勇者と女神は阿鼻叫喚な地獄絵図が日常になった世界とは裏腹に、のほほんと食っちゃ寝を繰り返していた。女神に関しては時折、世界その物を自由に映し出す水盆を眺めてニタニタとあくどい笑みを浮かべていたが、勇者は我関せずを貫き通し心の平穏を保っていた。
「そうです、アヴィ。地上に再び降りて下等生物どもを狩りつくしましょう?」
さも名案!!とでも言いたげに、「そうだピクニックに行きましょう」の様なノリで、突然呟かれた物騒な内容。それに対して彼は冷や汗を流す事しかできない。正直に彼として言えば、目の前の(少しサイコパスだが)女神と一緒にこの場所で甘々に爛れた生活を送りたい。鳥が優しくさえずり、小川がちょろちょろと流れ、優しい陽光に包まれる女神の箱庭。
絵に描いたような天国に美女、態々騒乱の地上を引っ掻き回して血生臭いことを行うよりも、どう考えても自堕落で怠惰な生活な方が良いのだ。誰か好き好んで、自らをなんか適当な理由で殺した世界に再び行きたいと思うのだろうか。彼にとってあの世界はトラウマとなっていた。誰かを恨む以前に何が起こったか把握する前に拷問を受け、何言う前に実施されたハイスピード処刑で誰を恨めば良いのか分からないし、正直今幸せならそれで良いじゃない。これが彼の考えである。
……あれ?これもある意味悪堕ちなのだろうか?と一瞬考えたが、首を振って否定する。人さまには迷惑はかけないし問題はないのだ。
しかし、彼が即答で発した否定の言葉は何故か知らないが目の前の女神様には届かない。瞬きをする間に、魔法陣が足元に描かれ、エーデライトが腕に抱きつく。巨大とまではいかないが、お椀型で形の良いそれが押し付けられ形をゆがませる。それに対して彼は「彼女が一緒なら別にいっか……」安易な考えで流される。当然のことながら後になって後悔するのだ。
「それではいきましょうか。えいえいおー!」
彼とただ一緒にいられるのが嬉しいとの気持ちで笑みを浮かべるエーデライト。可愛らしく
そして、地上に住まう人類にとって運命?の時。箱庭より光と共に女神と勇者はその場を離れた。
▽▲
この世界に神は多くいたが、ほぼ全てが立ち去った。最後に残った力ある神は豊穣と正義の太陽神エーデライトに水と命の神アリストスのみであった。
最初期この世界には生と死の神アーネイ、木と森林の双子神ロマ・ネーシア等様々な神が居たのだが、彼女たちは人が数を増やす度に何処かへと消えていったのだ。何故立ち去ったのかは人々は誰も知らず、人に愛想をつかしたや新たな世界を創りに行ったなど様々な推測が成されたが、結局のところ今に至っても何もわかっていない。
そしてこの世界に残る件の二柱の片割れ、豊穣と正義の太陽神エーデライトは『正義ってなんでしたっけ?』とその名前が行方不明な状態で世界に死を振りまいていた。ついでに言えば、もう一つの豊穣という言葉も息をしていない。
「さて着きましたよ~」
「ここって……」
彼にはこの場所に見覚えがあった。彼が女神の武器を受け取った神殿であった。厳かで清浄な空気に満ち溢れていたその場所は、見る影もなく今は
なぜ彼らがこの地を訪れたのか、それは今この神殿には女神の力を封じた神器、つまり彼から奪い取った武具が安置されているからである。
「貴方の為に、私がい~っぱい力を注いで創った武器を取りに来たんですよ?」
『それを下等生物どもが図に乗りやがりまして……』と極寒の声で呟く目の前の美女を見て、彼の脳裏に腕をリストカットして剣に血を垂らす女神の姿が浮かぶ。
(……まさかな?)
「私はともかく、アヴィの体は人間ですので神器を身に着けないと呪いに犯されてしまいます。私がこうして、貴方の腕をずっと抱いていれたらその必要もないんですけど……」
(え、何その指向性のない恐ろしい呪い。寝る時も神器身に着けとかないと行けないんですか?)
そうは思ったが何か地雷を踏みそうだったので、声には出さない。この世界には言葉にした瞬間未来が決まってしまう魔法の言葉があるのだ。この場合、確実に女神に捕らわれる。
そのまま剣と鎧の神器が収められている神殿の奥底へと向かう。
周囲には元々この神殿の神官だった者たちが腐敗しながらも歩き回っている。彼の記憶では美女美男の神官が多くいた記憶があるが、こうなってしまえばどれも同じゾンビであった。髪の長さで男か女かある程度の予測が出来るくらいで、それ以外は生前の面影は一つも伺えない。
確かに最後は彼らにも裏切られたらしいが、凱旋して即嵌められてからのマッハ処刑だったので正直実感もないし、この神殿に当初滞在していた時は良くしてくれた人もいたので少し気落ちする。とはいえ、その人の名前も顔も覚えていないので、彼も相当なモノである。
ラストダンジョン的な雰囲気の神殿を鼻歌を奏でながら進む場違いに陽気な女神と未だ話についていけない勇者。よくよく考えてみれば、この神殿の主は目の前の女神である。つまりラスボスだ。どうしてこうなったのか考える勇者だが、結局答えは出ない、流されるだけでここまで来た彼に出せる訳がない。
……果たして両者の溝は埋まるのだろうか?
▽▲
「エーデライトの遺産ですか?」
深紅の髪の戦姫、リーゼス・ヴァーミンガム。帝国最後の希望と詠われた皇女。彼女は今、帝国議会にて現状の打破を目的とした会議に出席している。エーデライトの遺産とは勇者が身に着けていた武具のことだが彼が処刑された後、件の勇者の名を使うことは意図的に避けられていた。
「閣下には数名の騎士と共にアベリアの神殿にて神器を手に入れて頂きたく」
この状況であっても行われる足の引っ張り合い。まるで人の醜さをそのままに体現した自己中心的な思想。彼女リーゼスもまた人の欲望の名の元に死地へ送り込まれようとしていた。
「勇者アヴェリストの呪いを解くに必要だと言われるが、しかし現在あそこは……」
『地獄だ』とは続かない。そう誰もが思っていても女神エーデライトの神殿だ、口には出さない。人類の守護者だった彼女の神殿を『地獄』だと称するのは更なる怒りを買うのではないかと皆が恐れているのだ。
戦姫と呼ばれるリーゼスにしても何の策も軍もなしに
「……いえ、騎士の選任は任せて頂けるので?」
「当然です、ではお願いいたします、閣下」
死ねない、その為には心許せる騎士を。彼女はすぐさま自らの子飼いの騎士たちの元へ足早に向かうのであった。
▽▲
神殿から魔王城にジョブチェンジを果たしたその最奥付近。エーデライトの石像の前にその武具は飾られていた。そこにはどういった意味があるのか、すこしでも女神の怒りを鎮めようとしたのか、その質問の答えを知るモノは既に動く肉塊へと変わっている。
「それでは目的の物も見つけたことですし、行きましょうか?」
見慣れた、相棒。命を預けた剣と鎧に外套。矢傷や剣戟の跡、少しほつれたそれに感慨深いものを感じる。あっと言う間の出来事だったが、どうしてこうなったのだろう?彼としては未だ迷いしかない、確かに流されるままに駆け抜けたが、戦う意思は自ら示した。
戦友たちはどうなった?彼が助けた幼い王女たちは?彼を勇者として慕ってくれた者たちは今どうしているのだろう?彼のことをどう思っているのだろう?彼の無罪を信じてくれていたのだろうか?それとも……。いや、気の良い奴らだった。彼は信じることにした、彼と共にあった仲間たちが彼の正義を疑わないことを。
「待ってください。エーデライト様」
「エディでいいですよ?アヴィとエディ響きが似て言いてとても仲良しだと思いませんか?」
「……それは」
彼の声を遮る女神、彼として彼女を愛称で呼ぶことに何の不都合もないのだが、女性を愛称で呼ぶことなどなかったので少し気後れしてしまう。しかし、女神に対するお願いもある、彼女の提案に了承し今ここに居る彷徨える死者たちを、どうか眠らせてあげてくれませんか?と言おうとした彼の言葉は、されど紡がれることはなかった。
「……まさか先約が居て、かち合うことになろうとは。我々でさえ多くの犠牲を出してここまで来れた。どうやってたった二人でここまで来れたのか謎だが、非常に腕が立つのだろう。どこぞの国家の精鋭我々同様に多くの事情はあるだろうが、その剣を貴殿等に譲ることは出来ない」
全ての騎士を失い、ようやく最奥へ辿り着いた深紅の騎士姫その人が現れたことによって空気が変わったからである。
彼女を視界に入れるや否や、深い笑みを浮かべたまま大陸に住まう全ての人類を敵と定めた女神の悪意が場を満たす。既に自意識のない死者たちが苦しみの声をあげ、膝をつき許しを請うほどの悪意。
「へぇ~、まさかこの場所にたどり着ける塵が居るとは驚きです」
そして、それに対しても臆することなく向き合う少女。しかし、そこまでである。体の筋肉一つ一つが動くことを拒否し、頭では分かっていても動くことは出来なくなる。
光の刃、太陽その物を司る女神が創りだす陽光の剣。それが世界という鞘より抜き放たれる。命の危険にようやくリーゼスは体を動かすことが出来、咄嗟に彼女の持つ魔剣を抜き放つ。彼女の魂の具現化とも呼ばれる炎の魔剣。この神殿に蔓延る死者たちを容易く浄化できる、この世界に現存する剣では上から数えたほうが早いほど位階の高い魔剣である。
その魔剣が一瞬、たった一合で切り裂かれる。彼女の魔剣の属性は炎止まり、彼の知るセルシウス温度で1700℃程しかない。表面だけで6000℃ほどの熱を放つモノに属性を上書きされその形を失う。
そして、再び振り上げられた剣にリーゼスが打つ術なしと死を覚悟し、襲い来る灼熱と死の恐怖に瞼を固く閉じた時、
「もう、十分でしょう、エディ」
光の刃はアヴェリストの腕によって止められた。エーデライトが織った衣服をまとう彼の服は少しばかり彼女自身の力に対して耐性がある。それでも彼の腕の半ばまでを切断しかけ、そしてようやく止まった。もし、彼が普通の衣服であったのなら、彼は一瞬で燃え上がり既に灰へと変わっていたことであろう。
肉が焼け続けてもなお、女神自身の持つ神性によって力が拮抗しそこから先へと進むことはない。
一瞬で己が仕出かしたことに対して青ざめ、その力の体現たる光の刃を消し去る。
「あああぁぁぁ、どうしましょう、どうしましょう!ごめんなさい、ごめんなさい。アヴィ、嫌いにならないで、お願いします、お願いします」
両膝を突きそして座り込み泣き出し許しを請いだす女神。
「大丈夫です、大丈夫ですよ、エディ。この程度じゃオレは貴方を嫌いになんてなりません。それよりもほら結構痛いのでこの傷治してくれませんか?」
片腕をぶらりとたらし、それでも動く片腕で女神の頭を撫でるアヴィ。正直、顔には大量の冷や汗が浮かび、気絶しないことに彼自身驚いている。歯を食いしばりながら泣き叫びたいが、そうすれば今彼の後ろにいる女性は確実に人の原型も残らぬほどに燃やし尽くされるだろう。
「そうでしよね、ごめんなさい、ごめんなさい、今治しますね?痛いの痛いの飛んでいけぇー。ほら治りました。大丈夫ですか?嫌いにならないですか?」
「ええ、大丈夫。もう治りました、ほら泣かないで?」
エーデライトの頭を軽く抱えながら、後ろに固まる少女に目配せをする。
(今のうちに立ち去りなさい)
それに頷くと、折れた魔剣の手に持つ柄と僅かな刃部分だけを鞘に納め、走り去る少女。そして、安心すると彼は両膝を突き、後ろへと大の字で倒れ込んだ。
「アヴィ!?」
意地を貫き通したが、流石に一度に訪れた精神的疲れと体力的な疲れに襲い来る睡魔。そんな彼を慌てて抱き上げるエーデライト。薄れゆき意識の中で目の前の女神様に、
「少し疲れたので、あの場所に帰ろう?果物でも食べて……」
と、ここまで呟き、完全にその後の記憶を飛ばした。