サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第13章 バレンタインの混乱

2月の初めにハーマイオニーが退院してきた。

 

ハーマイオニーの退院の前にリドルの日記を片付けてしまいたかったのだが、母からは「強力な闇の魔術だから、多少のことでは壊せない。バジリスクの毒を含んだゴブリン製の刃物で突き刺すのが一番手軽です」という返事が来ただけだ。

 

「どこが手軽よ!」と蓮が叫ぶのは仕方のないことだった。

 

ゴブリン製の刃物ならすぐに手に入る。1年生のクリスマスに日本の祖父から短剣を貰った。チェルシーの家に置いてきたから、ウェンディがすぐに持ってきてくれるはずだ。それにバジリスクの毒を吸収させればいい。

バジリスクの毒が手に入れば、の話だが。

 

仕方なく蓮は、いつものようにハーマイオニーとパーバティに「机の上に触らないでね」と言い置いて部屋を出ようとする。

 

「どこに行くの? 1人じゃ危ないわ」

 

今や校内であっても1人歩きは推奨されない。

 

「マクゴナガル先生のところ。バジリスクの毒を貰いに行ってくるわ」

「ふうん。いってらっしゃ・・・はあ?」

 

バタバタっとハーマイオニーが追いかけてくる。

 

「1人で平気よ?」

「そういう問題じゃないわ!」

 

こうして2人は素直にマクゴナガル先生の部屋を訪ねたのだが、深い深い溜息とともに「何に使うのか知りませんが、そんなものを原液のまま50年間も持ち歩く人間にわたくしが見えますか」と言われて引き下がるほかなかった。

 

「バジリスクの毒を含んだゴブリン製の剣ならホグワーツにありますが、あれは歴史的遺物ですので、一生徒に貸し出しは出来ません」

「歴史的遺物の割に危険物ですね」

「歴史的遺物を危険物にしやがったのは、あなたのおばあさまです」

「・・・いろいろ申し訳ございません」

 

マクゴナガル先生の部屋を辞した2人は、頭を捻りながら寮に戻った。

 

部屋に入るとパーバティの気配がしない。

 

「あれ、パーバティは?」

 

パーバティの机の上には教科書や羊皮紙が開かれたままだ。几帳面なパーバティには珍しいことだった。

 

「いないのかしら?」

 

その時「きゃあ!」という小さな悲鳴が聞こえ、蓮は咄嗟に杖を抜く。

 

「・・・パーバティ?」

「パ、パーバティ、なの?」

 

背後から羽交締めにされたハーマイオニーは必死で顔を捻るが、パーバティのものとも思えない力に首の自由さえ利かない。

 

ハッとして机を見ると、四隅の盛り塩が僅かに崩れていた。

 

「くっそ・・・」

 

蓮は杖をパーバティに向けたまま、ジリジリと自分の机に向かって動き出す。

 

「トム!」

 

蓮の呼び声に、パーバティが反応した。「その名で呼ぶな、血を裏切る者が!」

 

パーバティの声ではない、と気づいたハーマイオニーが顔色を変えた。

 

「ハーマイオニー、目を閉じて!」

 

掴んだ塩をパーバティに向かって投げつけ、同時に杖を日記帳に突き立てた。無論、いくら妙な杖といえど鋭利な刃物でもなく日記帳には傷ひとつつかないが、塩と本体への刺激でパーバティに取り憑いたリドルは離れた。

 

ハーマイオニーは急に自由になった体でたたらを踏み、パーバティを振り返る。

気を失ったパーバティが、クローゼットに寄りかかりながら、ずるずると床に崩れ落ちた。

 

「ハーマイオニー、こっちへ」

 

ベッドを飛び越えてきたハーマイオニーを背中に回し、手早く机にストックしてある紙袋いっぱいの塩を日記帳の上にひっくり返した。

 

「レン、それは?」

「んー、日本の魔除け?」

 

言いながら「早くなんとかしないと危ないわね」と呟く。小声で「今のことはパーバティには秘密にね」と言うと、ハーマイオニーは頷いた。

 

 

 

 

 

その日の夕食の席で、スプラウト先生が、良いニュースがあります、と声を明るくした。

 

「マンドレイクに、ニキビができ、情緒不安定で隠し事をするようになりました!」

 

どこが良いニュースなの? とロンとハリーが首を傾げ、ネビルはうっとりと喜びを噛み締め、ハーマイオニーは頭を働かせた。「つまり・・・マンドレイクが思春期に入ったということだと思うわ」

 

「反抗期のマンドレイクのどこに良いニュースの要素が?」

「順調に成長しているのよ」

「非行に走らなきゃいいわね」

 

ネビルが「レン」と丸顔を生真面目に引き締めた。「多少は非行に走ってくれなきゃ困るんだよ。マンドレイクが乱痴気パーティをしたり、お互いの植木鉢に入り込みたがるようにならなきゃ」

 

蓮は顔をしかめ「楽しい人生で何よりですこと」と応じた。

 

その隣でパーバティがしきりに頭をコツコツ叩いている。

 

「パーバティ?」

「ああ、レン、ハーマイオニー。わたし、少しどうかしちゃったみたい。机で宿題をしていたのに、気づくとベッドに寝てたの」

「わたしたちがマクゴナガル先生のお部屋から戻ったら、あなた、もうベッドにいたわよ。具合でも悪いのかと思ってそっとしといたけど?」

「それだけじゃないの。教科書を棚に並べる順番が違うのよ! まるでわたしが並べたんじゃないみたいに!」

 

ヒッ、とジニーが息を呑み、蓮の背筋に冷たい汗が流れた。教科書を並べるのに正しい順番があったとは。

 

「パーバティ」とハーマイオニーがあえて深刻な顔で首を振る。「あなた、きっと具合が悪かったのよ。わたしもそういうことはあるからわかるわ。気にしないで、今夜はゆっくり休んだらどう? ジニー? あなたまで顔色が良くないわ、どうしたの?」

 

蓮が隣のジニーに目を向けると、皿の上でナイフとフォークがカタカタと音を立てて震えている。

 

「パーバティの話が怖かった? 大丈夫よ、ジニー。この間までのハーマイオニーの強迫神経症がパーバティに移っただけ。無理ないわ。今年は学校じゅうが心配事だらけですもの」

 

ジニーは少し神経質過ぎるな、と蓮は思った。兄たちがお腹の中に置き忘れてきた繊細な神経を全て持って生まれてきたようだ。

 

 

 

 

 

バレンタインの朝が来た。

 

大広間に足を踏み入れた蓮は、これ以上の無表情はないというぐらいの無表情で、近くにいたネビルに「乱痴気パーティってこういうこと?」と平坦な声で尋ねる。

 

蓮に少し遅れて大広間を覗いたハーマイオニーも、何か耐え難いものを見たように、ギュッと目を閉じた。

 

壁という壁がけばけばしい大きなピンクの花で覆われ、淡いブルーの天井からはハート型の紙吹雪が舞っていた。

 

教職員テーブルには、けばけばしいピンクのローブを着たロックハートが、石のように無表情な先生方の空気も読まずに満面の笑顔で1人立っている。

 

「ハッピー・バレンタイン! 皆さんをちょっと驚かせようと私がこのようにさせていただきました。もちろんこれだけではありませんよ!」

 

ハーマイオニーは、蓮が喉の奥で唸るのを聞いた気がした。

12人の無愛想な顔をした小人が、金色の翼をつけ、竪琴を持ってハーマイオニーたちの脇を通り、大広間に入っていく。

 

「私の愛すべき配達キューピッドです! 彼らが皆さんのバレンタインカードを配達します! もちろん先生方もご協力くださるでしょう! さあ、スネイプ先生に『愛の妙薬』の作り方を教えていただいては? フリットウィック先生は『魅惑の呪文』の名手です!」

 

フリットウィック先生はあまりのことに、以前ハーマイオニーの家を訪ねてきたときのようにキャッと叫んで椅子から転がり落ち、スネイプは愛の妙薬の代わりにバジリスクの毒を口に流し込んでやると言わんばかりの顔をしていた。

 

ハーマイオニーは、蓮の感情を害しないように、そろそろとグリフィンドール席につき、素知らぬ顔で食事をする羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

蓮の災難は午前中から始まった。「あなたにです、レン・ウィンストン!」

 

最初の5人までは蓮は頭痛をこらえながら、小人がカードに書かれた詩を読み上げるのを聞いていた。

 

「君の瞳は金色に輝き、僕の心をバジリスクの如く一睨みで射抜いてしまった」

 

6人目の小人がそこまで読み上げたのは変身術の授業中で、手元に杖があったのが災いして「それが詩か!」と反射的に小人を失神させた。

 

「ミス・ウィンストン、流れるような無言呪文でした。グリフィンドールに10点差し上げます。それから」とマクゴナガル先生が親指で教壇近くのドアに並んでいる小人たちを示した。「あなたに用のある個体を始末してきなさい」

 

それから蓮と小人の鬼ごっこが始まったのだった。

 

玄関ホールに駆け込み、追ってきた小人に失神呪文を乱れ撃ち、息を吹き返した個体が諦めずについてくるのを引っ掴んで投げ飛ばし、無理やり得体の知れない液体を飲ませたがる個体はシャンデリアにぶら下げて振り回し液体を撒かせた。

 

息を切らして、大広間の昼食に向かうパーバティを捕まえて「とにかく何でもいいから、食べ物と飲み物を寮に持って帰って」と頼むと、油断なく杖を構えながら、グリフィンドール塔に戻った。

 

談話室には、幸せそうなジョージがいる。

 

「ハイ、ジョージ」

「や、やあ、レン」

 

ジョージの前のコーヒーテーブルには、けばけばしいピンクのカードが置いてある。蓮がそれに目を留めたのに気付き、ジョージが咳払いをした。

 

「これ、大事にするよ」

 

蓮はジョージの赤い顔をしげしげと見つめ「知らなかった」と驚いた声を出した。

 

「え?」

「ジョージって、グリーングラスが好きだったのね。知ってたら、彼女に化けの皮剥がしの呪文なんてかけなかったわ。ごめんなさい」

「グリーングラ・・・なんでそうなる?」

 

だって、と蓮は首を傾げる。「そのカードの真ん中のGの書体、グリーングラス家の紋章だもの」

 

ジョージは「ジョージのGじゃないのか!」と叫んだ。

 

「ジョージのGと掛けたんだと思うわ。大事にね」

「待て待て待て待てよ! おかしいだろ、2年生で最も美しい匿名希望が、なんでグリーングラスだよ!」

 

蓮は気の毒そうにジョージを見上げる。「ジョージ、あなたの好きな人のこと悪く言いたくはないけれど」と頭を振る。「普通の神経の女の子は自分じゃ言わないわ、そんなこと」

 

燃え尽きたジョージをフレッドとリー・ジョーダンが転げ回って笑う横で、蓮はパーバティから昼食を受け取った。

 

「ジョージは大丈夫なの?」

「たぶん。ちょっとだけ風変わりなガールフレンドが出来たのよ」

 

そこへハーマイオニーが女子寮の階段を駆け下りてきた。

 

「レン、パーバティ! たいへんよ! 部屋が荒らされてるわ!」

 

蓮は「ロックハートの奴、殺してやる」と唸った。

 

「ロックハートの小人じゃないと思うわよ、レン」

 

パーバティが呆れたように呟き、蓮を引っ掴んで部屋に向かった。

 

 

 

 

 

ただでさえ不機嫌な蓮だったが、部屋の惨状には苛立ちが最高潮に達した。

 

「パーバティ、ハーマイオニー。自分の持ち物を調べて。紛失もしくは損壊したものをリストアップして、ロックハートに請求するわ!」

「だから、ロックハートのせいじゃないと思うのよね」

 

あいつは! と自分のベッドの上に散らばった洗濯前の衣類を払い落とした。

今世紀最大の! と机の上の本を積み直す。

歩く災難よ! と抽出しを開けた。

 

「・・・ない」

「なにが?」

 

ハーマイオニーの瞳を見つめた。「例の日記帳が」

 

2番目の抽出しをまるまる塩で満たし、その中に埋め込んでいた日記帳が跡形もなく消えていた。

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