生き抜かなければならない。創造主より課せられた使命をまっとうするまでは。
彼の逃亡が始まった…。
彼女がそこまで執着してるとも思わないですが、こうだったら面白いかなと妄想してみました。
よろしければお読み頂けたなら幸いです。
彼は死に瀕していた。
いや恐らく、殺される事は無いだろう。
彼女が、死の解放などという生易しい手段を取ってくれるはずは無いのだ。
暇さえあれば、毎日、毎日、毎日…。
彼女は恐ろしく冷酷で残忍で、彼の思いなど意にも介していない。
それ故、彼はただただ、荒れ狂う暴風に吹き飛ばされる木の葉のように翻弄されるしか無い。
……だが、耐えぬばなるまい。これも支配者たらんとする自分に課せられた試練なのだ。
この程度の苦痛に負けてしまうようで、どうして王の孤独に耐える事が出来るだろうか。
彼は自分に言い聞かせる。
──私は負けない。決して負けない。負けてなるものか。決して。決して…。──
◇◆◇
「シズ、何をしているの?」
ユリが、妹に問いかける。
「……エクレアと遊んでる。」
「バッチイから遊んだ後は手を洗いなさいよ。」
「ん。」
シズは素直に返事をした後、ユリが立ち去るのを見届けてから『エクレアはバッチく無いもん。』っと小さく呟く。
「ね。」
戦闘メイドにあてがわれた部屋の床に女の子座りしたシズは、グッタリとしたエクレアの両翼の脇に手をやって目線の高さまで持ち上げ、小首を傾げて語りかける。
返事はない。自分の愛撫があまりにも気持ちが良くて、寝てしまったのだろうか。可愛い。
ナザリックのNPC達は、概してエクレアに辛辣だ。いかに《そうあれ》っと創造されたとはいえ、この地の支配者たらんと公言するペンギンに好意を持つ者は
いや自分だけかもしれない、っとシズは思う。
至高の御方……餡ころもっちもち様にそう作られたにも関わらず、こうも嫌われるのはあまりに理不尽だ。
だからこそ、自分だけは味方だ。精一杯愛してあげなければいけない。
シズは、エクレアが行きつけのバーのマスターやシャルティアなどと案外うまく付き合っている事は知らなかった。
もっともそれを知ったとしても、それはあくまで表面上の付き合いであって、エクレアに本当に好意を持っているのは自分だけだという信念は揺るがなかったろう。
"少女"とは、そんな生き物である。
二人……一人と一羽の
生きたペンギンで遊ぶ少女と、その傍らに
だがもちろん、パワーバランスで言えば比較するのもバカバカしいほどシズが圧倒的に上なので、そんな事は決して起こらないのだが。
もっとも、例えそうで無かったとしてもやはり心配はない。至高の御方に直接創造されたNPCは、そうでない存在より遥かに上位である。
これはLV1しかないエクレアでもそうだ。だから冷たい態度を取られるというのも、それはあくまでNPC間の事である。
で、あるから、男性使用人はシズにとっては無きに等しい存在だった。
こういった上位者としての自然な振る舞いは、アインズよりもよほど上である。
「あ。」
──思い出した。そういえば、エクレアに良く似合うリボンをペストーニャに貰ったんだった。どこにやったんだっけ。
「ちょっと待っててね。」
シズは微動だにしないペンギンを優しく床に置くと、部屋を出て行った。
そして数分後、真っ赤なリボンを手に戻ってくるとエクレアはいなくなっており、代わりにペンギンのポーズをしているとおぼしき男性使用人の姿があった。
「…………」
「…………」
男性使用人は湖底のように静かな落ち着いた目で、両手を身体にピタッと押し付けて手首を返している。
恐らくペンギンの羽のつもりなのだろう。両膝をクッと曲げているのは、短い足を少しでも表現しているのだろうか。
「エクレア、どこ。」
男性使用人は答えない。膝を曲げているおかげで、丁度目線があっている。シズはジッと、彼を見つめる。
無表情な二人がにらめっこする形になる。時が止まる。
だが上位者の視線に長く晒され、男性使用人のマスクの目だし部分にジンワリと汗が滲んでくる。膝がガクガクと震え始めている。
「エクレア、どこ。」
シズが再び尋ねる。男性使用人はまつげにかかる汗に……あるいは戦闘メイドの詰問の重圧に必死に耐えながら、小刻みに首を横に振って知らない、っというゼスチャーをした。
嘘だ。だがそれは恐らくエクレアに命令されたからだろう。ならば彼に罪は無い。
力に訴えて無理やり聞き出すような真似はしたくない。彼は直接の上位者の命令に忠実なだけだ。
その命令を安々と覆せるのは至高の御方だけだ。それにそもそも男性使用人は奇怪な鳴き声しか発する事が出来ない。
エクレアならばその意味が分かるのかもしれないが、シズには無理だ。
シズは諦めて、男性使用人から目を逸らした。ドサッという音がする。見ると、彼は床に倒れ気絶していた。
プレッシャーから解き放たれ気が緩んだのだろう。まあ介抱せずともそのうち目を覚ますだろうと判断し、すぐにシズの意識からその存在は消えた。
シズは考える。自分の職業が取得しているスキルを使えば簡単に見つかるだろう。けれど、それは野暮というものだ。
どうやらこれは、そういう遊びなのだ。
──僕を見つけてごらんよ、シズ。──
エクレアの声が聞こえた……ような気がした。
だからこそ、男性使用人を置いて口止めもして、自分だけ消えたのだ。
──あの子が、自分から遊びに誘ってくれるのはこれが初めてだ。嬉しい。
「ん。」
シズは納得してコクリと頷くと、ゆっくりと100数え始めた。
◇◆◇
「百、九十九、九十八……。」
遠くからかすかに、数を数える無機質な声が聞こえる。
エクレアは首筋の羽毛がザワワッ……っと逆立つのを感じた。死の機械があの部屋に戻ってきた。
だが彼女は、わざとすぐに探そうとしない。そして数を数える事で、自分に恐怖心を抱かせようとしてる。
──恐怖とは、必ず来るそれを待つ時間にこそある。──
誰の言葉だったろうか。バーのマスターに教えてもらったのだったか。
死の機械がその言葉を知っているかはともかく、その真意を良く理解している。
エクレアは膝頭が──無いが──ガクガクと小刻みに震えるのに苛立った。ええい、情けない。自分を叱咤する。
彼の足は逃げるのには向いていない。かなりの時間が経っているのに、まだ死の機械からそれほど離れていない。
もし彼女が居場所を知ったなら、ものの数秒で捕まってしまうだろう。普段彼を抱えて歩く男性使用人を囮に置いてきたのは失敗だったろうか。
さっきはそれが最善だと思ったのだが、彼女の度重なる拷問で思考が鈍っていたのかもしれない。
ペタン ペタン エクレアは短く跳びはねるような動きで、少しでも彼女から離れようと努力する。
「五十、四十九、四十八……。」
数が減っていく。さっきよりは遠く感じるが、それでもいくつ数えているか分かるほどの距離だ。
あるいはシズがエクレアに聞こえるよう、声が遠くまで伝わるようなスキルを使用しているのだろうか。そういうスキルがあるかは知らないが。
気が焦る。どこか、どこか見つかりにくい場所に逃げ込めないか。
ふと、ペンギンの前に大きな入口が現れた。……普段なら、そういう判断はしなかったろう。
しかし耳朶に響く死のカウントに怯え焦る彼は、思わずそこに足を踏み入れてしまった。
◇◆◇
そこは広大なナザリック地下大墳墓第九階層にある娯楽施設の一つ、巨大室内迷路。
モンスターや罠などが配置されている訳でもなく、ただ純粋に入り組んだ迷路だ。
代わりに錯視や錯覚、歪んだ鏡等を利用した構造になっており、どこか夢の世界に紛れ込んだような不安な気持ちにさせられる。
とはいえ、レンジャー等のスキルを持つならばLV1でも容易くゴールまで行き着けるだろう。
問題は、エクレアはそのスキルを持っていない事だ。
エクレアはしばらく進んだ後不安になり後ろを振り返ったが、すでにここまでの経路は分からなくなっていた。
前に……前がどちらか分からないが……進むしか無い。ここに逃げ込んだ事を後悔するが、後の祭りだ。
さらにイワトビペンギンは自身に悪態をつく。最も安全な可能性を見過ごしていた事に気づいたからだ。
そう、バーのマスターに
マスターの
やはり自分は判断力が鈍っている。男性使用人を置いてきた事、うかつにこの迷路に入ってしまった事、そして行きつけのバーを失念していた事。
栄えある執事助手にして将来ナザリックを支配する身でありながら、なんと冷静さに欠けた行動を重ねている事か。
これも、あの死の機械の呪いなのだろうか。いや、愚痴は言うまい。これもまた我が身に課せられた試練と捉えるべきだ。
……喉が渇いた。ああ、この危機を乗り切れたら、バーで浴びるほど酒を飲もう。マスターに愚痴を聞いてもらおう。自分にそのぐらいの褒美を与えても良いだろう。
ペタン ペタン ペタン 自分の足音だけが響く。
……いや、遠くから硬質の足音が響いてきた。
カツーン カツーン カツーン
壁に反響して、遠いのか近いのかわからない。しかし、この迷路内な事は確実だ。
どうして分かったのだろう。疲労で働かない頭を必死に動かし考える。スキルだろうか。
エクレアは彼女がどんなスキルを持っているか知らないが、追跡に役立つスキルを持っていたとしても何の不思議もない。
全く、そんな事にすら気づかなかったとは。これで幾つ目の失態だろうか。もう考えるのも面倒だ。とにかく、逃げられるだけ逃げるしか無い。
ペタン ペタン ペタン
エクレアは必死に飛び跳ね歩いた。だが足がネットリとした何かに絡み取られているかのように、進まない。気ばかりが
迷路内に無数に設置された様々な鏡に、自身の姿が無限に映しだされる。小さな自分、巨大な自分、歪んだ自分、コマ割りのように連続する自分……。
これは夢……悪夢だろうか? ひょっとして自分はまだ、あの無慈悲な手でガッチリと囚われ頭をグリグリされて脳をシェイクされ、幻覚を見てるだけなのだろうか。
逃れられない……永遠に……。恐怖が小さな心臓を鷲掴む。息が苦しい。過呼吸になっている。気をしっかり保たなければ。逃げ……なければ。
カツーン カツーン カツーン
近づいているのか。少しは遠ざかっているのか。反響する足音は、どちらとも区別がつかない。
幾度も幾度も、分かれ道が現れては選択を迫る。真っ直ぐ行くべきか。右へ行くべきか。左へ行くべきか。
どちらを行けば、少しでも死の機械から逃れられるのか。あるいはどれでも同じなのか。
──まるで生きる事そのもののようだ──
ボンヤリとした頭に、哲学的な思考が湧き出る。恐らくどの道を選んでも、いつかは必ず死の手に捕まるのだ。
ならば自分はなぜ逃げているのだろう。必ず捕まると分かっているのに。なぜ。なぜ。なぜ……。
エクレアは頭を振って
自分には、餡ころもっちもち様から与えられたこの生命と、崇高な使命がある。それで充分で、それ以上の答えはない。
ならば死の
ペタン ペタン ペタン
ペンギン、いや、誇り高きイワトビペンギンは跳ねる。ひたすら跳ねる。その一歩がどれほど短く、虚しいあがきだったとしても。
◇◆◇
「三、ニ、一」
シズは顔を覆っていた両手を離し、目を開けた。そしてキョロキョロと周りを見渡す。
足元にはまだ気絶したままの男性使用人がいるが、無視する。
さて、どこから探したものか。裏をかいて実はまだこの部屋に隠れているかもしれない。
素早く、しかし丁寧にペンギンの体型で隠れられそうな所をチェックするが、いない。ふむ。
アゴに片手を添えて沈思黙考する。探偵になった気分だ。……あれ、探偵ってなんだろう? まあいいか。
部屋の外に出るドアは2つ。一つは廊下に通じる、さっきシズが出入りしたドアだ。裏をかいて堂々とそちらから出た可能性もある。
もう片方はメイド部屋の別室に続くドア。まずはこちらから探すべきだろう。シズは手早く捜索するが、いない。
とすると、普通に廊下に出たのか。
シズは、自分が部屋を出て行くその時に、真後ろにピタッとついて一緒にドアを出て行くエクレアをイメージして、表情を変えないままクスリと笑った。
エクレアの歩き方は跳ねるような独特のものなので隠密行動には向いていないし、自分がその気配を察知出来ないはずも無い。
だからそれはあり得ないのだけれど、そのイメージが実に好ましい感じがする。本当にエクレアは可愛い。どうして皆、あの可愛さが分からないのだろう。
でもいいか。だから、自分が独占出来るのだから。
シズは廊下に出ると、左右に首を振った。さっき自分がリボンを取りに行った部屋は左にある。
そしてそちら側にあるのは、ほとんどが同じようなメイド部屋だ。
他のメイドと鉢合わせする可能性がある上に、メイド達がエクレアに協力する事はまず考えられない。
と、すると、身を隠しやすい部屋や施設に通じる右に行ったと考えるのが妥当だ。それにペンギンの足では、この短時間にそう遠くには行けないはず。
そう判断し、右側にある部屋を片端から捜索する。いない。ふむ、なら娯楽施設があるエリアまで行ったのか。思ったより早い。
シズは、エクレアがこのゲームを面白くするために一生懸命な事を感じて、なお一層彼が愛おしくなった。
シズが娯楽施設エリアに着くと、ちょうど一般メイドのフォアイルと鉢合わせした。何かの用事でたまたま来ていたらしい。
「ペンギンなら、迷路の中に入っていったわよ。」
「あ。」
「ん? どうしたのシズちゃん。ペンギンを探していたのかと思ったのだけど。」
フォアイルは首を傾げる。さっき虚ろな眼差しのペンギンが珍しく一羽でペタペタと歩いていたので、思わず目で追っていた。あちらは自分に気づかなかったようだが。
大好きなシズの唯一の欠点とも言うべきペンギン偏愛だが、ここは気を利かせて教えてあげるべきだと思ったのだけれど、違ったのだろうか。
「ううん、ありがと。」
シズは礼を言う。
「あんまりペンギンにばっかり構わないでね。私達とも遊んでね。」
シズの後ろ姿に声をかけるフォアイル。
「ん。」
シズは振り向かず片手を振って返事をすると、迷路の中に入っていった。
フォアイルに教えてもらったのは、ちょっとズルをしてしまった気分だ。けれど自分にその気は無かったのだから、これは不可抗力。
これもまた、ゲームの一要素と割り切るべきだ。シズは自分をそう納得させる。
シズのスキルならば、中にいるエクレアに追いつくのは容易いだろう。でも、それは自分ルールで反則。スキルは使わずに捕まえてみせる。
「そういうゲーム。」
ポツリと呟くと、シズは追跡を開始した。
◇◆◇
ペタン ペタン ペタン
カツーン カツーン カツーン
ペタン ペタン ペタン
カツーン カツーン カツーン
二つの足音が、まるでメロディーを奏でるかのように迷路内に響く。ペンギンにとっては悪夢の、少女にとっては楽しいメロディー。
シズは見慣れない者には全く分からず、姉妹達ならひと目で分かる浮き立った表情を浮かべ、足音に合わせて即興の鼻歌を歌い出す。
フフフフン♪ エクレア~♫ エクレア~♪ フフフフン♫ エクレア~♪ フフフ……
少し調子のずれた音の高低の無い鼻歌は、壁に反響しエコーが掛かり迷路中に響き渡る。
エクレアの羽毛は、そのまま抜け落ちるのでは無いかと思えるほどに極限まで逆立つ。
耳朶に直接囁かれるような、恐ろしく不気味な歌声。耳たぶ無いけど。
──もう逃げられないよ──
死の機械は、そう宣言しているのだ。
焦る。焦る。焦る。
恐怖で粘りつくほど動かなくなった足を必死で前へと急き立てる。
動け! 動け! 動け!
まるで自分のもので無くなったかのような身体、破裂するのではないかと思えるほどに鼓動する心臓。
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン!!
落ち着け! 落ち着け! 落ち着け!
自分はなんだ? 思い出せ! そう、私は餡ころもっちもち様に創造され、他のどんな優れたNPCすら命じられていない崇高かつ困難な使命を賜った、唯一無二の存在!
誇り高きイワトビペンギンにして執事助手! その自分が、たかが戦闘メイドの小娘に生殺与奪を握られ、恐怖に支配されると言うのか!?
許されるはずがあるか! 我が偉大なる創造主、餡ころもっちもち様の顔に泥を塗るような真似は決して許されない!
そう、どんな状況であれ、常に誇り高く、威厳を保ち、雄々しく困難に立ち向かっていかなければ! さあ、顔を上げるのだ!
顔を上げて、気高く我が道を……。 みち……を……。 み……ち……?
ハッと気づくと、周囲の鏡に映る自分の姿が変わっている。いや、自分と共に、無数の死の機械の姿が映しだされているのだ。
小さな彼女、巨大な彼女、歪んだ彼女、コマ割りのように連続する彼女……。
すべての死の機械が、鏡の中の自分を捕まえようと、その凄まじいパワーを持つ手を伸ばしてくる。
うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
エクレアは弾かれたように必死に飛び跳ねた。全身にありえないような力がみなぎり、恐らく創造されて以来ダントツの最高速度で走り出す。
視野が狭まり、周りの景色が何も見えない。だが死に直面して潜在能力が開放されたのだろうか、鏡にぶつかる事もなく、右に、左に、通路を過たず走り抜ける。
ここから逃れなければ! 何の根拠もなく、この迷路を抜け出せれば逃げられるのだという思いに支配され、走る、走る、走る。
どれほど走り続けたのか、もはや時間の概念すら消し飛んでいる。
前方に光が見えた。明らかにこれまでと違う景色。出口だ。
イケる! 逃亡を始めて以来、初めて希望の光が灯る。抜ければ自分の勝ちだ! ……勝ち? 勝ちとはなんだろう?
自分はなぜこんなにも必死に走っているのだろう。 エクレアは、酸素不足で朦朧とした頭で考える。なぜ走る?
問うても
ああ、明るい光が自分を包む。 その光の先に、神を見た。 おお、あれは、あの神々しい御姿は、あれはまさしく、餡ころもっちも……!
ドン
何かにぶつかった。硬いような、柔らかいような、思い出したくないような、馴染みのある感触。
ショックで至高の夢から引き戻され、逃げろという脳の司令すらストップして硬直する身体。エクレアは思わず目をつぶる。
見たくない。見なければ、それは無かった事になる。だがそんな都合の良い妄想は許されなかった。
頭をムンズと掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。
恐る恐る開けた目の前に、無表情な死の機械の顔があった。
「捕まえた。」
エクレアは観念した。
「私の、勝ち。」
勝ち……勝ちとは、なんだろうか。彼女が勝ちなら、自分は負けたのか?
いや、自分は負けていない。敗北とは認めなければ敗北ではない。負けでは無い、勝ちへの途中!
その気概が無ければ、誰がナザリックの支配など公言するものか。餡ころもっちもち様に顔向け出来ようか。
………が、今は雌伏の時。大いなる野望のためには時に膝を屈する度量も必要なのだ。膝無いけど。
シズは手にしていた真っ赤なリボンを、エクレアの首につけてあげた。
キュウウッっという声にならない声は、喜びのあまり漏れたのだろう。
あるいは、自分への賞賛だろうか。──良く捕まえたね、さすがだよ──という。
「楽しかった、ね。」
シズは自分では満面の笑みと思っている……だが見慣れない者には全く無表情のままの顔で、エクレアに問いかける。
赤い拘束紐で呼吸が出来るギリギリにまで締め付けられた首を縦に振る以外、エクレアにどんな選択肢があろう。
◇◆◇
夕食時、メイド達の食堂。そこにペンギンを小脇に抱えたシズが現れると、一般メイド達が一斉に色めき立つ。
シズとエクレアの背後にはオロオロしている男性使用人がいるが、彼があの気絶した彼と同一人物であるかは、余人には分からない。どうでもいいし。
「きゃーシズちゃん!」「こっち来てシズちゃん!」「ねえねえ、ここに座りましょ?」
「そんなこ汚いペンギンはポイして! ポイ!」「私が代わりのぬいぐるみ作ってあげるから!」
「もーペンギン、そこ代わって! 私と代わってよ!」「ねえシズちゃん、ペンギンの首にまきつけてる赤い紐、何?」
一般メイド達の嬌声が響く中、シズはペンギンを抱えた腕にグッと力を入れる。
──大丈夫、私はエクレアの事、大好きだから。心配しないで──という気持ちを込めて。
キュウッっという返事が聞こえた。
──もちろん分かってるさ、シズ。──
そう言ったのだ。
言葉にしなくても伝わるものがある。友達とは、そういうものだ。
あの鬼ごっこ以来、エクレアとの繋がりは一層増したように思える。
大好きな、柔らかく触り心地の良い羽毛の感触。ああ、なんて気持ちいい。
その奥のエクレアの体温が腕と小脇を通して伝わり、シズの胸は、温かいものに満たされた。