賽の出目は The empress couldn't hide true feelings   作:天木武

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1 餅は餅屋に

 

 

ログナンバー00062

 

L:そういうわけなのですが、お願いできますか?

名前を入れてください:他ならぬお前からの頼みだ。私は構わない

名前を入れてください:ただ、

L:ありがとうございます!

L:? なんでしょう?

名前を入れてください:お前らしくない。前に言ったはずだ

名前を入れてください:単刀直入な言い方しか出来ないのは弱点ではあるが、同時に武器でもある、と

L:ええ、そう思います

L:だから、あの時言われたように餅は餅屋に、と思ったんです

名前を入れてください:餅屋に頼まなくてもいいことではないのか

L:それは……

名前を入れてください:お前自身の口から言えば、わざわざ私に頼まなくてもいいことだと思うのだが

L:……

名前を入れてください:いや、言いたくないことならいい

名前を入れてください:やらないと言っているわけではない。餅屋は黙って、餅を提供する

 

 

 

 

 

 夏服と冬服の変わる時期を6月と10月としたのは、一体どこの誰がどの時代に決めたことかと尋ねたくなる。そういうことには無駄に詳しい我が旧友にして同じ部に所属する福部里志(ふくべさとし)にでも聞けば「ホータロー、それはね」などと解説を始めることだろう。だが別にしてもらう必要はない。

 今年は5月から異常気象と言ってもいい陽気で、下旬の段階では既に「今日は7月上旬並みの暑さとなり」などとテレビの女性ナレーターが嬉々として報じていた。どこが嬉しいのか全くわからん。それこそ別なニュースのコメンテーターではないが「いやあこれもきっと異常気象のせいでしょうか」とか言いたくなる。地球は悲鳴を上げているのだ、大変なことだ。そんな暑さの中であっても学ランを着ていなくてはいけないということはある種の拷問と言っても過言ではなかろう。

 もっとも、だったら別に脱げばいい。身も蓋もなく言えばそうだ。しかし、衣替えがまだである以上脱いだところでそれは手に持つか、ともかく所持していないといけないということになるらしい。着崩している輩もいるが、生徒指導の教師に呼び止められかねない。それはめんどくさい。つまり着ないなら脱いで手にでも持つということになる。しかしそれは荷物が増える。だが脱がないと暑い。省エネ主義の折木奉太郎(おれきほうたろう)としてはそこにジレンマを感じずにはいられない。

 

 だがそんなジレンマからもようやく解放された。とうとう6月に入り、暑苦しい学ランを家において登校出来る日が来た。が、それで浮かれていられるのもしばらくの間だろう。

 6月となれば今度は梅雨になる。梅雨になれば雨が降る。傘をささなくてはいけないというのはこれまためんどくさい。大体明日の天気予報は早くも雨らしい。結局どう転んでも勝つことの出来ない天候という絶対の存在に、矮小なる我々人間は抗えないというわけなのだ。悲しき運命かな、だとするならそのこと自体に対してあれやこれやと文句を言うのは浪費というものだ。制服の件は矮小なる我々人間の決めたことだが、天候はどうすることも出来ないことだ。だったら俺はおとなしく傘をさす。「やらなくてもいいことは、やらない。やらなければいけないことは手短に」という俺のモットーに則れば、お天道様に文句を言うことなど意味のないことだからだ。

 

 そんなことを考えながら6月最初の日の授業を受け、昼休みになった時。

 問題ごとはそこから始まった。

 

「あ、折木君?」

 

 昼飯を適当に平らげ、残り時間は寝るか文庫本でも読むかと考えていた俺に、まともに話したこともないクラスの女子が声をかけてきた。はっきり言うと名前はわからない。

 

「ん?」

「なんか廊下に呼んで来てほしいって言ってる女の人がいるよ」

 

 まあこの女子生徒の言うことはその辺りだろうとは思っていた。俺に用事があるという奇特な女子はこのクラスにはおそらくいないだろう。女の人、と言ったということは同じ部の千反田(ちたんだ)える辺りかと思ったが、あいつは用事があるなら気にせずクラスに入ってきそうな気もする。なら誰だろうか。

 

「先輩っぽいけど……。すごく美人の」

 

 その一言で俺は凍りついた。……女の先輩だと? しかも美人? 有り得るはずのない、だが他に予想の付かないその「先輩」を確かめようと、外れていて欲しいという思いで俺は廊下へと視線を移した。

 しかし俺の予想は見事に的中した。女子にしてはすらりと伸びた身長、どこか冷たさを帯びつつも整い、伝言を頼まれた女子が言った「美人」という言葉に(たが)わないその顔立ち、そして放つ雰囲気はまさにつけられた渾名に相応しい、どこか気品と荘厳さすらあるような空気。

 

 「女帝」――入須冬実(いりすふゆみ)が、俺のクラスの入り口に立って、俺を待っていた。

 

 

 

 

 

「で、俺に何か用ですか?」

 

 人気(ひとけ)の多い教室の前を避け、そこよりは幾分往来の少ない階段の踊り場付近まで進んでから、俺は彼女の方を振り返った。

 

「まずは忙しいところを急に呼び出してしまってすまない」

「別に忙しくはないです。昼飯は食べ終わったので、どうせ寝るか適当に本でも読んで時間を潰そうと思ってましたし」

 

 社交辞令の形の謝罪を俺は遮った。この人に謝罪などという言葉は似合わない。彼女は「女帝」だ。人を手駒として扱い、それを悔いない姿勢こそが相応しい。だからこそ、女帝と呼ばれる存在であり、そしてその姿は美しい。

 俺は以前、彼女と「対決」した時にそのことを痛感していた。そしてあのような形で「決着」となった以上、俺はこの人に対してはどちらかと言うと話をしたくない、という気持ちの方が強い。

 だからさっさと済ませたい。付け加えるなら、面倒ごとに巻き込まれるのも金輪際御免でもある。そもそも、まさかまた俺に話をしに、それも学校内で来るとは思ってもいなかった。

 

「それで、用件はなんです? あなたに限って四方山話(よもやまばなし)のために俺を呼び出した、なんてことはないと思いますが」

「いきなり、なかなか手厳しいな」

「もしそうなら俺は帰りますよ。やらなくてもいいことは、やらない。やらなければ……」

「やらなければいけないことは手短に。……君のモットーだそうだな。では、手短に話を済ませよう」

 

 俺のモットーを持ち出したことに、正直言うと内心驚いていた。省エネ主義者というぐらいは知られていてもおかしくないが、俺がこの人に直接己のモットーを言ったかどうか記憶は曖昧だ。どこかから伝手を通じて知ったのかもしれない。

 それはさておき、彼女の口から飛び出したのは、まさに手短、簡潔な話だった。

 

「明日の放課後、格技場とテニスコートの裏に来てはもらえないだろうか?」

「格技場とテニスコートの裏……?」

 

 場所はわかる。格技場とテニスコートはグラウンドの隅に位置している。その裏、となるとまさに人目につかないところだ。だがなぜそんなところに、この俺を呼び出す必要があるというのだろうか。

 

「理由を知りたいですね」

「場所の理由かな」

「それもですが、なぜあなたがわざわざこんな俺をそんなところに呼び出すのかも気になります」

 

 気になります、とは俺のセリフではなかっただろうと言ってから思う。1年以上同じ部で付き合ってきたせいで、もしかしたら俺にもあの好奇心の権化の口癖が移ってしまったのかもしれない。だが気になるのは事実だ。

 

「逢い引きの場としては、もっとも適切だとは思わないか」

「笑えませんね。あなたが冗談を言う人だとは思っていない。真面目に答えてください」

「やはり手厳しいな。……大切な話がある。誰にも聞かれたくない話だ。だから、人目につかないそこがいい」

 

 俺の言葉通り、最初のは冗談だと言わんばかりに後半は語気のトーンを落としていた。同時に、表情もやや真面目になる。

 ……なるほど、筋は通っている。人に聞かれたくない話、だから人目につかない格技場とテニスコートの裏、そこに放課後。

 だが俺としてはそれは出来ることなら御免蒙りたい。なぜなら、先ほど述べたとおり格技場とテニスコートの裏と言うのはグラウンドの端を意味している。そこに行くにはグラウンドを横切らなければならず、つまり()()のだ。そんな非省エネなことをしたいとは思わない。

 

「どうしても今ここでは話せないことだ、と」

 

 ここだってそこまで人通りが多いわけではない。ならここでいいじゃないかと思う。そりゃ確かに女帝とよくわからん後輩男子が話していたら目立つと思わないわけでもないが。

 

「そうだ。……頼む」

 

 今目の前にある光景を、俺は微塵にも予想出来たであろうか。

 

 入須は軽く顎を引き、頭を下げていた。

 

 女帝が、たかが一生徒の俺に頭を下げているのだ。罪悪感というか、不安感というか、なんだか後ろめたい気分が心に溢れてくる。

 

「……わかりました。だから頭を上げてください」

 

 この様子を傍から眺められていたらあらぬ誤解を招きかねない。それはあまり喜ばしいことではない。

 出来ることなら入須からの頼みは「やらなくていいこと」に割り振りたかった。だが彼女がこれだけ真剣に頼んできているのだから、何かあるのだろう。ならば「手短に」済ませるべきだ。

 

「感謝するよ。……では明日の放課後、格技場とテニスコートの裏に。確かに頼んだよ。言うまでもないが、あまり言いふらさないでもらえると助かるな」

 

 言いふらすようなことでもないし、そもそも相手もそこまでいない。言ったところでからかわれるのが関の山だ。

 かくして、平和なはずの俺の明日の放課後は消滅した。「入須冬実と、格技場とテニスコートの裏で密会」という予定が埋まる。踵を返して去っていく入須の後姿を見つつ、どうにも解せない思いが俺の心に浮かんでいた。

 

 入須が話したいこととは、一体何だ?

 

 さっき問い質した時に曖昧に「逢い引きの場にふさわしい」とか言っていた。またまたご冗談を。断言できる。それはありえない。俺に女帝は釣り合わない。俺はタロットになぞらえられた時に「力」と言われた。所詮「力」は、女性に「御されている」にすぎないのだ。

 もしここに里志がいたら「それでもいいじゃないか、女帝と付き合えるチャンスなんて滅多にあるものじゃないよ!」と自分には関係ないと茶化してくることだろう。

 くだらん、と俺は窓の外へと目を移しながら教室へと戻ることにする。今日は快晴、だが明日は雨だったか。ああ、だとすると雨の中わざわざグラウンドを横切るのか、実にめんどくさい。

 それ以上、入須の目的について考えることはやめにした。埒の明かない想像に過ぎなくなるからだ。「やらなくてもいいことは、やらない」だ。あと24時間と数時間も過ぎればわかることだろう。

 残り僅かになった昼休みをどうするか考えつつ、俺は教室へと入っていった。

 

 

 

 

 

 放課後というのは、人によっては学校に来て最大の楽しみとなっている人も多い時間だろう。授業が終わった後を楽しみにするために授業のある学校へと来る。一見矛盾しているように見えるがその実、そういう人々は「授業」ではなく「学校」自体に意味合いをもって通学しているのだろう。

 俺は、というと特に放課後を楽しみにしているわけではない。だが別に嫌いなわけでもない。一先ず「部活」として成り立っているかも怪しいが、成り行きで在籍している古典部の部室、特別棟の4階にある地学準備室へと向かう。少々遠いが、あそこは居心地としては悪くない。別に俺が自分の時間に入っていても咎めてくる人間もいないわけで、結局あそこでは各々がやりたいことをしているだけ、と言ってもいいような部だからだ。要するに、「何をしてる部なのか」と聞かれると返答に困る、ということでもある。

 

 部室には先客が1人いた。小学校から中学校までの9年間同じクラス、高校に入ってようやく別なクラスとなった伊原摩耶花(いばらまやか)だ。本当に高校生かと思うような童顔で俺を一瞥した後、別に何事もなかったかのように視線を机へと戻す。どうやら明日の予習辺りをしているらしい。

 

「1人か?」

「見てわかんない? 他に誰か見えるなら眼科に行くか、お祓いでもお願いしてくれば?」

 

 お祓いと来たか。残念ながら幽霊なんてものは生まれてこの方全く見た事がない。

 予想はしていたが相変わらずの毒舌だ。ため息をこぼす気すら起きない。このまま話してもいいこともなし。俺はいつも通りの席に腰掛け、適当に鞄の中から取り出したペーパーバックを開く。

 

 古典部の活動などこんなものだ。だから「何をしてる部なのか」と問われると答えられない。部員は4人。福部里志がいない理由はなんとなく察しがつく。奴は2年になってから総務委員会の副委員長になっている。あれでいて何かと忙しいらしい。去年よりこの部室にいる頻度は目に見えて少なくなっている。

 一方この部屋にいる伊原は去年在籍していた漫画研究会をやめている。色々とごたごたがあったらしいが、詳しいことは知らない。別に知る必要がないからだ。だから里志と対照的に、こっちは部室にいる時間が増えている。

 だが俺が「1人か」と伊原に声をかけたのは、おそらく2人はいるだろうという俺の予想が外れていたからに他ならない。部長の千反田えるはもう部室にいるに違いない、と踏んでいたのだ。

 もっとも、あいつもいつでもいる、というわけでもない。それにこう言っては失礼かもしれないが、別にいようがいまいがはっきり言ってしまえば大した問題でもないわけだ。問題ごとを持ってこないなら人畜無害、嫌う要素など何一つない様な人物だ。

 だが、好奇心の権化と化したとき、それは俺の天敵となる。あいつの全体を通して感じられる品のよさの中で、唯一割に合わないのがくりっとした大きな目だ。それがさらに見開かれる時、あいつは俺の平穏を奪う呪文を口にする。

 

『私、気になります』

 

 それを言われたが最後、俺の愛する平穏は脆くも崩れ去り、あいつに連れまわされて引っ掻き回されるのだ。タロットカードの「愚者」にたとえられたこともあるその好奇心は、俺にとって最大の問題ごとだ。

 とはいえ、1年も一緒にいるとそれにも慣れつつある。いや、慣れてはまずいのだが。あくまで俺のモットーは「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」だ。だからあいつが好奇心に駆られて俺が巻き込まれた時は、なるべく手短に済ませてきた。

 しかし改めて言うが、だからといってあいつが嫌いなわけではない。普段はちゃんと節度をわきまえた品のいいお嬢様だし、好奇心の権化と化してもきちんと踏み込んでいい領域と駄目な領域を把握している。だから俺は別にこの部を去ろうと思わなかったし、これまでやってこれたわけだ。

 

 ペーパーバックを読む俺に予習をする伊原。当然のように会話はない。そもそも別に必要でもない。外から聞こえてくる運動部の掛け声をBGMに、俺は適当に本を読んでいた。

 千反田が来たのは、それから30分ほどしてからだった。

 

「遅くなりました。こんにちは」

 

 普段通り、特に何も変わった様子もなく千反田は部室に現れた。無視を決め込むのもなんだか悪いのでとりあえず一瞥して「おう」とだけ俺は声をかけておく。

 

「あ、ちーちゃん。丁度いいところに来たわ。あのね、この問題が……」

 

 伊原はまだ荷物を下ろしてもいない千反田を捕まえて解き方を仰ごうとしている。ちなみに、「ちーちゃん」というのは言うまでもなく千反田のことだ。伊原はちょっと変わった呼び方をするらしい。里志のことは「ふくちゃん」、そして俺のことは「折木」。俺だけ普通だが、ま、別に気にもしていない。

 

 俺はさらに本を読み進める。それからさらに30分ほどして里志が来た。今日の総務委員会がどうのの話から始まり、伊原との四方山話へ。千反田も時々そこに混じっているようだ。俺は興味がないので読書に集中。

 いつもの古典部だ。何気ない、ある種時間の浪費とも取れる放課後の一幕。だが俺はそれを勿体無いとも、無駄だとも思わない。見る人から見ればこれは完全に「怠惰」とでも取れるだろう。大罪のひとつだ。

 

 大罪といえば、いつだったか「七つの大罪」の話をこの部でしたことがあった。その時に千反田はこう言い切ったはずだ。「大罪という言葉だけを持ってきて私たちの生活に当てはめることはできない」と。よきかなよきかな。俺は「怠惰」という罪を犯しているという自覚はあるわけだが、一概に悪いとも言い切れない、というわけだ。

 それでいい。俺の高校生活は「灰色」だ。誰もが望むような「薔薇色」と正反対、普通の、特に面白みもないような平和で平穏な高校生活がいい。そういう意味でいうと、今日この時間はまったくもって灰色で素晴らしいと思える。

 

 そんなことを思いながら読み進めていた文庫本だが、特に山も何もなくあっさりと終わってしまった。今日のはイマイチだった。明日は違うのを読むかと思いつつ、壁にかかる時計を見上げる。丁度いい具合に帰宅時間だろう。

 

「そろそろ帰ろうか」

 

 俺の視線の先に気づいたのだろう。里志がそう促した。それをきっかけに各々が帰る準備を始める。今日も灰色で平穏な部活動は終わり。世は事もなし、さて帰ろうかと俺が荷物をまとめた、その時だった。

 

「あの……折木さん」

 

 おずおずと千反田が俺に声をかけてくる。また「気になります」とか言われるんじゃないかと一瞬不安になったが、目を見てそれはないかと安心した。代わりに普段よりどこか遠慮しがちに続ける。

 

「明日の放課後……ここに来る前にお時間はありますか?」

 

 基本的に俺は予定など何もない。そのために癖で「別にない」と言いかけて昼休みのことを思い出した。

 そういえば入須が「明日の放課後、闘技場とテニスコートの裏で」とか言っていた。俺に何を言いたいのかは気になるにはなるが、それ以上にわざわざ放課後にグラウンドを横切ってあの遠いところまで行く面倒さの方が上回る。

 入須に対する義理はない。頭は下げられたが、一度彼女が女帝である由縁を痛感しているのだ、昼の行動だってどこまでが本心かわからない。また俺を踊らせるために、一芝居打ったのかもしれない。なら、千反田の用事の方を優先してもいいか、と俺は判断した。

 

「ああ。特に用事はないぞ」

「折木さん!」

 

 が、直後に千反田は机を両手で叩きながら俺の名を呼んだ。珍しい。明らかに非難の表情だ。里志も伊原も驚いた様子で千反田を見つめる。

 さっきの話じゃないが、「大罪」の話をした時に千反田は「基本的に怒らない」と言っていたはずだ。そう言ったこいつが俺に対して怒りに近い感情を向けている。しかし何かそうなるに至ったようなことを、今の短いやり取りで俺は言ったか?

 

「嘘はいけません!」

「嘘……?」

「はい! 折木さん、明日の放課後は入須さんと約束があるじゃないですか!」

 

 ……おい待て、なぜお前がそれを知っている?

 

「へえ。ホータロー、女帝と密会の約束かい?」

「……里志、ちょっとややこしくなるから黙っててくれ。千反田、確かに俺は今日の昼休み、明日の放課後に時間をくれとあの人に言われたのは事実だ。だがなぜお前がそれを知っている?」

「そ、それはですね……」

 

 こほんと千反田は一度咳払いを挟む。

 

「さっき入須さんとお会いしたんです。その時に『個人的な理由から、折木君に明日の放課後時間が欲しいと頼んだのだが、あまり乗り気でなかったようなので一言言っておいてほしい』と言われたんです。折木さん、面倒くさがって約束を反故にするのはいけません。たまにはいい運動だとでも思って、入須さんのお話を聞きに行ってあげてください」

 

 なんと、少し早口でまくしたてるように説教されてしまった。しかし生憎、ここで俺も「はいそうですか」と言うほど素直な性格ではない。大体俺は運動不足ではない。毎日健康に気を遣いながらちゃんとこの学校に登校してるんだ。

 

「……おい千反田。じゃあお前が今俺に明日の放課後時間があるか聞いたのは、特に意味も、そして用事もないんだな?」

「はい」

「なるほど、お前らしからず()()をかけてきたってことか。だがな、それだとお前も俺に対して嘘をついたってことにならないか?」

「え……え?」

「だってそうだろう。お前は俺に対して『明日の放課後に時間があるか』と聞いてきた。当然俺はお前が俺に対して何か用事があるものだと推測する。だがそれは違った。なら、それも嘘じゃないか?」

「え、えっと……それは……」

「それは屁理屈だね、ホータロー」

 

 ……余計な邪魔を入れやがって。今里志が横から口を挟まなかったら、おそらく俺は千反田を丸め込められただろう。現にこいつは明らかに狼狽していた。もっとも、里志に言われるまでもなく俺もこれは屁理屈だとわかっている。だがそこまでしてでても、やはり格技場とテニスコートというグラウンドの外れまでは歩きたくないのだ。

 

「千反田さんが聞いたのは『時間があるか』という質問だけだ。そこから先を勝手に思い込んだのはホータロー自身さ。千反田さんには何の責任もない」

「それに折木がつく嘘は悪い嘘だろうけど、仮についたとしてもちーちゃんの嘘は良い嘘なのよ」

 

 さいですか。伊原の言い分には異を唱えたいところだが、兎も角1対3では勝ち目はない。俺は両手を広げて降参の意思を示した。

 

「わかったよ。女帝様の話を聞きに行けばいいんだろ?」

「はい。私も詳しいことはわかりませんが、とにかく入須さんの顔を立ててあげてください」

 

 それでこの話はおしまいということになった。いよいよ各人が荷物を持ち、部室を後にする。そうして部室を出て昇降口まで歩きながら、俺はふとさっきの伊原の一言を思い出していた。

 

『ちーちゃんの嘘は良い嘘なのよ』

 

 良い嘘、悪い嘘。まあよく言われることだ。優しい嘘、なんて言葉も聞く。「嘘も方便」とは、昔の人は上手いことを言ったものだと思う。

 では、()()()()は良い嘘だったのかと、俺はふと考えていた。

 しかし考えたところで、今答えは出ない。なら、「やらなくてもいいことなら、やらない」のモットーに則り、俺は考えることをやめにする。

 だがそれでも、俺が思ったその考えはしこりの様に、俺の心の中に残っていた。

 

 

 

 

 

 天気予報というのは当たってほしくない時に限って当たる。土砂降り、というほどではなかったが、傘をささないと濡れる程度に、今日は朝から雨が降りしきっていた。

 傘の陰に身を隠しながら登校するのは、若干憂鬱になる。傘があるというだけで荷物が増える。それだけで俺の気を滅入らせる要因のひとつとしては十分だ。

 

「やあ、ホータロー」

 

 そんな俺にこのぐずついた天気と真逆の声がかけられる。声の主を確認するまでもない。この呼び方をしてくる人間もまずこいつ以外にいない。

 

「今日は歩きか」

「傘さし運転は危ないからね」

 

 当然とばかりに里志は答えた。言葉通り、今日は傘をさして歩いての登校になっている。

 

「それでホータロー。女帝への愛の言葉は決まったかい?」

「決まるも何も、そもそもそんなわけがない」

「つれないなあ。女帝と付き合えるチャンスなんて滅多にあるものじゃないよ」

 

 昨日思った、予想通りの言葉をこいつは吐きやがった。そんなわけあるか。万が一、いや、億が一迫られたとして、俺はそれを受けるつもりはない。入須には一度俺の灰色の高校生活を壊されかけた。……いや、厳密には俺が勘違いして壊しかけた、と言う方が正しいが。兎も角、それを本当にあの女帝に壊されるとなるのは御免蒙りたい。色恋沙汰を望まないとは言わない。悲しきかな、所詮俺も男なのだ、(さが)には勝てない。だが、それは省エネ思考に真っ向から反すること、基本的には憂慮すべきことなのだ。

 

「時間は放課後だったよね。それで、逢い引きの場所はどこだい?」

「誰が教えるか」

「じゃあ僕が推理してあげるよ。そうだな、校内は目立つだろうから……。体育館への渡り廊下ってところかな。ああ、もしそこならもう少し足を伸ばして駐輪場の方がうってつけだと思うよ。幸いと言うべきか、今日は雨だ。自転車の数は少ないだろうし、そこに行く生徒も多くはないだろうからね。それに雨音が丁度いい感じにそこでの密会の言葉を消して……」

「待て、里志」

 

 違和感。

 俺が今話を遮ったのは話すのがめんどくさいとか、探りを入れられるのが迷惑だとか、そういった類ではない。ふと感じた違和感のせいだ。昨日、部活が終わって帰り際に感じたしこり。それを、よりはっきりと感じたからだ。

 

「なんだい、ホータロー。まさか……怒ったのかい? いや、ホータローが怒るなんてことは……」

「里志。お前、今日の雨はいつから予報で知っていた?」

「……変なことを聞くね。確か……昨日の朝かな、遅くても。テレビでも新聞でも『6月の初日は晴れるものの、以降しばらくはぐずついた天気になる』とかだった気がするよ」

 

 さすがデータベース。だがかく言う俺も昨日までの天気予報でなんとなくそれは知っていた。

 違和感が、確信へと変わりつつある。

 

「ならもうひとつ。お前は本当に俺と入須が会う約束をした場所を知らないのか?」

 

 きょとんと里志が俺を見つめる。次いで表面だけは笑顔を浮かべ、しかしその実、上辺だけの笑顔で返してきた。

 

「知らないよ。知っていたらわざわざこんなことを切り出すもんか」

 

 そして、違和感は確信へと変わった。

 里志は俺と入須の待ち合わせ場所を知らない。それだけは間違いない。だが、だとすると昨日行われた一連のやりとりで、()()()どうにも腑に落ちない部分がある。

 

「……考えごとかい?」

 

 言われて、初めて俺は黙り込んで無意識に前髪をいじっていたことに気づいた。どうやら考え込む時の癖らしい。そしてこいつはそれを見抜いている。ひょっとしたら、今俺が考えていることも見抜いているのかもしれない。

 

「まあ安心しなよ。今日は総務委員会はないけど、僕は大人しく真っ直ぐ地学準備室に行って、千反田さんと摩耶花と世間話でもしてるから」

 

 ああ、そうしてくれ。下手に詮索されるよりはるかに助かる。

 当たってほしくないときに限って当たる天気予報だが、今日に限ってはそう思わなくていいことになるかもしれない、と俺はふと思っていた。

 


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