チタン大将率いる中央詰め部隊と合同演習をすることになった、北の最果てにあるとある部隊。名誉も誇りも無い部隊が相手である現実。恐ろしく接待感スケスケの演習に意気消沈する者も多いなか、真面目に取り組むマンガン軍曹であったが夜間斥候中、部隊が壊滅する憂き目に遭い撤退を決意する。その途中、偶然出会ったのは最近左遷されてきたらしい員数外の雲母大佐だった。敵陣に奇襲をかける作戦を提案する雲母の補佐をすることにしたマンガン軍曹だったが、雲母の執念に不穏なものを感じていた。
この話はモンストの登場モンスターであるマンガン軍曹と雲母大佐を主軸にした物語です。原作でほとんど言及の無い(たぶん)キャラで、捏造・妄想詰め込み100%ですので苦手な方は注意して閲覧してください。
※カップリング要素は特に意識していません。
※ちょっとモブが出てきます。名も無き兵隊ABC...ちょっとだけ。
満点の星空のもとをひとりの兵隊が歩いている。
(最悪だ。最悪だ。最悪だ。くそっ)
肩で息を切らして何度目かも分からないほど硬く銃剣を握りしめた。森林フィールドは身を隠すのにうってつけだが、それは敵も同じ条件だ。むしろ派手な撃ち合いが起こらないせいで敵に気付けない。下手をすればどこから撃たれたかも分からないまま脱落してしまう。
(なにが『戦争ごっこ』だ。ふざけやがる)
夜間斥候を命じた上官の脂ぎった顔を思い出すほどにムカムカと腹の底から憎しみがわいた。
(くそっどうしてこんなことに)
頭が沸騰しているのですこし落ち着いて現状を確認してみることにする。
自分ことマンガン軍曹は戦地から遠く離れた後方部隊に配属されている。後方といっても一個連隊がいるのだから頭数だけは多い。しかしその内実は、ちょっと――というか、かなり――思想の問題で前線に出せない兵だとかマンガンのように体に問題がある兵だとか軍部に渦巻く陰謀諸々で左遷され標榜している士官だとか、理由はさまざまだ。
むべなるかな。士気は低い。すごく低い。おそらく帝国最低と言って差し支えないほど低かった。テンションも高ければ常に前のめりで意気込んでいる自分でさえ心を挫かれる廃退的な空気がこの部隊を占めていた。
それが中央から来た同規模の部隊と三日三晩の実践演習をするという恐ろしく接待感スケスケの『戦争ごっこ』に軍曹もまた駆り出されていた。
その結果。
(とっととくたばるくらいなら自決でもしてろ、この野郎!)
斥候から戻った時、前線基地は壊滅しかけていた。殿らしい部隊が応戦していたが無反動砲が相手ではそう長く持たなかっただろう。
部隊から出るときに煙草を吸っていた兵が何人かいたからそれが原因『かも』しれない。
(いったい誰が煙草を配ったのだろうか)
煙草自体は珍しくもない物だが、いつもと香りが違った。その煙草が原因で見つかったのだとしたら間抜けな話だ。森から出て煙草を吹かしていたバカがいたか、火の不始末か、あるいは敵側にそこそこ鼻がきく先兵の偵察隊がいたのかもしれない。
そんなこんなで壊滅してしまったのはもう仕方がないので後方へ下がることにした。敵前逃亡ではない。戦略的撤退である。
心を決めて逃走をはかった、そこまでは良かった。
森を抜け、ちょうど開けたところに出た。前方に敵戦車が待ちかまえているのを見た瞬間は死を覚悟した。反射的に大砲とは真逆の方向、つまり敵本陣がある方向に走って逃げることにした。そして戦車と同時に運用されている歩兵に追い回されることになり、現在に至る。
(撒いたか?)
顎の下に膨らんだ水滴を拭い、呼吸を止めてあたりをうかがった。耳の奥で心臓の音がうるさい。
(――っていうか、何も見えない)
上官に暗視ゴーグルを奪われたのが最悪の痛手だった。あれさえあればまだマシだったのに。
月明かりがあるとはいえ隻眼で裸眼の視界は暗黒だ。銃を構え、いつでも撃てるようにしてあるが、たいした腕前でも無い自分の銃がこの状態で中るとはとても思えない。
どれほど時間が経ったのか、絞り出すように息を吐いた瞬間、頭の上に何かが降ってきた。
「はッ!」
頭上、月を背負った何者かの姿に咄嗟に引き金を引き、ガチンと安全装置が作動した。
外してあったはずの装置が自動で作動した。それの意味するところに気付くのにはしばらく時間を要した。
「味方か。そこにいると見つかるぞ。ロープを下ろす。上がってこい」
凛と冷たい女の声だ。
目の前にロープが降りてくるまで信じられないような思いで樹上を見上げていた。口を開けた姿はひどく間抜け面だっただろう。
「こんなところで何をしている。部隊はどうした」
「かっ壊滅して、生き残りは後方へ撤退しています」
木に登ると下にいたときとは考えられないほど涼やかな風が吹いていた。
木の上にいるのは味方だ。その認識がここ数時間の殺伐とした心を和ませてくれた。どんな劣悪の状態であっても一人よりは二人の方が遙かにマシだと思えた。
しかし、きらきらと月光を映す紅い瞳を見ていると言いしれぬ恐怖が生まれて、近づくのは躊躇われた。
(人を殺すのに慣れた目、とはこれだろうか)
軍隊につきものの英雄譚を思い出せばそれは確信に変わった。
「貴様、軍曹だな。名前は」
「マンガンであります。マンガン軍曹」
右手を眉まで挙げると名乗りをあげた。雲が月を覆う。夜目のきかない目をこらしてその女性の胸にある徽章を見つけた。
「マンガン。そうか。私は雲母大佐だ。つい最近ここへ配属された。知らないだろう?」
「名前は、知っていましたがお顔は、ええ」
あいにくの視界で白い顔は輪郭がぼやぼやしていた。美人だったら眼福だな。そんなことを考えていたのは偏に逃避のためである。
(よりによって大佐か。――っていうか、なんで大佐なんて人が前線のその先にいるんだ。指揮する立場じゃないか。頭がおかしいぞ、なんだこの人)
マンガンは言葉が続けられず、口を閉じた。
ひそみ声で雲母は「ふっふっふっ」と不敵に笑った。
「私は貴様を知っているぞ」
「は?」
「『選ばれし者』だとかなんとか言って、駐屯地を笑いと狂気のどん底に陥れた逸材だとな。一目見てみたいと思ったがこんなところで出会うとはな。お互いツイているぞ」
「…………」
あなたみたいな変人と一緒にしないでくれ。
よっぽど言ってやりたいと思ったが、階級上かなり高い位置にいる人なので何もいえなかった。ただ平時なら気が利くジョークでも言ったのだろうが、敵兵に追い回されてた挙げ句のジョークボックスは在庫切れを起こしていた。
すさんだ気分で地平線を見ていると銃把で小突かれ、マンガンはあやうく落ちそうになった。
「な、なんですか、殺す気ですか」
「貴様。目は見えるているのか? ゴーグルはどうした」
「没収されました。あの豚野郎、いえ上官に」
「受け取れ。よく敵とエンカウトしなかったな。……さては、選ばれし者は幸運なのかな」
笑うと左の口端が上がるせいで皮肉っぽい印象を与える顔になるらしい。雲母は背嚢の中から真新しい暗視ゴーグルを押しつけてきた。
「私は夜戦は得意な方でな。要らないのだが戦闘時の持ち物は規則で決まっている。使え」
「ありがとうございます!」
雲母が天使に見えた。いや聖母かもしれない。今日から一日、神と崇めてもいいと思った。
よほど自分の喜びようが異常に見えているのか雲母は呆れたように息を吐いた。
「……ここの部隊は帝国軍人とは思えぬほどたるんでいるな」
「主要任務が物品を横流しした身内を取り締まることと鼠の駆除ですからね。たるみもします」
「なんということだ。……まったく、ろくでもないところに来てしまったな」
最近来たといっていたが、大佐の地位をもちながらなぜこんなところにいるのだろう。
「あの……」
当然の疑問を訊ねてみることはできなかった。雲母が無言で制したからだ。
(――誰か来る?)
アイコンタクトして、彼女は視線をある方向に向けた。ぞくりと背中が震える。複数の足音が聞こえてきた。
貴様を追って来たのだな、と雲母が意味ありげに笑った。彼女も銃を抱えているが、安全装置はしたままのようだった。
暗視ゴーグルの視界は明瞭だった。三人の男がそれぞれ死角を補うよう警戒しながら歩いてくるのが見える。
(殺りますか?)
問うように銃口を揺らしても彼女は動じずに眼下の様子を見ている。
気が気でなかった。彼らが空を仰いだ瞬間、撃たれて終いだ。訓練であるため実弾ではないがペイント弾でも中ればのたうち回るほどに痛い。この高さで落ちれば普通に死ねる。
一度に三人。場所さえ掴ませないのなら殺れる。
(大佐が動かないのなら)
樹上という意表がどこまで動揺を与えられるか。勘定しつつ、ゆっくりと安全装置に指をかけた瞬間、北の空が真っ白に照らされた。
暗視ゴーグルが自動で明度を調整し視界を保つ。空に打ち上がった照明弾によりまるで真昼のように輝いた世界に自動小銃の連射音が響きわたる。もちろんマンガンでも雲母のものでもない。眼下の三人が驚いたように声を上げた。
「あっちか!?」
「遠回りして向こうにまわったんだ」
マンガンを追いかけ回していた連中なら、そう思うだろう。定石だ。なんだったって向こうには味方陣地がある。敵陣の方へ逃げるとはまさか思うまい。
三人分の足音が遠ざかる。
マンガンは光を見ながら(あそこって出先の本陣だよな。そこが攻撃されてちゃマズくないか)と思った。
「軍曹、サーモに切り替えろ」
命令するのに慣れた口調で彼女は言った。見れば膝を立てた教本通りの動作で雲母は銃を構えている。背を向けた三人はライフル銃の射程内であるが、まさか。
「普段なら中ればラッキーというところだ。まあ、貴様は幸運体質らしい。恩恵にあずかるとしようか」
あっと声を上げるまもなく雲母は立て続けに三発撃った。慌ててサーモに切り替えると三人分の温源が倒れるところだった。
「ん? どうだ、中ったか?」
「お、お見事です」
どうやらこの雲母大佐とかいう鉱物族の奇人は軽火器から重火器までまんべんなく使いこなせる変態らしい、ということをマンガンが知るのはまだまだ先であった。
一仕事終えたヒットマンだってこんなに淡々としていないだろう。雲母は樹上で背伸びをして本陣を眇めた。
「上々だ。おい、向こうの陣はどうなってる? 照明弾はどっちのものだ?」
「敵のです。陣は、ああ酷いですね。なぶり殺しとはあのことですか」
「なんだ裸踊りでもさせられてるのか」
「引きずり出されてリンチされてます。七分殺しってところです。戦車隊が歩兵を庇いながら後退して、あ、一台大破炎上判定を起こしました」
「弱っ」
「戦車を含む優勢なる先兵隊に殲滅され、陣地を失い前線が後退と……」
それはつまり。
「自分たち敵陣に取り残されたようです。帰るにしても敵の陣中を突破しなければならない」
普通ならそれでも帰るところであるが……正直、一人では帰りたくない。
「大佐殿の命令に従いますよ」
雲母は鼻で笑った。馬鹿にしたのではなく、そういう笑い方らしかった。
「貴様に良いことを教えてやる。リンチに遭いたくなければ今日の戦闘が落ち着いたところで投降しておけ」
突き放すような物言いにゴーグルの下でマンガンは目を見張った。
「は、それはどういう……」
「投降した兵と降参した兵とでは扱いが違うのだ」
貴様のためでもあるんだぞ。雲母は低い声で忠告じみたことを言った。
「見ず知らずの辺境の兵を都の連中は侮っている。実際、弱いし発言力もない。ついでに頭がおかしい連中がいる。……ここに来る途中に敵味方問わず乱射している奴を見かけた」
狂気の沙汰を前線以外で見る機会があるとは思わなかったな。
雲母は言いながら銃から剣を取り外し、近くの小枝を切って背嚢にくくりつけた。
手際よく付けていく様子を見ながら――しかし強烈な違和感にマンガンは頭を悩ませていた。
「味方を撃つ場合において安全装置を最終的に解除する権限を持つのは士官以上と聞いています。まさか」
「まあ、そういうことだ。格好つけようがふざけようが所詮『戦争ごっこ』だ。貴様は馬鹿ではないようだが、とはいえ真面目に付き合ってやる必要もなかろう。さっさと投降してしまえ」
「大佐はどうするのですか」
「私のことなど放っておけ。私は員数外。どこの命令系統にも属していないのだ。誰にも迷惑などかけんよ」
員数外。必要数から外れた人員を意味する言葉に、マンガンは(何かやらかして左遷されてきたのか)と事情を察した。
ざくざくと枝を切り雲母は樹木から降りるためにロープを握った。
(このまま降りてどこへ――)
ふっと闇に紛れるように雲母の姿が消えた。樹を降りたのだ。風に揺れた枝の断面を見た瞬間、違和感の正体が分かった。
弾かれるようにマンガンは手を伸ばし、ロープを掴んだ。
「貴様っ、おいこら離せ殺すぞ」
宙ぶらりんになった雲母が素早く銃を向けた。あちらの銃は有効だ。――安全装置が外れていれば。
しかし、問わねばならなかった。
「大佐殿、訓練用の刃引きしてある銃剣でなぜ枝が切れるのですか?」
狂気は意外にその辺に転がっているものらしい。
雲母はひどく軽い調子で笑ってロープを切った。あの皮肉気な顔ではなく、心底嬉しそうな子供のような顔をして。
(支給されたものじゃないな)
鋭く月光を弾き一閃したナイフのはとても刃引きしているものには見えない。
ロープの手応えが消えた。切断されたロープが跳ね上がりマンガンの頭上の枝に引っかかる。細い繊維の束は解れることなく断面を見せていた。鎌状のナイフ。フックブレードとかいうタイプのやつだろう。折り畳み式で持ち運びが楽だ。ただ『拷問に最適』という広告を思い出せば気分は最悪を更新した。
「大佐殿! いったいどういうつもりで」
「『戦争ごっこ』とはいえこれもひとつの戦争には違いない。私の有効性を証明するためにちょっと敵大将の首をとってくるだけだ」
「ナイフ使っちゃダメって言われてるでしょう!」
徒手格闘はいい。銃も地雷も爆弾も砲弾もセーフだ。しかしナイフはダメだ。特に刃引きしていないナイフはいけない。訓練で怪我をさせてはしょうがないからだ。但しリンチは伝統なのでノーカンとする。
「そうケチケチするな。気の小さい男だな」
枝を伝って降りたマンガンはナイフ見せびらかすように揺らす雲母と対峙した。
「規律違反です」
「貴様が黙っていれば誰も知らんよ。だからこそ貴様に命令するぞ『黙っていろ』とな。なんだ上官に逆らうのか?」
試すように言って、雲母は目を細めた。
「ええ、逆らいますとも。ここに爆弾があります。これなら誤射判定外で大佐も自分も落伍者になります。あなたがうっかり人を傷つけるよりよほど良い」
銃で味方を撃とうとすればマンガンの場合、強制的に安全装置が発動する。しかし手投げ弾であれば実戦の実績通り味方を巻き込んで炸裂する。もっともこの場合、有効範囲に爆風と共にペイントをぶちまけるだけだが、それでいい。死亡判定のベルを鳴らせばマンガンの勝ちだった。
「投げるがいい。その瞬間、貴様の鼓膜が破裂する」
銃を向けたまま雲母は笑みを絶やさなかった。
「筋骨も粘膜も治せるご時世だが、鼓膜はやたら面倒だぞ。元通り聞こえるとも限らん。賢く生きろよ、軍曹。私としては闇夜に乗じて敵陣まで行きたいのだ」
「ナイフを捨てたらどうぞご勝手にしてください」
「だから貴様にどうこう言われる謂われは無いなっ!」
一閃。
投擲されたナイフは恐るべき速さを持っていた。
(だが)
銃剣で弾くと腰のベルトホルダーから手榴弾を探り、雲母に向かって投げた。訓練された完璧な対処だった。
この場合、普通の敵であれば、と前置きしなければならないだろう。
手榴弾が指先を離れる。そこでマンガンは信じられないものをみた。
光を弾くナイフに気を取られていたが雲母はマンガンの認識よりずっと遠くにいた。――ナイフを投げた時点ですでに動いていたのだとすれば? いやそれでも納得できない。
放られた手榴弾は弧を描き、その最大点で爆発した。発砲音がほぼ同時に聞こえたのは嘘だと思いたい。
(撃ち落とした!? そんな芸当――)
まともじゃない。どんな動体視力しているんだ、化け物か。
爆発と同時に白いペイントがぶちまけられる。距離は中。威力控えめなものであるから半長靴の先に付着した程度で攻撃判定はほぼ無いと思っていい。これは手榴弾でしとめるのは骨が折れる。
それにしても暗いな。そう感じた瞬間ふと陰がかかった。
「よそ見するなよ、軍曹」
ぞっとするような声だった。いつの間にか目の前にいた雲母のアッパーカットが炸裂する。
「がッ!」
足が浮いた。
「そら、もう一発だ」
腹が焼けるように痛い。そう思ったら後頭部が地面に衝突していた。あちこちに痛みがあってわけが分からない。
「本当に手投げ弾投げる奴がいるか。馬鹿か貴様。見つかったらどうするんだ」
「その時は、あなたも私も、降参……するんですよ」
「たかがナイフ一本で揉めるなんざ馬鹿らしい。――おい、立て。喋れなくなるくらいぼこぼこにしてやる」
「ま、待て。ちょ、待ってください」
「帝国軍人がみっともなく命乞いするな。大人しく死ね。お別れ前に自分の歯と舌にキスするんだな。私はさっさと先に進みたいのだ」
半身に身構えた雲母は女性的な骨格の例外ではないはずだが、大きく見えた。
(かなわない。これは無理だな)
諦めの早いマンガンは軋むわき腹を押さえて立ち上がった。
二択だ。
このまま舌を切られて総入れ歯になるか。
「前言を全て撤回させていただきます。自分も行きます」
「あ?」
雲母は聞き逃したわけではないのだろう。威圧的だった。
「まず自分がナイフをお預かりします。で、必要な時に渡します」
「監視気取りか? そんな面倒なことすると思うか」
「一人より二人のほうが作戦の成功率も上がるでしょう。自分を囮にして大佐が敵を殲滅。役割分担は大切だと思います」
「本心は」
「ここで大佐のリンチ食らうくらいなら敵陣まで一緒に行って特攻しかけたいです」
雲母は鼻で笑った。馬鹿にしたような笑いではなかったことに救われた気がした。
表情から険が消え、手袋の先が地面を指さした。ナイフ、拾っておけ。捨てるのはいいが拾いに来るのが面倒なのだ。ごく簡単に言った。
「おい、軍曹。今回の敵の大将を知っているか?」
「22番。あ、いえ、チタン? 階級は覚えてません」
「大将だ。文字通りのな。で、そいつは所謂超エリートでな。傷物にしたら懲戒処分では済まされん。ほどほどにやるさ」
これが、士官ジョークなのか。マンガンはカルチャーショックを味わった。
「……自分を試したのですか」
「ふふふ、及第点をくれてやろう。片目のわりにはいい動きをする。投擲のフォームがいい。筋が良いと誉められているのではないか?」
「ええ、まあ」
「私は銃は中るのだが、手投げ弾は上手くないのだ。平均点以上は取れない性質らしくてな。役に立ってもらうぞ」
「はぁ……」
ぽんぽんと頭を撫でられてマンガンは開いた口が塞がらなくなった。
「さあ軍曹、ついてこい。地獄巡りをはじめるぞ」
ごくりと生唾を飲み込んだ。
しかし。
「その前にちょっと戻るぞ」
てくてく歩いて彼女はマンガンの隣を歩いて行ってしまった。
「どこへ? そっちは敵陣とは逆ですよ」
「弾を回収しにいく。ついてこい」
樹上から三人を撃ち倒したところまで戻ると雲母は音もなく走って倒れ伏してる三人の頭をサッカーボールのように蹴った。制止のしようもない鮮やかな動きでマンガンは言葉を忘れた。
昏倒した敵をうつ伏せにひっくり返して背嚢を漁りはじめた時点でようやく声が出せるようになった。
「ちょっ! 大佐、何やってるんですか! 相手は死体役ですよ!」
「死体蹴りだ。だが今回の死体は喋るからな。私たちの姿を見られるわけにはいかん。そいつの弾薬を回収しろ」
「訓練だからってそんな非人道……」
「首を折ったわけでも身ぐるみを剥いだわけでもないのだ。いちいち騒ぐな」
「はあ、そうでしょうか……」
なんだかとんでもない人と一緒になってしまった。それでも舌を切られたり歯を折られたりするよりマシなのでついていくしかないのだが……。
温かい死体の背嚢を漁りはじめると隣で雲母が嬉しそうに「おっ」と言う。
「缶詰を発見したぞ。軍曹、缶切りあるか」
「ツールの中にあります」
「ほぉ……」
人間性を疑われるような目で見つめられマンガンは「あの、何か?」と尋ねてしまった。
「――ということは貴様だってナイフを持っているのではないか?」
「えっま、まあ、でも刃渡り短いのでセーフでしょう、いえ絶対的セーフであります」
「親指の長さの刃があれば人は殺せるぞ。まあ、私は寛大だからな。貴様の無礼を許してやろう。ただ、これは貴様が持ってろ」
ひとつふたつと缶詰をマンガンに投げた雲母は弾の数を確認していた。
「四十発。心許ないが、無いよりマシか」
「もとは何発持っていたんですか」
「貴様と会った時で五発だ」
「少ないですね」
ということはほとんど徒手格闘術で敵陣に攻め込もうとしていたのか。
(敵から弾薬奪うって現地調達も過ぎるでしょうに)
もしかして員数外なので銃も拾い物かもしれない。敵兵のことは、あまり考えないようにしよう。
「一発無駄に消費させた貴様が言うな。援護射撃してつい撃ってしまったのだ。今思えば援護する必要も無かったようだが」
「そうですね。私も律儀に斥候するより――あっ大佐殿、設置型の爆弾がありますよ」
円盤型のプラスティック爆弾を発見すると乾いた笑いがでた。雲母も目を丸くしている。
「なに。おい待て。こいつらは何の部隊なのだ?」
「さあ、工兵ですかね……戦車に付いているのなら戦車の弱点もよく知ってる部隊なんでしょう。残党狩りに駆り出されてる、とか? こちらより装備もいいようです」
「知らんだろうけどこちらの装備が弱すぎるのだぞ、軍曹。……そもそも旧式装備過ぎてなぁ。もう前線では滅多にお目にかかれない物の宝庫、美品を集めて博物館に寄贈したほうが良いレベルだ」
「格差社会ですね」
「……それを言うな。言うなよ。皆が思っていることだ」
ふたりでしんみりとした気分に浸かっていると、ぽつりと雲母がこぼした。
「私は爆弾の類が苦手なのだが、軍曹は扱えるか?」
「はい。自分は銃よりこっちのが得意です。設置から処理まで何でもやりますよ」
「それは頼もしいな。戦車が出てきたら頼もうか」
「砲口に手投げ弾をぶち込むだけなら、お任せですな」
冗談だと思ったのか、雲母は「それはいい」と笑った。
二人で物品を回収するとその場を後にした。
盗賊になった気分ですね、と言ったら顎を殴られた。
さて、雲母の言う地獄というのが何のことなのかマンガンは気付きつつある。
胸に銃を抱えたまま背嚢を背負い走る。走る。延々と走る。
それが森であったらまだマシだった。
「な、んで、こんな、とこ走る、んですか!?」
「見通しが良いからだ」
雲母も同じ格好、もしかしたらマンガンよりも重い荷を持っているかもしれない、そんな想像をしないよう目を逸らしつつ、軽快に走る雲母の後を追う。息も絶え絶えだ。
「遅いぞ、軍曹。砂地を走る訓練はしていないのか?」
「してますが!?」
カッとなって言い返してやった。
全力疾走なんて言葉では生ぬるい、こんな速さで走ったことはない。まして敵がどこにいるかも分からない敵陣の中を堂々走るなんて信じられないことをしている。
体力が削られていくのと精神的に疲弊するのが同時進行のため疲労が普段よりも早く蓄積されていく。踏みしめる地面が砂地というのも悪かった。踏み込んだ力が分散されてうまく走れない。
(くそっ練度差が憎い――)
種族の能力差以上のものを感じて歯を食いしばった。
単なる持久走なら多少飛ばして走っても食らいついて走破できる自信がある。それは個人の体力によるものだからだ。しかし、銃をはじめ鉄帽、半長靴、背嚢、円匙、水筒、諸々の装具を持って走るとなると持久走で活躍する能力は沈黙する。どれほど疲労しにくい体勢で走れるか。体で覚えた経験が物を言う世界だ。
顎を引き、背筋を伸ばし、脇をしめた。それでも肺が煮えたぎり、息を吐いているのか吸っているのかも分からない。
「はっはっは、ついてこれるだけ立派だぞ」
「嫌味ですか! 嫌味ですね!?」
「ふふ、どうだかな。ほらほら、どんどん行くぞ! ついて来い!」
背嚢を担ぎ直したかと思うと雲母は一気呵成に砂丘の急斜面を駆け下りた。
後で気付いたことだが、こうした軽口は黙々と走りストレスでパンクするより、恨み辛みでも吐き出していたほうが健全であるという雲母なりの気遣いだったのだろう。
とはいえ。
(余裕なのか? ぶっ壊れてるぞ、こいつ!)
走っている間はいかにしてこの無茶苦茶な大佐が無惨な最期を迎えるか妄想していたマンガンにとって、ちょっとした燃料にしかならなかった。
やがて足が棒のようになり、思考を飛ばして走るのが人生の至上命題であると錯覚する頃、雲母が制止した。
「どうしましたか?」
そう言ったつもりだったが声が出てなかった。
「……参ったな。思ったより堅そうだ」
雲母が身を低くして、砂地に伏せた。
死ぬ気で走った甲斐あり敵陣が目視できるところにあることにマンガンはこの時になってようやく気付いた。
「これが普通……なのだがな。今日の突入は無理そうだ」
東の空が俄に白んでいる。時間感覚を無くした頭で呟いた。
「時刻は」
「〇三三八。明るくなるのが早いな」
「高緯度地域ですから。それよりも大佐」
「なんだ」
「すみ…………ね、む……」
これから先のことはよく覚えていない。
「軍曹!?」
雲母が不敵に微笑む以外の表情を見せた。なぜか笑いたくなる。
(すごく眠いな)
そう思った瞬間寝ていた。
恐らく最短記録を更新したことだろう。あるいは死ぬときというのはこれくらいあっさりなのかもしれない。そんなことを意識の裏側で考えた。
夢を見た。
幼い頃、パンが入っていた茶色の袋に針で穴を開けて、それを頭から被った記憶だ。
真っ暗にした部屋でその中から蝋燭を見ると穴から零れた細い光が星に似た情景を見せてくれるのだ。
星の名前は、人が名付けたものはきっと全て言える。誰に話すこともない、幼い頃からの小さな自慢だった。
「マルカプ、シェアト、メンキプ、アルゲニブ、アルゲモ、アルフェラッツ……」
ペガスス座を構成する星々。
軍で慣れない生活を送る合間に忘れないように唱え続けた。
空を眺めるのはこの軍隊においてマンガンだけだ。皆、天候は気にするのに星のことは誰も気にしない。
おかしなことだとしみじみ思う。どちらも自分の頭の上にあるものだというのに。
「エニフ、ホマン、マタル、ビハム、バハム、サダルバ、ビハ……? あづっ、うぅ……」
もそもそと自分が何か喋っていることに気付いて目が覚めた。
「起きたか、軍曹。おはよう」
誰の声だ。
小鳥の声を聞きながら、記憶を探り――思い出した。雲母大佐だ。
「あぁ、おはよう、ございます」
マンガンは何とか昨日、いや今日かもしれない、出来事を思い出そうとして頭痛がしてきたのでやめた。
(森? 砂丘を走ったのは夢だったのか?)
森林の香りを嫌になるほど吸い込むと背嚢の上に頭を落とした。マンガンは唐突に死にたくなった。
「おい、起きろ。朝食だ」
「……嫌です。もう走るのは嫌です。体中痛いし、くそっ。いっそ殺せ」
「昨日さんざん走っただろ。ああもういいから、さっさと食ってしまえ」
動きたくとも動けないでいると引きずられ、ようやく木に寄りかかることが出来た。
がちがちになった腕を不自由に動かし震える手に缶が押しつけられた。
中身は――
「なんですか、これ……」
「雑炊。固形物食べると吐くぞ」
缶詰の中身を混ぜただけだと思ったが、極限の空腹状態ではご馳走に見えた。
チョコ板を食べている雲母は帽子を脱ぐと脇に置いた。銃も地面に置き、手には長めの枝を持っていた。
「今、何時ですか?」
「〇八二二」
「自分、四時間くらい寝てましたか?」
「五時間だ」
五時間。五時間。
温いエコーが木霊した。
体は相変わらず酷いが、頭が軽くなった気がする。やはり睡眠は大切だ。
「はっ!?」
「なんだ」
五時間寝ていた、ということは。
「大佐……これまでずっと……起き、て……」
「前線のようにうろうろしている哨戒兵はいないが、いちおうな」
何でも無いことのように言うが、彼女だって疲労はあるはずだ。
「す、すみませんでした……」
「二人もいるんだ。交代でやればいい。私もずっと見張りをしていたわけではないし」
「というと」
「砂丘で寝た貴様を抱えて森に引っ越してきたり」
「…………」
トドメを刺されてマンガンは息が止まった。そういえばそうだ。止まったらぶっ倒れた。
「食事を作ったりだ。まあ、大したことはしていない」
言語能力を喪失していると、急に飯が旨く感じられた。
「大切に食べます」
「さっさと食えと言っているだろうが」
パキンと割れたチョコ板、なんと半分もある――がマンガンの持つ缶詰の中にダイブした。
「あっ。……ま、まあ腹に入れば同じことだ」
「はい」
人間とは意外と適当なものだ。腹に物が入れば勝手に活力が出てくる。
「はぁ……」
「帝国軍人が溜息を吐くな」
「感嘆の息というやつです。よくもここまで来たものだと」
本陣の方角を見ると憂鬱な気分になった。
「今頃、本陣は食い物になっているのだろうな。あの練度ではろくな抵抗をできていないに違いない」
「暢気に煙草を吸っているからそうなるんですよ。ざまあみやがれですな」
「貴様は吸わないのか? 軍の喫煙率は高いと聞いている」
「体に悪いですから。大佐殿も吸わないのでしょう? 貴女からは煙草の匂いがしません」
「香料はサバイバルにおいて最悪の選択だ」
手にした木の枝で地面に何かを書きながら雲母は続ける。
「嗅覚は五感のなかで最も記憶に残りやすい」
「異変に気付きやすいということでありますか」
表情から察するに三十五点だった。
「隠れている敵を探すコツ、その一つが匂いだ」
「しかし、煙草の煙が流れてくるのなら別として衣服から漂う匂いだけで特定できるのですか?」
マンガンの疑問は日常的な生活をしている以上、どうしてもついてしまう生活臭を指していた。きっとロッカーに入っている自分の予備の服は煙草臭いに違いない。
「言葉にするのが難しい分野の話だ。……貴様も一ヶ月ほど森で死線を潜れば分かる。コロン、ガス、香草、あと吸入系の薬もダメだな。人工的な匂いほど鼻につくようになるのだ。うかうか娑婆に出られんよ」
排気ガスの匂いが特にな……。吐き気がするのだ。
雲母は異国のことでも話すかのように言った。北の僻地とは言え、柵を越えれば人家があるのだが、きっとこの人にとってはそれさえ山河を越えた霧深い国の出来事に思えているのだとマンガンは思った。
「知らないことばかりですな」
雲母は笑った。皮肉っぽい顔をしている。
「……知らんほうが幸せなこともある。前線で戦うのは私の仕事だ。貴様の仕事は訓練のための訓練をして汗をかき飯を食って寝ること。ああ、災害の際は土嚢を担げよ」
「自分だって戦えます」
「私に半殺しにされかけたくせに何を言うか」
反論しようと口を開いたところで、しかし、ふっと唇だけで笑って雲母は片手を挙げた。からかった子犬が噛みついてこないよう制するように。
「夜になるまでここで待機なのだ。そう怒るな。腹が減るぞ」
「怒っていません。事実を言ったまでです。自分は戦えます。戦える場所にいないだけです」
「では、訓練して身体を鍛えて、これでドラゴンに勝てると思うか?」
銃に視線をやって雲母は言う。
「ドラゴンを殺すときは、最低限でも馬鹿のように大きな大砲が必要だ。口径だけでなく速さと射程を伸ばすための長い砲身。爆薬を使えばいいと思うか? 数百トン級の爆薬で鎧う装甲に傷一つ付かない様を見た時は笑えたぞ」
資料では知っている。だが、マンガンは現場を知らない。即ち戦場を。
「個人の努力など無駄なのだ。そういう連中と戦っているこの国にとっては」
「…………」
戦場を見てきたこの人が否定するのなら、そうなのだろう。どんな資料よりも彼女の言葉にはそうと思わせる真実性があった。
しかし。
「――それなら、貴女の強さにも意味が無いのですか?」
何のための強さか。疑問をぶつけると微かな優越が雲母の瞳に浮かんだ。
「あるとも。『他よりマシだ』という証左になる。それが前線に立ち続ける権利だ。――それを証明し続けることが私の有効性……あぁ」
言葉の半分は呪文のようになっていた。暗示のように呟いて、急に気落ちしたように頭を揺らした。
「どうしたんですか」
「ああ、そうだ。そうだった。戦争が、終わる……」
まるで天気のことでも話すような口振り。その呟きにどんな悲壮を込められているのか、マンガンは気付かなかった。
だから。
「それは、よかったですね」
もしそれが本当ならば。――そう言った。
「貴様ッ!」
再び顔を上げた雲母は恐ろしかった。研ぎ澄まされた憎しみがピリピリと触れ難い空気を生み出す。殺されるかもしれない。咄嗟に銃に手を伸ばしたが、雲母が詰め寄るほうが早かった。マンガンの胸倉を掴みあげ、彼女は拳を握る。
だが、震えていた。
「あの……殴らないのですか」
マンガンはとうとう口を開いた。
いつになってもその拳が落ちてくることはなかった。それどころか、雲母は目を伏せて長い間言葉を探しているようだった。
「軍曹、貴様が正しいのかもな。戦争など終わった方が良いのかもしれない」
低いが、静かな声だった。雲母は手を離すともとの場所に戻って木の棒を握り、座った。
戦争が終わった方が『良いのかもしれない』ではなく、世界人口のほぼ100%が戦争の終結を祝福するだろう。マンガンを含め、誰も死にたくはないし殺したくはない。もしかして、この人以外は。
「戦争が、終わる。……終わってしまうのだ」
「悲しいのですか」
「そう、かもしれないなぁ……」
こんなことを聞いたのはもしや自分が初めてかもしれない。雲母は話慣れていないように見えた。
「左遷された理由は戦争継続を唱えたこと、ですか」
「賢い男は嫌いだぞ、軍曹」
雲母は唇を尖らせてとことん理解できないという顔をした。大儀そうに棒を振りながらいうことは。
「あのなぁ、戦争が非効率的な外交手段だということは先史以来とっくの昔から分かってるんだ。非効率ならばせめてマシな非効率具合で終わらせるべきではないか。――勝てるのに。勝っているのに。負けるなど」
「どんな事情で戦が終わるのか知りませんが、その『勝つ』定義が殲滅戦までやることを指しているのなら、お偉いさんの判断は正しいのではないでしょうか。ジャングルでゲリラ戦法なんてやられた日には最悪ですよ。戦後処理を考えたって駐屯地に火炎瓶投げ入れられるのは嫌ですし」
「そんな時は空軍焚きつけてまとめて空爆させればいいのだ」
「市民を巻き込んだらいけないでしょう。国際法だって守らなければなりません」
悪い冗談だというように雲母はふりふりと棒を振った。反論しないところを見ると彼女だってそれは分かっているのだろう。とはいえ最後の言葉だけは前線の混迷具合を見つめてきた彼女にとっては愚問だったかもしれない。
「戦争終わったら、自分たちどうなるんですか?」
「戦中でも戦後でもここは変わらないだろうよ。東に横領者がいればそれを捕まえ、西に食料庫を荒らす鼠がいればそれを退治し、災害時にあれば土嚢を担ぐ。いつも通りなんだろうな」
「これからは大佐もそうなりますか?」
「馬鹿を言え。……こんなところにとばされたまま終わってたまるか。前線に戻って次の戦争が始まったら投入される部隊に行く」
「そんなにぽんぽん戦争があったらたまりませんよ」
今回の戦争だって始まってから五年が経つ。戦況に一喜一憂することもなくなってきた時分だ。
「戦争が常に仕掛けるものとは限らないだろう」
軍人としては正しい考え方だとマンガンもこれだけは同意できるが、基本的に雲母の考え方は強硬的だ。
何をしでかすか分からないが、存在は惜しい。
本当に戦争が終わるとするならば、こうした人材が後方に回されるのも仕方がないように思えた。
(扱いにくい人だな……)
雲母は(恐らく)軍に対しては誠実で忠実なのだろう。ただ戦争継続を惜しまない性格のせいで損しているように見えた。
戦争は始めるより終わらせる方が大変だとはよく言われることだが、こうした性格の人がトップに立っているとその国は苦労するだろう。つくづく雲母が兵士で良かったと思う。
ブレーキの壊れた装甲車のような人だ。容易に想像できる光景にマンガンはなんとも言えない気分になった。大人しくしてればいいのに。周りも止めろよ。大事な戦力なんだろ、この人。
「くっ、残念な人を見るような目でこっちを見るんじゃない。ぶん殴るぞ」
「あ、いえ、自分は何も。――ああ、そんなことより」
「そんなこととはなんだそんなこととは。私の死活問題だぞ」
「はいはい。今作戦の子細を教えていただきたいのですが」
むっと膨れた顔をしながら雲母はこれまで地面に書いていた数時を指した。
「〇七五二、トラック五台が前線に向かった。日没前に負傷者役を抱えて戻ってくるだろう。そのトラックを奪い、陣内に潜入する」
「そううまくいきますかね」
「設置型の爆弾を使う。それで最後から二台目のトラックに大破判定を起こす。その後、後続車を停止しさせ運転手及び乗員を殺害、トラックを奪取する」
「なるほど」
「あとは臨機応変に対応する、だな」
「了解です」
「それまで待機だ」
「了解です」
本当に上手くいくかは分からないが、ここまで来てもう後戻りはできない。幸い実行まで時間がある。それまでに覚悟も決まるだろう。マンガンは気軽に考えることにした。
三十分後。
「軍曹、暇だぁ……」
地面を落書きだらけにして雲母が言った。平和そうな家族の真上に爆撃機らしいずんぐりした機体があるのは見なかったことにしたかったが、どうしても見逃せなかった。
自分たちは陸なんですから戦車を描きましょうよ。キャタピラが描けないから嫌だ。でありますか。
「では、そうですね。しりとりでもしますか」
「もっと長持ちする遊びを提案しろ」
「……大佐も考えてくださいよ」
「後方に回されたのは久しぶりなのだ。時間の潰し方が分からん」
「はぁ……」
この人はもしかすると戦闘以外の分野ではポンコツなのかもしれない。
重心が刃に寄りすぎたナイフ。雲母に対し、そんな印象を抱いているマンガンは彼女の顔を見つめた。
「な、なんだ。そんなに見つめるな」
「趣味は何ですか」
「しゅ、趣味だと? な、なんだっていいだろう」
「答えてください。自分は読書です」
答えを取られた、という顔をしたのをマンガンは見逃さなかった。面白いほどに狼狽して「ええと、だな」と視線をさまよわせた。
「武器の、カタログを集めること?」
「どうして疑問系なんですか」
「いや、これはもはや習慣のようなものだから趣味と呼んでいいのだろうか?」
「やっていて楽しいのなら趣味だと呼んでいいと思います」
休日に雲母が書店に行く妄想はかなり健全だとマンガンは自画自賛したくなった。
「そうか。では趣味はカタログ集めだ。最近は紙の媒体より電子媒体が多くてな。持ち運びが楽だ。貴様はどういった本を読むのだ?」
「流行の本から古典まで、戦術書も少々。教養程度ですが」
「向上心があることは良いことだ」
「大佐殿は、お読みにならないのですか」
「流行のものには疎くてな。私の場合、この立場にもなると過去の作戦に関連する文書が閲覧ができるのだ。それはよく読むぞ。作戦がなぜ失敗したのか分析をするな。誰ぞ発表するわけでもないが」
「作戦で発生した損傷が正統であったと証明するために?」
意地悪な気分になってそんなことを言うと雲母は感心したように「はっはっは、面白いことを言うなぁ」と笑った。
「分析の結果とその過程で得られた知識は別物だ。私なら得た知識を違う結果を導くために使いたい」
「上に立つ人の誰もが大佐殿のように勤勉であれば自分のような下っ端は嬉しいですね」
「ふふふ、当然だな。見ての通り私は優秀なのだぞ」
「そうですね……はい」
仕事が関わるとしゃんとするタイプらしい。
(これが巷で問題のワーカーホリックか……)
実物に遭遇するのは初めてのことなので後で日記に書こうと思う。国への忠誠心と仕事への意欲は常に比例するものとは限らない。そのことをマンガンは軍に入って骨身に刻んでいた。
「ああ、そうそう。これもそのカタログで買ったんですか?」
ポケットから昨夜の凶行に使われたナイフを確認そした。研ぎ澄まされ、手入れが行き届いているのが分かる。
「ん?」
柄のところにひっかき傷があるのを見つけた。
「いや、文字か」
「あッ!」
木の棒を握ったまま雲母が立ち上がった。
「どうかしましたか?」
「べ、別に」
しどろもどろに言い、彼女は元通りに座った。
「何もないならいいんですよ。『きらりん』?」
「殺すっ」
頬を紅潮させ雲母は木の棒を投げた。
ナイフの柄に刻まれていた文字、それは。
「『きらりん』って誰に呼ばれているんですか?」
渾名らしい。思わず頬が緩んだ。
「うるさいっ! 刻んで川に流すぞっ」
「『きらりん』可愛いじゃないですか『きらりん』」
「うううるさい、黙れ! 肉という肉を削いでやるっ!」
耳の先まで真っ赤にする頃、雲母は置いていた帽子を目深にかぶった。
「貴様も、私を馬鹿にするのか!? ああそうだ、自分のことを『きらりん』と呼んでいるがなんだ!? それが貴様の人生に何の影響を及ぼすというのだ!? ほら笑うがいい可笑しいだろこんなナリをして『きらりん』だと!」
ほら笑え、笑ったら殺すっ!
うっすら涙を浮かべた目で、きらりんこと雲母大佐は睨みつけてきた。
とはいえ。
「からかうつもりはありません。堅物だと思っていた大佐殿に意外と可愛いところがあるのだな、とそれだけです。女の子らしくていいじゃないですか。自分の名前が嫌いよりはずっといい。好きですよ」
猫科を思わせる鋭い瞳は昨夜よりも好ましく思えた。
実際のところ、雲母がどういう人物か分からず距離を測りかねていたこともある。常ならば軍の組織内で関係の無いことだが今は、たった二人で行う作戦中だ。相方がどういう人物か知っておく必要は十二分にあった。
というのは表向きの話である。
「だいたい私が自分のことを『選ばれし者』だとか言う方が世間的によほど恥ずかしいと思うので渾名のひとつやふたつ気にする必要はないんじゃないでしょうかむしろ気にしないでいただきたいだいじょうぶですよどんな渾名でも自分よりマシです」
「う……なんか……あの……すまんな?」
謝られるとよけい惨めな気分になってマンガンは落ち込んだ。これはあれだ。今は体調が悪いので気分がやけに落ち込むのだと自分で自分を納得させるのを失敗した結果だった。雲母があたふたした。
「そ、そういえば、どうして『選ばれし者』なのだ? 傷を抉るようで悪いが言ってしまえば楽になるかもしれんぞ? 恥などかき捨てだ」
「真面目な話と真面目ではない話、どちらを聞きたいですか? 真面目ではない話が大佐がお聞きしたと思われる話です」
いい話と悪い話がある。
それに似た選択を挙げてマンガンは話すことにした。軍にも報告したことだ。ここで雲母に話したとして問題は無いだろう。吹聴するタイプには見えないし。
「では真面目な話から聞かせてもらおうか」
「分かりました。ええ、まず自分は幼い時から星が好きでした」
「星。夜に見えるあれか」
「そうです。肉眼では見えにくいですが昼にもあります」
ロマンチストだな、と雲母は言う。
マンガンとしては自分たちの頭の上にあるものにどうして関心を払わずにいられるのか疑問に思うことだが、話が進まないで後で疑問をぶつけることにする。
「ある日、ガキだった自分は筆記用具と望遠鏡を担いで家の裏山へ出かけました。星を眺めるのは日課だったのですが、この日は特に気合いが入っていました。というのも数日前に読んだ新聞に自分とそう歳の変わらない少年が『新しい星を見つけた』と取り上げられ、世界的な話題となっていたからです。対抗心がありました」
ふむふむ、と雲母は頷いた。
「いつものように星の一覧表と照らし合わせ、載っていない星が無いかを見ていたのです。そこで、とうとう一際大きく輝く星を見つけました」
おぉ、と雲母は手を握った。
「表には載っていない星でした。興奮しつつ記録のためペンやメモを取ったところでその星の異変に気付きました。星は動いていたのです」
お? と雲母は首を傾げた。
「はじめは彗星かと思いましたが近々彗星が接近するという話は聞いたことがありません。もしそれが話題になっていたら山の上のスポットは人がいるでしょう。第一、欠かさず星の運行を監視している自分がその情報に気付かないはずありません。しかし、誰かに確かめることはできませんでした。その光は徐々に近づいていたのです」
とうとう雲母は無言になった。
「流れ星か隕石か。そう思いました。自分は何もかも置いて走り出しました。その時の自分が何を考えていたのか、思い出すことができません。ですが、事実として自分は走り、その光を追いました。そしてどれくらい走ったのか、とうとう自分はその光に追いついたのです」
雲母は真剣な眼差しでマンガンを見つめた。
「その光は消える間際に話しかけてきました。何を言っているのか分かりませんでしたが、自分は肯定を表す『はい』に相当することを言ったのだと思います。そして、左目が焼けるように酷く痛んで意識が途切れました。気付いたら朝でした。やけに視野が狭いと思っていたら目が無くなったのです」
眼帯の下には翡翠に似た色の鉱石がある。毎朝、起床して自分の顔を見る度に何か異変が無いかを確認する。そこで安心してからマンガンの一日は始まる。
「私の話は誰にも信じてもらえませんでした。誰に尋ねてもその日は『彗星も流れ星も無かった』と言い、果ては曇りや雨だったと言うのです。望遠鏡を置いてきた観察場所に行くと証言通り、地面は濡れていました。ノートもびしょびしょです。私は混乱しました。これが現実なら私が見ていたものは、失ったものは何なのか」
それなりの歳になり、あの日の天候・星の巡り、考え得る限りの手段を使い調べてみても自分が見ていた景色は見つからない。
「自分が何と取引したのか、奪われたのか。得た力にはどれほどのリスクを伴うのか。誰とも食い違う話。不安だったんですよ、たぶん」
そこで。
「悟ることにしたのです。自分は『選ばれし者』だったのだと」
一拍おいて理解したらしい雲母がしみじみと頷いた。
「私が思っていたよりずっと悲惨で言葉を失うな。……お前も、苦労したのだな」
「オオカミ少年の気分が分かりました。ええ。あやうく精神病院に送られるところでしたから」
「なるほどな……」
しげしげと頷く雲母は他の誰とも違う反応を見せていた。疑う様子が無いのだ。
「あの、嘘だとか思わないのですか? 自分の作り話だとか」
「嘘を見抜くのは得意だ。お前が嘘をついていないことくらい分かる」
「どうしてですか」
「言葉にしにくい分野の話だが、直感だな」
新しく拾った木の棒で脳を書いた雲母は「もっとも直感とひとことに言っても、意識にのぼらないだけで既存情報による脳内の高度な演算結果なのだが」と真面目なことを言った。
「お前が出会った光にも言えるかもしれん。当事者でない限り断言はできないが、人間第六感というのは生命の危機において重要な警告を発――」
「何が言えるんですか?」
喰い気味にマンガンは迫った。
誰もまともに取り合わない問題について言及してくれたのは雲母が初めてだった。それがどんな見当はずれのものでもいい。彼女の言葉がほしかった。
言葉を遮っても雲母は嫌な顔をしなかった。
「お前は生命の危機を感じていたか? 光を見て、危険なものだとすこしでも思ったか?」
「い、え、別に、ただ光だと、流れ星や、彗星の類だと。こんなことになるとは、すこしも……」
「それなら目のそれも大丈夫な物だと私なら判断する。あらゆる状況に置いて人間の第六感は正解だ。異変や危機に対しては特にそうだ。その光がもし危険なものなら近づこうとも思わなかっただろう。自然と体が動くなどしないはずだ」
「しかし」
「シカシもカカシもないぞ。生命の基本は、生存と増殖だ。本能は好奇心を凌駕する。それに目が代償になったのだ。代金は充分に払ったと思うぞ」
「そう、でしょうか……」
肩の力が抜けた。自分のなかで何度も議論したことが自分ではない誰かから発せられたことに感動に似た痺れがはしっていた。
「お前の身に何があったのか、もう真相は分からないのかもしれない」
「大佐殿……」
「だが、お前にとってはそれが事実で真実なのだ。自分を偽るな。しっかり前を見て生きろ。そうして生きている限り前途洋々だ」
凛と張った声にいつかの冷たさは感じなかった。力強い言葉と意志を灯す瞳が、マンガンに勇気を与えていた。
「――きらりん」
間髪入れず鉄拳が炸裂した。
「その名を言うな! このくそ。励ましてやろうとカウンセラーの真似事を頑張っている時に、このっ! このっ! やっぱり死ね!」
「ぐぎッ――ちょ、待っ、あッ……!」
照れくさくなってうっかり口を滑らせたのが悪かった。
自分でも最悪のタイミングだったと思う。
降伏の間もなく容赦ないボディブローが入って喉元が熱くなった。
「殴られて笑うなっ」
ぼろ雑巾になりかけたマンガンを雲母が手放した。
「ははっいえ、他意は、ないですよ」
「よけいに質が悪いだろうが、まったく。――そんなのでよく軍に入れたな。頭の異常で引っかかりそうなものだが」
「ちょうど開戦の年だったのです。『お国のために』といったことを言ったら入れました」
「軽いっ軽いぞっ人事部! いいのかそれで!」
「員数確保に必死になっていたんでしょう。それにしても衣食住三食付き、死んだら名誉が付いてくるなんて最高の職場ですね」
雲母はその言葉に引っかかるものを感じたようだが、結局は頷いた。
「お前、意外とひねくれ者なのだな。――否定しないが」
「ああ、大佐殿、不真面目な話も聞きたいですか?」
忘れかけていたように雲母が目を瞬かせた。
「頼む」
「人に話しても相手にされず苛つくやら悲しいやらで荒れていた頃に作ったものでして、うどんの天啓に遭ったという話です」
うどん。うどんとはあれか。極東の白い食べ物のことか。
雲母の言葉に頷き、マンガンはキラキラした目で語った。
「ご存じのようなので簡単に説明させていただきますと、ある日食べたうどんから天啓を受け、目覚めたという話ですね」
「どうしてうどんなのだ」
「深い意味はありませんよ。その日食べたのがうどんだったけです」
「複雑怪奇な思考だな」
我ながらあの日の自分はどうかしていたと思う。
「大佐殿、狂気とは徐々に蝕まれるものではなくある日突然一線を越えてしまうものなのかもしれません」
「正鵠を射た物言いだな。概ね同意する。さて」
雲母は銃を持ち立ち上がるとマンガンに背嚢を投げた。
「定時だ。哨戒に行ってくる」
「……これだけ騒いでいたらへったくれもないような気がしますが」
「一応だ。軍曹はここで待機な」
「了解」
起きた時より身体の痛みはマシになったが、逼迫した状況でない限りまだ休んでいたかった。
雲母は懐中時計で時刻を確認すると帽子をかぶり直し、木々の間に消えた。
(雲母大佐か。いい人だ)
これまでのマンガンの上官たちと比較すると上官にしたいランキングでぶっちぎりのトップだ。
(それにしても、戦争が終わるというのが本当なら大佐が行くところなんて無いんじゃないか)
訓練であげた功績がどれほど評価されるものなのかマンガンは知らない。しかし、雲母が再び前線に返り咲けるほど点数を稼げるとは思えなかった。だいたい部隊が死に体の状況においてシングルコンバットがまともに評価されるのだろうか。美談として語られることは多いがこの場合、組織で戦わなかったことを咎められるのではないか。
(あー、部隊に戻りたくないなぁ……)
できればこのまま雲母と死地まで共にしたい気分だ。雲母は戦争好きの無茶苦茶な人には違いないが「俺は虫の居所が悪いんだよ!」と殴ったりしないし「どうして目が一つしか無いんだ!」と蹴ったりしないだけ良い上官だ。
部隊に戻れば斥候を失敗したことを、こってり絞られるだろう。憂鬱になる。外出禁止に加え演習は強制参加、上官からは半殺し、警衛任務、不寝番、etc.半年はそれらを免れまい。
乾いた笑いも品切れになった。自分に訪れかねない素敵な未来にマンガンは『大佐の命令だったんです』と言い張ることを決意した。
時間が経ち、なんとなく視線の置き場に困って雲母から渡された背嚢を掴んだ。
「ん……?」
その中から微かにだが、煙草の匂いがした。
胸騒ぎがするこの匂いは、昨夜の逃避行を思い出させた。つまり。
(壊滅した部隊が吸っていたものと同じ……)
だが、雲母の言葉を信じるのなら彼女は煙草を吸わないはずである。
そばを通り過ぎた時に香りが移っただけかもしれない。
(まさか、いや確認してみないことには)
注意深く辺りを見回し、耳を澄ませ、周囲に何者の気配が感じられないことを確認して、背嚢を開けた。
「なっ――」
四つの煙草の箱がビニール袋に入っていた。中身は全て空だ。銘柄は隊内商店では取り扱っていない、高価な外国産だ。
香料はサバイバルにおいて最悪だと雲母は言っていた。空箱とはいえ拾ったとは考えにくい。
ということは。
(大佐が煙草を配っていた? いやいやいや、待て)
状況証拠からありえない話ではないが、何のためにそんなことをするのか。持ち弾をほとんど撃ち尽くすほど援護していたというのに。
言葉が、引っかかった。
(援護って?)
そういえば、どちらを援護していたとは言わなかった。
あの時の会話を当然こちら側を支援していたと思っていたが、「支援することもなかった」という言葉は「味方側が弱すぎて支援することが無駄だった」というマンガンが受け取った意味は無く「終始優勢の敵側をわざわざ援護することもなかった」という意味だったのではないか。
(どういうことだ、大佐はこちらを負けさせたいのか?)
否定材料を見つけたい。ファイヤースターターを探すが、見あたらない。
戦う前から敗色濃厚で、万が一にも勝つことはないだろうな、と思っていた。それでも単なる敗北とはめられて敗北することは違う。
部隊は、碌でもない思い出ばかりで上官は豚で部下からは軽んじられているが、腐っていても自分の所属部隊だ。
(雲母大佐、なにを考えているんだ?)
それでも、それでも、とマンガンは雲母を信じたかった。煙草は拾ったものでたまたま持っていただけだった、とか。味方を壊滅させた事実とは関係ないと否定したい。
しかし、気付いた。
(罠だ。絶対に罠だろう、これ)
確信犯ならば絶対に犯さないミスを雲母はしていた。
「…………」
雲母は銃を持って森の奥へ行った。その時、マンガンの持っていた銃と取り違えしていたのだ。
玄人であればあるほどありえないミス。
(だが、これで分かる)
銃にある成績開示の機能を使えばいい。どこで誰が誰に殺されたか、あてにならない自己申告と虚偽を一掃した記録機能がこれにはある。
「成績、開示」
どれくらい時間が経っただろう。足音も銃声も聞こえなかった。
「軍曹、おい、軍曹!」
「はッ! あ、寝てません寝てません、起きてますよちゃんと」
マンガンが再び目を開いた時、仁王立ちにしている雲母がいた。殴られないように両手を上げて降参のポーズをし、欠伸をかみ殺した。
「自分、一日六時間寝ないと眠くなる質であります」
「やっぱり寝ていたんだろうが。まったく」
言葉では咎めているが雲母は苦笑していて、声には棘が無い。
「一五二〇。そろそろ設置しに行くぞ」
「了解です」
天候は曇り。
高緯度のため日が暮れるのが早い。夕暮れは近づいていた。
「明日は晴れますよ、大佐殿」
円匙で轍の下を掘り起こし、爆弾を設置する。
「そうか?」
「この地域は今の時間にあの雲が出ると晴れるんですよ」
「なるほど。晴れるのなら勝負を急ぐかな。もし明日まで基地が持てば突撃発起が起きるか。それとも今夜中にケリをつける気か」
「もし今夜、あちらが発起するのなら自分たちの作戦はどうしますか?」
雲母は背中を向けている。
「向こうが一人残らず死ぬまでこちらの状況終了はありえんよ。予定通りふたりで仲良く特攻だ」
「ふたり、ですか」
マンガンの呟きはとても小さなものだったが、雲母の耳には届いたらしい。彼女は振り返った。
「なんだ」
「いえ、これはデートに分類されるものかなと思いまして」
「馬鹿め。だが、あとで旨い酒を奢ってやる」
「誰にでもそう言うのですか?」
「作戦には反省会が付き物なのだ」
立ち上がり裾野を見つめていれば今にも砂埃を巻き上げてトラックがやってきそうだった。
「ここで待機だ」
円匙を取り出し、雲母は斜面に棺桶ほどの大きさの穴を掘った。それから毛布を取り出しその上から砂をかける。擬装にしては上々だ。
轍を挟み、反対側にマンガンも同じように毛布をかぶり砂地に伏せた。砂の中は温かく目を閉じれば森の中よりいい眠りができそうだった。しかし今は左手に爆弾の起爆スイッチがあり、右手には銃があった。
「大佐殿」
「なんだ軍曹」
「もし敵がルートを変えていたらどうするつもりなんです」
「万一にもあり得ないと思うが、その時は走ることになるな」
また走るのか。その時は何が何でも死んだフリをしようと決心した。
しかし、三時間後。
その決意が無駄になる時がやってきた。
「ああ、ほんとに来た……」
「四台目だ。仕留めろよ」
暗視ゴーグルの下から悟られぬようにマンガンは雲母を見た。
スイッチを押すかどうか。雲母は判断をマンガンに任せていた。
きっと半殺しにされるが押さないこともできる。
(…………)
だが、四台目、その後輪めがけマンガンはスイッチを押した。
爆発は起きない。だが失敗ではなかった。ピーという機械音がひとかたまりに鳴りトラックは大破判定を起こし停止、人員にもいくらか被害が出たようだ。
車体の下から雲母を見るとすでにいなくなっていた。
トラックの前方からは、タタンッ、という炸裂音に加えくぐもった悲鳴が聞こえる。
そして指笛。
強襲完了。運転手と助手席のふたりをしとめた合図だ。
マンガンは「よいしょ」と立ち上がるとトラックの後ろへ回った。
「怪我人役ばかりで気が引けるな」
ゴト、と施錠されていた扉のロックが外れる音がいやに現実で空々しい。
扉から銃口を差し入れ、一通り撃った。だが死亡判定の機械音はまばらだ。爆弾が爆発した時にほとんどが落伍したようだ。
「私が後続へ信号を送る。軍曹は無線を頼む」
運転手が突然女声になったら怪しまれるだろう。運転席と助手席にいた敵兵を引きずり出し、荷台に詰め込んだ雲母がハザードランプの間に立って電灯を掲げた。
(ここまでは、予定通り――だが)
心の中で呟く。
鍵を保管するキーボックスをいじって遊んでいると無線が入った。
『こちらt3。後続どうした、送れ』
「こちらt4。後輪に異常発生。大破判定が表示されている、送れ」
いかにも運が悪かった、とでも言いたげな声を作ってマンガンは応じた。
(バレるか……?)
そうなって欲しいのか欲しくないのか、分からなかった。そして。
『こちらt3。なんだバグか? ダメそうなら怪我人ごとt5に拾ってもらえ。晩飯にありつけなくなるぞ、送れ』
「こちらt3。了解」
無線を切って、大きく息を吐いた。
「上出来ではないか」
助手席を開けて雲母がにやっと笑った。
「これくらい軍人なら誰だってできますよ。男の軍人なら」
「私が特殊部隊出身なら良かったんだがなぁ。あいにく普通科だからな」
「特殊部隊とやらは変声訓練をするのですか」
ここには工兵科はあっても特殊科は無い。訓練の様子が想像できなかった。
「なんでもする部隊だ。特殊事態に備えるものだからな」
後輪の陰に銃を起き、ふたりでそのそばにしゃがんで後続車を待った。
「雲母大佐」
「なんだ」
「あの、お聞きしたい、ことが……」
この期に及んで言い淀む。準備していたはずの言葉が握りしめた砂粒のように頭から抜け落ちていった。
「あとで聞く。今は集中しろ」
ふたりの横顔をヘッドライトが照らした。
斜面を這うようにやってきたトラックが唸りを上げ、並び合うように停車した。
降りてきた助手席の男が挨拶するように手を挙げた。続いてエンジンを切った運転手の男が降りてくる。マンガンはそれに応え、懐中電灯を後輪に向けた。
「どうしたんだ」
「後輪に異常があるらしいんだが、よく分からん。見てくれないか」
鉄帽を深くかぶり、マンガンは言う。
「どれどれ」
ふたりはのぞき込むように後輪を見た。
十分すぎる隙だ。
その陰で雲母が、動いた。
「…………」
銃声の後の沈黙は好ましい。
敵がいなくなるとこうも安心するのだとマンガンは知った。
瞬殺というのはこれのことを言うのだろう。
「ですが大佐殿、至近距離でヘッドショットはどうかと思います」
「確実に殺すのが癖になっているのだ。ほら、行くぞ」
「自分が運転します」
後続車の運転手と助手のふたりを大破判定で動かせないトラックに乗せた後、マンガンは銃を握った。
「え。大丈夫か?」
「自分は航空機からクレーン車まで動かせますよ」
それはすごいな、と感心したように雲母は助手席に乗った。
「軍の自由時間を利用して、他にもいろいろと。今はスキルアップ講座もありますし」
「最近取った免許はなんだ」
「免許ではありませんが、色彩検定を取りましたよ」
安全装置を外した。
「色彩って……どこで使うんだ、それ」
対象は窓の外を確認している。
「広報科に配属されたらきっと便利な資格ですね」
引き金は重い。その重さは信頼できた。
「なるほどな。――で、軍曹、いったいなんのつもりだ」
マンガンは窓の外を見つめていた雲母と目があう。
硝子に映る自分の顔はひどく無表情だ。
暗い車内でただひとつ光る銃口は、雲母の後頭に向けられていた。
ドアに伸びた彼女の手を止めたのはロック音だ。外せるスイッチは運転席のドアにあるただ一つ。
「そろそろお話願います」
溜息交じりにマンガンは言った。
「何の話か分からんぞ。乱心か?」
「自分は至って正気です。それに我々の行軍もここで打ち止めですし、いい加減の潮時でしょう。動かないで下さい。撃ちますよ」
「その銃では撃てないだろう」
「前線ボケしているらしいので指摘しますが、あなたが今持っている銃は自分が使っていたものです」
雲母は本当に気付いていなかったらしい。
「なっ」
言葉を無くして雲母は手の中の銃を見つめていた。
銃に目印は無い。
だが自分の命を預けるものとして当然だがマンガンは自分が扱っていた物とそうでない物との区別がつく。そもそも雲母が取り違えた時、置いていた場所が違っていたのが決定的だった。
「それはすまないことをした。返すから銃を下ろしてくれないか」
「――煙草」
雲母の表情に動揺がはしるのをマンガンは見た。
「持っていないですか? 急に吸いたくなったんです」
「あいにくだな、軍曹。私は煙草を吸わないと言っただろう。持ち合わせは無いぞ」
彼女の声はすこしだけ声が高くなった。
「では背嚢の中に入っていたのはどこの誰に何のために渡したんです?」
「見たのか」
その声は驚きの色があった。その目に失望が浮かぶ前にマンガンは銃口を後頭部に押し当てた。
「すこし。ほんのすこしだけ大佐の背嚢から煙草の香りがしました。自分の部隊の連中が吸っていたものと同じ香りのもの。間違いなくそれが」
「何を疑っているか分からないが、気のせいではないか? 煙草の銘柄が世界にいくつあると思っている。仮に私の背嚢に煙草が入っていた痕跡があるからといって連中が吸っていたものと同一だとなぜ断言できる?」
「嗅いだ時に逃走時の記憶が蘇りました。大佐はおっしゃいましたね。最も記憶に残るのは嗅覚だと」
ふふっ、と雲母は笑った。失笑という具合に。そして硝子に映るの表情はやはり三十五点だ。
「記憶など曖昧だ。そのことはお前自身よく知っているだろう? 『光のように』儚いものだとな」
雲母は彫刻じみた完璧な笑みを浮かべた。
(撃ってしまえ)
殺したいほどの憎しみをマンガンは知る。引き金に触れていた指に自然と力がこもった。
だが。
「撃てよ、軍曹。鉱物族の私と言えど頭部は間違いなく急所だ。何度も撃てよ。中途半端は恐ろしいぞ?」
すんでのところで指が離れた。
「撃ちませんよ。まだ聞きたいことがあるので」
この期に及んで表情を変えない雲母を見た時、彼女は会話を続けたくないのだと思った。たとえ自分が傷を負ったとしてもマンガンを激高させてこの会話を終わらせたいのだ。
目論見が外れて、雲母は残念そうに唇を歪ませた。まるで先生が赤点の生徒を眺めるような目をして。
「悲しいな。仲間から疑われるなど。前線でもこんな扱いは受けなかったというのに」
「それはそうでしょう。前線で味方を誤射する上官など相応しくない」
「次は何の話だ」
「訓練用の銃に発砲記録が残ることはご存じで?」
ほんの一瞬、雲母の目が見張られた。
「知らないな。本当ならばたいしたものだ。旧式なのに」
「――どうして味方を撃っていたのですか?」
成績開示でマンガンが見たのは三十人近く味方を雲母が殺している事実だ。
成績を開示する機能があること自体、彼女は知っていたのかもしれない。だが旧式と呼んだ武器にその性能があるとは思っていなかったのだろう。
「一応聞くが、黙秘権は」
「あると思うか」
「そうか。では軍曹、面と向かって話したい。振り向いてもいいだろうか」
「この期に及んで自分が認めると、本気で思っているのですか?」
雲母は長いこと目を閉じていた。
やがて。
「賢い男は嫌いだぞ、軍曹」
初めて聞く湿っぽい声で雲母は言う。
彼女は銃を手離した。滑り落ちるように助手席の足下に落ちる。
「認めるのですか? 煙草を配って隙を作ったのも、兵を狙って殺害していたのも、貴女だと」
「ああ、そうだ。私は、博打を打ったのだ」
「誰かと賭けをしていたと? ベッド崩れも大概過ぎて勝負にならんでしょうな」
「私は自分自身の運を賭けた」
雲母は手を挙げた。
そして。
「ひとつ、煙草を基地近くに置いておく。誰かが見つける『かも』しれない、誰かが拾う『かも』しれない。これが賭だ。誰かが見つけた『かも』しれない煙草を拾った『かも』しれない誰かが別の誰かに渡す『かも』しれない。それを吸う『かも』しれない誰かの煙が風下に流れる『かも』しれない。風下を歩哨している『かも』しれない敵兵により、部隊が発見される『かも』しれない。情報を伝えた『かも』しれない敵兵により部隊が壊滅する『かも』しれない」
言い淀むことなく、さわやかだ。
いくつの偶然が重なり合ったのだろうな?
目を細め、雲母は問う。
「そんなこと――」
「結果は、もはや私の手から離れた。煙草を吸えと強要したと思っているのなら間違いだ。私とて落ちている煙草を集団で喫煙するほど馬鹿な部隊だと思いたくなかったがな」
「なぜ煙草だったんです。軍の喫煙率が高いことはご存じでしょう。悪意が透けて見えますよ」
「その日そこにあったからとしか答えられん。銘柄にも深い意味はない。私は煙草を吸わないんだ。どんな味で誰に重宝されているかなんて知るか。だから悪意があるなんて疑うな、悲しいだろう」
振り返ろうとした雲母の目に銃口を向けると彼女は口を閉じ、元通り窓を見つめた。
「煙草の件は分かりました。ですが、銃撃の件は言い逃れできないでしょう? 貴女は味方を撃っている」
「軍曹、軍隊が何割の損失で機能を失うと思う?」
「問答する気はありません。貴女は味方を撃った。それだけが事実です」
マンガンは自分でも意外なほど冷酷になっていると感じた。冷静に話を聞いて、撃てると思った。
「三割だ。私が削ったのはとある部隊の二割に過ぎない。まともな軍隊ならばカバーできる範囲だ」
「何のためにそんなことを……自軍を負けさせたいのですか?」
「言っても理解しないだろう。私は賭けた。私の運が勝れば私に有利に状況が傾く。敗北が必要なのだ」
どこまでも自分の論理で語る雲母には、もう動揺の欠片が見あたらない。
「戦うからには勝ちたいに決まっている。私達のごみ溜めのような部隊でもどこの誰が相手だろうと、戦う意志までは死んでいない」
「それならろくでもないと言った部隊の評価を訂正しなければなるまい。意地があるなら立派なものだ」
「――なぜです?」
「他の誰かが万一にも表彰モノの働きをすると困るのだ」
観念したように雲母は目を閉じた。
「それでも帝国軍人ですか!? 自分の功績だけ求めるとは、せせこましい考えではないですか!?」
「せせこましい、か。そうだな、狭量だ。そう私には余裕がないのだ。分かるだろう? ここは北の最果て終局の部隊だ。戦争が終わる。私は急がなければならない」
「大佐殿はこの演習で点数を稼げると、本気で思っているのですか?」
「思っているとも。心から信じている」
目を開いた雲母は自信に満ちていた。
呆れる。もう言葉もでなかった。
たかが演習だと雲母は自分で、この演習がくだらないと言っていた。言っていたではないか。
「プラスティックの功績も紙の賞状も価値が無いでしょう? 自分たちがやっているのは『戦争ごっこ』なんですよ!」
声が震えた。どうしても雲母が理解できなかった。
言葉が通じる。考えていることも多少は分かる。だが彼女を動かしている根幹が理解できない。
いまの雲母に話しかけるのは、小さな子供に本当はサンタなんていないんだよと教えるような罪悪感があった。
だが。
「違うぞ、軍曹。私は『戦争』をしているのだ。紛れもない『本物の戦争』をしているのだ」
変わらない。
話しても殴り合っても銃を向けても彼女は変わらない。
その不変さに腹が立つ。自分が正義とでもいうような口振りが障る。
「くっ……貴女は死にたいんですか!? 前線行って殺されたいんですか!?」
マンガンは乱暴に言葉を叩きつけた。
雲母は一瞬だけ目を見開き、唇を噛んだ。
悔しそうな、悲しそうな、苦しそうな、その表情がフリなのか本心なのか判断ができなかった。
「自分のように前線に行かなくてもできる軍人の仕事はあるでしょう!? どうして前線にこだわるんですか、貴女が行かなくても誰かが行く! 欠員が出たら補充される! 貴女である必要はどこにもない! 軍人とはそういう仕事でしょう!?」
マンガン。雲母。それも無機質な命令体系に組み込まれた個人名に過ぎない。ただの識別記号だ。
雲母は瞬きひとつの間に軍人の顔に戻った。
「そうだ。軍曹、お前は正しい。そして私が正しくあることとその正義は矛盾しないのだ。役割分担は大切だ、とお前は言った。そうだ。大切だ。よってお前より優れている私が、他の誰よりも優れている私が、より激しい戦いが予想される戦地に赴くことに何の問題も発生しない。この論理を繰り返していけば前線に辿り着く。それだけの話だ」
口を開きかけたマンガンを遮り、雲母は続けた。
「私が死ぬべき場所に私がいよう。私が殺すべき敵を私が殺そう。私がいるべき場所へ戻るためなら、私は何だってする」
マンガンは、つかみ損ねていた雲母の人格をわずかだが理解した。
(要するに、これはあれだ)
雲母は。
「自己犠牲の精神もここまでくると痛々しいですよ」
自分以外が傷つくのが嫌で嫌でたまらないのだ。
理解できてしまえば、言葉が続かなかった。
自分なら、もっとうまくやれる。
自分なら、傷ついても大丈夫。
自分なら、ちゃんと殺せる。
自分なら、生き残れる。
自分なら、挫けない。
自分なら、死んだって大丈夫だから、と。
雲母が前線にこだわる理由は、戦争好きではない。きっとこれだ。
「自己犠牲、に、見えるか? 強者として当然だと思うがな」
「見えますとも。……あぁ、くそ、最悪だ」
マンガンは銃を下ろした。しかし雲母は気付かないようでまだホールドアップの姿勢をとっている。
「自分では当然と思っていることなんだが、周りからはどうも理解されなくて辛い。なるほどオオカミ少年の気持ちとはこれか?」
天啓を得たような顔をしている雲母を見ると頭痛がした。
「たぶん、いえ絶対違うと思います。……ああ、最悪、最悪、最悪だ。もう手を下ろしてください」
「なんだ? あれ軍曹、なんで銃を下ろしているんだ?」
マンガンはハンドルを思い切り殴った。
「貴女が功績にこだわる理由が! 思っていたよりまっとうな意見で! 撃てないんですよ!? 文句あるか!? ええ!? これで満足ですか!?」
「あ、ああ、満足した満足した満足な満足だ」
「絶対分かっていない顔してなに言ってんですか。……もっとクズな理由だと思っていたのになぁ。ああ、くそ計算全部狂った」
マンガンは雲母に向かって銃を投げた。当たらない。くそっ。どんな反射神経しているんだ、化け物か。
「クズな理由?」
「功名心だとか給料上がるだとか、俗っぽい感じの理由です」
「え。帝国軍人のなかでそんな理由で昇進目指す奴がいるのか?」
嘘だろう、とでも言いたそうにしているのでマンガンはキれた。
「いるんですよ! っていうかほとんどそうです! おかげで上官はクズの巣窟ですがなにか!? 私の上官ブタ野郎ですけど!? 大佐が珍しいんですよ!? 確率0%以下で殴って出てくるアイテム並にレアなんですよ!?」
ひとりでハンドルを叩いて暴れながらマンガンは頭を抱える。ついでに最悪だ、最悪だ、と呟いた。
「お、おう。そうか、うん、苦労しているのだな。軍曹、ありがとうな」
あとでサインでもしてやろうか。
照れっとしながら言われたらすこし嬉しいとか思ってしまったじゃないか。くそ、やっぱり最低だ。
突然、怒りが沸いた。雲母に対する怒りではない。これまで雲母に席を奪われてきた顔も知らない誰かに対する怒りだ。
少なからず彼らはラッキーだと思っただろう。前線なんて危険場所には誰だって行きたくない。しかし、雲母なら喜々として向かう。押し付けられた任務さえ自分の役目だと信じて。
だからこそ、言うべきことがあった。
「大佐、他の誰も貴女に言わないでしょうから自分が言いますが、前線に貴女の居場所はもう無いんですよ」
「戦争終結によりその前線が消滅するから、か。だが、しかし、終結まではなんとしても前線に留まりたかったのだ」
表向きは静かだが、その内実はあの森の中で見せた狂乱があるのだろう。
マンガンはそれを見据えていた。
「それでも、今の貴女に与えられた居場所はここです」
「そう、だが……」
「だがも駄菓子も無いですよ。上から与えられた場所にいるべき者として貴女はここに留まるべきだ。それが命令なんですから。大佐はもう前線にこだわってはいけないんです」
「…………」
「これまでずっと前線で張っていたんでしょう? それなら上だって貴女を無碍にしない。力量は分かってるはずです」
言い聞かせるようにマンガンは必死に言葉を重ねた。どうして自分がこれほど雲母を引き留めようとしているのか分からない。でも、誰かがいつか言うべきことだったと思う。願わくば彼女の上に立つ者が。
「そう、だろうか。……私は、私はちゃんと評価されているのだろうか? 私が、ここにいるのは無能者のレッテルを張られたからではないだろうか?」
雲母が急ぐ理由は何も戦争終結に対しての焦りだけではない。
「戦争が終わる。――分からないんだ、私がどうなってしまうのか。戦い続けること、それだけが私の価値なのに。それを取り上げられたら。……私は、どこにも残らない。そんな気がして」
不安。自分がまっとうな評価をされ続けているか。
あの時、戦争が終わったらどうなるかをマンガンは雲母に聞いた。誰よりも知りたい彼女は誰にも聞けないままここにいるというのに。
「戦争が終わる……」
雲母はもう一度、その言葉を繰り返した。
森の中で呟いた言葉の本当の意味を、今度はマンガンが拾い上げた。
「だからこそ、貴女はここにいるでしょう。私に指示を出す指揮官として。これからはこれが上から貴女に与えられたお仕事なんです。……だから、今作戦の命題はいかに勝つかということ。貴女は、もう前線に戻ることを目的としてはいけない」
肩を掴んで揺さぶった。言葉では届かないような思いに駆られ手を伸ばさずにはいられなかったのだ。
しばらく、雲母は黙っていた。
「私達は軍人です。だからこそ命令に従わなければならない。貴女だけではない、私だって従っています。本当は、戦える。戦いたい。でも私はここにいます。ここにいることが私の役目だからです」
紅の瞳が細められた時、彼女の体は震えていた。
銃を握り忘れた手を硬く握りしめ、ゆっくりと目を閉じた。
「……そう。私の『戦争』は、もう……終わっていたのだな……」
マンガンはそれを聞いて、ひとつ息を吐くと手を離し、伸びをした。
「大佐、貴女がここにいる理由はただひとつ。ここは北の僻地ですからね。戦争継続を掲げて左遷喰らったんだと思いますが、頭を冷やせってことですよ」
「頭を冷やすって……」
「そりゃ前線バカになってる頭を平常運転に戻すことですな」
「日課の訓練したりか?」
「それもひとつの仕事でしょうが……員数外の大佐の立場なら、教官あたりではないですか?」
「教官か。人に教えるのは得意ではないのだがな」
仕事道具を奪われるようで好きではない。
雲母の磨かれた技術は人殺しのためのものだ。平時には相応しくないと思っているのかもしれない。
「時間はたくさんあるんです。できなかったこともできるようになりますよ。個人的に、豚野郎より万倍キツくても貴女のほうがマシだ」
砂丘を猛ダッシュさせた雲母のことを実のところマンガンは恨んでいるが、それを差し引いてもプラスになるくらい彼女の印象はいい。上官にしたいランキング一位は伊達ではなかった。
「考えておく。まだ戦後のことなど想像できない」
「戦後ではなく明日のことなんですがね。まあ、ゆっくりやりましょう」
「ああ。うむ、そうだな……ここで、しばらく、頑張る、かぁ……」
雲母の呟きは、敗残兵の余韻があった。どこかへ逝くにも往けず、死地を求めてさまよう名誉兵の成れの果てとはこんな姿なのかもしれない。
ねぇ、どうして戦うのですか。
マンガンは自分でも野暮だと思うことを聞いた。雲母に限っては教科書通りの答えが返ってこないだろう。そう期待をして。
雲母は答えた。
私が他の誰よりも強いからだよ、と。
彼女の場合、敵を打ち倒し、味方を守る理由とはそれだけで十分なのだ。
「貴女は、なんだか、アニメーションのヒーローのようですね」
「カートゥーンの? ……そこまで綺麗じゃないさ。人殺しが子供に夢など与えられん」
「そんなこと……ありませんよ」
マンガンは心底惜しいと思う。指を組んで目を伏せた。
こんなに好い人が戦争に魅入られていることがたまらなく惜しい。
(こういう人こそ長生きして欲しいものだがな……)
平和が訪れるのならボケてしまえばいい。飽きるほど長く続けばいいと思う。
もしそうなったら、どんなにいいだろう。
「大佐が娑婆に出られたら苦労しますね」
「そうか? 意外と逞しいかもしれんぞ」
「いえサバイバル的な話ではなくてですね」
山と海の話が出てきたところで雲行きが怪しいな、と思ったら案の定脱線した。
無線がビービーと鳴る。
ナイフを取り出して電源コードを切断すると車内に静寂が戻った。
無線により二人は現状を思い出し、気まずい雰囲気が生まれた。
「あー……」
「んー……」
お互いそろって頭を掻いたところで、マンガンが切り出した。
「えーっ、大佐殿、これからの話をしていいですか?」
気分を切り替えるようにハンドルを軽く叩いたマンガンはキーボックスを手に取った。
「あ、ああ。――そういえば打ち止めとか言ったな。なんのことだ」
「これのことです。このなかに車のキーが入っています」
「出せばいいではないか」
それはそうなのだが。
「これは、二十四ある数字から四つ選んで開ける手動タイプのボックスです。鍵箱であります」
そこまで言うと雲母も察したのか、顔色がさっと白くなった。
「か、解除の数字は」
「分からないわけなんですね」
ふたりの時間は長い針が半周するまで止まった。
「も、もしや、詰んでいるではないか!?」
「まあそうですね」
雲母は叫びを押し殺し、窓を叩いた。蜘蛛の巣のように罅が入ったのを見て、マンガンはつくづくこの人を撃たずに良かったと思った。ペイント弾一発で昏倒させる自信が無い。
ハッとした顔で雲母は顔を上げた。
「あ、そうか。だからお前は尋問を始めたのだな? 密室だし、私がもうどうしようもなくなって動けなくなると踏んで」
「理解を得られたようで何よりです。そこで、これからが本題なんですが」
マンガンは企み事をするように声をひそめた。
「なんだ?」
「これから貴女が殺してしまった三十人分くらい敵を討ち取って来ましょうよ」
「正面突破は愚策だぞ。いくら夜戦が得意でもあそこの守りは堅すぎる……」
「では、トラックが動けば?」
「攪乱しつつそれくらいの人数なら。――いや、うまくいけば敵の大将まで近づけるが、前提がめちゃくちゃだぞ。トラックは動かないのだろう? え?」
まさか、と。
手品に目を輝かせる子供のように、雲母は大きく目を開く。得意げに笑うマンガンには秘策があった。
「『選ばれし者』の真髄をお見せしましょう! 五分で開錠しますよ!」
「軍曹! お前って奴は、なんかすごいな!」
「ふはははっ!」
片方の光を失って得た力として相応なのか。悩んだこともあったが今はこの力で良かったと感謝した。
キーボックスに付けられたダイヤルが唸りをあげ高速回転し始める。
直接触れずに動かす。
ありふれた超能力として知られるこれだが、効果的に利用すればたったの三十三万千七百七十六通りの解答を調べるのは容易い。
「自分が手榴弾を投げるのが上手い理由ですな」
「投げた後でいくらでも修正できるから、か?」
「真面目に練習している連中が間抜けに見えます」
「でも銃は苦手なんだろう」
「そ、それは大佐のように得意なひとがいるので有事の際は任せることにして。訓練ではノルマこなしていればいいのですよ」
「その力があるのなら、銃弾も中るようにすればいいではないか」
「速すぎて認識できないんですよ。銃弾避ける大佐と同じレベルで語らないでください」
死にますからね、自分。
一緒に語ることが出来ても歴然として力量の差はある。それに気付いた雲母が視線を窓にやった。
「ああ、すまない。私の方が優れているということを時々忘れそうになる。お前は賢い男だからな」
「光栄です」
やがて、ガシャン、とキーボックスが開いた。
本当に開いた。――雲母の呟きは、驚愕の色があった。
マンガンはその鍵を雲母に渡した。
「大佐、命令を」
「…………いいのか」
「自分は貴女の部下です。貴女の命令に従います。何だってやりますよ。………………帝国軍人ですからね」
思い出して言葉を継ぎ足すと、顔が熱くなって窓の向こうの地平線を眇めた。
「ならば行こう。――彼らに劇的な勝利をもたらそう! 我々の愛すべき敗北と共に!」
同じ方角を向く雲母の目には憂いも焦りも見あたらない。
前線の亡霊は死んだ。
真新しい軍人の顔をして雲母は凛と声を張った。
「目標、正面の敵陣地!」
「目標、正面の敵陣地!」
勢いよく投げられた鍵をつかみ取り、トラックのエンジンを起動した。
「さあ行くぞ、マンガン軍曹。喜び勇んで突撃するのだ!」
「了解であります!」
頭が可笑しくなったみたいにふたりで笑いながら「行くぞ、行くぞ」と叫んだ。
もう一生に二度とこんなに楽しい襲撃は無いだろう。そう思えば楽しまないのは損に思えた。
大型エンジンが唸りを挙げて砂地を蹴り上げる音が心地良い。
「はっはっはーっ! 軍曹、見ろ! 霧が出てきた!」
「正確には霧と、高山がありますからその冠雪が風に吹かれているのですよ。よくある光景ですが――」
今日ばかりは幸いだ。
雲母が助手席の窓を開ければビュウッと細かな光が入り込んでくる。
「雪か。……これはいいものだなぁ、綺麗だ、ああ、綺麗だ。北だ。はははっ。ここは本当に、本当の北なのだな!」
「そうですね。美しいですね」
マンガンがどこを見てこんなことを言ったのか、雲母は知らないだろう。
やがて、窓を全開にした雲母が電灯を前方に向けて照射した。
「軍曹、ヘッドライト消灯、速度を上げろ」
「えっ? このままじゃ陣に突っ込みますよ?」
速度計とナビ画面を確認しつつペダルを踏み込んだ。砂に乗り上げ、ぐわん、と上下に車体が揺れ振動するハンドルを握り込む。
「前の車両が到着してから時間が経ちすぎた。怪しまれているだろう。無線も壊したしな」
テント群を肉眼で捕捉する。識別色の白が翻っているのが見える。砂上に浮かぶ真っ白な旗は帆船のようで非現実な光景だった。
「陣の内部でハンドルを右に切り、ブレーキをかけろ」
「はっ? そんなことしたら大佐吹っ飛びますよ」
「遠心力とは良いものだぞ」
なにを言っているんだ、と隣を見ると助手席の扉を開けてスタンバイしている雲母がいた。喉の奥で悲鳴が潰れて声が裏返った。
「な、何してるんですかっ!? 危ないですから、やめてください! って、ドア閉めろっ! 閉めてっ!」
「はははっ! いいぞ、軍曹。そのままつっこめ!」
銃を構え、外へ身を乗り出すようにしながら雲母が「突撃だ!」と言った。
「くそっどうなったって知りませんよ!」
消灯トラックが接近している。
その一報がもたらされ、異変を感じ始めた陣内に突入する。一秒にも満たない瞬間、通り過ぎた敵兵の驚いた顔がパッと記憶に焼き付く。勇気ある兵の一発の銃弾がフロントガラスを青に染めた。ワイパーを動かす必要はなかった。ハンドルを限界まで右に回し、ブレーキを踏み込む。
「マンガン、ありがとうな」
硝子の向こうは悲鳴や怒号やエンジン音や風音が混ざり合い灰色の混沌として酷いのに、凛としたその声だけは鮮やかに、届いた。
「御武運を」
聞こえていないかもしれない。
それでも構わなかった。
(行け)
放たれた一矢のように、突き刺され。
(進め)
一発の弾丸のように、貫いてしまえ。
(貴女はそれがお似合いだ)
暴風のように。陣を食い荒らせ。
物理法則に従い雲母の体はトラックと反対側へ弾き飛ばされる。
横転は免れたもののひどい目眩に襲われていたマンガンはエアバックに押しつぶされる危機の裏側で雲母の声を聞いた。
「さあ、来い! 撃ってこい! 数撃ちゃ中る下手な鉄砲を並べてみせろ! 私はここだ!」
それは、高らかに響く鐘のよう。
(あれだけ声上げていたら奇襲の意味なんて無いじゃないか……)
ちょっとだけ、笑えた。他にも何か言っているのかもしれないが、音が遠く離れていく。
(あたまでも、うったかな)
視界がひどく暗い。そのくせ頬のあたりが生温かい。
(次に目が覚めたら、状況終了している……だろうか)
ああ、でも。
(雲母大佐がいなくなっていたら)
それは、
「や、だなぁ…………」
一緒にいる上官を選べるのなら雲母がいい。
都合のいい未来を思い描きながら、マンガンの意識は深く落ちた。
夢はいつでも星色をしている。
夜露に足を濡らしながら通い慣れた山へ向かう。
取り戻せないあの日を繰り返すように。
天から、一滴の雫が落ちてくる。
「自分の選択に後悔などしたくはない。……いつもそう思っていたが」
それは光だった。自分を『選ばれし者』にした、美しい光。
「そう思い続けて良かったと思える日が来るとは、信じていなかったな……」
手の中にある光は夢の中でさえ色褪せることが無い。
どうしても嫌悪を感じることが出来ない光を握り、空を見上げた。
「前を見ている限り、貴様の人生は前途洋々だ」
声がして、彼女の姿を探した。
「雲母、大佐?」
最初からそこにいたように道の先に立っていた。
腰に手を当て、雲母はちょっとだけ顎を上げた。その仕草は、上に立つことに慣れた者の動きで高慢には見えなかった。
「行くぞ、軍曹。ついて来い」
「ど、どこへ? ここは私の夢なのに――」
「そんなこと知るか。行くぞ」
雲母が手を引いた。ぐいぐいと細腕に不相応の力でどこまでも引っ張っていきそうな勢いだった。
「行きます。歩きますよ。貴女が一緒ならどこへだって」
「そうか。ならば都合がいい」
帝国軍人ですから。あの時、言えた言葉はあっさり肯定されてしまったせいで言えなかった。
気付けば、手の中の光が無くなっていた。
落としたのかもしれない。
「た、大佐、待ってください」
まっすぐ前を見て歩いていく雲母の手はどうあっても止めることが出来ない。それどころか引きずるようにどんどん進んでいく。
これは止めるのは無理そうだ。
だが。
「振り返るなよ、マンガン。あそこには夢がない」
「大佐……?」
「過去には夢がない。捨て置け。行くぞ」
「自分たちは、どこへ向かっているんですか?」
「あれだ」
数多の冒険家が目指した星を、雲母もまた指していた。
「ははっ、名前くらい覚えてくださいよ。……星の名前ならいくらだって言えるんですから」
たまらず彼女の手を握り返した。
夢色の温度のない体ならどこまでも走っていける気がした。
「ほくしん、ポラリス、アルファ、ほっきょく、せい……」
ピントの合わないカメラレンズを通して見るような世界は不安定で夢心地だ。これはいい。もうしばらく寝ているとしよう。
声が割り込んだ。
「なんだ、起きたかと思ったが」
「眠りが浅くなると星の名を呟く癖があるようなのです。そろそろ起きる頃だと軍医殿は言っていましたが……」
「そうか。ふむ、どうするかな。」
「ふふ、大将ともあろうお方が、こんなところで時間を潰していてよろしいのですか」
「反省すべきは私を抜いた将官さ。――まあ、報告が上がってくるまでせいぜいだらだらするとしよう。椅子を借りるぞ」
「はっ。でありますか……」
凛とした声が、低く沈む。
この頃になると再び眠る気にはならず、雲母の姿を探していた。声からするに仕切りのカーテンを挟んだ隣だと思われたが、首を動かそうとするとナイフで刺されたような痛みがあって角度に気を使った。
のろのろと体を起こし、痛みを確認した。
「軍曹、そろそろ起きろよ。退屈なのだーっ」
「いま、おきましたが」
「わ、軍曹!」
会話が成立するとは思わなかったのだろう。カーテンをめくっていた雲母は紅い瞳を見開いて素っ頓狂な声を上げた。
驚いたのはマンガンも同じだ。
「どうしたんですか、その顔」
「これは……あー、まあ、その、なんだ、いろいろとなぁ」
雲母の頬には大きな不織布が貼られている。額に巻いた包帯が痛々しい。カーテンをめくった指先まできっちりテープが巻いてあるのを見れば怪我の程度は酷いと思われた。
「おっ。起きたな」
シャーッと鳴るカーテンを全開にしたのは大柄の軍人だった。残念なことに見覚えが無い。
「あの、あちらはどなたですか?」
「チタン大将殿だ」
「チタ……?」
雲母が声を潜めた。
「敵の大将だ」
その一言で思い出した。
「し、失礼しました!」
「はっはっは。ちなみに状況は本日〇三〇〇に終了したぞ。ご苦労だったな」
終わった。
戦争ごっこは終わっているらしい。ホッとするやら残念やらでどんな顔をすればいいか分からなかった。
「こちらが負けた、のでしょうね」
「そうだ。〇二五〇に最後の発起突撃があった」
「十分で制圧されたのですか」
分かりきった結果とはいえ、散々だ。内心では「うわぁ」としか言えなかった。
「なに、こちらはそちらより装備が良い」
嫌味だなと思えばいいのか、将官ジョークなのか判断に困り眼帯の位置を直しながら「そう、でありますか」と言った。
「自分はどうしてここに」
営内の医務室だ。いつの間に来たのだろう。
「トラック内で負傷しているのを発見して担ぎ込まれた。出血があったようだが、痛むか」
「首がすこし」
チタンはともかく雲母が申し訳なさそうな顔をするのが意外だった。名誉の負傷とか言いそうなのに。
「すまない、軍曹。私がハンドルを握るべきだった。お前に怪我をさせてしまうなど」
「あの場合は助手席の方が危ないでしょう。ほら、回転で……。まあ、お気になさらず」
「だが」
咳払いが雲母の言葉を遮った。
「大佐、つもる話も反省会もあるだろうが、すこし席を外してくれないか」
「了解であります」
雲母は敬礼すると、右足を引きずりながら病室を出ていった。
どうしてあんなに怪我をしているのだろう。
目を離せず彼女がいなくなるまで見ていたマンガンは、チタンが笑う声に気付いてその存在を思い出した。
「どうした、軍曹」
「大将殿は、雲母大佐がどうしてあんなに怪我をしているのか、ご存じですか?」
「ああ、聞いてやるなよ。自ら敗北を語るのは辛いことだろうからな」
ということは。
「雲母大佐は大将殿まで届かなかったのですか……」
さしもの雲母も本陣の人数相手では無理だったか。
急に喉の渇きを覚え、声が掠れた。
病床の隣にある冷蔵庫を開き、ペットボトルの水を出す。しかし開けられず難儀しているとチタンが開けてくれた。
「ありがとうございます」
「雲母はたしかに私のところまで来たぞ」
「ぐばッ」
ひとくち口に含んだところでベッドシーツにすべて吐き出してしまった。
なんだって?
「え? ほ、ほんとでありますか?」
「驚くようなことでもあるまい。銃剣技術に関しては軍でトップだぞ」
「いえ、しかし、本陣にあれだけの人数が詰めていたらいくら雲母大佐でも」
「まあ、私のところまで一人行軍を止められなかった点は我が軍の反省すべきところだな。今しているが」
向こうの会議室でな。ニッと笑ってチタンは病床へ椅子を寄せた。
「信じられない。あれだけの数をよくも。ということは、あの怪我は……」
「私と戦ったときのそれだな。雲母相手に手加減するのは難しくてなぁ。というかできなくてな」
「……雲母大佐が、負けた」
それは衝撃だった。常識の根幹が揺らいだ。
「おっと。彼女の名誉のために言っておくが雲母は私に命中弾を浴びせたぞ。それから、あれだけの怪我をしたのは降参しなかった為だ。徒手格闘の場合、戦闘不能の判定は?」
「意識があるかないか……でしたか」
「そういうことだ」
最後に物を言うのは拳なのか。
(いや、ちょっと待て。というか大将殿と殴り合いしたってことか)
傷物にしたら懲戒処分とか言っていたが、この様子ではその心配は無さそうだ。
「大佐殿の動きが自分は見えませんでしたが、大将殿は見えたのですか」
「死角に入るのが得意なだけだ。ちゃんと見ていれば分かる」
「そうですか……」
一生かかっても到達できない分野の話だと思えば気が遠くなった。
「それにあれの一撃というのは軽いのだ」
「そうですか……?」
体がばらばらになるかと思われる一撃を食らった身としては信じられない話だ。
「まあ亜人の軍曹にとってはそれでも必殺であることに変わりないが、我々は鉱物としての硬度に準じる節があるからな。特性の問題だ」
「そうでありますか……」
マンガンが途方に暮れる思いで水を置くと、なぜかニヤニヤしているチタンと目が合った。
「なあ軍曹、あれはいい女だな」
「はあ? 自分はよくわかりませんね……そういうことは」
「謙遜するなよ、軍曹。――実にいい女だ」
何を言い出すかと思えば軍にあちがちなメンズトークだった。――と思ったが。
「劇的な勝利を演出した、という点において最高だ」
息が止まりそうになった。水を飲んでいればまた吐いていたかもしれない。
「どういう意味ですか……?」
「陣に到着し、兵を押し退けて私のところへ。そして一対一の状況を作り出し、勝利をくれた。最高の勝利だ」
「大佐はわざと負けたということですか」
小さな声でマンガンは訊ねた。信じられない。雲母にそんな『器用』なことができるだろうか。
「そうだ。私に勝つつもりならば、あのやり手が銃弾を使い切るなどありえない。だが、奴はほとんど使い切って来た。戦い、そして競り合った末ギリギリのところで詰んだ――勝つのは簡単だが負けるのは難しい。見る者が見れば分かるからな。だが、誰にも疑わせることなくやってのけた。これは百万の花束に彩られた勝利だ」
「…………」
溜息が出なかった。
マンガンをはじめ誰もがこの演習を接待だと分かっている。――負ければいいんだろう、と捨て鉢な気持ちの兵も少なくないだろう。だが、負け方というものがある。一斉突撃の末に負けるか、塹壕に閉じこもって嬲り殺しにされるかでは同じ敗北でも意味合いは大きく違う。
雲母が「自分は優秀だ」と言うのは決して酔狂ではない。自分が優秀なことを自覚している軍人は自分の敗北が何を意味するか完全に分かっているのだ。
「おかげでたいそう評判がいい。戦争も終わることだ。……もう戦働きはできないご時世ならば、こういうところで点数稼ぎするしかあるまい」
満足そうに言うチタンは、部隊の誰よりもその意味を嚙みしめているのだろう。雲母から渡された栄光の帝国軍人のバトンは伊達ではない。『前線を駆ける帝国トップの猛者を一騎打ちで負かした』――噂になるだろう。軍隊伝説として語られるかもしれない。彼はその意味を最大に活用することが出来る唯一の人だった。
「やりますね、大佐……」
碌でもない演習だった『戦争ごっこ』をたったひとりで最高の接待演習に変えてしまった。
ようやく深く息を吐いたマンガンは果たしてどこまで計算だったのか考える。
「駆け引きに関しては特別な才があるかもしれん。――なあ、いい女だろう?」
「……それはわかりかねますが」
「意固地な男だな、貴様。そこは嘘でも『そうだ』というものだ」
「自分は命令に従ったまでですから」
せめて自分にできることといえば「命令に従った」の一点張りしかない。雲母の命令だった、と言えばそれは彼女の手柄になる。
「まあ、あまり知ったような口をきく輩は信用ならんからな。そういえば大佐は『賢い男は嫌い』らしいからな」
「……へぇ。で、ありますか」
初めて聞いたようにマンガンは頷いた。
しかし。
(これは――)
その言葉をマンガンは雲母の口から――記憶が正しければ――二回聞いた。一度は森の中で。二度目はトラックの車内で。
雲母が話したのだろうか。いや男の趣味でも聞かれない限り答える言葉ではない。――では、なぜこの言葉を知っている?
まったくありがたくないことに、チタンが疑問を解消してくれた。
「そういえば軍曹、トラックにドライブレコーダーという便利な物が載っているのを知っているか」
「…………は?」
忘れていた。
そうだ、本来はあるべきものだ。うちの部隊では金目のものが横流しされて以来基本的に付属していないだけで本来であれば正規備品として付いているものなのだ。
「トラックでの出来事は……あー、そういえば私の手の中にある気がするなぁ」
「はっ……!」
ということは、だ。
雲母に銃を向けて尋問したり、脅したり、ハンドル殴ったり、騒いだり、気絶したりなんてことも全て記録しているというわけで。
「ペイント弾とはいえ『上官』に『銃を向けた』事実は、果たしてどんな罪に問われるか……」
「いえ、あれは、その、それは」
言い訳なんて無理だ。証拠が押さえられているのだから無理だ。
頭では分かるが、感情が追いついてこない。
「軍曹、気分は戦後だろうが現在まだ戦中である」
「はっ」
「軍事法廷は24時間営業だぞ」
「…………」
チタンが「いい軍人を亡くした……たぶん」と言っているのが遠くで聞こえた。
終わった。
いろいろ終わった。
人生終了のご挨拶パートに突入したかもしれない。
だが。
「大将殿、この度の諸々は、自分が雲母大佐を脅迫および教唆した事態です。大佐には一切の責はございません」
「ん?」
「そ、そもそも発端は、自分が本隊へ戻りたくないがために大佐を巻き込んだことに由来しまして、トラック奪取の作戦も自分が立案したものであります」
「ほう……」
「全ての責めを負うのは自分です。録音録画された内容は過程の一部に過ぎませんことをご了承いただきたく存じます」
マンガンは頭を下げた。相変わらず体は痛いし貧血も起こしているが、言うべきことをいいやるべきことをやった。
雲母にまで罪が及ぶのだけは避けねばならなかった。
「んぷっくくくっふぅ、っくははっはっ!」
「は……?」
「ふははっ! わ、笑わせるなよ、くっふはははっ!」
顔を上げれば、チタンが涙を拭いながら大爆笑していた。ヒーヒー言いながら地団駄を踏んでいる状況を、脳がその理解を拒絶した。事情が飲み込めず「あの」と声をかけるのも憚られた。
「冗談に決まっているだろうが。ふはははっ、笑わせてもらったぞ、軍曹。私に不利益を及ぼさない限り罪に問うなどしない。このデータも返そう。機密保持のためコピーはしていない、だから、ふはっ、安心しろ。できないだろうが。ふははははっ!」
「そこまで笑うことないじゃないですか……自分、ほんきですよ……」
まだ「嘘だぞ」と言われることを警戒してマンガンは表情が動かせなかった。
「いやぁすまんすまん。貴様が真面目な奴だというのは分かっていたから、どんな反応するのかとつい試したくなって……悪い悪い」
突然体の力が抜けてぽすんとベッドに沈んだ。
「何なんですか、もう……自分を笑いに来たのですか」
「いや、ははっ、わりと真面目な話をしに来たのだ。――雲母のことでな」
もう一度上体を起こすと、カラカラになってしまった喉を潤す。
本当に真面目な雰囲気になったチタンは、しかし頬杖を突いた。
「あれは――もしかしたらもう本人の口から聞いたかもしれんが、前線で長い間戦っていた兵だ」
「それは、ええ……聞いています」
「どうやらピンときていないようだが、まあ、要するにだな、兵にはすごく人気があるのだ」
「ファンクラブのような?」
「ここ数年でそのレベルを超えたな。臣民にはあまり知られていないが、兵士、特に前線近くの者にとっては戦いの象徴なのだ」
「……象徴」
一日二日一緒にいただけだが、分からないでもない。
あんなひとが前線の、それも最前線に立って戦っているのならば自分も続こうという気分になる。雲母には腕っ節の強さとは別に筆舌に尽くしがたい兵としての格があった。
「戦争がもうすぐ終わることも知っているな? そこで問題が発生した。彼女の戦後の扱いをどうするかということだ」
「本人の希望は、次の戦争が始まればすぐに前線に行けるところ――ですが」
チタンは、話にもならないと軽く手を振った。
「あれは自分を『優秀な軍人』であるという自覚しか持っていない。それはそれで正しいのだが。今では象徴だ。迂闊に動かせばどうなるか」
「ま、まさか、クーデターなんてことにはなりませんよね」
「それは政権交代とそう代わらん。むしろ実行すべきだな――おっと、軍曹。口外したら逆さ吊りだぞ」
さりげなく恐ろしいことを言われて身が竦んだ。
「軍内部で分裂が起こる、その引き金になりかねん。戦争が終わるのを面白いと思わない連中はいるのだ。終戦間際にそんなことになってみろ、群雄割拠など冗談ではない」
「うわぁ……最悪ですね」
「戦争が終わることはまだ秘密だ。あと数ヶ月は秘匿され続ける。目指すは電撃講話でな。……だが、その秘密が漏れた後、今でさえ燻っている戦争継続派に目を付けられ担ぎ出される事態は避けねばならない」
「それでここに左遷されたんですか……」
思ったより闇が深かった。これを話されるということは自分の明日も危ないかもしれない。
「そうだ。名目上の謹慎でな。今後は書類上員数外として雲母はここに在籍することになる」
「あの……それは、戦争が終わってからではダメだったのですか? 終わるまで前線に立ちたかったと言っていました」
「それは無理だ。軍部はな、あれを戦意高揚の旗印にしたいのだ。次の戦争のために。終戦のイメージを付きまとわせ『前回の戦争の功労者』とさせるわけにはいかない。だから戦局が激変、または終結する前に飛ばした」
「…………」
「ちなみに私のアイディアだ。なかなかだろう?」
「えぇぇ……」
もうなんと言っていいのか分からなくなった。雲母は左遷を命令した本人に対し接待をすることになったのか。きっと彼女は知らないだろうけど、また教えようとは思わないが……なんということだろう。やはり点数稼ぎなんて望めなかったのではないか。
無常観に似た心境が欲しい。
「前線から離れて精神が不安定だったようだが、貴様の説教が効いたようだし状態も落ち着くだろう。これからも頼むぞ」
「自分は一介の軍曹に過ぎません……期待されても困ります」
偶然一緒になっただけで基本的には命令系統の下部に位置するマンガンと上部の雲母の接点は廊下ですれ違うかどうかしかない。
チタンが何を期待しているかはさておくとして交流自体が土台無理な話だ。
「ふはははっ、喜べ軍曹、あれは員数外だぞ」
「は、はあ?」
「基本命令系統に属していないのだ。どこにでも顔を出すぞ」
「…………」
これは訓練が強化されるフラグが立った気がする。
頭の中が真っ白になってしまいマンガンは言葉を完全に失った。だが、反面で嬉しいと思う自分がどこかにいた。見つけ出したら殺してやると自分に誓うことにする。
「まあ、そういうことだ。――では、最後にマンガン軍曹」
「なんでしょうか…………え?」
投げられたのはトラックで世話になったキーボックスだった。
「今回の作戦概要は雲母から聞いて把握しているが、トラックの鍵だけは確証が得られない。証言者が『軍曹が開けましたよ』だけで何をしたかは知らないようだし。どうせ暇だろう、開けて見せろ」
「はぁ……見せ物ではないのですがね」
「ここに記録媒体がある」
黒いUSBスティックをちらつかされるとやる気スイッチが入った。
「三分で開けましょう」
ダイヤルが高速開始を始めた。
「ほぉ。すごいな。何をしているのだ」
「ありふれた能力です。直接物にふれず物を動かすという。それで想定しうる限りの数字を入れているんです」
「なるほどなぁ……」
嫌な予感がした。雲母曰く予感の的中率は高いらしいので危機感を覚えた。
案の定。
「――貴様も使えるな」
チタンに目を付けられた。
「いえいえいえいえ、自分は命令を効くしか能の無い男で――」
「兵隊に求める技量そのものだな。よし。お前のことを覚えておこう。色彩検定より役に立つ能力を身につけさせてやるぞ」
笑顔で言っているが、これはアレだ。特殊兵とかいってスパイ活動に従事させられてしまうアレだ。おめでとう普通兵科から諜報兵に進化したぞ。とっ捕まったら酷い拷問されるわけですね分かります。
ざあ、と耳の奥で音がした。手足に向かって血が引くのがわかる。
「――というのは冗談だが、実際のところ雲母の補佐をするならいろいろできるに越したことはない。勉強の機会だと思って頑張れ」
あ、ちょっといい人かもしれないなんて思った自分を殴りたい。
「了解、であります」
「こんな辺境に出向いてきた甲斐があった。体は資本だ。大事にしろよ」
ガキン、という音と共にキーボックスが解錠されるとチタンはいい笑顔で頷き、媒体を机に置いた。
「ではな、軍曹。また会おう。――さて、温泉でも行くかぁ」
チタン大将。
後に元帥となり版図拡大を国是とした軍事政権の強権を揮う人物は、思いのほかあっさり行ってしまった。
「聞いたか? 私が負けたと」
「『譲った』のでしょう? 百万の花弁に包んで」
雲母は外にいた。
缶コーヒーを二本持って座っている。病衣を着ていなければ普段と変わらないように見えた。物差しでも入っているのかと疑うほどピンと伸びた背筋で髪の色で判断せずともすぐに彼女だと分かった。
マンガンは隣に座った。本来ならば無礼なのだが、立っているだけであちこちが痛いのだ。
「自分が来るのを待っていたんですか」
「そういうわけではないんだが……」
金を入れてボタンを押したら数字が点滅して二本出てきた。
「……慣れないことばかりだ。私の時代、そんな自販機は無かった」
「まあ、そのうち慣れますよ」
「そうか……そうだな」
「これだけ聞きたいと思って来ました」
「なんだ」
「最初から負ける気だったのですか?」
だからといって雲母と行動を共にしたことを後悔するわけではないが、純粋にただ気になってしまったのだ。
「勝てるなら勝つ気だった。だから銃弾も一発残していた。それで仕留めるつもりで」
「それならどうして……」
勝てなかったのか。
雲母は自嘲するように唇を歪めた。
「私が大将殿を甘く見ていたのだ。お前のような叩き上げが大卒の新品少尉を軽んじるように。私もまた長らく戦場を離れている大将殿を見くびっていた」
「驚いた。貴女でも油断するのですね」
「でなくばお前に背後を取られたりはしない。全ては私の浅慮だ。……とんだ負け戦に噛ませてしまったな」
あと、賞状も無い。
後世、今回の出来事はトラック強襲事件として語られる武勇伝になるのだが真似する者が出れば一大事なので評価されないことになるらしい。
結果だけを見れば、無駄だった。そういうことになるかもしれない。
だが、清々しい思いだった。悔しいとも思えなかった。
「……貴女と違い、負けるのには慣れています。そもそも戦ったことがないですから。不戦の敗残兵とはきっと私のような者のことを言うのでしょう」
遠く、戦場になった砂丘が遠くで細かな黄色の渦を巻いているのが見えた。森はそれを取り囲むように広がり、砂の侵入を防いでいる。今日もあそこは冠雪が降りかかっているのかもしれなかった。
「昨日……あそこにいて戦争ごっこしていたなんて、夢のようですね」
「そうだな。――昨日までは同意したかもしれないが、もう頷かないぞ。私はここにいるのだからな」
「そうですね」
「夢のようだと思うのなら、娑婆っ気が抜けていないということだ。ほら、飲めよ。苦いだろう」
「苦いですね。なんで無糖なんですか。自分は微糖派なんですよ」
「現実とは苦い物なのだ」
彼女は傷だらけの顔で可笑しそうにクスクスと笑った。やはりちょっとだけ皮肉っぽい顔をして。
ただ、その顔を見ればマンガンの杞憂は霧散した。
「自分、往生際が悪い質のようです」
「そうかい」
それでもいいかもしれない。
雲母があんまりにサッパリして味のある無色透明な人だから、自分はドロドロの無意味な原色の塊のような存在でいることも大切なことに思えた。
「つまり世の中、役割分担ってのが大事なんでしょう」
「それには同感だ。うん」
訳の分からない会話に違いないのに雲母は頷いてくれた。
雲母のそういうところに、マンガンはどうしようもなく弱いのだ。
それから。
マンガンは退院し、雲母も退院したようだった。ようだった、というのはその光景を見ていないからだ。ある日見舞いに来たら軍医に言われた。その後は恐らく幹部専用の宿舎に住んでいるのだろうと思われたが、それにしても見かけない。
夕方は自由時間が設けられている。その時間を使いなんだかんだと理由をつけて敷地内を歩き回ることにしたが、どうあっても長い赤髪の鋭い目の女軍人は見つけられなかった。もしかしたらもうここにはいないのかもしれない、そう思うことが何度もあり、人知れず失望することが何度もあった。
相変わらず軍曹の日常は絶望的にくだらない。
豚のような上官は帝国軍人の風上に置けないクズだし、部下は愛想が悪く敬礼もしない。古式ゆかしい伝統により部下は教育と称し殴っても良いことになっているが、マンガンは基本的に無駄な労力を払いたくないため放置していた。そのせいで舐め腐っているのだがそれでもこれでもかという状態まで放任している。だが有事の際はどさくさに紛れて殺そうと決めていた。根暗には根暗の陰湿さがあり、表に出ないだけそれは根深く恐ろしいのだと死の間際に教育するだけで手間は一度で済み、二度と教育の必要が無いのである。そのことに気付いたある時、これは世界史に残る天才的発見だと気付いた。狂気的な思考はこの日も絶好調だった。
そして三週間後。
時刻〇〇〇一。消灯を過ぎて三時間が経った頃、兵営に響き渡った緊急事態を知らせる起床ラッパの音を聞いた。マンガンは寝床で他の誰よりも明確にその理由が分かった。
(戦争が、終わった……)
嗚呼。
もうこれ以上の血が流れることもなく嬉しいはずなのに、軍人という生き物はどうしようもなく空しい気持ちになるのだ。
やがて兵営内の広場に集合した各員に向かい、告げられたのはやはり「戦争終了」のことだった。
勝ち負けは大した問題では無かった。どこと戦っていたかも些事だ。
雲母のことが気がかりで全てのことが右から左へ流れて消えた。どうせ明日の新聞に同じことが載る。そう思えば話もとりとめのない出来事に思えて直立のまま彼女の姿を探した。
結局、見つからなかった。
「あの、軍曹殿。どうしたんですか、最近……というか、演習から戻ってきてから元気ありませんけど」
「……なんでもない」
この日、初めてマンガンは自由時間に敷地内を歩き回るのをやめようと思っていた。
雲母が見つからない。そのことにショックを受けている自分がいることが、そもそもショックだった。自分が彼女に魅了されていたことの証明のようで自尊心とか諸々が崩壊の危機にあった。
話しかけているのは弱視が原因でここにいる新参兵だ。
新参と行ってももう何年も一緒にいる部下で、マンガンの部下のうちこいつだけは生かしておいてやろうと思っている唯一まともな部下だった。彼は軍に入ってから急激に目が悪くなったらしい。最初からこの最果ての部隊にいたわけではなく、また根が真面目で自分と同じく目にハンディがあった。特に目のことはお互いシンパシーを感じているため、二人の時は何かと話をした。そういえば、こうして話すのも三週間ぶりだ。
分厚い眼鏡の奥、小さな目が心配そうにこっちを見ていた。今は本日最後の訓練である徒手格闘術の訓練が始まる前のわずかな時間だ。自由時間に自分が消えるため、この時間に話しかけてくれたのだろう。
「誰か探しているんじゃないかって噂になってましたよ」
「勝手に言わせておけ。噂話だけすぐ広まる……」
戦争も終わり緊張状態も無くなり――もっともマンガンから言わせてもらえばここにはいつも緊張感が無いが――とにかく暇なのだ。するとくだらない噂話だけが盛り上がる。
「でも、何かありましたら……自分もお手伝いしますので。頼ってくださいね」
「余計な世話だ。本でも読んでろ」
親切心から言っていることなのだろうが、無性にイライラした。雲母に関しては誰の手も借りたくない、自分と彼女の間の問題だった。――問題なんて無いが、他に言葉も見つからない。
だが、たとえ雲母を見つけたとして果たして自分は何を言うのか。戦争が終わりましたね、くらいしか言うことなんかないんじゃないかなんて考えたりした。
「おい、マンガン」
「なんですか」
豚が人の衣服を着て言葉を喋るとは驚きだ。へらへら笑いながら遅れてやってきた上官にマンガンの怒りゲージはマックスを記録した。自分の感情がゲージ形式だったことも驚きだった。もはや現実逃避である。
投げられてきたのは頭を保護する面だ。
「付けろよ、どうせ訓練官は煙草吸ってるだろうし勝手にはじめようぜ」
「了解です」
豚のような上官がなぜマンガンに目を付けるか。その理由は簡単だった。マンガンは目がひとつしかないので自然と視線を集めやすいのである。
隣で眼鏡の部下が「えっ」と二人の顔を交互に見つめた。普段ならば避ける勝負だ。そう、普段ならば。
今日に限って勝負を受けたのには理由がある。
「上官殿、はじめる前にひとつよろしいでしょうか」
「なんだ?」
面を被り、身構えた豚を最高に気味の悪い予感が襲った。
「自分は上官殿のことをいつか殺そうと思っていましたが、気が変わったので今日殺します」
淡々と告げられた自らの殺害予告に豚は口を開けた。面を捨て、マンガンは身構えた。
雲母がいなくなってから考えたことがある。そのひとつが技術の研磨と経験の地層の両点を除き、自分が雲母に劣っていることは殺意だということだった。
抜き身のナイフ、いや重心に偏った刃が足りない。
――というわけで、本気で殺すつもりの相手を対象に頑張ってみたいと思っていたのだ。イライラしているし、ちょうどいい。
「お前、何を言っているんだ」
よし、殺すぞ。
そう決意する軍人も少ないだろう。しかし、確実な一歩を踏み出したところで訓練場の扉が勢いよく開いた。
「遅参は貴様らの休憩時間を減らすことで調整する! さあ、点呼だ!」
背中からかけられた声は恐らく一生忘れられないだろう。暴論を淀みなく振りかざした半長靴の音が近付いてくる。
「何をしているんだ貴様ら。ああ、乱取りをはじめていたのか。実に結構。――おい、片方準備ができていないのに殴りかかるとはどういう了見だ」
賞賛が一転して詰問になった。
「はっ! いえ、こいつが殺すとかなんとかいうもので正当防衛です!」
「貴様は馬鹿か。徒手格闘術は相手を殺すためのものだ。それは問題ではない。それよりも貴様が準備の出来ていない者に今にでも飛びかかろうとしている現状の方が問題である。おい、マンガン軍曹、どけ」
さっと赤い髪が隣で流れた。ふわりと鼻先をかすめた香りは、紛れもない――
「き、雲母大佐……」
ここで、なにやっているんですか。――完全に聞き損ねた。
「持っていろ」
帽子を投げ渡されて指先でキャッチする。
指でクルクルとナイフを回し、雲母は身構えた。
「さあ、来るがいい!」
訓練場が静まりかえった。しかし、周りの兵の目は「ナイフ?」「え?」「ナイフ??」「ええ??」と雄弁に異変を語っていた。
「おっと、違ったな。持ってろ、軍曹」
後ろ手に放られたナイフを挟み取ることができたのは雲母のペースを読んでいたからに他ならない。相手に恐怖を与えることに関して彼女はその効果をよく分かっている。
「さあ、改めて。――来い!」
そうは言うが、その瞬間すでに雲母の膝頭が豚の顔面にめり込んでいた。「来い!」ではなく「行くぞ!」か「行ったぞ!」が状況に相応しいと誰もが思った。
「どうした遅いぞ!」
体勢を崩し、後退すべく脚が浮いたところを無情に刈られ、倒れ込もうとしたところに必殺の踵落としが炸裂した。
「他愛ないな。残念だ。やる気のある兵だと思ったのだがな……」
慣れた動作で帽子を受け取るといつもの角度にかぶった雲母は全員を見渡した。
「今日から技術全般を指導をする雲母大佐だ。好きなものは優秀な奴。嫌いなものは怠惰で役立たずな奴だ。これから鈍りきった貴様らを次の戦争で使い潰すために鍛える。教育はしない。技術は盗め。怠惰は殺す。分かったか!?」
「はい!」
返事をしたのはマンガンと数人、反射神経で叫んだ古参兵だけだった。
「声が小さい。二割しか理解できていないな。分かったか!?」
「はい!」
「よろしい」
全員の声がそろったところで雲母は振り返って、マンガンと対峙した。
「久しぶりだな、軍曹」
「はっ。見かけないものですからてっきりどこぞに戻られたかと思っていました」
「馬鹿め。上の命令だ。しばらくはここにいるさ」
ホッとして頬を緩ませたマンガンは三週間ぶりに生きていて良かったと感じていた。それも短い間だった。雲母大佐の次の言葉を聞くまでは。
「――で、軍曹、反省文は?」
「はっ? 反、省、文……で、ありますか?」
「前回の作戦の反省会をまだしていないだろう」
ナイフを手渡しながら、その一言で思い出した。そうだ。反省会をするとかなんとか言っていた。冗談だと思っていたが本気だったのか。そしてそれには反省文が必須だったのか。
知らなかった――は通用しない。
ダラダラと汗が流れた。これはマズい。マズすぎる。どれくらいマズいかというと、もうアレだ。アレ。アレがコレでドウだ。
思考中の語彙力が極端に低下したマンガンに追い打ちをかけているつもりは一切無く、雲母は小首を傾げた。
「だから反省文は書いただろうな? 資料の無い会議はただのダンスパーティーだぞ」
「は、は、は、……………………まだ……です」
「分かった」
何が分かったというのか。口頭開示で許してくれるのだろうか。
仄かな希望に胸を高鳴らせたが、それはただの動悸だったことを知る。
雲母はこれ以上無く嬉しそうに笑っていた。
「ふふふ、嬉しいぞ。マンガン。なあ、そうだろう?」
「え……はい?」
聞いたことのない、甘い声と共に頭をぽんぽん撫でられて思考回路が動揺の後にとうとう過熱ショートした。
「私は、お前が可愛がりのある部下であることが嬉しいのだぞ。なあ、お前も勿論そうだよな?」
「はっ――」
頭を撫でていた手がグッと肩を掴んだ瞬間、全てを察した。
「さあ、歯を食いしばれ!」
嗚呼、今日も星が綺麗だ。
ここの軍人は酒を飲むために外出するのが慣例になっている。駐屯地内にも売店の通りに酒場があるが、基本的に外からやってきた他部隊の接待に使われる。また高価な酒しかおいていないため全体数の大半を占める薄給の兵卒が立ち入ることは滅多にない。でも、それなりの給金をもらう立場の人物が日常的にやってくる場所とも限らなかった。
基地の構造上、兵士は基本的に監禁されているのと変わりない。そんな現状、機会があれば柵を越えたいと願うのは自然の心情だった。給料日当日の今日は上の者がごっそり柵の外へ繰り出し、外出許可の下りなかった兵卒は無聊を慰めるのに同僚と噂話に花を咲かせる。
駐屯地内の酒場は貸し切り状態だった。ちょどいい。大佐と軍曹では階級差が大きく、あらぬ疑いをかけられないとも限らなかった。――雲母がいる時点で疑う勇気のある者がいるとは思えなかったが。
「痛っ、舌を噛みましたよ」
アルコール度数の高い酒を飲むと切り傷は熱さを感じた。
消毒していると思え、という言葉がありがたく頭の中を反復運動している。
「当然だな。だいたい反省会をすると言っておいただろうが」
「本気だと思わなかったんです。……酒奢るって言ったじゃないですか。男の部下を誘う文句としてはありふれているし、リップサービスだと思いますよ、ふつう」
「――ならどうすればよかったって?」
じっとりした目で見つめられる前にマンガンはメニュー表に目を落とした。酒を飲み慣れない雲母はマンガンが薦めたカシスとオレンジのカクテルを飲んでいた。
「それは……」
「まあいい。ちゃんと書いてきたんだろう?」
「殴られたら書きますよ、そりゃ」
ずっと小脇に抱えていた書類の束を雲母に押しつけて、ほんのすこし鉄さびのする酒を呷る。
「上々……やはりお前は優秀な男だな」
「しかし、分からないこともあります。たとえば、前頁のそこです。そこ。どうして樹上にいたんです」
「考察をきちんと書いているところも非常に好評である。――狙撃の場所取り、ね」
「五十点ですか」
「もうすこしくれてやる。五十五点だ」
「五点しか増えてませんよ」
「残りの四十五点を教えてやろう。前線が動くのを目で確認したかったのだ。一人だからな。斥候もこなさねばならん」
「ああ、なるほど……」
空きっ腹に熱い塊が落ちていくような感覚はいつでも最高だ。彼女がとなりでぺらぺらと反省文をめくっている間に二度杯を空にした。
「美味いですなぁ……」
「軍曹、ペース早いぞ。なんだ、酒が好きなのか?」
「男の楽しみは酒と煙草と女といいますから。ええ、女は苦手で煙草は吸いませんがね。その分、酒は好きですよ」
「ふぅん、そんなものか。私は付き合い以外では飲まないが……おい、女が苦手って何だ?」
「大佐殿、自分は選ばれし者を自称しているんですよ? ナルシストに決まってるじゃないですか。あと、星を見る男っていうのは嫌われるんですよ。女性よりロマンチストですからね」
「ああ、なるほどな。すごいなお前」
真に受けて頷くので、マンガンは思わず笑ってしまった。
「半分自棄ですよ。……ああ、でも大佐のことは嫌いではありません。清々しい思いがしますからね。好きですよ」
「それは私を評価しているという意味か」
「もちろんです。最高点ですよ」
「ふふふ、当然だな。私は優秀なのだ。とはいえ、マンガン軍曹、私もお前のことは嫌いではないぞ」
「賢い男は嫌いだと以前おっしゃいましたが?」
「いや、お前は賢いように見えて抜けている節があるからな、気が置けないので好きだぞ。だいたいな、本当に賢い男は私を手元に置いておこうとする。戦力の温存だとか身辺の警護だとか名目を付けてな」
茶化すように言えば意外にまっとうな言葉が返ってきた。
(チタン大将殿……危いな)
あの男は賢い部類だが、黙っておこうと決めた。まだ命は惜しい。
「私は戦いたいのだ。もうすこし賢い男なら戦わせてくれる。あるいは、もうすこし愚かな男ならば私を惜しみはしない」
「では、貴女に死んで欲しくないと願う男は賢いのでしょうか、愚かなのでしょうか」
「どちらでもない。大切にしてくれるのであれば誰であれ私は嬉しいぞ」
淀まずに、はっきりした言葉が戻ってきて安心した。
好き。嫌い。二人ともお互いがその本質を理解していないことを早いうちに察した。だが、それは語り合うことであって学び合うことではなかった。だから不幸では無かった。
この距離感が二人は気に入ったのだ。
「そうですか。それは良かった。貴女にはもうすこし長生きしてもらわなければなりませんからね」
「ほう、なんだ。生意気な口をきくではないか」
「貴女の命令なら何でもやりますよ。そしたら、時々いい酒を飲ませてもらわなければなりません。……このように」
軽薄にグラスの中の氷を揺らし、マンガンは眩しいものを見つめた時のように目を細めた。
「ああ、美味しい。当分は真面目に働こうという気になりますね、ええ」
彼女にとっても反省会よりも飲み食いの方がメインに違いない。雲母なら施設の会議室を貸し切ることができるのにそれをしなかったことが証明のようだった。
ちびちびとグラスを舐めていた雲母は胡乱な目で一瞥するとつまみを注文した。
「ふん。有事の際に下級酒で満足できなくなっても知らんぞ」
「いい酒というのは何も高級品というわけではありません」
「……ほう。先達に教えを請いたいものだな」
「隣に悪くない異性がいればそれだけで酒は美味いのです」
「……ふぅん、お前は酒を飲むと饒舌になるクチだな。口説き文句が聞こえるのだが」
「選ばれし者をこじらせるとこうなるんですよ、きらりん」
「殴るぞ、この野郎」
書類をめくっているので油断していると脛にキツイのを食らった。
「痛ぁっ……あぁ、もう、大佐といると生傷が絶えませんよ……」
「くだらんこと言うからだ。そういえば、ナイフ、どうした?」
「あー……あ、あれですか……。もし、よければ記念品として頂けませんか」
「構わないが、あんなものでいいのか? もっといいのもあるんだが」
「あれがいいんです」
言えない。
退院した後、件のナイフがチタンから直通の郵便物が送られてきた。『モチベが上がるようにしておいたぞ』という手紙と共に。ナイフの柄には『きらりん♪』と書かれていた。着信音のようになってしまったそれを雲母に返すのは憚れた。第一、自分がやったと思われるのが嫌だ。
「ありがとうございます。大切にします」
やってきたミックスナッツをふたりで抓むと、ずっと聞きたかった疑問が口をついた。
「大佐、退院してから三週間どこにいたんですか」
「謹慎中の身だったのだ。ずっと宿舎にいたぞ」
「……ずっと?」
「ずっとだ。一歩も出ていないぞ」
「……………………」
どうりで見つからないわけだ。マンガンが入れない場所にいたのだから。
これまでのすべてが徒労だったことに気付けば体が泥のように重くなった。
「なんだ軍曹、私を探していたのか?」
「……戦争が終わったと聞いて、貴女が心配だったんですよ」
それだけしか言えず、俯いて口を噤んだ。
本当は何を話そうか悩んでいた。頭の中ではもっと有意義なことを話そうと思っていたかもしれなかったが、実際に会ってしまえばそんなもの忘れてしまった。
「ああ……心配させてすまなかったな。だが私は大丈夫だぞ。当分はここで頑張ると決めたし上もそれを望んでいるだろう。私は、私の役目を果たすさ」
雲母は変わらない。
軍人としての姿勢は、戦前から戦中から戦後まで、変わらない。
だが、今は平和で、オフだ。
「戦争が終わって、何かやりたいことは見つかりましたか?」
「うん? だから教官を――」
「『やるべきこと』ではなく『やりたいこと』ですよ」
「やりたいこと……そうだな、うーん……?」
「私は見つけましたよ」
アーモンドが砕ける音が挑戦的に響いた。
一方で、雲母がカシューナッツを指先で弄んだ。
「……そうだ、戦没者に祈りを捧げたいなぁ。礎になった者たちへ」
「いい目標だと思いますよ。貴女と一緒なら外出許可も早いうちに降りるでしょうし」
「なんだ、軍曹も来るのか」
「車だろうが飛行機だろうが動かして見せますよ。アシが必要でしょう」
「そうだが、私だって運転できるのだぞ。装甲車とか」
「特殊車両で街歩くつもりですか」
「わ、忘れてくれ……うぅ、軍曹の言ったとおりだ。娑婆に出たら苦労するかもしれない」
「ですな」
「軍曹の目標は?」
「これです」
ポケットから取り出したのは箱だった。液晶パネルが六面に貼られているのを除けばルービックキューブに見えたかもしれない。
「電子錠か」
「これは軍の機密情報管理を司る部門で使われているものと同型の物です。一定時間経過するごとにパスが変わるようになっています」
「ほう……で、開けられるのか?」
雲母の目が興味で細められた。
「五分五分ですな。波長が合う時と合わない時がありまして、なんとも」
「鍵箱を開けるのとは全然違うだろう、開けられるのなら大した物だ」
「感覚としてはラジオのチューニングですな。動かしているのが目に見える大きさのものかそうでないかの違いです。やってみたら意外とできましたね」
自分でも意外な才能を見つけたと感心したが、この鍵を送ってきたのはナイフの送り主でもあるチタンだ。その一点のためマンガンは手放しには喜んでいなかった。
「……どうしてお前のような人材がここで食っちゃ寝しているのか私は理解できない。機密文書見放題ではないか。あとで推薦書書いてやる。喜べ」
「やめてくださいよ。ここで訓練のための訓練をして、横流し犯を捕まえ、ネズミを殺して土嚢を担ぐことが仕事なんです。諜報員で動員されて拷問死とか嫌です」
「そうか? やりがいあると思うけどなぁ……つくづく惜しい男め」
悲しむように雲母が頭を振った。熱っぽい溜息を吐いた横顔は微かに紅潮していて、いつになく艶っぽい。指が空になった皿の縁をなぞる様は不覚にも狼狽えてしまった。
「あの、大佐殿、もしかして酔ってます?」
「私がこれくらいで酔うわけないだろう。これジュースだぞ、ジュース」
「そうですよね、はは。愚問でした」
チーズが食べたい。その要望に応えて注文すると雲母はグラスを持ってこちらへ傾けた。
「乾杯するぞ、マンガン」
「もうお互い飲んでいるじゃないですか」
「いいから。上官命令だぞ」
「はいはい。……何に乾杯しますか?」
「第一回反省会記念だ」
穏やかに微笑みかければ――笑みが凍った。
「え。ちょっと待ってください。この反省会ってずっとするんですか」
「毎週同じ時間に行うぞ。反省文を忘れるなよ」
「えっ。……え? 自分、毎週それと同じ量を書くんですか?」
それを書くだけでもそれなりの時間を費やしたというのに。だが、口が裂けても言えなかった。雲母はもしや自分を小説家にしようとしているのではないだろうかと疑った。
ふふふ、と息を吐くように笑う雲母は、そっとマンガンの耳元で囁いた。
「私の趣味はカタログ集めと、過去の作戦の分析なのだ。教えただろう?」
ゾクッとする痺れとグラス同士が触れ合う涼やかな音が二人の間を通り過ぎた。
「そう……でしたね」
「酒、美味しいだろう?」
「…………そう、ですが」
「可愛い部下に、もっと飲ませてやらなければなぁ……」
「いえ、そんな、無理、しなくとも、ええ、はい」
結構ですよ。そんな言葉は消し飛んでいた。
「お前は私を退屈させるようなつまらない男ではないだろう?」
「で、ありたいと……思っていますが」
お互いがもうすこし隣へ首を傾げれば鼻先がくっつく距離で雲母は言う。場所が場所で、状況が状況であればそれなりに嬉しい言葉は何食わぬ顔で地獄へ背中を押した。
「――役に立ってもらうぞ、マンガン」
するりと蛇のようなしなやかさで繊手が顎を、頬を撫でた。
「私はお前を評価しているのだ」
失望させてくれるなよ?
言外の圧力が聞こえて、マンガンは何度も頷いた。
「よし。では、これから反省会をするぞ」
「……煮るなり焼くなり好きにしてくださいよ、もう……」
雰囲気に呑まれてしまうとはきっとこのことだ。ほんの一瞬、思考が飛んだ。紅い瞳が綺麗だと思ったらもうダメだった。甘いカシスの香りを纏わせたいつもより低い声が耳朶に心地よく、指の感触が柔らかくて――こじらせすぎだろう、自分。もうやだ。いっそ殺せ。
地獄への一歩を確実に踏み込んでしまった後悔に頭を抱える一方で、赤ペンを振るう雲母は、楽しそうだ。
「やはりな、何事も一人より二人の方が良いのだ」
「そうですね……」
死にそうな声でマンガンは言った。
しかし。
「戦争は終わったんだ。……生きよう。賢く生きよう。お互いな」
ハッとして顔を上げると、雲母が自分をまっすぐに見つめている。
どんな宝石よりも美しい光がそこにあった。
「前線で戦うことだけが戦争ではない。私もまたお前に支えられていた。…………だが、もういいんだ」
誰も言ってくれなかった言葉を、雲母はくれた。
「戦争は終わった……」
これから、生きるために生きようと言われたようで――嬉しかった。
戦中という括りのせいだけではなかった。
軍隊というのはどいつもこいつも死ぬために生きているような奴ばかりだ。直接的な戦闘に関わらなかったマンガンでさえもそうだった。どれだけ硬い覚悟を持って死ぬのか、それが問題だった。だが、今は戦後で容易くは死ねない。死に場所は失われた。
「貴女が……『生きろ』でも『生きるべき』でもなく、『生きよう』とおっしゃったことに感謝……します」
絞り出すように言って、俯いて目頭を押さえた時、自分が泣いていることに気付いた。
「あぁ…………っ」
声が震えて何も言えなくなった。
戦いたかった。私だって戦えた。――そう思う自分が死んでいく。あるべき場所へ戻るように。
(私の戦争も……終わっていたのか)
志もあった。意志もあった。なにより意地があった。だが、戦場には立てなかった。
味方は敵より恨めしく憎かった。
そして、北の最果て。
暗黙の員数外として数えられた部隊でマンガンは終戦を迎えた。
「飲めよ。――涙が出るのは酒のせいだ」
何度だって頷いた。震えを止めるわけでもなく、手を重ねた雲母はそれきり黙り、疲れた兵士を慰めるように寄り添った。どちらともなく温度のある体が愛おしいと感じていた。
苦しくとも報われなくとも、これまで確かに生きてきたのだと心から思う。そして、これからも生きていくのだと未来を信じることができた。
不戦の敗残兵に栄光の不戦兵が酒を注ぐ。
なみなみ注がれた琥珀色の水面はいつまでも、ふたりを映していた。
【あとがき&どうでもいいこと】
お楽しみいただけたら幸いです。
モンストのキャラは魅力的なんですが、公式言及されることが少なくて寂しいです……。
さて、今回は好きなキャラを書けたので楽しかったなぁ、という思いでいっぱいです。戦争という難しい題材をどうするのか迷いましたが、いろいろあってこんな形になりました。なにはともあれ前向きに生きたいです。
今後、モンストの創作の輪が広がる一助となれば幸いです。
読了ありがとうございました。