同胞からの電話
それは、とある梅雨の日の夜のことであった。
「……電話か」
テーブルの上で揺れる携帯電話を見て、稲穂秋雅が小さくつぶやく。ゆったりと夜の時間を過ごしていた中に、それを打ち破るような無粋な振動音を聞いたことで、秋雅は軽く顔をしかめる。こんな時間に誰だ、と若干の苛立ちを感じつつ、秋雅はディスプレイに映った名前を確かめる。
「まったく…………ああ?」
表示されている名前を見て、思わず秋雅は剣呑な声を上げる。そのまま数秒ほど、じっと手の中の電話を見つめていた秋雅であったが、諦めたようにため息をついた後、ゆっくりと通話状態にする。
「……もしもし」
『やあ、秋雅。久しぶり、元気かい?』
明らかに乗り気でなさそうな秋雅に返ってきたのは、対照的にも程があるほどに朗らかで能天気そうな声。その声に、秋雅は深いため息をつきながら応える。
「お前が電話をかけてくるまでは快調だったがな、サルバトーレ・ドニ」
『はっはっは。相変わらず辛辣だねえ、君は』
秋雅の返答に、イタリアのカンピオーネ、サルバトーレ・ドニは笑う。その裏のない笑い声に、相変わらずだなと秋雅は眉間のしわを深くする。
「それで? 今日は一体、どういう用件だ? 戦いを、などと抜かせば、その瞬間にこの電話を切るが」
『つれないねえ。僕らの決闘はまだ決着がついていないっていうのに』
「ついただろう、もう既に」
『あれを決着とは認め難いと思うけどね、僕は』
そう、ドニは不満げにぼやく。しかし、
「取り決め通り、私達の間で勝敗は決した。君の勝ち、私の負けと言う結果でな」
それに対する秋雅の返答は冷ややかだ。自身の敗北を認めているにもかかわらず、その態度に不満の色は感じられない。
『本当に相変わらずだね、君は。
僕達の時みたいにね、とドニが言うのを気にもせず、しかし僅かに苛立ちを混ぜながら秋雅は言う。
「いい加減、用件を話してもらおうか。いつまでも、お前一人に関わってはいられないのでね」
『分かったよ、仕方ないなあ』
「早く言え」
トントンとテーブルを叩くことで苛立ちを発散しつつ、秋雅はドニの次の言葉を待つ。
『用件は二つ。まず一つは護堂のことだ』
「護堂……というと、草薙護堂のことか?」
『あれ? その感じだと、もしかしてまだ会ってない?』
「ああ」
『意外だなあ。同郷だし、何より君ならもう接触していると思ったんだけど』
「そのうち会ってみようとは思っているのだが、どうにもな。同郷だが、どうやら前例から逸れてはいないようだから、二の足を踏んでいる」
ちらりと、秋雅は手元の資料に目をやる。そこには先月、東京において発生したまつろわぬ神と八人目のカンピオーネ、まつろわぬアテナと草薙護堂の戦闘に対する報告書が置かれている。少し前に三津橋が持ってきたものなのだが、ざっと読んだ限り周囲への被害が実に大きい。しかも、単純な破壊による被害のほとんどが草薙護堂によって引き起こされており、その修復費ときたらまあ大きい。普段、秋雅が報酬として受け取っている分など鼻で笑えるほどの額だ。事実、報告書についてきていた三津橋のメモには、八人目に対するぼやきのようなものが書かれている。
『ああ、うん。それはちょっと思ったかな。君と同じ日本人なんだから無駄な被害は出さない主義なのかなあって思っていたんだけど、蓋を開ければ僕らと同じだったね』
「だからあまり会いたくなくてな。人のことは言えんのだろうが、カンピオーネと言うものはまったく、いらない戦いを望みすぎるきらいがある。彼も
『いや、僕としては君が彼と知っている前提で話をしようと思っていたから、君が知らないとなると話す事がないんだよね』
「……では、逆に問うが、お前から見て草薙護堂はどう見えた?」
八人目、新たに誕生したカンピオーネ。それと実際に会った人物からの評価だ、聞いておいて損はないだろうと秋雅はドニに問いかける。こう見えてこの電話の相手は、案外人を見る目はあると思っているからこその問いかけだ。
『んー……最初に思ったのは、若い、かなあ。僕がカンピオーネになったのも若い方だと思うけど、彼はさらに若い。あ、でも君の方がカンピオーネになったのは若いのか。まあ、君より若くしてカンピオーネになった人はそう居ないと思うけど』
秋雅が神殺しを行ったのは今から六年前、彼が十四の時のことだ。草薙護堂が神殺しとなったのが十六歳の時、つまり高校生でカンピオーネになったのに対し、秋雅は中学生の時にカンピオーネとなり、以来戦い続けてきたということなる。そのため、実を言うとドニと秋雅において、実年齢はドニのほうが上だが、カンピオーネとしては秋雅が先輩ということになる。まあ、だからどうしたというのが、カンピオーネ同士の関係であるのだが。
『あとはまあ、あれだね。口では色々言っているのに、結局は戦いを拒まないって感じだった』
「大方お前が決闘に無理やり引きずり込んだんだろう? 拒まない、はおかしい」
『でも、君は逃げおおせたじゃないか。決闘にこそ引きずり出せたものの、結局君は僕と剣を交えなかった。正直言うと、護堂もそういうタイプなんじゃないかって心配だったんだけど、違って良かったよ』
「私は良くないがな……」
草薙護堂との接触自体は計画中の秋雅としては、はあ、とため息をつくより他にない。
『まあ、たぶん言葉で語らえば言葉で返してくれるんじゃないかな? 勿論、力で戦えば力で返してくると思うけど』
「アレクサンドル・ガスコインと同じタイプか」
同じく
『あー、彼よりは素直だと思うよ、護堂は。まあ、たぶん、だけど』
「だといいが、な。それで、二つ目の話は?」
とりあえず、これで一区切りがついただろうかと、秋雅は八人目のことを一旦隅に置いて言う。
『じゃあ二つ目だけど――あのじいさまがそっちに向かったらしいよ。あ、正確には東京に、だけど』
ドニの言葉に、秋雅は眉をしかめる。じいさま、とこの同胞が言う時、それはつまり一人の魔王を指すときであるからだ。
「ヴォバン侯爵が?」
デヤンスタール・ヴォバン。今の時代に生きるカンピオーネとしてはもっとも長く生きている最古参の王であり、もっとも魔王らしい魔王と呼ぶべき人物だ。恐怖、畏怖、理不尽、そういったものの権化であると言われても納得がいくと、内心で秋雅がそう思っているほどの相手である。
「何故、ヴォバン侯爵が日本に?」
彼と秋雅の関係は、とても良好と言えるものではない。不可侵を結び、敵対こそしていないものの、それはあくまで表面上のこと。四年前、僅かとはいえヴォバンがなそうとした儀式を妨害し、そして今現在でも、時折その邪魔をする秋雅を、彼は事実上の敵とみなし、いずれは討たんとしているのだから。なお、その際思い切り妨害をしたドニは、ヴォバンから完全に敵意を持たれているのだが。
『理由が知りたいのなら、あの時の決闘のやり直しを行いたいな。今度は逃走なんて許さない、絶対の決闘を』
「……却下だ。こちらで調べることにしよう」
『それは残念だ。じゃ、僕はこれで。もし護堂に会う事があれば君の親友がよろしくと言っていたと伝えておいてくれ』
「その親友とやらは、一体どちらにかかっているんだ?」
『ははは、じゃあまたね』
最後の問いかけには答えずに、ドニは電話を切る。通話の終わったそれを見て、秋雅は深くため息をつく。
「まったく、面倒な……」
どうしたものかと、ソファに深く身体を委ねて、しばし秋雅は考え込む。結局、待ちの姿勢を取る、という結論を彼が得たのは、その日の就寝前のこととなった。一応は不可侵を結んだ相手である以上、わざわざ接触しに行くのも良くないと判断したためである。それと、何かあった場合には八人目がどうにかするだろうと、そんな風に思ったというのもある。
その結果東京がどうなろうと、それはそれ。自分が気にする道理はないと思いながら、秋雅はゆっくりと休息をとるのであった。