日の長い夏の夜と言えど、流石に午後八時ごろともなれば辺りは真っ暗と言っていいだろう。そんな暗い夜道を、一組の男女が歩いていた。
「……雰囲気違うね、やっぱり」
そう、傍らにいる男性に声をかけたのは、一人の少女だった。その容姿は整っており、美少女と言ってまず差し支えはない。また、その顔の日焼けと、短く纏められた黒髪から、非常に活発なイメージを、彼女を見た者に与えることだろう。若干タイトな、走りやすさを重視したのであろうその格好もまたそれを助長しており、当然というべきか、服の上からでも彼女の身体の引き締まり具合はよく分かる。
「夜だからな。慣れた道でも印象は変わるだろうよ……不安なら手でも握ってやろうか、冬音?」
そう傍らの男性――稲穂秋雅はからかうように彼女に、自身の妹である稲穂冬音に問いかける。それを受けて冬音は、むうと頬を膨らませた。
「そんなに子供じゃないって。大丈夫だよ」
「はは、分かっているよ」
夜の暗さに反比例して、二人の雰囲気は非常に和やかだ。騒ぎにならない程度に、抑えた声量で会話を続けながら稲穂兄妹は歩く。
「そういえばさ、秋雅兄さんの時はこういうのなかったの?」
「んー……多分なかったんじゃないかな。少なくとも俺は学校で肝試しなんてやっていない」
今、二人が夜の街を歩いているのは、冬音が現在通っている高校――秋雅の母校でもある――で、所謂肝試しが行われる運びになったからであった。曰く、冬音が所属するクラスの一人が、夏休みに肝試しをやってみようと企画をしたらしい。しかも、その一人というのが非常に行動力のあり、しかもこういうことには頭の回るタイプだったようで、あっという間に学校側から夜の校舎の使用許可を得てしまったのである。今の時代、こういうことはそうできるものではないのだろうが、そこはその生徒の話術に感嘆しておくのが無難だろう。ただ、流石に学校側も全てを認めたというわけではなかったらしく、教師一人、及び他数名の大人を連れてくる事を条件に、夜間の学校における肝試しを許可したとのことである。
とはいえ当事者の生徒たちからしてみれば、教師はともかくとしても、こういう場に素直に大人――イコールで両親と言っていい――を連れてくるというのも、何となく興ざめを覚えるだろう。そのため、大人ではあるが親よりも子供側と言っていい人間、つまり誰かの兄姉を連れてこようという話になったらしい。それで、今現在、秋雅は冬音の願いに応え、こうして保護者役としてかつての母校に向かっている、ということであった。
「それにしても、よく許可が下りたもんだ。普通こういうのは、リスクを恐れて何もさせないとなるもんだろうに」
「そこは正直、私も驚いているんだよね。しかも、結構な人数が参加するみたい。私は兄さんたちがいるから引き込まれたけど、そういうわけでもないのに参加って何気に皆暇だよね」
どこか皮肉めいて聞こえる感想を言う冬音に、秋雅は苦笑を漏らす。しかし彼女の発言ももっともで、今回の肝試しの対象は冬音のいるクラスの生徒達だけであるのだが、そのうち大体半分程度が参加を表明した――クラス全体で四十名ほどいるので、二十名弱が参加を決めたことになる――というのは、中々に驚くべきことであろう。高校二年生の行動力と好奇心、ついでに勇気というものは、存外高いものであったらしい。
「……ああ、そうみたいだな。結構な人数が見える」
「え?」
秋雅の言葉に冬音は正面を見る。言われてようやく彼女も気付いたがようだが、もう既に二人は高校の正門近くまで来ていた。夜の暗さと雰囲気の違いが、目的地に近づいていたことに気付かなかった理由だろう。
「そんなに見える?」
眉根を寄せながら、冬音は怪訝な表情を浮かべた。どうやら秋雅の言うほど、結構と表せるほどの人数がいるようには見えないらしい。
「あー……俺は夜目が利くからなあ、お前が見えなくても仕方ないさ」
そんな冬音の言葉に苦笑しつつ、秋雅はそう返す。それは、自分と妹の違いを思わず失念していたことに対するものだ。
カンピオーネとなった時、秋雅の身体は色々と変わってしまっているが、その一つに、異様なほどに夜目が利くというものがあった。人間でありながらまるでフクロウのように、僅かな光さえあれば秋雅たちは暗闇中でも十分に周囲を見る事が出来る。今晩のように、月明かりが十分に降り注いでいる夜であれば、この程度見えないほうがおかしいと言うレベルだ。
そんな秋雅の、決して明かす事の出来ない事実を含んだ返答に対し冬音は、そっかと口に出して頷いた。秋雅としては特に心当たりなどはないのだが、妹である彼女から見ると、何かたやすく信じるに足る根拠があったのだろう。
「……ん?」
そんな中、秋雅がピタリと足を止め、校舎の方を見た。それを見咎めたのだろう。冬音もまた足を止め、不思議そうに声をかけてくる。
「どうしたの?」
「いや……悪い、気のせいだったみたいだ」
「そう? まあ、それならいいけど」
「ああ。さっさとお前のクラスメイトたちと合流しよう」
「そうだね、行こうか」
再び歩き出した冬音の背を見て、最後にもう一度、意味深な視線を校舎に向けた後、秋雅もまた彼女に追いつくように歩みを再開する。
そして、
「……あー、ようやく私にも見えてきた。本当によく見えるね、秋雅兄さん」
「まあ、個人差という奴だろうさ」
そのまま少し歩いていくと、次第に冬音にも集まっている面子が見えてくる距離にも入っていく。そうするとあちらもまた秋雅たちに気付くのは当然のことであろう。しかも、冬音が通常の懐中電灯を持ってきたものの、念のためということで秋雅がランタン型のライトも持ってきていたので、その全方位を照らす光のおかげで、向こうからははっきりと冬音たちの姿が見えているらしい。口々と秋雅たちに――正確には冬音にであろうが――声をかけてくる。
「あ、稲穂だ。おーい」
「隣にいるのは……稲穂の兄ちゃんかな?」
「じゃない? 結構格好いいねー」
「本当。うちの兄貴とは大違い」
そんな事を言い合いながら、クラスメイトたちが冬音の元へと集まってくる。冬音もまた、秋雅から離れてその輪に入っておしゃべりを始める。
その和気藹々とした雰囲気に、友達は多そうだなと、秋雅は内心で少し安堵する。兄の贔屓目というものを入れなくても、冬音は中々に整った容姿をしている。そういった事が理由で周りから浮いてしまったり、ともすれば疎まれていたりということがないかと多少心配していたのだが、どうやら取り越し苦労であったようだ。冬音の表裏のない、あっけらかんとした性格のおかげであろうか。まあそもそも、こういった企画に参加している時点で、人間関係に大きな問題はないと秋雅にも分かってはいたのではあるが、そこは妹を案じる兄心というものであろう。
そんな風に色々と思いながら、秋雅が和やかに談笑を見守っていると、
「――あれ? もしかして、稲穂君?」
ふと、背後から声をかけられた。聞き覚えのある女性の声に、秋雅は視線をそちらに向けると、そこにはやはり彼の想像通りの人物が立っていた。その人物は、顔を向けた秋雅に笑顔を浮かべて手を振る。
「やっぱり! 久しぶりだね、稲穂君!」
「ああ。奇遇だな、久家さん」
久家美代、それが彼女の名前だ。一年生と三年生で同じクラスであった、秋雅の高校時代の友人の一人である。
「ここにいるってことは、君も弟か妹が?」
「うん、そう。あっちの女の子と話しているのが私の弟の健太だよ」
美代の言葉に秋雅が視線をそちらにむけると、彼の妹である冬音と話している男子の姿がある。どうやらそれが、美代の弟であるらしい。
「稲穂君は?」
「その、君の弟さんと話しているのが俺の妹の冬音だよ」
「あ、そうなんだ。偶然ってあるもんだね」
「だな」
兄と姉が友人で、その妹と弟もまた友人。それもどちらかの交友が原因ではなく、互いに独立しているというのは、実に面白い偶然と言っていいだろう。
「……それにしても、冬音ちゃんだっけ? あの感じだと、健太って冬音ちゃんに気があるのかな」
「そう俺の目にも見えるな。まあ、冬音の方はそうでもないようだが」
どうやら二人が見る限り、美代の弟である健太は冬音に対し好意を抱いているようであった。時々必死で会話を繋げようとしているのが実に微笑ましい。もっとも、そんな彼の思いに対し――冬音は気付いているのかいないのかはともかくとして――何とも思っていないようであったが。
「兄としてはどう思う? 大事な妹に男が近づいているってのは?」
「別にいいんじゃないか? その辺りは冬音が決めることだろう」
秋雅は確かに家族を大事に思っているが、だからといって束縛するようなタイプではなかった。何か相手側に問題があるというのであれば止めるだろうが、そうでもないのにわざわざ口を挟むような真似をするつもりはなかった。
「ま、どっちにしろ、脈があるようには特に見えないけどな」
「ははは、かもねー」
などと、久しぶりの再会もあり、互いに笑いながら二人がそんな事を話していると、
「はーい! じゃあ皆こっちに集まってくれ! 今から組み合わせを決めるからな! あ、保護者の人たちもこっちに頼みます!」
正門から集合を促す男子の声が聞こえてきた。おそらくは、この声の主が今回の肝試しの企画者なのであろう。
「呼ばれているね、私達も行かないと」
「ああ…………」
歩き出そうとした足をふと止めて、秋雅は眼前にある校舎をじっと見る。その表情は先程までの和やかなそれから、困惑したような、しかし真剣なそれとなっている。
「やはり呪力。だが、何故今……」
校舎を見つめながら、口の中で転がすように秋雅は呟く。しばし、考え込むようにその姿勢を維持した後、
「……いいか。何かあれば、その時対処すればいい」
それくらいの対応はできるだろう。そんな風に、自身とこの状況を見切りつつ、秋雅は妹との合流を果たしに行くのであった。