サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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賢者の石編
第1章 入学許可証


新学期が始まってすぐ、ハーマイオニーの誕生日に2通の羊皮紙の手紙が届いた。

 

ボーバトンとホグワーツ。

どちらも魔法魔術学校なのだが、なぜか歯医者の娘であるハーマイオニーのもとに、入学許可証を送ってきたのだ。

 

入学に関する説明を希望される場合は、1週間以内にフクロウにて希望届を返送すること。

 

ーーそもそも魔法魔術学校ってなに?

 

自室の机の上に並べた2通の手紙を前にハーマイオニーは首を傾げた。

 

ハーマイオニー自身はもうすぐラグビー校に行くことに決めている。

勉強は好きだし、学業成績良好であることは、将来のプラスにこそなれマイナスになることはない。父が卒業した学校だから、校風もわかって安心だ。

個人で歯科クリニックを経営する両親も、経済的な問題はないから一番自分に相応しい学校に進学しなさいと言ってくれる。

 

「いったい何のジョークかしら」

 

呟いて、だが自分でも単なるジョークと片付けるには無理があるとわかっていた。

ホグワーツ校からの入学許可証だけなら、悪趣味な手の込んだジョークで片付けることも出来るのだが、ボーバトン校からの入学許可証は、フランス語で書いてあるのだから。

 

ハーマイオニーの母は、イギリス人とフランス人のハーフだ。母方の祖母は、母が成人する頃に離婚してフランスに帰ってしまったから、ハーマイオニーはほぼ毎年、母の長いホリデイにはフランスで過ごす。

シャンパーニュ地方のランスという古い都市に祖母の家があり、ディズニーランドもあるし、森も湖もある。近くにはデラクール家という大きな古い邸宅もある。「デ・ラ・クール」つまり「宮廷の」という意味のそんな邸宅があるあたり、ランスはフランスがまだ王政を敷いていた時代からの古い都市だ。

 

そんな家庭環境だから、ハーマイオニーはたまたまフランス語が問題なく読めるのであって、こんな悪趣味なジョークに時間を費やす輩がフランス語に堪能であるはずがない。

 

ハーマイオニーの部屋の外のテラスでは、いくらウィンブルドン・コモン近くとはいえ、まだ真昼であるにもかかわらず、キリっとした森フクロウと、優雅な白フクロウが手すりに並んで止まっている。

 

「ねえ、あなたたち。手紙を運んできてくれたことにお礼を言うべきだとは思うのだけれど、何の説明も無しでは、お返事のしようもないわ」

 

フクロウ相手にばかばかしいと思いながらも、独り言代わりにハーマイオニーは訴えた。

 

「パパやママに相談したくても、まだお仕事中なの。うち、一応ちゃんとした歯医者なのよ。どちらかというと、保険診療じゃなくて、ちゃんと自己負担して歯のメンテナンスをするリッチな人向けのね。きっちりした予約システムで診療してるから、パパとママのスケジュールは急には空けられないの。飛び込みの保険診療はお断りするぐらい。だって、そんな患者さんって、ほら、自己管理出来ない人が多いのね。よく言うでしょう? イギリス人は医療費が無料だから、糖尿病が多いって。歯医者も同じことよ。だから、この件は夜にしか相談できない。わかる? わからないわよね」

 

キリっとした森フクロウは「それは私の職分で判断することではない」という融通の利かない真面目な顔つきのままだが、優雅な白フクロウは「それはそうよね」と言うように優雅に首を傾げ、飛び立った。

 

あれは確かフランス語の手紙を持ってきたフクロウだ、と思い出し、とりあえずボーバトン問題は片付いたとハーマイオニーは思ったのだった。

 

 

 

 

 

同じ頃、日本の古びた神社の隣に建つ純和風家屋の中の、一部だけ完全に洋風の造りになっているリビングでは、行儀悪くソファに寝転んだ少年のような少女が、コーヒーテーブルに5通の入学許可証を積み上げたままうたた寝をしている。

 

神社の隣の純和風家屋に不似合いな淡いブラウンの短い髪が、光に透けてブロンドにさえ見える。

 

その祖父はといえば完全に東欧の顔立ち。祖母は、日本人らしいコンパクトな顔立ちの割に、ヘイゼルブラウンの瞳や抜けるような色白の肌からやはり純日本人ではない様子だ。

 

「ホグワーツは危険ではないかね? 君に恨みを持つ家柄の生徒も多いだろう」

「あなたはそう言って、怜のときも反対しましたよ。それならダームストラングでも同じことです。あなたがヌルメンガードにぶち込んだ闇の魔法使いたちの一族はまだいるのですから」

「いや、今回はボーバトンからも来ているじゃないか」

「蓮にはデラクール家の血も流れているからですわ。クロエの実家はそこなんですから」

「まったく。コンラッドは素晴らしい青年だったが、こんな面倒なことになるとは」

 

祖父は頭をふりふりと振った。

 

「多数決にしましょう」

「待て! それはダームストラングとボーバトンに不利だ!」

 

そのとき、庭に姿現しをする「パチン」という音が聞こえた。

 

「お母さまもお父さまも。わたくしの娘の進路は、わたくしと娘が相談して決めるのだから、黙っていてちょうだい」

 

庭から続く回り縁の下で靴を脱いだ、背の高い女性が呆れた声をかけた。

縁側に上がりながら、うたた寝をする娘を見て目を眇める。

 

「・・・甘やかさないで。食後にソファで居眠りなんて」

「裏で河太郎から泳ぎのレッスンを受けて帰って、夕食をたくさん食べたのだから、少し横になるのは健康に良いわ。怜、あなたこそ、あまり蓮をスノッブに育てないでちょうだい。どの学校に行くにせよ、スノビッシュな子は純血主義の仲間に入れられやすいのよ」

 

母親の言葉に怜は眉を吊り上げた。「もう11歳になるっていうのに河童から泳ぎのレッスンを受けるって、お母さまの常識はいったいどうなっているの? レッスン代は支払うから、きちんとスイミングスクールに行かせて」

 

父は肩を竦め「オリンピック選手じゃなくて魔女になるんだから、魔法生物から泳ぎは学ぶべきだよ」と娘をたしなめる。「そんなことより、ロンドンのウィリアムとクロエは蓮の進学先についてどう考えているのかな?」

 

怜は溜息をつく。

 

「ホグワーツとボーバトンで議論になってるわ。でも、他にどこから入学許可証が届いたか確認に来たの。わたくしのときは4校から来たでしょう? 南硫黄島、エカテリンブルク、ケルン、ホグワーツ。蓮の場合は、いくつになるか分かったものじゃないわ」

「それにボーバトンを足した5校よ」

「まあ、ダームストラング、ホグワーツのどちらかにするべきだろう」

 

柊子は眉をひそめて「その選択肢なら、クロエが黙っていないわよ。デラクール家は、フランス宮廷の専属魔法家だったんですからね。それを言うなら、うちだって、ウィンストン家だってそうなんだから決着はつかないわ」と言う。

 

「だから、蓮の進学先は、母親であるわたくしと蓮とで決めます」

 

断固として言ったのだった。

 

 

 

 

 

「ヴォルドゥモール? 死の飛翔? 変わったお名前の方ですわね」

 

ハーマイオニーの母は、その夜に自宅を訪ねてきたフランス人の魔女と相対していた。

 

「ああ、あまり名前は発音なさらないで。フランスでは物笑いになる名前ですが、イギリスの魔法界では名前を口にすることも恐ろしいと言われる邪悪な魔法使いの名前ですから」

「はぁ。邪悪な・・・」

 

夫と視線を交わす。

娘が魔女だというだけなら、夫婦にはまだ受け入れる余裕があった。

 

なにしろハーマイオニーを11年育ててきたのだから。

オムツが汚れていれば蛍光灯が割れる。空腹なら哺乳瓶が勝手にミルクをシェイクする。

そんなことから始まり、嫌がるのを無理にスイミングスクールに入れれば、なぜかプールの濾過装置が爆発する。

自転車は3メートル走る前にパンクした。

フランスにいるハーマイオニーの祖母は、確信を込めて「ランスの魔女の血が流れているんだわ」と言ったものだ。単なる故郷贔屓の迷信だと聞き流してきたが、どうやらそればかりでもなかったらしい。

 

「もちろんホグワーツは優れた魔法の名門校であることに間違いはありません。わたくしの専門である変身術だけでも、ダンブルドアとマクゴナガルという変身術の天才というべき教授がいらっしゃいます。ですが、いかんせん、邪悪な魔法使いの影響が残っているのも事実。魔法使いの家系でないお嬢様にとって安全とは言い難い。その点、我がボーバトンは栄光あるフランス宮廷の専属魔法使いや魔女を育成するために開かれました。本質的に、邪悪なものを拒みます」

 

邪悪なものはともかくとして、と父がたどたどしいフランス語で割って入った。「我々は夫婦とも魔法とは縁のない家庭ですが、なぜ私たちの娘が魔女だと?」

 

ボーバトンの変身術の教授だという、その上品な女性は得たりと頷いた。

 

「マグル、つまり魔法使いの家系でないご家庭に魔法使いや魔女が生まれることは、はるか昔から稀にあることでした。魔法族の家系に生まれたならば、家族の魔法によって魔女狩りから逃れることも容易でしたが、お嬢様のようなケースでは魔女狩りの対象として迫害される時代もありました」

 

それはすぐに想像出来たのか、両親は揃って頷いた。

 

「我々魔法族も、様々な要因で人口を減らしていましたから、約300年前に広範囲魔法力探査術という魔法が開発されます。この目的は2つ。第一に魔法族の人口減少に歯止めをかけること。第二に魔女狩りから、魔法力を持つ子供を保護することです」

 

両親が再び揃って頷く。

 

「魔法力を持つ子供を、出身家庭を問わず受け入れ、教育することによって、魔法力をコントロールしながらマグルの中で暮らすことも可能になりますし、本人の努力や才能次第では魔法族の世界に職業を見つけることも出来ます。出身家庭を問わずと申しましても、授業はその学校の所在国の言語で行われますから、イギリスからマグル生まれの生徒をお迎えするケースは多くありません。11歳で2ヶ国語を支障なく話せるお子様は少ないものですから、どうしてもご家族にフランス人がいらっしゃる場合に限られます。お嬢様は魔法力探査術によって生まれたときからチェックされており、事前調査によって本校の講義内容を理解出来るだけの語学力があることが確認されております」

 

なるほど、と母が頷いた。

 

「では本校のシステムについてお話ししてもよろしいでしょうか?」

「・・・お願いします」

 

こほん、と咳払いをしてフランスの魔女が説明を始めた。

 

「ボーバトン・アカデミーには、2つの校舎があります。男子と女子です。伝統的に男子校と女子校に分かれており、女子校はボーバトン・アカデミー・ランス校と呼ばれています」

 

ランス、と呻くように母が呟く。

魔女は頷いた。

 

「そう、お母さまもよくご存知のランスです。遠方からの生徒には、十分な設備を整えた学生寮がございますが、こちらのようにランス市内にご親族の家があれば、そこからの通学も可能です。授業内容によっては真夜中の実習がありますが、この場合には校内に宿泊させます」

 

 

 

 

 

「レンがボーバトンに行くならデラクール家から通えばいいのよ」

 

ロンドンの家に母から付き添い姿現しで連行されるとすぐに、父方の祖母であるクロエが挨拶もそこそこに切り出した。

 

「確かフラーもいることだし、ボーバトンなら安心だわ」

「でもね、クロエ。蓮は日本とイギリスの子なの。南硫黄島は学校の規模自体が小さいから話にならないけれど、コンラッドも怜もホグワーツだったのだから、娘の蓮もホグワーツが順当じゃないかしら?」

 

母方の祖母である柊子はちゃっかりロンドンまでついてきた。無論、祖父のシメオンも一緒だ。

 

「そうだぞ、クロエ。蓮はグランパのようにホグワーツでハッフルパフに入るんだ! なあ蓮?」

「やめてちょうだい。灰色のレディが気分を損ねるわ」

「ノン! ホグワーツならばコンラッドと同じグリフィンドールです!」

「なぜ誰も蓮をダームストラングにやると言わんのかね?」

 

溜息をついて蓮は母親を見上げた。

 

「お母さま。わたくしはどうすればいいの?」

「周りの雑音を無視して考えなさい。レイブンクロー派、ハッフルパフ派、グリフィンドール派にダームストラング派、ボーバトン派・・・あなたもたいへんね」

 

要するに選択肢らしい選択肢は「ホグワーツのどのハウスに入るか」であるらしい。蓮はそう解釈して頷いた。

 

「お母さまもやっぱりレイブンクロー派?」

 

蓮、と名前を呼んで、母が膝を曲げると蓮の目の高さを合わせてくれた。

 

「ホグワーツの寮には、それぞれのカラーがある。それは事実。でも、どこの寮が良いか悪いかはわたくしたちが判断することではないわ。大事なことは、寮のためにあなたには何が出来るか、それだけよ。組分けされた寮に対し、誇りをもって貢献するの。それが出来るのであれば、どこの寮でも構わないわ」

「・・・スリザリンでも?」

「あなた自身がスリザリン寮のために何か出来る、何かしたいと思うならば」

 

まったく思わない。

 

「姫さま! ウェンディは知りました。スリザリンは悪い魔法使い多い寮です!」

「ウェンディ、久しぶりね」

 

蓮は腰までしか身長のないハウスエルフに目尻を柔らかくして応じる。

 

「ウェンディは旅をするのです! 旅の途中で悪い魔法使いの屋敷に行くのです! 悪い魔法使いはスリザリン! スリザリンばかり!」

「そんなに危ない旅をしているの?」

 

首を傾げる蓮に母の怜が「ウェンディの生き甲斐なの」と答えた。

 

「悪い魔法使いの屋敷に行くのが?」

「ハウスエルフの仲間に、自由と報酬について教えて回るのが。ウェンディは独立戦争をしているのよ、一人で」

「かっこいい」

「クリスマスには悪い魔法使いはみんな酔っ払いです。ハウスエルフと話をするチャンスなのです! それにウェンディは一人ではなくなりました。ドビーは悪い魔法使いの皆様のお話を覚えていて、ウェンディに教えてくださいます! そのあと、ドビーはたくさん反省して、ご自分をバッチンなさいますが、大事なお話ばかりです!」

「悪い魔法使いのためなんかに、バッチンしなくていいのに」

 

ウェンディは悲しげに大きな瞳を伏せた。「悪い魔法使いしか知らないドビーは、まだご自分をバッチンする癖が抜けません」

 

母がウェンディを軽く撫でた。「悪い魔法使いのお話よりも、ドビーにご自分をバッチンしなくていいということを教えてあげるほうが先よ、ウェンディ」

 

ハウスエルフとしてのウェンディは、まだ孤独なのだ。

自由と引き換えに、孤独を選んだ最先端のハウスエルフだ。

 

「コンラッド坊っちゃまのお言いつけなのです。良い魔法使いは、ハウスエルフにも礼儀正しい。ハウスエルフに対する礼儀を知らない魔法使いは悪い魔法使いだと、仲間に教えなければいけません。ですからウェンディは旅をなさいます」

 

ぱちぱち、と蓮は小さく拍手する。

 

とりあえず、ウェンディがスリザリン入りに反対の意見を持っていることはよくわかった。

 

 

 

 

フランスの魔女が礼儀正しくグレンジャー家を出ると、ハーマイオニーの母はリーガルパッドにホグワーツ宛の手紙を書いた。

 

「わたくしども保護者としましては、御校の学校説明を希望いたします。ご都合のよろしい日時をお知らせください」

 

これでいいわね、と父とハーマイオニーにその手紙を見せる。

 

「ボーバトンのフクロウって賢いのね」

 

ハーマイオニーに両親は頷いた。

ハーマイオニーの独り言をちゃんとボーバトン校に伝えに行ったのだ。

ホグワーツのフクロウも賢そうな顔つきだが、融通を利かせる気はないのだろう。

手紙を小さく折り畳んでいると、片脚をすっと差し出した。

 

たぶんしばらくは魔法学校に行くことになるだろう、とハーマイオニーは考えた。

あまり選択の余地はなさそうだ。

魔法力とやらをコントロールしなければ、フリークス扱いされてしまう。

 

「ヴォルドゥモールとかいう邪悪な魔法使いのことをきちんと質問しなければいけないね」

「変な名前。親のセンスを疑うわ」

 

母とハーマイオニーは顔を見合わせて、くすっと笑った。

フランス語に馴染みのない人が音だけ聞いてフランスっぽいとつけた名前みたいだ。

 

その夜の夢の中で、ハーマイオニーはヴォルドゥモールと自己紹介する、禍々しい扮装のピエロを見かけた。


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