とある昼下がりのことである。
「悪くないな、うん」
そう言って頷いたのは、ナイフとフォークを構えた秋雅であった。満足そうに薄く笑みを浮かべ、秋雅はまた一切れ肉を口へと運ぶ。やや大味だが、分厚く、食べ応えのあるステーキ。現地を訪れたからと、おすすめの店を探して注文したものである。お世辞にも最高級とは言えないが、比較的味に頓着しない――及第点を超えていればそれで十分だと感じる――秋雅にとっては、十分満足できる昼食である。
切っては食べ、また切っては食べと、日ごろの健啖さを秋雅はいかんなく発揮するそれに変化が訪れたのは、ステーキの大半を食べ終え、もう一枚注文しようかなどと秋雅が考え始めた頃合いであった。
「――何者だ?」
手を止め、目つきを鋭くしながら、秋雅はそう問いかける。その問いかけに、何時の間に現れたのだろうか、秋雅の目の前に座っている一人の男が答えた。
「突然の無礼、お許しください。『永劫の安寧』が一人、クラネタリアル・バスカーラと申します。お初にお目にかかります、王よ」
恭しく、男は秋雅に頭を下げる。
アメリカ合衆国首都、ワシントンD.C.にある、とあるステーキハウスでのことであった。
そもそも、何故秋雅がアメリカにいるのか。そのきっかけは、今より二日ほど前にかかってきた電話にあった。
「もしもし」
「――久しぶりね、秋雅」
女の声。やや冷たい印象を受ける理知的な声だ。その声に対し、秋雅はそれと対照的な、気安げな口調で答える。
「ああ。久しぶりだな、アニー。元気だったか?」
「ええ、問題なく」
アニー・チャールストン、それが電話先にいる女性の名前であり、アメリカに住む魔術師の名前だ。数年ほど前、ひょんなことからアメリカの地にて知り合った、秋雅にとっては数少ない、魔術の世界における気の置けない友人の一人である。
「貴方のほうも、まあ聞くまでもないわね」
「おかげさまで、な……しかし、君が電話をかけてくるなんて、少し珍しいな」
「そうかしら?」
「体感ではな。まあ、それはどうでもいい。俺に、何か用があるんだろう?」
「話が早くて助かるわ――貴方に、カンピオーネである稲穂秋雅に、一つ依頼をしたいと思って」
「依頼?」
ピクリ、と秋雅の眉が動く。
「カンピオーネとしての俺に依頼とは、また奇妙な事を言う。それならばまずは君が――失礼、スミスが動くべきだろう。アメリカのカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミスが」
『ロサンゼルスの守護聖人』として知られ、仮面にて素顔を隠し、芝居がかった言動で悪を討つカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミス。その正体がアニー・チャールストンであるということを知る人間は極めて限られてる。秋雅が彼女のことを知ったのも、ある事件から来る偶然が理由であった。それを知ってしまったことが、秋雅とアニーが交友を持つきっかけであり、さらには秋雅とスミスが互いを盟友と呼び合うようになった始まりでもある。
「それは当然そうなのだけれど、残念ながら、今スミスはロスを離れられない事情があるの。《蝿の王》の名は知っている?」
「確か、そっちに本拠地がある邪術師の組織の名前だったな。どこかにまつろわぬ神降臨の気配があるが、しかしその結社を警戒する必要があり動けない、そういうことと考えても?」
「本当に話が早くて助かるわ。ええ、その通り。最近、SSIに所属する魔女の一人が、近日中にワシントンにまつろわぬ神が降臨するという霊視をしたわ」
「そりゃまた、珍しいな。しかもワシントンとは、ロサンゼルスとは見事に大陸を挟んで反対側だな」
「もう少し近場だったらスミスに対応してもらうことも考えるのだけれど、流石に遠すぎる。万が一を考えると、下手に動くわけにはいかない」
「従って、同じカンピオーネである俺に対処してもらおうと、そういうわけだな」
「受けてもらえる?」
アニーの言葉に、秋雅は傍にいたウルに目を向けたものの、しかしすぐに視線を戻して頷く。
「ああ、承知した。明日にもワシントンに飛んで、まつろわぬ神の警戒に入ろう」
「ありがとう、助かったわ、秋雅。依頼料その他に関しては私のほうからSSIに話を通しておくわ。日本の、正史編纂委員会だったかしら、そこを通して払うようにすればいいのよね?」
「それで頼む」
「じゃあ、申し訳ないのだけれど、これで失礼させてもらうわね」
「ああ、また。今度はゆっくりと対面で話したいものだな」
「ええ、私もその日が来るのを待っているわ」
その言葉を最後に、通話が終わる。電話を懐にしまいながら、秋雅はウルに視線を向ける。
「そういうわけだ、ウル。悪いがちょっと行って来る」
「それが貴方の使命だものね。仕方ないわ。終わったら一度戻ってくるのかしら?」
「そうするつもりだ。今回は間に合いそうにないが、スクラとヴェルナが改良してくれている武器を受け取らないといけないからな」
「それなら二人にも詳しく話してくるといいわ。ちゃんと話しておかないと、無理にでも間に合わせようと無茶をするかもしれないし」
「多分間に合わないだろうし、な。俺も二人の徹夜顔なんて見たくないし、早速説明してくる」
「私は、そうね、夕飯の準備でも始めようかしら」
「期待している」
こういった事情があって、秋雅は連絡を受けた翌日にインドを発ち、アメリカに到着してすぐにSSI――日本における正史編纂委員会に相当する政府直轄の組織だ――の魔術師と合流して情報の共有等をした。そしてその後は、状況が動くのを待つ、あるいは秋雅の登場で状況を動かす為に、調査を兼ねて街中を探索することとした。その二日目に当たる調査の最中、休息として昼食をとっていた場面が、冒頭の話へと繋がるのである。
「……ふむ」
先ほどまでの日常の気配を完全に消し去り、組んだ脚の上に手を置いて、秋雅は王の貫禄を放つ。その目は冷たく、目の前の男をじっと観察する。
白人、年齢は三十代と言ったところだろうか。魔術の腕前はおそらく高いだろう。秋雅が異変に気づくきっかけともなった、現在張られている認識阻害系の魔術――範囲型で、おそらくは秋雅達の会話の内容等が他者に覚えられるのを阻害するタイプだ――の精密さからそれは伺える。
表情は無表情、とまではいかないが、しかし明確な感情を読み取ることは出来ない。カンピオーネの前にいるという緊張や恐怖等も、特に感じられない。かといって、秋雅の力や存在を全く畏怖していないというわけでもないのだろう。少なくとも、それなりに態度を
決定的な材料はない、と秋雅は目の前の男の
何を目的としているのか、まずはそれを聞きだすべきかと考えつつ、秋雅は重く口を開く。
「『永劫の安寧』に、クラネタリアル・バスカーラ。どちらも、聞かぬ名だな」
「無理もありません、王よ。我らはまだ小さき身、世に名をとどろかせし結社に並ぶほどの力を持っているわけではありませぬ故」
恭しく、クラネタリアルと名乗った男は頭を下げる。やや芝居がかった物言いと態度に、ふんと秋雅は鼻を鳴らす。
「そうか。では、その小さき者らが、何故私の前に現れようと思ったのかな?」
「無論、貴方様のお役に立つため」
「ほう? どういう風にかね?」
「こちらを」
そう言ってクラネタリアルが取り出したのは、一枚の写真だ。それをテーブルの上に置き、どうぞと手で示す。
「……ふん」
写真とクラネタリアル、その間で一度視線を動かした後、秋雅はその写真を手に取った。
写真に写っていたのは、一本の槍だ。柄は木製のようで、余計な装飾は見受けられない。飾り気も特徴もない槍だが、唯一穂先が黒い事だけが目を引いている。おそらくは黒曜石で出来ているのであろう。写真越しであるが、古い槍であると秋雅には思われた。
「これは何だ?」
「先日、このワシントンに持ち込まれた槍にございます。この地に住む好事家が手に入れたようですが、どうやら魔術に関係する品であるとのこと」
「それは、わざと持ち込んだということか?」
「おそらくは知らずに持ち込んだのかと。何とも愚かしいことです」
「……それで、その槍がどうしたと?」
「はい。その槍ですが、かなり強固な封印が施されていたとのことです。それ故に、SSIもその存在を嗅ぎ付ける事が出来なかったのでしょう」
「では、何故お前達は知っているのだ?」
「偶然知る機会があった、それだけに御座います」
どうやら、言うほど小さな組織でもないらしい。そう感じつつ、秋雅は目で先を促す。
「しかし、その好事家は魔術など欠片も知らぬ者であったようで。迂闊にもその封印を解いてしまったようなのです。そして、それと同時期にSSIの魔術師が何やら霊視を得たとのこと――そういうことではないかと愚考するのですが、いかがでしょうか?」
「……つまり、その槍が神器か何かであり、それを目当てにまつろわぬ神がこの地に降臨する可能性がある。そう言いたいわけか」
「その通りに御座います」
それが確かであれば、秋雅にとって願ってもない話だ。その好事家の下に向かい、可能であれば槍の再封印を、不可能でもせめて移動させることで事前被害を減らす事が出来る。成る程、ありがたい話である。
だが、疑問はある。
「それを何故、私に告げる? 何を望む?」
それを秋雅に告げる目的が分からない。それなり程度ではあるが、長く魔術界に身をおいた経験上、そう易々と上手い話に乗るほど秋雅は迂闊ではない。完全なる善意などそうない――加えて、初めて会った相手でもあるのだ――ということを、秋雅はしかと知っている。
どのような裏があるのか。それを問いかける秋雅に対し、クラネタリアルはただ頭を下げるだけだ。
「全ては、貴方様のお役に立ちたいだけに御座います。それこそが我が身の、我らの喜びであります故」
「……結社としての目的そのものが、我らへの忠節である、と?」
「その通りで御座います」
正気か、と秋雅は心の中で呟く。基本的に、カンピオーネという歩く災害への恐怖から忠節を誓っているような魔術の世界において、このような言葉を本心から言うものがいるであろうかと、カンピオーネである秋雅は疑念を持たざるを得ない。
しかし、どうにも秋雅には、このクラネタリアルという男が嘘を言っているようには思えなかった。少なくとも、秋雅の役に立ちたいという一点においては本心である可能性が高いと、秋雅の勘がそう告げている。
だからこそ分からない。この男の、この男が所属する結社の目的が。何が裏にあるのか、あるいは本当にそれこそが本心であるのか。その事をまるで見通せぬことに、秋雅は確かな不気味さを感じずにはいられない。
「裏がある、そう思われるのも致し方ないこと。急に押しかけ、一方的にかような事を告げるなど、無礼にも程があることに御座います。ですが、我らは貴方様に、我らの存在を認めて頂きたいと渇望してしまったのです。貴方様に我らの事を認識していただき、そしていずれは、我らを貴方様の、稲穂秋雅様の下で御仕えさせていただきたい。それが、我らの全てでございます」
「つまり、私を盟主として仰ぎたい、と?」
「そうでもあり、しかし違うとも言えましょう。何故ならば、ここで言う我らとは、『永劫の安寧』のことだけではありませぬ故」
「……まどろっこしい、仔細を話せ」
やや、怒気を混ぜた声を秋雅は発する。これまでの理解不能なこともあっての、苛立ちによる問いかけ。それに対しまるで焦る素振りを見せることもなく、クラネタリアルは頭を下げた後に口を開く。
「畏まりました、王よ。単刀直入に申し上げますと、我ら『永劫の安寧』の最終目標は、全人類をカンピオーネの下に置くことにあるのです」
「それは――」
どういう意味だ。そう、秋雅は問いかけようとした。
「――まさか」
だが、それを続けることはなかった。何かに気付いたように彼は問いかけを途中で止め、代わりに大きく目を見開く。
「正気か、貴様」
ついで、今度こそ秋雅の口から放たれたのは、確かな驚愕の色が混じった声。それに対し、クラネタリアルはその口元を軽く歪める。
「お気づきになられるとは、流石は稲穂秋雅様。カンピオーネの中でも特に聡明と知られるその頭脳と直感、感服するばかりにございます」
「では、お前達の目的はやはり――」
「はい、その通りにございます。我ら、『永劫の安寧』は、
そう、クラネタリアルは確かに言い切る。その後、数秒の空白を挟み、秋雅は目を伏せて首を横に振る。
「……それは、不可能だ」
「混乱が生じるから、でしょうか?」
「そうだ。この科学と物理が形作っている表の世界において、今更魔術を持ち出そうなどとすればどのような混乱が生じるか、分からぬわけではあるまい」
知識と才能さえあれば、たった一人の人間がいとも容易く破壊を撒き散らすことも出来る。それが魔術の一面だ。確かに魔術の世界に身を置いてそれに浸かりきった者ならばともかく、道理なく魔術を知り、それが実在すると理解してしまった者がどのような事をするか。考えずとも分かることだろう。
だからこそ、魔術の世界に身を置く者は極力その痕跡を表に出さないようにしている。例えば日本において正史編纂委員会が魔術という存在を徹底的に隠蔽するように、世界中でその存在や知識は隠匿されてしかるべきものなのだ。
それを、よりにもよってカンピオーネを文字通り王に据えるために表に出すなどとは。秋雅に限らず、真っ当な倫理観を持つ魔術師であれば、正気を疑わないほうがおかしいことだろう。
「それは確かに理解しております。しかし、それでも我らは思っているのです」
この世界は、人智を超えた存在にこそ、支配されるべきなのだと。クラネタリアルは、確かな笑みを浮かべながら、そう言った。
それに対し、秋雅はどのような返答も行わなかった。否、行えなかったという方が正しいだろうか。それほどまでに、クラネタリアルという魔術師が放った言葉は、稲穂秋雅という王にとって、理解を拒みたくなるような言葉であったのだ。
しかし、そんな秋雅の沈黙をどう受け取っているのだろうか。クラネタリアルは何処か楽しげに続ける。
「特に、私は貴方様、稲穂秋雅様こそが、他のカンピオーネの方々すらも超越する真なる王として相応しいと考えているのです。価値観、正義感、使命感。振る舞い、気品、思想、理念。過去、現在、未来。その全てにおいて、貴方様を超える王など存在しない。そう、私は考えております」
「……それが、私に会いに来た理由か?」
「その一端、で御座います」
そう言ったところで、クラネタリアルは席を立つ。
「では、私はこれで失礼させていただきます。その槍に関しての情報は写真の裏に書いておきましたので、どうぞお好きにお使いください。また、ご尊顔を賜れる日を楽しみにしております……おっと、忘れる所でした」
最後にお伝えすべき事がありました、とクラネタリアルはそう前置いて言う。
「どうか、
「…………どういう意味だ?」
秋雅の問いかけに対し答えることなく、クラネタリアルは深く頭を下げる。同時、その姿が完全に消失し、周囲を覆っていた隠蔽の魔術が解除された事を秋雅は感じとる。
「クラネタリアル・バスカーラとは、一体何者だったのか……」
呟き、クラネタリアルがいた空間をじっと見据える秋雅であったが、少しして頭を振り、残された写真を手に取る。
「まずは、目先の事件から片付けるべき、だな」
意図して頭を切り替えつつ、秋雅は電話を手に取る。そしてSSIの人間に連絡を取り、今しがた手に入れた情報を伝え、動く事を要請する。
「……ああ、ではそれで頼む……うむ、では」
幸いにも、あるいは当然にも、話は容易く通った。その事に安堵しつつ、秋雅は電話を切り、写真と一緒に懐にしまう。
「当面は待ちか……で、だ」
はあ、とやや力のないため息を吐きながら、秋雅は目の前のテーブルを見る。そこには、もうすっかりと冷えてしまったステーキが置かれている。
「……やはり、もう一枚だな」
これでは満足できないと呟きながら、秋雅はやや味気なく感じる肉を口に放り込んだ。
だいぶ駆け足ですが、とりあえずこの章で書いておくべき最低限のことは書けたと思うので、次話から神様との戦いを書きます。どの程度の分量になるかは未定ですが、まあ頑張る所存。