USUALLY2-からかい上手の藤稔さん
私の名前は
そして、かすが様愛です。
――現在時刻10:10
「シャッガイからの昆虫になって、木更ちゃんの脳に寄生したい」
開幕。
フェンリルさんが何やら恐ろしいことを言ってました。
「あの、フェンリルさん?」
「何、木更ちゃん」
きょとんとした顔でフェンリルさんは振り返るも、数秒後。
「あ。もしかして声に出てた?」
「はい。何の脈絡もなく、突然私の脳に寄生したいって」
「うわ、しかも一番危険な所を」
どうやら、心の中ではもっと沢山やばい事を考えてたみたいです。
イリスさんが日本を発って数日。
この日、私は休日を利用して、ガルムさんより先に研究施設の検査を終えたフェンリルさんを誘ってショッピングに出かけていました。というより、彼女の日用品やこれから着る服を探しに来たのが正しいかもしれません。
その身ひとつでプライドの下を逃げてきたふたりは、当然ですけど一文無しどころか当日身に着けていたもの以外、一切の持ち物がありません。後日、ミストランさんがふたりの衣類をこっそり届けてくれはしたのですけど、やっぱりふたりは人形扱いだったのですね。殆どがドールに着せるようなゴスロリ甘ロリを人間サイズにしたような服ばかりで、普段着と呼べる服があまりに不足してたんです。
それで、ガルムさんは鳥乃先輩に懐いてるので任せることにして、私はフェンリルさんを連れて街に出たというのが今回の経緯です。
「ところで、シャッガイからの昆虫って何ですか? 確かクトゥルフ神話なのは分かるのですけど」
私が訊ねた所、
「被害者の脳に入り込んで、洗脳カッコ物理する生物だよ」
「……」
私はその場で絶句、数秒経ってから身震いを起こしました。するとフェンリルさんはどこか心に影を落とした顔で、
「し、仕方ないじゃないか。ボクはその、木更ちゃんのことを」
「フェンリルさん……」
「催眠術、洗脳、薬物、監禁、奴隷調教、憑依、寄生、暗示、機械化に傀儡化、チキチキ、いっそ石化や時間停止もいいよね、それとストックホルム症候群かな? あらゆる手段で木更ちゃんをボクのモノにしたいんだ」
「ひっ」
耐えきれず私は仰け反り、数歩ほど後ろに下がります。分かってはいましたけど、彼女の愛は闇が深すぎます。むしろ私が受け入れる努力をみせたせいで逆に悪化してないでしょうか。
「あの、そういうことは思っても口にしないほうが」
「ううん。言わないと駄目なんだよ」
フェンリルさんは、先ほどよりはっきり憂いの入った顔でいいます。
「そうやって大好きな木更ちゃんに拒絶して貰えればボクの心は深く傷つくからね。その抉れた心の傷がボクの異常さをボク自身が再認識できるし、その都度木更ちゃんへの意思確認と警告にもなる。だから、ちょくちょく口にしないと駄目なんだ」
「っ」
そうでした。彼女は誰より自分の危険さを認識してて、だからこそ聞いてて耳を塞ぎたくなる程に悲しい思考をしている。幾ら戒めでも心に自傷を重ね続けるなんて、きっと私には耐えきれません。しかも、そこまでして私と一緒にいたいのかと思うと、友情という形でしか受け入れてあげれない自分自身に罪悪感が湧きあがって、
「やめましょう、この話は」
耐えきれず私はいいました。
「それより、そろそろ着きますよ」
指さした先には一軒の衣料品店。
「徳光先輩から教えて貰ったお店なんですけど、安くて品揃えもよくて、私もよく利用しているお店なんです」
「そうなんだ。安いのは特に嬉しいよ」
フェンリルは困った笑顔で、
「いまはまだ、金銭面は何から何まで木更ちゃんから借りるしかできないからね」
ああ、そういうことですか。
「お気にならず。ちょうど今は懐が温かいですから」
「え?」
「非合法なだけあって、結構お給金がいいんですよハングドって」
特に前回は訳ありな相手の要人警護だったので、色々大ごとにはなったものの、結果的には普段より多めに報酬が入ってますし。
「それに今回の任務はフェンリルさんにも手伝って頂いたのですから、協力料くらい貰って頂かないと」
「ボクの中では、もう十分貰ってるつもりなんだけどね」
「欲がないですね」
私はくすりと笑って、
「とりあえず入りましょう。金銭の話はまたあとで」
と、フェンリルさんを連れて店内に入ろうとした所、彼女はなぜか立ち止まったので、
「どうしましたか?」
訊ねると、
「ねえ、これ」
と、指す先には店の入り口に張られた一枚の紙。確認すると、
『以下のお客様を出入り禁止とします。店内で見かけた場合はスタッフにご連絡を』
なんて書かれた事項の下に、鳥乃先輩の顔写真が貼られてました。
「先輩……」
あなたは何をやらかしたのですか?
改めて私たちは店内に。
そこは、白が基調の広々とした内装に高い天井。皮の匂いみたいなものもなく、程々のインテリアが逆に清潔感と居心地の良い落ち着いた空間を演出してくれます。
「わ、おっきい」
フェンリルさんは、まるで田舎から上京してきた人みたいに辺りをきょろきょろと見渡してます。
「何か気になるものはありましたか? 時間はありますから、先にそちらから見て回ってもいいけど」
「ううん、木更ちゃんに合いそうな首輪はあったけど大丈夫。でも、せっかくだから店内一通り見てまわりたいかな」
なお、現在位置から肉眼で見える範囲には、おしゃれな“犬用の首輪”が見えます。私は見なかったことにして、
「そうですね。私も気になるものが入荷してるかもしれないですし」
といった流れで、まず店内を一通り歩いてみる。
改めて傾向を窺ってみると、ターゲットは完全に女性に絞ってるのがよく分かります。一応メンズ物も揃えてはいるものの、よく見ると女性も着れそうなデザインばかり。客層も殆どが女性で、稀にみる男性も女性客の彼氏や父親のご様子。
男子禁制ではないものの、それに近い空間なわけで。なるほど、鳥乃先輩が問題を起こすわけです。
「あ、この下着可愛い」
フェンリルさんが立ち止まり、いいました。
「どれですか?」
「これこれ」
彼女が指さす先に見えたのは、黒を基調に紫で模様を足した紐のTバック。どう見ても可愛いよりセクシーが似合う下着だったわけで。それをフェンリルさんは、
「木更ちゃんに似合いそう。ねえ試しに着てみない?」
「私ですか?」
「うん」
にっこにこの笑顔で煩悩丸出し。私は一瞬、改めて身の危険を感じたものの、直後ひとつアイデアが頭に浮かび、
「そうですね」
「着てくれるの?」
目を輝かせるフェンリルさんにいいます。
「こちらの要求を呑んでくださったら、着てあげてもいいですけど」
「ほんと? 何でもするよ、ボク」
「本当ですか? でしたら」
言いながら私は同じ下着からサイズ違いの上下セットを探し、
「はい。フェンリルさんの分です」
「え?」
「試着してください」
と、フェンリルさんに逆に突き出す。
「え、ちょっと待って。サイズ、サイズほら合わないかもしれないし」
フェンリルさんは逃れようとしますけど、
「データは拾いました」
「拾った?」
「研究所のデータベースから拾いました」
「ハッキングじゃないか。何やってるの木更ちゃん!」
驚くフェンリルさん。何とはいいますけど、
「研究所のパソコンから直接。クリフォートのフィール・カードを使えば案外何とかなりますよ?」
「やり方を聞いてるんじゃないよ」
「これでも増田さんの後任を引き継いだサイバー担当ですから」
結果、フェンリルさんが私よりバストもヒップも大きいことが発覚して、少し羨ましくも思いましたけど。
「木更ちゃんって、案外危険人物だよね?」
「そうでしょうか?」
これでもかすが様とは健全で清純な関係を保ってるつもりですけど。
「そんな事より、着てくれるのですか?」
「もし断ったら?」
フェンリルさんが訊くので、
「勿論、私も下着を見せません」
「だよね」
フェンリルさんは一回しょんぼりしてから、
「背に腹は代えられないか、分かったよ」
と、観念してくれました。って、
(あれ?)
私、てっきり断るものと思って要求したんですけど。
当然ブラもセクシーだったので、さすがに恥ずかしくて無理ってなる所ですよね?
「じゃあ、ちょっと待っててね」
下着を持って試着室に入っていくフェンリルさん。私は、
(どうしよう)
と、こっそり顔を青くしてました。
策士策に溺れるとも違いますけど、普通に断ればいいのに、本人の口から諦めさせようと思った結果、とんでもない失策を辿ってしまったようです。
私は、自称機械のような頭で最善策を探しますけど答えはでません。いえ、浮かぶことは浮かぶのですけど、どれも「私も試着する」ルート前提のプランに行き着いてしまって。
そんな折、
「木更ちゃん」
フェンリルさんが試着室のカーテンから顔を出します。
「試着終わりましたか?」
「う、うん」
顔を真っ赤にフェンリルさんはいいます。私は「分かりました」と試着室の中に入ろうかと思った所、あろうことかフェンリルさんは試着室のカーテンを開いて、
「ど、どう……かな?」
なんて、もじもじしながらセクシーな下着姿を晒したんです。
「フェンリルさん」
私は思いました。さすがに試着だからって下着姿で出てくるのは破廉恥だとか、私から入るので開ける必要ないのにとか、一応男性もいるお店だから気を付けてとか、色々。
でも、私が思わず口から漏れた言葉は、そのどれとも違って、
「可愛い」
でした。
「はぇ?」
変な声を出すフェンリルさん。鳥乃先輩が「見た目文系少女」と形容するように普段は少し地味めな印象をみせるフェンリルさんですけど、脱いだら控え目ながら肉感のある肢体をしていて、セクシーな下着姿も手伝ってデータ以上に色気があるんです。
それに、もじもじと体を隠そうとする仕草がとてもいじらしくて。
これが萌えという感情なのでしょう。彼女の光る原石を無下にするわけにはいかない。そう思い至った私は、「次は私」という約束さえ頭から消え、
「では、次はカントリーファッションを着てみましょう」
「え?」
「フェンリルさんは、素朴で洋風な物やレトロな服装が似合うと思いますから」
「あの、ちょっと木更ちゃん?」
動揺するフェンリルさんに、私は急いで服を選んで、
「はい。試着してみてください」
と、渡す。
「だから、えっと、次は木更ちゃんが。……もう、分かったよ」
何か言いたそうだったけど、フェンリルさんは観念して試着に応じます。
その後もフェンリルさんは私が満足するまでファッションショーに付き合ってくれ、私が特に気に入った数着は当初の目的だった私服として実際に購入しました。最初の下着も含めて。
その上で分かったことは。
プライドという方の、フェンリルさんに対する服選びは間違ってはなかったという事ですね。
――現在時刻12:45。
「結構な時間になっちゃったね」
移動中、両手に買い物袋を下げながらフェンリルさんは疲れた顔していいます。
「そうですね。大丈夫ですか? 元気がないですけど」
「当たり前だよ、1時間以上着せ替え人形にされたんだから。プライドだってここまではしなかったよ」
「そう言われても、フェンリルさん素材がいいからどんな服着ても可愛らしくて」
「ああもう」
フェンリルさんは一回照れ、だけどすぐ後悔を顔にだし、
「忙しすぎて木更ちゃんとの約束も頭から抜けちゃったし。大損だよ全く」
結局、私は試着せずに済みました。理由はフェンリルさんがいま言った通り。
「お詫びに美味しい所に連れていってあげますから」
「Kasugayaとか言わないでよ?」
「バレちゃいましたか」
残念。お昼はかすが様に会うつもりだったのですけど。
「下着のかわりに好きな子が他所の人間にハートマークになってる姿を見せようとか、木更ちゃん案外ドSだね」
「そういう意味ではなかったのですけど」
むしろ、かすが様が絡んだ途端、フェンリルさんがどんな思いをするかさえ頭から抜けてただけで。
そうですよね。私だって従姉妹以外の誰かがかすが様といちゃいちゃしてたら傷つきますもの。従姉妹でも、深海ちゃんが本番行為をされてた時はがっつり傷つきましたけど。
すると、フェンリルさんがぼそっと、
「喫茶なばなは駄目かな?」
「なばなですか?」
確かにあそこのご飯は美味しいですけど。
「うん。
「確かに、居心地の良い場所ですものね」
私はうなずき、
「じゃあ、行きましょうか」
「いいの?」
上目遣いでフェンリルさんがおずおずと訊き返す。まるで子犬が儚げに見つめながら尻尾をパタパタ振ってるようで、何だかいじらしい。
私はフェンリルさんの頭を撫で、喉を撫で、
「勿論構いませんよ。私もあそこの料理は大好きですから」
返事しながらつい小動物を相手するように愛でてると、
「き、木更ちゃん。ちょっと恥ずかしいんだけど」
と、今度はもじもじと。
私はくすりと微笑み、
「ごめんなさい、さっきのフェンリルさんの仕草が子犬みたいに可愛らしくて」
「へ?」
今度は顔を真っ赤に硬直。こういうのを百面相っていうんでしょうか。可愛い。
フェンリルさんは俯いて、
「え、えっと。ありがとう……で、いいのかな?」
と、明らかに動揺しきった反応。
そんな彼女の反応を愉しみながら、私はデュエルディスクのタブレット画面から時間を確認し、
「今からだとバスを経由したほうが良さそうですね。10分ほど歩きますけど、いいですか?」
「う、うんっ」
まだ照れが抜けてないようで、フェンリルさんは俯いたまま返事。
そのまま私たちはバス停に向けて足を進めます。
人混みに併せて、小動物のように私の隣と後ろを行き来するフェンリルさんを見て、何となく私は、
(首輪、私じゃなくて、フェンリルさんのほうが似合うんじゃないかしら?)
なんて思ってしまいました。
――現在時刻13:15
私たちは喫茶なばなに辿り着きました。
休日の昼時だからか、店内はほぼ満席に近い状態です。
本来なら和と昭和レトロの混ざった落ち着いた空間なのですが、今日は10代後半から50代くらいの幅広い層の声が飛び交いとても賑やか。その内の半数はすでに食事を終えた後に見えますけど、食後のコーヒーとケーキで談笑してる所から近々席を立つ様子は見られません。
一番奥に位置する隅のボックス席には、今日もヴェーラちゃんという方がひとりで座り、水のようで水ではないもの、ではなく今日はアイスティーのようなものを飲んでます。たぶんウイスキーでしょう。
「いらっしゃいませですよ」
入り口で様子を眺めてると、店員から声をかけられます。ですけど、この声どこかで聞いたような。
と、思ってた所、
「2名様でよろしいですか? 木更さん」
って。言いながら近づいてきたのは、なんと。
「え、菊菜さん!?」
「木更ちゃん、知り合い?」
訊ねるフェンリルさんに、
「クラスメイトです」
と、答えてから菊菜さんにも、
「はい、ふたりです」
「カウンター席でもよろしいですか?」
見ると、テーブル席はすでに他のお客さんで埋まっているようでした。
「ボクは構わないけど」
と、フェンリルさんが呟くので、
「大丈夫です」
「ではこちらの席にどうぞ」
私たちは菊菜さんに案内され、奥のカウンター席にフェンリルさんと隣同士で座ります。
「意外でした。菊菜さんが喫茶店でアルバイトしてたなんて」
「娘なんですよ。お昼の店長の」
このお店、昼は喫茶、夜はBARとふたつの顔を持ちますけど、昼と夜で別の人が店長をしてるんです。といっても、店長と副店長が入れ替わってるだけですけど。
加えて、鳥乃先輩から聞いた話なのですが、このお店は姉妹で経営しているのだそうで。
「この時間の店長って、確か水菜さんの」
「はい。水菜さんの妹が僕の母ですよ」
と、菊菜さんはくすりと笑いながら席に水を置き、「ごゆっくりどうぞ」と持ち場に戻ります。
ちなみに水菜さんとは『BARなばな』の店長で姉妹のお姉さんのほう。なお、今日は妹さんが不在らしく、代わりに水菜さんが店を仕切ってました。
「綺麗な人だったね。木更ちゃんもそうだし、木更ちゃんのクラスって美人ばかりなの?」
喉が渇いてたのでしょう。水の入ったコップを早速空にして、フェンリルさんはいいます。
えっと、まあ菊菜さんが美人なのは確かなのですけど、
「菊菜さん、男ですよ?」
「え?」
驚くフェンリルさん。
「嘘」
「本当ですよ。学校も女子制服で来てるほどですし、初見で見抜けるほうが稀ですけど」
だから、本当は店長の娘ではなく息子という表現が正しかったりします。
「それよりご飯にしましょう。何にしましょうか?」
私は傍のおしながきを二つ取り、片方を「はい」とフェンリルさんに渡してから、メニューを確認。県外の人間としては、みそカツサンドやあんかけパスタといった食べなれないメニューが気になりましたけど、それ以上に日替わりメニューが「ランチ」に「和膳」と二種類ある事に気づきました。
「ねえ、木更ちゃん。今日の日替わりって何だろ?」
どうやらフェンリルさんも同じメニューに目が向いた様子。確か店の前の看板に「今日の日替わり」が書かれてた気がしましたけど、ほとんど目を通さずに入っちゃったんですよね。値段だけは700円だったのを覚えてるのですけど。
「何でしょうか。どこかに書いてたらいいんですけど」
私は店内を見渡します。すると、カウンターの内側から、
「今日のランチはきのこの和風パスタにハンバーグのセット、和膳は秋刀魚を炊き込みと煮付けにしましたです。それと、どちらにも味噌汁と食後のドリンクが付きますですはい」
と、水菜さんがいいました。又聞き情報では鈴音さんと同期らしいのですけど、見た目は小学生と間違うほどに幼くて、少し長めのおかっぱ髪に狐目の細い眼差しが、人間に化けた市松人形を思わせます。こう言っては失礼ですけど、じっと見つめてると憑りつかれそうな雰囲気。なのに口を開けば喋り方がどことなく陽気な印象なのが、彼女に奥深さを感じさせます。
ちなみに、この水菜さんは昼夜問わずマスターとも呼ばれてるので、名義上ここは水菜さんのお店なのかもしれません。
「秋刀魚ですか」
そういえば、今年は北海道で秋刀魚が季節外れの大漁だと聞いてことがあります。水菜さんの説明を聞いて、私は和膳に興味が向きましたけど、きのこの和風パスタも棄て難くて。これはどうしましょうか。
「和風パスタとハンバーグか」
一方、フェンリルさんはランチのほうに食指が向いた様子。でも、彼女も彼女で何かお悩みの様子。
「和膳も気になる感じですか?」
私が訊ねてみた所、
「うん。煮付けの秋刀魚も食べてみたくて」
と、フェンリルさん。ちょうど利害が一致しそうでしたから、私は笑顔で、
「でしたら、私が和膳を頼みますから、お互いの日替わりをシェアしませんか?」
「え、いいの?」
「私も和膳を頼みたいけどパスタも少し気になってた所でしたから。駄目ですか?」
「ううん。木更ちゃんがそれでいいなら」
ぱっと目を輝かせ、フェンリルさんはいいます。
「では、日替わりのランチと和膳をひとつずつ」
私は水菜さんにいいました。
よほど両方気になってたのでしょう。フェンリルさんは嬉しそうに小さくガッツポーズし、
「やった。木更ちゃんと間接キス」
私は提案したことを少し後悔しました。
数分後。
「お待たせしましたですよ」
と、菊菜さんが二食分の食事を私たちの前に運んでくれました。
私が頼んだ和膳は、メインの二品に加えおひたし、煮物、お新香など数種類の小鉢に味噌汁付きと予想を裏切る品数の多さ。対し、フェンリルさんのランチは、メイン二品の他にはサラダに味噌汁と品数こそ平凡だけど、よく見るとパスタに入ってるきのこが種類も量も盛り沢山。原価こそおそらく和膳のほうが高価なのでしょうけど、どちらがお得感あるか決めるのは困難に見えます。
「いただきます」
私は、一度手を合わせてから、まず煮魚に箸を伸ばします。秋刀魚は今の時期にしてはとても脂がのってて、煮付けた影響で口の中で殆ど噛まずにとろけました。生姜が少し利いた甘めの醤油だれも、今日の魚に併せて配分を調整されてるのでしょう。素人の舌とはいえ700円の味を超えてる気がします。
「あれ?」
と、ここでフェンリルさんが呟くのが聞こえました。
「どうしました?」
訊ねると、
「ううん。シェアするって聞いたから、先に取り分けるものと思ってたんだけど」
そういうフェンリルさんは、すでに店員から小皿を貰って、パスタとハンバーグを取り分けてる所でした。
「ふふ、一度口をつけたものがご希望じゃなかったのですか?」
さっき間接キスを期待して握り拳作ってたくらいですし。
すると、フェンリルさんはばつが悪そうに、
「つい声に出しちゃった時点で諦めてたよ。だから警戒して先に取り分けると思ってたのに」
「わざわざ二度も期待を裏切ることはしませんよ」
言いながら、私は煮魚を一口大ほど箸で掴んで、
「はい、あーん」
と、フェンリルさんにやってみます。
「え!?」
予想通り、顔を真っ赤にするフェンリルさん。そんな様子が可愛くて、私はつい追い打ちで愉しみたくなってしまい、
「要らないのですか?」
「い、要ります」
「でしたら、はい、あーん」
「ん、あ、あーん」
口を開け、唇をぷるぷる震わせるフェンリルさんに、私は悪戯せず、いえ逆に「悪戯しないという悪戯」って気分で、本当に「あーん」で食べさせました。
「どうですか?」
味の感想を聞いた所、フェンリルさんは、
「恥ずかしさと緊張で味分からない」
と、正直に初心な一面を吐露してくれました。
――現在時刻13:50
「ごちそうさまでした」
終始「からかい上手な藤稔さん」とばかりにフェンリルさんで遊びながら、私たちは出された料理を空にしました。
「美味しかったですね、フェンリルさん」
どの料理もとても美味しく、私が舌と胃で満足してる反面、
「う、うん」
遊ばれすぎたフェンリルさんは、赤面のレベルさえ通り過ぎ放心の域に入りながら、
「ボク、幸せすぎてもうゴールしてもいいかも」
なんて言う始末。
「これで数日間は襲わないで済みそうですか?」
「たぶん」
恍惚な顔をして、フェンリルさんはいいます。
程なくして水菜さんが、
「食後のドリンク、ご用意してもよろしいですか?」
と、タイミングを見計らい確認をとってきたので、私は、
「お願いします」
「プラス200円でケーキかアイスクリームをお付けできますけど」
「なら私はケーキを。フェンリルさんは?」
訊ねると、
「ボクもケーキを」
と、返事。
「かしこまりましたです」
水菜さんはいいました。ちなみに、事前に注文したドリンクは私もフェンリルさんもホットコーヒーです。
「ありがとうございましたですよ」
菊菜さんが、店を出る他のお客さんを見送りしていいました。
気づくと、先ほど出て行った方を最後に、店内の客は私とフェンリルさんだけになってて、お店は一転して寂しささえ感じるほど静寂に包まれてました。いつの間にかヴェーラちゃんもおりません。
「一気にいなくなりましたですね」
水菜さんが、菊菜さんにいいました。
菊菜さんはくすりと微笑み、
「近くで何かイベントがあるのかもしれないですね。今日は普段より混んでましたから」
と、いってから。
「時間までは少し早いですけど、ちょうど良さそうですから今日は僕もこれで失礼します」
「そういえば菊菜さんのシフトは2時まででしたですね」
水菜さんは時計を確認してから、
「では賄いを用意しますです」
「うーん、今日は」
「食べないですか?」
「気になるじゃないですか。さっきのお客様たち」
と、店の玄関に視線を向け菊菜さんはいいます。すると、水菜さんは悪い笑みを向け、
「確かに、ですはい」
「面白いことがあったら報告しますですよ」
「毎度ありがとうございますです」
なんか、ふたりの間に「お主も悪よの」とか言いそうな空気が流れてます。
そのまま菊菜さんは奥に入っていき、戻ってくることはありませんでした。従業員用に裏口があるのでしょう。
「お待たせしましたです」
水菜さんが二人分のケーキセットを席に置きました。ここでフェンリルさんが、
「この店自体が情報屋だったんだ」
って。
(え?)
私はきょとんとフェンリルさんを見ます。私は、先輩からそういう事は一言も聞いてなかったのですけど。
「くすっ、ヴェーラさんにスペースを貸し出してる以上、そっちの世界に全くノータッチってわけではないですはい」
水菜さんからの返事は、微妙に肯定とも否定とも取れないもの。とはいえ、完全な昼の人間でもないのは確かのようで、フェンリルさんはコーヒーを飲みながら、
「そっか。じゃあ不用意に口は漏らさないほうが良さそうだね」
「逆に私やヴェーラさんの耳に入ってもいいと割り切るなら、下手に外で話すよりは安全ですよ? 防音や盗聴対策はバッチリしてしますですから」
「そうやって、情報交換の場を提供することで情報屋として商品が集まる仕組みになってるわけだ。上手いなあ」
と、傍から聞くには完全に水菜さんを情報屋扱い。まあ、さすがに私もグルだろうなとは思いますけど。
「……ところで」
不意に、水菜さんは神妙な顔でいいました。
「フェンリルさん、といいましたですね。突然ですけど、
「時子? 初めて聞く名前だけど」
フェンリルさんはいいます。けど、この話題に私は横で、
「確か、10年前の
「はいです」
「知り合いなのですか?」
「そんな所です」
水菜さんはうなずきます。
「というか、そのヴェーラって情報屋から聞けばいいんじゃないの?」
フェンリルさんはいうも、
「それが、ヴェーラさんも知らないそうです。曰く『空気を読んで現時点で想定されてるMISSION29以後のログは読まないでおいた』そうで」
と、水菜さん。
「MISSION29って?」
「それを知ってたらちゃんと補足しますです」
つまり、いつものヴェーラちゃんですね。私も初めて彼女と会ったときは内心困惑しました。意味が不明すぎて。
聞いてる限り未来を読んでるとかチャネラーとも違うようですしね。どちらかというと第四の壁を突破してるような。
「それって、言い換えれば手に入れようと思えばいつでも手に入る情報をわざと獲得してないって事だよね? なんだよそれ」
不快そうにフェンリルさんがいいます。
「ほんとです」
水菜さんは同意して、
「私にとっても分からない子ですはい。むしろヴェーラさんは本当にこの世界の人間なのでしょうか?」
間違いなく私や鳥乃先輩より付き合いが深いだろう水菜さんが言うのですから、これは相当ですね。
「その『MISSION29』というのが何か分かればいいのですけど」
私がつぶやいた所、
「たぶん、未来を番号付けしたものじゃないかな?」
フェンリルさんがいいました。
「未来を?」
訊ねた所、
「そう読み替えれば一番しっくりするってだけだけどね。それが直列か並列どちらの29番かは分からないけど」
「どういう事ですか?」
「人の未来は幾つも枝分かれしてるっていう考え方だよ」
フェンリルさんはさらにコーヒーを一口、
「例えば今日ボクは食後にホットコーヒーを頼んだけど、もし紅茶を頼んでたら別の未来に進んでるよね。そういうのを繰り返して並列に分かれた未来の29番目か、織り込み済みになってる一直線の未来を段階分けにした中の29番目か」
と、喋ってるフェンリルさんを見て、
「もしかして、そういうジャンルの話好きだったりしますか?」
と、つい続けて訊いてしまいます。
たぶん、いまフェンリルさんの言った話はパラレルワールドが関係する話なのでしょうけど、少し生き生きして解説してるように見えたので。
「好き、っていうか希望かな?」
「希望?」
「うん。もしもボクがフェンリルって存在にならなくて、元になった子がいまも幸せに暮らしてる。そんな並行世界があったらいいなって思うから」
私は彼女の言葉を聞いて悲しい気分になりました。
だって、その言葉は自分で自分を否定してなければ出ないはずの言葉ですから。
私は、なんて声をかければいいか迷い、
「フェンリルさん……」
「それに、タイムトラベルとかタイムリープが可能になれば、別の時系列の木更ちゃんを拉致したり、壊れるまで犯しては無かった事にしたり、それこそ木更ちゃんがボクのモノになる未来に進むまで何度もコンティニューできるからね」
相変わらず、不意打ちで危険な発想をぶっこんでくる子です。さっき抱いた私の悲しい気持ちはどうすればいいのでしょうか。
「あ」
と、ここでフェンリルさん。話しながらケーキに手をつけずコーヒーばかり飲んでたせいか、先にコーヒーだけが空になってしまった模様。
「えっと、さすがにコーヒーのおかわり無料とかは」
「無いですね」
残念ながら水菜さんはいいます。
「だよね」
がっくりするフェンリルさん。それなら私のをと飲みかけのコーヒーを差し出そうとした所、水菜さんは私をそっと手で静止します。そして、
「ですから」
と、首を乗り出し、水菜さんはいいます。
「少し暇つぶしに付き合ってくれませんですか?」
「暇つぶし?」
「デュエルです。フェンリルさんが勝ったら今日はおふたりともコーヒーのおかわり無料でいいですはい」
と、おもむろに水菜さんはデッキがセット済のデュエルディスクを取り出しました。
フェンリルさんは疑う目で、
「それはおいしい話だけど、ボクが負けた場合は?」
「おかわり有料なだけです。それとも自分から罰ゲームが欲しいマゾさんだったりですか?」
あれ? その言葉お客に言っていい言葉じゃないような気が。
「まさか。木更ちゃんのスパンキングとかなら悦んで受けるけど。うまい話には裏があるのが普通じゃないか」
「そもそも悦ばないでください」
私は直前の違和感も忘れ突っ込みを入れるも、フェンリルさんから返事はなく、逆に水菜さんが、
「なるほどです。どうやら彼女によほどご執心の様子。でしたらです」
と、意味深に棚の奥からジャムでも入ってそうな瓶をひとつ引っ張り出し、
「フェンリルさんが勝ったら、これも贈呈しましょうです」
「なに、これ?」
「水菜副店長特性、合法媚薬ですはい」
「デュエルスタンバイ!」
フェンリルさん興奮しすぎです!
途端、席を立ち、やる気満々でデュエルディスクを構えるフェンリルさんの変わり様に私は唖然としてしまいした。
ところで、合法媚薬といったその瓶ですけど。
よく見たら、スタジオミストの事務所で、修羅場中の深夜に精力剤といってコーヒーに溶かしてたのを見たことがあります。見たことのない商品だと思ったら、ここのオリジナルだったのですね。
フェンリル
LP4000
手札4
[][][]
[][][]
[]-[]
[][][]
[][][]
水菜
LP4000
手札4
という流れで、私としては絶妙に微妙という形容しがたい形で始まったデュエル。
先攻はフェンリルさんに決まったようで、
「ボクのターン。モンスターとカードを1枚ずつセットしてターンを終了するよ」
と、最低限の布陣を敷いてターンを明け渡します。
「では私のターンですね。ドローです」
続けて水菜さんのターン。ハングドの資料にはなかった為、私は決闘者としての水菜さんの実力は知りません。鈴音さんと同期らしいですから、それなりの実力者とは思うのですけど。
「くすっ、私は手札から《ブラッド・ドール》を通常召喚しますです」
フィールドに出現したのは、呪いの西洋人形を思わせるモンスター。その体は血塗られており、ホラーな印象を感じさせますが、攻撃力はたったの500。
「そして、カードを2枚セットし、《ブラッド・ドール》でセットモンスターに攻撃です」
そんなカードを、まさかそのまま攻撃宣言してきたのです。おそらく戦闘に関する効果を持ってるのでしょう、と思ったらそういうこともなく、
「セットモンスターは《ティンダングル・エンジェル》。守備力1800だよ」
正体を現したモンスターに人形は突っ込んでは、
水菜 LP4000→2700
普通に水菜さんはダメージを受けました。が、水菜さんは「くすくす」薄ら笑いを浮かべ、
「高守備力のモンスターをセットしてくれてありがとうですはい。手札から速攻魔法《血の継承》を発動」
「あっ」
フェンリルさんは驚き、
「まさか、《ブラッド・ドール》で攻撃した目的は能動的に戦闘ダメージを受ける為?」
「正解です。《血の継承》は私が戦闘か効果でダメージを受けた際に、手札・デッキ・墓地から受けたダメージ以下の攻撃力を持つブラッドモンスターを特殊召喚するですはい」
今更ですけど、水菜さんって絶妙に語尾が独特ですよね? 菊菜さんも語尾に「です」をよく付ける方ですけど、水菜さんはむしろ異常につけてます。
「私はデッキから《ブラッド・コックマン》を特殊召喚です」
フィールドに現れたのは、血塗られたフライパンとフライ返しを握ったひとりの料理人。攻撃力は1200。けど、このタイミングで展開するのは水菜さんだけではありません。
「ボクも《ティンダングル・エンジェル》のリバース効果を発動するよ。このカードがリバースした場合、手札・墓地からティンダングルを1体裏側守備表示で特殊召喚する。ボクは手札の《ティンダングル・イントルーダー》をセット」
「ですが、そのモンスターの守備力は0です。続けて《ブラッド・コックマン》で守備表示のイントルーダーに攻撃です」
水菜さんの攻撃宣言。しかし、指示を受けても《ブラッド・コックマン》は攻撃を開始しません。
「悪いけど」
フェンリルさんはいいました。
「《ティンダングル・エンジェル》のリバース効果が相手のバトルフェイズに発動した場合、そのバトルフェイズは終了になるよ」
「くっ、そういう効果ですかです」
水菜さんは少しだけ悔しそうに「ターン終了」と宣言しました。
「あ、待って」
ここでフェンリルさんはいいました。
「ここで永続罠《バミューダトライアングル》を発動するよ。この効果はボクか相手のエンドフェイズ毎に1回まで使用可能。デッキからカードを3枚墓地に送るよ」
そういってフェンリルさんはデッキからカードを3枚墓地に送ります。
墓地に送られたカードは、《ティンダングル・スパイク》《ティンダングル・ベース・ガードナー》そして2枚目の《バミューダトライアングル》でしょうか。
「良かった。このカードは同名カードの効果でティンダングルを墓地に送ってないと、ターン終了時に自壊するんだけど、《ティンダングル・スパイク》がいたから自壊はしないよ」
加えて、さりげにフェンリルさんの墓地に《ティンダングル・ベース・ガードナー》が落ちました。彼女のデッキは、墓地にこのカードがいることで真価を発揮するカードが幾つか存在するので、上手く準備が整った形になります。
「なら、改めてターンエンドです」
水菜さんはいいました。
フェンリル
LP4000
手札1
[][][《セットカード》]
[][《ティンダングル・エンジェル(守備表示)》][《セットモンスター(ティンダングル・イントルーダー)》]
[]-[]
[《ブラッド・コックマン》][《ブラッド・ドール》][]
[《セットカード》][][《セットカード》]
水菜
LP2700
手札1
「ならボクのターンだね。ドロー」
フェンリルさんはカードを引いて、
「ボクは《ティンダングル・イントルーダー》を反転召喚するよ。そして、リバース効果によって《ティンダングル・トリニティ》を手札に加える」
イントルーダーには、「ティンダングル」カードを1枚サーチするというリバース効果を持っています。
「続けて、たったいまサーチした《ティンダングル・トリニティ》を通常召喚。そして」
場の3体でリンク召喚、と繋げる気だったのでしょう。
ですが、トリニティの召喚成功時に、水菜さんは早速セットカードを発動。直後、発動の確定を待たずしてフェンリルさんの《ティンダングル・イントルーダー》がフィールドから消えたのです。
水菜さんはいいました。
「くすっ、ここで私は、あなたの場の《ティンダングル・トリニティ》をリリースして《神秘の中華なべ》を発動です」
「え」
と、私たちは反応。続けてフェンリルさんが、
「あのさ。待ってよ、確か《神秘の中華なべ》って自分のモンスターをリリースするカードだよね?」
すると水菜さんはにやけの入った黒い笑みで、
「《ブラッド・コックマン》のモンスター効果。このカードが場にいる限り、私は相手モンスターをリリースして《神秘の中華なべ》を発動できるです」
「嘘っ」
「くすくすくっすす、ちなみにリリースは発動コストですから、今更無効にしてもイントルーダーは帰ってきませんです」
「うわっ! でも、これだけならまだ」
フェンリルさんが言ってしまうと、水菜さんは更に、
「なるほど、これだけならまだ足りないと仰いますですか」
と、フィールドから《ブラッド・ドール》を剥がし、
「それでは要望にお応えして、《ブラッド・ドール》をリリースして効果をチェーン発動です。このモンスターは自身をリリースする事で、相手にレベル4以下のモンスターのリリースを強制させるです」
「げっ」
「どうしたのですか? あなたの要望ですよ? もっと盤上を荒らしてほしいと」
「そんな要望してないよ」
「これでも足りないですか、フェンリルさんはとんだドMです」
「違うよ!」
水菜さん、話術と煽りで完全にフェンリルさんのペースを掴んじゃってます。さすが菊菜さんの親戚。
「と、まあフェンリルさんの性癖暴露はあとにして」
「まだ言うか」
「どちらをリリースするのですか? いえ、どちらが消えるほうがより盤面苦しくてキモチイイ選択ですか?」
「結局後回しにしてないじゃないか」
ふざけすぎて、そろそろフェンリルさんの怒りを完全に買いそうです。
しかも、《ティンダングル・トリニティ》は、「ティンダングル」モンスターのリンク素材になった場合に様々なアドバンテージを与えるカード。そんなカードをリリースしたら、現時点のフェンリルさんに「ティンダングル」リンクモンスターを出す手段がないか、少なくともリンク1は持ってないという情報を与えてしまう形になります。
そのうえ攻撃力0で攻撃表示だったので、ブラフで残すわけにもいきません。
「トリニティをリリースするよ。ああもう」
フィールドを離れる《ティンダングル・トリニティ》。続けて《神秘の中華なべ》の効果も受理され、
水菜 LP2700→4900
《ティンダングル・イントルーダー》の攻撃力分、水菜さんのライフが回復。
「そして、《ティンダングル・エンジェル》の攻撃力では《ブラッド・コックマン》は倒せないです。料理人様々ですねごちそうさまです」
「ああもう、その口黙らせたいのに何もできないのすっごいストレス溜まるよ」
いまにも地団駄を踏みそうな様子のフェンリルさん。
「仕方ない、カードをセットしてターン終了」
と、フェンリルさんは宣言。直後、バンと音を立てて自壊する《バミューダトライアングル》。
「え?」
一瞬、私もフェンリルさんも何が起こったのか分からず呆然となるも、すぐ、
「あっ」
と、気づきました。
効果を発動し忘れてたのです。
「くすっ」
水菜さんは、ここぞと嘲笑で追い打ちをかけ、
「なるほど。確かにこのターン『同名カードの効果でディンダングルを墓地に送って』ないですからね。これは儲けものでしたですはい」
「何だよこれ。何だよこれっ!」
店内だということも忘れ、怒声をまき散らすフェンリルさん。
さすがハングドのトップ陣とほぼ同期。相手の動きを読むに必要な情報を手堅く入手しつつ、話術で相手を翻弄し自滅に誘う。このまま進めばフェンリルさんは実力の半分も出せずに負けるという展開だってあり得ます。
「合法媚薬なんて、絶対入手しなくちゃいけないのに」
いえ、むしろ入手しないでくれますか?
フェンリル
LP4000
手札1
[《セットカード》][][]
[][《ティンダングル・エンジェル(守備表示)》][]
[]-[]
[《ブラッド・コックマン》][][]
[][][《セットカード》]
水菜
LP4900
手札1
「私のターンですね。ドローです」
水菜さんはカードを引き、
「くすくす、こうきましたですか。魔法カード《渇きの主》を発動です。このカードはデッキからブラッドモンスターもしくは通常召喚可能なレベル6以上の闇属性モンスター1体を手札に加え、そのレベル×200ダメージを受けるですはい。私は《ブラッド・ヴォルス》をサーチして800ダメージを受けるです」
水菜 LP4900→4100
ここで水菜さんは、ライフを削ってでも《ティンダングル・エンジェル》を戦闘破壊できる攻撃力1900の下級モンスターを手札に加え、
「そして召喚。ここで《渇きの主》の効果の続きが入りますです。このターン、《渇きの主》の効果でサーチしたカードと同名モンスターを召喚した際、このカードを装備魔法扱いとして召喚したモンスターに装備。装備した《ブラッド・ヴォルス》は2つの効果を得ますです」
「2つの効果?」
フェンリルさんが訊ねると、
「貫通効果と、自身が戦闘で破壊したモンスターのレベルかランク×200だけライフを回復する効果です」
「うっ」
「つまり《渇きの主》で失ったライフは《ティンダングル・エンジェル》を倒して補うですはい」
《ティンダングル・エンジェル》はレベル4なので、《ブラッド・ヴォルス》で戦闘破壊すれば丸々800ライフ分を取り戻せる形になります。
「くすっ、カードを1枚セット。バトルです! 《ブラッド・ヴォルス》! 《ティンダングル・エンジェル》も料理してあげるです」
《ブラッド・ヴォルス》が飛び掛かり、その斧を振り下ろしてモンスターを両断。その衝撃が100ポイント分とはいえフェンリルさんを襲い、さらに《ティンダングル・エンジェル》の断面から血を吹き出すと、水菜さんの体にかかって血塗られた姿にしながら、
フェンリル LP4000→3900
水菜 LP4100→4900
と、ふたりのライフが変動します。
「くす、ごちそうさまです」
水菜さんはさらに煽るようなことを言います。これはフェンリルさん、さらに苛々が募るのでは。
そう思った矢先、フェンリルさんの眼前で空間に裂け目が生まれ、中からひとつの大きな扉が出現しました。しかも、この扉って確か。
「やっと、その口を黙らせることができそうだよ」
フェンリルさんがいいました。煽られすぎたせいか、虚無的に人を見下ろす顔で、
「ボクは罠カード《ティンダングル・ドロネー》を発動するよ。このカードは、墓地にティンダングルが3体以上存在する状態で、相手モンスターの攻撃で戦闘ダメージを受けた時に発動可能。その相手モンスターを破壊し、EXデッキから《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》1体を特殊召喚する」
効果を言い終えると同時に、扉はゆっくりと開く。同時に《ブラッド・ヴォルス》の斧の先から棘のような舌が伸び、心臓を一突き。
舌の付け根から瘴気があがると、《ブラッド・ヴォルス》を消滅させながら、中から《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》が姿を現しました。
「
散々煽られた分を少しでも煽り返すように、フェンリルさんはいいました。さらに、
「そして《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》の攻撃力は0だけど、ボクの墓地に《ティンダングル・ベース・ガードナー》を含むティンダングルが3種類以上いる場合、攻撃力は3000アップする」
《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》 攻撃力0→3000
その、フェンリルさんのモンスターを見て、
「はぇ!?」
水菜さんは変な声を出しました。
「私のモンスターを破壊した上、攻撃力3000のモンスターをポンと召喚ですか。まさか、そんなカードがあるとは迂闊でしたです」
対し、今度は水菜さんのほうがこの状況に何もできないらしく、
「仕方ないです。私はこれでターン終了です」
フェンリル
LP3900
手札1
[][][]
[][][]
[《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》]-[]
[《ブラッド・コックマン》][][]
[《セットカード》][《セットカード》][]
水菜
LP4900
手札0
「じゃあ、ボクのターンだね。ドロー」
先ほどの虚無的な顔のまま、トーンの落ちた声で静かにカードを引いて、
「手札から永続魔法《ナーゲルの守護天》を発動。このカードが魔法・罠ゾーンに存在する限り、メインモンスターゾーンに存在するボクのティンダングルモンスターは戦闘・効果では破壊されない。さらに、《ティンダングル・アポストル》をケルベロスのリンク先に通常召喚。この時点で、アポストルは《ナーゲルの守護天》によって戦闘破壊と相手の効果破壊を受け付けない」
ここで、いまドローしたカードを含め手札を使い切るフェンリルさん。なお、アポストルの攻撃力は800。
「そして《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》は自身のリンク先にいるティンダングルモンスター1体につき、攻撃力をさらに上げる」
この効果により、アキュート・ケルベロスの攻撃力はさらに変化し、
《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》 攻撃力3000→3500
なんて数値に。
「バトル! このターンで決めてやる! 《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》で《ブラッド・コックマン》に攻撃!」
アキュート・ケルベロスの口から強力な炎のブレスが放たれる。料理人は一瞬で炭になり、超過ダメージが水菜さんにまで届くその瞬間、
「《ナーゲルの守護天》更なる効果! ボクのティンダングルが相手に与える戦闘ダメージを、1ターンに1度だけ倍にする」
「そういう事ですか」
水菜さんがつぶやきました。たぶん「このターンで決める」を指してのことでしょう。
水菜さんのライフは4900。ここでアキュート・ケルベロスで攻撃しても水菜さんには2300ダメージしか与えられず、アポストルの800ダメージを加えても、ライフは1800も残ってしまいます。
ですが、この効果を介してなら、アキュート・ケルベロスが与えるダメージが4600まで跳ね上がるので、
水菜 LP4900→300
と、一気に虫の息な数値に。
「終わりだよ。《ティンダングル・アポストル》で直接攻撃」
フェンリルさんは勢いのまま言いますけど、
「ところがどっこい」
水菜さんは言いました。そして、2枚あるセットカードのうち1枚を表向きにして、
「アポストルが攻撃する前に、私が戦闘ダメージを受けたタイミングで2枚目の《血の継承》を発動です」
「えっ」
ピタッと動画みたいに一時停止するフェンリルさん。あのカードは確か、
「この効果で私は、受けたダメージ4600以下の攻撃力を持つブラッドモンスターを手札・デッキ・墓地から特殊召喚するですはい」
「げっ」
さーっと顔が青ざめるフェンリルさん。仮にブラッドモンスターの中に攻撃力4000級のモンスターがいた場合、それさえも簡単に呼び出してしまえるのである。
「くすっ、心配しなくても大丈夫です。私が出すのは攻撃力1400の《ブラッド・アームガンナー》ですから」
予想に反して出現したのは、右腕がアームガンになった、バイザー付きのメットを被ったワイルドな褐色の男。確かに攻撃力は宣言通り1400ではありますけど、さりげにレベルは8と表示されてます。
「で、す、が。……くく、くすっ」
水菜さんは、わざらしく笑みを噛み殺し、堪えきれない声をしっかり漏らしながら、
「《ブラッド・アームガンナー》のモンスター効果。このカードの召喚・特殊召喚に成功した時、フィールド上のモンスター1体を選んで破壊するです。私は当然アキュート・ケルベロスを破壊」
直後、アームガンナーはジョジョ立ちにありそうな独特なポーズを取りながらアームガンでアキュート・ケルベロスを撃ち抜きます。
おまけに、
「なお、《ブラッド・アームガンナー》のこの効果は無効化される効果を受け付けませんです」
と、元々フェンリルさんに無効する手段なんてなさそうなのに、わざと言い放つ水菜さん。
フェンリルさんは、再び光景を呆然と見てるも、程なくして「あっ」となり、
「そっか。《ナーゲルの守護天》はメインモンスターゾーンへの耐性、EXゾーンのアキュート・ケルベロスには耐性付かないのか」
と、驚きます。
そういえば、前にフェンリルさんと対戦したときも、普通に勘違いしたまま説明してた気がします。今回はメインモンスターゾーンと言ってましたけど、頭の中では完全に混同したままだったのでしょう。
「ターン終了だよ」
フェンリルさんはいいました。先ほどまでの表情も剥がれ、意気消沈に近い様子がみて取れます。
フェンリル
LP3900
手札0
[][][《ナーゲルの守護天》]
[][《ティンダングル・アポストル》][]
[]-[]
[][][《ブラッド・アームガンナー》]
[《リビングデッドの呼び声》][][]
水菜
LP300
手札0
「私のターンですね、ドローです」
そんな中、カードをドローする水菜さん。そして、引いたカードを確認して、
「なるほどです。そうくるですか」
と、つぶやきました。
「まずは《リビングデッドの呼び声》を発動。墓地から《ブラッド・ドール》を特殊召喚です」
「うわ、またか! って、え?」
フェンリルさんが相反するふたつの反応を見せた中、
「《ブラッド・ドール》の効果です。《ティンダングル・アポストル》をリリースしてくださいです」
水菜さんは宣言。これが通れば、一応、手札とフィールドにフェンリルさんのカードが一切なくなります。でも……。
「あ、うん」
言われるままリリースするフェンリルさん。その様子は、虚無とも意気消沈とも違った困惑を見せており、私はその理由に気づいてるので苦笑いを抑えるしかできません。
「続けて《ブラッド・アームガンナー》をリリース。《ブラッド・コックマン》をアドバンス召喚です」
あ、このモンスターって上級モンスターだったのですか。攻撃力1200で攻撃力を補う効果も持ってないみたいですけど。
「《ブラッド・コックマン》の効果です。このカードのアドバンス召喚に成功した時、デッキから《ハンバーガーのレシピ》と《ハングリーバーガー》を手札に加えますです」
いえ、一応攻撃力を補う効果は持ってたみたいですね。これを本当に補うといっていいのかは疑問ですけど。
「そして《ハンバーガーのレシピ》を発動です。フィールドか手札から、レベルが6以上になるようにモンスターをリリースして儀式召喚を行うです。私はレベル6《ブラッド・コックマン》をリリースして《ハングリーバーガー》を儀式召喚です」
こうして出現したのは、特に効果も持たず攻撃力2000丁度の儀式モンスター。
「そしてスキル発動、《リバースペイン》!」
あ……。終わった。
「このスキルは、私が戦闘ダメージを受けた次の自分のターンのメインフェイズに発動可能。直前に受けた戦闘ダメージの半分の数値分、ターン終了時まで私のモンスターの攻撃力に加算させるです。直前に受けた攻撃は、《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》から受けた4600ダメージ。その半分の2300分を《ハングリーバーガー》の攻撃力に加算です」
《ハングリーバーガー》 攻撃力2000→4300
モンスターの攻撃力は一気に膨れ上がり、一撃でワンショットキルできる数値に。
「そしてフェンリルさん、あなたの場にはモンスターも魔法も手札でさえも一切ありませんです。リバース効果デッキという仕様上、もしかしたらモンスターをセット状態に戻す墓地効果があるのかもしれないですけど、今ならそんな効果も無意味ですはい」
「あー、そっちを読んじゃったのか」
どことなく、すまなそうにフェンリルさんはいいますけど、水菜さんの耳には届かず、
「くすくす、ぐすすす、ぐっすすす、この攻撃が通れば勝負は私の勝ちですはい。粉砕!玉砕!大かっげほげほっ」
見た目は逆に問題ないのですけど、まるで子供みたいに調子乗ってはしゃぐアラフォーのマスターさん。しかも興奮しすぎてゼウスちゃんみたくむせてますし。
「それはともかく、《ハングリーバーガー》でフェンリルさんに攻撃! 破滅のバーストもぐもぐタイム!」
酷い攻撃名を宣言してきました。
……さて、フェンリルさんの酷いカードが起動しますよ。
「墓地の《ティンダングル・ドロネー》を除外して効果を発動」
「へ?」
「このカードは墓地に存在する場合、除外することで墓地のティンダングルモンスターを3体裏側守備表示で蘇生するよ」
フェンリルさんはいって、
「ボクは《ティンダングル・エンジェル》《ティンダングル・スパイク》《ティンダングル・イントルーダー》の3枚をそれぞれ裏側守備表示で蘇生」
「何ですかそのカードは!?」
水菜さんはオーバーリアクションに仰け反り、
「で、でしたらせめて《ティンダングル・エンジェル》だけでも攻撃して落としますです。テンペストもぐもぐアタック!」
また攻撃名が。
ですけど、《ティンダングル・エンジェル》は攻撃を受けてリバースはしたものの、肝心の戦闘破壊はされません。
「これは」
呟く水菜さんに、
「《ナーゲルの守護天》の効果で、ボクのティンダングルは戦闘破壊されないよ」
「そうでしたです」
ガックリする水菜さん。そこへ追い打ちをかけるように、
「ねえ、ひとつ聞いていいかな? 前のターン、どうして《リビングデッドの呼び声》を使わなかったの?」
「え?」
「そうすれば、いくら《リバースペイン》があるからって、アキュート・ケルベロスの攻撃前にアポストルを除去してればダメージは1000は抑えれたはず」
そこまでフェンリルさんはいってから、
「これはボクの推測だけど、水菜さん《ブラッド・コックマン》を引いて急に戦略変えたよね? 本当は《リビングデッドの呼び声》で呼び出すのは《ブラッド・ヴォルス》で、《リバースペイン》をどちらかにかけてアームガンナーと2体で《ティンダングル・アポストル》をサンドバッグにする気だったんじゃ」
「その通りです、はい」
今度は水菜さんのほうが意気消沈した様子でいいます。そこをフェンリルさんは、いままで煽られた分が込められた満面の笑顔で、
「ごめんね。そっちルートだとボク負けてたんだ♪」
「ですよねです」
膝をついてORZなポーズを取る水菜さん。
フェンリルさんって、結構どろどろした性格してますよね?
フェンリル
LP3900
手札0
[][][《ナーゲルの守護天》]
[《ティンダングル・エンジェル》][《セットモンスター(ティンダングル・スパイク)》][《セットモンスター(ティンダングル・イントルーダー)》]
[]-[]
[][《ハングリーバーガー》][]
[《リビングデッドの呼び声》][][]
水菜
LP300
手札0
「じゃあ、ボクのターンだね。ドロー」
フェンリルさんはカードをドロー。しかし、水菜さんはターン終了を口にしてません。
「くっ」
直後、水菜さんは悔しそうに、
「私のターン終了に気づかなければ、フェンリルさんのタイムアップで勝てたものを」
どうやら、ORZのポーズで誤魔化しながら、こっそりターン終了をデュエルディスクに伝えてた模様。
この人も結構酷い性格してますよね?
「はあっ」
フェンリルさんは一回嘆息し、
「その様子なら遠慮はいらないよね? 《ティンダングル・スパイク》を反転召喚。リバース効果で《ハングリーバーガー》を破壊」
瘴気からティンダロスの猟犬の口と舌だけ突き出たようなモンスターが出現すると、まずその舌を伸ばして《ハングリーバーガー》を突き刺し、
「次に《ティンダングル・イントルーダー》を反転召喚。2枚目の《ティンダングル・ドロネー》を手札に加える。そして」
イントルーダーの効果で、再びあの危険な罠カードがフェンリルさんの手に。加えて、フェンリルさんが腕を高く伸ばすと、辺りは急に闇色の世界に切り替わります。
フェンリルさんはいいました。
「木更ちゃんに届け、ボクのサーキット!」
「それ私の口上!?」
私の「かすが様に届け、私のサーキット!」がパクられました。
「アローヘッド確認! 召喚条件はティンダングルモンスター3体。ボクは《ティンダングル・エンジェル》《ティンダングル・スパイク》《ティンダングル・イントルーダー》の3体をリンクマーカーにセット! 来て、LINK-3! 鋭角の王《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》!」
フェンリルさんの上空にリンクマーカーが出現すると、3体のモンスターは鋭い鋭角に変わりながらマーカーへと取り込まれます。すると、リンクマーカーは先ほども出現した扉へと姿を変え、煙と共に中から飛び出たのは3つの炎。それは混ざり合い、三つ首のモンスター《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》に変わりました。
もちろん、攻撃力はすぐ0から3000に。
「じゃあ、いくよ。《ティンダングル・アキュート・ケルベロス》で攻撃。《ナーゲルの守護天》の効果で戦闘ダメージを倍に」
しっかり、フェンリルさんは6000ダメージに変えてフィニッシュしてました。
水菜 LP300→0(-5700)
まあ、えっと。
水菜さんって言動は終始相手を煽っておちゃらけて引っ掻き回すスタイルでしたけど、デッキ自体は派手な動きもせず1:1交換の除去を中心に、地道に盤上をコントロールする動きでした。
そんな水菜さんのデッキでは、悪いですけど《ティンダングル・ドロネー》を使われるだけで負けますよね。
――現在時刻14:10
「お待たせしましたです」
デュエル前後とはうって変わり、水菜さんは穏やかな顔でコーヒーを淹れなおし、2人分のカップを私たちの席に置きます。
それも、私たちが選ばなかったほうのデザートであるアイスクリームも一緒に。
「いいの?」
と、アイスを指してフェンリルさんが訊ねると、水菜さんはくすりと優しい微笑みで、
「気にしないでくださいです。こちらは別件で私からの奢りですから」
「別件?」
「久々にデュエルで煽り全開のDQNプレイさせて頂きましたですから」
「ああ。あれはすっごく苛々したよ」
フェンリルさんはいいながら、まだ残ってたケーキと一緒に2杯目のコーヒーを愉しみます。
「昔から、ああいうプレイスタイルだったのですか?」
私が訊ねると、
「そうですね。当時からデュエルセンスがぶっ飛んでた霧子さんや、すべてを10点満点中5点のセンスでデュエルする鈴音さんと違って、私は盤上だけで勝てる人間ではなかったですから」
「だからって、それをここでやるかな」
フェンリルさんはいうも、
「真剣勝負ですから。手を抜いたらそれこそ失礼でしょうです」
というのが水菜さんの言い分です。けど、彼女はデュエルに誘う段階から煽り始めてたわけで、さらに調子に乗りすぎてむせてたり、正直、見た目だけじゃなく中身まで悪戯好きな子供の精神年齢で止まってるのではないかと疑いたくなります。
「あの頃は、3人でふざけあって楽しかったですね」
水菜さんは懐かしそうに言ってから、水を洗い終えた皿を棚に戻し始めました。
タイマーでセットしてあったのでしょう、店内のスピーカーからジャズが流れだしました。ランチタイムを過ぎた静かな店内にとてもよく合います。
私はコーヒーを一口飲み、ここでふと気づいて、
「水菜さん、このコーヒー。1杯目に頂いたものとは少し香りが違うような気がするのですけど」
「あ、本当だ。このコーヒー少し芳ばしい」
フェンリルさんがいった所で、
「気づきましたですか?」
水菜さんがいいました。
「実はこれ、時子が考えたブレンドなんです」
「行方不明の?」
小さく驚くフェンリルさんに、水菜さんは「はい」といい、
「当然、商業利用の許可は得ていないですから、このブレンドは非売品なんです。それでも、いつでも作れる状態にはしておいて、たまにプライベートで愉しんでいるんです」
「このコーヒーも、時子さんって方が戻ってくるのを待ち望んでるんですね」
私はもう一口コーヒーを飲みます。
この芳ばしさ、どこか馴染みがある気がするのですけど、一体何だったでしょうか。
「帰ってくるといいね。その時子さんって子」
フェンリルさんがいった所、水菜さんはほんの数秒のタイムラグの後、
「……ええ、そうですね」
と、返してから、小さくぼそっと。
「やっぱり、他人なのでしょうか」
呟くのが聞こえました。
何が他人なのでしょうか。私は気になりましたけど、確認しようかどうか考える間もなく、
「水菜~。ち~~~~~~っす」
突然、ハングド司令の高村さんが、完全に泥酔しきった状態でやってきたのです。その隣には見慣れない女性が高村さんと肩を組みあって、
「えへへ。みなっち~やっほ~~」
と、同じようなノリで水菜さんに挨拶します。
その様子から、彼女も高村さんや水菜さんの同期でしょうか。少し長めの髪に、暖色で動きやすさ重視のボーイッシュな服装。おそらく30歳は超えてると思いますけど、無邪気な笑顔が可愛らしく、まるで大学生~新卒社会人のようなエネルギッシュさがあり相応の若々しさを感じる方です。
水菜さんは困った顔で、
「霧子さん優希さん、なに昼の2時から出来上がってるですか」
「アンタにだけは」
「言われたくないよ」
ふたりはおぼつかない足取りでフラフラと進んではボックス席に倒れこみます。直後、少し遅れて鈴音さんが追いかけるように来店して、
「水菜さん、申し訳ありませんけど温かいお茶を三人分お願い致しますわ」
するとふたりは横から、
「あ、私は例の麦茶とほうじ茶をミックスしたオリジナルブレンドで」
「ぼく……じゃなかった私も」
優希さんといったはず。すぐ訂正したとはいえ、その年で自分をぼくという方は初めて見ました。
「それはまかない専用の非売品です」
と、水菜さんは言いながらもすぐコンロでやかんを温めだし、私たちに向かって小さく、
「友人という名の馬鹿共が煩くしてごめんなさいです」
って、こっそり豆菓子をプレゼントしてくれました。
「やっぱり、いい店だね。ここ」
アイスも完食し、豆菓子を口に放り込みながらフェンリルさんはいいます。
私は、
「そうですね」
と、いいながら。私はむしろ『喫茶なばな』にそれとない寂しさを感じてました。
ジャズの流れるゆったりとした空間で、昼は皆の憩いの場として、夜は情報を求める業界の人たちが集う場として、お店はすべてを受け入れる。
だけど、このお店が本当に待ってる人間は、未だ顔を見せてくれない。
時子さんという方。
彼女の手掛かりを記した『MISSION29』という謎のワードの中に、今日私たちがお店にきたことは関係しているのでしょうか。
全ての真実は、まだ闇の中。
おそらく、ヴェーラさんという方にとっても。
今回登場した【ブラッド】デッキはオリカによるオリジナルテーマになります。(《ブラッド・ヴォルス》はOCGですけど)
このテーマはかつて別の場所で遊戯王の小説を投稿してた際に作っていたテーマで、その内のモンスターは実際に当時用意していたオリカのリストからサルベージして使ってます。(テキストはたぶん最新の表記にしましたけど)
こっそりMISSION6で出した《渇きの主》というオリカを【ブラッド】対応にしていたので、いつか出そうと思って約2年半やっと実現した形になりました。
●今回のオリカ
ブラッド・ドール
効果モンスター
星2/闇属性/悪魔族/攻 500/守 500
(1):このカードをリリースして発動する。
相手はレベル4以下の表側表示モンスター1体をリリースしなければならない。
この効果は相手ターンでも発動できる。
ブラッド・コックマン
星6/闇属性/戦士族/攻1200/守1000
(1):このカードはリリースなしで通常召喚できる。
(2):このカードのアドバンス召喚に成功した時、デッキから「ハンバーガーのレシピ」および「ハングリーバーガー」をそれぞれ1枚まで手札に加える。
(3):このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、自分は相手モンスターをリリースして「神秘の中華なべ」を発動できる。
血の継承
速攻魔法
(1):自分が戦闘・効果でダメージを受けた時に発動できる。
受けたダメージの数値以下の攻撃力を持つ「ブラッド」モンスター1体を手札・デッキ・墓地から特殊召喚する。
バミューダトライアングル
永続罠
このカード名の(3)の効果は1ターンに1度しか使用できない。
(1):1ターンに1度、自分または相手のエンドフェイズ時に発動できる。デッキの上からカードを3枚墓地に送る。
(2):ターン終了時に発動する。このターン、このカード名の効果によって「ティンダングル」カードが墓地に送られていない場合、このカードを破壊する。
(3):墓地のこのカードを除外し、手札から「ティンダングル」カード1枚を捨てて発動できる。
デッキから「バミューダトライアングル」1枚を手札に加える。
ティンダングル・スパイク
リバース・効果モンスター
星4/闇属性/悪魔族/攻1700/守 0
(1):このカードがリバースした場合に発動できる。
相手フィールド上のカード1枚を選択して破壊する。この効果が相手モンスターとの戦闘によって発動し、この効果でその相手モンスターを破壊した場合、このカードはその戦闘では破壊されない。
(2):このカードが守備表示モンスターを攻撃した場合、その守備力を攻撃力が超えた分だけ戦闘ダメージを与える。
(3):フィールドに「ティンダングル・ハウンド」もしくは「ティンダングル」リンクモンスターが存在する場合に、このカードが相手に戦闘ダメージを与えた場合に発動する。相手の手札をランダムに1枚選んで捨てる。
渇きの主
通常魔法
(1):自分のデッキから「ブラッド」モンスターもしくは通常召喚可能なレベル6以上の闇属性モンスター1体を手札に加え、自分はそのモンスターのレベル×200ダメージを受ける。
この効果を発動したターンに同名モンスターの通常召喚にした場合、墓地に存在するこのカードを装備魔法扱いとして、そのモンスターに装備する。
(2):装備モンスターは以下の効果を得る。
●このカードが守備表示モンスターを攻撃した場合、その守備力を攻撃力が超えた分だけ戦闘ダメージを与える。
●このカードが戦闘によってモンスターを破壊し墓地へ送った時、破壊したモンスターのレベルもしくはランク×200ライフポイントを回復する。
ブラッド・アームガンナー
効果モンスター
星8/闇属性/戦士族/攻1400/守1800
(1):このカードの召喚・特殊召喚に成功した時、フィールド上のモンスター1体を選んで破壊する。この効果は無効化されない。
リバースペイン
スキル
(1):自分が戦闘ダメージを受けた次の自分のターンのメインフェイズに、自分フィールド上の表側表示モンスターを1体選択して使用できる。
このターン中、選択したモンスターの攻撃力は直前に受けた戦闘ダメージの半分の数値分アップする。
(遊戯王デュエルリンクス)