小泉花陽は恋をしている。
そんな彼女の一日を綴った短編。

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小泉花陽の恋物語

それが、花陽の初恋だった。

 

始まりは、きっと一目惚れだったのだろう。

中学一年生の冬辺りの頃、花陽は塾に通うことになった。特段成績が悪かったと言うわけでもなかったのだが、通うことになったのは確か高校受験のため、という理由だったはずだ。塾に入った初日には、最初の挨拶ということで酷いくらいに緊張しながらもホワイトボードの前に立ったことを昨日のように思い出せる。

入塾者が珍しいのか、席に座って自分を興味深げに見つめる同年代の少年少女達の中の一人。その彼を見た途端、花陽は突然胸にきゅっと締め付けられるような思いが過ったのを自覚した。何分初めての感覚だったので、何故こんな風に感じるのか、と塾が終わった後に親友の凛と会って相談してみると。彼女はうーんうーんと散々唸った末、

 

「かよちんのことだから、お腹が減ってたりするんじゃないかにゃ?」

 

真顔でそう答えてくれた。お腹が空くときとは何か違うの、と言うと、彼女は再び難しそうに唸って首を傾げるだけだった。

この気持ちがどういう物か当時は分からなかったものの、花陽はその時からチラチラと横目で少年の姿を追うようになっていた。

流石に高校生にもなると自分のこの想いに“恋心”という名前を付けられるようになった。そしてその気持ちは、高校一年生に進級した今も続いていて――

 

 

 

 

塾の授業が終わり、数学の教科書を閉じて筆箱と共に鞄に仕舞うと、不意に花陽はほう、と息をついた。彼女の頭のなかを今占めているのは、昨日のμ'sの体育館でのライブ。ダンスも歌も他のスクールアイドルと比べるとやはりまだ荒削りではあったものの、楽しんで、頑張ってやっていることが伝わる熱いライブ。花陽はそう感じた。

 

「小泉さんー」

 

自分もあんな風になれたらな、とは思うが、それが出来ないことを花陽は確信していた。どんくさいし、地味な女の子、と言うのが花陽にとっての客観的な自己評価だったためだ。

 

「小泉さーん?」

 

はぁ、と今度は溜め息が洩れる。こんなネガティブな考え方がいけないのだ、と分かっているのに、どうしても思考がそちらへと傾いてしまうのを止められない。

 

「小泉さんってば!」

「うひゃあぁぁぁぁあ!?」

 

突然肩を叩かれ、思わず素っ頓狂な叫び声を上げてしまった。花陽の肩を叩いた少年は、大声に驚いたのだろう、ビクリと体を竦めて後退る。教室にいる人は既に少なくなっていたが、それでも数人の生徒が驚いたように花陽へと視線を向ける。

そこで漸く花陽は自分が上の空で少年の呼び掛けを聞いていなかった事を察し、慌てて何度も頭を下げた。

 

「ごめんなさい! ボーッとしてて……」

「あ、いや、こっちこそごめん。驚かせちゃって」

 

少年の言葉に花陽はブンブンと首を強く横に振る。今のは呆けていた自分が悪い。少年が謝る必要はこれっぽっちもないのに。

……と、不意にそこで、花陽は今話している相手が誰か漸く気付いた。

 

「……って、御堂くん?」

 

少年――御堂真琴は手を腰に当てて、呆れたように首を振った。花陽は彼の顔を見て鼓動が一瞬大きく跳ねたのを誤魔化すように、苦笑いを浮かべてみせる。真琴はそんな花陽の机に、「ほい」と言って消しゴムを置いた。

 

「これ。落としたよ?」

 

それは花陽がいつも使っている物だ。筆箱に仕舞うのを忘れ、先程数学の教科書を片付けた時にでも落としたのだろう。慌てて礼を言い、花陽は鞄から先程片付けた筆箱を取り出す。そして消しゴムを片付けながら、横目でチラリと真琴へと視線を向けた。

用は実際それだけだったのだろう。真琴は既に花陽の席の隣にある自分の席に戻っており、帰る用意を始めていた。こちらに視線を向けていた生徒達も興味を失ったのか、既に各々の帰る用意を再び始めている。

花陽も真琴から視線を外すと、筆箱を鞄に片付ける。

そして、鞄のチャックを閉めて肩に掛けると、花陽は深い溜め息をついた。

 

――今日もダメ、だったなぁ。

 

高校一年生に上がってから、このままじゃ真琴と仲良くなることすら出来ずに塾をやめてしまう、と危機感を抱いた花陽は、何とか話し掛ける機会を探そうとしていたのだが、現実はそう上手くは行ってくれない。話し掛けようにも、真琴に話しかけようとした途端に頭から何もかも吹き飛んでしまうのだ。

引っ込み思案な自分を恨むべきなのかもしれないが、そんなことをしても現実も、自分も変わることはできない。

 

「はぁ……」

 

再び溜め息を溢し、花陽は改めて鞄を肩に掛けなおすと、塾の教室を出た。

 

塾を出ると、突然むわっと湿った重い空気が身を包み、耳には雨粒が屋根を叩く音が届いてきた。花陽は困ったように眉尻を下げる。

 

「どうしよう……今日、傘持ってきてないよ……」

 

家まで塾から徒歩で10分程度。急げば7分未満まで短縮出来るだろうが、長い時間雨に当たるのも体に悪い。だが、黒く暗い空を見上げてみても、雨が止む気配は一向に無かった。

 

――仕方ない、よね。

 

花陽が走る覚悟を決めていざ一歩を踏み出そうとしたその時。

 

「傘無いの?」

 

後ろからそんな声が掛けられた。振り向いてみると、塾のドアを今開けたばかりと言った様子の真琴がそこに立っていた。

 

「え? あ、えっと……」

「傘、無いの?」

 

思わず何を言って良いのか固まってしまった花陽を見て、再び真琴は軽く首を傾げた。

言葉を詰まらせながらも、慌てて頷く。

 

「う、うん……。傘忘れちゃって」

 

そんな花陽に対し、真琴は特に何の感慨も無さそうに「ん」と呟くと鞄の中から折り畳み傘を取り出し、花陽へと差し出した。

 

「はい、これ使って。俺はビニール傘あるし」

 

そう言って、手に掛けたビニール傘を持ち上げてみせる。

2つあるのなら、遠慮するのも不自然だよね。それに、貸して貰えるのは実際にありがたいし……。

花陽は誰に言い訳するでもなく内心でそう捲し立てると、真琴に向けてペコリと頭を下げた。

 

「あ、ありがとう……」

 

両手で折り畳み傘を受け取ると、小さくそれを広げる。真琴も後に続いて傘を開いた。

 

雨が傘を打つ音と、二人の靴が水を踏む音だけが聞こえてくる。花陽は思わぬ形で真琴と一緒に帰ることが出来たことに嬉しさと恥ずかしさの両方で顔を赤くして俯かせながら、おずおずと隣を歩く真琴の傘のなかを覗き込んだ。

 

「あ、あの……、御堂くん」

「んー?」

「ありがとう。……傘、貸してくれて」

 

指をモジモジと触れ合わせながら、花陽は小さく微笑んだ。そんな花陽に、真琴は軽く傘を傾かせて顔を覗かせると、

 

「困ったときはお互い様、だろ?」

 

そう言ってニッと笑った。

ドキン、と心臓が大きく跳ねた気がした。花陽は突然激しくなった鼓動を落ち着かせるために胸に手を当てながら、「うん」としどろもどろに頷く。

再び無言の時が流れそうになり、このままではいけない、と考えた花陽は慌てて口を開いた。何を話して良いのかが分からないまま、ひとつの言葉が口から零れて出る。

 

「御堂くんって、アイドルとか、興味あるの?」

 

その言葉を聞いた真琴はキョトンと目を丸くし、そんな真琴を見て花陽は顔を青ざめさせた。

何を言っているんだろう、私!?

もしかしたら私をオタクだって思って引いちゃってるかもしれない。何でこんなこと聞いたんだろぉ~……と、花陽が涙目で自己嫌悪の渦に呑み込まれそうになっていると、真琴が顎に指を当てて「うーん」と呟いた。

 

「まぁ、別に嫌いって訳じゃないけど……そこまで興味は無いかな……。あ、でもA-RISEだったっけ? それは友達から聞いたことあるかなぁ」

「そ、そうなんだ……」

「小泉さん、アイドルとか好きなの?」

 

だが、想像に反し、そう訊いてくる真琴の瞳に嫌悪や侮蔑の色は見えない。その事に胸を撫で下ろし、花陽はコクンと小さく頷いた。

 

「うん……。凄くキラキラしてて、カッコよくて、可愛くて……。憧れなの」

 

花陽の言葉に、真琴は感心したように「へぇ」と声を洩らす。……と、そこで不意に真琴が立ち止まる。

 

「じゃあ、俺の家、ここだから。……傘は次に塾で会った時にでも返してくれれば良いよ」

 

そう言って、住宅街に並ぶ家の1つ、青い屋根の一軒家を指で示した。花陽は少し名残惜しさを覚えながら、それを表面には出さないように気を付けて微笑む。

 

「あ、うん、ありがとう。……またね?」

「おう、またな」

 

その言葉を最後に、真琴は花陽から視線を外して家の門を開けた。だが、何かを思い出したように「あ」と呟き、もう一度だけ花陽を見る。

 

「アイドル、なれるといいな。頑張れよー」

 

何でもないことのようにそう言うと、ヒラヒラと傘から出した手を振りながら踵を返し、自分の家へと入っていった。

花陽は、心を何か暖かいものが満たす感覚に数秒硬直していたが、すぐに頬を緩めて嬉しそうな表情になった。一度、真琴の家を見上げる。

 

「うん、頑張るよ、私」

 

何を頑張るのか、そんなことは全く想像もつかなかったが……。自然にその言葉が口をついた。




それなりに感想or評価orお気に入りが来て更にやる気があれば続きます。

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