風鳴翼、ガンプラを作る   作:いぶりがっこ

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第一話「SAKIMORI、勘当される」

 ――閑静な仮山水に、カコン、と、石床を叩く乾いた竹の音が響き渡る。

 

 

 

「――がんぷら、ばとる……、ですか?」

 

 空になった茶碗を下ろし、風鳴翼がぽつりと疑念をこぼす。

 風流なる中庭の光景を窓越しに臨みながら、少女の秀麗な眉目に僅かに皺が寄る。

 

「ええ、そうです、ガンプラバトルです。

 それが来月の翼さんの初仕事になります」

 

 翼の問い掛けに答えながら、対面の緒川が淡々と茶を点てる。

 細身のスーツ姿と言う茶室に不釣り合いな格好でありながら、一切の違和感を感じさせない手慣れた所作であった。

 

「翼さん、ガンダムについてはご存知ですか?」

 

「あまり馬鹿にしないで下さい。

 アニメに登場するロボットの名前でしょう……確か」

 

「ええ、その通りです。

 厳密に言えば、アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するMS、RX-78の通称。

 広義の意味では、今日までメディア展開を続けるガンダムシリーズの総称です。

 そしてガンプラとは、ガンダムのプラモデルを示す商品名。

 ガンダムシリーズの主力商品である玩具の一種ですね」

 

「あ」

 

 腑に落ちた、と言った風に、こくりと一つ翼が頷く。

 しかしその内、再び翼は怪訝な瞳を緒川へと向けた。

 

「それでは、ばとる、とはつまり……。

 こう、双方が手にしたプラモデルをぶつけ合わせるような」

 

「あ、いや、違いますよ。

 すいません、僕の言葉が足りませんでした」

 

 真剣な瞳で、両手のエアガンプラでブンドドを始める乙女の姿に、思わず緒川も苦笑をこぼす。

 

「プラフスキー粒子、と呼ばれる粒子が存在します。

 目に見えぬほどの微細な粒子で、ガンプラの中に浸透させる事によって、機体を自在に動かす事を可能にする奇跡の素体です。

 ガンプラバトルとはつまり、プラフスキー粒子の充填したフィールド上で、お互いのガンプラを動かし、戦わせる競技なんです」

 

「プラスチックの玩具同士を……?

 ふふっ、そんなつまらない冗談では、流石に私でも担がれませんよ」

 

「いやいや、冗談では無いんですって。

 システムの胆となるプラフスキー粒子の生成は、胴元であるヤジマ商事独自の技術。

 そのメカニズムは未だ謎だらけで、かつて解析に挑んだ了子さんも『こりゃ現代のブラックボックスだわね』などと言って匙を投げたものです」

 

「櫻井女史が? ……なるほど、それは面妖な」

 

 思いもよらぬ旧知の名を受け、にっ、と不敵な笑みが浮かぶ。

 かつての盟友、櫻井了子ですら手こずる未知の物質の存在。

 たとえ理屈が分からずとも、その事実だけで戦場に立てるのが、現代の防人・風鳴翼である。

 

「けれど、バトルの事はそれで由としても。

 プラモデルについて素人の私が余興に興じたとて、興業として成立するとは思えませんが」

 

「余興、などとあまり軽々しく考えない方がいいですよ。

 ガンプラバトルは今や、国際的にも最も競技人口の多い一大祭典ですから」

 

 やんわりと窘めるように微笑して、緒川が今日のガンプラと言うコンテンツについて説明する。

 

「翼さんの言う通り、確かにガンプラはファンの為の玩具です……、が。

 同時に今や、多くの職人たちがその腕を競うアートであり、また、選手たちが競技に挑む為の剣でもあります。

 裾野は広く頂きは高く、故に様々なジャンルの人間がガンプラと言う世界に携わっています。

 今回のイベントで共演予定のミホシさんも、元はガンプラアイドル出身のアーティストだったんですよ」

 

「ミホシ……、国内外で高い評価を受けるハリウッド女優までもがガンプラを?」

 

「ええ、そうです。

 ガンプラに対する深い造詣を持った人間が、それだけ重宝される時代になったと言う例ですね。

 ですから翼さんも人前では、ガンダムシリーズを軽んじるような発言をしてはいけませんよ」

 

「……成程。

 我ながら不勉強が過ぎたようです。

 碌に知りもせぬ世界の事を、軽々しく侮るような言魂を吐くなど」

 

 過ちを素直に認め、翼が浅く一礼する。

 世界的トップアーティスト、風鳴翼が現在の地位にある為に、緒川慎次と言う敏腕マネージャーの尽力がどれほど不可欠なものであったかは、その仕事ぶりを傍らで見て来た翼自身が誰よりも理解している。

 単純な実力だけでは生き残れない芸能界を、ガンプラへの知識を梃子に頂点までのし上がった女性がいる。

 ガンダムと言う世界の深遠さは、その一事だけでも十分に理解できようものである。

 

「では緒川さん、今度の仕事と言うのはやはり、私がガンプラバトルを?」

 

「はい。

 現在ガンプラバトル世界選手権の開催を間近に控え、会場の静岡ではガンプラ関係のブース展開が進んでいます。

 ガンプラバトルは競技であると同時に年に一度の祭典ですから、様々なイベントを盛り上げるため、芸能関係者へのオファーにも積極的と言うワケです」

 

「その交流会の席で私は、緒川さんが用意してくれたガンプラを使い、戦う、と?」

 

「あ、いえ、僕は……」

 

 

「それはならぬぞ、翼よ――」

 

 

「えっ?」

 

 

 すっ、と、躊躇いがちな緒川の言葉を遮り、入口の襖が開かれる。

 茶室に顔を見せた和服の男に、翼の口から小さく驚きが洩れる。

 

「お父様……」

 

 風鳴八紘。

 風鳴家の現当主にして、日本の国防を支える安全保障のスペシャリスト。

 そして同時に彼女、風鳴翼の父親に当たる人物であった。

 

 唖然とする娘の顔も気にする事無く、八紘が傍らにゆったりと着座する。

 当座の亭主である緒川には、この突然の来客も予想の範疇であったのであろう。

 慌てる事無くゆるりと茶を点て、八紘の前へ茶碗と差し出した。

 八紘もそれに会釈で応え、手の内の腕をゆっくりと回し、背筋を伸ばして薄茶を呷る。

 二口、三口。

 いかにも古今の礼法に通じた教養人らしい、堂に入った立ち居振る舞いであった。

 

「――結構なお点前で」

 

「それでお父様、先ほど申された、ならぬ、と言うのは?」

 

「うむ」

 

 じれるような娘の声色に、眼鏡の奥の瞳が静かに光る。

 

「内々の話ではあるのだが……。

 今月末、先の魔法少女事変の後始末について、米国高官と会談の席を設ける手筈になっている。

 S.O.N.G.に移籍したマリアくんの処遇についての話も出るだろう。

 お前にとっても、決して無縁の話と言う訳では無いな」

 

「会談、ですか」

 

「万が一、と言う事もあるまいが、本件には万全を期して臨みたい。

 慎次にはこれから私に帯同し、会場警備の指揮を執ってもらうつもりだ」

 

 八紘の視線を受け、いかにも申し訳なさげに緒川が一礼する。

 

「そう言うワケなんです、翼さん。

 スケジュールの調整はこちらで進めておきますが、残念ながら、僕が合流できるのは当日の朝になりますね」

 

「そう言う事情でしたか。

 それでは、ガンプラの方は、誰か別の人間に……」

 

「たわけ」

 

 ぴしり、と、愛娘の発した無意識の甘えを、八紘が一刀の許に斬り捨てる。

 

「お前が作れ、翼。

 昨今ではプラモデルなど、そこいらの子供たちだって容易く作り上げる代物だ」

 

「……え?」

 

 

 ――カコン!

 

 

 空白になった思考の隙間に、鹿脅しの乾いた音が響き渡る。

 翼はしばし、ぱちくりと両目を瞬かせ、しかる後に艶やかな青髪をぶんぶんと振るった。

 

「お、お待ちください、お父様。

 仰られる事はご尤もだと存じますが、なれど、プラモデルと言う世界を何一つ知らない私が、

 手慣れた子供たちのように簡単に作品を作り挙げられよう筈が……」

 

「確かに、至難の業であろうな。

 良い歳して自室のリモコンすら見失うような粗忽な女が、指先よりも細やかなパーツを組み上げられよう筈も無い!」

 

「はッ!?」

 

 今度こそ翼は瞠目した。

 冷徹な瞳であった。

 かつて、愛する娘の翼を守らんがために、自らの事を「穢れた風鳴の道具」とまで呼び捨てた、悲しくも厳しい悪鬼の瞳であった。

 

「それでも作るのだ、翼よ。

 自らの目で選び、自らの手で作り上げた機体でイベントに臨む。

 それこそがお前を抜擢して下さった先方に対する誠意であり、また、

 交流会を心待ちにするファンの皆さんに対する、当然の心遣いと言うものだ」

 

「し、しかし……」

 

「要件は、しかと伝えたぞ。

 お前の使うガンプラについて、この家の者の手を借りる事は一切罷りならぬ。

 自らの手でガンプラを作り上げるまで、風鳴の敷居は跨がせぬものと心得よ」

 

「そんな……、お待ちください、お父様、お父様ッ!」

 

 狼狽する娘を一顧だにせず、八紘が茶室を後にする。

 緒川もまた躊躇いがちに腰を上げ、彼の後へと続く。

 

「翼さん、ガッツですよ。

 八紘さまの物言いは、確かに厳しいものがありますが、

 けれどこれは翼さんにとっても、一人の大人として大成できるかどうかの瀬戸際なんです」

 

「緒川さん……」

 

 そして襖は閉ざされ、茶室には一人、へたれ込んだ乙女のみが残された。

 

「私、わたしが、がんぷら、を……」

 

 空疎な室内に、カコン、と言う乾いた唐竹の音のみが響いていた。

 

 

 

 熱気に満ちた地下室に、スタタン、スタタンと言うロープの跳ねる音が響いていた。

 年季の入ったマットに、汗の匂いの染み付いたコンクリートの壁。

 チカチカと輪郭を灯す、薄ぼんやりとした裸電球の光。

 時折、キュッと床を擦るシューズの音。

 そして何より、その場に居合わせた男の人間的な太さによって、息苦しいまでの蒸し暑さを感じさせる部屋であった。

 

「なるほど、それで俺の所に泣き付いて来たってわけだ。

 ハハ、まったく、堅物の兄貴が言い出しそうな話だ……なっ、と!」

 

 

 ――ボグン!

 

 

 からかうような微笑を携え、太い男、風鳴弦十郎が真っ直ぐに拳を突き出した。

 軽々しく放られたグローブが突き刺さり、跳ね上がったサンドバッグが天井に叩きつけられる。

 衝撃で部屋全体がビリビリと反響に震える。

 

「もう! 叔父様、こっちは笑い事じゃありません」

 

 一切ロープスキッピングの手を止める事無く、風鳴翼がふくれっ面で抗議をする。

 高速回転する両手首と鋭く風を切る音だけが、そこにあるロープの実在を証明する。

 恐るべき事にこの間、翼の上体は微動だにしていない。

 全てが膝から下の動きだけで処理されているのだ。

 

 まっとうなトレーナーが見たらショックで寝込みそうな光景ではあるが、しかし彼らは別に、明日のチャンピオンを目指していると言う訳でもない。

 現代の防人たる風鳴一門にとっては「立ち話もなんだから軽く一汗流しに行くか」程度の、ありふれた日常の1コマであった。

 

「まっ、兄貴の言い分も分からなくは無いけどな。

 プラモデルってのは作る所までも含めて趣味の世界さ。

 他人の作ったガンプラを使うなとは言わないが、仕事で行く以上は、製作の大変さを知っておくに越した事は無いだろ?」

 

「けれど、今回ばかりはいくらなんでも、時間が足りな過ぎます」

 

 不意に翼の口調に真剣な色が混じり、機械のように精密だった動きが止まる。

 

「――確かに、説明書の手順通りに組み立てさえすれば、何とか形には出来るかも知れませんが。

 そんな付け焼刃で未知の戦場に臨むのは、余りにも心許ない。

 下手をすれば商品のイメージにも瑕がつくし、きっと、当日を心待ちにしているファンの方々を失望させてしまいます」

 

「…………」

 

 そう深刻ぶって俯いた姪の横顔に、弦十郎が一つ溜息をこぼす。

 この肩肘張った生真面目な令嬢に、どんなアドバイスを送ったものか?

 再び勢い良くサンドバッグを殴り飛ばし、話題を切り替える。

 

「……しっかし、ガンプラとはまた懐かしい話だな。

 俺もガキの時分には、いくつか組み立ててみた事があったっけか」

 

「叔父様が、ですか?

 では、やはり腕には覚えがある、と」

 

「いいや全然。

 どうも俺には、ああいうチマチマした作業が性に合わんかったらしい。

 何せまともな知識も無い子供の頃の話だし、キットの方も今ほどお手軽な物では無かったしな。

 手順も分からんままにパーツを接着しちまって、結局兄貴に泣き付いたよ」

 

「それで、お父様はなんと?」

 

 興味深げに身を乗り出して来た翼に対し、弦十郎は呆れたように首を竦めた。

 

「分厚い専門誌を渡してこう言ったよ、最後まで自分の手で作ってみろ、てな。

 わざわざそんなモンを買いに行くヒマがあるなら、手を貸してくれりゃあ良いのに……。

 結局、何とかかんとか分解して組み直したまでは良かったが、

 接合はガタガタ、接着剤はべっとりと、ま、お世辞にも褒められたデキにはならなかったな」

 

「ふふ、何だか二人とも、場面が目に浮かぶようです」

 

「けど、ま、確かに自分の手で作り上げたからこその愛着ってのもあるんだろうな。

 完成したガンプラは、まさしく俺の、世界に一つだけの機体だったさ。

 パーツの傷や歪みまでも含めて、な」

 

「……機体への愛着、ですか」

 

 かつての思い出に口許を緩ませ、弦十郎が翼の肩をポン、と叩く。

 

「なあ翼。

 今のお前に求められているのは、つまりはそう言う事じゃないのか?

 商品の販促だの興業の成功だの、そんなモンはそれこそ、その道のプロのビルダーたちに任せておけばいい。

 ガンプラの初心者がド素人なりに必死に挑んで、苦心して、他愛もない失敗をして、

 そう言った経験談をリアルタイムでオーディエンスと共有しあえる。

 それこそがガンプラビギナー、風鳴翼ならではの仕事だと思うがね」

 

「成程……。

 けれど、そう言う役割と意識してしまうと、それはそれで責任を感じてしまいます」

 

「ったく、頭でっかちに考えすぎなんだよ、お前は。

 仕事とは言えガンプラは遊びさ。

 遊びの楽しさを伝えようって言うんだら、まずは誰より、お前自身が楽しまなきゃあ、な」

 

「ガンプラを、ガンプラバトルを、楽しむ……」

 

 人生の先輩の助言を、オウム返しにそっと呟く。

 翼は一つ、確認するように小さく頷くと、傍らのタオルで顔を拭った。

 

「ん? どうした翼、もう上がるのか?」

 

「ええ、折角もらった休日ですから。

 私はどうも昔から、趣味や娯楽に対して不調法なようで……」

 

 言いながら顔を上げると、翼はその口元に、年頃の少女のような悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「久方ぶりに後輩たちの顔でも見に行ってきます。

 お父様は『家の者の手を借りるな』と言いましたが、『友人と遊ぶな』とは言いませんでしたから」

 

「ほう」

 

 軽やかに階段を駆け上がる乙女の背中を、感心した風に弦十郎が見つめ直す。

 扉が閉ざされ、無人となった室内で、男がふっ、と自嘲をこぼす。

 

「ふむ。

 アイツもあれでアイツなりに、単なる剣では無くなりつつあると言うワケだ」

 

 そして、振り被る。

 ほどなく、室内に再び爆音が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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