「……そろそろ、私は失礼しようと思っている」
かの、死を弄んだ魔術師との戦いから、二日後の朝。アリス邸ダイニングの朝食の場にて、飲んでいた紅茶を置いて、秋雅は席を共にしていたアリスに告げる。
「あら? もうお発ちになられるのですか?」
秋雅の言葉を聞いて、アリスは少しだけ驚いたように問い返す。ちなみに、こうして話しているのはいつものような霊体ではなく、彼女の本体そのものだ。誰かと食事を共にするのは何時振りだっただろうかというのが、昨日彼女が秋雅に伝えた言葉だ。
「ああ。当面、私が必要なことも無いだろう?」
二日前の夜に魔術師を引き渡し、その翌日の朝に例の死兵の玉の浄化、及びその確認を行い、午後には賢人議会との簡易的な会談も済ませてと、既に今回の件で秋雅がすべきことは昨日のうちに終わっている。連れてきた幽霊との改めての確認も済ませているし、アリスとも正式に彼女を預けることに関する取り決めもきちんと決めている。特にこれ以上、英国ですべきことはないというのが秋雅の主張だ。
「しかし、もう少しゆっくりなされてもよいのでは? いかにカンピオーネとはいえ、多少は疲れていらっしゃるのではないかと思っているのですが」
それに対し、アリスはもう少しゆっくりして行けばいいと彼を引き止める。些か強行軍で用事を済ませた彼に対する、彼女なりの心遣いといったところだろう。そもそも昨日の彼の用件が、ほぼほぼ自分達賢人議会がらみのことだったというのも、その理由に入っていそうである。
「そうでもない。これでも、体力には自信があるのでね」
実際秋雅も、僅かばかりではあるが疲れを感じてはいる。とはいえ、それも十分に無視できるレベルだ。戦闘にもならなかった
「確かに、少々急いている自覚はある。が、あまりのんびりとしすぎるのも性に合わないのでな」
「……そうですか」
何処と無く残念そうな口ぶりで、アリスは秋雅の引止めを諦めた。秋雅から見た彼女のその態度は、個人的な恩や、公的な打算など――大きな借りを受けているとはいえ、それはそれ、これはこれであるのは彼にも理解できる――と、色々と考えていた結果であるのだろうが、流石に留まる気が無い秋雅を無理に引き止めるほどでは無いらしい。まあ流石に、それを追求しすぎて不興を買いかねない真似をするほど、彼女は愚かではあるまい。
「――それと、件の魔術師の件だが」
その言葉と共に、秋雅の雰囲気が少しばかり鋭くなる。今の今までは一応、食事中の穏やかな気配という風であったのだが、それがいつもの調子に戻っていた。
そのことを感じ取ったのだろう。アリスもまた背筋を正して返す。
「承知しています。何か分かり次第、お伝えすればよいのですね?」
「ああ、どうにも気にかかるからな」
カンピオーネという、人よりもむしろ神に近い存在に対する謀反。特殊な条件下とはいえ、神獣にすら迫る魔術。そして、そのような心情、力に見合わぬ弱い精神。気にならぬ訳が無い、というものだ。
「あのような魔術を持ちながら、しかし力を持つもの特有の『芯』が感じられなかった。立ち位置だけを見ればまさしく組織の下っ端という風なのだが、それにしては持っていた力が大きすぎる」
「私も報告を受けていますが、確かに同じような感想を持ちました。使っていたであろう魔術は、それこそ一つの結社の秘術ともなりそうなレベルであったというのに、やっていたことはかなり杜撰です」
そもそも、その存在が発覚することになった墓荒らしの件があまりにもお粗末過ぎるのだ。口ぶりから察するにばれても切り抜けられるという風に思っていたようであったが、そうやって無駄なリスクを避けようとしないというのが愚か極まりないと言えよう。そんな事が出来るのは、それこそカンピオーネのような常識の外の外にあるような存在だけだ。
「現状、その男に関しては私どもの手のものが尋問を行っています。いずれは、背後にあるものに関しても何かしらの報告は出来るかと」
「その際はこれを使うといい」
そう言って、秋雅は懐から何かを取り出す。何だろうかとアリスが見ていると、次の瞬間にはその何かが秋雅の手の中から消え去り、代わりにアリスの手元にそれが現れていた。
「これは……」
現れたそれをアリスが手に取る。間近で見てみればそれはどうやら名刺の類のようで、小さな紙の中央に秋雅のフルネームと、その隅に彼のものらしき携帯電話の番号とメールアドレスが記載されている。
「……よろしいのですか?」
それを確認して、アリスは驚いたように秋雅に問いかけた。何故ここまでアリスが驚くのかといえば、それは秋雅が自分の個人的な連絡先を魔術関係者に渡すという事が滅多にないと聞いているからだ。実際、先日の一件でも、連絡用としてアリスたちから電話を借りて使っており、私物のそれは全く用いていない。それが、あまり私生活にそういったものを持ち込みたくない秋雅の性分であった。
そう言うわけであるので、魔術関係者で彼の携帯の番号を知っている者など彼の専用窓口と化している正史編纂委員会の三津橋か、あるいはサルバトーレ・ドニと言った他の王ぐらいだ。そのため、他の魔術結社の人間が彼に依頼をするときは、基本的に正史編纂委員会を通して行うか、あるいは極めて礼を尽くしつつ直接会うかというぐらいだ。まあ勿論、番号など彼らが調べようと思えばどうとでもなるものなのだが、そんな事をして秋雅の怒りを買いたくないと、少なくとも表向きにはやっていない。
その貴重な番号を自分に渡して良いのか。言い換えれば、その連絡をする資格を与えていいのか。そんな意味合いであるのだろうアリスの問いかけに、秋雅は深く頷いて答える。
「無論、あくまで用いるのは
「勿論そのつもりですわ」
「では、それでいい。状況の都合上、貴女と私の間で直接の連絡手段があったほうがいいと判断したまでだ。彼女のことに関して、何か急ぎの用件が生まれる可能性もあるからな」
「それもそうかもしれませんね」
まだ、幽霊の彼女に対しアリスはその精神感応能力は用いていないらしい。単純に暇がなかったというのもあるが、慎重に使う必要性があるからだというのが彼女の言であった。そしてそれは、秋雅も納得済みのことである。
霊体という、生者以上に不確かな存在に対し、魂を直接揺さぶるような術を使うのだから何事もゆっくりと、慎重にやらないといけない。当然そうなると事が長期的な話となるというのが、秋雅が彼女をアリスに預けることにした理由の一つでもある。また、期間が長くなるとアリスへの負担も大きくなると予想されるが、秋雅のおかげで体調も随分と良くなっているので、それほど問題にもならないだろうという風に見立てられている。
「そうそう。それで思い出したのですが」
「何だ?」
「彼女に使用人としての仕事を少しばかり仕込んでもよろしいでしょうか?」
「ふむ?」
「稲穂様もいらっしゃらないのに、客人扱いというのも気が引けると、そう彼女から聞きまして」
「そうだったか」
さもありなん、とアリスの言葉に秋雅は頷く。これまでに分かっている彼女の性分を考えれば、確かにそのようなことを言いそうではあると思ったのだ。少なくとも、じっとお客様として待ち続けるようなタイプではない。
「分かった。その辺りは貴女の裁量に任せよう。彼女が望むのであれば、私がそれを否定する理由は無い」
「ええ、ではそのように」
そう言った所で、これまで続いていた会話がピタリと途切れる。これ以上特に話す事がない、というのが両人の思うところであった。
「――さて、そろそろ本当に失礼しよう」
アリスも自分と同じようなことを思っていると察して、秋雅は席を立つ。借りていた客室に戻って、そろそろ本格的に荷物を纏めよう。そう思いながら部屋を出ようとした秋雅の背に、アリスはふと思いついた事を問いかけた。
「つかぬ事を聞きますけれど、もうそのまま日本に帰るおつもりですか?」
「ん……」
アリスの質問に、秋雅は足を止めて振り返って答える。
「いや、日本には当分帰らないつもりだ」
「あら? ではどちらに?」
「インドに行こうと思っている。まあ、その前にイタリア、サルデーニャに向かうつもりだが」
「サルデーニャに?」
「ああ。我が師に少し会っておこうと思ったのでな。借りていた魔術書の返却ついでではあるが」
「あら。おばさまに師事しておられたことがあったのですか?」
初耳だ、とアリスが目を丸くする。その呼称からも分かるとおり、サルデーニャにいる秋雅の師、ルクレチア・ゾラはアリスにとっても知己の相手であると聞いている。彼女からしてみれば、自分が知る二人が師と弟子であることが意外であったのだろう。
「師匠、弟子、というほど深い付き合いでもないのだがな。少しばかりの基礎と、あとは魔術書の何冊かを都合してもらったという程度だ。とは言え、こうして会いに行く程度には親しいつもりだがね」
「そうだったのですか。では、失礼ではありますが、おばさまに会った際には私がよろしくと言っていたと伝えていただけませんか?」
「分かった、伝えておこう」
そう最後に締めて、ようやく秋雅はダイニングを出るのであった。
これで二章は終了。色々放りっぱなしなのは後々回収予定。次話は閑話として、護堂一行との邂逅を投稿予定です。ペルセウス戦後、サルデーニャで夏休みを消化中に偶然、といった感じ。夏休み一杯あっちに居たのか良く分かんないんですよね、これが。まあ、そう言う設定で、ついでにリリアナもちょくちょく来ているといった感じで書くつもりです。