秋雅がアリスと契約を交わした、その翌日。彼の姿は未だ、アリスの邸宅内にあった。それは秋雅にまだ英国で済ませるべき用事があり、その間の仮の住まいとしてここを選んだからだ。無論、無理矢理に逗留しているわけではない。今後の予定をアリスに答えたところ、彼女の方からどうかと提案されたため、それを受け入れたというだけのことである。
「……ああ、そうだ……うむ、そのつもりだ」
朝食も済ませて少し経った頃、秋雅はあてがわれた客室で電話をかけていた。相手はこの国、つまりは英国に在住しているとある魔術師。秋雅にとっての現地協力者、あるいは部下とでも言うべき相手であった。
「そうだな。では、また後で伺わせてもらう」
その言葉を最後に、秋雅は数分ほど交わしていた通話を終える。
「さて、次は………」
水分補給に紅茶を嗜みつつ、秋雅は空いた手で手帳を手繰る。その中に書かれた幾つもの名を、秋雅は目でなぞっていく。数秒後、彼の中で何かが定まったのか。再び電話をかけようとする秋雅であったが、突如響いたノック音がそれを妨げた。
「ん? 入れ」
「失礼します」
一礼と共に入って来たのは、この邸宅で働くメイドの一人であった。歳若く、経験もまだ途上であろうが、流石に立ち姿は整っている。
「何だ?」
「稲穂様に、お客様がいらしております」
「客? それはアリス殿が招待したということか?」
「いえ、どうやら在野の方のようです。可能であれば稲穂様、そしてお嬢様にお目通り願いたいと」
メイドの返答に、秋雅の片眉が確かに上がる。秋雅がここに滞在している事は特段喧伝されているわけでもない。だからアリスの元を訪れた結果、ついでに秋雅と会うならまあ分かる。だが、メイドの口ぶりから察するに、どうやらその客とやらは秋雅を主として訪れたらしい。それはつまり、その客はそれ相応の情報収集力を持ち、尚且つ秋雅とアリスに対し突然の訪問を選ぶ胆力があるということだ。そんなことが出来る相手がいないわけではないが、今ここを訪れたとなると、秋雅の脳裏に思い浮かぶ名前は無い。
いや、それならば訊けばいい。唐突と考える前に、まだ名すら確かめていなかったのだと、秋雅は肝心な事をメイドに尋ねる。
「それで、その客とやらの名は?」
「確か……
「――何だと?」
「ヒッ……!?」
不審の目と声が恐喝のそれに見えたのか、若いメイドは短い悲鳴と共に後ずさった。よほど、その瞬間の秋雅は末恐ろしく思われたようだ。
「ああ、すまない。怯えさせてしまったようだな。君に思う所は無いので、安心してくれると助かる」
ああいけないと、秋雅は反省が生じた頭を振りながら、彼女を宥めるように軽く手を振る。その一応は真摯である対応が利いたのだろうか。メイドはまだ動揺している風ではあったが、一先ず彼女の態度から恐れの色は引っ込んだ。
「しかし、その名を出されては顔を見に行かざるを得ないようだ。私は先に応接室で待っているので、すまないが客人を案内してきてほしい。アリス殿にも話を通した上、可能であれば同席を頼みたいと伝言を頼む」
「……畏まりました」
入って来たときと同様に一礼し、メイドは足早に部屋を出ていく。彼女の姿を見送った後、秋雅は取り出したままであった手帳と携帯電話を仕舞い直しつつ立ち上がる。
「さて……」
一体、どういう魂胆なのか。少ない材料を元に思案しつつ、秋雅は応接室へと歩みを向けた。
「――お久しぶりで御座います、稲穂秋雅様。再びご尊顔を賜れたこと、恐悦至極の極みであります。そしてプリンセス・アリス、此度は急な訪問という非礼を行い、申し訳ありません。お二方とも、どうか平にご容赦を願う次第にございます」
開口一番、応接室に入って来たクラネタリアル・バスカーラは秋雅とアリスへの過剰な挨拶を放った。深い一礼どころか、平伏すらしそうな勢いの彼に、むしろ秋雅は鼻白み、つまらなそうな視線を向ける。一方でアリスはというと、その程度の美辞麗句は聞き慣れている、あるいは聞き流せているのか。常と変わる事の無い、柔らかい微笑を浮かべながら口を開く。
「稲穂様からお話は聞いています。『永劫の安寧』のクラネタリアル・バスカーラ、と申す者ですね? まず尋ねたいのですが、何故当家を訪れたのですか?」
「どうやって、も付け加えてもらおうか。まさかアリス殿を訪れたら偶々私が居たのだ、等とは言わぬだろうな?」
「勿論でございます、プリンセス、そして
「……ふん」
アリスの呼び名に合わせた、ということなのだろうか。あえて秋雅と『陛下』と呼んでみせたクラネタリアルに、秋雅はこれ見よがしに鼻を鳴らす。しかし彼はそんな秋雅の反応に対し、むしろ敬愛とも見える笑みと浮かべ、変わらずに仰々たる口調のままに語りだす。
「平時において、陛下は効率的、あるいは合理的な移動方法を好まれております。公共交通機関の使用というのは時に御身を森のうちに隠されますが、たった一枚の特別な葉の存在を知っていれば、その姿を探ることはそう難しくありません」
「偶然にも私の渡英を知り、それをつけたと」
「いかにも」
「では、そうまでして稲穂様に謁見を申し出たのは何故です? しかも、あえて私の邸宅を訪ねるという方法で」
「二つ、御座います。まずは、お二方がお調べになっているであろう『名無しの結社』について、幾ばくかの情報を提供したいと」
「名無しの結社について、か。確かに気になるところだが、具体的には?」
「その前に、陛下が既にご存知である範囲をお聞かせ願えないでしょうか。それによって話すべきことも変わります故」
「道理だな。手間は省くべきだ」
承諾の表明として、秋雅は『召喚』を用いて調査結果を纏めたレポートを呼び出す。秋雅がそれをテーブルに滑らせると、クラネタリアルは恭しく受け取り、パラパラと流し見る。
「……把握致しました。あの実体の分からぬ結社相手に対しここまで調査出来ているとは、やはり陛下の部下も優秀であるようですね。しかし、一つの肝心な情報が足りておりません」
「肝心な情報?」
当然興味があったのだろう。思わずという風に聞き返したアリスに対し、クラネタリアルはゆっくりと頷く。
「はい。彼らからしてみれば協力者であり、我らからしてみればかの組織の実質的な統率である者についてです」
「名は?」
「ミスティ、と名乗っているようです」
「名からすると、女か。私には覚えがないが……アリス殿は?」
「……いえ、私にも思い至るものはありません」
「では、無名の魔術師か」
「とも、言えぬ可能性があります」
「……つまり?」
「この女、どうにも
神祖。その言葉に、秋雅とアリスの表情が引き締まる。かつての大地母神が転生し、人の肉体と神に近かしい呪力を得た存在。時にはカンピオーネをして苦戦を強いられる、強力な力を持った異能者。それが神祖という者達だ。
「神祖か。我が盟友、ジョン・プルートー・スミスが相対する《蝿の王》の首領も神祖と聞く。彼をして梃子摺らされる存在が、名無しの結社に関わっているとは、な」
「……ですが、これで得心も行きます。かの魔術師が使っていた魔術の出所も、そのミスティという方なのでしょう」
アリスの囁きに、秋雅は小さく頷くことで返す。確かに、あの妙に高度な魔術の存在も、裏に神祖がかかわっているとなれば納得出来ることだ。その点に関しては疑問が消えたと言えるが、同時に新たな疑問も浮かぶ。
「しかし、そのミスティとやらは何故名無しの結社を作ったのか。裏で愚か者達を束ね、一体どのような得を見出しているのやら」
「確かに、その点に関しては我らも未だに把握しておりません。しかし、少なくとも民草の為を思ってのことではありますまい。むしろ――」
「最終的には害するだろう、か」
自身の言葉を引きついた秋雅に、クラネタリアルは大きく頷く。不明な事が多すぎる、と思いつつ、秋雅はクラネタリアルに視線を向ける。
「クラネタリアル、この件についてさらに調査することは可能かね?」
「ご命令とあらば、微力を尽くしましょう。我らとしても、かの結社の動きは気になります故」
「任せよう。それで、もう一つの方は?」
「もう一つ、あるいはこれこそが主目的やもしれませんが……
「なっ……!? い、稲穂様! それは本当なのですか!?」
そのクラネタリアルの発言は、アリスにとってよほど驚愕に値する言葉だったのだろう。目を大きく見開きながら、彼女は傍らに座る秋雅に問いかけた。それに対し、秋雅は一つ大きな息を吐き出し、やれやれと言いたげに頭を振る。
「まったく、機を測っていたというのに…………その通りだ、アリス殿。今回私は、その話をするためにここに来た」
確かに、魔剣のことも目的ではあった。しかし同時に、自分の結社を結成する下準備を行うこともまた、今回の訪問における秋雅の目的の一つだ。この会談の前にかけていた電話も、この地にいる秋雅の関係者と会い、その話をするためのものだった。
「貴女に黙っているつもりはなかったが、あまり心労をかけさせても悪いと思ったのでね」
別に秋雅としても、アリスに対し隠し通そうと思っていたわけではない。本来であれば、魔剣の話のついでにでも話そうか、と考えていたのである。だが、その際のアリスの驚きようが秋雅の予想以上のものであったので、一度に負担をかけすぎるのも悪いだろうと思い、一旦胸にしまっていたのである。結局、それもクラネタリアルの所為で無駄になったが。
「それは……ご配慮に感謝しなければなりませんね」
はあ、とため息をついた後、アリスは静かに腰を降ろす。醜態をさらした、とでも思っているのか、その頬は僅かに赤い。器用なものだ、と霊体である彼女に対し思いつつ、秋雅は視線をクラネタリアルの方に戻す。
「しかし、貴様もまた余計な事を言ってくれたものだ。以前に結社を作る気は無いと語った手前もあるし、今日明日にでも適当なタイミングで話そうと思っていたのだが……」
まったく、と秋雅はクラネタリアルに対し、無言のままに非難の視線を向ける。
「これは失礼致しました。てっきり、もうお話になっているものと考えておりましたので」
しかし、秋雅の視線を避けもせず、クラネタリアルは軽く一礼をする。それは悪びれていないからというよりは、どのような処罰も甘んじて受け入れる、という意思の表明のようにも見受けられる。もし秋雅が、責任を取れとでも言えば、彼はどのような罰でも受け入れるだろう。不思議と、秋雅はそのような確信があった。
だが何にせよ、この程度で処罰するほど、秋雅は心の狭い男ではない。またもや大きく息を吐き出した後、クラネタリアルを睨みながら言う。
「……まあいい。どちらにせよ、いつかは話すことだった」
「寛大な処置、感謝いたします」
「とはいえ、気になることもある。貴様、この事を何処で嗅ぎつけた? この件はまだ、さしたる人数には話していないことなのだが」
さしたるどころか、実際はこの時点で話したのはウル一人なのだが、あえてそういう問いただし方を秋雅は選んだ。下手な嘘をつけばそれなりの対応でもしようかという意図の下の問いであったのだが、クラネタリアルは何でもないことのように言う。
「いえ、確定情報はありませんでした。しかし陛下が今までになさった連絡などから、無礼ではありましたが鎌をかけさせていただきました。それほど機密性の高い案件とも考え難かった為、陛下が肯定なさる可能性、そしてそれを理由に罰する可能性は低いと判断した結果に御座います」
「ほう、私を引っ掛けたと。大した胆力だな」
「恐れ入ります」
本当に大した奴だなと、こればかりは本心から秋雅は思う。確かに彼の言う通りではあるが、それはあくまで結果論での話。勝算ありとはいえ、仮にもカンピオーネ相手にこういう物言いが出来るというのは、それこそ感嘆にすら値する度胸と言えるだろう。
「……ふむ」
この男を引き入れたい。そんな考えが、ふと秋雅の中に生まれた。これまでのクラネタリアルに対するスタンスとはややずれたものであったが、これは秋雅の知られざる――ともすれば本人すら無自覚な――とある悪癖に起因している。つまり、有能な相手であれば、立場に関係なく重宝する、ともすれば部下にしたくなる、というものであった。
無論、人格的に信用が置けるという前提はあるものの、それがクリアされている相手であれば割と誰にしてもそう思ってしまう。以前に護堂達と敵対した時、エリカたちとは致命的な敵対関係にまで持っていこうとしなかったのも、かすかとはいえ優秀な彼女らを手元に置ける可能性を所持しておきたかったからに他ならない。
そんな秋雅の悪癖が、今ここになって存在感を主張し始めてきた。これまでの働きから、クラネタリアル・バスカーラという人物を引き込みたいという欲求が、今ここになって秋雅の中に生まれたのである。情報収集力、判断力、胆力、そして忠誠心。今一度見てみると、中々に有能な人物である。流石に立ち位置の都合からそう大きなものではないが、この男を手元に置いてみたいという欲が、秋雅の中で主張を始めていたのである。
「椿を連れて来れば良かったな……」
傍らのアリスにすら聞こえぬほどの声量で、秋雅は小さく後悔の言葉を転がす。椿の持つ人の本質を見抜く能力があれば、この辺りの判断の手助けになっただろう。だが生憎と、彼女はここに居ない。無いものねだりをしてもしょうがないか、と秋雅は改めて口を開く。
「クラネタリアル。私が結社を作る事を確信した上で、
「将来的には。しかし、今はまだその時では無いと考えております。いずれ、陛下が結社を設立させたその時に、我ら《永劫の安寧》を吸収、あるいは同盟関係となっていただける確約を、今は望みます」
床に膝をつき、クラネタリアルは臣下の礼をとる。その大仰な態度は今までであれば鼻についただろうが、今の秋雅にはそれを受け入れる気分が出来上がりつつあった。やはり悪癖だなと、自分の変わり身の早さに内心で苦笑しつつ、しかし表情は変えぬままに秋雅は頷く。
「良いだろう。その時が来れば君たち全員との謁見、そして望むのであれば臣従を受け入れると宣言しよう」
「おお、感謝いたします……!」
歓喜の喜びと言ったところなのだろうか。俯いたままクラネタリアルはその身体を震わせる。一分ほどそのままの体勢であったクラネタリアルだったが、突如として立ち上がり、よりいっそう大仰な仕草で礼の姿勢をとる。
「此度は失礼致しました。陛下より下賜された言葉を、一刻も早く同胞らに伝えねば成りません。陛下、そしてプリンセス。これにて失礼させていただきます」
その言葉を最後に、クラネタリアルは部屋を出て行く。その背に、さてこれからどう付き合っていくべきかと考える秋雅であったが、そんな彼に妙に穏やかな声がかけられた。
「ところで、稲穂様?」
「……何だろうか」
若干の間を空けて、秋雅はアリスの方を見る。彼女が浮かべている非常に美しく、しかし何処か威圧感のある笑みに、秋雅の背を何か冷たいものが走る。
「今しがた、彼らを受け入れると宣言なさりましたが…………我ら《賢人議会》とも、前向きに考えていただけますよね?」
にっこりと、貴婦人らしき笑みと共に放たれた言葉。そこには異様なまでの迫力と、そして強制力が感じられる。アリスらしからぬその様に、少々追い込み過ぎただろうかと思いつつ、
「うむ、考えておこう」
まるで何でもないように、秋雅は悠然と頷くのであった。
それは、アメリカのとある町でのことであった。
「……んー?」
一人の女が、突如として背後を見た。長く赤い髪を翻し、同じく赤い瞳で空を見上げながら、女は呟く。
「誰か、噂をしている気がするねえ。くっくく、私も有名になってきたってことかねえ」
その美貌を不自然に歪め、独特な調子で笑う彼女に、しかし傍を通り過ぎる人々たちは一切の反応を示さない。まるでそこには何も無いかのように、彼らは不自然なまでに彼女を避けている。それが魔術によるものだと、気付けるものはここにはいない。
「まあ、どうでもいいさ。人もいい感じに集まってきたんだ。あと数ヶ月、どうにか出来ればそれでいいってね」
くっくくと、また独特な調子で笑い、女は正面に向き直る。
「さてさて、アーシェラちゃんの近況も分かったし、そろそろグィネヴィアちゃんにでも会いに行きましょうかね。聖杯の呪力、いくらか
だって、と女はその笑みをさらに深めた。
「――このミスティさんこそが、正しい道を歩んでいるんだからね」