姿現しの光が消えると、二人の前に白い宮殿が現れた。
オズボーンハウス。
海を見下ろす丘の上に建つその館は、夕焼けの中で淡い金色に染まっていた。
遠くに広がるソレント海峡は静かで、波はほとんど音を立てない。
庭園には南国の植物が植えられ、糸杉の影が長く芝生の上に伸びている。
ここは王の城ではない。
女王の家だ。
スーザンが言った。
「魔法省より、よっぽど威厳があるわね」
蓮は肩をすくめた。
「政治家の仕事場じゃないからね。その政治家に会いに行こう。ハリーも戦いたくてウズウズしているはずだ。それを止めるのに草臥れてハーマイオニーは超不機嫌。賭けてもいい」
近いうちにグリンデルバルドは殺される、と蓮はオズボーンハウスの敷地内にあるウィンストン家の別荘で静かに告げた。
「なんで?」
ロンが目を瞬く。
「ニワトコの杖が欲しいんなら、スネイプを殺っちまえばいいだろ? グリンデルバルド関係ないじゃん」
馬鹿ね、とハーマイオニーが溜息をつく。
「トムくんは基本的に臆病なの。確信を欲しがるわ。グリンデルバルドが『自分の前時代にいた英雄』なんだから。トムくんの中ではね。そのグリンデルバルドが死の杖を持っていたのはトムくんの論理としては『正しい』のよ。だからグリンデルバルドからダンブルドアへ渡ったという言質が欲しいの」
ハリーも頷いた。
「うん。あいつはそういう奴だ。レン、グリンデルバルドはどういう奴なんだい? ニワトコの杖がダンブルドアに渡ったことを喋るかな?」
蓮は肩を竦めた。
「喋る喋らないは問題じゃない。グリンデルバルドが喋ったらダンブルドアの墓を探す。グリンデルバルドが喋らなかったら八つ当たりでダンブルドアの墓を壊す。結果は同じだ」
ハリーは納得したように頷いた。
「杖本体を手に入れたら、杖の忠誠を奪うためにスネイプを殺す。うん、戦場は間違いなくホグワーツになるな」
蓮は断言した。
「間違いなくそうなる。わたくしの計画通りだ。『俺様の死の杖よー』ってフィーバーするよ。隣に『本物の死の杖の持ち主』を侍らせてね」
全員が蓮を見つめた。
「スネイプじゃないの?!」
違う、と蓮は首を振る。「ダンブルドアはスネイプにニワトコの杖を遺すことを計画していた。その計画通りなら、杖の忠誠は誰にも移らない。ダンブルドアの意に反していないからだ。ところがあの天文塔の戦いの日、ダンブルドアはうっかり杖を落としたんだ」
スーザンが微笑して補った。
「拾った杖でモースモードルを打ち上げた人が、ニワトコの杖の主人よ。ダンブルドアの意に反するのは、スネイプじゃなくて、ベラトリクスのほう」
ロンは頭をかきむしった。
「わけわかんねえ! マルフォイが先に攻撃したはずだろ? マルフォイじゃないのか?」
蓮は笑って「わかんなくてもそうなんだよ。信じろ。わたくしはその場にいたんだから」と力強く言った。
「わたくしは、ベラトリクスを廊下で拘束した。そして天文塔の下でスネイプに会い、スネイプはその時ベラトリクスを縄から解放した。わたくしはベラトリクスを追うよりもダンブルドアを守ることを優先した。そして、モースモードルが上がった。ベラトリクスの杖は先にわたくしが奪っていたのにね。さあ、誰が誰の杖でモースモードルを打ち上げた? マルフォイはダンブルドアを武装解除したわけじゃない。それは最初からの予定通りだ。ダンブルドアはマルフォイの立場と命を守るためにクルーシオを撃たせるよう誘導すると言っていたし、マルフォイもその通りだと認めた。スネイプはまだ死の呪文を口に出していなかった。その時点でダンブルドアの意に反して杖を奪ったのは・・・ベラトリクスなんだよ」
ハリーは緊張を漲らせて「わかった」と言う。「僕らはベラトリクスから先に攻撃するんだな?」
スーザンが苦笑して「違うわ、ハリー」と修正する。
「え? でも」
「ニワトコの杖なんてもう要らないのよ。そうでしょう? ニワトコの杖が役に立つのは・・・トムくんが自分の手でベラトリクスを殺す時だけ」
最後まで側にいてくれそうな狂気的なまでに忠実な魔女を殺すんだ、と蓮は静かに言う。「大勢の観客の前でね。トムくんは闇の帝王なんかじゃない。保身の塊だ。自分の存在を強化するためだけに狂犬までもあっさり殺す奴だと、大勢の観客は考える。死喰い人たちもだ。トムへの忠誠にはもともと恐怖が根底にあるけれど、ベラトリクスを殺すのはトム自身の臆病な自己保身だと見せつける必要がある」
ハーマイオニーは深く頷いた。
「そうすれば、人々を恐怖から解放しやすくなるわね」
ロンが脚をバタバタ動かして叫ぶ。
「正気かよ? 最強の杖だぜ? 最強の杖をトムに持たせるのかよ?! ベラトリクスが杖の持ち主だってわかってるならこっちが奪っちまおうぜ!」
ハーマイオニーはそのロンの脚を叩き、蓮はロンの言葉に一瞬だけ目を細めた。
「要らないのよ、あんなもの! 破壊して燃やしてダンブルドアの墓に戻すべきだわ」
「最強の杖をどうやって破壊するんだ? 最強だぞ?」
「ペヴェレル家の杖作りは、ニワトコの杖を作ったことを後悔して・・・ワクチンを作ったのよ。レンの杖はニワトコの杖の妹杖。ニワトコの杖を止めるための杖なの」
蓮は顔をしかめた。
「ハーマイオニー、そういう話はしなくていい。ていうか絶対人に言うなよ。ハリーもロンもスーザンも忘れてくれ。わたくしは自分の杖を伝説にしたくない。これはわたくしの杖だ。それだけでいい」
スーザンはパンパンと手を叩いた。
「その発想はとてもレンらしくていいと思うわ。賛成よ。まず、円卓騎士団をホグワーツ城に招集しましょう。アズカバンの破壊はもうヨーロッパ中が知っているわ。トムくんも知って、そして焦っている。自分の知らない勢力が大きな事件を起こした。彼はこの事態に対応するために一刻も早く自分の権威付けをしなければならない。わたしたちは、準備を整えてそれを待つ」
ハーマイオニーは肩を竦めた。
「はいはい。わたしもレンの桜の杖を奪う気なんてないから安心しなさい。ホグワーツに行くルートは今はひとつだけ。ホッグズヘッドよ」
「わかった。じゃあ、ハーマイオニーたちはゴドリックの谷に隠してあるホークラックスの残骸を回収してホグズミードに来てくれ。わたくしとスーザンはホグズミードに先に行って見張りがいないか確認しておく。いたら片付けとくよ」
「それなら僕かロンが君たちに同行したほうがいい。スーザンと君だけじゃ危険だ」
蓮は笑って「何言ってるんだ、ハリー。今のスーザンはめちゃくちゃ強いよ。なにしろ原生林と米の魔力を満タンまでチャージしてる。ハッフルパフにとって大地のエネルギーは何より強いんだ・・・たぶん。それに、ヴィランを倒す英雄チームがその成果物を最終決戦に運んでくるのが、物語として一番美しい構造だよ。歪んだ物語に美しい物語をぶつけるんだからね」と答えた。
ハーマイオニーは蓮の顔をじっと見た。そして頷いた。
「わかったわ。ホッグズヘッドで会いましょう」
ホグズミードの通りは闇に沈んでいた。
蓮とスーザンは、地面に足をつけた瞬間にはもう杖を握っていた。街灯の光は淡く、まるで古い魔法で霞がかかったように通りを包む。店々の木製の看板は揺れ、かすかなきしみと軋む音が静寂の中に混じる。夜風は冷たく、スーザンの薄手のコートをひらりと翻し、彼女の髪を揺らす。
通りの大半は人気がなく、影が長く伸びている。屋根の上を猫のような黒い影が滑るたび、スーザンは杖を軽く握り直す。蓮は通りを見回しながら、闇の奥に潜む潜在的な敵の気配を敏感に探った。
夜空には月が半分顔を出し、星々が散りばめられている。だが、ホグズミードの夜は、ただの静けさではなく、物語の始まりを予感させるような、ひそやかで危うい美しさを帯びていた。蓮とスーザンの足音だけが、石畳に柔らかく響く。
「見張りはいない・・・かもね」スーザンが囁く。
蓮は軽く笑みを浮かべ、闇の向こうへ目を凝らした。「いや、油断は禁物だ。トムくんは自分を守ることにだけはいやらしいほど周到だから」
その時、路地の奥から、おぼろな光と共に微かな足音が重なる。夜のホグズミードは、静かに息を潜め、二人を迎え入れる準備をしていた。
蓮が杖を握り直して足を踏み出すと、耳障りな、羽虫が一斉に飛び立つような音が一斉に鳴り響いた。鳴子魔法だ。
スーザンも気づき、2人は背中合わせで杖を構えた。
蓮は杖を低く構え、通りをじっと見つめた。「来るよ」
その瞬間、黒い影が一瞬浮かび上がる。月光にかすかに反射した金属の杖先。
「三人・・・いや、四人いる」
蓮の低い声にスーザンはうなずき、杖を胸の前で構えた。心臓が早鐘のように打ち、空気が張り詰める。
敵のひとりが、杖を小さく振るう。微かな光が空気を切り裂き、鳴子がいっそう激しく振動した。蓮とスーザンは同時に身をかがめ、反射的に防御魔法を張る。
「来るぞ!」蓮が囁く間もなく、闇の中から魔法の閃光が放たれた。石畳に火花が散り、夜の静けさが一瞬で破られる。
夜のホグズミードは、まるで呼吸するかのように緊張を増し、闇の中で見えない力が二人を守るかのように揺れている。
スーザンの杖から無言で閃光が走った。
どさりと鈍い音を立てて敵が倒れる。
2人は闇の中、感覚を研ぎ澄ませて次々に敵を失神させていった。
蓮が「よし、スーザン、ホッグズヘッドに行こう。エクエスでみんなを呼び出さなきゃ」と言った。
スーザンは軽く頷いて「ホッグズヘッドの入り口前に姿現ししてもらいましょう」と歩き出した。
一番にホッグズヘッドに現れたのはアンソニー・ゴールドスタインだった。「アズカバンが爆発して以来待ちくたびれてたぞ!」2人の肩をバシッと叩き「アブ、大勢来るよ!」と店内に入っていく。
次はパーバティとパドマのパチル姉妹だ。「レン、スーザン! 久しぶり! 相変わらず失神呪文のキレがいいわね、スーザン!」「レンのお母さまは? 一緒じゃないの?」
蓮がパドマの声に「保護者付きで喧嘩しに行く奴はいないよ!」と悪態をついた。
そしてジャスティン。「スーザン、会いたかったよ」と熱烈なハグをしてパーバティに「ジャスティン、ここはスコットランドよ。フランスじゃないわ」と笑われた。
続いてハーマイオニーたち3人が現れると、一段と賑やかになる。
アバーフォースは苦い顔でバタービールやファイアウィスキーをカウンターに並べ始めた。
「誰でもいいからロングボトムに連絡して迎えに来てもらえ。うるさくてかなわん」
まあまあ、と蓮はポケットの財布から紙幣を取り出してカウンターに置いた。
「アブ、これから数日間1日1回で構わないから、12人分の食事をバスケットに入れて用意して欲しいんだ。バターを塗ったバゲットとかサンドイッチとか、簡単なものでいいからさ」
「ホグワーツの中には、おまえんとこのハウスエルフがいるだろうが。あいつに言えばまともな飯が毎食食えるぞ」
「ウェンディが? でもこれだけの人数じゃ」
「あのハウスエルフなら魔法大臣にだってなれる。せっせと演説してホグワーツのハウスエルフ全員を『ようふく』にしちまいやがった。『ウェンディのお言葉は姫さまのお言葉です』ってな」
まあ! とハーマイオニーが小さく叫ぶ。「素晴らしいわ、レン!」
蓮は飛びついてきたハーマイオニーの肩をポンと叩いた。「わたくしはそんな指示を出した記憶はないけどね」
その時、暖炉の上に掛かった少女の絵が扉のように開いた。
「ネビル!」
「やあ、みんな。会えて嬉しいよ! さあ行こう。必要の部屋に直行だ。グリーングラスが待ってる。ハリー、悪いけどDAメンバーにはまだ知らせてないんだ。ジニーには君から教えてあげてよ」
「あ、ああ、うん・・・」
じゃあなアブ! 邪魔したわね。口々にアバーフォースに挨拶して、いそいそと全員が通路に消えていった。
それをつまらなそうに見送ったアバーフォースが扉の肖像画を閉じた。
「あいつらはうまくやれると思うかい、アリアナ?」
肖像画の中のアリアナは優しく微笑んで、小径の奥に目を向け、静かに頷いた。
必要の部屋は、なんとも雑然とした空間になっていた。
寝袋やハンモック、トランクからはみ出した衣類。
顔をしかめてダフネはちょいちょいと杖先を動かして整理した。
「・・・もうパンツは落ちてないわよね。まったく、これだからグリフィンドールの男どもは始末に負えないわ。このわたしに寝ぐらの整理整頓をさせるなん」
途中で言葉を切ったダフネは、壁の扉の絵を見つめた。
「なんだ、ネビル、首席らしくしてるんじゃないのか?」
「グリフィンドールの首席らしくしてるさ。真っ先に鞭打ちを喰らったからさっさと必要の部屋に引っ越したよ」
「なんですって! 学校にいながら授業を受けてないって言うの?!」
「ハーマイオニーうるさい」
ざわざわと聞こえてくる賑やかな声に思わず微笑みそうになって慌てて顔を引き締めた。
薄暗く埃っぽくなってしまったホグワーツに、朝を迎える野鳥たちの声が戻ってきたかのようだ。
あと少し。
もう少し。
ほら、扉が開く。
「よう、グリーングラス!」
ああもう一生の不覚だわ、と思いながらダフネは扉の向こうから現れたレン・ウィンストンに飛びついた。
「遅いわよ、ウィンストン!」
ぴゅう、とパドマが口笛を吹く。「焼きが回ったんじゃない、ダフネ? 写真撮っとけばよかった」
「まったくだぜ。『グリーングラス家の令嬢は安堵のあまりエリザベス3世に縋りついて涙を流した』ってな」
ロンの軽口でダフネは思わず蓮を突き飛ばした。スーザンがその蓮を受け止めて苦笑する。
「・・・わたくしが何をした?」
「ダフネにだって感情はあるのよ、レン」
「今のはわたくしは悪くないよね?」
蓮を引き起こしながらハーマイオニーが「ロンの茶匙一杯分しかない感受性はたまに図星を言い当てるのよ」と断言した。「あ、ねえパーバティ、アレ用意してくれた?」
もちろん! とパーバティが掲げたショップバッグに女性たちが不敵な笑みを浮かべる。
「女子ぃ! 集まってぇ!」
蓮がハーマイオニーについて行こうとすると、ダフネに睨まれた。
「わたくしも女子だぞ」
「あんたはいいのよ」
なんなんだ、と蓮は肩を落とした。
その蓮の肩をハリーが叩く。
「君はこっちに来てくれ。全員の休む場所と食事を確保しなきゃいけない。ネビル、どういう状況だい?」
「基本的に寮内には死喰い人は干渉しないし、どの寮も空き部屋が多いから寝る場所の心配は要らない、と思う。といっても僕もこの部屋に住んでるから確実じゃないんだけど。あ、食事はハウスエルフがここまで運んでくれるんだ」
「ハウスエルフ? スネイプやカロー兄妹の命令は絶対じゃないのか? あ、ドビーたち?」
ネビルは笑って首を振った。
「ホグワーツのハウスエルフはみんなこっそり『ようふく』になったらしい。レン、君の命令なんだろ?」
「・・・どうやらそういうことらしい。わたくしの名前を勝手に使うハウスエルフが裏工作した結果だ」
ハリーは「ウェンディか」と納得した。
「ま、まあいい。ハウスエルフたちが味方になってくれるのは心強いし・・・なによりハーマイオニーの機嫌がよくなるのは全員の心の安らぎになる」
「食事の問題は、だから心配要らないよ。眠る場所だけど、男はグリフィンドール、女の子たちはレイブンクローでどうかな。各寮に散らばるよりも、男女に分かれる程度がいいと思うんだ。グリフィンドールはジニー、レイブンクローはルーナがいるから融通が利かせやすいだろ? レンとハーマイオニーがいればレイブンクローのなぞなぞもクリアできるだろうしさ」
これにまた蓮が顔をしかめた。
「・・・わたくしは組分け帽子がグリフィンドールに推薦したんだぞ。あんななぞなぞを毎回毎回聞かれるのはごめんだ」
「じゃあハッフルパフにするかい? 塔タイプの寮のほうが安全かと思ったんだけど」
「いや、レイブンクローでいいよ。ハーマイオニーとパドマがいればなんとかなる」
その時「何の話?」と言いながらスーザンとハーマイオニーが蓮の両隣に腰を下ろした。
「部屋割と食事の計画。パーバティの方はいいの?」
「ええ。解決したわ。あ、女子がレイブンクローなのね? よかったじゃない、レイブンクローの寮ならレイおばさまがいれば、大人たちも合流しやすいわ」
蓮が思わずビクッと肩を揺らしてパドマに目を向ける。
「なあに、レン?」
「ママとばあばを貸し出すのは、決戦が終わってからだぞ? それまではこっちに集中しろよ?」
「わかってるわよ。TPOを弁えない記者に簡単に口を割る人たちだなんて思ってないから安心しなさい」
疑わしいと言いたげに胡乱な目でパドマを見る蓮の頭をダフネが小突いた。「あんたこそ集中しなさいよ」
このとき、遠くブルガリアではグリンデルバルドがうっすらと東の空が明るくなるのを見つめていた。
「疑心暗鬼になっているようだな、トム・リドル。配下の者たちからの情報が信じられぬのだろう?」
私は待っているぞ、とグリンデルバルドは小さく呟き、太陽がその全身でブルガリアの大地を照らし始める様をじっと見守った。