雷を突き抜け、光を背に迫る鉄箭。それに対しまず動いたのは、相対する秋雅ではなく、その背後にいたウルであった。
「――シュウ、私に!」
何時になく緊迫した声と共に、ウルが秋雅に向かって駆け出す。発したのは僅かな声であったが、秋雅には彼女の意図が瞬時に理解できた。
「しくじるなよ!」
その場から飛び退りながら、秋雅は『召喚』の魔術を使い、素体状態のトリックスターを呼び出す。常と違い、秋雅の手の中ではなく空中に現れたそれは、秋雅の意思のままに、長剣へと姿を変える。
「研ぎ澄ませ、雷!」
宙で回転するトリックスターの刀身を、後退の動きと共になぞる。すると、秋雅の指の動きに沿うように、トリックスターの刀身に雷が纏わり着いていく。権能による刃の強化だ。一秒と満たぬ間の後、秋雅は刃先にまでたどり着いた指をついに離す。そして、秋雅と入れ替わるようにして、ウルが前に出た。
「――使え!」
「ええ!」
宙にあり、雷を纏いながら回転する長剣を、ウルはすれ違いざまに掴み取った。もはや目の前にまで迫った、高速の鉄箭。秋雅と射抜かんと走るそれに、ウルは紫電奔る長剣を逆袈裟に振り上げる。
「シッ――!」
キ――と甲高い高音。次の瞬間、二つの激突音と共に、クルーザーの壁に二つの物体が突き刺さっていた。まるで鏡合わせのように突き刺さっているのは、鉄で出来た半身の箭の残骸。優れた武器と権能の補助、そして何よりも、ウルの妙技によって得られた結果であった。
「シュウ!」
「分かっている!」
ウルの声に応えながら、秋雅は彼女の肩口から手を伸ばす。その手には拳銃――神鳴りがあり、その銃口からは僅かに閃光が漏れている。
「調整!」
「――ここ!」
ウルに肩で僅かに押された銃身を、秋雅はピタリとその場に固定させる。位置を定めた銃口の先にあるのは、数キロの先にある人影の胸。生物としてみれば、心臓があるだろう場所だ。
「雷よ、今この時は槍となれ――!」
その言葉と共に、秋雅がトリガーを引く。次の瞬間、閃光と轟音を纏い、銃口より雷が放たれた。弾丸のように回転し、まるで槍のように鋭さを増しながら、雷は神速で宙を走る。
あるいはこの時、人影は――追撃か、あるいは迎撃として――二の矢を放とうとしていたのかもしれない。しかし、結局それは定まる事がなかった。人影が何かをするよりも早く、秋雅の雷槍が見事、その胸を射抜いたからだ。
「やったか……?」
秋雅が眼を凝らす中、すう、と人影の姿が消える。いっそいぶかしむほどにあっさりとしていたが、そのまま数秒ほど警戒を続けてもさして何が起こる素振りもない。
「……やった、みたいね」
「らしいな…………と、あちらもか」
横合いで行われていた、大蛇と弁慶の戦い。こちらもまた、いつの間にか決着がついていたようであった。静けさを取り戻しつつある水面にあったのはただ弁慶一体のみであり、あの大蛇の姿は何処にも見受けられない。弁慶との戦いの末、海中に没したか消滅したしたのだろう。ただ流石に無抵抗のまま、というわけではなかったらしく、弁慶の左腕も肘の先ほどから消滅してしまっていた。
「……腕一本と引き換えとはいえ、私の援護がなくても倒しきったか。どうやら、かの女神はまだ小手調べをしているらしい」
舐められたものだ、と秋雅は僅かに吐き捨てるように言う。二面攻撃ではあったものの、いまいち連携が取れていたようでもない。出現時にこそ術を使っていたようだが、その後は以前に見せたような強化をするでもなく、静観を決め込んでいる。どうも、あの火の女神とやらは未だに秋雅と腰を据えて戦う気がないらしい。
「となれば、やはり乗り込むしかないんだろうが……」
ちらり、と秋雅は背後を見る。鉄箭の半身が突き刺さる壁の奥に見えるのは、戦々恐々とこちらを見る現地の魔術師達の姿。先の五月雨との会話を踏まえれば、どうやってもこれ以上の直接的な協力は望めないだろう。
「……仕方がない。弁慶!」
秋雅の命を受け、弁慶がその巨体を屈める。差し出された右の掌に秋雅がふわりと飛び乗ると、ウルもまた同じようにして続く。それをチラリと横目で見つつ、もう一人呼ばなければ、秋雅は振り返りながら口を開く。
「アリス殿――」
振り向き、誘おうとしたその時、呼び人の姿は宙にあった。誤魔化しのためか、浮遊可能な霊体の特性を生かすでもなく、律儀に飛行術を使って彼女はふわりと秋雅の隣に着地する。
「及ばずながら、お供させていただきます」
そう言って、アリスはにこりと微笑む。彼女の素早い行動に軽く片眉を上げた秋雅であったが、すぐさまに視線をもう一人の同行者である五月雨へと向ける。
「五月雨室長、君は他の者達を率いて一旦街へと戻ってもらう。こちらから連絡を入れるまでは迂闊に近寄らないように徹底をしておいてくれ。それと、島に何が起ころうとも、民に混乱が撒き散らされないように事前の手配も頼んでおく」
「……はっ、畏まりました」
一拍の沈黙の後、五月雨は秋雅に頭を垂れた。彼女が見せた、僅かな間。それが、何故自分は同行出来ないのか、という思いから来たものであるということはすぐに察せられた。
だが、そんな彼女の態度は秋雅にとってむしろ歓迎すべきものであった。それは彼女が醸し出した残念という思いが、同行できるウル達への妬みではなく、その力量の無い自分への悔しさから来たものであると感じられたからだ。前者では彼女が伸びることは絶対にないが、後者であればそれは成長へのバネとなりえる。まだ未確定であるが、誰にとっても悪いことにはならないだろうと、そういう分析が秋雅の中にはあった。
「……五月雨室長、異国での手配である以上は君の負担も大きいことになるだろう。必要と感じれば何時でも私の名代であると主張しても構わない。私には出来ぬことを出来る君の、その活躍に期待している」
念のためと付け加えた言葉に、五月雨が今度は無言のまま礼をする。秋雅の意図が伝わったということか、その表情には先ほど失いかけていたやる気の色が見受けられる。これならば問題も無いだろう。その事を確認した秋雅は、今度こそ視線を島へと戻し、配下の巨人に命じる。
「行け、弁慶」
秋雅の命の下、弁慶がゆっくりと歩みを進める。移動に合わせ、上へ下へと揺れる掌で、秋雅がじっと島を見つめていると、ふとアリスが口を開く。
「少し、意外でした」
「何がだろうか」
「ウルさんの腕です。まさか、あれほどの使い手であったとは、思ってもいませんでした」
「ああ……」
だろうな、と秋雅はアリスの言葉に納得する。普段の言動や纏う雰囲気から、彼女から戦いの気配を察するのはそう容易いことでもない。案外と好戦的なところを見せる妹達と違い、ウルがそういう素振りを見せるというのは滅多に無いというのは事実だ。
しかし、実際は見ての通り、その道の達人と遜色ないだけの実力を彼女は有している。それこそ、それなりに
だが、
「そう単純でもないんだよ……」
小さく、秋雅は口の中で言葉を転がす。確かに、ウルは実力者だろう。大騎士、あるいはそれ以上の相手であろうとも、彼女の技の冴えを超える者はそういまい。ただ、そんな彼彼女らと比べて、ウルが決定的に劣る点もまた存在していた。
例えば、の話である。仮に人の能力というものを、生まれ持っての才能と、生まれた後の努力の複合であるとしよう。才能が努力によって引き伸ばされるのか、あるいは努力が才能によって後押しされるのか。どちらにせよ、その人物の能力の合計が才能と努力の合算であるとするならば、おそらく努力というのはその人の能力値の内、才能の部分を除いた空白部分を埋める作業になるのだろう。そしてその空白というのは、たとえ一つの要素に限ろうとも、一生をかけたところでそう易々と埋めきれるものではないのが現実だ。
では、ウル・ノルニルという美女はどうであるのか。答えは、『埋まりきっている』だ。しかも、努力の文字は一文字も無く、ただ『才能』の二文字のみで。
それがどうした、と思う者もいるだろう。事実、秋雅ですら、当初は感嘆の感情の方が大きかった。その才能が凡百のものではなく、紛れもなく天才のそれであったのだから尚更だ。しかし、今はそうではない。今秋雅が感じている、ウルの能力に対する感想は――
「――まったく、不憫な」
「はい? 何か仰いましたか?」
「いや……」
何でもない、と告げ、秋雅は口を噤む。意味深で、何処か歯切れの悪い彼の態度に、アリスはいぶかしむような視線を向ける。しかし、弁えているということなのか、それ以上を口に出すことは無い。
その代わり、ウルが動いた。そっと秋雅の腕を取り、そこに身体を委ねるように抱きつく。ただし、それ以上は何もしてこない。ただひたすらに無言で、秋雅と視線の行く先を合わせる。
「……着いたか」
その状態のまま、しばし。ついに弁慶が件の島にたどり着いた時、秋雅はようやく口を開いた。正面の砂浜、先ほど人影が弓を放っていたらしい場所。そこで秋雅はウルと共に弁慶の掌から飛び降りる。それにアリスが続き、幽体らしくふわりと着地したのと確認したところで、秋雅は背後にそびえる弁慶に告げる。
「大儀だった。今は休み、身体を癒せ」
その言葉を受け、弁慶の巨躯が水面へと沈んでいく。その姿の全てが海中に没したのを見届け、秋雅は改めて島を見やる。
「さて、上陸してみたが……」
左右に視線を向けながら、秋雅は呟く。海辺からすぐには、視界一杯に広がるマングローブ林。その更に奥には、標高として七百メートルはあろうかという山が存在感を発している。ただまあ、秋雅が今必要としているのは、そのような情報ではない。件のまつろわぬ神、火の女神と名乗ったかの存在の所在であった。
「一先ず、言葉をかけてくる素振りもないか。どうやらかの神は、玄関口で談笑するタイプではないらしい」
などと嘯きながら、秋雅はアリスに視線を向ける。その精神感応力で島内を探ってもらえないだろうか、という意味を込めた視線。無言のそれを、アリスは上手く察してくれたらしい。秋雅に対して頷いてから、集中するように目を閉じる。しばしの後、目を開けた彼女であったが、その表情は芳しいものではなかった。
「……申し訳ありません。目に見える範囲はともかくとして、ある程度森に入ってしまうと、急に
「仕方ない、か」
「ただ、あの山から強烈な神気を感じます。火の女神はあの場所におられるか、あるいはあの辺りを根城にしているのではないでしょうか」
と、目の前にそびえる山を指差しながらアリスは言う。彼女の言葉に、秋雅もまた視線を山の頭頂部辺りに向ける。
「なるほど。では、一先ず真っ直ぐに進めばいいか」
頷き、秋雅は言葉通り真っ直ぐに歩き出した。その後ろを、アリスとウルが大人しく着いていく。砂浜を歩き、マングローブ林を抜けると、気候に合った熱帯雨林へと植生が変わる。人道どころか獣道すらもなく、生い茂る木々に視界を塞がれつつ、障害を払いながら歩いていた秋雅達であったが、ふとその脚が止まった。
「む……」
いつしか、周囲の景色が一変していた。鬱蒼とした熱帯雨林は消え去り、代わりにと広葉樹林が涼しげな様を示している。思わず空を見上げれば、先ほどまでと太陽の位置が違っていた。無論、太陽がいきなり移動したわけがない以上、考えられるのはただ一つ。
「どうやら、島内の別の場所に飛ばされたようね」
周囲を観察しながら、ウルが呟く。そのようだ、と同意の言葉を紡ごうとした所で、秋雅はふと、アリスが顔を大きく顰めていることに気がついた。
「どうされた、アリス殿?」
「ああ、その……ひょっとしたら、とは思っていたのですが…………」
何を思いついたのか、言いよどむアリスに対し、秋雅達は怪訝な表情を浮かべる。そのまま数秒の後、ようやく意を決したようにアリスが口を開く。
「この島なのですが…………おそらく、
「……なるほど、奴の『大迷宮』の権能か」
アレクサンドル・ガスコイン。カンピオーネの一人にして、黒王子の異名を持つ、稲穂秋雅の
「失礼した。しかし、それならば納得も行く。この迷いの場は、奴が何かの目的で仕込んだということか」
「……はい、おそらくは」
ややぎこちなさが感じられるものの、アリスもまた秋雅の言葉に同意する。その上で、しかし、と彼女が更に続ける。
「『大迷宮』で一度造られた『場』には、使用期限があります。呪力の補給のない場合は、精々四ヶ月程度で消滅してしまうはずなのです」
「あの男が度々補充に来ていた……は、ないな」
「ええ。そういう地道な勤勉さとはあまり縁のない男です。全く無いとは言いませんが、ああも世界中を駆け巡っている中で寄るか、と言われると……」
「一度や二度ならともかく、三年にも渡ってというのは些か引っかかるものがある、か」
「もう一つ。彼の権能には島そのものを作り出すような効果は無かったはず。つまり彼は、何かしら別の手段を用いて、この島を生み出したということになります」
「別の手段か。神具か、はたまた…………火の女神、か」
『――その通りで御座いますわ、稲穂様!』
突如として、空から覚えのある声と、無数の光の粒子が舞い降りてきた。ハッとした秋雅達が天を睨む中、光はまるで星雲のような渦となり、秋雅達に語りかけてくる。
『ふふふ、お久しぶりです、稲穂様。我が愛しき神殺したる方!』
「そうだな、火の女神よ。貴女のご招待を受け、ここに参上させてもらった」
秋雅の全身に力が漲っていく。姿こそはっきりとは見えぬが、どうやら女神の本体もまた近くにあるらしい。素直に考えれば、この光の渦の中に身を潜めているのだろう。
「さて、火の女神よ。客人を今まで持て成さなかった事を僅かでも非礼と思うなら、私の質問に答えてもらおうか」
『あら、何で御座いましょう? 私、貴方様からの問いを突き放すつもりはありませんわ』
「では聞こう。この島を作り出したのは誰だ? 貴女か、それともアレクサンドル・ガスコインか」
『まあ、懐かしいお名前。そういえばあの方も当代の神殺し。お二人は知己でいらしたのね!』
敵だ、と心の中で秋雅は言葉を返す。そんな彼の心情など知らぬままに、女神は更に言葉を紡ぐ。
『仰る通り。この島は神話の世を偲び、私が創造したもの。あの方――アレクサンドル殿が愛の証として贈ってくださった神具をもって』
「あのアレクサンドルが、愛………また、似合わないにも程がある言葉です」
「どうせ口八丁だろう。そもそも、愛の証であるならば、ここを迷宮とする意味が不明だ」
『それは、ちょっとした行き違いがあったのですわ。この島を二人で創り上げ、しばらく二人で愛の時間を愉しんでいたのですが……あの方ときたら、島での暮らしに飽きて出て行ってしまったのです。引きとめようとする私を、迷宮の権能を以って島へと閉じ込めてまで!』
「……ああ、つまり逆だったのね。侵入者を惑わすのではなくて、女神を外に出さないためだったと」
そういうことか、と秋雅はウルの言葉に頷く。
「なるほどな。それで、女神が閉じ込められている間に、あの男はこそこそと逃げ出したわけか」
『ええ。如何に私といえど、この島の迷いの魔力を解きほぐすのに四日もかかったものでしたから……その間に、あの方は紫電となって何処かへと去られました。本当は迷宮となったこの島も打ち壊そうかと考えましたが、一度は愛した殿方の忘れ形見。故に、私はそのままこの島に住まいを構えたのですわ。そして……』
心なしか、秋雅には光の渦の先から、誰かが自分を見つめているような感覚を覚えた。女神が自分を熱の篭もった目で見つめている。そんな感覚を、秋雅はふいに抱く。
『一体、幾年が経ったでしょうか。一人この島に留まり、新たな愛に相応しい相手を探し続け……そして、ついに稲穂様を見出したのです』
ふふ、と女神の声が笑う。この部分だけを切り取れば、あるいは情熱的な、もしくは可愛らしい一面のある女性であると、そのような感想を抱くかもしれない。だが、と秋雅は心の中でそれを否定する。如何に意外な一面を見せられようとも、彼女はまつろわぬ神である。それを相手にしながら和むほど、稲穂秋雅という神殺しは愚かではなかった。
「そうか――だが、知ったことではないな!」
言うや否や、秋雅は手にしたままであった神鳴りを光の渦に向かって撃ち放った。銃に下げられた状態から空に向かって構え、そのまま引き金を引くまで一秒とかかっていない。銃口からは炎が吐き出され、それは一発の銃弾の如く一直線に渦へと迫る。
『曙の光よ!』
女神の言霊と共に、光の渦が天幕のように広がる。渦から幕へと姿を変えた光は、秋雅が放った炎をふわりと受け止めてしまう。
「む……」
「太陽に逆らった炎は、太陽を秘めしものに退けられてしまう…………」
眉を顰めた秋雅の隣で、アリスが厳かに呟く。チラリと視線をやると、顔こそ光の渦へと向いているものの、その焦点は何処へと定まっていない。霊視による託宣か、と秋雅はすぐに勘付いた。
「なるほど、そういうことか」
アリスの言葉の意味を理解し、秋雅は面倒くさそうに鼻を鳴らす。破壊神の炎、秋雅が『義憤の炎』と名づけたそれは、アステカ神話に出てくる神の一柱、トラウィスカルパンテクートリから簒奪したものである。この神の逸話として、同じくアステカ神話に出てくる太陽神トナティウが他の神々に生贄を求めた時、その所業に腹を立て、怒りをもって太陽に槍を投げた、というものがある。しかしこの時、放った槍は跳ね返されてしまい、逆に自身の頭に刺さってしまった。これよりトラウィスカルパンテクートリは、イツラコリウキという異なる姿の神へと変じてしまったという。
かつて太陽神に敗れた神の権能と、アリスの託宣。その二つを混ぜれば、分かることは二つ。一つは、『義憤の炎』は太陽神の系譜には効果が薄くなる可能性が高いということ。そしてもう一つは、
「火の女神は太陽神に縁ある神、ということか。まあ、それならば――ちっ!」
別の手を、と秋雅が次の行動に移ろうとした時、その耳が複数の音を捉える。木々をなぎ倒すような音と、地を揺らすほどの足音らしきもの。それが段々と、こちらへと近づいてきている。
『稲穂様、貴方様の配下は“弓の御霊”の一撃を防ぐほどの手練れ。故に私も、更なる手勢を用意させて頂きました』
女神の愉しげな声と共に、ついに物音の正体が姿を現した。体長にして十四か十五メートルほどの巨人。筋肉質な全身と、それ以上に目立つ頭部の独眼。その神獣の名を、ウルが口の端に載せる。
「サイクロプス……ギリシア神話風に言うならば、キュプクロスかしら。まったく、神獣のオンパレードね」
『さあ、稲穂様。そちらの下女の相手はこの子に任せ、貴方様はこの私の手をお取り下さいませ。貴方様の如き勇士には、愛するに相応しき相手がおりますことよ!』
「相応しい相手、ね……」
女神からの誘いの言葉。それに対する秋雅の返答は、不愉快そうな一瞥と、心底下らぬと言いたげな嘆息だ。そんな彼の肩に、ウルがそっと手をおき、囁く。
「あのデカブツは私がするわ。シュウは女神の相手に専念して」
「この程度、纏めて相手できるが?」
「あの女神、多分まだ札を持っている。不測の事態に備える為にも、完全に役割を割り切った方がいい。安心して、足止め以上の事はしないから。まあ、そもそも出来ないけど」
「……分かった、頼む」
「ええ。そっちも、上手くあちらの情報を引き出してね。必ずしも必要無いにせよ、相手の名が分かったほうがやりやすいのは事実なんだから」
「ああ」
最後に頷き合い、ウルはサイクロプスのほうに駆け出した。自身に向かって来る者を敵と定めたのか、巨人はその単眼を彼女へと向け、その拳を振り下ろす。
「ダンスの相手には、不足が多いわねえ……」
迫り来る拳を、ウルは余裕を持って回避する。二打、三打と段々と躍起になっている風な巨人の連撃も物ともせずに近寄り、ウルは未だに携えていたトリックスターを振るう。その一閃は硬い神獣の外皮を物ともせず、巨人の足に傷跡を残し、その巨躯に咆哮を上げさせる。
「やっぱり、単体では傷をつけるのがやっと、と」
ウルの呟き通り、傷こそ与えたものの、その結果は極めて浅い。致命傷どころか、有効打とすら言い難いだろう。神獣の咆哮にしたって、痛みよりも傷つけられたことそのものに対する怒りと言った風だ。だがそれでも、その単眼をウルのみに集中させることには成功したらしい。巨人はひたすらにウルを狙い、ウルもまた危なげの欠片も無く回避し、時に小さな傷跡を付けていく。この感じならばおそらく、女神が口を挟まぬ限り、巨人が秋雅に意識を向けることはなさそうだ。
そのことを確認し、秋雅はその視線を光の渦へと向ける。今まで攻勢がなかったのは、あちらも『見物』していたからかもしれない。まあどちらでもいいか、と思いつつ、秋雅は口を開き、叫ぶ。
「火の女神よ! そろそろ、我らもやり合おうか!」
『ええ、稲穂様。我が愛の為、その手足をお奉げ下さいな!』
火の女神と、稲穂秋雅。まつろわぬ神と神殺しの戦いが、今ここに始まった。
一旦投稿。ウルの実力等に関しては、まだここではぼやかし気味ということで。思ったより長くなってきましたが、どうにか後数話で終わらせたいところです。