないわけだ。さすがに潤んだ瞳とほんのり染まる桃色の頬は、未だ治まってはいないけれど。
普段は攻勢の自分が劣勢に立たされたからなのか、今の相模のニヤニヤ笑顔はいつもの三倍増しでウザイ。いつもよりも水分量が多めな潤んだ瞳と、耳まで赤くなった顔で精一杯からかってくるもんだから、その破壊力たるや、普段の三倍では済んでいないのかもしれない。
そしてこのウザさMAXで下手っくそなからかいは、未だとどまることを知らないのであった……!
「もー、マジで比企谷には困っちゃうよねー。ウチらは友達だって言ってんのに〜。そんなに友達のままでいるのがイヤなんだぁ?」
「……う、うぜぇ」
くそ、あのからかい上手のJCめ、相模なんぞに余計な知恵を与えやがって。おかげでドキドキさせられっぱなしじゃねーかよ。
だから俺は、この面倒くさい事この上ない事態を作ってくれたあのJCに、せめてものこんな恨み言をぽしょりと呟くのだった。
「……くっそう高木さんめぇ……!」
おしまい?
「へ? だれよ高木って。うちのクラスに高木なんて居ないけど。てか、ウチ高木なんて人聞いたこともないんだけど、うちの学校にそんな人居たっけ?」
「え?」
「え?」
え? さがみん高木さん知らないのん? 今までのって高木さんの模倣じゃなかったのん? 高木さんの見事なからかいっぷりを観たからこそ、真似してからかって楽しんでたんじゃなかったのん?
え、じゃあ今までのってなんだったの? 高木さん直伝のからかいじゃなかったの? 消しゴムのひきがやってどういうこと!?
……な、なるほど! あっぶね! 高木さんなんて知らないフリして、こうしてさらなるドッキリを仕掛けてくるまでが相模のからかいだったのか! またしてもやられちゃったぜ。
危うく、今までのって別にからかってたワケじゃなくて、ただ好き好きアピールしてただけだったの? 俺のこと大好きなの? とか思いかけちゃったじゃないですかやだー。
……くっ、からかい下手だと思ってたのに、思ってたよりもやるじゃねぇか相模。
……くっそう、からかい上手の相模さんめ〜!
おしまい☆
というわけで、実はアレとは全く関係なく、ただただ健気にウザく異性アピールをしていただけなのに、八幡が勝手に深読みして勘違いして自爆したってだけのお話でした☆
そしてアレのキャラ名を一切出さずに書いてきた反動なのか、最後の最後であのJCの名前を連呼しちゃいましたが、大丈夫、まだ元ネタはバレていないはずッ(`・ω・')
そんなワケでおよそ一年ぶりのゲリラ更新ではありましたが、そんな作品にも関わらず多くの読者さまに読んでいただけて、まっこと有難いことでございます♪
また気晴らししたい時やネタが思い浮かんでしまった時に突然更新することもあるかとは思いますが、その時もどうぞよろしくですっノシノシノシ