「ハッ――!」
気合の声と共に、硬い音が響く。堅い木――実戦用の木刀同士が打ち合わされることで鳴る、剣戟の音だ。それも一度ではなく、カンカンと何度も何度も、ついには十は超え、なおも増えている。
しかし、
「ほら、そこだ」
先程の気合の声とは異なる、平常の、気の抜けた声。その声と同時に、一際大きな快音が鳴った。直後、カランカランと何かが床に落ちる音が空しく響く。
「……参りました」
音が落ち着いたとき、道着を着た青年――秋雅が、無手のまま頭を下げた。その手に先程まであり、縦横無尽に振るわれていた木刀は、今は少し離れた床の上に転がっている。
「おう、お疲れさん」
そう秋雅に返したのは、一見したところでは、普通の中年といった風の男性であった。彼はトントンと木刀で肩を叩きつつ、覇気のあまり感じられてない顔で秋雅を見る。しかし、今まで秋雅の木刀を捌き、そして一撃でそれを奪ったという事実に相応しく、その目にだけはとても並のものとは思えないほどの力強さがある。
「今日のところはここまでにしようか。んじゃ秋雅、着替えたら飯、頼むぞ」
「はいはい、分かりましたよ。
先までの真摯な雰囲気をがらりと崩し、秋雅は肩をすくめながらそう応えた。
ここ、功刀道場に秋雅が通い始めたのは今から約六年前、彼がカンピオーネになって間もなくの頃だ。通い始めた理由は単純で、当時の秋雅が強くなりたいと思ったからだ。その際、とある理由から、彼は剣道を学ぶのが良いだろうと考え、それを教えてくれる場所を探していた。
普通であれば、まずは親に話を通すところだが、当時の秋雅にとって、それは地味に厄介な問題であった。それまでそんなものに興味を見せてこなかったことと、自身がカンピオーネとなった件も相まって、親に上手く剣道を学ぶ理由などを説明できなかったからだ。
思案の末、当時の秋雅はいっそ自分の金で道場に通うことにした。当時から既に彼は大金を所持していたので、防具等の購入から月謝に至るまで、金銭面では全くの問題はなかった。
だが、いくら金を持っていようとも、親の同意もなしに中学生に剣を教えてくれる道場は、残念ながら秋雅の周囲には存在していなかった。面倒だが、やはり両親に事情を話すべきだろうか。そんなことを秋雅が考えていた折、偶然にも彼が見つけたのが、この功刀道場であった。そこで秋雅は道場主であった功刀と出会い、細かいことを気にしない性格であった功刀のおかげで、剣を学ぶ事が出来るようになった。まあ、功刀道場が教えているのが剣道ではなく、より実践的な剣術だったのは、秋雅にとっては嬉しい誤算であった。それを教える功刀の腕が非常に良かったことも含めて、である。
それ以来、秋雅は家族にも秘密にして、不定期にこの道場へと通っている。高校生、大学生となっても変わることなく、だ。五月雨たちとの会談を済ませた、数日後の今日もまた、そういうわけでここに来ていた。
「……それにしても師匠、また生徒を追い出しましたね」
「追い出したとは人聞きの悪い。そいつの根性がなかっただけだ」
「貴方は少し加減というものを覚えるべきだと思いますよ、本当に」
この功刀という男は、確かに剣の腕は立つのだが、些か指導者としては向いていない節があった。その最たる点が、生徒達に課す事前準備の過酷さだ。剣の扱いを教える前に身体作りを行わせるというのが自然なことであるが、しかしその量がひどい。大の大人ですら根を上げてしまうような量を、小学生や中学生にも平然と課すのである。しかも、それをクリアしてもその次に待っているのは、防具なしでの剣の打ち合いだ。実戦――正確には実戦形式だが――に勝る修練はないというのが、功刀の考えであるらしい。
打つのは功刀であるので、下手に傷や痕を残すようなことはないものの、それでも痛いものは痛いに決まっている。試しにと入門した生徒が、一月と経たずに止めてしまうのも当然のことであった。
唯一、そんな彼について来られた秋雅にしたって、彼がカンピオーネだからということが大きい。そうでもなければ、当時中学生であった秋雅がここに通い続けるのは不可能であっただろう。実際、後に功刀は秋雅に対し、
『ガキにこなせるようなもんじゃなかったはずなんだけどなあ』
と語ったことがある。その際、思わず秋雅が彼に蹴りを叩き込んでしまったのも――もっとも、易々と避けられたのだが――まあ許される話だろう。
「秋雅」
「は――いっ!!」
眼前に迫る蹴りを、秋雅は咄嗟に頭を引いて躱す。突然のことだったが、混乱はしない。むしろそのまま、体を後ろに反らした反動で前方に向け拳を突き出す。かなりの速さで放たれた一撃だったはずだが、功刀には難なく避けられてしまう。
「終わりと言っていませんでしたか、師匠」
「言ってねえ、お前の気のせいだろ」
「師匠の脳みそが古いせいで、忘れてしまったようですね。俺の若い脳みそには師匠の言葉がしかと刻まれていますよ」
そんな軽口を叩きつつ、秋雅は油断なく構える。口で言うほど、この状況に秋雅は怒りを覚えているわけではない。むしろ、これこそがこの道場における日常であった。
実のところ、功刀道場が教えるのは剣術だけではない。何せ、功刀の教えというものが、
『剣を振るえ、剣がなければ長物を振るえ、長物がなければ適当なものを使え、何もなくても身体を使え――どんな手を使ってでも、勝利しろ』
という、ある種、カンピオーネが教わるには相応しい教えであったからである。だからこの道場では、その教えに違うことなく、剣以外の武器の使い方や、徒手空拳での戦い方まで一通り教え込まされることになる。もっとも、そこまでいけたのは、この六年では秋雅だけである――あくまで、秋雅が知る範囲の話だが――というのが現実であった。
まあ、そんな無茶苦茶な教えのため、功刀は時に、ためらくことなく不意打ちを放つことがある。それに対処するのもまた、この道場における修練であった。
「ハッ!」
鋭く声をあげ、秋雅が蹴りを放つ。それを功刀は易々と避け、秋雅の軸足に対してこちらも蹴りを放ってくる。舌打ちをしつつ、それを秋雅は片足で跳んで避ける。無理な体勢からの跳躍ゆえ、秋雅は空中でバランスを崩し、床に倒れこむ。
「相変わらずせこいなあ、お前は」
しかし、それを叱るでもなく、功刀は感心したように言った。何故なら、秋雅が倒れこんだのは、先程彼が手放した木刀の傍だったからだ。わざとこけてみせ、得物を取りにいったのである。
「師匠に言われたくありません、ね!」
木刀を掴みつつ、秋雅は立ち上がる。秋雅が木刀を正眼に構えれば、功刀もまた肩に預けていた木刀を構える。
「ふぅ……」
間合いと、飛び込む隙を秋雅は計る。形式上は試合だが、実態は何でもありの実戦とほぼ同じ。秋雅の闘争心の高まりと同時に、彼の身体もそのポテンシャルを引き上げていく。流石に権能こそ使う気はないが、しかしカンピオーネとしての身体能力を十全に使わなければ勝てない相手だと、秋雅は功刀に対してそう思っている。
故に、
「行きます!」
力強く踏み込み、そして剣を振るう。風切音と共に、木刀が鋭く功刀に迫る。
「自分でタイミングを教える馬鹿が何処にいるかよ!」
秋雅の言葉にそう返し、功刀もまた踏み込む。その踏み込みと剣の速度は、秋雅のそれよりも速い。このままであれば、秋雅の剣よりも早く、功刀のそれが秋雅に当たることになるだろう。
「どうかな!!」
しかし、秋雅もそう易い相手でもない。功刀の反応に、秋雅はあえて、振るっていた剣を手放す。それにより、予想されていた軌道を、予想よりも鈍い速度で剣が進むことになる。
「っ――!」
それにタイミングを崩された功刀は、予定よりも早くその剣を振るう。その結果生まれるのは、一瞬の空白。予想と現実の狭間に生まれた、ほんの僅かな隙。
「せえいっ!!」
その隙を、秋雅は迷いなく狙う。左の掌底を鋭く放ち、真っ直ぐと功刀の腹部へと向かう。続いて秋雅が感じたのは、確かな手ごたえ。秋雅の一撃が、功刀を捕らえたのである。
「――やれやれ。負けだ負け」
一瞬の静寂の後、功刀は木刀を再び肩に預けながら下がる。確かに秋雅の一撃が入ったというのに、その足どりや態度に一切の乱れはない。決定打を入れられなかったと、そう判断しつつ、秋雅はややかがめていた背を伸ばす
「よく言いますよ。結構いい一撃だったはずなのに、何でそう耐えられますかね」
「じゃあお前、今のと同じのを喰らったら、お前ならどうよ」
「……まあ、耐えられますね」
「なら、俺が耐えられねえ理由はねえな」
無茶苦茶だなと、秋雅は功刀の言葉に苦笑する。カンピオーネとして強化された肉体と、そうではない人間の肉体を同列で語るのだから、他の者が聞けば苦笑どころではすまないだろう。しかし、不思議と秋雅にはその言葉が納得できた。勿論、功刀が秋雅と同じカンピオーネというわけじゃない。ただ、彼なら納得できると理屈抜きに思っただけだ。
「まあ、今日のところはマジで終わりな。飯にすっぞ」
「一応聞いてあげますが、リクエストはありますか?」
「あ? あー…………あれだ、中華が食いてえ」
「中華ですか。麻婆豆腐とか?」
「俺、エビチリのほうがいいな。あとはそうだな、炒飯とか」
「それは流石に、材料がないでしょう。また俺に材料を買ってこさせる気ですか?」
「お前、金持ってんだからいいんじゃねえか。俺なんか貧乏道場主だぞ」
「さいで。まあ、いつものことと言えばいつものことですが……」
功刀の言葉に、秋雅は呆れたように半目で師匠を見る。しかし、それに対し功刀は何処吹く風と言わんばかりに口笛を吹いている。
実際のところ、功刀が本当に貧乏なのか秋雅はよく知らない。稽古料として秋雅は、何も聞かずに稽古をつけてくれた礼も兼ねて、相場の数倍どころか、十数倍程度の金額を支払っているが、それだけで道場の維持や普段の生活が出来るとも思えない。だが、他に何か副業をやっているのかと言われると微妙に引っかかるところもある。こんな男が果たして、真っ当な職業についていられるのか。かなり失礼だが、それが秋雅の素直な感想だった。
そもそも、この功刀という男は極めて謎が多い。特に、その実力が一番の謎だ。これまで六年間、秋雅は彼と幾度となく試合を重ねてきたが、その度に思う事がある。それは、差が変わらない、というものであった。追いつけないでも、引き離されるでもなく、変わらない、だ。どれだけ秋雅が実力を上げようとも、功刀も同じだけ力量が上がっているのだ。それは彼も成長しているということでは勿論なく、未だにその実力の全貌を露にしていないということである。現状、三回に一回程度の割合で秋雅は彼に勝っているが、それもあちらが本気を出していないからだ。もし本気を出せば、それこそ魔術や権能を使わない限り自分は勝てない。そう、秋雅は彼の実力を判断していた。
まあ、結局のところ、重要なのは自分を高められる場だと、秋雅はそう思っている。だから、その気になれば正史編纂委員会なりを使って師匠の素性を調べることも可能だろうに、まったくそのようなことをしない。まったく、その気が起きないのだ。
だから、まあ疑っても仕方がないと、秋雅は功刀の言葉を一応は信じ、時折自腹で昼食を作っているのであった。
「スパイスはどうするかな。どうせ買ってきたところでこの師匠が使うとは思えないし」
「塩胡椒だけで十分だろ」
「自分が俺に作れといった料理を思い出してくださいよ」
などと言いながら、今度は本当に二人とも着替えに動く。面倒ということで、秋雅も功刀も、同じ部屋を着替え部屋としているため、会話はそのまま継続だ。
「しっかし、秋雅。最近はあんまり来てねえが、大学生活って奴はそんなに忙しいのか?」
「でもないですけど、他でやることがありましてね。最近はそっちが立て込んでいたんですよ」
「ほーん、バイトかなんかか?」
「まあ、そんなもんです」
「お前がバイトねえ……」
金を持っているくせに、と功刀が秋雅に問うたりはしてこない。打ち込みして分かっているくだろうに、常人離れした秋雅の頑丈さについても功刀は聞いて来ない。何かある、と分かっているからこそだろう。そんな師匠に、秋雅も口にこそは出さないものの、何かと感謝していたりもする。
「……ああ、そうだ」
会話が若干そちら関係に跳んだせいか、ふと秋雅の脳裏に考えが浮かんだ。
「師匠、師匠って結構強いですよね」
「うん? まあ、強いわな」
「剣術だけに限定したとして、自分はどれ位強いと思っています?」
「……いや、知らねえが。それがどうしたんだ?」
「俺の知り合いに、最強と評されている剣士がいるんですよ。西洋剣ですがね」
言うまでもなく、それはあの、サルバトーレ・ドニのことである。
「最強ねえ……で、そいつがどうしたんだ?」
「前々から、俺と決闘したいなんて言っていましてね、そいつは。俺は嫌だと言っているんですが、下手をすればこの国に来かねない奴でして」
「ああ、外人さんなのか……何が言いたいのか、分かった気がするわ」
「もしこっちに来たら、師匠にその馬鹿をぶつけますんで、よろしく」
そう、秋雅はなかなかに良い笑顔で言ってのける。ふとした思いつきだったが、割と本気だった。
「……ああ、うん。機会があればな……」
秋雅の笑顔に何を思ったのか、珍しく肩を落とす功刀に、秋雅はさらに笑みを深めて見せるのであった。
それは、食事を済ませた後の、道場からの帰り道のことであった。
「……これは」
機嫌よく道を歩く中、突如として、弾かれたように秋雅は空を見る。梅雨の時期らしい曇り空を見る秋雅の目は、極めて鋭い。
梅雨空の向こう、その先の先から、強力な呪力が感じられる。何か、とぼかすまでもない。『あれ』が降り立ったのだという、その確信が秋雅の中に生まれていた。
秋雅が天をにらむ中、懐の携帯が鳴る。それに対し、秋雅は画面を見ることもなく、王としての状態で電話に出る。
「私だ」
『――三津橋です!』
電話越しに、三津橋の声が叩きつけられる。いつもの飄々としたものとは異なり、その声には焦りの色が強く感じられる。
『秋雅さん、非常事態が発生しました。たった今、この地に『まつろわぬ神』が顕現しました』
ああ、と秋雅が頷く。ビシビシと、決して隠す気のない神の気配が、秋雅を挑発するように、空の向こうから発せられている。
『秋雅さん、正史編纂委員会より正式に依頼をします。報酬はいつも通り、内容は神の討伐――引き受けてくださいますか?』
「無論だ、それが私の役目なのだから。で、その場所は?」
『福岡県太宰府市――太宰府天満宮です』
「大宰府……分かった、急行する」
『お願いします。私も、今すぐ現地に向かいますので』
「ああ、ではな」
電話を切り、秋雅は空を睨みながら呟く。
「大宰府か。誰が相手か、まあ分かるのは助かるが……」
そんな言葉をこぼした、次の瞬間。まるで最初から何もいなかったかのように、秋雅の姿は完全に、その場から消え去るのであった。