幽香さん、優しくしてみる   作:茶蕎麦

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第十五話 孤独な少女に優しくしてみた

 

 物部布都は、無私の為政者に欲を囁き人にならせようとした、悪女である。太陽を貶してその手に入れようとした、雲のような女性だった。

 そう。その子は一途な、大好きな彼女に生きていて欲しいと思った少女でもあったのだ。

 

 神の子孫に連なる、物部の人。故に崇めるべき存在をよく知る布都は、より理想のカミサマに近い存在である豊聡耳神子に心酔した。

 全ての言を蔑ろにしない、それでいて中立である歳近い女の子。神に似た美しい自分よりもずっと麗しい。そんな子と初めて出会った際の衝撃は如何ほどか。立場なんてどうでも良い。ただ、近づきその愛を得たかった。

 その後を、神子様神子様と、カルガモの雛のように何も考えずに付き纏っていた、そんな日々が過去にはあったのだ。布都はその時期こそ己が一番に幸せであったと回顧する。

 

 ある日、彼女が権力の襞に触れるところまでに付き従い、多くの悩みを受け止めきって一息を吐いた神子との会話にて、布都はようやく違和感に気づいた。

 美しい顔を持ち上げ、後に男性とされてしまうことが信じられない程の婀娜を薄く浮かべて空を見上げる神子は、広い屋敷を辞した後牛引く車にて、呟く。

 

「ふむ。政には何とも悩みが多いものだな……」

「そうですね。しかし、神子様もお悩みの一つや二つ、お有りになるでしょう?」

 

 頷き、布都はそう聞く。

 それは、望んでいるが、望まれたいがために尋ねた、そんな話題の転換。偶には頼られるようなこともあって欲しいと布都は願い、自分と同じく人であるからには神子も悩みを持つ存在と信じていた。

 しかし、神子は頭を振って、端的に答える。

 

「いいや。私には悩みなどないよ」

「どうして、ですか?」

 

 悩む人に筋道を作ってあげるために、応えてくれる人。いくら優れようとも、人の為に尽くしている神子が能天気ということなんてありえない。

 導くものが思慮深くあるのは当たり前。故に、自分のことだって深く思うのが当然であると、布都は考えていた。けれども、豊聡耳神子一人に限って、それは違っている。

 人間で輝く恵みを当たり前のように保持しながらも、それを一顧だにせず、神子は金の目に布都一人をただ映して言った。

 

「それを望まれてはいないからな」

「そんな……」

 

 容れ続ける器は頑丈な方が良いが、その物体個の面倒までは望まれない。ただ、都合の良いものであれ。いい子、そればかり期待されて欲を望むものなど居ない。

 そう、人々の願いを聞いてそれに対し続ける神子には、自分を見つめる時間など欠片もなかったのだ。

 聖なる人は、我など要らず。ただそこで叶える機構であればそれで良い。

 そんな事実を受け容れてしまった少女の涼し気な面を熱く見上げて、青い目は決意に瞬いた。

 

「神子様」

「なんだ?」

「我が、貴女をお救い致します」

 

 それは昔々のこと。千四百年以上も前の、神子ですら覚えていない黄昏前の牛車に揺られながらの僅かな会話。

 記されなかった、全ての契機。此度の異変の元凶とも言える、小事。決意は誰にも知られることなく古びている。

 

「そうか、頼んだぞ」

「……はいっ!」

 

 けれども布都は、その約束を決して忘れない。

 

 

 

 広く深き縦穴の暗がりに、光が尾を引き行き交う。多くが飛翔し混じり行くことで球のごとくに広がる弾幕美。数多の神霊もどきをその球に容れて、全ては天球の輝きに匹敵する程に煌めいた。

 そんな夜空の似姿の中心にて輝星と焔矢を飛ばし合っているのは、霧雨魔理沙と物部布都の二人。

 そう、彼女らが行っているのは弾幕ごっこ。避けるその美しさすら競い合う、綺麗の遊び。しかし、どうにも上手な魔理沙の手において、未だ寝ぼけ眼の布都を攻め続けてもその趨勢が変わることがない。

 それは、当たらないから、だった。何やら星のパワーすら遮る程に堅い船に乗っかりながら弾幕を投じ続ける布都に、魔梨沙は苛立ちを覚える。

 

「ちっ! 船に乗っているヤツに当てるなんてのは相当に面倒なもんだ。おい、そんなものから降りてかかってこいよー!」

「何を言っておるのだ。お主とて、その鄙びた箒に乗って天を駆けておるだろう。あの花のような妖怪からもこの遊戯にて物に乗って飛ぶのが違反とは聞いていない」

「幽香……あいつ、やっぱり先にいるのか。まあ、いいさ。標的がこれだけデカければ外すこともないよな」

 

 言い、掌中にて魔理沙が転がすのは、ミニ八卦炉。数多の魔力を増幅する装備の中でも破格であり、彼女にとって特別でもあるその炉に星の光が篭っていく。

 魔理沙はその溢れんばかりの火力を持ってして生命取ることなく、ただ楽しく壊す。そうして勝負を楽しむ自信はたっぷりあった。何しろ、そのために行った実験の数は、ちょっとしたもの。

 目に映る星の数の三千よりも回数多く、霧雨魔理沙は相手を優しく仕留める練習を繰り返した。博麗霊夢が一度も行わず理解できる力加減を、それだけ執拗くしてようやく得た少女は自分を普通の魔法使いと自称する。

 その柔らかき星の輝きが、何より特別なことに、気づくことなく。

 

「いくぜ……恋符「マスタースパーク」!」

 

 そんな砂糖菓子のような彼女の光は、高まるスペクトルを混雑させて多色に輝き、何もかもに通じる力の筋となる。針の先のような一筋、それが一瞬で高まり一体呑み込む光線に。

 単なる直線、それは星の弾にてラッピングされ、きらきらと瞬きを見せる。どこか花束を彷彿とさせる錐の攻撃を船に乗り込みながら避けることなど、そう叶わない。

 あっという間に、布都の磐船は美しいレーザー光に包まれた。そうして、そのまま素直にも粒と化す。

 

「……消えた?」

 

 そこで、ようやく気づいて、魔理沙は極光放つことを止めた。残留粒子が煌めいて、辺りに可憐を表す。数を増した神霊達が、あまりの綺麗に更に欲を出し、踊った。

 そう、魔理沙の目に映るのは、そればかり。長さ一尋はゆうにありそうだった船は跡形もなく、当然その中に隠れていた布都の姿も見当たらなかった。

 先に発揮した閃光に、全てを灰燼に帰す程の力など宿っていない。その溢れた輝きの内実は、煤ける程度にダメージを与えるのが精々の、虚仮威し。

 生物を消し飛ばすどころか、怪我をさせることすら出来ない、そんな中での対象の消失。まさかと、振り返ろうとしたその時。

 

「うむ――当ててしまってもいいか?」

 

 吐息がかかりそうな程の至近から、そんな声が聞こえた。全身総毛立つのを覚えながら、魔理沙は自分の見通しの甘さを呪う。

 

「くっ……!」

 

 魔理沙は振り向きざまに星々をばらまき、そうして何時の間にかプライベートスペースにまで入り込んでいた布都の攻撃範囲から逃れようとする。

 しかし、それら全ては瞬く間に炎に呑まれた。赤く燃え盛るそれは明確に熱を持ち、そうして甘い星を灼き尽くす。

 そのまま距離を取る魔理沙を放り、焼き菓子の焦げた香りに顔をしかめて、布都はぽつりと零した。

 

「加減仕切れなかったか……さしずめこの技は「六壬神火」といったところだな。大仰にこのすぺるかあどとやらに記すには弱々し過ぎるものだが」

 

 神の火にて焼失を成す。そんな奇跡を顕しておきながら、布都はどこか鼻白む。

 足りない。この程度の力で目指す悪は成せないのだ。自分なんかでは、とてもとても。だから、彼女は初対面の嫌う妖怪にだって可能性を見たら、託してみようともする。さて、どうなったのだろうと自分が守る先を思った。

 だがそんな内情を知らず、彼女の行き過ぎた謙遜を聞いて、ただ魔理沙は眉をひそめた。明らかにルール違反だろこれ、と内心零しながら。

 

「これで弱々し過ぎる? 私には、鬼だって尻尾巻いて逃げ出しちまいそうな火加減だったように見えたがなあ」

「何。地獄の炎だって、神が起こしたものと決まっておろう。その端くれの我ならば、階程度とはいえこの世に地獄を見せることくらいは出来る」

 

 そう、それは神に近い古の人だから起こす頃の出来る火。人間に進化をもたらした火炎を自在に操ることの出来るのは、布都にとっては当然のこと。

 しかし、神ならぬ人であれば扱いきれずに困るのもまた自然。つい力を入れすぎて地獄を垣間見せてしまうほどの熱量を込めてしまったことに、内心少女は恥じた。

 その照れを覗いて、魔理沙は攻め手の算段つけること叶わないまま、苦笑しつつ指摘する。

 

「やれやれ。過度の力みは、遊びの邪魔になるってもんだぜ?」

「寝ぼけ眼に矛を交えた妖怪変化もどきに仔細は聞いておったが……手加減を強いられる力比べというのは、どうにも歯がゆいものだな」

「寝こけている間にちょいと時代に遅れ過ぎじゃないか? それじゃあ、新しい時代のトレンドたる私には敵わないぜ?」

 

 そう戯けながら魔理沙は、古式ゆかしい魔女服を知らず強く握りしめていた。

 勝てる、とは思う。第一人者博麗霊夢と弾幕ごっこを続け、至近の勝率を五分にまで伸ばしてきている魔理沙に、不安は僅かにしかない。

 実力者が本気を出せない遊戯の中で、努力を重ね続けた魔理沙は全力を出せる。霊夢が弾幕ごっこで勝つために生まれたような存在であるとしたら、魔理沙は弾幕ごっこに勝つために生まれ変わった人間。

 故に、もし自分が負けるようなことがあるとするなら、それは。

 

「旧きが弱いと、誰が決めた? 綺麗とは、昔から変わらぬ図案だというのに」

「ぐっ」

 

 軽く、弓引く所作。それによって、鋭い鏃を持った矢が布都の周囲に生まれる。その発射前の青い矢印の幾何学模様の複雑さといったら、ない。

 天を沢山の直線で区切れば、自ずと多くの隙間が生まれる。布都が行おうとしているそれは、迷いを創ることに似ていた。射抜かれ続ける天球の合間を通るというのは容易なことではない。

 にやりと笑う、聖童女。明らかに、悪女布都は謀っている。そうして、分かっていた。美しさで勝れば、自ずと弾幕ごっこにも勝つことが出来るのだということを。

 そして、優位に立った布都は、魔理沙に一つ質問を投じた。

 

「お主が神子様の霊廟を暴こうとした理由を、聞いても良いか?」

「そりゃあ、まあちょっとした好奇心から、だが……」

 

 魔理沙は、笑みを作りそこねる。それは、布都の目に見えるほどの怒りによってだった。

 神威を持つ布都の眼光には、竦ませるほどの重みが伴う。こと先祖返りとすら言われた彼女には、鋭いものが秘められている。

 剣の神と似通った魂を持った布都は、魔理沙の甘さを断ち切るように、言うのだった。

 

「動機が温い。思いが浅い」

 

 それは、聖なるものを救うために悪にまで手を伸ばした布都にとっては、許しがたいこと。

 覚悟なくして自分の大切なものに無遠慮に触れられることなど、我慢し難い。

 そうして、自分の復活を祝福しに来たのだろうと勘違いした自分の目を覚ましてくれた、あの華のような妖怪の信念を、思った。

 

「それでは我には勿論のこと……生意気にも神子様に本気を持って優しくしようとしておった先の妖怪には尚更、及ばんぞ?」

 

 起き抜けにとんでもない冷水を浴びせかけられた布都に、甘さはない。全盛のあくどさを持ってして、可愛い顔を彼女は歪ませた。

 実際に、神の如き力と物部の秘術、そして未だ半端だと出していない道教の力を持ち合わせている布都は確かな実力者である。それが、油断もなくむしろ多く謀っているのであれば、強敵に間違いなかった。

 今更になって目の前の存在が全力でぶつかるべき存在だということを実感し、恐怖を跳ね除けながら、魔理沙は熱り立つ。

 

「なら、これから本気になるさ!」

 

 そして魔理沙は昔々に封じた、とっておきの擬似翼を広げた。悪魔に似たものを背負う人間を見て、神に似た魂を秘めた布都は、弦を引き絞る。

 

「いいぞ……生きた、目をしている」

 

 そうして、彼女は目を細めた。そこに、眩い理想を見つけながら。

 

 

 物部布都は豊聡耳神子とした約束を決して、諦めていない。ひたすら聖だった彼女を救う。それは人間らしく、自分のために生きるようになって貰うということ。

 そのために画策し、まず尸解仙に至るまで手を尽くして神子の人生――タイムリミット――を引き伸ばした。そして、布都は先程見送った劇薬一つにことの成就を頼む。

 そう。何より忌み嫌う妖怪を、彼女にも同じく忌み嫌ってもらうことで、自分を抱く結果になって欲しくて。

 

 生きるために、真に死を恐れて。布都は、彼女にそう願う。

 

 

 

「止められ……ませんか」

 

 覚悟を示す背中の蓮の花に、魔人経巻の展開。極まった法力と高められた魔力によって展開された数多の弾幕、そしてとっておきのスペルカード飛鉢「伝説の飛空円盤」まで披露しても、その殆ど全てを避けられた。

 ダメージに飛翔すら覚束なくなって、目を瞑り墜ちて行く聖白蓮は自らの不足を嘆く。

 白蓮が仏の信仰を形に美を目指して考え抜いた弾幕。しかし、それも博麗霊夢には届かなかった。教えを符にして弾と流した紫に黄の交差は最後まで巫女に触れること叶わない。

 むしろ、どうしてこういう奴らは最後に交差弾を好んで放つのかしらね、と慣れの余裕を保ちながらも、霊夢は嘆息する。

 

「はぁ。随分と頑張られてしまったわね……」

 

 実に大した僧侶だと、霊夢は思う。残念ながらそれには初心者にしては、という枕詞が付いてしまうが。

 暇に遊べないような生真面目な性なのかもしれない。考えられた弾幕がいかにも綺麗であっても弾と遊ぶ経験が足りない白蓮は回避がどうしても無様になってしまい、霊夢の良い的となっていた。

 それでも、邪魔をする、という点ではよく我慢して働いたといえるだろう。よくグレイズしたことで端がボロボロになってしまった巫女服を確かめながら、霊夢は白蓮のために使った時間を考えて、焦る。

 

「今からでも幽香に追いつくかしら……また、妙な仲間を増やされたらたまらないわ」

 

 言い、霊夢は柳眉をひそめた。

 気持ちの悪い嘘を吐き続ける妖怪の元に変な勢力が一つ出来上がってしまうというのは、なんとも気に障る。それだけでなく、幽香が創る人妖入りまじる風景が霊夢の方針の邪魔でもあった。

 もっとも風見幽香は誰でも判る華であり、そこに人が集まるのは仕方がないのかもしれない。棘の代わりに優しさを周囲に向けるようになった今であれば、尚更に。

 偽物の優しさってそんなに心地良いものなのかしらね、と思いながら巫女はこちらを害意持って見つめる二つの大きな力を勘にて覚えた。

 ゆるりと謹製の御札を用意しながら、霊夢は化けて謎めいて隠れ潜む大妖怪二人を睨めつける。

 

「その前に、あんたらも私の邪魔する気か。出てきなさい!」

「ほぅ。儂の変化を見破るとは、先に弾幕ごっこをする姿は見させてもらったが流石はこの幻想の地の巫女。中々じゃのう」

「でしょ。聖のためとはいえ一人じゃとても止められそうにないのよ。連絡に応じて私に会いに来てくれたその日に面倒事に巻き込んじゃったのは申し訳ないけどマミゾウ、巫女退治を手伝ってくれない?」

「いいじゃろう。他ならぬ、ぬえの頼みじゃ。宗教はただの方便と思っとるから共に仏門に入ることさえないが、せっかくじゃから、商売敵の打倒くらいはしてやろう!」

「よく分からない妖怪……いや、なんだか先の異変で感じたことがあるような……まあそれと、化け狸か……こっちも何だか偉そうだし……厄介ね」

 

 そして、姿を現したのは謎が謎を呼ぶ妖怪封獣ぬえと、佐渡化け狸の頭領二ツ岩マミゾウ。

 正体に疑問符を付ける不明と、正体を隠して騙す妖獣達は固い友誼で結ばれていた。彼女らは仲良く、妖怪らしく人間に危害を加えんとする。

 相対するだけで大妖独特の圧を感じた霊夢は柳とそれを柳に風と流しながらも、げんなりとした。

 さしもの博霊霊夢であっても、この二人相手に押し通ることは叶わない。無駄に足の早い魔理沙なら別なのかしらと、半ば現実逃避しながら二人に霊力を多分に篭めた御札で彼女が空を朱く染めようとしたその時。よく通る声が、凛と響いた。

 

「一対二、というのは少し卑怯ではありませんか?」

 

 そして、風ともに霊夢の隣に舞い降りたのは、奇跡的な伝道師、東風谷早苗。くいとメガネの位置を変えてから、直ぐ近くの赤巫女に目を向けることもなく、彼女は言い放つ。

 

「手分けをしましょう。私はあの眼鏡の方。そして霊夢さんはあのよく分からない方で」

 

 早苗は冷静に、互いの適当を判断する。出会い頭の自分はまだ判って計れる方で、不明な方は勘の鋭い先着の霊夢に。適材適所な内容に、文句はなかった。

 しかし霊夢はその以前と離れた静けさに、不安を覚える。ついでにいつの間にか、かけるようになっていた眼鏡にも内心疑問を持った。

 

「……早苗。本当に、あんたに任せて大丈夫? ていうかその眼、どうしたのよ」

「大丈夫です。目は……ふふ。それも大丈夫ですよ……ええ、もう大丈夫ですから」

「そう?」

 

 もう気にしなくなった自分が気にされていることに気づいて、早苗は微笑み霊夢に視線を返す。その際に心が凪いで騒がなかったことに彼女が笑みを深めたことに、彼女は気づかなかった。

 

「幻想郷には巫女が二人もおるのか……」

 

 新しく現れた、青巫女。数的有利が失われたことは特に気にならないが、それでも神の気配を大いに漂わせる二人がこんなに狭い地に並んでいるということに、内心マミゾウは舌を巻いた。

 これほどに選ばれし退魔のものが世代を同じくして幻想郷にて過ごしているとは、何とも妖怪にとって不憫なことであると、思う。主に、この地に住む化け狸どもが。

 ぬえのことも心配だし、ここに居を移すことも考慮に入れねば、とまでマミゾウは考えた。

 

「そう。でも、ここに倒すべき異教徒共が勢揃いしてくれたと思えば、やる気が出てくるってものじゃない?」

「ほっほっほ。確かに、そういう考えもありじゃのう。さて、ではたっぐまっちと洒落込もうかの」

 

 訳知り顔で不明な少女は思慮に気を取られていた年寄り臭い少女を諭す。そして、ぬえは辺りを乱すためにある羽根を四方に広げ、マミゾウは威厳を大いに示す大きな尻尾を立たせた。

 手を取り合う二大妖を前にして、神に愛された二人も歩調を合わせる。種類の違う大幣を構え、ほとんど同時に宙に浮いた。

 

「行きましょう、霊夢さん」

「足、引っ張らないでよ?」

「勿論です!」

 

 二人目的は違う。方や異変を解決、方や友の助け。このまま進めばぶつかり合う可能性は、高い。

 だがしかし、今や殆ど同じ高みにある二人は助け合う。それは脅威を前にしての結束というだけではない。

 視線はろくに交じり合わずとも、隣にあると信じられる。何だかんだ、霊夢と早苗はお互いを意識していて、そして認めていたのだった。

 

「行くぞ! 正体不明の飛行物体(だんまく)に、怯えて逃げ惑え!」

「それではこちらも……弾幕変化十番勝負の、はじまりはじまり。じゃ!」

 

 そんな二人に決して劣らぬ、二妖。二組が対峙すれば、空はあっという間に光で埋まる。

 符は風に散り、模型は謎に体を振らせていく。そして、輝きは増して、その交差に容れるもの少なくとも彼女らは健在であり続けて。

 少女らの軌跡は、しばらく尽きぬ花火となった。

 

 

 

 豊聡耳神子は、己というものがよく分からない。それは彼女が聡くも周囲を把握する能力に優れ過ぎて居たが故の、弊害だった。

 聖なる人であってほしいというお仕着せを素直に着込んでしまった少女は、見上げられるばかりの世界にて窮屈にもそう振る舞うしかない。

 それは、物部布都や蘇我屠自古、更には霍青娥らによって邪道を強く望まれるまで全く横道を考えたことがなかったくらいであるから、相当なものだったのだろう。

 

 人は往々にして、対等なものの瞳の中に己を見つけて自らを把握する。画一的な下位の反応よりも、複雑な上位の対応よりも、同等との交わりによって自分のあり方を定めるのが、自然なことだった。

 望まれたり、決めつけられたりするよりも、人間の中で自分を見つけるのが健全なこと。しかし、神子はずっと見上げ望まれていた。

 

 だから命を永らえるための道教を学んだ契機だって、自分があくまで人であって、このまま無限に望ましいものであり続けられないということに対する焦りから。

 決して、死にたくないという感情から来る素直な動機ではなかった。しかしそこに糸口を見出した布都らは彼女を更に堕として、人並みの幸せも味わわせてあげようと奮起する。

 しかし、神子は欲望に染まりきらず、その上錬丹術に用いる薬、水銀などの作用によって逆に命縮めることとなり、そうして死後に生き返る尸解仙の法を用いて復活するまでの眠りにつき、その後に霊廟ごと封印されたのだった。

 

 そんな自分を見つけるための波乱万丈な変遷の最中で、一つ神子には不可解に思ったことがある。

 それは、布都と屠自古を尸解仙の法の実験台にしたこと。確かに、真っ先に投げ出してしまえるくらいに自分の身は軽いものではないと、神子も理解している。だから、友で実験することが間違いだったと未だに思ってはいなかった。

 けれども、実験が決まったその後に、人知れず震える手を抑えるのに必死になったこと。その理由は復活して名実ともに聖人と成った神子にだって、分からなかった。

 

 死ぬのが怖い。そんな思いが自分にもあるなんて、考えたこともなかったから。

 死を恐れる聖なる人なんて、あり得ない。神子は皆のそんな希望を、ずっと叶え続けていたのだ。

 

 

「――貴女には、勝つ気が足りていないわね」

 

 数多の神霊を身に容れ、どんどんと大きくなっても届かない。それは太陽程遠くにある巨大。それが、まるでひまわりのように近くで微笑んでいるのはどういう冗談か。

 風見幽香は末端の瑕疵に構わず弾の迷路を抜けつつ、花咲かせる。撃ち合いそれに向き合う天道の化身は、苦渋を呑み込みながら弱く反論した。

 

「私は是が非でも君に勝たなければと、思っているけれど」

 

 今まで見上げられ続け、数多の人を下においてきたのだ。故に、悪しき妖怪に負けてしまうのは、許されない。そう、神子は勘違いする。

 己の中に巣食う矜持には、未だ気づけない。

 

「だから、貴女は足りていない」

 

 そして、そんな内心を真っ直ぐ覗き込んで、幽香は断言するのだ。クライマックスのスペルカード、神光「逆らう事なきを宗とせよ」の弾幕に彩られながらも、その美に負けず。

 世界を狭める神子から溢れる十七条の揺らぎを受け容れる陽光に、夥しいすら超える圧倒的な物量の白黄赤青紫五色の意味ある言葉書かれた符弾。

 時間と共に回避の方法と可能性を著しく下げ続けていく、ごっこ遊びであるというのが冗談染みた弾の群れに、しかし焦らずに幽香は揺蕩う。

 華は消えそうなくらいに寂しい一輪であろうとも、美しいからこそ、美しくありたいからこそ、そこに然とあり続ける。自らと対象的な孤独の持ち主を確りと目に入れながら。

 

「そんなことはない、と思うのだけれどねっ!」

 

 明らかに傷だらけであろうとも、それでも幽香の心に届くものなど何一つないことを認めながらも、神子は諦めない。

 悪は挫かねばならないから、最強をまざまざと感じつつ、足掻くのだ。どうしようもない強敵を前にして、震える己に困惑を覚えつつ。

 

 光線は太さ増す。文字は強く輝きを魅せた。そして、全てがぶれる。

 十七条は暁を想起させる程に成り、点滅すら覚えた符は算を乱したかのように広がりゆく。

 そして高難易度は、限度を超えた。決して、これにも道がないとはいえない。しかし飛散する煌々の最中にどうやってそれを見つけるというのだろう。

 不可能ではなくても現実的に一度ばかりでは無理なこと。それを理解して、眩さに消えた相手に幽香は微笑みを向ける。

 そして、彼女は一枚のスペルカードを宣言した。

 

「幻想「花鳥風月、嘯風弄月」」

「なっ……!」

 

 そして、瞬く間に全ては花の形象に呑み込まれて行く。美しき、ひまわり。しかし果たしてそれはこんなにも綺麗であっただろうか。

 乱を押し出し整然と。全ては優しく自然に形を変えていって、そうして昏空は彼女のための花瓶となった。

 これを力で潰すことより無聊なことはない。そう感じてしまうくらいに、全ては大輪。

 幻想郷のとっておきの一輪は、はにかんで、そうして孤独に怯える心を呑み込んだ。

 

「あ」

 

 綺麗と、それを大事にしたいというエゴを初めて覚え、そうして潰せなかった、力に溢れた花華に呑み込まれることで、神子は墜ちた。

 

 

 

 神子はその孤独故に、望ましきもの以外に自分の道を知ることを考えられなかった。

 皆が望んでいる道に進むこと、それが安全で賢いことだと解っていたから。そして、無闇矢鱈は愚であると、彼女は下を見て知っていた。

 でも、地獄に楽しみがないと誰が決めたのだろう。蛹のまま亡くなることに意義がないと、彼らは果たして言ったのか。

 

 結局の所、豊聡耳神子は光当たる場所にしかいられない、太陽ぶった臆病者の少女だったのだろう。

 我欲を持たないことが安全だと勘違いしてしまった、孤独な子。それを、哀れと、誰かが思ったのだ。

 

 風見幽香は、全く思わなかったが。

 

 

「目が覚めた?」

「ここは……私は、負けたのか」

「……はい」

「屠自古……」

「あ」

 

 瞼を開けた神子は眩さに、目を細める。

 どうやらここは外で、今は幽霊のふわふわ膝の上。見て取れた愛すべき屠自古の懐かしき顔を見て、神子は強張った顔を崩した。そして、そっと赤い頬を撫でる。

 少しの間そうしてから、名残惜しそうな彼女を気にせず起き上がり、ここは周囲が墓石だらけのらしい場所であることを確認してから神子は幽香に向き合う。

 目の前で大きな桃色の花が、揺れた。

 

「敗残者の私は、どうなる? どう、すればいいのだ?」

 

 そして、優しき笑顔の持ち主に、聞く。それが、嘘であることを知りながら。

 欲が、緊張で耳に入らない。故に彼女が行いたい事が分からずに、先は不明である。震えがまた、始まった。

 

「そうね……ちょっと、そこで動かないでいてくれないかしら?」

「あ、ああ……」

 

 そして、簡単なオーダーを迷わずに遂行してから、近寄ってくる幽香の姿に震えを増させる。

 相手は、危害を欲する塊。果たして自分は近寄られてどうなってしまうというのだろう。未だ死にたくはないのに。怖い。ああ、そうか。これが怖いということなのか。そう、ぐちゃぐちゃに神子は考えた。

 

「はい」

「え?」

 

 しかし、何者よりも周囲を虐めたいと思っているだろう存在は、またも優しくする。

 仕置につんと、額を一突き。ゆらりとした神子を見てしてから幽香は離れる。

 

 二人の間に残滓の花びらがひとひら。そうして、幽香は傘を片手に言った。

 

「この世に危険がないものなどないわ。足元は思ったよりも汚いのかもしれない」

 

 赤い目は金の瞳と繋がる。そして対になって、孤高な二人は対話で相互理解を図るのだった。

 幽香の目に篭められたその真剣に、欲に真偽を聞く必要なんて神子には感じられない。これから口にするのは優しくするための本音なのだと、理解する。

 神子は、そっと耳あてを外して、耳を澄ました。

 

「けれども……存分に、その手を汚しても構わないのよ?」

 

 瞬き二回。そうして、神子は幽香の言葉を遅く呑み込んだ。

 その意味は、明らか。篭った気持ちも、わかり易い。幽香の言ったことはつまり、やりたいことをやって良いのだという許可。

 それを、高みから降り真っ直ぐ対になってまで、幽香は言ってくれた。対等から望むことを望まれる。そんなことは初めてで、ようやく皆も同じく言っていた忠言が耳から心に届いた。

 

「ああ。そう、だったのだな。……ありがとう」

 

 そうして溢れて、ほろりとこぼれ落ちるものもある。

 世界で一番危ない存在が優しくする努力を、どうにも神子は嫌えなかった。

 神子の笑顔に涙は一筋跡を残す。眼前の微笑みに、少女は万感を持って言う。

 

「貴女はきっと、悪い。それでも、優しくしてみることだって出来る。なら、きっと。私だって、望まれないものになっても良いのだな」

 

 見上げた蒼穹には太陽一つ。何よりも望まれるそれに、しかし、もう神子は自分をそれと重ねることは出来なかった。

 天道にあることばかりが、正しい訳ではない。そして、人であるからには、もとより天にあることこそ間違いで。

 

「ああ。肩の荷が、降りたよ」

 

 その表情に、最早厳しさは何処にもない。

 高みに無垢のままあった神子は、婀娜をどこかに忘れて幼気に、笑んだ。

 

「それは、良かったわ」

 

 優しく花が寄り添って、ここに少女が一人救われた。

 

 

 そこに本心がなくても。それは確かに温かいものだったのだから。

 

 

 


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