「――真意を聞かせてもらおうか、アリス殿」
開口一番、稲穂秋雅は目の前に座る美女にそう問いかけた。
平生であれば、まずは出されたお茶でも一口味わい、多少なりの世間話を挟んでから本題を口にする秋雅であったが、今回はそんな前置きをするでもなく、示された席に座って早々の問いかけだった。
「突然ですね、稲穂様。それほどまでにお急ぎにならずとも良いでしょうに」
対し、秋雅の前に座る美女――アリスの方はというと、秋雅の問いかけに対しニッコリと微笑みを返す。王の詰問であるというのに常の余裕を崩さぬというのは、流石の胆力であると賞賛すべきであろうか。
しかし、当然のことながら、秋雅がそれに対し感心の声をあげるような真似はしない。むしろ、不愉快そうに眉をひそめるのみだ。
「……現状、あまり長々と無駄な前提話をする気がないのでな。それほどまでに、貴女が正史編纂委員会に送ったメッセージは衝撃的ということだ」
「あら? 正史編纂委員会の方々はともかくとしても、稲穂様がそのような反応をされるとは、少々意外ですわね」
「茶化さないでもらいたいが。私が聞きたいのは、あくまで貴女の真意だ」
「真意、と稲穂様は仰いますけれど、特段私に、秘めた思惑などありませんわ」
秋雅の問いかけを微笑と共に躱すアリスに、秋雅は心の中で舌打ちをする。確かに彼女は秋雅に対し恩義を感じている風ではあったのだが、そう考えているとはまるで思えない態度である。今回の件についてはあくまで私事のことである、と切り離して考えているらしい。流石は一組織を束ねる立場にあった人間だ、という感想が秋雅の胸に浮かぶ。
秋雅もこの六年ほどでそれなりに揉まれ、鍛え上げられているものの、しかし『生粋』と比べると流石に分が悪い。以前の会合においては秋雅が切札を切りまくったからこそ主導権を握っていたが、今回はそうではない。現状、その道の人間に対し感情を読まれぬようにすることぐらいならば出来なくもないが、逆に読み返すような真似は中々難しい。策士同士の腹の探りあいを行うには、まだまだ稲穂秋雅は未熟であった。
一応、このまま続けても最終的には質問に答えるだろうが、どうにも長々とかかりそうだし、何より些か
「……質問を変えようか。
そもそも前提条件が違っていた、という可能性を鑑みて、秋雅は改めてそう告げる。プリンセス・アリスの、ではなく、賢人議会がそう決めた、ということであるからこその、こののらりくらりとした対応なのではないだろうかと、そのように考えたのだ。そうであるのならば、彼女が生身ではなく霊体で姿を現していることにも、あくまで賢人議会の特別顧問として対応しているのであると、そんな意図があるように感じられるというのもまたそう考えた理由だ。
「賢人議会の思惑、ですか。それでしたら、答えないというわけには行きませんわね」
それに対しアリスは、先ほどまではなんだったかと言わんばかりにその態度を一変させた。予想通りか、とその変転に対し秋雅は思いつつも、どうにも試されたという感も覚えてしまう。
しかしすぐに、まあいいかと納得することにした。そもそも、件のメッセージの事を考えると、自分の事を試そうという気になるのもまま分からない話でも無い。
と、いうのも、だ。
「では、聞かせてもらおうか。先日、正史編纂委員会に届けられた賢人議会からのメッセージ――
そう言って睨む秋雅に対し、アリスは悠然と微笑んだ。
正史編纂委員会において、しばしば各支部の室長を招集して会議が行われることがある。それ自体はさして特別なことではなく、定期的に開かれているものだ。もっとも、どの支部も相応に忙しいので、毎度毎度全員が集まるというわけではなく、欠席や代理が出席する事がよくある。
そんな中、先日開かれた会議においては、珍しく全員が出席するという運びになった。その時の議題が、最近問題となっている、稲穂秋雅及び草薙護堂に対する委員会としての対応如何をどうするか、というものであったのかというのがその理由の一端でもあるかもしれない。まあ、それ自体はおかしなことではない。だが、まるでその召集を見越したかのように、当日、正史編纂委員会に対し、賢人議会より一つのメッセージが届けられた。
――カンピオーネ、稲穂秋雅を迎え入れる用意がある。
それが、賢人議会より伝えられた、正史編纂委員会に対するメッセージの内容だ。明らかにタイミングを見計らって届けられたメッセージに対し、当然委員会の面々は賢人議会に対しその意図が如何なものであるのかということを思案する。
委員会が仰ぐ王を鞍替えすることも考えている事を知られたのではないか。あるいはこれを元に委員会を割ろうとしているのか。いや、そもそもどうして賢人議会がカンピオーネに対し玉座を準備するのか。もしや、稲穂秋雅と賢人議会は何かを企んでいるのではないか。
喧々囂々と、様々な意見や暴論が飛び交った。しかし、これと確信をもてるような意見が出ることは終ぞなく、とうとうその日の会議は終了する運びとなった。ただ、これを二人の王に知らせる必要はない、という結論だけを残して。
そして、その結論を――ある種当然のように――無視し、福岡分室室長である五月雨が、事の次第を急ぎ秋雅に伝えたことで、今この現状に至っている。
「最初に断っておきますけれど、この件に関して私はそれほど関わっていません。あくまで現賢人議会の決定であるという事を念頭に置いていただきたいですわね」
「それは分かる。だからこそ、貴女は個人として私の質問に答えようとしなかった」
「そういうことになりますわね。もっとも、私自身はあのメッセージに対し不満を持っている、というわけでもありません。消極的肯定、といったところでしょうか」
「貴女が賛成の立場にあろうが、その逆であろうが、私としてはどちらでもいい。結局の所、重要なのは賢人議会の思惑だ」
「ええ、その通りですわね。とはいっても、稲穂様や日本の魔術師たちが警戒するほど、裏の意味があるというわけでもありません。文字通り、稲穂様を私どもの主として迎え入れる用意があると、そういう意味です」
「それだけでも、中々に警戒すべき言葉だと思うがな。しかも、タイミングがタイミングだ」
「だからこそ、のタイミングということですわ」
「……成る程な」
多少鎌をかけてみたが、やはり賢人議会は正史編纂委員会内部での騒動について知っていたようだと、秋雅は内心舌を巻く。この辺り、流石の情報収集力であると褒めるべきだろう。
「しかし、そうだとしても何故賢人議会は私を欲する? 君達はそもそも、カンピオーネの危険性を世間に知らしめるのが存在理由であったはず」
「それはあくまで存在理由の一つでしかありませんわ。本来の目的は、神及び神殺しが絡む有事に率先して対応すること。それがさして表立って他に見せてこられなかったのは、ひとえに我らに『力』がなかったからです。神や神殺しに勝るには、やはり同種の力が必要です」
「その力を、私を主とすることで得ようということか?」
矛盾している、と秋雅は言う。
「私もまた、世に騒乱を引き起こす神殺しの一人であるというのに、それを取り込もうとうする。賢人議会の存在意義と些か矛盾があるのではないか?」
「そうでしょうか? 私には、いえ、我らには貴方が世に騒乱を招く王にはとても見えません。貴方はあまりにも、『例外』的過ぎます」
「例外、ね」
度々、『稲穂秋雅』を表現する時に使われる表現だ、と秋雅は嗤う。どうにも、世の魔術師達という者は、ことにつけ自分を他の王とは違う、と思いたいらしい。秋雅からすれば、それはあくまで『運が良かった』というだけであって、一皮剥けば同じであるというのに。
「不敬を承知で申し上げますが、稲穂様がどう思っていらっしゃるかというのは、正直な所我らにとってはどうでもいいことです。我らがそうだと信じており、事実稲穂様も、結果的にはそのような行動を取っている以上、そこに稲穂様の真意というのはあまりかかわってきません」
「そうしておいて、いざとなれば暴虐の限りを尽くす、とは思わないと?」
「その手の質問をしておいて、いざそれを実行する者はまずいませんから」
にっこりと、アリスは秋雅に対し微笑みかけると秋雅は顔をしかめ、軽く舌打ちをする。秋雅自身、とっくに分かっていたことではあるが、やはり真っ当な交渉ごとにおいては稲穂秋雅ではプリンセス・アリスには及ばないようだ。
「何にせよ、我らは、稲穂様は理不尽な暴力を振るうことなく、尚且つ、他のカンピオーネの方々に十分対応できる存在であると、そのように認識しています。故に、賢人議会は内部分裂の可能性すらある正史編纂委員会に対し、稲穂秋雅様を客賓として迎える用意があるというメッセージを送った――――と、いうのが表向きの理由です」
「……何だと?」
どういうことだ、と怪訝な表情を浮かべる秋雅に対し、アリスは軽く頭を下げる。
「申し訳ありません、少し嘘をつきました。裏の真意、というほどのものでもありませんが、表だけではない理由がもう一つあるのです」
「それは?」
何だ、と秋雅はアリスに対し問いかける。それに対し、アリスは苦笑しながら告げた。
「……離反対策、です」
「は?」
「ですから、稲穂様の下に賢人議会の構成員が勝手に向かってしまわぬように、先んじて稲穂様を取り込もうとしたのです」
何だそれは、と秋雅は呆気にとられる。そんな彼の動揺等知らぬように、アリスは苦笑を浮かべたままに続ける。
「稲穂様方がどう思っていらっしゃるかは分かりませんが、正史編纂委員会内の問題というものは、案外知られています。話は変わりますが稲穂様、その噂を聞いたものはどう考えると思いますか?」
「…………委員会の内部分裂、あるいは」
一拍の後、
「私が、自分の結社を作る、と考えるのではないか?」
「仰るとおりです」
故に、とアリスは言う。
「その、新たに稲穂様が作る結社に入りたい、と思う者は多い。賢人議会内、そしてそれ以外の結社にも多く」
「馬鹿な。そんな事があるはずもない」
「……前から思っていましたが、稲穂様は自身の求心力というものに対し、些か評価が低くありませんか? 稲穂様が思っていらっしゃるよりも御身の求心力は高く、そして強い。神に等しい力を振るいながら、しかしその対象は常に敵にのみ向いている。その上、民草には目を向け、気を配っていらっしゃる。稲穂様とお会いした者全てが貴方に心酔する――とまでは流石に申しませんが、しかしそれに近い事が起こりうるというのが、客観的な事実なのですよ」
「……どうかな」
「まあ、これも、極論すれば稲穂様の自覚その物はどうでもいい話です。重要なのは、貴方が結社を作れば、それに惹かれていく者は多いということ。ただでさえ賢人議会は戦闘要員が少ない組織です。その数少ない人材まで貴方に持っていかれる可能性があるのは困る、と議会の者達は考えたのです」
「私の求心力云々はさておくとして、それが事実であると仮定すると、成る程、君達は私を招きたいだろうな。上手く行けば、私目当てにより多くの人材が入ってくることになる。それこそ、各結社において実力者と認められている人間が、だ」
「ええ、その通りです」
強かだな、と秋雅が呟くと、恐れ入ります、とアリスは微笑みを浮かべる。それを見ると、本人の言葉の通りではなく、この一件に関し多少なりともこの女性が後押しをしたのではないか、という考えが秋雅の頭に浮かぶ。もっとも、だからどうしたという話なのだが。
「……まあ、いい。とりあえず、そちらの思惑は十分に聞かせてもらった。その上での結論だが――現状、私は日本を離れる気はない」
「理由をお尋ねしても?」
「生まれた土地に愛着を持つのは当然だろう? 草薙護堂との関係如何でもあるが、しかし現状、私は国を離れる気も、委員会を割る気も、ましてや自分の結社を作る気も無い。そう、疑心暗鬼を生じさせている者に伝えておくといい」
「分かりました……まあ、予想はしていましたが」
無念そうに、アリスはため息をつく。
「新結社云々はともかくとして、正直私個人としては、稲穂様が英国に居を移すことはないだろうと思っていました。何せ、この地には『彼』の結社がありますから」
言うまでもなくそれは、稲穂秋雅がカンピオーネの中でも唯一、敵対関係を露にしているアレクサンドル・ガスコインのことである。確かに、彼がいる限り秋雅がこの地に拠点を移すことはないだろう。それこそ、アレクサンドルを排除でもしない限り考えにくいことである。
「そう思っているのなら、最初からそう言っておけば良いものを」
「言っても疑念を拭いきれないのが人間というものです」
「まったくだな」
はあ、と二人揃ってため息をつく。
「……ところでアリス殿。話は変わるが、一つ頼みごとをしたい」
話も一段落ついた所で、そう秋雅はアリスに言った。あちらが正史編纂委員会のことも踏まえた、いわば公的な訪問理由であれば、こちらは秋雅の個人的な頼みごとだ。
「何でしょうか?」
「草薙護堂に関して、貴方たちが所持している情報の全てを知りたい。特に、彼が所持する権能についての詳しい情報が」
「それでしたら、これをどうぞ」
突如、アリスの手の中にUSBメモリが出現する。『召喚』の魔術辺りを用いて何処かから転送したのであろう。差し出されたそれに対し、秋雅は『我は留まらず』を発動させ、自分の手の中に移し、見やる。
「これは?」
「稲穂様を除いた、他の七人のカンピオーネ全員に関する資料が入っています。現在、賢人議会が知りうる全ての情報です」
「……感謝する」
指でUSBを回し、そのまま懐の中に放り込んだ後、秋雅は立ち上がる。
「もうお帰りでしょうか?」
「何かと立て込んでいてな。ああ、紅葉は連れて帰るが、構わないな?」
「ええ。彼女にはいつでもまた来ていいと言っていますから。彼女、中々に面白い逸材ですし」
「貴女のお眼鏡に叶ったか。後で聞く事が増えたようだな」
「きっと稲穂様も気に入ると思いますわ」
「期待しておこうか」
そう言って、部屋の外に出ようとする秋雅であったが、
「……ああ、そうだ」
ふと足を止め、振り返る。
「一つ、貴女に、貴女達に言っておきたい事がある」
「何でしょうか?」
「万一のことであると思うが――」
そこで言葉を切り、鋭い目つきをアリスに向け、
「――警告しておく。下らぬ思考飛躍から、まかり間違って私の家族に手を出す、などという愚考を取ろうなどとでも考えた時は――それが何であっても確実に潰す」
殺気を込め、秋雅はそう告げる。それをアリスは、表面上は平然と受け止めて頭を下げる。
「……肝に銘じておきますわ」
しばし、そのまま二人は体勢を崩さない。たっぷり一分ほどそれを続けた後、ようやく秋雅は発していた殺気を霧散させる。
「……またな、アリス殿。今度は身体の調子を聞きにでも来る」
「ええ、またお会いしましょう」
優雅に頭を下げるアリスに後ろ手を振りながら、秋雅は部屋を出る。
「……あ、終わりました?」
部屋を出た秋雅に声をかけたのは、メイド服姿になっている紅葉だった。彼女は秋雅の姿を確認すると同時、その姿を普段着に変える。
「そちらも、終わったようだな」
「ええ。まあ、元々挨拶周りは済ませておきましたし」
「そうか。では、行くぞ」
「はい」
玄関に向け歩き出す秋雅の後ろを、紅葉が追いかける。そのまま、そう言えば、と紅葉が秋雅に訪ねる。
「秋雅さん、今度はどこに行くんですか?」
「一旦インドを経由し、私のスタッフを回収した後、日本に帰国する。その後、君の死の理由を本格的に探るつもりだ。異論は?」
「ありません。どこまでもお供させてもらいます、なんて」
てへ、と笑う紅葉を視界端に収めつつ、秋雅は正面を向いて言う。
「では、ついて来い。君が私を必要としなくなるその時まで」
「はい。心より頼りにしています、秋雅さん」
そのような会話を交わしつつ、二人は歩く。茶化すように、しかし真剣に結ばれた、二人の主従関係。この二人の関係がいつまで続くのか。それはただ、神のみぞ知ることであった。