なお、先に言っておく。
私は決してゼーリエの弟子になったわけではない。
あくまで旅の同行者であり、彼女に魔法を教わったわけでもなく、ましてや何度も地面に埋められたわけでもない。
……まあ、多少の修行は受けた。
しかし、それ以上に多くのことを教わった一年だった。
魔法のこと。戦うこと。そして、誰かと同じ時間を過ごすこと。
母が残した魔法を託すための旅だったはずが、気づけば私はひとつの宝物を手に入れていた。
これは、そんな一年の記録である。
ちなみに、ゼーリエ本人に読ませる予定はない。
絶対にだ。
……まあ、もし見つかったとしても、私はもう逃げる準備を済ませている。
――猫妖精ニャンベルト
私の名前は、ニャンベルトにしよう。
私の師であり母である魔法使いが亡くなってからはひとりである。
師は偉大な魔法使いだった。
火球を操り、風は刃となり、氷は幾重の氷柱となって穿つ。広範囲を強烈な閃光と共に大爆発で、多重詠唱で呪文を重ねれば不死鳥となって敵を薙ぎ払う。また傷を癒し、解毒や呪いを解き、空を飛ぶ。
出来ないことは殆どない、と豪語するだけあった能力の持ち主だった。
しかし、その偉大な魔法使いも死からは逃れられず。
人の身ながら三百歳まで生きたが、老衰にて穏やかな最後を迎えた。
私は母の最初で最期の弟子である。
母を守るための剣士であるが、遺言で魔法の鍛錬を行い、書き記し、これを然るべき魔法使いに受け継がせるのが私の役目である。
――と、づらづらと述べてみるけども。
「人っ子がだーれもいないんだよなー」
ボッチになって長いからか、ついつい口に出してしまう。
今いるのは恵みの多い森の中である。見渡しても、うん。木が太い。幹の周囲を両腕で囲っても足りないような古木が立ち並び、その根元には苔が分厚く積もっている。薄っすらと木々の隙間から届く光が、地面に斑な模様を描いていた。腐葉土の湿った匂いと、どこか甘い野花の香りが混ざり合っている。鳥の声すら遠く、ここには虫の羽音と、風に揺れる葉擦れだけがある。
――いや、訂正する。碌に人が入っていない秘境の原生林だ。
柔軟な思考と脳みそが魔法が上手になる秘訣。私は自分の間違いを訂正できる魔法使いなのだ。
……なんでこんなクソみたいな場所にいるのか。私にも分からない。
「ふーむ、このまま待ってても一生こないな」
呼ぶか。
「──〈来たれ、迷い人よ。我が声を聞きし者、縁ある者はこの地へ〉」
指先で宙に魔法陣を描き、森へ向かって魔力を流す。
風がざわりと木々を揺らし、鳥たちが一斉に飛び立った。
「よし。あとは待つだけだ」
この魔法は強制ではない。
近くにいる者へ「ここに誰かいるぞ」と知らせる程度の、小さな招待状である。
さて、引っ掛かるのは何だろう。人間なら大歓迎。エルフでもドワーフでも構わない。
魔族なら……、まあ、その時はその時だ。
「むっ、魔力反応」
チリン、と首の鈴の音が鳴る。魔力を持った何かが近づいてくる。武器を抜き、何が来るか待ち構える。
さて、竜か魔族か、大穴で物好きな人間か。いい加減、人間に会いたいなぁ。
「むむ、耳が長い美少女。さてはエルフ!?」
おお、では客人だ! 初めてのお客人だ! 大当たりだ、丁重に持て成さなければ!!
喜び勇んで駆け寄った私に対して、この金髪エルフはつまらなそうな表情を浮かべた。
「……なんだ、新種の魔族か?」
「帰れチビ」
失敬な! 私は唯の
* * *
「――そうか、既に亡くなっていたのか」
「うむ、穏やかな最後だった」
目の前のエルフからの攻撃を三日三晩どうにか捌き切り、落ち着いたあと。
ニャンベルトは仕方なしに、仕方なしに快適な空間を作る魔法を使ってエルフを招き、茶と菓子を並べた。そう、彼は気遣いのできるケットシーなのだ。
「珍しい魔法を使うと聞いてたのだが、そうか……」
件のエルフは初めて見る魔法を興味深そうに眺めていたが、探していた人物がもう亡くなったのを聞いて落ち込んでいた。
見た目は変わらぬ半眼で無表情だが、僅かに笹穂耳が下がり、長い睫毛の奥の目が遠くを見ているようだった。それだけで、ニャンベルトには十分だった。
「ん、魔法か? 母の魔導書ならあるぞ?」
「……なに?」
ニャンベルトは<
「多くは私では扱えんが、これが母が纏めた魔導書『ドラクエ魔法大全』である!」
「ほう。よこせ」
「え、やだ」
しばし沈黙が流れた。断られるなど想定していなかったのだろう。傲岸不遜なエルフが、ほんの僅かに目を見開いた。
「……何故だ」
「遺言だからな! 『然るべき魔法使いに受け継がせろ』と言われている! 誰にでも渡す訳にはいかん!」
「私は然るべき魔法使いだ」
「自己申告では信用できん!」
再び沈黙。
エルフは小さく息を吐くと、それ以上この話を続けるのは無意味だと判断したらしい。しょうがなく視線を魔導書から外し、ニャンベルトの体をジロリと眺める。
観察者のそれだった。感情は排除された眼で情報を集めている。しかし、エルフの持つ経験と知識を持ってしても、これが何かを判断できなかった。
「だいたい、貴様はなんだ? 人ではないし、妙な構造をしているな」
「うむ、よくぞ聞いた!」
ニャンベルトはやおら椅子の上へ立ち上がり、口上を述べた。
「その長い耳の穴かっぽじって心して聞け! 我が名はニャンベルト。偉大なる魔法使いたる母が生み出した最高傑作! 黒猫をモデルに生み出された人形! 自律型二足歩行式対魔族戦闘用猫妖精である!!」
エルフはゆっくりと茶を一口飲み、真顔のまま一言だけ返した。
「変な名前だな。しかも口上が長い」
「なにおうっ! 母からの名を侮辱するのか!?」
パンパンと足で椅子を叩いて勢いよく飛びあがった。
……が、届かない。
机が高すぎた。
ニャンベルトの身長では、机から胸あたりまでしか顔が出ていなかった。
「威圧感が皆無だな」
「ぐぬぬ」
冷笑するエルフは湯気の立つ茶をもう一口含む。カップを置く仕草はゆったりとして無駄がない。長い年月と習慣が染みついた動作だった。
「茶は悪くないな」
「当然だ! 私のスペシャルブレンドだ。毎回味が変わるがな!」
エルフは静かにカップを置き、ようやく名を名乗った。
「私はゼーリエだ」
「ほう!」
ニャンベルトも、その名には聞き覚えがあった。遥か太古の昔より生きる伝説として、母が何度か口にしていた名前だ。
「おお、覚えがある! 母がよく言っていた。女神の時代より生きる、伝説の大魔法使いだと!」
その言葉に、ゼーリエは無表情のまま、ほんのわずかに口角を上げた。
「そして偏屈で口が悪くて無駄に偉そうなエルフだと!!」
「……後で墓参りに行こう。手向けの魔法がある」
「やめて!」
ニャンベルトは慌てて制止した。
さて。
茶も飲み終え、そろそろ旅を続けようとニャンベルトが荷物をまとめ始めた時だった。
「私も同行する」
ゼーリエは当然のように言った。
「私は連れて行くとは言ってないぞ!」
「魔法で呼んだのはお前だ」
「確かにそうだったな!」
「それに、その魔導書に相応しいのは私だ」
「むっ」
「私以上の魔法使いは存在しない。他に相手はおるまい?」
ゼーリエの言うことは正しかった。
ニャンベルトの旅の目的は、母の遺した魔導書を"然るべき魔法使い"へ託すこと。その候補として、世界最高の魔法使いを名乗るこのエルフ以上の存在など、まずいないだろう。
だが、それでも頷けない理由があった。
「……自己申告では信用できん」
「まだ言うか」
「母の遺言だからな。『然るべき魔法使いに渡せ』とは言われたが、『ゼーリエなら無条件で渡せ』とは聞いていない」
「慎重なのか、頑固なのか」
「両方だ!」
ゼーリエは小さく息を吐いた。
「ならば証明してやる。旅の間、お前を鍛えながら魔導書を見せてもらう。それで私が相応しくないと思えば、その時は好きにしろ」
「むーん……」
腕を組み、尻尾を左右に揺らして考え込む。ゼーリエは返事を急かすこともなく、静かに佇んでいた。
しばらく唸った末、ニャンベルトは小さく頷いた。
「……仕方あるまい」
「決まりだな」
「ただし、魔導書を勝手に持ち逃げできんぞ。それは私に繋がっていて離れられんからな」
「……そんなことはしないさ」
「うむ、その言葉だけは信じてやろう!」
こうしてニャンベルトは、半ば押し切られる形で、ゼーリエと旅を共にすることになった。
「ほう、変わった魔法体系だな。
「
「くだらん思想だな」
ゼーリエは鼻で笑った。読み進める魔導書を追う指先は丁寧に頁をめくっていた。ただその口調とは裏腹に、頁をめくる手は次第に遅くなっていく。
「くだらんとはなんだ! 母はなあ、誰もが使える魔法こそ、人を救うのだと――」
「救えん」ゼーリエは即答した。「凡才に合わせた魔法は、天才を縛るだけだ」
「そんなことはない! 母は実際に救ってきた!」
ニャンベルトは机に飛び乗り、前足をばんと叩く。
「母は言っていた! 魔法は一握りの天才のものではない! 火を起こせるだけでも寒い夜は越せる! 水を出せるだけでも喉を潤せる! 傷を癒せれば子供は死なずに済む!」
「………」
「皆が少しずつ使えれば、それだけで世界は少し良くなる!」
ゼーリエは表情を変えず、つまらなそうに答えた。
「理想論だな。火を起こせても村は守れん。水を出せても魔族は止まらん。傷を癒せても死ぬ者は死ぬ」
ゼーリエはそこで言葉を切った。
指先で魔導書の頁を一枚めくり、淡々と文字を追う。その横顔には嘲りも怒りもない。ただ、幾千年を生きた者だけが持つ、揺るぎない確信だけがあった。
「成程な、だからか」
「む?」
「最初は分類法かと思ったが、違うな。これは才能の有無を問わず術者を育てるための体系だ」
ゼーリエは魔導書の文字を静かに指でなぞった。
「低位魔法は術式を極限まで単純化している。才能を要求せず、誰でも扱えるよう設計してある。一方で、高位魔法では一気に難度が跳ね上がる。私ですら感心する術式が混じっているな。これは初学者を段階的に育てるための体系か」
「そうだ!」
「よく出来ている」
「だろう!」
「だが、私は嫌いだ」
その一言でニャンベルトは固まる。ゼーリエは静かに言った。
「魔法は特別であるべきだ。万人に理解される必要はない」
「母は魔法は道具だと言っていた!」
「だから意見が合わんのだ」
ぴしゃりと言われ、ニャンベルトは唸る。
ゼーリエは読んでいた魔導書を閉じた。
「しかし、ここまで体系化した人間は見たことがない。くだらん思想だが、努力は認める」
「褒めてるのか貶してるのかどっちだ!」
「両方だ」
「一番腹立つやつ!」
ニャンベルトは椅子の上で地団駄を踏んだ。
ゼーリエは静かに立ち上がる。
「では、お前の理想が正しいか試してやろう」
「む?」
「外へ出ろ。実戦形式だ。少し鍛えてやる」
そう言ってゼーリエは、さっさと外へ歩き始めた。
「理想を語るなら、それを支える技量を身につけろ。剣はともかく、魔法がお粗末すぎる」
ニャンベルトは慌てて後を追う。
「待て待て! なんでそうなる!?」
「私にその理想を証明してみせろ」
「……え?」
「言い訳はするまい」
反論できない。悔しい。だが、負けたくはなかった。
「見ていろ! いつか母以上の魔法使いになって、お前をぎゃふんと言わせてやるー!」
「期待している」
ゼーリエは振り返りもせず、その一言だけを残して森の奥へ消えていった。
「……む?」ニャンベルトはぽかんと口を開けた。「え、今の褒められたのか?」
返事はない。
「……いや、違うな。絶対ボコボコにする気だ」
そう言って慌てて後を追う。
こうして、ニャンベルトとゼーリエの奇妙な師弟生活が始まった。
「術式を一つずつ覚えていかないとロックが解除できない仕組みか……」
「低位の魔法でも人を傷つけるからな!」
「合理的だが、面倒だな」
「困ります! あーっ、困ります! あーっ! 魔導書が壊れちゃいます!」
魔導書の仕組みを無理やりでも解析しようとするゼーリエを止めたり。
また別の日。
森で野営をしていた時のことだった。
ニャンベルトが焚き火の前で鍋をかき混ぜていると、ゼーリエが隣から覗き込んだ。
「何をしている」
「夕食だ」
「必要ないだろう」
「私ではない、お前に必要なのだ!」
ニャンベルトにビシリと指さされたゼーリエは、理解できないという表情を浮かべた。
「人は食べないと死ぬ。母にはそう教えられたのだ!」
「いらん。私は多少食べなくても死なん」
「食事とは腹を満たすだけではない。旅の記憶になるものだ!」
意味が分からそうなゼーリエをよそに、ニャンベルトは器へ料理をよそった。
特別豪華でも、珍しい料理でもない。乾燥豆と野菜、干し肉を煮込んだだけのシチューだった。
「食べろ」
「聞いていたのか? 私は――」
「いいから食え。私も食べる。料理は皆で食べるものだ」
半ば押し付けられるように渡された器を、ゼーリエは仕方なく受け取った。
匙で一口食べる。
「どうだ?」
「……普通だな」
「うむ。旅の料理など、そんなものだ」
「……」
「だが、普通というのは悪いことではないぞ」
それからはポツリポツリと喋りつつ、食事をしていた。ゼーリエは最後の一口まで、静かに匙を動かし続けていた。
食事後、ニャンベルトが食器を片づけをしていると、ゼーリエがこちらを見ているのに気付いた。
「どうした?」
「いや」ゼーリエは焚き火へ視線を戻す。「こういう時間を、随分長く忘れていたと思っただけだ」
「む?」
「何でもない」
いつものように、そこで話を切った。だがその日の夜、ゼーリエはいつもより少しだけ長く焚き火の前に座っていた。
「
「いつでも旅行して家に帰ってこれるようにと考えたそうだ!」
「ふむ、試してみるか」
「え、ちょ――」
移動した先は、砂漠に飲み込まれた古い都の跡地だった。
崩れた石造りの建物が砂の海から顔を覗かせ、かつて栄えた街の名残だけが静かに残っている。
しかし、その感傷に浸る余裕などニャンベルトにはなかった。
「あ、暑い……! 毛皮が、毛皮が焼ける……!」
照りつける太陽と灼けた砂に挟まれ、小さな猫妖精は今にも茹で上がりそうになっていた。
「……妙だな」ゼーリエは周囲を見渡す。「確かに、以前訪れた街を指定したはずだ」
「いつの話だ?」
「五百年前だ」
「とうの昔に滅んでるわ!?」
「魔力制御が甘い」
「ぐぬぬ」
「あと千回やれ」
「鬼! 悪魔! ロリババア!!」
「――いい度胸だ、馬鹿猫」
そう言いながら、ゼーリエの口元は僅かに緩んでいた。
「あ、やっぱなし――」
十日十晩、魔法を撃ちこまれ続ける地獄の鬼ごっこが行われ。
そうして旅を続けるうち、季節はいつしか冬になっていた。
吹雪で足止めされ、泊まっている小屋にて。
薄い壁の向こうでゴウゴウとなる風の音と、木が軋む音が断続的に響いてくる。暖炉の炎だけが橙色に揺れ、小屋の中に小さな世界を作っていた。
ゼーリエは安楽椅子に深く腰掛け、魔導書を読んでいた。炎の光が横顔に当たり、その無表情に影と明かりを交互に走らせる。読むたびに、指先が頁の余白を辿ることに、ニャンベルトは気づいていた。書き込みを確かめるように。あるいは、書いた者の痕跡を探すように。
「茶と菓子ができたぞ!」
「やっとか。今日はなんだ?」
「ただの焼き栗では芸がないからな! マロングラッセと、マロンケーキだ!」
「……悪くない」
「うむ、気に入ったようだな。茶とケーキのお代わりを用意しよう」
「……ああ」
「……今日はこれだけだぞ? 食べ過ぎは良くない」
「…………そうか」
ゼーリエはしょぼん顔で項垂れた。
何百年も生きたエルフが、菓子を前に項垂れている。ニャンベルトはこっそりと尻尾を揺らした。
そんな日々が、当たり前のように過ぎていった。
時に呆れ、時に感心を。二人は魔法の話をし、くだらないことで言い争い、同じ火を囲んで食事をした。
ニャンベルトにとっては忙しなく長い一年だった。
ゼーリエにとっては、久しく味わっていなかった、退屈しない一年だった。
気づけば、季節は巡り、春に戻っていた。
* * *
街は、戦場の真っ只中だった。
「ええい、鬱陶しい!」
ニャンベルトは<はかぶさの剣>を振るい、迫りくる魔族を斬り捨てた。
「<
「<
「な―ん―」
「か―」
「う―」
「<はやぶさ斬り>ィ!」
小さな身体が跳ねる。颶風となったニャンベルトが放つ斬撃が、魔族の一団を切り刻んだ。魔力の粒子へと変わるその後ろで、別の魔族が魔法を放とうと腕をかざす。
「遅い。<
詠唱を封じられた魔族が目を見開くと同時に、ニャンベルトの剣がその首を刎ねた。唖然とした表情の魔族は、魔力の粒子へと変わっていった。
「一体全体、何体いるのだ!?」
事の発端は、滞在する街に魔王軍が襲来したことにあった。
魔王軍将軍、<潜伏>のアウフ。
その姿を見た者も、その声を聞いた者もいない。ただ、予想外の場所から魔族の軍勢だけを出現させる強力な隠蔽魔法の使い手。その魔法により防壁まで軍勢を近づかせ、都市の内部にまで入り込んだ。
守備隊は前線の指揮官が魔族によって倒され、更に都市内の混乱と入り込んだ目の前の魔族に対処に追われているため、散発な抵抗しかできていない。
ニャンベルトは街の衛兵隊と協力して魔族と戦闘を続けている。
ゼーリエはその親玉を探し出すべく、空を飛んでいた。
「妙な魔法だな」ゼーリエは、眼下に広がる都市へ視線を巡らせた。「私の探査にかからない。それほど強力な魔法が存在するのか?」
思考を巡らす。
眼も音も、探知にもかからない。それほどの魔法なら消費する魔力も相当なもの。
それほどの魔力なら、攻撃魔法で都市ごと吹き飛ばした方が早いはずだ。
一つの魔法ではないのか。複数の術式が互いを補完している?
「……そういうことか。小賢しいことを考える」
ゼーリエは天を指さした。
「ならば、隠れている場所ごと炙り出す」
打ち上げられた光が、都市全体へ降り注いだ。そして、街を覆っていた違和感が、一瞬だけ揺らいだ。
「そこか」
ゼーリエの視線が一点へ向く。
都市の中心にある屋敷の屋根。外壁の塔。市街地。
そこに、三つの魔力反応が浮かび上がった。
「三つか」ゼーリエは目を細める。
「一つの魔法ではない。複数の術式を組み合わせて、一つの隠蔽魔法として成立させていたか」
音を欺く魔法。
姿を隠す魔法。
魔力探知を欺く魔法。
三つが互いを補完し、巨大な隠蔽魔法となっていた。
それが<潜伏>のアウフの正体だった。
「魔族如きが、よくやるものだ」
ゼーリエが指を振る。
瞬間、遠方で二つの魔力が弾けた。
「……一つ足りない?」ゼーリエの眉が僅かに動く。
「しまった」
視線の先。ニャンベルトのいる場所へ、黒い影が伸びていた。
瓦礫の下から、小さな泣き声が聞こえた。
「……たすけ……」
ニャンベルトは振り返った。
そこには、動けなくなった子供がいた。周囲には、兵も魔族も、見当たらない。
「大丈夫か!?」
即座に近づいて瓦礫を退かし、子供を抱き上げる。
その瞬間だった。
何もない空間から、黒い鎖が現れた。攻撃が来たのではない。すでに、そこにあった。
黒い鎖が、ニャンベルトの小さな身体を貫いた。
同時に、空から光が墜ちて来た。
「ぐぬぅ……」
辛うじて避けたアウフは、身体のあちこちが欠けている。血ではなく、黒い魔力の粒子が絶え間なく零れ落ちていた。
「ヴィーダー、ゼーエンが消えたか」
アウフは消えた二つの魔力反応を感じ取り、淡々と呟いた。
「三つで一つの術式だったが……、惜しいな」アウフの視線がニャンベルトへ向く。「だが、興味深いものが残った」
黒い鎖が軋み、ニャンベルトを吊り上げた。
「これはなんだ? 魔力核、構造、術式……、どれも私の知る人形とは違う。意思を持つ人形か、それとも人形を模した生命か」
アウフはニャンベルトの腰から剣を奪い取った。
「そして、この剣」
<はかぶさの剣>を眺める。そのまま雑に空に振るうだけで、ゼーリエが放った魔法をかき消した。
「素晴らしい剣だ。斬撃そのものを増やし、魔法すら斬れるとはな」
「すまん、ゼーリエ……」
ニャンベルトは、苦しげに呟いた。
いつものように、不機嫌そうな顔を浮かべた大魔法使いがこちらを見下ろしている。
修行のやり直しだぞと言わんばかりのその表情を見て、ニャンベルトは小さく笑った。
「チッ、馬鹿猫が」
ゼーリエは舌打ちすると、無数の魔法陣を展開する。多くはニャンベルトとアウフへ。一つはニャンベルトが助けた子供だった。
「……また、迷惑をかけるなぁ」
「大事な人形ではないのか、壊れるぞ」
締め付けが強くなり、ニャンベルトの呻き声が上がる。
ほんの僅かな静寂。
ゼーリエは魔法を維持したまま、一歩も動かなかった。
「……助ける。だから動くな」
「――はっ」
光の膜が子供を包み、ゆっくりと戦場の外へ運ばれていく。
拘束されたまま、ニャンベルトは小さく笑う。
「やはり、優しいな、お前は」
「黙れ」
「核を、やられた。私はもう、稼働停止する」
「黙れと言っている」
「一年間、退屈しなかったぞ!」
言葉を無視して、ニャンベルトは笑いながらなけなしの魔力を巡らせ、飛び上がって指をアウフの頭に突き刺した。
「何を――」
「私は、対魔族戦闘用猫妖精である!」
小さな体いっぱいに胸を張る。アウフはニャンベルトを引き剥がそうと腕を掴む。しかし、小さな爪は頭蓋へ深々と食い込み、びくともしない。
「母の魔法は受け継がれる! 今こそ、その役目を果たすとき!!」
ニャンベルトの身体が輝き、空気が震える。それを見たゼーリエの表情が初めて変わった。
「貴様、何をするつもりだ」
焦ったアウフが、自らを巻き込むことも構わず攻撃魔法を至近距離から撃ち込んだ。
炎が弾け、氷が砕けるたびに人形の身体が砕けていく。それでも、ニャンベルトは笑っていた。
「これにて御免! ゼーリエ、母の魔法を頼んだぞ!」
「やめろ。放せ、放せ、許してく――」
アウフが何か言葉を紡ぐ中で、ニャンベルトは満面の笑みを浮かべた。
目線の先に、必死の形相のゼーリエが手を伸ばしていた。
「さらばだ!」
――
世界が、白く染まった。
* * *
防御結界の中で、ゼーリエは静かに立っていた。幾筋もの亀裂が走り、その外套は焼け焦げ、頬には血が一筋流れている。
爆心地にいた<潜伏>のアウフは、断末魔すら残さず消滅した。
ゼーリエは手を振るって舞い上がった土砂を消し飛ばし、煙を晴らした。
その視線の先には。
すり鉢状に抉れた大地と、宙に浮く魔導書。焦げた鈴だけが残されていた。
<
ゼーリエが教えた、魔法だった。ニャンベルトの知る全ての魔法が、ゼーリエに引き継がれた。
魔法が自身に刻まれていくのを無視して、ゼーリエはすり鉢の中へゆっくりと降り、鈴を拾い上げた。
「……あれほど、話を聞けと言っただろう」
返事はない。
吹き抜ける風だけが、ガラリと小さく鈴を鳴らしていた。
「……馬鹿弟子が」
「――約束してやろう。然るべき人物に、あの魔法と思想を受け継がせてやるよ」
春風が、もう一度だけ鈴を鳴らした。
* * *
とある街の古塔。
椅子に深く腰掛けたまま、人間はしばらく動かなかった。
ゴーグルの奥で、目を閉じたままでいた。
やがて、ゆっくりとゴーグルを外す。背中に繋がる配線をパチパチと引き抜くたびに、指先の感覚が自分のものに戻ってくる。それがいつもより、少し遠かった。
「んー、終わっちゃったかぁ」
一人の人間が椅子から立ち上がって伸びをした。この身体で動くのは一年ぶりだ。
「いやあ、楽しかった。最後までノリで突っ走れたし、まさかここでゼーリエが来るとは思わなかったけど」
円形の部屋は壁際に棚と机が並び、びっしりと魔導書と巻物、人形が立ち並ぶ。
床には椅子を中心に精緻に描かれた魔法陣。そして、台の上には砕け散った人形が一体。
「お疲れ様、ニャンベルト」
人間が手をかざすと、人形は元の姿へと戻った。
「一年間、付き合ってくれてありがとうね」
横たわるニャンベルトの頭を優しく撫でる。その手つきは、ニャンベルトが語っていた"母"そのものだった。
「ゆっくり休んでてね。また必要になったら起こすから」
そう呟くと、ニャンベルトはほんの僅かに口角をあげた。人間は気づかず、次の機会までニャンベルトを棚に戻し、棚から新しい素体を手に取った。
「ニャンベルトとの一年は、楽しかった」
人間はそう呟いて、小さく笑った。
「次はどうしようかね」
机に向かい、キャラクターシートにペンを走らせる。
ニャンベルトはちょっと騒がしかった。今度は控えめにしよう。
名前:
種族:猫妖精
年齢:
身長:ちっちゃい
好物:甘い物
特技:剣と魔法
欠点:自爆
「いや、自爆はやめるか」
少し考える。
「……いや、やっぱり入れよう」
また同行者ができたなら、いざという時に守れる技が使えた方が良いか。
そう自分に言い聞かせるように頷き、最後に名前を書く欄でペン先が止まった。
「……ニャンベルトなら、なんて言うかな」人間は頭を振った。
「いや、違うな。これは別の子だ。私の名前は──」
その瞬間、頭に浮かんだのは、仏頂面の金髪エルフだった。
「――そうだ、ゼーニャンにしよう」
そう呟いて笑う。
「そうだな。それなら今度は猫耳の少女にしよう。造形をちょっと弄って、金髪ロリにして……」
素体を基に魔法で造っていく。
「――と。こんなもんだね」
癖の無い金髪に、柔らかい猫耳と尻尾を持つ裸の美少女だ。
椅子に座り、手をかざし、魔法をかける。
<人形を操作する魔法>
人形の瞼がゆっくりと開き、金色の瞳がこちらを見ている。動作確認に耳を動かし、尻尾を揺らす。
そのままゆっくりと身体を動かし、ゼーリエによく似た猫耳少女が「ニャンニャン♪」とあざといポーズを取った。
「ふむ……」
思案する人間は、やおら指を動かした。
「キュルンと参上! 闇を晴らす山吹色の光! 魔法少女ゼーニャン!」
やらせた本人は、悶絶した。
「――面白いけど、解釈違いだなぁ。あとシャレにならん」
流石にバレたらまずい。シャレにならない。怒ると怖いんだ。<
「……いや、でも勿体ないな。使えるように残しておくか」
キャラクターシートに書き加えた。
「よし、この設定で行こうか。一人称も三人称もOK。装備は、前に作ったのがあったな……」
サーベルに旅装。パンと水筒、当座の資金をバックに詰め込んで持たせる。
「全て問題なし。それじゃ、いってらっしゃい」
<
人間は椅子に身を任せ、再接続してゴーグルで顔を覆った。
私の名前はゼーニャン。ニャンベルトと、偉大なる大魔法使いの弟子にして猫妖精の末裔である。
どこかの街で、ゼーニャンと名乗る猫耳少女の冒険が始まった。
数年後、あるいは十数年後。
とある街の古塔が、
犯人は、空を飛ぶ怒り狂った一人のエルフだった。首には古い鈴の首飾りが揺れている。傍らには、新たな弟子となった赤髪の少女と、逃げようとして捕まったゼーニャンがぐるぐる巻きにされていた。
ゼーリエは僅かに残った瓦礫と跡地へ降り立ち、静かに呟いた。
「出てこい、馬鹿弟子。……人形遊びは終わりだ」
――返事が無い。もぬけの殻のようだ。
鈴の音も、騒がしい声が響くこともない。
ただ、跡地には書置きと一冊の本があった。表紙には『猫妖精と大魔法使いの一年』。
ゼーリエはしばらく、その題名を見つめた。
書置きを開く。そこには、どこか癖のある、見慣れた文字で書かれていた。
『甘いぞゼーリエ! 既に引っ越しは済ませている! またどこかで会おう!』
「…………」
ゼーリエは目を細めた。それは怒りか、呆れなのか。
だが、ほんの僅かだけ、口元が緩んでいた。
「……本当に、最後まで勝手な奴だ」
そう呟き、下げた鈴へ触れるとガラリと小さな音が鳴った。
「……まあ、いい」
ゼーリエは空を見上げる。
「見つけ出して、もう一度鍛え直してやる」
その頃には、弟子が<
この日以降、世界各地で古塔が吹き飛ぶ事件が、千年間に渡って断続的に報告されることになる。
犯人は、毎回同じだった。
追われる者も、毎回同じだった。
用語説明
・はかぶさの剣
<はかいの剣>と<はやぶさの剣>が融合しちゃった剣。DQ2のバグ技で有名となった。
なんか最近のDQにも登場したそうな。
読まなくても良いあとがき。
ハーメルンに投稿されている数々の葬送のフリーレンの二次創作に感動して、自分でも書いてみました。
あとは、タイトルと前書きをちょっと考えてみました。
これが無いとちゃんと読んでくれないという当たり前のことを言われたので。
楽しんでいただければ幸いです。