トリックスターの友たる雷   作:kokohm

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それぞれの対比

 さて、どうするか。次の行動を決めかねていた秋雅であったが、ふとその眉がピクリと動かした。謁見の間の外より、一体の骸骨が入ってきたからである。案内をした管理人、ではない。それと同類の、しかし別の個体だ。

 

「何か」

「陛下に奏上したきことが」

「……申せ」

 

 ろくな礼もなく告げられた言葉に、秋雅は眉をひそめながらも通す。すると、ここでようやく骸骨は一礼し、重々しい口調でこう告げた。

 

「口の端に上せるもはばかられることでありますが、昨今、この冥界において陛下を軽視するような風潮が見受けられます。囚人たちもそうでありますが、嘆かわしいことに、管理人たちの中にも御身の力を侮るものがいるようなのです」

「ほう。私を侮ると」

 

 面白い、と言いながら、秋雅は組む足を変える。

 

「それで? その状況の中で、貴様は何を私に望む?」

「望むなど恐れ多い……ただ、私は御身に、そのお力を示していただけぬか、と。さすれば、不遜なることを思う輩もことごとく改心し、貴方様に畏怖と絶対の忠義を誓うものかと存じます」

 

 恭しく、骸骨はまた礼をする。その動作は大仰で、なおかつわざとらしい。当たり前のはずなのに、そうではない例を見すぎたせいか、どうにも違和感があった。むしろ、こいつこそ自分を侮っているのではないか。そんな想像が秋雅の頭をよぎる。

 

「なるほど。しかし、それを成すには理由が足りんな」

「理由、でありますか」

「そうだ。私は確かに王だが、決して暴君ではないつもりだ。少なくとも、理由のない恫喝は好きではない。貴様の言う私の力を見せる、という点だけでは、私が力を振るうには足らんな」

「であれば、何の問題もございますまい。お客人の無礼をご理由となさればよろしいかと」

「……ああ?」

 

 低く、うなるような声が秋雅の口からあふれた。明らかに危険の満ちたそれを、愚かにも先を促すものだとでも受け取ったのだろうか。骸骨はどこか喜々とも聞こえる口調で続ける。

 

「御身とお客人の会話は、僅かではありますが耳に入っておりました。一方的に訪れ、その上あのように煙に巻く会話をするなど、御身に対してあまりにも不敬。いかに同格たる妖精王のお歴々なれど、決して許されるものではございません。そのことに対する怒りともなれば、御身が戯れを――」

「私に癇癪を起こせと言うか!!」

 

 落雷の轟音と、それに負けぬ激昂が玉座の間を満たした。立ち上がった秋雅の目は爛々と輝き、全身からは怒気があふれ出している。彼の怒りに呼応し、幾条もの雷が天井を貫いて降り注ぎ、丁寧に磨かれていた床を荒れ地へと変えていく。

 

 その凄まじさに、先ほどまで饒舌に語っていた骸骨は、いつの間にか身を縮こまらせ、その顔を内に内にと伏せていた。カタカタと全身の骨が震えており、恐怖に支配されていると一目に分かる姿となっている。その小さな背に、秋雅は吐き捨てるように怒声を浴びせる。

 

「この私が力を振るうは、その資格ある敵と相対した時か、あるいは愚か者を断罪する時のみ! 決して己が未熟から生まれた破壊衝動を発散する時ではない! それを貴様は、客人を見送ったその後で、私に卑しい不満を吐き出せというか! その様のなんと情けないことか、それも理解できぬというか!!」

 

 秋雅の感情の呼応に合わせ、雷もまた降り注ぐ。縦に、時には横に、空間を貫く雷は玉座の間の景観を瞬く間に吹き飛ばしていく。無事であるのは、主を見守る玉座の周囲と、ひれ伏している骸骨の周りだけであり、それ以外のものは大なり小なり破壊の跡を刻みつけられている。

 

「そも、我らの会話を盗み聞くのみならず、私と同格たる妖精王の方々を愚弄するなど、何様のつもりか!! 我が許可も得ず、この玉座の間に足を踏み入れるとはどういうことか! 貴様がいつ、そのような資格を得たというのか!? 不足ない説明を申してみよ!!」

「お、お許しを……お許しを……」

 

 秋雅の叱責と追及に、骸骨は小声で懇願を漏らす以外の行動を取ろうとしない。だが、それも無理からぬ話だ。本来、地下の奥底に位置する冥界において、雷がその存在を示すことはまずない。理として、雷というのはあくまで、空から地上までの範囲でのみ生きる存在だからである。故に、知識や本能としては知りつつも、冥界の住人で雷の破壊力を経験したことがあるものは少ない。

 

 それを最悪の形で、強制的に実感させられたのだ。これに加えて秋雅の怒気を浴びせられるとなれば、この骸骨の反応も至極当然のものと言えるだろう。

 

「……ふんっ」

 

 平服し、恐怖が過ぎるのを待つ骸骨。その何とも面白みもない光景に、秋雅は心底下らぬという風に鼻を鳴らす。最後に一つ、ひときわ大きな落雷を骸骨のすぐ目の前に示してから、秋雅は荒々しい動作で玉座に腰を下ろす。

 

「貴様の望みもこれで叶っただろう。これ以上私を不快にさせる前に、疾くと去れ」

 

 秋雅は告げたところ、数十秒はたっぷりとかけながら、骸骨がこちらを仰ぎ見た。皮膚はないが、しかし呆然としている、と感じ取れる様に、秋雅は片眉を上げる。

 

「――もう一度言わせる気か?」

「ひっ……」

 

 秋雅の恫喝に、怯えた声を漏らしてから、骸骨は這う這うの体という形でその場を去る。術の類も使わず、ただ走って謁見の間を出るという行為は、よほど肝が冷えたのだろうと察するに容易い。それをじいと見送ってから、はあ、とまた秋雅はため息をつく。

 

「……誰ぞある」

「はっ」

 

 秋雅の呼びかけに、また一体の骸骨が現れた。最初に先導を務めた管理人である、とすぐに分かった。彼は簡易な――しかし、先のあれと比べられぬほどの敬意を感じさせる――礼をした後、申し訳なさそうに続ける。

 

「失礼いたしました、王よ。あのものは我らの一員となりて日が浅きもの。王に取り入ろうとつまらぬ小技を弄そうとしたようです。あのものに代わり、陳謝いたします」

 

 見せしめにしたな、と秋雅は管理人の思惑を察した。あの愚か者の行動は、この管理人に誘導されたものである、と理解したからである。

 

 基本的に、冥界の管理人の立場にあるものは優秀である。誰もかれもが王の命令を厳守し、その上で最善の行動を取っているように見える。しかし、人間から見れば不可思議な生命体である彼らだが、社会なり組織なりを形成している以上、個体差や才覚といったものは存在する。画一的なクローンの集団ではない以上、これは神話の世界の住人だろうが現世の人間だろうが変わらない。

 

故に、と言うべきか。一種のエリートとも評せる冥界の管理人にも、優秀に見えるが実際はそうでもない、という輩はどうしても紛れ込む。これ自体は、一概には悪いことではない。大事なのはそれをどう管理するかである。

 

 その『あまり優秀ではない集団』に、秋雅を侮る気配が蔓延しつつあったのを、今秋雅の前にいる管理人は何処かで感じ取ったのだろう。その上で、今のような状況になるように誘導した、あるいは黙認したに違いあるまい。でもなければ、あの骸骨があれほど気の大きい行動に出ることも、そもそもこの場に足を踏み入れることも不可能だ。それが出来るほど、この冥界の階級制度は脆弱ではない。

 

 まったく、うまいものである。かくして、冥界の空気は改めて引き絞られることになった、とでも言えばいいのか。被害にしても、馬鹿が一人と宮殿の区画の幾つかだけなら軽微な部類だろう。しかも、この策が巧妙であるのは、流れの中で生まれた悪感情は、全て実行犯にのみ向くという点だ。少なくとも、秋雅の場合はそうである。そうだったのか、と納得こそすれ、こいつのせいで、と改めて睨みつける気にはなれない。

 

 あるいは、お前が私を含めて利用したのか、などと問い詰め、結果として自供でもすれば、秋雅も怒りを覚えるかもしれない。おそらく嘘はつかないだろうから、全ては予想した通りとなるだろう。

 

 しかし、秋雅は何を問いただすでもなく、ただ鷹揚に頷いた。露にする意味もない、とそう判断したからである。

 

「よい。貴様にまったくの非がないわけではないが、あ奴のそれに勝るわけではない。既に我が裁きは下した、その後は貴様の良いようにすればいい」

 

 後の処理を任せる、と秋雅は管理人に告げた。先ほどの骸骨をどうこうとする気は、秋雅にはもはやなかった。正確には、最初から罰する気はそれほどない。先のあれも、半分ほどは演技である。

 

 確かに、無礼な物言いと、不快な提案に怒っていた、というのは事実だ。しかし、秋雅は叱責をすることはあるものの、それに体罰の類を組み合わせるのはあまり好きではない方だ。理性的ではない、と感じられるし、言葉で分からぬのなら叩いてもそれほど――怒られた理由を理解させるという点で――意味がないと考えているからである。故に、先の落雷に関しては、別に反射的にもたらしたものというわけではない。秋雅がさっき言った通り、あの骸骨がそれを望んでいるようだったから、ついでにやってやった、という程度に過ぎない。

 

 さらに言えば――あくまで結果としてだが――無秩序に力を振るえたことで、秋雅の中にあった苛立ちを軽減できたというのもある。細かいが、うっぷんを晴らすために力を使うのと、力を振るった結果として不快感が発散された、というのを別物として考えれば、秋雅の信念にも一応抵触しない。些か気に入らないところもあるが、その点ではあの骸骨に功績がないわけではない。

 

 少しはすっきりしたから見逃してやる。暴君よりの主張だが、今の秋雅は確かにそういう気分だった。

 

「はっ、承知いたしました。以後、臣下として相応しい教育に努めます。それと宮殿の修復ですが、可能な限り早急に致します故、それまではどうかご容赦を」

「うむ。それに関しては苦労をかける」

「いえ、苦労などと。御身のお力の一端を改めて目にし、より一層の忠節を覚えたほどでございます。囚人らも王への畏怖を強めており、これよりは管理も容易くなりましょう」

 

 それに、と管理人は続ける。

 

「王より仕事を賜れたこと、それだけでも我らが喜びとなります。言うも恐れ多いことではありますが、先王陛下は我らに一度として、常ならぬ仕事を命じられませんでした。その身として、王よりかくして命を賜れること、何にも勝る喜びでございます」

 

 本心からのものだ、と感じられる態度で、管理人はそのようなことを言った。現代人からすると少しばかりに妙に感じられるだろう主張だが、秋雅の立場から見るとそうおかしなものでもない。こういう奴は案外と多いから、という経験則である。慣れた、あるいは毒された結果である。

 

「……私は部下には恵まれるようだ」

 

 幾人かを顔を思い浮かべながら、秋雅は息を漏らす。その様に何を感じ取ったのか、管理人はいっそう深く礼の姿勢を取る。その姿に、秋雅はほんのわずかに目を柔らかくした後、靴音を響かせるようにして立ち上がる。

 

「では、私はこれで去る。良きように取り計らえ」

「はっ。行ってらっしゃいませ」

 

 管理人の返答を受けつつ、秋雅は目を閉じ、呪力を集中する。その呪力を操りながら、現世に戻るということを強く念じる。そして、それが最高潮に高まった時、彼は静かに、ただ一言だけを口にする。

 

「――開け」

 

 次の瞬間、秋雅の足元にぽかりと大穴が開いた。一瞬の停止の後、秋雅の全身はするりと穴の中に飲み込まれる。冥界よりも深く、しかし何故か暗くは思えぬ穴の中を、秋雅は無言のままに落ちていき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づけば、秋雅は自身の寝室に立っていた。冥界に旅立つ際、入り口として使った場所である。目を開け、見渡すと、彼の(・・)三姉妹がそれぞれの姿勢で休んでいた。冥界に渡るにあたって、術を行使していたからそのまま待機していたのだろう。ウルは椅子に腰かけていて、ヴェルナとスクラは秋雅のベッドに寝転ぶ体勢であった。

 

 なお、草壁姉妹はここにいない。部屋に、ではなく、秋雅の家から二人は離れている。先のプリンセス・アリスとの契約の下、少し前からイギリスに渡っているからだ。特に問題も起こっていないようで、たまにネット通話などで修行の成果などの報告を受けている。時折プリンセス・アリスが紛れ込むのが、まあ面白いと言えなくもないところだった。

 

「あら、シュウ。おかえりなさい、早かったわね」

 

 最初に反応を示したのは、長女であるウルだ。もっとも、ヴェルナやスクラも顔を上げてはいたので、単に声を上げたのが早いか遅いかというだけのようである。

 

「ただいま、ウル。ヴェルナとスクラも、ずいぶんとリラックスしているな」

「まあ、暇だったからね」

「なんとなく、そういう気分だった」

「そりゃまた」

 

 肩をすくめながら、秋雅もベッドに腰を下ろす。すると、寝転がっていた二人がするりと近寄り、秋雅の身体を預かるように背を合わせてきた。突然ではあったが、それほど驚きはない。ヴェルナはあの通りの性格だし、スクラも案外とこういう形で甘えてくる性質だ。そういうことをしたい気分になった、というだけのことだろう。双子ゆえのシンクロニシティも、あるいは関係しているのかもしれない。

 

 ともすれば特注の玉座よりも触れ心地のよいそれに、秋雅はふっと顔をほころばせる。彼女たちの背から感じられる温かな生命力が、先ほどまで陰鬱な場所にいた彼の全身を解したのだ。心の中に染み入るものに、秋雅は肩の力を抜く。

 

 そんな流れをじいと見てから、ウルが静かに立ち上がった。気づけば、その手には書類の類が握られている。何かあったか、と思いながら見ていると、ウルは流れるように、秋雅の膝の上に座りなおす。

 

「……おい、ウル」

「いいじゃないの、たまには」

 

 一拍遅れ、秋雅は呆れたような表情を彼女に向けた。あまりに自然で、違和感のない動作であったので、反応がわずかに遅れてしまったのだ。それを楽しんでいるのか、ウルはからかうような笑みを浮かべている。

 

 虚を突かれた秋雅であったが、しかし、ウルの行動の意味自体は理解していた。嫉妬、ではない。おそらく、そういう気分になっただけだろう。妹たちと同じだ。ただくっつきたくなったからそうした、それだけ。付き合いが深い(・・)から分かる、理屈でない理由だった。

 

 何事もこれぐらい直感的だったらなあ、と秋雅が冥界での会話を思い起こしていると、ウルがまた静かに手の中の紙面をこちらに渡す。

 

「貴方の仕事用のパソコンに来ていた、なんとかって人からの計画書。美辞麗句やらなんやらを抜いてまとめておいたわ」

「ん……ああ、陸鷹化からのか」

 

 渡されたそれにさっと目を通し、秋雅はその送り主を把握する。パスワードも教えていないパソコンの中身を見られた、だとか、まとめたメールの送り主の名も把握してないことだとかは、特に気にも留めない。前者に関しては、自分がいない場合は好きにしていいと言ってある――ウルならパスワードを解除するくらいは楽勝だろうと思っている――からだ。ノルニル姉妹に対し言わないことはあれど、黙って隠し通すようなことはない、と思っているからである。プライベートの方は弄ってこないからなおさら、問題になるようなことはない

 

 後者に関しても、あまりそうは見せないものの、ウルが実は人の名前をほとんど覚えない性格をしていると知っているからだ。正しくは必要になったら思い出せるが、そうじゃないときは忘れっぱなし、という記憶構造をしているらしい。どうも人嫌いがその理由なようで、常時名を呼べるのは身内だけ――勿論秋雅もここに入る――とのことだ。普段の態度を見るに、草壁姉妹もいずれはここに入りそうな気配があるから、これまたさしたる問題はない。

 

 総じて支障なし、と秋雅は改めて紙面に目を通す。ウルの言葉通り、書かれているのは羅濠教主がやろうとしている計画を、極めて簡素にまとめたものだ。読みやすく、理解しやすい。従って、書かれてはいないものの、付随するだろう被害のほどに関しても、容易に想像できる。

 

「まあ、カンピオーネの計画らしいと言えばらしい代物だな。とはいえ、上手くやれば被害は最小限にできそうか。そこそこ手を回す必要があるが……」

「あまり大きく動くとまた草薙護堂が出てこない?」

 

 既に目を通していたのだろう。自然と口を挟んできたヴェルナに、秋雅は小さく頷く。

 

「おそらくだが、出てくるだろう。だからそこは教主殿に任せる。あちらも、俺に任せるとは言ってこないだろうよ」

「プライドがあるから、ね」

 

 これはスクラの言葉であった。これにも、秋雅はまた同意を示す。

 

「ああ、万一違う流れになってもどうにか誘導してみる。あくまで今回の俺は協力者の位置に留まるつもりだ。主役はそれを張りたい人物に任せよう。どうにも、盤外の不確定要素が多い。余裕のある位置についておかないと全てが瓦解しそうだ」

「となると、私達がすべきことはなに?」

 

 覗き込むように、ウルが秋雅に問いかける。何となく、その額に口づけを落としてから、そうだなと秋雅はサラリと続ける。

 

「それを今から纏める。基本は俺が作るから、個々で突っ込みを入れてくれ。計画を動かすのではなく、計画を守るつもりで役割を決めよう。結局は流れをアドリブが支配することになるかもしれんが、出来るだけの想定はしておかんとな」

 

 そう言い、三姉妹の協力の元、秋雅は当日までの計画を詰めていく。それがある程度決まり、あとは冗長性を考慮して、という頃合いで、ふと秋雅は呟く。

 

「変な横やりが入らなければいいが……」

 

 言いながら、秋雅は心の中に何か引っかかるものを感じていた。問われ、冥界で口にした、まつろわぬヘルメスの名。改めて思い出したその名前に、秋雅は何か、胸騒ぎのようなものを覚えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ふうん、なかなか面白いねえ」

「お耳汚しでなければ幸いです」

 

 軽薄さしか感じられない声に、さして敬意の感じられない声が続く。それを発したのは、一枚の白絹だけを巻き付けるように着た金髪碧眼の男と、髪から靴までの全てで赤を纏った女だった。無造作に男が立ち、その前に女が跪いている。そんな光景がそこにはあった。

 

もう一人の(・・・・)神殺し……名をなんと言ったかな?」

「草薙護堂、と申します」

「そう、そんな名前だったね。彼の方が先に、あのお猿さん(・・・・)に気づいたか。てっきり、お猿さんが動いてから、稲穂秋雅(・・・・)が対応することになると思っていたんだけど」

「大陸に居を置く別の神殺し――羅濠教主の思惑により、自発的に動くことになったようです。かの神の封印が解き放たれるとなれば、流石に静観も出来ぬと思ったのでしょう。敵対をしていないのは、その方が都合がいいと判断したのかと」

「流石は神殺し、と言ったところかねえ。わざわざ封じたものを、自分から解放しようとするなんて。まったく、馬鹿で強欲だねえ」

 

 そう言って、男は軽く、嘲るように笑う。その醜悪な笑いは、眉目秀麗な男の顔をゆがめ、造りにない醜さを見るものに幻視させるに違いない。

 

 そんな聞くに堪えぬ笑いを受けながら、女ははっきりとした口調で言う。

 

「して、御身は如何様に成されるおつもりでしょうか。宜しければ、このミスティにお聞かせ願えれば、と」

「ん? 別にいいよ。僕はね、これから日本に渡ろうと思っているよ。あのお猿さんに手を貸して、本格的に稲穂秋雅と遊ぶ(・・)つもり」

「決着をつけられるおつもりなのですね」

「今がその時、って感じがするからねえ。いつだかの借り、いい加減返さないといけないから、ね。じゃあ、そういうわけだから。君も、そこの君(・・・・)も、まあ適当に頑張ればいいよ」

 

 あまりにあっさりとした口調で男が言ったと同時、不自然なほどにさわやかな風がその場に吹いた。一秒と経たず風が収まった時、男の姿はその場の何処にも存在していなかった。それを確認した後、女――ミスティはゆるりと立ち上がり、面倒くさそうに首を回した。

 

「ああ、やっと行った。ああいう歪みまくった神と話すのは神経が疲れて仕方ないね。功刀もそう思うだろう?」

「ぶっちゃけ、お前も大差ないと思うがな」

 

 そう言って、功刀は木陰から身を起こした。彼は隠形の術による身隠しを使い、じっと二人の会話を見守っていたのだ。もっとも、その片割れの反応を見るに、気付かれたうえで無視されていただけのようだったが。

 

「しかし、流石はまつろわぬ神か。あんなの相手にカンピオーネたちもよくやる。ありゃ明らかに格が違う相手だ」

「お前がそう思うのかい」

「だからこそ、俺は神殺しになり損なった(・・・・・・・・・・)んだろ。そこに関しちゃお前も分かっているはずだが」

「くっくく、そうだったね」

「その代わりの……名無しの結社だったか? あれも役に立つとは思えんが。俺にはどうにも、おもちゃを貰ってはしゃいでいるガキの集団にしか見えん」

「いいんだよ、それで。数がいる、それだけで十分なのさ」

「マンパワーって奴か」

「――そう! マンパワーだ!!」

 

 突如、ミスティが声を張り上げた。両の手を天に掲げ、まるで空に浮かぶ太陽を抱きしめるように動かしながら、彼女は恍惚とした笑顔を浮かべる。

 

「古来よりこの世界を動かしてきたのは、一握りの才あるものではない! その天才たちに唯々諾々と従い、その成果を出力してきた、その他の有象無象の人間たちだ! 如何なる理論も、結果も、その全てを形にしたのは、それを検証し、実施し、普及させてきた、無数の愚者だ! 故に私は言う!! この世で真に結果を導くのは、多くの人間に指向性を持たせること! すなわち、どれだけのマンパワーを得られるか! この世の全てはマンパワー、マンパワーが重要なのさ!!」

 

 ああ、と絶頂にも似た吐息を漏らし、ミスティは己の身体を強く抱きしめる。そのままじっと動きを止めた彼女に、功刀は面倒そうにため息をつく。

 

「個人主義のはずの神祖が、こういう理屈を信奉するか。まったく、付き合わされるこっちの身にもなってほしいもんだ……おい、ミスティ。いい加減、俺の次の行動を話せ。お前に付き合うのも好かんが、お前とこれ以上一緒に居るのも飽きた」

「……ああ、そうだったねえ。じゃあ功刀、お前にはちょっと日本に行ってきてもらおうかな」

 

 姿勢を変えぬまま、ミスティは先の勢いが嘘のような小声で言う。彼女の指示に、功刀は胡乱げに眉を上げる。

 

「なんだ、出戻りか?」

「まさか。お前にはかの神が何をするか、実際に見てきてほしいんだよ。あと、出来れば稲穂秋雅の戦力も図ってきてほしいねえ」

「無茶を言ってくれる。出来るとして、アイツの配下とやらと一当てする程度だぞ」

「十分だよ」

「……ちっ、行ってくる」

 

 不承不承、という風に言い捨てながら、功刀はその場からゆっくりと歩き去る。彼がその場から消えてしばらくした後、ミスティはようやくと腕を解き、がくりと頭を地面へと向ける。

 

「それじゃあ、ミスティさんはミスティさんの仕事をしようかねえ」

 

 どろり、と熱意と執念が混じった視線が足元にそそがれる。いつの間に現れたのか、そこには黒い石材らしきもので出来た、漆黒の聖杯が鎮座していた。

 

「ミスティさんの計画のため、その身にたっぷりと呪力を貯めてもらわないとね。くっくく…………」

 

 暗く、淀んだ笑い声が、何処までも広がっていく。南シナ海にある無数の無人島。かつて、まつろわぬキルケーが居城とした、とある島の山頂での一幕であった。

 


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