賽の出目は The empress couldn't hide true feelings   作:天木武

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2 剥がされた仮面

 

 

 昼休み。昼食をさっさとすませ、俺は席を立った。入須との約束の時間は放課後であって、本来この時間ではない。だが、俺はこの時間中に彼女に会いに行くつもりでいた。

 雨の日に、グラウンドを横切って格技場とテニスコートの裏という場所まで行くのは遠いことに加えて傘もささねばならずに面倒がさらに上乗せされている。だったら、「やらなければいけないことなら手短に」のモットーに則り、手短に済ませる方法をとればいい。「雨ですし場所を変えませんか、と言いに来ました」というのは()()の理由としては十分だ。

 

 3年生の教室が入る階へと行く。だが肝心の入須が果たして何組かわからない。一クラスずつ覗いていくしかない。なんと非効率的なことか。しかしたとえそれが非効率的であったとしても、雨の日に傘をさしてグラウンドを横切るよりは遥かに楽なわけだ。

 適当に3年生のクラスを覗き込んでしばらくした頃。

 

「おや、君は1個下じゃなかったかな」

 

 聞こえた声に俺は振り返る。立っていたのは髪をお団子にして3つほど頭に作った、どうやってその髪型を維持しているのか疑問に思える女子だ。俺は彼女に見覚えがある。

 

「えっと……。確か沢口……」

「沢木口だよ、探偵の折木クン」

 

 その呼ばれ方は俺としては否定したかった。だがまあ些細な問題、それにこの状況では地獄に仏だ。手がかりゼロよりは多少マシだろう。ここは入須を探すのに一役買ってもらうことにする。

 

「どうしたのさ、こんなところ歩いて。またチョコレートでもなくなった?」

「ああ、あの件はすみませんでした。まだちゃんとした謝罪もしてませんでしたね」

「ん。まあいいって細かいことは」

 

 あなたの性格からいうとそうでしょう。でもそこは「別にいいじゃない、チョコレートのことぐらい」とか、伝説の決め台詞で言ってほしかった気がしないでもないですが。

 兎も角、これは渡りに船、この人を使わない手はない。

 

「ところで入須先輩はどこのクラスかご存知ですか?」

「入須? 私と同じクラスだよ。何か用事?」

「ええ。まあ」

「まさか……愛の告白とか?」

 

 なんでこうそっちに皆結び付けたがるのだろうか。思考がわからん。

 

「そうじゃないですが、ちょっと用事が」

「また探偵稼業かな? ま、なんでもいいけど。あ、でも告るのはやめておきなよ。まずうまくいかないだろうし、万に一つうまくいったとして『女帝』の彼氏ってのは辛いもんだと思うからね」

 

 だから違いますって。もう反論するのも面倒なので俺は無言で「早く連れてきてください」というオーラを出してみる。言いたいことを散々言っていた沢木口だったが、俺のその空気を察してくれたらしい。

 

「まあいいわ。入須呼んでくればいいんでしょ? ちょっと待ってて」

「ありがとうございます」

 

 沢木口は教室の中へと消えていった。ややあって、入須を連れて出てくる。入須の滅多に見ることはないであろう驚いた顔が印象的だったが、それ以上に後ろの沢木口の顔に全てを持っていかれた。右目を閉じつつ舌をペロッと出しながらサムズアップ。「頑張れ少年!」とか心の中で勝手に思ってるのだろう。そのまま彼女はどこかへと行ってしまった。はいはい、頑張らせてもらいますよ。ただし、あなたが思ってることとは全く別なことで、ですけど。

 

「沢木口に『彼氏候補が呼んでるよ』と言われて来たのだが……。驚いたな。まさか折木君だったとは」

「あのエキセントリック女子高生の言うことを真に受けないでください。ただ、俺があなたを呼んだのは事実です」

「話の時間は今日の放課後のはずだが?」

「ええ、そうですね。ですが、生憎今日は雨だ。雨の中、グラウンドを横切って長い距離をえっちらおっちら歩こうという気にはなりません」

「なるほど。省エネ主義者らしい発言だ。だがそれだけで……」

「そして何より……俺が話をしたいのは、入須先輩、()()()()()

 

 これで、十分だった。俺が何を言いたいのか、彼女は察したらしい。続けて何かを言いかけた口を入須は閉じた。それまでの表情から余裕のようなものが消え去り、一層冷たさを増す。

 

「……わかった。場所を変えよう」

 

 同感だ。3年の教室が連なる廊下というのはさすがに目立ちすぎる。

 

 

 

 

 

 俺と入須が移動してきた先は一般棟の校舎と体育館をつなぐ渡り廊下の、その近くにある駐輪場。今朝里志が「うってつけ」と言った、奇しくも俺が「十文字事件」で「犯人」と直接対決した場所と同じになる。

 里志の予想通り、今日は自転車の数は少なかった。加えて屋根に当たる雨音で俺たちの会話は外部に漏れないだろう。ここは舗装されている。それでも上履きで出るのは少々はばかられるが、戻る時に渡り廊下にあるマットで汚れを落とせば別に問題はないと思われる。入須もその辺り、細かいことは気にしていなかったらしい。いや、その前に俺との話の方を優先すべきとしてこんなことは些事と取ったのだろうか。

 

「それで、君のモットーに則って余計な前置きは省こう。……なぜ、放課後に()()()()()()とわかった?」

 

 存外、あっさりと彼女はそのことを認めた。その速度に多少は驚いたが、俺の考えたとおりのことに違いはない。俺は口を開いた。

 

「理由はそれなりにあります。ですが、あなた関連に限定して言うなら……。いくら人目につきにくいとはいえ、()はまずかった」

「ほう……?」

「天気予報でも新聞でも、『6月に入って晴れるのは昨日1日だけ』と随分と言われていた。今日からしばらくは梅雨前線のせいで雨になる。いくら昨日が晴れていても、翌日雨が降る可能性が高いのに外を指定したというのは、どうもあなたらしくない」

 

 入須は微笑をこぼす。俺の推理に感心している、というよりは失笑、という意味合いに俺には取れた。

 

「それが、私が放課後に行かないこととどう繋がるのかな?」

「あなた自身が関係する、もっと具体的に言うならあなた自身がその場に行くとなったら傘をささざるを得ない状況になるのは避けるんじゃないかと俺は思ったわけです。雨と言うことは大体の人間が知っていたでしょう。あなたに限って知らないはずがない。しかしそれをあなたは気にも留めていない様子だった。そう思った時……あなたは関係しないんじゃないか、つまりそこに行かなんじゃないかと思ったんです」

「……それでは弱いな。私は君ほど省エネ主義ではないよ。別に傘をさすぐらい、それほど苦とも思わない。それに本当に雨のことは知らなかった、とだって言うことは出来る」

「そうですか。……出来ればあなた関連だけで追い詰めたかったんですが、やはり俺の推理能力は、別に特別でもなかったようですね」

 

 精一杯の皮肉だが、負け惜しみではない。切り札はまだ取ってある。ここで相手が観念するなら儲けものだったが、やはりそうは問屋が降ろしてくれないらしい。

 

「……つくづく嫌われたものだな、私も」

 

 彼女は苦笑を浮かべた。その自嘲的な笑いでさえ、女帝の予定調和的な演技に見えるのは、さすがとしか言いようがなかった。

 

「では、あなた関連で、という枠を取り払います。……今日の放課後にグラウンドの隅、それは別な人から俺にそう頼むように指定されたから、あなたはそのままに俺に告げた。そして、その時その場には、あなたに指定した別な人間が行く予定でいる」

「根拠は?」

「はっきりとしたものはありません。それでも強いて言うなら……。俺の前で()()を出した人間がいた。それだけです」

「ボロ……?」

「ええ。その人間は俺とあなたが今日の放課後会う約束をすることを知っていた。あなたが言ったと言っていた。ですが、そもそもそういうことをあなたが他人に言うかも怪しい、さらに俺には『言いふらすな』と言ったあなたが、よりにもよって場所まで細かく言うような人間だと俺は思わない。なのに、そいつははっきりとこう言いました。『たまにはいい運動だと思って話を聞きに行け』と。その言葉が意味するところはひとつ。その人物はグラウンドを横切らないとその場所に行けなかったことを知っている、つまりあなたに俺への約束をとりつけさせた人物だということです」

 

 既に場所を知っている俺は、あの時そのことを深くは考えなかった。確かにしこりとして残りはしたが、もしかしたら入須が話したかもしれない、という可能性もあったからだ。

 だが、里志は場所をわからないと言った。雨ということは前から知っていたとも言った。今日が雨ということが大々的にわかっているのに、わざわざ省エネ主義の俺をそこまで歩かせようというのがまず引っかかった。俺の性格から言って、反故にする可能性など十二分にありえる。もし入須が俺に何かを頼み込むとするなら、もう少し俺が来る気になる場所にするはずだ。

 その疑問が昨日のしこり――すなわち違和感を確信へと変えた。放課後に会いに来るのは入須ではない。ひょっとしたら彼女は、頼まれた伝言を伝えただけの遣いでしかないのではないか。

 そして、彼女を遣いに出来る人間など、そうそう多くはない。

 

 入須は、黙って目を伏せた。そして小さくため息をこぼし、ボソッと呟く。

 

「……まったくあいつは。餅は餅屋が提供すると言ったのにな」

「説明してほしいですね、先輩。なぜ()()()はそんなめんどくさいことをしてまで、あなたを使って俺を呼び出そうとしたのか」

 

 返答はすぐにはなかった。女帝はらしくなくその眉をしかめ、言葉を選ぶように考え込んだようだった。そして短い時間を挟んでから、口をゆっくりと開く。

 

「……その理由自体は私にも解らない。信じる信じないは、結局君次第になってしまうが。だが、私も君と同じことを思った。彼女は単刀直入にしか物事を言えない。しかしそれは一概に弱点とは言えず、使い方によっては、いや、むしろ彼女の使い方なら強力な武器になると思っている。だが、あえてそれを用いずに私に頼んできた理由というのは、私も知りたいところではある」

 

 俺は自分で人の嘘を的確に見抜くことは出来ない、と思っている。だが今の入須の言葉には嘘がないように思えた。

 

「では……。あなたは千反田が俺に何を話そうとしていたか、それはわかりますか」

 

 一瞬、彼女の瞳に侮蔑的な色が篭ったと思った。実を言うと、その内容と言うのは薄々は感じていたことだ。入須は冗談のように「逢い引きの場として適切」と言った。もしそれが冗談ではなかったとしたら。今の視線で俺の心の中でそんな思いがより強くなる。

 

「場所と時間を知っておきながら……それを私に言わせるのか? ……知ってはいるよ。だがそれはこの場で口に出されてはいけないことだとわかっている。そして私はそんな無粋な真似をするつもりもない。だから例えどんな条件を提示されようと、仮に拷問されようとも、私はそれを決して口にはしない」

 

 さすが女帝だ。言葉の重みが違う。「これで察しろ」と言いたいらしい。だったらこれ以上このことを聞くのは無駄だ。

 

「では、最後にひとつだけ」

「何かな?」

 

 口を開きかけ、俺は閉じる。出しかけた言葉を一旦飲み込み、再び言葉を搾り出した。

 

「……理由もわからない千反田からの頼みを、『女帝』であるあなたが聞こうと思った理由はなんですか?」

 

 露骨に、彼女は顔をしかめた。

 近づくものは皆彼女の手駒になる。それを悔いなく扱ってこそ女帝だ。だから、人を使うならまだしも、人に使われるというのはどこか納得がいかずにぶつけた質問だった。

 

 いや、本音を言えば最初に飲み込んだ質問こそが、もっと聞きたいことであった。だが、それは聞いたところでどうせ答えはない。そう思ったから、何がこの人をそこまで駆り立てたのかは知ろうと思ったのだ。

 

「……最後の質問が、それか」

「くだらないですか?」

「私から言わせてもらえば、くだらないな。君は私を何だと思っている?」

「女帝ですよ。あなたは人に使われる存在ではない、人を使う存在だ。そういう孤高の存在だからこそ、あなたは残酷なほどに冷たく、そして美しい」

 

 いささか持ち上げたことを言ったかもしれないが、俺は本心を述べたつもりだった。笑われるならそれでいい。それでこそ女帝だ。そう思っていた。

 だが、意外なことに彼女は笑わなかった。いや、厳密には笑ったが、それはどこか悲しさのようなものを含んだ笑みだった。

 

「……君もそう言うか。私は自分で自分を『女帝』などと言ったことは、一度もないんだがな」

 

 虚を突かれた。俺は、人の嘘を的確に見抜くことは出来ない。だから今の彼女の発言の真意をはっきりとは測りかねる。

 だがそれでも、その一言は彼女がほんの一瞬だけ見せた本心のように思えた。これまで決して外すことのなかった仮面の端から、僅かに彼女の本当の顔が見えたような。だとするなら、俺はこれまでとんでもない思い違いをしてきたのではないか。

 

 そもそも「女帝事件」の時、この人は2年F組のまとめ役だったわけだが、元々はクラス企画に全く関係なく、急遽取りまとめ役を引き受けたという話だったはずだ。今になって思う。なぜ、俺はその時尋ねなかったのだろうか。「先輩には元々関係のない話じゃないですか」と。

 その時に彼女がF組に関わって得るメリットはなんだ? お世辞にもあの映画の出来はいいとはいえない。映像技術は素人がやればこういうものだろう、という程度、演技もいいとは言い難いレベルだ。トリックについてはノーコメントにさせてもらいたい。自分が得意気に披露したあれを自分で評する気にはならない。兎も角、「私が取り仕切って、破綻寸前の映画をここまで導きました」と言ったところで何もプラスにならない。むしろ「この程度しか出来なかったのか」と思われてしまえばマイナスになる話だ。

 では、クラスのためか。あるいは助けを求めたであろう脚本を書いていた本郷(ほんごう)のためか。どちらにせよ、そこで救いの手を差し伸べたというのは、俺が抱く「女帝」のイメージ像と若干齟齬が生まれる。確かに彼女は人を扱うのが上手い。そして物事を華麗に解決する。その扱われた人物の心情は二の次としても、だが。それでもF組の件にしろ、かつて里志が言った件にしろ、今回の千反田の件にしろ、彼女は「求めてきた助けには応じている」と言えるのではないだろうか。それなら、果たして俺が勝手に抱いている、冷血で非情な女帝のイメージと言うものは正しいといえるのだろうか。

 

「以前も言ったと思うが、入須家と千反田家は古くからの付き合いでもある。その彼女が頼んできた話だから、私は受けただけだ」

 

 再び発した彼女の声は、もう先ほどの「弱さ」のようなものは微塵も感じられなかった。同時に、普段通りの入須冬実に戻ったと、俺は感じた。

 言葉を変えるなら、「仮面を付け直した」と言ってもいいかもしれない。少なくとも、今の俺はそう思った。

 では、仮面を付け直したと感じるのなら、その仮面を着ける前、つまり、さっきの彼女こそが、本当の入須冬実なのではないだろうか。本当はお節介焼き、とまではいかないにしろ、困っている人から助けを求められたらそれを見捨て切れずに応えてしまう。

 

 

「先輩」

 

 そう思うと同時、自制できずに俺は口を開いていた。彼女は普段通りの色のない表情で俺を見つめてくる。

 俺がこれから言おうとしていることは「やらなくていいこと」かもしれない。しかし同時に()()()()()()とも思った。女帝の仮面を剥がし取る、などという大それた心意気はない。強いて言うなら、「女帝事件」の時に後味悪く諦めざるを得なかった、あの思いに一矢報いたい。そんなちっぽけなプライドからかもしれないし、少し女帝をからかってみたいという誘惑に駆られたからかもしれない。何にせよ、本来なら俺にとって考慮するに値すらしない行為だとわかっていながら、それでも自制は効かなかった。

 

「……これはは大してあなたと話したこともない俺の途方もない妄想です。それでよければ聞いてください。

 先輩は、入須冬実という人間は、本来世話焼きの気のある人間なんじゃないですか? だが何かの拍子に、その恩を仇で返されたか、あるいは、名家と言ってもいいあなたの家が『無償の善』は良しとしなかったか。原因はわかりませんが、それ故、本来の心を仮面で隠し、あくまで冷淡に『女帝』と呼ばれる存在として、人を操り、本来は望まないながらも見返りを得続けている。さっき一瞬だけ見せた表情は、俺にそんな妄想を抱かせました。

 だとするなら、あなたに対して『センティメンタリストなはずがない』と評した俺は、見当違いも甚だしかったと言っていいでしょう。あなたは誰よりもセンティメンタリストだ。あの時、激昂とまではいかないにせよ頭に血が上って『誰でも自分を自覚するべきだといったあの言葉も嘘か』と問い詰めた俺に、あなたはこう言いましたよね。『心からの言葉ではない。それを嘘と呼ぶのは、君の自由よ』と。

 その言葉をかけた相手は俺だった。ですが、同時にあなた自身にもそうであったとしたら。あなたは誰よりも己を自覚し、しかし俺にそれを強制したくないと、そう述べたのだとしたら」

 

 入須は固まっていた。俺がこんなことを言い出すなど予想もしていなかったからか。あるいは、俺の話があまりにも途方もないからか。

 俺の考えでいうなら後者だ、と言わんばかりに彼女は表情を取り繕った。

 

「……面白いことを言う。でもそれは違うわね。私はそんなにセンティメンタリストじゃない」

「本当にそうですか? ではなぜ、俺を持ち上げて踊らせるためだけに『特別だ』と言っておきつつ、俺に詰め寄られた時に『嘘は言っていない』とだけ言わなかったんですか? もし真に女帝たる存在なのであれば、なぜあんな回りくどい言い回しをする必要があったというんですか。『思いたければ、そう思えばいい』、あるいははっきりと『そうだ』とでもだけ言えばよかったものを、わざわざ『心からの言葉ではない』と付け加えた、それはなぜですか?」

 

 返事は、なかった。

 

「あなたは、本当は自分を自覚したくなかったんじゃないですか?」

「私は……」

「しかし、あなたは自分を自覚()()()()()()。自分には他人を手駒として使える能力があることを知ってしまった。それが出来ると解った以上、そうしないわけにはいかなかった。なぜなら、出来るのにやらないというのは、出来ない他人から見ればあまりに辛辣だと思った、そして『見ている側が馬鹿馬鹿しい』と思ってしまったからだ。

 だから、あなたは仮面をつけた。『女帝』として人を操り、俺を踊らせた。己の本心を隠し、傷つく人間が最小になるよう、あの事態の解決を試みた。

 もしここまでの俺の妄想染みた仮説が合ってるとするなら……。あなたはやはり誰よりもセンティメンタリストだ。人から求められた助けを見て見ぬ振りができず、己の心は仮面で隠す。それでもなお、誰が言ったか『女帝』であろうとする。そんなあなたをセンティメンタリストと呼ばずして、何と呼びましょう」

 

 たかが数度話しただけで、俺は一体この人の何を知った気になっているのだろうか。話し終えてから、そんな後悔も押し寄せてくる。だが俺は一瞬仮面を外したように見えた彼女の表情から、そんな風に思っていた。いや、そんな風に信じてみたい、その価値はあるのではないかと、かつてと同じような心持ちで思っていた。

 

 それでもおそらく、万に一つ俺の妄想が当たっていたとしても、冷酷に、非情に、彼女はこう告げてお終いになる話だろう。「なかなか面白い話だった。でも、所詮は君の妄想ね」と。

 しかしそれでいい。それでこそ「女帝」だ。仮に俺が思ったとおりの人物であったとしても、本質を隠してでもそう振舞う。本来ならそれでは道化かもしれない。だが、彼女はそんなことを思わせぬほどに美しい。

 

「……話は終わり?」

「はい」

「そう。……なかなか面白い話だった。でも、所詮は君の妄想ね」

 

 俺の予想通り、全く興味がないとばかりに彼女は俺に背を向けてそう言った。別に俺はショックなど受けない。むしろ、思ったとおりの内容にどこか満足感すら覚えていた。

 だが、肩越しに俺を見つめつつ言った次の一言は、俺の予想の範疇を完全に超えていた。

 

「……君は探偵じゃなく、推理作家になるべきね」

 

 飛び出したのは以前俺が彼女と「対決」した時に俺が引き合いに出したセリフだった。皮肉を言われたと捉えてもいいだろう。その言葉の通り、あの時の俺は彼女によって「探偵」ではなく「推理作家」として踊らされていたわけだ。それを考えれば当てつけと考えていい。

 だが、俺はそうは思わなかった。そのセリフの本来の使いどころは「奇想天外な推理を開陳された時の犯人のセリフ」だ。それは様式美的に、お約束として、そして最終的にはそのトリックがまかり通って()()()()()()犯人の口から言われるセリフだ。

 それでも、思い過ごしかもしれない。彼女は明確に「敗北」を認めなかった。しかし、それでいい。それでこそ、やはり女帝なのだ。

 

「……話は以上です。では、俺はこれで……」

「待ってくれ、折木君」

 

 どこか満足感を覚えて、俺はその場を去るつもりだった。ところが、彼女がそれを良しとしなかった。まさか女帝に呼び止められるとは思わず、俺は彼女を見つめ返す。

 

「さっき言ったとおり、私は千反田がなぜこんなことを頼んできたのかはわからない。だが、彼女が君に話そうとしていたことはわかる。……相談も、されたからな。しかし、言ったようにそれを今この場で私の口から言うつもりはない。そのことを知りたいのなら、今日の放課後に、彼女の口から直接聞いてほしい」

 

 ややこしい。だが、入須の言いたいことはわかる。そして……千反田が言おうとしていることも、これまではひょっとしたら、という程度だったが、今の入須の態度で確信を強めた。

 だが元々そう思っていたからこそ、俺はその現実から目を背けたかったのかもしれないし、そのことを忘れようとしていたのかもしれない。だから、入須の本質などという、省エネ主義にあるまじき考えをめぐらせてまで、頭の中からそのことを消し去りたかったのかもしれない。

 問題は何も解決していないのだ。本来俺の最後の質問は、こう尋ねるべきだとわかっていた。「俺はどうすればいいんですか」と。

 しかし要領を得ないそんな質問をぶつけたところで女帝が答えてくれるはずもない。そうも思っていた。考えたくない、答えてくれるわけもない。それを逃げの理由として、俺は最後の質問をあえて、今回の件と本質的には関係のないものにしたのだ。

 だが、今のやりとりで入須は明確に敗北を認めていないとしても、もしかしたら俺の妄想も一概に外れているとも言いがたいのかもしれないとわかった。なら……俺が救いを求めれば、彼女は救いの手を差し出してくれるかもしれないのではないか。

 

「……先輩。さっき俺は『最後の質問』と言いましたが、もうひとついいですか?」

「さっきの最後のはなんともナンセンスな質問だった。あれを最後にするのはあまりに面白みがない。だから許可しよう」

「ありがとうございます」

 

 実に女帝らしい言い様だ。やはりこの人はこうあってこそだと思う。ある種の覚悟を決め、俺は口を開き、先ほど思った言葉をそのまま口にする。

 

「……俺はどうすればいいんですか?」

 

 さっき思ったとおり、要領を全く得ない質問だ。何が言いたいのかも伝わっていない可能性さえある。

 だが、それは杞憂だとすぐにわかった。一度目を見開き、入須は黙り込んだ。それだけで、俺は何を聞きたいのか察している、ということだとわかる。彼女は俯き加減で考えた様子をみせ、ややあって顔を上げた。同時に、口元を僅かに緩める。

 

「……省エネ主義と言うから唐変木だと思っていたが、私の思い違いだったらしいな。撤回しよう」

 

 失敬な。ですが、ありがとうございます。

 

「そうだな……。君の事を唐変木と言っておいてなんだが……私もそっち方面ではあまり君のことを笑えた口ではない」

「へえ、そうなんですか」

 

 あくまで、わざとらしく。しかし女帝はその程度の軽口では全く堪えようとしない。

 

「だから、具体的なアドバイスは無理だ。それでも言うならば……。君が思った通りに行動すればいい」

「俺が思ったとおり……」

「それが、もっともあの子のためになるだろう。下手な小細工をして喜ぶ結果を得ようとしても、おそらく彼女は喜びはしない。

 とはいえ、君のモットーとは対極に位置する事柄だ。よく考えた方がいい。そして何より、君が出すべき結論だ。私が口を出せることでないことはよくわかっている。わかっているが……」

 

 一度、入須は言葉を切って俯いた。そして顔を上げたとき、再び彼女は「女帝」としての仮面を外していた、とわかった。色の無い普段の表情と異なり、どこか申し訳なさそうな、何かを頼み込むような、少し前の彼女からは想像も出来ない表情。

 

「……出来るなら、千反田を悲しませるようなことだけはしないでくれ。……頼む」

 

 俺は、彼女を完璧であるから美しいと思っていた。それは間違えてはいないと思う。だが、人間というのは完璧である者によりも、どこかそうではない部分を見せた者の方が親近感を覚える、と何かで聞いた気がする。

 今この瞬間、そのことを理屈抜きで理解した。「女帝」は完璧であるからこそ美しかった。だが、俺の目の前にいる「入須冬実」は、この時初めて等身大の高校生に見えた。よくよく考えれば、彼女は俺と年が1つしか違わない、同じ高校生のはずだった。俺は何を神格視していたというのだろうか。

 

 そういえば千反田は一人娘のはずだ。入須の兄弟関係は知らないが、昔からの付き合いとなればおそらく千反田は入須を姉のように慕ったのだろう。そういえば以前、千反田から「尊敬する姉かかわいい弟が欲しかった」と聞いた気がする。そう考えれば、さっきの1度目の「最後の質問」は、我ながらナンセンスだ。

 なぜなら、それはこれまでの俺の妄想染みた考えで俺の中では、もうこのようにまとまっているからだ。入須冬実は血も涙もない人間ではない。そのセンティメンタリストな彼女が、妹同然の人間から頼み込まれた頼みを聞かないはずがない。

 

 いや、ひょっとしたらこれまでの俺の考えは全て大概に的を外し、僅かに見せる彼女の弱さのようなその仕草さえも計算のうち、ということだってありえる。だが、それならそれでいい。その時は最大の称賛と皮肉を持って俺は彼女に拍手を送ろう。「さすが女帝です」と。

 兎も角そうであるにせよないにせよ、今入須に頼まれたことを俺は反故にする気はない。俺だって、千反田を悲しませるようなことはしたくない。しかしそう思うと同時に、俺はまだ自分自身の心を決めかね、あいつの満足行く答えを出せるかわからずにいる。安請け合いはしたくないが、今出来る精一杯の約束でもって、俺は答えた。

 

「出来る限り善処します。俺だって、あいつを悲しませたいとは思ってませんから」

 

 入須は、笑った。これまで数度見た、張り付けたような薄い笑みではなかった。タロットにおける「女帝」のカードの意味の中にある「母性愛」と呼べるような、優しさも含まれた笑み。今、初めて彼女をタロットの中の「女帝」として、俺は見れたのかもしれない。

 

「十分な答えよ。……ありがとう」

 

 軽く顎を引き、入須が頭を下げる。そしてそれが戻った時、彼女は再び従来の意味の「女帝」として、剥がされた仮面を付け直し、普段通りの表情を張り付けていた。

 

「じゃあ私はこれで失礼するわ。……健闘を」

 

 奇しくも、俺が彼女に初めて会って、試写会の時にかけられたものと同じ言葉を残して、入須は去っていった。駐輪場の屋根に雨が打ちつける音だけが、辺りに響く。思わず、俺はため息を吐いた。

 

 ……千反田よ。お前はなぜこんな回りくどい方法を選んだ? いつものお前らしく、前置きも何もなくでよかったじゃないか。それなら俺だって勢いで誤魔化し切れたかもしれない。だが入須を巻き込んだせいで、俺は余計な考えを抱いて女帝の仮面を剥がしてしまった。昨日の帰る時点ではもし俺が考えてるようなことをお前が言ってきても、俺は鼻で笑って適当に済ませるか煙に巻くつもりでいたが……。女帝に本心から頼まれた以上、もうそれは出来ないだろう。

 いや、と思う。それですら俺にとっちゃ言い訳だ。俺は逃げたかった。「やらなくていいこと」に分類できず、かといって「手短に」済ませることの出来ない問題。さて、どうしたものかと思いつつ、俺も教室へと戻ることにする。そしてタイムリミットまでの午後の授業をそのことに対する考えに費やそうと思ったのだった。

 




沢木口ですが、原作においても結構カメオ出演しているので前回のエイプリルネタに続いて今回も出てきてもらいました。

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