ダンジョンに戦いを求めるのは間違えているだろうか?   作:蟹味噌汁

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狂気の喜び

 青年は何も考えずに足を動かした。

 

 瞳に映るは誰もが恐れを抱く風貌をした異形の怪物。身丈は三メートル近くに及ぶ巨体だ。そんな相手にするのも馬鹿らしくなるような化物に向かい、青年は恐れる事なく足を動かした。

 

 青年の表情に浮かぶのは歓喜の笑み。久しく出会うことの出来なかった強者との出会いに、心の底から湧き出る歓喜の感情を抑える事が出来なかった。

 

 相対する化物も鼻息を荒くし、ダンジョンを震わす程の雄叫びを上げる。それは己に向かってくる青年を敵と認め、自身を奮い立たせる雄叫びだった。同時、その雄叫びに呼応するかのように、青年も声を荒らげた。

 

「「オオオオオオオオッ!」」

 

 そして一匹の化物と青年は交わった。ミノタウロスは上から鉈を振り下ろし、青年は大剣を切り上げる。

 

 交差するようにぶつかった刃は鈍い金属音を響かせ、ぶつかる事によって生まれた衝撃波は周囲の壁に亀裂を入れた。そのまま刃は離れる事なく鍔競り合いへと持ち込まれる。

 

 大剣を持つ青年の身丈はミノタウロスよりも一回り以上小さい。だと言うのに二つの力は拮抗していた。小さく火花を散らしながらも重なる刃が片方に動く事はなかった。だがこのまま睨み合っていても仕方がない。そう瞬時に判断した青年は素早く次の行動に移る。

 

 鍔競り合いしていた大剣の刃を少しずらす事によりミノタウロスの鉈を受け流した。突然拮抗していた力がなくなった事によりミノタウロスはバランスを崩し、前のめりに体を傾ける。その大きな隙を逃さんと青年は大剣を横に構え体を深く沈める。その体勢のまま地面を強く蹴り、ミノタウロスの膝頭目掛け全力で大剣を振るった。

 

「ッ!?」

 

 青年の予測では切断までいかなくとも大剣の重量ならば膝頭を破損させる事は出来るだろうと予測していた。それが初めて相手する巨体の怪物でもだ。それ程に青年は己の力を信じていた。その自信を裏付けるだけの実績もあった。

 

 だが手に響く感触は鋼の塊に打ち付けたかのような硬さであった。全力で振り切っただけに切れなかった反動は大きく、手に痺れが伝わる。

 

「ガアアアアアッ!!」

 

 表面の皮に切れ目が入り、少しばかり血が滲む程度の損傷でも痛みは生じたのか、ミノタウロスは咆哮を上げ、自身の懐に居る青年目掛け空いていた拳を薙いだ。

 

 空気を震わせながら豪速で振るわれた拳を回避する余裕はなく、咄嗟に大剣の柄から右手を離し、防御に回す。そしてミノタウロスの放った横凪の拳は青年に直撃する。

 

「ッ!!」

 

 攻城兵器にでも轢かれたのかと錯覚する程の衝撃が青年を遅い、骨の折れる音が聞こえると同時に吹き飛んだ。勢いよく吹き飛んだ先で壁に打ち付けられ、肺に溜まっていた空気が吐き出される。

 

ー化物が

 

 たったの一撃で青年の意識は朦朧とし、右腕は見るも無残な形になっていた。最早勝負の行方は見えている。ミノタウロスは膝頭の薄い切り傷のみ。方や片腕が使用不可になり、内蔵までに痛みが浸透する程の傷を負っている。

 

 ミノタウロスも自身の勝利を確信したのか、再び咆哮を上げる。

 

「五月蝿いだろうが...耳に響く」

 

 だが青年は決して負けたとは思っていなかった。その表情には未だに笑みが張り付いており、ゆっくりとした動作だが足を地面に付け、立ち上がる。

 

 確かに青年の刃はミノタウロスの骨を粉砕する事は出来なかった。だが、皮一枚は切り裂いているのだ。つまり、関節を破壊する事は出来ないが肉は切り裂く事が出来る。その事実を認識した青年が諦める事は決してない。

 

「まだまだ...これからだろうが!」

 

 そう声を荒らげると同時に青年は再び駆け出す。視界は少しばかりぼやけているが青年には関係なかった。純粋に楽しんでいるのだ。この死と隣り合わせの状況を。そこから生まれるスリルを。それだけを求めここオラリオに来た青年が立ち止まる道理などなかった。

 

 相対するミノタウロスは自身に向かってくる青年を視界に捉えたまま、動く事が出来ずに居た。理解出来なかったのだ。青年が何故こうも動けるのか。

 

 ミノタウロスからしたら青年は弱者の部類に入っていた。己を一撃で屠れるような存在ではないと本能で理解していた。だからこそ本気で放った拳が直撃した瞬間に勝利を確信した。だと言うのに青年はその攻撃が効いていないかのようにこちらに掛けてきている。この生き物は普通の存在ではない。自身の理解の範疇を超えた存在を目にし、ミノタウロスはこの瞬間初めて恐怖と言う感情を感じる。

 

「シッ!」

 

 動く事を忘れたミノタウロスの懐に容易に潜り込んだ青年は躊躇なく大剣を左腕一本で振るう。ミノタウロスも咄嗟に鉈を構えるが既に時遅し。袈裟斬りに振るわれた大剣はミノタウロスの肩から横腹まで真っ直ぐに切り裂いた。

 

「ガアアアアッ!!」

 

 生まれて初めて感じる激痛に叫び声を上げてしまう。既に次の攻撃に移ろうとしている青年目掛け鉈を振るうが乱雑に振るわれた鉈は虚しく空を斬り、お返しとばかりに続けて放たれた大剣の刃は両腿を切り裂いた。

 

 このままでは殺されてしまう。この弱者に、傷を負った弱者に殺されてしまう。その事実を頭の片隅で認識したミノタウロスは自身の中に渦巻く恐怖の感情を無理矢理抑えつける。死にたくないと言う本来生物が持つ生存本能がミノタウロスに理性を取り戻させた。

 

「そうだ、それでいい。理性の失った獣では楽しめない!」

 

 青年の使えなくなった右腕を中心に右側に回り込もうと動くミノタウロスを見て青年は歓喜の声を上げる。互いに死と隣り合わせの状態。ここから死にたくないと自身の持つ全てを使いぶつかり合う。それこそが青年の望む殺し合いだ。

 

 互いに流した血は多い。青年は言わずもがな、真正面から二度斬られたミノタウロスも大量の血を失っている。そこから導かれるのは短期決戦。それを互いに理解している二匹の雄は隙が生まれる瞬間を見つける為に立ち回り、時には刃を交える。

 

 一体そのやり取りがどれだけ続いたのか、互いの息は上がり、動きも鈍り始めている。体に出来た傷もない所を探す方が難しい程になっている。

 

 そんな中、青年が唐突に動きを止めた。それと同時にミノタウロスも動きを止める。互いに血を流し過ぎた。このままではつまらない終わりになる事は見えていた。これ程の喜びを与えてくれた戦いの終わりがそれではつまらない。そう判断した青年は残りの体力を一振りに注ぐ。

 

 ミノタウロスも青年の考えを理解し、青年の真正面へと立ちはだかる。最早ミノタウロスの中に恐怖はなかった。あるのは純粋な生への渇望と目の前の雄に勝ちたいと言う欲望だった。ならば、真正面から打ち勝ってこそ、その欲は満たされる。

 

 先程まで空間を満たしていた激しい音は鳴り止み、静寂が二人を包み込む。

 

 乱れた呼吸を整え、互いの獲物だけを視界に捉える。先の事などどうでもいい。今この時の為だけに互いに全力をこの一撃に込める。

 

「おおおおおおお!!」

 

「ガアアアアアア!!」

 

 同時に奮起の雄叫びを上げると同時に駆け出す。

 

 青年は左手に持つ大剣を横から、ミノタウロスは最初と同様に上から鉈を振り下ろす。

 

 互いの体が交差する一瞬、先に刃が届いたのは青年の大剣だった。残り全ての力が込められた刃がミノタウロスの横腹にくい込み、肉、内蔵を引きちぎりながら進む。

 

 そしてミノタウロスの遅れた一撃が青年の左肩に食い込む。肉を絶ち骨を砕く一撃に青年は意識が遠のくが手に持つ大剣を離す事はない。

 

「勝つのは...俺だ!!」

 

 ミノタウロスが鉈を振り切ればミノタウロスが勝っていたかもしれない。だが、ミノタウロスは鉈が青年に届いた瞬間に力を失っていた。それに対し青年は最後の力を振り絞り左腕に力を込める。鉈のくい込んだ傷口から夥しい量の血が吹き出るが青年は止まらなかった。

 

「これで...終わりだあああああ!!」

 

「ブ...オオ...ォ...」

 

 青年が声を荒げると同時に大剣はミノタウロスの体を両断する。そのまま流れる大剣を止める力は既にないのか、そのまま地面へと倒れ込む。

 

 最早首すら動かす事の出来ない青年はミノタウロスがどうなったのかを見る事は出来ない。しかし、地面に落ちる鉈の音と消えて行く気配から勝ったのだと理解出来た。

 

「感謝する...」

 

 あれ程の喜びを与えてくれたミノタウロスと言う一匹の雄に敬意を払い感謝の念を口にする。それと同時に緊張の糸が切れたのか、急速に青年の意識は遠ざかる。

 

ー悪くない、最後だったな...。

 

 青年は長年求めた喜びを手に入れ、口元に笑みを浮かべながら瞼をゆっくりと閉じ、意識を手放した。

 

 相対する者が消えた空間は再び静寂を取り戻す。

 

 そんな中、遠くから何者かが掛けてくる音が聞こえる。音が聞こえた数刻後に姿を見せたのはまだ幼さの残る美貌を持った金色の少女だった。

 

「間に合わなかった...」

 

 少女は血溜まりの中に倒れる青年を見ると力なく地面に膝頭を付けた。その表情に浮かぶのは後悔の念。何故少女がそのような表情をするのか、それは本人にしか分からない。少女はもう一度血の海に倒れる青年に視線を向けると恐る恐る震える手を伸ばした。

 

 これだけ血を流して生きている訳がない。そう思う反面生きていて欲しいと言う希望に縋り、血で濡れた背中にか細い指を添えた。

 

「...え?」

 

 指先から伝わる微かな鼓動。最初は錯覚かとも思った。だがその鼓動は今でも小さく動いている。

 

 まだこの人は生きている。それが分かった少女の行動は早かった。

 

 青年の血で青を基準とした美しい防具が汚れる事も厭わずに青年を細い体で背負った。金色の髪が赤黒く染まり、未だに流れ出る血が少女の足を伝い地面を染める。

 

「死なせない...!」

 

 そう小さく、力強く口にした少女は地面を蹴ると目にも止まらぬ速さで消えていった。二人が消えた場所に残るのは再び訪れた静寂と紫色に光る石。そして青年が持っていた大剣だけだった。

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