風鳴翼、ガンプラを作る   作:いぶりがっこ

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第七話「SAKIMORI、翼を断つ」

 カタパルトを飛び出した先は、嵐が丘であった。

 

 漆黒の闇の彼方から迫る雨粒が、色の異なるツインアイを容赦なく叩き、時折、カッと煌めく雷鳴が、深い青に染め直された胸甲を照らし出す。

 

 風鳴翼は無言であった。

 深い闇と吹き付ける豪雨が視界を奪い、天雷の轟きは容赦なく防人の耳を潰す。

 卸したての愛機の初陣に対して、ロケーションは最悪と言っても良い。

 更に今宵の相手に対し、手元のレーダーなどものの役にも立たない事を翼は知っている。

 

 ゆえに翼は、フェニーチェは待つ。

 敵は夜の住人、この宵闇は敵の住処。

 どのように足掻いてみた所で、戦端はまず敵の刃から開かれる所となろう。

 ならば先手などくれてやれば良い。

 

 無の境地、なれば心は林の如し。

 右手に備えた太刀をだらりと地面に向け、どのようにでも動ける自然体をとる。

 漆黒の嵐が丘の世界を、見るでも無く見る。

 ささやかな気配、予調の一つも見逃さぬように。

 

 

 ――カッ

 

 

 一際力強い閃光が視界を灼いた。

 瞬間、はっ、と防人の瞳が開いた。

 真昼の如く白色の光に染まった世界。

 足元に落ちたフェニーチェの影から、ぬっ、と蝙蝠の翼が生える。

 真っ黒な頭部の影から上方に向かい、長い棒が真っ直ぐに伸びていく。

 

(馬鹿なッ!?)

 

 思う間もなく、フェニーチェが前方に跳んだ。

 一拍遅れの轟音に紛れ、打ち下ろされた長柄の尻が後背で水飛沫を上げる。

 ハイパージャマー。

 防人の警戒の網すらも潜り抜け、刺客は既に必殺の間合いにまで踏み込んでいた。

 平静に裏打ちされた洞察力と、一握りの天佑が防人を救った。

 

 振り向き、すぐさま漆黒の暗殺者が迫る。

 蝙蝠羽の如き外套がばさりと開き、大振りの棍が真横から唸りを上げる。

 止むを得ず、太刀の峰を左手で支え、横からの打撃を刀身で受け止める。

 

 ぶぉん。

 

「~~~ッ」

 

 インパクトの瞬間、不意に棍の先端からビームが生えた。

 反射的にのけ反り傾く視界の先で、死の閃光が通過する。

 

 死神の鎌。

 

 かつて、同様の得物を持つ少女を対峙した時、とり回しの悪い武器、と翼は感じた。

 鋭さで槍に、堅牢さで薙刀に劣る大雑把な武器、と。

 

(それを、こう使うのか!)

 

 ばしゃり、と背翼が水音を立てる。

 ぞくぞくと戦慄が翼の背筋を駆け抜ける。

 反応が一瞬でも遅れていれば、素っ首を跳ね飛ばされていた所だ。

 ガンダムデスサイズヘル。

 オプレーション・メテオに赴いた一騎当千のガンダム達。

 その中でも特に、ステルス性能、隠形に特化した異能の機体。

 尋常の立合いでは無い、まさしくは暗殺者の業前。

 

 仰向けとなったフェニーチェを仕留めるべく、死神が大鎌を振り被る。

 刹那、再び雷光が世界を染めた。

 ビクン、と一瞬、デスサイズの動きが固まる。

 雷鳴に臆した訳では無い。

 戸惑うデスサイズの瞳が、ふ、と己の足元に落ちる。

 閃光の残滓に彩られた薄い影の上に、一本の小柄が突き立っている。

 

「……!」

 

 すぐさまデスサイズの仕手は気が付いた。

 影縫い、忍びの裏技である。

 

 思わず口中でぐっ、と唸る。

 長い歴史を誇るガンダムシリース。

 コンセプトとして、忍びの暗器を、面妖なる忍術を使うMSは少なからず存在する。

 けれどガンプラバトルでそれを成すのは、一部の嗜好家、スペシャリストに限られる。

 バトル初心者である筈の翼が忍術を嗜むなどと、誰が想像できようものか?

 

 閃光は一瞬にして潰え、影が深淵に溶け、ふっ、とデスサイズの拘束が解ける。

 その間にもフェニーチェは斬撃へと移っていた。

 

「一呼吸もらえれば十分!」

 

 横薙ぎの一太刀が、咄嗟に構えた大鎌の柄を、横一文字に叩っ斬る。

 フェニーチェは尚も止まらず、更に一歩左足で踏み込み、返しの逆風――。

 

 刹那、死神が飛んだ。

 後方に飛退きながら広げた翼を地面に叩きつけ、上方に跳ねる。

 横薙ぎの斬撃を垂直方向に避け、鮮やかに闇夜に舞い上がった。

 

「な……ッ」

 

 翼の口から思わず驚嘆の声が漏れる。

 デスサイズの背翼はあくまでも意匠、可動式の特殊装甲に過ぎなかった筈。

 戸惑う乙女をあざ笑うかのように、死神はまるで大型の蝙蝠のように翼をはためかせ、自在なマニューバで荒天の空を泳ぐかの如く昇って行く。

 

 遥か上空で身を翻し、デスサイズが高らかと両手を掲げた。

 パチリ、と両手の指間に静電気が跳ね、直後、一条の雷撃が死神のシルエットを襲った!

 

 自爆?

 否、収束していく。

 かざした両手の間隙に、バチバチと荒らぶる雷光が球を為していく。

 

「……ッ」

 

 そして投げ放つ。

 不規則なジグザグ軌道を描きながら、雷球が恐るべき速度でフェニーチェに迫る。

 

「くぅッ!?」

 

 かろうじて軌道を見切り、避けた。

 跳びのいた瞬間、ドゥッと眼前で爆雷が炸裂した!

 閃光と爆音が情報を奪い、雷撃の余波が機体の自由を容赦なく奪う。

 

「で、デ、出たァ――――ッ!!

 師匠の十八番『闘球!稲妻スカイタイガーショット』デース!」

 

T.I.S.T.S.(闘球!稲妻スカイタイガーショット)……!

 両手から放出した電撃を球状のフィールドの中に閉じ込め、投擲しているとでも言うの?

 何と言う高度な粒子変容技術。

 しかもあの高角度から、実際の稲妻さながらの不規則な軌道を描いて……。

 あんな大技を連投されては、いずれ回避が間に合わなくなってしまう!」

 

「死ぬデース! あの必殺技を見た者はみんな死んじまうんデス」

 

 暁切歌が叫ぶ! 月読調が驚愕しつつ丁寧に解説する!

 このきりしらノリノリである。

 だが、そんな些事に気を取られている場合では無い。

 見上げた上空では、死神が再び両腕を掲げ、第二射の態勢に入ろうとしていた。

 

「その翼を頂く!」

 

 翼が短く宣言し、同時にフェニーチェが愛刀『天羽々斬』を力強く握り直す。

 右肩のアーマーに埋め込まれたクリアーパーツから蒼い輝きが溢れ、肘、掌、柄を透過し、やがて刀身に淡い光燃え上がる。

 

「防人の一閃に、間合いの外など無いと知れ」

 

 そして、斬り上げる。

 地を這うような地擦りの太刀が、高らかと天空に跳ね上がる。

 

 

【 蒼 の 一 閃 】

 

 

 刹那、斬撃が跳んだ。

 地上から打ち上げられた蒼き流星が、大気を裂き、暴風をも両断して一直線に死神へと迫る。

 

「なっ、なにィ!?」

 

 予想だにせぬ飛び道具の存在に、デスサイズの仕手が、慌てて雷球を撃ち放つ。

 しかし、やはりチャージが足りていない。

 蒼撃は一瞬にして雷球を切り裂き、弾けた稲光が中空に拡散する。

 

 雷切。

 達人の必死の剣速は、時に電光石火を超え、小癪な雷獣をも両断し得るのだ。

 これもある種の哲学兵装。

 なれば両機が対峙した時点で、運命の女神は、既にその勝敗を定めていたのであろう。

 

「う、うわあぁァァァ――――ッッ!!」

 

 かろうじて身を捻り、迫り来る衝撃波の直撃をかわし得たのは、まさしく仕手の力量の証明であった。

 けれど、そこで確かに勝負は決した。

 防人の予告通り、蒼の一閃は漆黒の右翼を斬り飛ばし、バランスを欠いた死神が錐揉みながら大地に落ちる。

 バシャリと水音を上げる敵機に対し、フェニーチェは尚も油断なく八双に構え。

 

「わわっ!? ま、参った! 降参だァ!!」

 

 

『BATTLE END』

 

 

 とうとう、デスサイズのファイターが音を上げた。

 たちまち試合終了のアナウンスが為され、イオリ模型店に日常が戻ってくる。

 

「フェニーチェが……、勝っちゃったデス」

「すごい」

「正気かよ……、ガンプラバトルで一閃しやがった」

「やりましたね、さすが翼さんです!」

 

 わっ、リディアン女子たちの歓声が上がり、ただでさえ手狭な模型店が姦しい空気に包まれる。

 興奮の中、対面で尻餅を突いていたファイターが、GPベースにすがるように体を起こした。

 

「あたたたた……、ふう、やはり慣れない事はするもんじゃないねえ。

 若い人の成長は本当に早い、うらやましい限りですよ」

 

「成長だなんて、そんな。

 こちらこそ、お忙しい中、わざわざご指導ご鞭撻頂き、感謝の言葉もありません」

 

「ちょ、そんな、や、やめて下さいよ!

 翼さんにはウチの響がお世話になっているようですし、これくらいのお手伝いは当然ですから」

 

 折目正しい翼の一礼に対し、対面のひょろりとした中年が慌てて取り繕う。

 先ほどの死闘のイメージも着かぬ冴えない姿に、壁際のマリアが感嘆の声を漏らす。

 

「それにしても、今日の今日まで知らなかったわ。

 立花響のパパさんが、これ程までに凄腕のビルダーだったなんてね」

 

「本当だよ! 酷いよお父さん。

 こんな凄い秘密を私に隠しているなんてさ」

 

 不意に咎めるように声を上げた、愛娘、響に対し、立花洸は困ったように頭を掻いた。

 

「いやあ、別に隠してたって言うワケでも無いんだが、

 何と言うか、言いそびれてたっていうか……。

 ほら、娘のお前の前で、あんまりカッコ悪い話はしたくなかったしな」

 

「カッコ悪いって……、お父さん、こんなに凄いガンプラを作れるのに」

 

「……ああ、父さんも昔はそう思っていたよ。

 自分より腕の立つビルダーなんて、もう国内にはいない、ってね」

 

 ふっ、と自嘲をこぼし、洸が恥ずかしげに頭を掻いた。

 

「意気揚々と乗り込んだ、第二回ガンプラバトル選手権。

 結果は東日本ブロック二回戦敗退。

 いやあもう、天狗の鼻をぽっきりとやられてさ、それで見切りが付いたんだ。

 いい加減、響もこれから大きくなるし、ガンプラバトルはこれっきりにしとこうってね」

 

「お父さん……」

 

 

「しかし今日、君は再び戦場に帰って来た。

 往年の『冥王』の復活劇とは、実に貴重なバトルを見させてもらったよ」

 

 

「え、えっ、えっ!?」

 

 室内の空気がしんみりとしかけた、その一瞬の不意を突かれた。

 皆が気が付いた時には、恰幅の良い口髭の姿が一同の輪の中にあった。

 

「……って、おい! ちょ、ちょっとタンマ!

 お、おっさん、アンタ、突然なんなんだよ!?」

 

「ああ、いいんだ雪音、こちらの御仁は――」

 

「どうも、ご無沙汰しています、大尉」

 

 翼の取りなしを遮って、立花洸がどこか困ったように頭を下げる。

 大尉は軽く微笑して、目の前の中年とフィールドのガンプラを交互に見つめた。

 

「ふふ、君の方も元気そうで何よりだ。

 バトルの腕の方も衰えていないと見える。

 これなら完全復活の日も、そう遠くなさそうだな」

 

「いやいや、よして下さいよそんな。

 こんなのはただの家族サービスみたいなもんで、明日の仕事だって早いんですから」

 

「そうかね?

 昔より君は、いささか謙遜のし過ぎだと思うだが」

 

「無理ですよ。

 僕の歳になるともう、彼女たちのような勇気は残っていません」

 

「ふむ……。

 十年以上前の機体のレストアとは言え、あの冥王のデスサイズに土を付けたか」

 

 そう言ってフィールドを見つめる大尉の視線に、真剣な光が宿る。

 佇立するウィングタイプのガンダム。

 フェニーチェを原型としながらも、青系統を基調に塗り直された機体は、むしろウィングの原点をイメージさせる。

 特徴的なのは、当世具足の袖を模した、右肩のアーマー。

 バスターライフルは持たず、代わりに白銀に輝く長刀を後部にマウントする。

 原型に忠実なフォルムの中で、そこだけが和の彩りを持ち、機体の新たな個性を形作っている。

 

「これが、翼さんの新しいウィング……」

 

「メタリックカラーの胸甲に、和装を取り入れた右肩の大太刀。

 何だかまるで、フェニーチェと戦国アストレイのミキシングみたい……」

 

「けど、違うんデス! どっちとも似てないデスよ、やっぱり」

 

「だな、どっからどう見ても風鳴翼の愛機だよ、こりゃあ」

 

「先人のビルダーに敬意を払いつつも、風鳴翼の剣として、確かな個性を持つ。

 今度のイベントに相応しい機体に仕上がったみたいね」

 

「換装式の肩アーマーには、粒子増幅器としてのクリアパーツをあしらいました」

 

 めいめいに感想が上がる中、ちょんとテーブルに両手を預け、エルフナインが追加装甲を語る。

 

「状況に応じて右肩から粒子を注ぎ込んで、羽々斬の刀身を強化する構造です。

 ギミックとしては本来の戦国アストレイよりも、イオリ選手のRGシステムの方が近いですね」

 

 エルフナインの説明に対し、傍らの風鳴翼が静かに頷く。

 

「エルフナイン、ええ、分かるわ。

 私はバトルには詳しくないけれども、この剣は確かに、かなり感覚的に振れていた」

 

「あとは、肩のアーマーはカウンターウェイトとしての役割も兼ねていますから。

 機体重量は増していますが、重心は中央寄りに戻っているハズです」

 

「ああ、それでか。

 初戦の時のような引っかかりを感じなかったのは。

 随分と気を遣わせてしまっている」

 

 そう感心して相槌を打った翼の脇に、こっそりと立花響が忍び寄る。

 

「へへ、だけど翼さん!

 この機体のとっておきは、エルフナインちゃんのテクだけじゃあ無いんですよ」

 

「立花? ……って、おい!?」

 

「えいや!」

 

 言うが早いか、響がフェニーチェを拾い上げ、何事か指の腹を押し付ける。

 慌てて機体を覗き込んだ翼の瞳が、思わずはっ、と丸くなる。

 

 フェニーチェの胸元に取りつけられた『とっておき』の正体。

 それは紫に輝く水晶型のデコシールであった。

 

「これは、ギア、なのか、立花?」

 

「え~っと、へへへ、お守り代わりですよ、翼さん。

 私にはエルフナインちゃんみたいな知識が無いから、これくらいしか出来ないんですけど」

 

「いや、有難い、千人の助力を得た思いだ」

 

 穏やかな笑顔を向けた翼に対し、傍らの響が照れ笑いを見せる。

 ほっこりとした室内の雰囲気の中、こほん、と大人が一つ咳払いをする。

 

「ようし、みんな、聞いてくれ! 翼さんの戦いの前の景気付けだ。

 今日はこちらにいらっしゃるラルさんが、

 みんなの為にふらわーでお好み焼きをおごって下さるそうだ」

 

「!?」

 

 ばっ、と一同の視線が壁際のラル大尉に集中する。

 直後、店内に歓喜の渦が爆発した。

 

「な、なんデスとー!?」

「う~ぃやった~! ひっさびさのおばちゃんの味だぁ! 炭水化物だ~」

「もう、響、お店の中なんだからはしゃがないで!」

「ふらわーですか、ボク、行くの初めてです」

「かもねぎ」

「いやいやいやいや、悪いってそんなの、見ず知らずのおっさんから……」

「雪音、こう言う場合、大人からの厚意は有難く頂戴するものだ」

 

「まったくみんな、はしゃいじゃって。

 けれどお心遣い、心から感謝いたします、ラル大尉」

 

 

「……って、ちょっとちょっと、そりゃあないよ洸く~ん」

 

「すいません大尉。

 実は僕、何分まだ初任給前なもんでして。

 ほらほら、リン子さんだってこっちを見てますよ」

 

「とほほ、伝説の冥王の復活も、この分ではだいぶ先の話になりそうだな」

 

 弾けた笑い声が交錯する室内で、大尉が一つ、観念したように大きく溜息を吐く。

 ガンプラ・フェスの開催を明日に控え、リディアン女子のボルテージは最高潮に達しようとしていた。

 

 

 三時間後。

 

 大人の金で至福の時間を堪能した女子たちは、めいめいに帰宅の途に着いていた。

 

「それじゃ、翼さん! 私たちはここで」

 

「明日のイベント、みんなで応援に行きますから、頑張って下さいね」

 

「へへ、お高く止まったビルダー相手に、アイドルの意地をみせちゃって下さいよ」

 

「ああ、皆も今日は本当にありがとう」

 

 三者三様の激励をくれた後輩たちの影を、風鳴翼が見送る。

 月明かりのマンションの下で、ぽつんと一人、安堵の息を吐く。

 

 明日は静岡。

 年に一度のガンダムファン達の祭典、ガンプラバトル選手権の火蓋が落とされる。

 鎬を削る当代のビルダーたちの戦いの裏で、翼たちもまた、フェスティバル初日のメイン・イベントを務める。

 

 防人としての任務とも、アイドルとしての舞台とも異なる、未知の戦場。

 けれど、今、歌女の心を高鳴らせているのは不安では無い。

 ときめいていた。

 気の置けない仲間たちの協力を経て完成した、翼だけのウィングガンダム。

 それが明日のステージで、どのような役割を果たすのか、年甲斐もなくワクワクしていた。

 

(良いのだろうか、こんなまるで他人事のような、浮ついた気持ちで)

 

 罪悪感のような後ろめたい気持ちが一瞬浮かび、しかしすぐに霧散する。

 

 ガンプラは遊び。

 風鳴翼は初めから、この一週間、友人たちとガンプラで遊ぶつもりであったハズだ。

 それならばもう、これで良い。

 静岡の会場には、この浮かれた心地をそのまま持って行けば良い。

 今夜はただ、この興奮を抑え、いかに英気を養うかだけを考えていれば――

 

「…………」

 

 玄関。

 鍵を差し掛けた防人の指が、ふと止まる。

 

 オートロックのマンション。

 自室の戸締まりも出た時と同じ、万全の状態である。

 それでもなお、防人の戦場経験が警鐘を鳴らす。

 

 この扉の向こうに、誰かがいる。

 

 ゆっくりと鍵を回し、物音を立てないようにそっと扉を開ける。

 息を殺し、闇に目が慣れるまでの時間を、じっ、と待つ。

 玄関から、わずかに開いた扉越しに覗く、自室のリビング。

 開け放たれたベランダから差し込む月光の下、のそり、と、何かの影が蠢く。

 

「何奴!」

「!」

 

 一声吠え、一足飛びにリビングへと踏み込んだ。

 月明かりに曝された細身のシルエットが、迷い無くベランダへと走る。

 

「逃しはせん!」

 

 テーブルの上のデザインナイフを拾い上げ、躊躇いもせず投げ放つ。

 狙いは侵入者本体ではなく、彼の影が落ちたカーペット。

 

 刹那、侵入者が鮮やかに身を翻した。

 初めからそこにナイフが飛んでくると分かっていたかのように身をかがめ、ばふんっ、とカーペットをめくった。

 たちまち宙に跳ね上がったデザインナイフを掴み取り、そして、投げ返す。

 彼もまた狙いは翼本人ではなく、後背の壁。

 

「……ッ!?」

 

 ビクンッ、と翼の動きが硬直する。

 男の投擲は寸分違わず、壁に映る翼の影を縫い止めていた。

 技の成否を確かめもせず、シルエットが再びベランダへ飛ぶ。

 

「じゃなくて、ここ五階……!」

 

 翼の制止を嘲笑うかのように、男があっさりと欄干を超えた。

 成程、内心で舌を巻く。

 マンションのセキュリティを意にも介さずここまで侵入してきた男だ。

 今さら十数メートルの高さ程度など障害にもなるまい。

 

 やがて自重に負け、ぽろり、とデザインナイフが床の上へ落ちる。

 ふっ、と翼の拘束が軽くなる。

 

「影縫い返しとは、味な真似をしてくれる」

 

 一人呟き、床の上に落ちたナイフを拾い上げる。

 この技、この状況、単なる物盗りの犯行では無い。

 忍びの技だ。

 それも恐らくは、翼の癖を、その立ち回りを良く知る人間の。

 

(けれど、だとすれば彼は、どうしてわざわざ……?)

 

 物想いにふけりながら、キャップをはめ、デザインナイフをテーブルの上へと戻す。

 

「これは――!」

 

 その段になって、ようやく翼は知った。

『彼』が翼本人にも内緒で、この部屋に侵入を試みたワケを。

 

 

 

 ――翌日。

 

 第十四回ガンプラバトル選手権、開幕。

 

 大観衆がセレモニーの熱狂に沸く中、郊外の特設会場では、夜からのフェスティバルに向けた準備が着々と進められ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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