――ピロリロン♪ ピロリロン♪
馴染み深い電子音を響かせて、イオリ模型店のドアが開く。
カーキー色のくすんだジャンパーを腰に巻いた、タンクトップの黒髪の少年。
背の低い痩せっぽっちの外見に反し、逞しく焼けた筋肉が、いかにもドカの男を思わせる。
「あらいらしゃい、今日もバトルかしら?」
「どうも」
女店長、イオリ・リン子への挨拶へもそこそこに店内に進み、ここ数日の居場所となった奥の部屋へと足を向ける。
と、そこでふっと脚が止まる。
店の奥、ガラス張りとなったバトルルームの入口に、一人の男が陣取っている。
恰幅の良いポロシャツ姿の口髭の中年。
思わず呆れたように溜息が洩れる。
周囲の学生たちからは「ラルさん」だの「大尉」だのと呼ばれ妙な尊敬を集めている、この店の主のような男である。
「やあ、来たな少年。
本業の方は今日も開店休業かね?」
少年の視線に気が付いて、「ラルさん」が気さくに声をかける。
「相変わらず社長は右往左往してるけど、現場の方は止まったまんま。
静岡の仕事が決まってくれれば、干上がらずに済むんだけどね」
「ガンプラバトル選手権……。
君たちにとってもカキ入れ時と無いと言う訳だな」
「おっさんの方こそ、相変わらず昼間っから暇そうだね?」
「んむ?
いやいや、こちらは別に退屈などしておらんぞ。
この店も最近は、君達のような面白い新人が顔を出してくれるからね」
「……達?」
大尉の言葉の含みに気が付いて、少年がガラス腰に室内を覗く。
そして「ああ」と、納得の合槌を打つ。
フィールド上には、鬱蒼と生い茂る針葉樹林が展開していた。
そして戦いの舞台となるフィールドを挟んで、二人の乙女が向かい合っていた。
片方は背の低い痩せっぽっちのワンピース。
傍目にはあまり印象に残るタイプでは無かったのだが、子犬のような仕草と、ふわりとした柔らかい毛色の髪の毛が、どこか少年の幼馴染の姿に似ていたため、かろうじて彼の記憶の糸に引っ掛かっていたのだ。
一方、対面、へっぴり腰でスフィアを握り締めるのは長身の乙女。
真剣そのものの瞳をサングラスにひた隠し、トレードマークのサイドテールが微かに揺れる。
「……この間の剣の人か」
「剣? なるほど、剣の人、かね」
シンプルかつ正鵠を得た少年のネーミングセンスに、大尉が感心したように頷く。
しかしすぐに表情を崩し、ガラスごしに少女へと苦笑を向けた。
「ふふ、もっとも、今はまだ、剣だの何だの大層な物を出せる状況では無いようだがね」
・
・
・
そんなギャラリー達の声も届かぬ、鬱蒼と生い茂った森林の中。
緑一色の世界に紛れ、MSが二体、対峙していた。
「翼さん、そんな風に足もとばかり見ていては、マトモに動けませんよ。
オートバランサーが働いてますから、安心して目線を上げて下さい」
モスグリーンの蛸頭、ザク改のコックピットから、いかつい外見に見合わぬ優しい声が響く。
「簡単に言ってくれるがな、この、スフィアの操作によく馴染めないのだ」
か細い泣き言をこぼしながら、内股気味のトリコローレ、ガンダムフェニーチェが、両手でバランスを取りながら、おっかなびっくり体を起こす。
「翼さん、スフィアから目を離してフィールドを見て下さい。
単に動かすだけなら複雑な動作は必要ありません。
手元を見るよりも、正面に目を向けて体勢を確認するんです」
「うむ、分かってはいるのだが、どうもこのMSの目線と言うのは、慣れないわね」
「気持ちの問題ですよ、翼さん。
て言うか翼さん、たまにそのMS目線よりも高く跳んでますから」
「う、む、とにかく、まずは、動くぞ……!」
呻くように宣言して、万力の如く握り締めたスフィアを恐る恐る前に倒す。
瞬間、ぐいん、と右手が滑り、三番スロットがダイナミックにスライドする。
同時にバシュン!と腰元からレイピアが跳び出し、ピンクの光刃が鮮やかに宙に踊る。
「うわっ! あ、わわわっ!?」
危険な殺人兵器が鼻先でお手玉し、たちまちフェニーチェがド派手にすっ転ぶ。
直後、切れ味抜群のレイピアが顔の真横に突き刺さり、ドジュゥ、と大地を焦がす。
「お、おお……」
「翼さん、いくらなんでも緊張しすぎです!
まずは深呼吸しましょう」
「分かってはいる、分かってはいるのだぞ、エルフナイン」
ふう、と一つ溜息を吐く。
エルフナインとて、風鳴翼の無知ゆえの過ちとは思っていない。
むしろ、逆。
ガンプラバトルの操作体系は、かなり能動的、感覚的な融通の効くシステムである。
極端な話、マニュアルをまともに読む事も出来ない子供であっても、「なんとなく」で操縦できる代物なのだ。
その敷居の低さが無ければ、エンターテイメントの頂点を席巻出来よう筈も無い。
マニュアル主義の弊害であろうか?
ガンプラを製作する際には必須であった、一つ一つの手順を確かめる、と言う行為が今、却って風鳴翼の肉体を委縮させてしまっている。
生来の彼女の運動神経をもってすれば、もっと優雅にこのフェニーチェを動かせる筈である。
慣れの問題、そう言い切ってしまうのは簡単だが、今の彼女にとっては、その慣れるまでの時間すら惜しい。
(ううん、こう言う場合、どう言う風にアドバイスすれば良いんだろう?
いつも通り、自然にと言った所で、それが出来ればこんな苦労は――)
ふっ、とエルフナインの脳裏に天啓が走った。
咄嗟の思い付きを行動に移すべく、スフィアから手を離して一つ深呼吸する。
「エルフナイン、どうかしたのか?」
「やー、やー、ふふふーん、ふふふーん
やー、やー、ややや~、や~……」
「――!」
不意にエルフナインが朗々と謳い出した。
狭い室内に、絶妙にメロディラインを外したお経のようなアカペラが響き渡る。
「戦場に、歌、だと……?
あの少女、まさか、TOMORROWの再来か」
「いや、何それ?」
ギャラリーが怪訝な瞳を少女へと向ける中、相対する翼のみは、はっ、と体を震わせていた。
エルフナインが諳んじているのは、単なる歌では無い。
「やーい、やーい、やーい、やーいやー」
聖詠である。
装者、風鳴翼が剣となって戦場に赴く時、絶えず胸の内から溢れだす魂の共鳴。
「やーい、やーい、やーい、やーいやーて!てん! てってってってー」
「アッメノーハッバキリイェィッイエー!」
風鳴翼が叫ぶ!
刹那、フェニーチェのオッドアイに力強い光が灯った。
片手でレイピアを拾い上げながら、開いた右手で倒立するように機体を跳ね起こす。
視界が一回転し、大地が一つ、ズン、と震える。
「……って、
な、何をやらせるんだエルフナイン!?」
「翼さん、出来たじゃないですか」
「あ」
エルフナインの指摘を受け、ようやく翼も気が付いた。
出来ている。
意図せぬままに知恵の輪が外れ、常在戦場をインプットされた愛機が脇構えを取っている。
「翼さんも普段、戦ったりバイクを運転したりする時に、いちいち手足の動きを確認したりはしないはずです。
まずは普段通り、聖詠でも諳んじながら感性で動かしてみてはどうでしょう?」
「ええっと、そんな適当な感じでいいのかしら?」
「翼さんになら出来ますよ。
最近のバトルシステムは、運動が苦手なボクにでも動かせるくらい優秀ですから」
「そんな風におだてられても、正直、おもはがゆいのだが……」
微かに苦笑し、ふう、と淀んだ空気を吐き出す。
フェニーチェが構えを解き、右手のレイピアの先端を、だらりと地面に傾ける。
いや、
ぞく、とエルフナインの小さな背が震える。
無形の位。
防人が臨戦体勢に移った。
一度構えを解き、その上でどうとでも動ける自然体に身を置いたのだ。
「……まずは、物は試し。
貴方と私、戦いましょうか?」
「ええ、い、行きますよ!」
短い宣言とほぼ同時に、ザクが手にしたグレネードを放り投げる。
たちまちドウッ、と巻き起こった爆風に紛れて後方に跳び、土埃の先の機影目がけ、マシンガンの掃射を浴びせる。
ようやく歩きだした素人相手にしては手厳しい洗礼であるものの、手心を加えられるような手合いでは無い。
あの機体を接近させてはならない。
本来ならば、機動力、火力、射撃能力においてザクを凌駕するウィングガンダムに対し、距離を置くような射撃戦を挑むのは明確な悪手である。
が、これは通常のガンプラバトルでは無い。
いかにWが射撃よりの万能機とは言え、乗っているのは剣なのだ。
「ふ……」
案の定、フェニーチェは地面に転がったライフルに目もくれず、一足飛びに繁みへと逃れた。
鬱蒼と生い茂る森林を盾に、バーニアの灼ける音が徐々にザクへと迫る。
「やっぱり、このやり方がが翼さん、くっ」
慌てて近場の樹木から丘の上へと逃れ、油断なくマシンガンを構え直す。
戦場で運悪く防人と相対したノイズもまた、このような恐怖を味わったのだろうか?
ふっ、と場違いな感傷がエルフナインの胸中に浮かぶ。
「エルフナイン、流石に機体を作り込んでるわね」
獣道を旋回しながら、翼が遠巻きにザクの姿を見つめる。
ガンダニウムの装甲ならばマシンガン如きに容易く穿たれる事も無いだろうが、足が止まった所に腰元のクラブを浴びせられては堪らない。
一瞬、打ち捨ててきたライフルが脳裏を過ったが、そちらはエルフナインも警戒しているだろうし、自分の性にも合わない。
まだ、聖詠は耳許に響いていた。
いずれは戦法を選り好みしている余裕も無くなるのかもしれないが、今はとにかく、己の技を試してみる時である。
流れを変える。
バーニアの出力を落とし、木々に紛れる。
疾風迅雷の一の太刀から、二の太刀、再び無形に。
「持久戦、隙を見て仕掛けてくるつもりですね。
けれど、どこから……」
プレッシャーに滲む額の汗を拭い、周囲を警戒する。
静寂に満ちた森林の中、風に揺れる木立のざわめきだけがエルフナインの耳に届く。
ざわ。
ざわわ。
みきり。
乾いた異音が混じった。
反射的にザクが振り向く。
単眼の収束した先で、一本の巨木がゆっくりと傾き崩れ落ちてくる。
(――しまった)
とくん、と心音が跳ねる。
あの滑落は、移動時に機体をぶつけた、などと言う不手際による自然破壊ではない。
斬ったのだ。
それもおそらく、太い幹をダルマ落としでもするかのように鮮やかに抜いた。
巨木は跳ね飛ばされる事なく緩やかに断面を滑り、時間差で崩れ、倒れ始める。
その時にはもう、仕手は既に、そこにはいない。
「ハアァッ!」
「わあっ!?」
後背より殺気が溢れた。
振り向きざまに構えた機関銃めがけ、真っ直ぐに煌めく光刃が突き刺さる。
そして、暴発する。
至近距離での爆裂に、今度はザクが尻餅を突く。
「――と、すまないエルフナイン、つい強く」
「だ、大丈夫ですよ翼さん、C設定ですから」
咄嗟にエルフナインが気丈に応え、しかし、寂しげに笑った。
「けれど、流石ですね、翼さん。
僕の実力じゃもう、練習相手も務まりません」
「エルフナイン……」
「練習、続けますよね?
ハイモックの設定の仕方を教えますよ」
「ええ、よろしく頼むわ」
倒れたままのザクに対し、すっ、と鋼鉄の右手を差し伸べようとした……、瞬間!
【 Caution!! Caution!! 】
不意にGPベースが点滅を始め、けたたましいアラームが周囲に鳴り響いた。
「なんだ!? 新手かッ!」
「乱入……? けれど、誰が?」
二人が驚く間にも、世界が移り変わる。
視界を遮る緑が消え失せ、無常の風が吹く火星の荒野へ。
「CGS? あ、相手は一体どこに――」
「来るぞッ 下がれエルフナイン」
防人センサーの促すままに、翼の駆るフェニーチェが後方に飛ぶ。
同時にドウッと土塊が舞い上がる。
土埃が降り注ぐ中、ツインアイの鋭い視線が翼を刺し貫く。
近年のシリーズにおいて主役を務めた、二機の白兵戦機を比較したフレーズである。
「ガンダムバルバトス……、ならば繰り手は少年か!」
防人が顔を上げ、視線を対面のバトルシステムへと向ける。
鉄塊を担いだ威圧感溢れる機体とは裏腹に、少年はひょっこりと顔を見せ、軽く頭を下げた。
「……なんか、ゴメン。
剣の人が楽しそうだったから、つい」
「つ、剣の人……?」
恐らくは女性に向けられるべきではないニックネームを耳に、翼の声が一瞬上ずる。
が、すぐに視線を右手のレイピアへと移し、ふっ、と苦笑をこぼした。
「いえ、そうね。
今は剣で構わないわ」
「……で、どう?」
ドン! と長柄の尻が乾いた大地を叩く。
何が? などと言うしち面倒臭い言葉はもはや必要ない。
「エルフナイン」
防人がおもむろにサングラスを外し、ちょこちょこと傍らに寄って来たエルフナインへ向け、無造作に放り投げた。
「えっ!? わっ、わわわ!?」
少女の手の上で、わたわたとサングラスが躍る。
一瞬、少年の視線がエルフナインに注がれ――
「其れは悪しッ!」
「――!」
刹那、フェニーチェが弾かれたように飛び出していた。
スラスターを蒸かして前傾を取り、一瞬にして間合いを潰す。
不意打ち。
遊戯でつかうような手管で無い事は百も承知だが、さりとて風鳴翼は初心者。
先日に見た大業物の大旋風を、フェニーチェ相手に試されては一堪りもない。
バスターライフルは捨てて来た、懐に飛び込まざるを得ない。
ならば仕掛けるべきは急戦、相手が鉄塊を振りかぶる前。
「くっ」
受けに回ったメイスの手元に、袈裟懸けの斬撃が振り下ろされる。
細い柄がたちまち真っ赤に灼けてくの字に歪む。
(斬る!)
「オオッ!」
「な……っ」
思った瞬間、ガツン! と強い衝撃が走り、視界がたちまち蒼穹を向いた。
少年は怯む事無く機体を潜らせ、至近距離からバーニアを全開に浴びせてきたのだ。
バルバトス渾身の頭突き。
もしもこの時、ファイターがリカルド・フェリーニであったならば、腰を落として踏みとどまり、バルバトスの胸板を一息に刺し貫いていた事だろう。
けれど、繰り手は素人の翼。
左半身の重さに引き摺られ、否応なく機体がたたらを踏む。
(成程……、これがエルフナインの言っていた、癇の強さと言う訳だ)
抵抗を諦め、潔くバーニアを蒸かし後方に逃れる。
ズン、と荒々しく大地を踏み締め、そして密かに感謝する。
少年の粗さが、今の翼とフェニーチェの欠点を浮き彫りにしてくれた。
今ならまだ、いくらでも修正が効く。
この出会いが無ければ、本番でとんだ生き恥を曝す事になっていたかもしれない。
「まったく、随分と手荒い洗礼をくれるものね」
「アンタに言われたくないんだけど」
短く反発し、先ほどより随分と短くなってしまったメイスを打ち捨て、代わって右肩より大太刀を引き抜く。
フェニーチェもまた姿勢を正し、レイピアをゆったりと両手で握り直す。
立ち合い。
灼熱の荒野の下で、手にした剣を構えた鋼鉄二機が静止する。
バルバトスの選択は、上段。
己が背丈にも匹敵する大業物が、金色の角飾りの上で、ぴん、と天を衝く。
(介者剣法……)
翼の口元に、わずかに苦みが走る。
先日まで、剣術のけの字も知らなかった少年である。
おそらくは術理に即した構えでは無い。
最長の得物を、最大最速で対主目がけて叩きつける。
それ以外の迷いを全て廃した戦場の業である。
対するフェニーチェの選択は、正眼。
右足を気持ち前方に差出し、両の手でゆるりと備えた刃の切っ先を敵の喉仏に捉える。
この刀身が、相手の動きを制する槍であり、同時に最速を疾る弓でもある。
近代剣術の基本にして至高。
今一つ、懸念を上げるならば、普段の剣よりも短く、刺突に特化したビームレイピア。
達人の正眼は対主の前で、その刀身をみるみる大きく変えると言うが、扱い慣れぬこの得物が、今の翼をどこまで隠してくれる事か?
じりっ
果たしてバルバトスはピンクの光刃を恐れせず、じりりと爪先で間合いを詰める。
相手が何者であろうとも、先に動くしか選択の無い構えである。
躊躇いや恐怖と言った言葉が認められぬ少年の澄んだ瞳と、恐ろしく相性が良い。
対し、翼は僅かに逡巡する。
どうとでも動ける正眼、ゆえに最善手に迷いが生じる。
先手。
もしも少年の太刀に速さで張り合うならば、このまま真っ直ぐに踏み込んでの片手突き。
全身を投げ出すように最短距離を滑らせたならば、レイピアの一撃は確実に少年の先を取れるであろう。
(けれど、それで相手を殺し切れるかと言えば、また別)
都合の良い妄想を即座に捨てる。
どちらの剣が早かったとしても、少年の返しの一撃は避けられない。
そして、敵の急所を点で抑える刺突に対し、重力を利して真っ向から打ち下ろされる兜割り。
運が良くて、相打ち。
ならば、上段を斜め前方に避けながら胴を抜くか?
いや、太刀を構えたバルバトスの懐は深い。
第一抜き胴は、以前に少年自身が使っている技である。
その技を警戒したうえで今、敢えて胴を開けている。
罠の公算が大きい。
先手は捨てる。
いっその事、受けに徹するのはどうであろうか?
攻撃を諦め、敵の初太刀に刃を合わせる事に専念する。
ビーム兵器を知らぬ時代の太刀など、鋼鉄の棒となんら違いはない。
公算通りにはまったならば、振り下ろされる相手の威力を利して、そのままあべこべに相手の剣を折り取る事ができる筈である。
(甘え、だ)
再び妄想を打ち消す。
ビームサーベルが無い、と言うのはあくまでも原作の設定に即した話。
陽光を煌かせるあの太刀の輝きはどうだ。
ガンプラバトルに挑むに当たり、ビーム兵器対策をして来ないなど有り得るだろうか。
太刀を折り取る事が出来なければ、そのままなし崩し的にバルバトスの膂力に押し切られよう。
と、なれば、他の捌きも同様に苦しい。
先刻、虎の子のメイスを折られながら、なお前に出た少年の果断。
初太刀を捌く、返す太刀で切り伏せる。
その一呼吸の空白が恐ろしい。
(後の先)
結論が出る。
大きく弧を描いて迫る打ち下ろしの一撃。
その末端に狙いを絞り、最小の斬撃で手首を得物ごと切り落とす。
小手狙い。
真剣の重さを捨てた竹刀稽古でこそ花開いた技術であるが、ビームレイピアの軽さならばそれが成せる。
後は、待つ。
呼吸を読み、間合いを読み、そして、かかりの瞬間を――
「……ッ」
思わず翼が、愕然と目を見張る。
バルバトスが消えた。
間合いの遥か外。
(下かッ!?)
確認するまでもなく、気付く。
つまる所、上段はブラフ。
バルバトスの狙いは初めから足首。
刃の届かぬ間合いの外から、刃の届かぬ間合いの下に潜り込み、真一文字に薙ぎ払う。
まさしくは介者剣法、生き残る為の一太刀。
「ハッ」
反射的に防人は飛んでいた。
後方にではなく、前方、相手の頭上に。
もしもこれが尋常の立ち合いであったなら、防人の上空からの一閃が、正確に相手の頭部を刻んでいた事だろう。
だがここでフェニーチェ特有の悪癖が出る。
否応なく勢いがつく、機体の姿勢を制御できない。
「ふっ」
少年には、どこまで予想がついていたのか。
斬撃の勢いで体を捩り、そのまま仰向けの体勢で真下から突き上げる。
迫りくる刃に対し、フェニーチェがかろうじてレイピアを重ねる。
瞬間、パン!、と閃光が跳ね、両者の得物が中空で弾かれる。
(やはり、斬れぬか)
短く舌打ちをしてスラスターを蒸かし、虎口を逃れ乱暴に着地する。
振り向き、バルバトスの動き変わった。
今だ膝立ちのフェニーチェ目がけ、片手斬りに大太刀を打ち下ろす。
(少年、見切られたか……!)
かろうじてレイピアで受け、無理やり押し返す。
悪魔の挙動から、僅かばかりに残っていた繊細さが消え去っている。
最初の交錯で全てが見切られてしまった。
ビームレイピアに、太刀を灼き斬るだけの出力が無い事。
仕手である翼自身が、フェニーチェを御し切れていない事。
全てを見極めた上で、少年は斬撃、剣士としての理合を捨てて来た。
バルバトスの膂力と手数に任せた打撃で、強引にフェニーチェを削り殺す腹だ。
「くっ、おおっ!」
強引に機体を起こし、フェニーチェが下からレイピアを突き上げに行く。
瞬間、ガクンと左膝を蹴り飛ばされた。
バランスの悪い左半身、否応なく機体が崩れる。
(……いや)
咄嗟に少年は気が付いた。
フェニーチェは、敢えて自ら崩れようとしている。
倍返し、足首狙い。
少年の天性は、その違和感にまで気が付いてしまう。
防人の、最後の罠が完成する。
――ガンッ!
「ぐ……ッ!」
衝撃は足元ではなく側頭部に来た。
フェニーチェの狙いは足元ではなく、片手倒立からの上段蹴り。
「逆羅刹!?」
傍らのエルフナインが叫ぶ。
逆羅刹。
天地逆転の倒立から両脚を開いて独楽のように回転し、足首のブレードで敵を膾に斬り刻む大技である。
もっとも今のフェニーチェは、そのレベルには達していない。
バランスを失いながらも繰り出された右足が、かろうじて相手の頭部を捉えただけ。
常の翼ならば絶対にやらない、一か八かの博打である。
遊びだからこそ出来る事。
風鳴翼は、博打に勝った。
「その隙は見逃さぬ!」
後方に逃れようとする悪魔目がけ、起き上がりざまに斬撃を繰り出す。
横薙ぎの一閃。
まだ、聖詠は聞こえていた。
無我夢中であった。
ゆえに、戦場の中で戦場を忘れた。
この戦場が何処であったか?
手にした得物が、何であったか……?
――ブン
間合いの遥か大外で、ピンクのビームレイピアが今、虚しく空を切った。
「あ」
「は?」
双方のテーブルから、戸惑いの声が同時に漏れた。
そのタイミングでバルバトスはもう、次の動きに移っていた。
ブースターを全開に燃やし、一直線にフェニーチェに迫る。
フェニーチェ、必死の逆袈裟。
遅い。
ブッピガン!
「~~~ッッ」
渾身の体当たりを浴びてフェニーチェが大地に叩きつけられ、そのまま上から押さえこまれる。
再び蒼穹を向いた視界の先で、馬乗りになった悪魔が逆光を背負う。
ツインアイが煌き、思い切り振り被った大太刀が、打ち下ろされる。
鈍い衝撃が突き抜け、フェニーチェが大地に串刺しとなる。
防人は、そしてフェニーチェは再び死んだ。
奇しくも嘗ての古傷を抉られて……。
・
・
・
『 BATTLE END 』
アナウンスと同時に空間が解け、イオリ模型店に平穏な日常が戻ってくる。
「ふうっ」
肺腑の淀んだ空気を吐き出し、翼が大粒の汗を拭う。
そ、と不安気にフィールドを見つめると、そこにはフェニーチェが無表情で天井を仰いでいる。
所詮は遊びのC設定、当たり前だが、ダメージはない。
(いや、それでもやはり、死は死、なのか)
ふう、と再び諦観の吐息をこぼす。
己の腕の未熟さのせいで、フェニーチェは今日、再び死んだ。
エルフナインの言葉は、全てが正鵠を得ていた。
「さっきの、何?」
「えっ?」
不意に対面より声をかけられ、思わず顔を上げる。
視線の先では件の少年が、じっ、と表情の無い瞳を翼を向けていた。
感情の読めぬ言葉の中に、ちくりと一筋の棘を感じた。
その理由に思い至り、翼が体を起こして少年と向き合う。
「すまない少年。
全ては私の未熟さゆえの失態だ。
真剣勝負に水を差すつもりは無かった事だけ、信じてほしい」
そう言って、軽く頭を下げる。
事実、先ほどの立ち合いにおいて、風鳴翼は最後の最後まで勝機を探していた。
蒼の一閃。
もしもフェニーチェの手に、彼女の愛刀『天羽々斬』があったならば、最後の斬撃は防人の矢となり、バルバトスの胴を両断していた筈である。
「別に、そんな事はどうでもいいんだけど」
言いながら、少年が再びバルバトスをベースに据え、澄んだ瞳を翼へと向ける。
ふっ、と思わず苦笑がこぼれる。
少年は全くもって正しい。
弁解があるならば、それは口頭ではなくバトルの上で示すべきだ。
「あの~、つb……、剣さん、リベンヂマッチもいいんですけど」
「えっ?」
躊躇いがちなエルフナインの言葉に、剣ちゃんはようやく我に返った。
店内が妙に騒がしい。
嗚呼、夏休み。
ガラスの向こう側では、いつの間にか集まりだしたジャリガキ達の中央で、ラルさんが如何にも肩身狭そうにこちらを見ていた。
慌てて己が顔に触れる。
無い。
マリアから貰ったサングラスが無い。
そりゃあそうだ。
バトルの前にエルフナインに預けたんだったっけ。
「あ、と、少年、再戦したい気持ちは山々なのだが」
そそくさとサングラスを引ったくり、防人が撤退の準備に入る。
「こ、子供たちも増えてきたようだし、私はこの辺りで退散させてもらうとするわ。
この続きは、いずれ、必ず……」
「え? ああ、うん」
挨拶もそこそこに、防人がいそいそと店内を後にする。
入れ替わるように、室内に入って来たラルさんが苦笑を見せる。
「やれやれ、トップアーティストと言うのも大変なものだな?」
「トップ……?」
「ん、やはり気づいていなかったのかね?
彼女の名前は風鳴翼、今をときめく日本の歌姫だよ。
もっとも、あれでは歌謡の舞台を戦場にする戦士、だな」
「ふーん」
ラルさんの断定に対し、少年は特に反応する所もなく、淡々とバルバトスを拾い直した。
「うう、また、やってしまったか……」
炎天下の中、とぼとぼと黒い影を落とし、風鳴翼が家路を目指す。
「すまなかったなエルフナイン。
せっかく初陣に付き合って貰ったというのに、結局何も得る所も無かったか」
「ふふ、そんな事はありませんよ、翼さん」
「え?」
きょとんと瞳を丸くして、傍らの少女を見下ろす。
見るとエルフナインの手には、イオリ模型店のクレジットが入った紙袋が握られていた。
「へへ、傍らで見ている分には、凄く見応えのある勝負でしたよ、翼さん。
翼さんのバトルの魅力、ボクにはちゃんと分かりました」
「それが、その手にしたプラモと関係のある話なのか?
中には一体何が……」
「え~っと、響さんの受け売りですけど『とって置きたいとっておき』です」
そう宣言して、エルフナインはいかにも愛らしい笑みを浮かべた。
「この間、翼さんには大変あったかい物を頂きましたから。
今度はボクが翼さんにプレゼントしますね」