「エレナ、どうしたんだ?こんなところで」
ある夜、廊下から外を眺めるエレナを見かけた。
「いえ、月が綺麗だったもので」
言われて俺も夜空を見上げる。
「確かに綺麗だな」
なんて言ってはみたが、俺はすぐにエレナに視線を戻していた。
「あれ?エレナ…」
「…?どうかしましたか?」
「もしかしてあんまり寝てない?」
あまりエレナの顔を近くで見ることはなかったので気が付かなかったが、どこか顔色が悪い気がする。
「特に心当たりはありませんが…」
「そうか?ならいいんだけどさ」
エレナが嘘を付いているようには見えず、ハッキリとおかしいと言える程でもなかったのでここではそれ以上聞くことは無かった。
「一つお聞きしたいのですが」
「一つと言わずいくらでも」
「ワタルのご両親はどうされているのですか?」
「どう…してるんだろうな。今は会えないけどたぶん元気だよ。エレナは…あっ、悪い」
つい聞き返してしまったがエレナの母親は既に他界している。少し考えてから言葉を発するべきだった。
「ふふっ、気を使わなくても大丈夫ですよ。それに最近、お母様の夢を良く見るのです」
「好きだったんだな、母ちゃんのこと」
「はい、とても」
悲しい過去のはずだがエレナは笑顔で話す。無理をしているというわけではなさそうだが、今のエレナにはどこか違和感を感じる。具体的にどうとは言えないが…。
その日の深夜、俺は寝苦しさに目を覚ました。
「まだこんな時間か…寝よ…」
再び目を閉じた俺だったが部屋の外に微かに人の気配を感じて体を起こす。気のせいならそれでいいが確かめないと気持ちが悪い。
レアに声を掛けようか?いや、絶対に何か言われるな。一人で行こう。
俺は恐る恐る部屋の扉を開ける。心霊的な物を信じているわけではないが単純に夜の闇は不気味だ。
顔を出してみたが誰もいない。気のせいだったか…。扉を閉めようと思った俺だったがひたひたと足音が聞こえた。今度は気のせいじゃなく、確かに聞こえた。
「おいおい…ほんとにやめてくれよ…」
足音は遠ざかっていくが確かめずにもう一度寝るというのは気味が悪い。俺は部屋を出て音の方へ向かった。
夜の屋敷内は暗く、視界があまり利かないが、人影のようなものが見えた。どんどん遠ざかっていく影を俺は追いかけていく。ひたひたという音から察するに裸足で歩いているようだ。
一定の距離を空けながら付いて行っていたが、歩みを止める。結局、屋敷の裏口まで来てしまった。小さな金属音とともに裏口の扉が開かれる。
「なんだ…鍵を持ってるってことは使用人か誰かか」
特に変わったこともなく真っ直ぐに外に出ていった人影を見てそう判断する。裏庭に雑用でもしに行ったのだろうか?なぜこんな夜中にするのかは俺には分からないが。
「まあいいや、部屋戻ろ…」
踵を返そうとした俺だったが、外から差し込んだ月明かりで一瞬、人影が照らされた。既に外へ歩き始めていたので後ろ髪しか見えなかったが、夜風に靡くその髪は金色に輝いていた。
「…嘘だろ」
俺は慌てて人影を追った。見間違いならいいが俺の記憶ではあんな髪をしている人物は一人しか知らない。
扉を開けた時には既にその姿は無かった。屋敷の裏には裏庭と小さな森が広がっている。裏庭には遮るものがないので人が居れば見えるはずだ。じゃあ森の方か…?
こんな時間に森に入るなんて明らかに異常だ。それにこの森の奥にあるのは…墓地だけだ。墓地という単語に昨夕のエレナの様子が重なる。
「ちくしょう!どこ行ったんだよ!」
森の中を走っていた俺だったが一向に見つからず、息を切らしながら立ち止まった。明かり一つない森の中じゃこっちが迷子になりそうだ。
…?息を整えながら辺りを見回していた俺に微かに人の声が聞こえてきた。
その声のする方へ歩いていくと徐々に声がはっきりしてくる。どうやら会話をしているようだが、おかしい。一人の声しか聞こえない。そしてその声はエレナのものだ。
俺はさらに声の元へ近づき、草むらの陰から覗くようにして顔を出すと、そこは墓地だった。平らな土地にいくつも墓標があるのが見える。
墓地の様子を見てゾッとした。何かが居たからじゃない。何も居なかったからだ。
墓地に佇む金髪の少女。月明かりに照らされ、一人で何かと話している彼女はあまりにも不釣り合いでまるでそこだけ別の風景のようだ。
すぐにでも駆け寄って声を掛けたいが大丈夫だろうか。今のところ他に誰か居るようには見えないが最悪、戦闘になることも考えられる。短剣を持って来るんだった。
考えた末、エレナに危害が及ばなければこのまま見守ることにした。いつでも飛び出せるように身構える。
…
……
どれだけ話していただろうか。時間を知る術が俺にはないがだいぶ眠くなってきた…
「貴方も…見たいの…?」
「っ…!?」
唐突に後ろから聞こえた声に振り向いたが相手を認識することなく俺の視界は黒に染まった。
「…ん」
窓から差し込む朝日に俺は目を覚ました。何か夢を見ていた気がするが思い出せない…。
「おはようございます」
笑顔で俺の顔を覗き込むレア。
「おはよう、どうしたんだ?今日は早起きだな」
「もう、いじわる言わないで下さい。早く着替えてご飯を一緒に食べましょう?」
「そうだな」
俺は寝ぼけながら服を着替える。俺が着替え終わったのを見てレアが小さく笑う。
「ふふっ、ボタン掛け違えてますよ」
レアが俺の服を直してくれる。
「気が付かなかったよ」
「仕方がないですね、ほら、出来ましたよ」
レアはいつも通り優しい。
「今日のご飯は私が作ったんです。ぜひ食べてみて下さい」
「へえ、美味しそうだな」
並べられた料理に箸をつけ口に運ぶ。
「おいしいよ」
「良かった、あなたのために作ったかいがあります」
「ありがとな、さあ、一緒に食べよう」
「あの…」
「どうした?」
レアがもじもじとしながら顔を逸らす。
「食べさせてもらっても…いいですか?」
「そんなことか、もちろんいいよ。はい、あーん」
「あーん…」
後頭部に激痛が走った。
「痛ってえええ!」
「何やってるんですかこんなところで」
「こんなところ?」
辺りを見回すと墓標に囲まれていた。そうだった、俺はエレナを追って…。
「エレナは!?」
「私が来た時にはあなたしか居ませんでしたが」
「そうか…ってなんでレアがここに?」
「夜中にどこか行ったと思ったら戻ってこないので場所を調べて来てあげたんですよ」
「そうだったのか、助かったよ」
と言いつつ後頭部がひりひりと痛い。
「なあ、正気に戻すのって殴らないといけないのか?」
「いえ、別に。ただ、にやにやしながら寝ているあなたが気持ち悪かったのでつい」
「この野郎…」
でもにやにやしてたのか俺…思い出すと違和感だらけだったが夢を見ている間は何も思わなかった。俺に尽くしてくれるレアか…
思わず頬が緩んだ俺をレアが若干引きながら見ていた。俺はハッとして首を振る。
「エレナが心配だ。屋敷に戻ろう」
俺達は真っ暗な森の中を引き返す。墓地から視線を感じたような気がしたがそれを確かめている時間は今は無かった。
「特に変わりなく休んでましたよ」
屋敷に戻った俺達はエレナの部屋に向かい、レアに様子を見てきてもらった。
「良かった…結局何だったんだよあれは…」
「本当に彼女だったんですか?寝ぼけてたんじゃないですか」
「いいや、間違いなくエレナだった」
レアは少し考えたあと口を開く。
「状況からの推測でしかありませんが、夢魔…ナイトメアによるものかもしれません」
「ナイトメア?」
「夢に誘い生気を奪う生き物です。今はこうして帰って来ていますが次も戻ってこられる保証はありません」
レアの話に血の気が引いた。今回は偶然、気が付いたが、もし誰も気が付かなかったらエレナは…
「どうすればいい?」
「元を断つしかないでしょうね。彼女には申し訳ないですが明日、また墓地に行くところを付いて行きましょう」
「あぁ、分かった。エレナをこれ以上好きにはさせない」
「おはようございます」
翌朝、エレナはいつも通りの様子で俺に挨拶をする。
「おはよう、昨日はその…眠れたか?」
「…?はい」
「そっかそっか、ならいいんだ別に」
そうだろうとは思っていたがエレナは昨夜の事を覚えていないようだ。だが、昨日よりもさらに顔色が優れないように見える。
「すみません、少し急ぐ用があるので失礼します」
「あ、あぁ」
頭を下げて歩き出すエレナ。心なしか少し歩き方にフラつきが見られるような気がする。
「…エレナ!」
「…?」
「い、いや。何でもない」
エレナは不思議そうな顔をこちらに向けたが再び前を向き、歩き出した。
深夜、俺達は準備を整え、部屋を出た。廊下の角からエレナの部屋を見張っていると、静かに扉が開かれ、エレナが廊下に出てきた。虚ろな目で歩く姿は昨夜と同じだ。
今日は見失わないように視界に捉え、後を追う。エレナが足を止めたのはやはり墓地だ。
「何か見えるか?」
「いえ、今のところは何も…おかしいですね、生気を奪うには対象に触れる必要があったはずです」
「もしかして俺達に気がついてるのか?」
「ありえませんよ、あなたの杜撰な尾行ならともかく」
レアには軽口を叩く余裕があるようだ。俺が思っているほど切迫した状況じゃないのか?
だがすぐに緊張が走った。エレナに人影が近づいたからだ。その影はゆっくりと近づき、エレナのそばへ…
「おい、やめろ!」
「っ…!」
俺の声に影の主が振り向いた。エレナはこちらに反応を示さない。完全に操られているようだ。
「誰…?」
俺は思ったよりも幼い声に驚いた。そして、月明かりが落ち、姿が照らされる。
「エレナを助けに来た。お前こそなんでエレナを狙う?」
「あなたには…関係ない…」
「関係なくねーよ。少なくともお前よりはな」
少女の顔が少し険しくなる。
「貴方…嫌い…」
少女が手をかざしたのを見て即座に身構える。
手から黒い魔法のようなものが放たれ、それを俺は躱す。大して速くもなく集中するまでもなく躱すことができた。もしかしてあまり戦闘が得意な種族ではないのだろうか?でもわざと手を抜いてるのかもしれない。気を抜かずに行こう。
「レア、援護頼む!」
「えっ、あ、はい」
「レア?」
レアの態度がどこか変で俺は一度、レアの元まで下がった。
「どうかしたのか?」
「あの少女、もしかしたら…」
「…?おっと!」
俺とレアの間を黒い塊が通り過ぎる。
「はぁはぁ…当たらない…」
少女は息を切らしながら魔法を放っている。演技には見えない。
「あの、彼女に危害は加えないようにしてもらってもいいですか?」
「へ?何でだよ」
「いいからあなたはエレナを呼び戻すことだけ考えて下さい」
「あ、あぁ…」
人を傷つけるのは好きではないのでレアの言うことに従うのは吝かではないが、逆に俺がやられたらどうするんだよ。けど、レアを信じるか。
俺は念の為、集中するとエレナに向かって駆ける。少女は魔法を放つが速さもなく軌道も直線のみの魔法には当たる理由がない。
少女の目の前で魔法を躱したあと、俺はエレナに手を伸ばす。
「エレナ!」
「駄目…!」
俺の服が後ろから引っ張られてがくりと体が揺れた。
「はぁ…はぁ…お願い…やめて…」
少女は息を切らしながら震える手で俺の服を掴んでいる。
「やめるのはお前だ!エレナが苦しん…で…?」
近くで見たエレナの顔には笑みが浮かんでいた。俺には認識出来ない何かと話している彼女はとても嬉しそうだ。それにエレナがこれほど饒舌に話しているのを俺は見たことがない。
「その子は…今…とても大事な話を…してる…」
「お前、人間の生気を奪うナイトメアじゃないのか…?」
「する仲間も…いるけど…私は…しない…」
「やれやれ、やはりそういうことでしたか」
真偽が定かでない少女の言葉に戸惑っているとレアが歩み寄ってくる。
「心配いりませんよ。昨夜の私の言い方が悪かったかもしれませんが、ナイトメアが必ずしも悪さを働くというわけではありません。ゴブリンもそうでしょう?」
「それはたしかにそうだけどさ…」
「あなた、名前は?」
「…レメリー…」
「彼女がどんな夢を見ているのか教えてもらってもいいですか?」
「母親と…話してる…」
レメリーと名乗った少女の答えを聞いてエレナの様子に納得がいった。本当にエレナに危害を加えるつもりはないようだ。
「そうだったのか、疑って悪かった」
「ううん…私も…ごめんなさい…」
ぺこりと頭を下げるレメリー。なんだいい子じゃないか。
「エレナに夢を見せてるのはいつからなんだ?」
「三日前…ずっと…望んでいた…みたいだったから…」
「そうか…。けど、良い夢見せてくれるのはありがたいんだけど、エレナの体にちょっと負担かかってるんだよ」
俺の言葉にレメリーが少し目を見開く。
「それは…知らなかった…」
しょんぼりと肩を落とした彼女があまりに分かりやすく思わず笑ってしまった。
「誰でも間違いはあるって。それが良かれと思ってやったことなら責められないよ」
俺はレメリーの頭を軽く撫でる。
「それじゃこういうのはこれっきりってことで、いいか?」
「うん…」
「それじゃエレナを屋敷に送ってあげてくれ。ここであったことはエレナには内緒だ」
「分かった…」
本当に素直な子だ。先程までことを構えていたのが嘘のようだ。
「あの…」
俺とレアがエレナの後に付いて屋敷に戻ろうとすると、レメリーに呼び止められた。
「お詫びに…あなた達の…見たい夢があれば…見せる…」
思わぬ提案に俺とレアは顔を見合わせる。
「私はいいです。というより私に力を使っても効果はありませんよ。あなたから何かお願いしたらどうですか?」
レアが俺に勧めてくれたが急に言われても思い付かず、俺は悩みだす。
「思い…浮かばないなら…昨日…見せてあげた…ような夢にする…?」
「昨日見せてあげた夢?あぁ、あれか」
レアとのどこか不自然な生活の夢のことだ。
「うん…貴方の…好きな…人との…ラブラブ…ムグムグ」
俺は一瞬でレメリーに近づき、口を塞ぐ。
「おいおい、レメリー。おかしなことを言うのはこの口か?」
「ごふぇんなふぁい…」
「…?」
レアが訝しげな顔でこちらを見ているがどうやら聞こえなかったようだ。別にレメリーが適当なことを言っているだけだが、勘違いされたら恥ずかしい。そう、断じてあの夢は俺が望んだわけではない。
「思いついたら頼むから今日はなしだ、それでいいな?」
「ふぁい…」
頷いたのを見て口から手を放す。
俺は佇む少女に手を振り、墓地を後にする。エレナがゆっくりと屋敷へ歩いていくのを見守りながら俺達も一緒に屋敷へ歩いて行った。
「おはよう」
翌朝、廊下でエレナを待っていた俺はあたかも偶然出会ったかのようにエレナに声を掛ける。
「おはようございます」
「昨日は眠れたか?」
俺の言葉にエレナが小さく笑う。
「どうかしたか?」
「いえ、昨日も同じことを聞かれたもので」
「あ、あれ?そうだったか?」
「よく眠れましたよ。ただ…」
「ただ…?」
「小さな女の子が私に謝っていたような、変わった夢を見てしまいました」
エレナの言葉にどきっとしたが具体的に覚えているわけではないようだ。
「変わった夢だな。でもきっと悪い奴じゃないよそいつは」
「えっ?」
「いや、何でもない。さ、朝食を食べに行こう」
「は、はい」
俺の差し出した手をエレナが握り、一緒に歩き出す。
もうエレナが誰かに夢を見せられることはなくなった。これから彼女はどんな夢を見るのだろう?その時、見る夢の中に俺の姿は映っているのだろうか。そんなことを気にしても仕方がないか。今、俺に出来るのは確かに繋いでいるこの手を放さないことだけだ。