ドニから連絡があった翌日、秋雅はとある料亭を訪れていた。歴史ある、所謂一元様お断りの高級料亭で、とてもではないが一介の大学生程度が昼間から訪れるような場所ではない。しかし、それに尻込みすることも、ましてや虚勢を張ることもなく、自然体で秋雅は店の敷地に入っていく。その堂々たる足どりを、一人の従業員が止めようとする。
「申し訳ございません、当店は――」
「稲穂だ、三津橋から聞いていないか?」
「……失礼しました。どうぞ、こちらへ」
秋雅の返答に従業員は頭を下げ、秋雅を部屋にまで案内しようとする。それに秋雅も逆らうことなく、当然のようにその後についていく。
「こちらになります。どうぞ、中へ」
「ああ」
少しばかり歩いた後、通された部屋。入ると、中には二人の人物がいた。一人は、もう長い付き合いになる三津橋。そしてもう一人、特に見覚えのない女性が身を固くしながら座っている。
「待たせたようだな」
「いえいえ、お気になさらず。我々も今しがた到着したところですので」
「そうか。そちらは?」
席に座りつつ、秋雅は見知らぬ女性に目を向ける。秋雅ほどではないが、若い女性だ。精々二十代後半といった程度だろう。その彼女は、秋雅の視線に綺麗な礼を取り、口を開く。
「正史編纂委員会・福岡分室室長、五月雨恵と申します。本日はご尊顔を賜り光栄の至りかと存じます」
畏まったように名乗った彼女に、秋雅は一つ頷くことで返す。それを了解ととったのだろう。控えていた三津橋が、軽い咳払いの後に口を開く。
「本日、稲穂さんにお越しいただいた理由ですが、大雑把に言うと二つほどあります。まず一つがこの通り、五月雨室長の顔合わせという奴です。彼女は先日、前の室長から代替わりしました」
「……純粋な疑問だが、君では駄目だったのかね?」
ふと浮かんだ疑問を、秋雅は率直に口に出す。秋雅の見たところ、三津橋の実力はかなり高い。特にその戦闘能力は、カンピオーネとしての秋雅ももまた認めるほどだ。流石にカンピオーネレベルとはいかないが、それでも実のところ、先日秋雅が退治した例の狐のような神獣を相手にしても、一人である程度立ち向かえるほどには強いはずである。まあそれでも、死力を尽くすことで何とか深手を与えられる、という程度なので、どうしても秋雅に頼る必要があるのだが。
「ははは、評価してくれることは嬉しいんですが、まあそういうわけにもいかないもので。貴方と行動を共にすることが多い以上、立場があると邪魔ですから」
「成る程、納得した」
正史編纂委員会が秋雅に依頼をする頻度は、存外に多い。まつろわぬ神がらみの事件だけでなく、もう少し規模の小さい事件、例えば悪質な魔術師を取り押さえるなどに対しても依頼をしてくることがあるからだ。勿論それは、彼の実力とその被害の出さなさが理由である。他にも、何かの兆候などがあれば秋雅は割と積極的に動き調査するので、結構彼は日本各地――まあ、世界各地でもあるのだが――を飛び回っている事が多い。その関係上、秋雅の担当者のようなものになっている三津橋もまた、各地を飛び回る事が多くなってしまう。そんな状態で三津橋が責任のある立場になったりした場合、動きがとりにくくなってしまうのは目に見えていると、まあそういうことなのだろう。
「まあ、上に立つとそれだけ色々面倒事も増えますし、何だかんだ貴方に付き合っているほうが楽しいですからね」
「下手をすれば、ということもありえるがな」
「貴方が勝ち続ける限り、そんなことはないと信じていますよ」
「責任重大だな」
などと、二人は軽口を叩く。三津橋が笑顔なのに対し、秋雅はあまり表情を動かしていないというのが奇妙には見えるが、割とこれが二人の平常でもある。流石に戦闘前などもこうというわけではないが、そうでないときはこんな風であった。
しかし、である。
「三津橋さん! その物言いは稲穂様に対し無礼でしょう!」
五月雨がテーブルを思い切り叩く。先程からの三津橋の、秋雅に対する軽い口調が気に触ったようである。まあ、二人の仲を知らず、されどカンピオーネという存在を知るものからすれば、当然の反応と言っても良いかもしれない。諸々の緊張、というのもそれに拍車をかけているのだろう。見るからに生真面目そうな彼女に、気負いの一つ二つも加われば、実態はともあれ、三津橋の態度が不遜に過ぎるように見えてもおかしくない。
「まあまあ、五月雨室長。少し落ち着いてください」
「良いですか、三津橋さん! 我々が今御前を賜っているのは我らにとって王と仰ぐべきお方なのですよ!? それを先程から――」
「――五月雨室長」
冷ややかな声が、熱の入ってきた五月雨の言葉を遮る。その声の冷たさと、何よりそれを発したのが秋雅だということに、五月雨の動きがピタリと止まる。
「私は王だが、だからと言って皆に私を仰ぐ事を強制する気などない。勝手に、それぞれが思うように私に対峙してくれれば良いと思っている。口調など、別段気にするようなものではない……が、だ」
自身を見つめる五月雨の顔を真っ直ぐに見て、秋雅は言う。
「――うるさいのは、あまり好ましく思わない」
秋雅の幾分鋭い視線が、五月雨を貫く。恐怖からか、五月雨の喉がゴクリと動くのが見える。
「黙っていろ、とまでは言わないが、騒ぎ立てるのは勘弁願いたい。私は、喧騒よりも静寂を尊ぶのでな……いいかな?」
「…………か、畏まりました」
秋雅の、返事を欲する問いかけに、五月雨は搾り出すように了解の意を述べる。そのことに秋雅はゆっくりと頷いて、続いて三津橋のほうに視線を向ける。
「今度からは、情報伝達をきちんとしていておいてもらいたいな。私の主義は、君も熟知しているはずだ」
「すみません……まだ若い彼女のために、貴方を利用させてもらいました、と言ったら怒りますか?」
「私のほうが若い、とだけ言っておく」
「はは、それもそうですね」
実際、三津橋の言った内容は、別段秋雅の気に触るようなものではなかった。むしろ、そのぐらい素直でいるほうがいいと思っているぐらいだ。大体、その程度で怒るようであったら、今三津橋はこの世に居ないだろう。
そのことは三津橋自身もきちんと理解しているのだろう。始まりは単なる偶然であったが、そう理解できる程度には、付き合いの長さ、そして深さがそれなりにあるのである。
「まあ、とりあえず次の話に移りましょうか」
「……いや、先に食事を運んでもらおう。話の腰を折られるのも面倒だ」
そう言いつつ、秋雅はちらりと五月雨の方を見る。そのことに先程のことで意気消沈している五月雨は気付かなかったようだが、すぐさまに三津橋が頷き、口を開く。
「ああ、それもそうですね。じゃあすみませんが、室長、ちょっと頼めますか?」
「え?」
「お料理を持ってきてくれるように従業員の方に頼んでください。ああ、ついでに料理はいっぺんにとも言っておいてください。無粋ですが、一々持ってこられるのもあれですので」
「私が、ですか?」
「頼みます。少し時間がかかっても構いませんので」
「……分かりました。失礼します」
固い面持ちで頷き、五月雨は秋雅に礼を取りつつ部屋を出る。戸が完全に閉められたところで、三津橋は、ふう、と息を吐く。
「すみません、お気を使わせてしまったようで」
「かまわん。彼女にも、持ち直す時間は必要だろう。もっとも、私が言えた義理でもないが……この店も、準備をしたのは彼女だろう?」
「ええ、一応私は違う場所の方がいいと言ったのですが、彼女が強引にね」
実のところ、稲穂秋雅はあまりこういった場所を好まない。正確に言うと、こういった店で出されるような料理をつまらないと思っているのだ。まあ、料理に対してつまる、つまらない、という表現はおかしいのかもしれないが、しかし不味いとか、気に入らないとか、そういうわけでもない以上そう言うより他にない。要するに、気を使わなければいけないような料理を好んでいないのである。例えれば、フランス料理のフルコースよりも、大衆食堂の丼飯の方がいいという感じだ。彼の食欲も考えると、さもありなんというところだろう。
そのことは三津橋も良く知っている。それなりに長い付き合いだ、知っていないわけもない。もしこれが三津橋と秋雅の二人きりの会合であったなら――個室のある店ぐらいにはするだろうが――彼はもう少し軽い店を選んだだろう。
実は、と三津橋が言う。
「彼女、私の後輩のようなものでしてね。まあ、私が事実上貴方の専属のようなものになる直前だったので、実際に面倒を見たのは短い間なのですが、それでも彼女の世話をしていたのは事実です。その所為か、どうにも甘くなってしまう、というのは言い訳でしょうね」
「言い訳でも構わんよ。そもそも、彼女の判断は別に間違ったものでもない……私が、悪い王だというだけだ」
そう言って、何処か自嘲するように秋雅は片頬で笑う。それに対し三津橋は、しかし何を言うでもなく、ただ小さくため息をつく。振り回しているんだろうな、と彼のそんな反応にまた、秋雅は僅かに自嘲を漏らした。
「……さて、頃合いでしょう」
そう三津橋が話を切り出したのは、五月雨が戻り、料理も並び終わったという時だった。こういうタイミングも、いずれは覚えてもらうべきか。隣に座る五月雨に対し、そんなことを思いながら三津橋は続ける。
「もう一つの話についてお話しましょうか。まあ、今回の本題といったところですね」
「うむ、内容は?」
「それに関しては室長の方から。室長、お願いします」
「分かりました」
振ると、五月雨は軽く頷きを返してきた。部屋を出る前と比べると幾分か平常さを取り戻したらしく、良い意味で気負いが感じられない態度だった。
「今回、私どもが貴方をお呼びしましたのは他でもありません。八人目、草薙護堂氏についてです」
「八人目について、か。一応の資料は受け取っているが、そういうことではないのか?」
「はい。今日問題としたいのは、草薙護堂様自身のことではなく、かの王の誕生による各地への影響についてです」
「日本に二人の王はいらないと、まあそんなところか」
「……はい、その通りです。現在、各国政府、及び魔術結社より、正史編纂委員会に対して圧力がかかっています。勿論、内密に、です」
日本という一国に、その気になれば容易に世界のパワーバランスを崩せる存在が二人も存在する。しかも、日本における唯一の魔術結社である正史編纂委員会は、他国の魔術結社と異なり、政府に直結している。他国からすれば、もしかしたら、と思わざるを得ないのだろう。まつろわぬ神を退治するのがカンピオーネの唯一の使命であるが、だからこそ、それ以外にも力を振るうのではないか、と思う者もいるのだろう。秋雅の、戦いに報酬を望む、という行動もこれに拍車をかけているのだろう。報酬を望む、ということはつまり、報酬次第ではどんな依頼でも受ける、という解釈もあるからだ。それが真実かどうかは別にして。
それに、直接的に力を振るわないにしても、まつろわぬ神が現れた際に動いてくれなければ、それもまたその国にダメージを与えることになるのだから。
「私はこれまで、国家を問わず依頼を受けてきたつもりだったし、八人目が現れようとそれは変えないつもりだったのだが――成る程な」
そう言う秋雅の口調には、僅かに不快感が混ざっているように三津橋には感じられた。無理もない、と三津橋は思う。これまで六年間、少年と呼ばれる年齢であった頃から秋雅は命がけの戦いに身を投じ、そして民を守ってきた。だというのに、今ここになってのこれだ。まったく、組織というのはこれだからと、組織の人間である三津橋ですらため息をつきたくなる。
のめり込みすぎている、と言われれば反論できないという自覚は、三津橋にもある。あくまで秋雅との関係は仕事上の、ドライな関係を築くべきであったということは分かっている。だが、だけれども、だ。そうしなければ、今目の前にこの優しき王は居なかったと、そう思っているのである。
そんな三津橋の横で、さらに五月雨は説明を続ける。
「現状、委員会内でも幾つか意見が分かれています。完全無視、圧力に屈する、草薙様につく、稲穂様につく、と様々です。福岡分室、並びに九州、及び四国、中国地方の各分室は全会一致で稲穂様を仰ぐという意見を出しているのですが、他の分室はどうも……」
五月雨が言葉を濁す。ただ、直接的に秋雅が力を振るうのを見たもの達はともかく、それ以外のところが彼を軽んじるのも無理からぬ話かもしれない。先日の島根の一件のように、稲穂秋雅というカンピオーネを侮る者は、無謀なことに一定数はいるのだから。
「舐められている、ということか」
「あるいは、草薙様の方が取り込むに易いと思っているのかもしれません。どうやら、国内でも有数の媛巫女を、かの王に差し出しているとのことですから」
「首輪、か……ふん、変わらんな」
「……喉元過ぎれば熱さ忘れる。あの四年前の事件を、理解できていない者もいるのですよ。残念ながら、ね」
そう、三津橋は僅かに侮蔑の目を浮かべながら呟く。彼の脳裏にしかと刻まれている、四年前の事件。愚かにも、カンピオーネを利用せんとした者達の、くだらぬ策謀とその結末。その中心にして、日頃の優しさなど一切見せず、敵対者を完膚なきまでに叩きのめし、そして
「別に良いが、な。それをこの国が選ぶというのなら、私もまた動くだけだ……アニー辺りを頼ってアメリカに行くか、あるいは
そんな秋雅の呟きに、二人は答えない。五月雨は秋雅の意に口を挟むわけには行かないとただそう思ったからだが、三津橋に至っては、長い付き合いの彼ですら、今の秋雅の言葉が冗談なのかどうか、まるで判断できなかったからだ。
「……話は分かった。とりあえず、状況が悪化するようであったら報告するように。それまでは現状維持、としておこう」
「畏まりました」
少なくとも、今この王を失わずにすんだ。その事に安堵するように、三津橋と五月雨はそっと息を吐くのであった。
そうして、二人の魔王を得た日本の行く末の話は一先ず終わり、一同はようやく並べられた食事に手をつけ始める。正確には、最初に秋雅が箸を取り、その後二人にも勧めたという流れだ。こういうところが、秋雅がこういう場を嫌う理由の一つでもあるのだろう。
「……ああ、そうだ」
いくらか箸を進めたところで、ふと秋雅が口を開いた。彼の言葉に、視線こそ向けるものの三津橋は箸を動かしており、対して五月雨は生真面目にも箸を置き居住まいを正す。こういうところも、秋雅との距離を掴めているかいないかをはかる良い例なのだろう。
「昨日、サルバトーレ・ドニから電話があった」
「サルバトーレ卿からですか?」
「ああ」
「して、何と?」
「東京にヴォバン侯爵が向かっているらしい」
一応、教えておくだけ教えておこうということで、何の気なしに放たれた秋雅の言葉に、三津橋は思わず目を見開き、五月雨は勢い良く立ち上がる。
「あのヴォバン侯爵が東京に?!」
「落ち着け、五月雨室長」
「……あ、し、失礼しました」
「しかし、穏やかではない話ですね。これを聞くのもなんですが、信憑性は如何ほどでしょうか?」
「高いと見ていいだろう。あいつがそんな嘘をつく理由がない。ああ、訂正しておくが、昨日の夜の時点で向かっている、だから今はもういるかもしれないな」
「あまり嬉しくない訂正ですね。目的などは分かりますか?」
「そこまでは知らん。あの老人が欲するのは闘争そのもの。力を振るい、敵を狩る場だけだ。アテナが草薙護堂によって退散させられた今、このタイミングで東京を訪れる理由など、見当もつかん」
「その、草薙護堂との闘争という可能性は?」
「あのプライドの高い老人が、神殺しとなって一年と経っていない彼に自分から挑むとは考え難い。草薙護堂のほうから挑んだのなら話は別だが、だとしてもわざわざ彼が日本まで来るのも変だ」
「そうですか……」
秋雅の返答に、五月雨はしばし考え込む。そして、
「……東京分室に連絡を取ってみます。もし、あちらがこの情報を入手していなければ、念のため関東の各分室にも連絡をします。失礼します」
「私も、少し席を外しますね」
「ああ」
急いで、二人が部屋の外に出る。そのまま電話をかけ始めたのだろう。秋雅の耳には、三津橋の声は聞こえないものの、五月雨の声の方は僅かに聞こえてくる。距離の差、というよりは単に冷静さの違いといったところだろう。あとは、カンピオーネの聴力というのもあるか。
時折聞こえてくる彼女の言葉を特に意識せず食事を再開していた秋雅だったが、ふとある想像が彼の脳裏を過ぎる。
「…………まさか、とは思うが」
四年前、秋雅とドニが始めてヴォバン侯爵と遭遇したあの一件。その際に見かけたあの、特に強い力を持っていた媛巫女の少女。その姿を、何故か今、秋雅は思い出した。
「あの少女が、目的だったりするのか……?」
呟いてみても、それに答える声は、外にも内にもない。どうにも、これでは分からんかと、秋雅は息を吐き出す。
「八人目に任せるしかない、か」
元より、自分は部外者のようなもの。だとすれば、今東京にいる同胞に任せるのが道理だと、秋雅はやはりそう結論付けるのだった。