咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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7.キャラメル

 試合会場通路

 

 須賀京太郎は、時計を見ながら走っていた。5分間の休憩時間は、竹井久からの膨大な伝言を、片岡優希に伝えるには短すぎた。だから、少しでも早く、彼女に会う必要があった。――目の前のT字路を、物凄い速度で駆け抜けていった物体があった。それを優希と認めた京太郎は、走るギアを上げて加速し、追跡した。

「優希!」

「京太郎か? 話は後だ!」

 優希は、振り返らずに言った。そして、さらに加速して、京太郎を引き離していった。

「まずはトイレだじぇー!」

 あっという間に点になった優希は、そのまま女子トイレに消えていった。

 

 京太郎は再び時計を見た。残り時間は1分半。帰りも走らなければ、遅刻は免れない時間であった。

「待たせたな、京太郎。何しろ今はハイビジョンの時代だ、化粧は念入りにな」

「お前、化粧なんかしてないだろ」

「ものの例えだじぇ」

「それより、いいのか? こんなゆっくりして」

「そ、そうだった」

 優希は走り出したが、先程とは異なり、今度は京太郎にもついていける速度であった。

「京太郎! 話は?」

「まずはこれ」

 京太郎は、タコスの入った袋を、リレーのバトンのように優希に渡した。

「タコスか、ちょうど良かった。みんなに上げてなくなってたからな」

「そ、それと」

 京太郎の息が上がっていた。速度も鈍くなり、優希との距離も離れていた。

「京太郎! だらしないじょ!」

 優希は、走るのをやめて振り返った。

「あ! 急に止まるな!」

 京太郎は、止まり切れずに、そのまま、優希に抱きついてしまった。長身の京太郎を支えきれずに、優希は倒れてしまった。

「こんなところでは、やめろと言ったはずだじょ……」

「ご、ごめん」

 気まずそうな顔で、京太郎は謝り、立ち上がった。

「大丈夫? 係員を呼ぼうか?」

 寝っ転がっていた優希に、手を差し伸べたのは、対局室に戻る途中の宮永照であった。

「あ、照姉ちゃん! 大丈夫だじぇ、この変態はうちの部員だからな」

 そう言って、優希は照の手を借りて立ち上がった。

「変態じゃねーよ」

 照は、不審者を見る顔つきであった。

 京太郎は、全国チャンピオンの宮永照に変態扱いされていると思うと、内心落ち着かずあたふたしていた。

「ありがとうございました」

 優希が、それに助け舟を出した。身勝手に見える彼女も、こういった礼儀はわきまえていた。

「そう。もうすぐ始まるよ遅れないで」

 照は、優しく言って、対局室に入っていった。

「あんまり似てないよな……咲に」

 京太郎は頬を赤らめて呟いた。

「咲ちゃんより、ずいぶんと落ち着いてるな。でも、打てばわかるじぇ、2人は間違いなく姉妹だじぇ」

 ――場内に後半戦の開始のアナウンスがあった。優希も慌てて会場に入ろうとした。

「まて、部長からの伝言」

「早く言え! 京太郎!」

 京太郎は、かつてないほど、頭を回転させて、部長の大量の伝言を要約していた。

「宮永照は手負い、松実玄は前半戦の勢い無し、だから、全開で行け! ただし、辻垣内智葉には、要注意だ」

「何だか、さっぱり分からないが、全開でGOはOKだじぇ。東場の神をなめるなよ!」

 優希は、笑顔で答えて、会場に入った。京太郎は、伝達の失敗を確信し、竹井久への言い訳を考え始めていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 辻垣内智葉は、対局室の椅子に座ったままであった。不思議な感覚だった。少しでも長く、ここにいる時間を持ちたかったのだ。それは、休憩時間も惜しむほどであった。

 階段をだれかが上る足音が聞こえてきた。やがて、よく知っている仲間のメガン・ダヴァンの顔が浮かび上がってきた。

「智葉、調子がよさそうデスネ」

「ご挨拶だね」

「点数ではアリマセン」

「まあね、調子はいいよ」

 智葉は、メガンがここに来た理由が分かっていた。

「安心していいよ、後半戦、私は全力を尽くす」

「その後はどうデスカ?」

 寂しそうにメガンが聞いた。答えが予想できていたのだ。

「プレイヤーを引退する」

「……」

「私も、荒川憩も、そして神代小蒔も、宮永世代の1人として記憶されるのかもしれない。でもね、他の2人はともかく、私は……限界が見えてしまった」

「勝てまセンか、宮永に」

 智葉は頷いた。そして、卓を眺めながら言った。

「今回も、松実玄がいなければ、酷いことになっていたよ」

 メガンは何も言わず見ていた。智葉は、彼女のこういう所が好きであった。日本人とは違い、余計なことはあまり言わない、だから信頼できた。

「ミヤナガ・ジェネレーションは、まだ終わりではありまセン」

「妹か……全く、あと2年も続くのか」

「ネリー達も可哀そうデス」

 智葉とメガンは楽しそうに笑った。

「それデハ、私は戻ります」

「メグ、この半荘は、宮永に勝つよ」

「ハイ」 

 メガンは笑顔と共に、階段を下りていった。

 ややあって、宮永照が上ってきた。智葉は最高の笑顔で言った。

「やあ」

「どうも」

 これが最後の闘い、智葉の思いは、その表情に表れていた。照もそれを読み取ったのであろう、しばらくの間、2人はじっと目を合わせていた。

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 大星淡は、まだソファーに座っていた。宮永照と別れてから、20分近く経過しており、既に後半戦も開始されているはずであったが、控室に戻る気になれなかった。今は、1人で考えていたかった。

(なぜ私に、あんなことを言ったのかな……)

 照の話には矛盾している点があった。妹の宮永咲が敗北するのを見たくないと言っていたが、彼女はそれを可能にする武器を準備していた。個人戦では、それを使うはずであった。そして、〈オロチ〉の件。倒せる可能性がある3人に自分の名前が挙がった。

(テルーはサキをどうしたいのだろう? 自分で倒したいのか、それとも、私に倒してほしいのか?)

 淡は、照が愛憎のジレンマに陥っていると考えていた。でなければ、ここまで混乱した話はしない。しかし、何か意味があるようにも思えた。

(だめだ、分かんない)

 考えに考えても、答えを導き出すことができなかった。

 淡は立ち上がり、さっきから、コンプレッサーがうなっている自動販売機の前に立った。そして、その中のブラックコーヒーを、硬貨を入れて購入した。淡も女子高校生らしく甘いもの好きだったので、ブラックは飲んだことがなかったが、〈オロチ〉の件での照からのアドバイスが淡にそれを買わせた。

(「今日、咲と闘えば、必ず負ける。でも、そこから〈オロチ〉を倒すヒントを見つけ出せ」か、……おかしいよ、知っているなら、負けないように教えてくれてもいいじゃん)

 淡は、ブラックコーヒーのタブを開けて飲んだ。不思議と苦さは感じなかった。しかし、決しておいしいとは思えなかった。

(いいよ負けても。でも、さっきテルーも言ったよね、勝ち負けは自分が決めるもんだって。サキだって敗北を認めないただの意地っ張りじゃないか、私だって認めない。認めるもんか! サキ、私は恥ずかしい。ちょっとでもお前を恐れたことを)

 淡は、ブラックコーヒーを一気に飲んだ。そして、控室へと走り出した。

 

 

 白糸台高校 控室

 

 外から、だれかが走っている音が聞こえていた。それは、どたどたとした、典型的な運動音痴の走る音だった。弘世菫はそれがだれか分かっていた。

「状況は?」

 大星淡がドアを開けて、大声で聞いた。

「今は、東一局の二本場。清澄の片岡が連続和了した」

 亦野誠子が淡に説明した。

「テルーは?」

「まだ様子見。でも、片岡優希の速度は驚異的」

 渋谷尭深が答えた。誠子も尭深もほっとした顔をしていた。淡の状態が以前に戻っていたからだ。

「淡、どこをほっつき歩いていたんだ? まずは私に報告だろう」

「――そうだって」

「……」

 菫の沈黙に、淡は拍子抜けしていた。ぞんざいな報告に怒られるものと考えていたのだろう。しかし、菫にとっては、それで十分であった。知りたいのはYESかNOかであり、明確なYESの回答があったからだ。

(そうか……これで分かったよ、お前が妹に勝てない理由が)

 そして、それは悩ましい報告でもあった。今、照は普通の麻雀を打っている。もちろん、それでも照は強力であるが、点差を大きく広げることはできないだろう。つまりは、照、単独での阿知賀の飛ばしは期待できなくなっていた。清澄との点差も、片岡の連続和了によって、10万点弱まで縮小されてしまい、想定の15万点差までは、この半荘では届かないと考えていた。

「弘世部長」

 菫は、「またか」と思い、今度は注意しようと、淡をきつめの眼差しで見た。目が合ったが、淡は目を反らさなかった。

「テルーは稼ぎきれないと思います」

 その顔は冗談を言っているものではなかった。本気で淡は、意見をいうつもりであった。

「亦野先輩までで、阿知賀を飛ばす作戦に変更はありませんか?」

「変更はない。照が不調なら、私達で補う」

 菫は、淡が何を言いたいか読めていた。だから、厳しい回答でそれを留めようとした。

「わかりました。それでもいいです。でも、もしも大将戦になったら……私は、サキと本気で勝負がしたい」

「だめだ。3連覇はわが校の悲願だ。自重してほしい」

 淡は悔しそうな顔でうつむいてしまった。もっと反発があると予想していた菫も、肩透かしを食らっていた。

「ミーティングでの私の話を聞いていたか?」

「いえ上の空でした」

 褒められた話ではなかったが、正直な言い分に菫は好感を持った。

「15万点だ。清澄との点差がそれだけ離れていれば勝負していい」

「菫!」

「ただし、宮永咲の親番とお前が親の時だけだ。それ以外は降りてもらう」

 淡は笑顔で2度頷いた。菫は、頭を搔きながら続けた。

「それとな、私の部長もあと僅かだ。それまでの間は、敬語は無しにしてくれ。その、なんだ、実に気持ちが悪い」

「上級生には――」

「私が悪かったよ」

 菫は苦笑しながら言った。淡はそれを見て。楽しそうに笑っていた。

「部長、阿知賀の子が」

 尭深が、菫にモニターを見るように合図した。

 東一局の二本場も9巡目に入っていたが、松実玄以外、聴牌できていなかった。

「この子が、場を支配している」

「ドラが集まらない場合は、こういう制御をかけてくるのか」

 頭の痛い話であった。松実玄に実に厄介な能力が覚醒しつつあった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 片岡優希は、自分の得意とする東場の前半にもかかわらず、勢いが減速していると感じていた。そして、優希にはその理由も分かっていた。松実玄であった。前半戦とは異なり、牌を普通に立てて打っているが、その打ち方は、他家に無駄自摸を与える作用をもたらしていた。

(同じだ。手が進まないじぇ。でも、今回は玄ちゃんも上がろうとしている。ならば、打つ手はある)

 優希は、合同合宿を思い出していた。そこで、天江衣の“一向聴地獄”に苦しんでいた優希に、部長の竹井久はアドバイスをくれた。

(「天江衣が、どんなに凄くても、山の牌を変えられるわけではない」)

 どんなに強い相手でも、流れは山に積まれた牌によって決められている。だが、衣のような場を支配する者は、それを把握できるのではないかと言っていた。

 そして、染谷まこの助言。

(「天江衣の海底撈月も特殊な打ち方に見えるが、河は普通の形じゃ、ポンやチーをしても同じで河の形は全く変わらん。唯一変わったのは、長野決勝で咲が暴れた時だけじゃ」)

 確かに、チームメイトの宮永咲は長野決勝で衣の支配を破っていた。

(「手を進める為の鳴きは、場の支配には無意味。なぜなら、彼女達は、それを想定しているから。だから、支配を破るには、その裏をかかなければならない」)

 久の言っていることは単純明快であった。

(支配者が想定できない打ち方を選べばいい。それは、2回戦で染谷先輩が、準決勝で、咲ちゃんを相手に、姫松がやったこと)

 東一局二本場、10巡目、優希は、辻垣内智葉の捨て牌をチー。それは、自らの手を狭める、無意味な鳴きであった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

「まあ、特訓の成果かな。衣で実証済みだ」

 画面を見ながら、龍門渕高校の井上純が言った。

「成功率は10%以下。確率の範囲内」

「違うぞ、トモキー。あれは確かに効果はある。相手にもよるがな」

 天江衣が片岡優希を弁護した。沢村智樹は意外そうであった。

「それは、衣と松実玄を一緒にするなってこと?」

 国広一は、からかい半分で衣に聞いた。

「まあな。松実玄のあれは、まだ過渡的なもので確立されていないからな」

「あら、さっきは智紀に、あの能力は意味がないって、言っていましたわよね」

 龍門渕透華が、衣に疑問を投げかけた。ただし、表情は好意的なものであった。

「侮っていたよ、あの手の輩は恐ろしいものだな」

「あの手の輩?」

「ドラを操る者達だよ」

 衣はいつになく饒舌であった。

「見ろ、優希が上がったぞ」

 純が皆に聞こえるように言った。彼女の言葉通り、画面内では優希が、三色、断么九で和了していた。

 再び脅威となりつつあった松実玄を、優希は抑えていた。龍門渕高校のメンバーは、その成長に満足していた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「潰されたね」

 新子憧は、そう言って、ソファーの背もたれに勢いよく寄りかかった。 

「でも凄いよ。あれは偶然の産物だと思っていたから」

 赤土晴絵は、松実玄の伸びしろの多さに驚いていた。しかし、それ以上に驚いていたのは、玄に柔軟な対応ができる他家の3校であった。

(やはり、この決勝の舞台はしたたか者揃いだ。ここは、もう少し削られることを覚悟しなきゃだめかな)

「宥」

「はい」

「玄の後、頼むよ」

「わかっています」

 おっとり系の松実宥に似合わぬ、厳しい顔であった。

(準決勝と同じ表情だ。こういう時の宥は揺るぎない麻雀を打つ)

 晴絵は思った。姉というのは、本当に強いものだと。

 

 

 清澄高校 控室

 

「見てみい、宮永照の待ちを」

 染谷まこが呆れた口振りで言った。

「優希は、困ると七対子に逃げますから、でも、咲さんのお姉さんの待ちは……」

 原村和は、照の待ちが信じられなかった。チームメイトの片岡優希は、七対子をダマで聴牌しており、待ち牌は【八筒】であったが、河に一枚出ていたので、待ちを変える可能性がある。照は、その【八筒】をカンチャンで待っていた。

「あの手牌なら、もっと効率のいい待ち方ができたはずよ、優希を狙い撃ちかしら?」

「ええ。おそらく」

 竹井久の相手を特定しない質問に、和が答えた。

「あ!」

 須賀京太郎が短く声を上げた。その瞬間、画面の中の優希が【八筒】を切っていた。

「振り込んだかー。これは、須賀君の責任ね、優希に私の助言を伝えられなかったんだもの」

「いや、だって、時間がなかったし……」

「あら、言い訳?」

「……」

 久の追求に、京太郎は沈黙していた。

「喉が渇いたわー。冷たいストレートの紅茶が飲みたいわー」

「買ってきます……」

「わしにも頼むわ」

「私は、レモンティーで。あ、無糖ですよ」

 和も、先輩達に続いた。京太郎は、いじられ慣れているせいか、嫌な顔もせず「はい」と言って、腰を上げていた。

「咲、お前は?」

 咲は、京太郎の問いかけには答えず、画面に映っている姉をじっと見ていた。

「普通の麻雀を打っているお姉ちゃんは、本当に強いですよ。私も、この状態の宮永照が一番苦手でした」

 咲の言葉を裏付けるように、続く東二局も、照は、あっという間に、3900点を自模った。

「物凄いアドバンテージね」

「ええ、松実さんは予想外でした。これまでとは逆に、彼女の存在が、お姉ちゃんを有利にしています」

 東二局の一本場、11巡目に、親の照が自摸和。2連荘であった。

 和は驚いていた。宮永照の打ち筋は、確率論で考えると無駄だらけであったからだ。しかし、それによって、手をどんどん組み上げていき、彼女の切る牌は、確実に他家の出鼻を挫いていた。

(まるで、本当に手牌が見えているようですね。咲さんは技術だと言っていましたが……)

 オカルトとは言えなかった。和の性格上、何億分の1でも可能性のある場合は、現実として受け止めざるを得なかった。それゆえに、和は照の打ち筋を脅威と感じていた。それは、牌効率を優先する自分の打ち筋とは、真逆の存在であったからだ。

 ふと横を見ると、京太郎が買い物に行けずに棒立ちになっていた。和は、表情を緩めて、小声で京太郎に進言した。

「いつまで待っても返事はありませんよ、咲さんのは、いつものでお願いします」

 京太郎は、ばつの悪い風でもたもたと控室を後にした。

(私よりもずっと付き合いが長い京太郎さんでも、今の咲さんには話し辛いのでしょうか?)

 そう思い、咲を見た。いつもなら気がついてくれる和の視線も、意に介さずに画面を眺めていた。和は、そんな咲に一抹の寂しさを覚えていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 宮永照が発している空気は、11連荘まで進んだ前半戦と同じであった。それは、臨海女子高校控室の空気までも淀ませていた。

「そろそろ止めないとまずいですね」

 それは、具体的な対策の無いただの感想であった。雀明華は、つのる危機感によって、思わずそれを口にしていた。

「大丈夫デス、智葉は必ず勝つと言っていマシタ」

「そうか、じゃあ、それを確認しよう」

 メガン・ダヴァンの、やはり具体性のない発言に、アレクサンドラ・ヴィントハイムは冷徹に対応した。

 東二局 二本場は、11巡目まで進んでいた。辻垣内智葉の手牌は、萬子の一盃口で、索子の順子【二索】【三索】【四索】と【八索】の刻子、筒子を1枚持っていた。

「この【八索】が宮永の狙いかな?」

「智葉は頭待ちですからね、筒子でつながれば切ると判断したのでしょう」

 ネリーの質問に、郝慧宇は当たり前の答えを返した。

(三巡前から宮永はこの待ちだ。そろそろ焦れるかな?)

 その推測通り、12順目に、照は待ちを変えて、【七索】を捨てた。

 智葉の自摸番、引いてきた牌は【四索】、迷わずに【八索】を切った。

「智葉……」

 その呟きは意外な人物から発せられた。監督のアレクサンドラであった。

「攻めてマスネ、智葉」

「……」

 アレクサンドラは黙って画面を見ていた。そして、智葉が手変わりした二盃口で上がった。ドラも絡めて12600点であった。

「監督……」

「うん?」

「智葉のこと、聞かないんデスカ?」

 問いかけたメガンに、アレクサンドラは向き直った。

「メグ、お前は自分の弱点を知っているか?」

「弱点デスカ?」

「そう弱点だ。お前は顔に出すぎる」

 アレクサンドラは、そう言って、顎で画面を見るように、メガンに催促した。

「言わなくても分かるよ、智葉は楽しんでいるのだろう?」

「ハイ、……ファイナル・バトル デス」

 メガンは満足そうに、何度も頷いた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 後半戦は混戦の内にオーラスを迎えた。これまでの経緯は以下のとおりである。

 

 東一局      片岡優希  11700点(3900オール)

 東一局(一本場) 片岡優希   6300点(2100オール)

 東一局(二本場) 片岡優希   3600点(1200オール)

 東一局(三本場) 宮永照    6100点(片岡優希)

 東二局      宮永照    3900点(1300オール)

 東二局(一本場) 宮永照    6300点(2100オール)

 東二局(二本場) 辻垣内智葉 12600点(3200,6200)

 東三局      辻垣内智葉  5200点(1300,2600)

 東四局      片岡優希   8000点(2000,4000)

 南一局      宮永照    8000点(片岡優希)

 南二局      宮永照    6000点(2000オール)

 南二局(一本場) 松実玄   12300点(3100,6100)

 南三局      辻垣内智葉  8000点(2000,4000)

 

 後半戦 南三局終了時の各校の点数

  白糸台高校   187300点

  臨海女子高校   92200点

  清澄高校     62500点

  阿知賀女子学院  58000点

 

 そして、この半荘の個人的な収支は以下のようになっていた(25000点を基準とする)。

 

 辻垣内智葉 31100点

 宮永照   30500点

 片岡優希  25500点

 松実玄   12900点

 

 自力の差がでたのか、松実玄は場を制御しつつも、結果を残せないでいた。南二局に跳満を上がったが、他で削られすぎていた為、後半戦開始時から、1万点以上、点数を失っていた。宮永照も和了回数は最多であるが、親番時に高めで自摸られてしまい、引き離すことができていなかった。片岡優希も2度の振り込みが響き、プラマイ0の状態だった。その結果、僅かながらにリードしていたのは、臨海女子高校の辻垣内智葉であった。

 

 

 親の辻垣内智葉がサイコロを回し、オーラスが開始された。

(最後の対局……でも、私の親番。勝ち続けるかぎり、それは終わらない)

 プレイヤーの引退を決意した智葉の表情は、実に穏やかであった。しかし、その打ち筋は切れ味の鋭い刃物のようであった。

 7巡目、智葉の手牌は、ドラを絡めた断么九の二向聴。おそらく索子待ちになる予定であった。対面の宮永照も、まだ聴牌していないはずだったが、同じ索子を集めていると考えていた。

 智葉は余り牌の【六索】を切った。持っていると、後半、宮永照にデットエンドに追い込まれる可能性があったからだ。

 上家の松実玄が【九索】を捨てた。場に3枚目であった。そして、8巡目の智葉の自摸は、その【九索】。当然ながらそれを捨てた。

(宮永の反応が鈍い。これで、だいぶ範囲が狭まった)

 9巡目、智葉は【三索】を自摸、これで一向聴、同巡の照の捨て牌は【五索】。

(裏スジも関係なしか……。いいだろう受けて立つよ)

 次巡、聴牌した。【一索】【四索】の両面待ちであった。しかし、それは、照と重複している恐れがあったので、リーチはしなかった。――だが、照は違った。

「リーチ」

 【二索】を横にして置いた。

 智葉は無神論者ではあったが、今だけは、神に感謝していた。

(神様、有難うございます。こんな強敵に巡り合わせてくれて、本当に感謝しています)

 11巡目、智葉もリーチした。

(宮永……私とチキンレースをしたいのだな。分かったよ。どちらが先に上がるか勝負だ!)

 智葉は、昨日、ネリー・ヴィルサラーゼに言った言葉を思い出していた。「負けるかもと思ったことはあるが負けてもいいと思ったことはない」、今もそうであった。このリーチは、必ず自分が先に当たり牌を引くという決意を込めたリーチであった。

 そして、メガン・ダヴァンにも思いを馳せた。

(メグ……、人間は弱い、強い相手には怯んだりするし恐れたりもする。でもね。挫けないというのは、それに強い意志で立ち向かうことだよ)

 そこからの数巡、それは、実に充実した時間であった。可能なら永遠に続いてほしいと思うほどに。

 しかし、それは唐突に終わりを告げる。――15巡目に宮永照が和了した。

「自摸。立直、面前、平和、700,1300」

 試合終了のブザーが鳴った。

 

 

「有難うございました」

 4人は揃って、深々と礼をした。

 辻垣内智葉は、なかなか頭を上げることができなかった。上げてしまうと、何か大切なものが終わってしまう気がして怖かった。だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。自分自身で、その何かを終わりにする必要があった。

(後悔はしない……自分で選んだ道だから。未練がましく振り返ってはならない)

 智葉は、大きく息を吐いた。そして、最後の対局の充実感と満足感だけを心に残し、頭を上げた。

 ――1分近く経過していたので、そこにはだれもいないはずであった。

 しかし、目の前には宮永照が立っていて、智葉を見ていた。

「……あれ?」

「……」

「どうしたの?」

「試合前にもらったキャラメル、あれは……」

 智葉の目が、思いっきり細まった。

「ああ、あれはね……」

 しばらく2人で談笑した。それは智葉にとって、掛け替えのない時間となった。

 


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