鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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アナザーエピローグ 二人手をつないで

 ルシフの身体はグレンダンの病室に寝かされていた。

 その周りをアルシェイラ、動ける天剣授受者たち、レイフォン、ニーナ、マイ、生き残った剣狼隊小隊長たちが囲むように立っている。

 何故、今こんな状況になっているのか?

 答えはルシフが死んだ直後のメルニスクの言葉にある。

 メルニスクはまず念威操者に『この場の情報をどこにも漏らさないでくれ』と言い、他都市や他のグレンダンの者たちに情報がいかないようにした。そうした後で、メルニスクはこう言ったのだ。『まだ完全に死んでない』と。

 当然の話だが、心臓が止まり、全く剄が感じられないならその人間は死んでいる。武芸者として生まれた者は剄を扱う臓器を持っていて、肺や心臓と同様に無意識下でも機能を発揮している。寝ている時も微弱な剄を武芸者からは感じられるのだ。それがない。つまり、間違いなく死んだ。

 なのに、メルニスクは死んでいないと言う。それどころか、生き返らせるからグレンダンの病室にルシフを連れていってくれとアルシェイラたちに頼んだ。生き返らせると聞いたアルシェイラたちが驚愕したのは言うまでもない。

 そして、今に至る。周りの人間からはルシフの死体を運んでいるようにしか見えなかったため、何かしらの疑念は抱かれなかった。まあ実際死体を運んでいたのだから、それ以外の疑念など抱きようがないが。

 病室に黄金の粒子が集まり、牡山羊の姿を形作る。メルニスクはちょうどルシフの頭の後ろに顕現した。

 

「さあ、あんたの言った通り連れてきたわよ。詳しい話を聞かせなさい」

 

 アルシェイラが全身火傷を負った身体で言った。アルシェイラは火傷に対し、最低限の処置しかしていない。髪も焼け焦げてボロボロだ。

 

「ルシフを斬った際、我の力をルシフの身体に流しこんだ。その力でルシフの身体機能を停止させていった」

 

「? ようは死んだってことでしょ?」

 

 剣で貫かれようが、炎で焼かれようが、身体の機能を停止させたら死ぬ。原因が何かなどは問題ではない。身体の機能が停止した。その結果が全てなのだ。

 

「否。重要なのは我の力が停止させたという事実。故に、我が再び力を使えば、身体の機能を再開させられる」

 

 つまり、メルニスクはルシフを仮死状態にしたのだ。

 

「でも、身体の機能を再開させたところで……」

 

 レイフォンが呟いた。

 そう。仮に身体の機能を再開させたところで、ルシフの今の身体の状態ではすぐに死んでしまう。仮死から死に移行するだけだ。治療しようにも、その場合はメルニスクの力で停止させた臓器に手を加えるわけだから、手を加えた時点でメルニスクの力が消えてしまうかもしれない。仮死状態が解けてしまう可能性があるのだ。

 メルニスクはニーナの方に頭を向ける。

 

「ニーナ。汝は放浪バスの中で言っておったな。電子精霊に救われたと」

 

「シュナイバルに向かう途中にした話のことか? 確かにわたしは電子精霊に救われた。その電子精霊がわたしに命をくれたおかげだ。 ……ん? まさか……!」

 

 ニーナは沈んだ表情でメルニスクに応えていたが、話していく内に目を見開いた。メルニスクの意図を察したからだ。

 

「汝の話を聞き、ずっと思考していた。ルシフから異世界の魂だけを消滅させ、ルシフの魂だけを救う方法を」

 

 病室に蒼銀色の粒子が集まり、電子精霊グレンダンが顕現した。続いて緑色の粒子が集まり、電子精霊シュナイバルも顕現する。

 

「メルニスク……お前は自身の命と引き換えに、ルシフを復活させるつもりか。そんなことをすれば、半永久的に生存できなくなるぞ。ルシフがいずれ死ぬ時、お前の存在も消滅することになる」

 

「グレンダンよ。それは覚悟の上だ」

 

「妾からも一つ訊かせてもらってもよいですか?」

 

「なんだ? 偉大なる母」

 

「何故、自身の命を犠牲にしてまで、ルシフを救おうとするのです? 確かにルシフの死は残念ではありますが、それがルシフの運命だったのです。メルニスク、あなたはただルシフを喪失した衝撃から逃避しようとしているだけではありませんか?」

 

 メルニスクはルシフの死体の方に頭を向けた。

 

「偉大なる母よ、これがルシフの運命と発言したか? 我らの勝手な思惑で異世界の魂を押しつけられ、イグナシスに対抗するための情報欲しさにルシフの消滅を望んだ。我はずっと見ておった。身体を別の魂に奪われまいと、高熱や頭痛に襲われながらも必死に耐え、表にそれを一切出さず、堂々と振る舞うことを心掛けていたことを。身体を奪われる恐怖に怯えながら、身体を奪われた場合の対策もしっかり準備して、万が一に備えていたことも。それがどれだけ覚悟のいることであったか、汝らに理解できるか? これら全て我らの勝手な都合が与えた苦難だ。我らが強要した運命だ。これをルシフの運命などと発言するのは、我は断じて許容できん」

 

 メルニスクの威圧的な力が病室を支配する。

 メルニスクは怒っていた。自らも含めた電子精霊と創造主であるサヤに対して。

 

「我は命を犠牲にするのではない。我自身の意思で、そうしたいのだ。我の命で捻じ曲げられたルシフの運命を修正し、ルシフ本来の運命を生きてほしい。そう思ったのだ。だから我はルシフに命を捧げる。誰がなんと言おうと、必ず実行する」

 

 メルニスクはルシフの死体を見つめたままだ。

 シュナイバルとグレンダンはメルニスクから視線を逸らさない。

 

「分かりました。あなたが望んで命を捧げるというのなら、妾はあなたの意思を尊重します。グレンダン、あなたはどうです?」

 

「どうも何も、我が認めなかったところでメルニスクは決断したのだ。好きにすればよかろう」

 

「さらば、同胞たちよ」

 

 メルニスクがルシフの死体から視線を逸らさず、そう言った。

 シュナイバルとグレンダンは頷く。病室にいるアルシェイラらやニーナたち、マイや剣狼隊小隊長たちは口を挟めず、ただ黙りこんで電子精霊たちの会話を聞いていた。

 メルニスクは笑っているように見えるルシフの顔を見つめ続ける。

 

 ──ルシフよ。もし汝が我のしたことを知ったら、汝は激怒するであろうな。汝の決断を許容できなかった我の弱さを許せ。そして……。

 

「戻ってこい……友よ」

 

 メルニスクの身体が徐々に黄金の粒子となり、黄金の粒子がルシフの身体に吸い込まれていく。

 

 ──我の命を汝に与えよう。だから……戻ってこい。

 

 やがてメルニスクの身体が全て黄金の粒子となり、病室からメルニスクの姿は消滅した。ルシフの死体は黄金色の光に包まれている。病室にいる者はただその光景を見ていることしかできなかった。

 黄金色の光に包まれながら、ルシフの身体は回復していく。損傷していた臓器がきれいに元通りになり、胴体に斜めに刻まれている剣の傷が塞がっていく。剣の傷だけではない。全身に刻まれた全ての傷が治っていった。

 やがてルシフの身体を包み込んでいた黄金色の光が消えた。ルシフの身体は見た目的には決戦前と同じ、傷一つない身体になっている。その場の誰もがゴクリと唾を飲み込んだ。

 ルシフの目が開かれ、右手で頭を掻きながら上半身をゆっくり起こした。

 マイが感極まり、涙を浮かべてルシフの上半身に抱きつく。しかし、返ってきた反応は予想外であった。

 

「いきなり何するんだ!?」

 

 ルシフはそう言って、マイの身体を振り払ったのだ。

 マイはバランスを崩して床に倒れたが、すぐに両手で身体を支え、上半身だけ起こした。呆然とした表情でルシフを凝視している。

 

「ぼくが誰だか知っての行いか!?」

 

 ルシフはそんなマイに不機嫌さを隠そうともせず怒鳴った。

 ここで病室にいた者全員があれ? と内心首を傾げる。ルシフの一人称は俺であり、ぼくという一人称は使わない。ならば今のルシフは別人格かといえば、それも疑問が残る。別人格ならおそらく、女に抱きつかれていたら喜ぶはずだからだ。

 

「名前も知らない女がぼくに馴れ馴れしく触るな!」

 

 マイはガツンと頭を思いっきり殴られたような衝撃を受けた。名前も知らない女と、間違いなくそう言った。

 

「ルシフさま! 私はマイです! マイ・キリー! あなたの『目』で、あなたの一部で、あなたの物です!」

 

「知らないって言ってるだろ。勝手なこと言うな」

 

 ルシフの冷たい目が、マイを見下ろしている。その目にあるのは無関心。マイに対して何も思っていないし、感じてもない。それが演技ではないのは長くルシフと一緒にいたからこそ、マイは見抜けた。

 マイの両目から涙が溢れた。床に両手をついて上半身を起こしたまま、嗚咽を漏らす。

 

 ──ルシフさまは死んだ。

 

 ルシフの身体は生きてはいる。だが死んだ。マイが生きていてほしいと願ったルシフは死んでしまった。

 マイのこの考えは極めて暴論であった。マイにとってルシフとは、自分を大切に思ってくれて優しくしてくれる人間なのだ。逆に言えば、たとえマイを知っているルシフであっても、何かの拍子でマイに冷たくすれば、マイのルシフへの愛情は一瞬で消える。

 ルシフは病室を見渡した。

 

「で、この部屋はどこだ? ぼくの部屋じゃないし、父上の書斎でもない。なんでぼくはここにいる? そもそもここはイアハイムか? まあいいや。家に帰る」

 

「何を言っているんですか……。ルシフさまの家なら自ら焼き払ったではありませんか」

 

 マイが嗚咽混じりに言った。

 ルシフがマイを睨み、目を吊り上げる。

 

「自分の家を焼き払うだって? ぼくがそんなことをするバカに見えるか? 冗談だとしても言って良いことと悪いことがあるぞ」

 

 病室にいた者はますます困惑した。だが、答えらしきものも朧気ながら浮かび上がっている。

 

「マイ・キリー。あなたがルシフと初めて出会った日はいつ?」

 

 アルシェイラが問いかけた。

 

「私が六歳の時……ですけど」

 

「てことは、もしかしたらあなたと出会った日より後の記憶が失われているのかもしれないわね。一体どれだけの記憶が失われているかは分からないけど、あなたと出会った後の記憶は間違いなく失ってるはず」

 

 アルシェイラの結論は、この場にいる全員が考えたことだ。

 マイの顔がますます歪み、涙は止まることを知らない。マイはとうとう大声をあげて泣き出した。

 そんなマイの右頬を優しく撫でた手があった。ルシフの手である。マイはきょとんとした表情で顔をあげた。ルシフは自分の左手を凝視し、驚愕の表情をしている。

 

「な、なんだ? どうしてぼくはこんなことを……」

 

 マイの脳裏にルシフと過ごした日々が流れる。初めてあった日も、辛いことがあった日も、何かあった時はこうしていつもルシフさまは私の頬を優しく撫でてくれた。

 マイはルシフの左手に右手を重ねた。

 

 ──まだ……ルシフさまの魂の欠片がこの身体に残ってる。

 

 ルシフがまだこの身体に生きていることを、マイは確信した。希望がマイの心に光を灯す。

 なら私は、どんなことをしても私の知るルシフさまを必ず取り戻そう。

 

「初めまして。私はマイ・キリーです。これからよろしくお願いします」

 

 マイは微笑み、そう言った。

 ルシフは困惑した表情のままだった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「で、実際はどうだったの?」

 

「ありとあらゆる検査の結果、ルシフの記憶喪失は間違いないものと。死のショックによる一時的なものかどうかはまだ分かりませんが」

 

 アルシェイラの問いに、カナリスが若干疲れた様子で答えた。

 アルシェイラがいるのはグレンダン王宮の自室。アルシェイラは机の前にある椅子を反対にして座っている。そのアルシェイラの前にカナリスが立っていた。

 

「元気ないわね」

 

「検査しようとする度にルシフが暴れるので、なかなか検査が進まなくて……」

 

 カナリスがため息をついた。

 検査すると言っても、『自分はまともだから検査なんてしない』と言って聞かず、検査で使う道具も放り投げたりして検査を妨害してきたのだ。その場にルシフの監視役としていたカナリスも巻き込まれたのは想像に難くない。

 また、ルシフは家に帰ると譲らず、グレンダンの王宮に留めておくのも大変だった。しかし、イアハイムに──というより、外に出られるわけがない。公にはルシフは死亡したと発表しているのだ。もしルシフが生きているとバレれば、ルシフの命のみならずグレンダンも信用を失う。

 

「それでもルシフに検査を受けさすことができたのよね?」

 

「はい」

 

 カナリスが力強く返事をした。

 

「……てことは、やっぱりルシフの剄は失われていたのね?」

 

「原因は不明ですが、剄脈に異常が発生しており、いわゆる休止状態になっています」

 

 厳密に言えば、完全に剄を発生できなくなったわけではない。生命維持のための必要最低限の微弱な剄は発生させている。ただ、内力系活剄や外力系衝剄、化錬剄といったものに剄を変化させようとしても、剄量が少なすぎて変化させても効果が無い。だから、ルシフは武芸者として完全に終わった。

 剄が使えないことに気付いた時のルシフの取り乱しようは尋常なものではなかった。病室にあったあらゆる物に当たり散らし、病室にいた一人一人を罵倒しまくり、まるで幼い子どものようだった。

 ルシフは今、グレンダン王宮の一室に軟禁状態にしている。部屋から出ることは一切禁止しているが、食事や欲しい物があれば聞くようにしている。

 

「陛下。このままルシフを匿い続けるのも、限界があります。そう長くは隠し通せません。ルシフ自身、何度も脱走を試みておりますし」

 

 実際ルシフの機転で何度も部屋から抜け出されたことがあるが、念威操者の監視を一般人となったルシフが掻い潜れるはずもなく、すぐに天剣授受者かアルシェイラが捕まえた。

 

「それに……自殺を試みる頻度は脱走の比ではありません」

 

 アルシェイラはため息をついた。

 まだ三日しか経ってない。アルシェイラの全身火傷と抉れた右肩の傷も完治していないのだ。しかし、ルシフの自殺試行回数は三十回を軽く超える。そのせいで全く目を離せず、いつも部屋の外の扉近くに天剣授受者、レイフォン、ニーナ、シャーニッド、剣狼隊の内の誰かを立たせなくてはならない。

 

「わたしの個人的な意見ですが、そんなに死にたいんなら死なせてやればいいと考えます。そちらの方が我々としても厄介事がなくなりますし。記憶を失う前のルシフならまだ協議する意味がありますが、今のルシフではデメリットしかありません」

 

「……ルシフの記憶に関しては、あの子になんとかしてもらうしかないわね」

 

 アルシェイラは天井を見上げ、青髪の少女を思い浮かべた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

「アシェナさま、お食事です」

 

 マイが料理の載ったトレーを両手で持ちながら、ルシフの部屋の扉を開けた。

 部屋は散らかり放題であった。大量に散乱している本。机や壁、カーテンといった家具も殴られた跡や刃物でズタズタになっている。そこそこ質の良い家具で統一された部屋が、今では見る影もない。

 部屋の奥。ルシフが不機嫌そうにベッドから身体を起こした。

 マイが床に散乱した本を避けつつ、ルシフに近付いていく。ルシフの眼前にトレーを差し出す。

 ルシフは右手を払い、トレーを吹っ飛ばそうとした。その瞬間、トレーが空中を浮かんで上昇し、天井すれすれで止まった。トレーの下には念威端子が組み合わされたボードがある。

 ルシフは舌打ちした。

 

「もう二ヶ月もこうして一緒に生活しているんです。あなたのやりそうなことは分かっています」

 

 決戦から二ヶ月が経過していた。ルシフの記憶はまだ戻らない。

 

「……なら、ぼくが今食欲が無いのも分かるだろ? 吐き気がするから、さっさと下げろ」

 

「そうもいきません。しっかり食べていただかないと、お身体を崩してしまうかもしれませんので」

 

 天井すれすれのトレーが下降し、再びマイの両手に収まる。当然ルシフの目の前に料理がきた。

 ルシフはマイを睨む。

 

「それを望んでるってなんで分からない!? ぼくは一秒でも早く死にたいんだよ! こんな惨めな生活をずっとさせられ、現状を打開する力も無く、ただ飼われているだけの人生になんの価値がある!? 早く殺せよ、ぼくを!」

 

「あなたは絶対に死なせません」

 

「本当になんなんだよ、キミは!? なんでずっとぼくと同じ部屋で暮らしてるんだ!? 早く出てけ!」

 

 マイはルシフが軟禁された日からずっとルシフの部屋で暮らしていた。アルシェイラにマイが頼み、マイが寝るベッドもルシフのベッドの近くに置かれている。

 

「出ていったら自殺するつもりでしょう? 絶対に出ていきません。さあ、お食事にしましょう」

 

「嫌だって言ってるだろ!」

 

「ならまた前みたいに、無理やり食べさせられたいですか?」

 

 ルシフの顔に不快感が充満する。

 あまりにもルシフが食べなかったから、ニーナやレイフォン、シャーニッドが無理やりルシフの口を開けさせ、料理を食べさせたのだ。

 ルシフにとって、あれほどの屈辱は初めてと言っていい。

 

「……くそッ」

 

 ルシフは仕方なくトレーのスプーンを取り、トレーの料理を食べ始める。フォーク、箸、ナイフは用意されておらず、スプーンで食べられる料理しかない。もちろんこれも自殺させないためだ。

 マイも自身の後ろに浮かんでいたトレーを掴み、食事を始めた。マイの料理も全てスプーンだけで食べられる料理になっている。

 食事を終えると、マイはルシフと自分のトレーを扉付近に念威端子で持っていった。扉が半分開き、誰かの手が二つのトレーを回収していく。回収し終わると、扉は閉じられた。

 

「料理、残さず食べてくれましたね。ありがとうございます、アシェナさま」

 

 マイが笑みを浮かべた。

 ルシフはその顔を見てイラッときた。

 

「……本当にキミはなんなんだ? 分かった。絶対に自殺しない。だから、部屋から出ていけ」

 

「嫌です。あなたの傍にいます」

 

「だからッ! それが鬱陶しいんだよ! お前、内心でぼくのこと嘲笑ってるんだろ!?」

 

「そんなこと、思ってません。私はあなたのお力になりたいだけです。私に心を与えてくださり、人間にしてくれた恩返しがしたいだけです」

 

 ルシフはマイの腕を掴み、ベッドに押し倒した。

 

「ぼくの力になる? ふざけるな! キミみたいな凡人にぼくの何がわかるんだ! えぇ!? 何がわかるんだよ! ぼくは誰よりも優れた人間だったんだ! それが今やくそ弱い落ちこぼれの武芸者にすら勝てなくなったんだぞ! この苦痛が、惨めさがキミなんかにわかるって言うのか!」

 

 そこでマイの身体がルシフの視界に入った。服が乱れ、スタイルの良い魅力的な身体が顕になっている。

 ルシフは唇を吊り上げた。

 

「……そんなにぼくの力になりたいって言うなら、このままぼくの好きなように抱かせろよ」

 

 こう言えばマイは自分を軽蔑し、部屋から出ていくだろう。

 ルシフはそう考えていた。

 マイの目が見開かれる。涙が溢れ、頬を伝っていく。両手をぎゅっと握りしめた。

 

「……いい、ですよ」

 

 消え入りそうな微かな声で、マイが言った。

 ルシフは拒絶されると考えていたため、内心とても驚いている。もっと酷い言葉を言う必要があるとルシフは考えた。

 

「本当にいいの? これからただの性処理の道具として犯されるんだよ?」

 

 マイの握りしめる両手に更に力がこもる。

 

「大丈夫……です。あなたのお好きなように抱いてください。一度で満足できなければ、何度でも。それであなたの心の傷が癒やされるのなら、あなたの気が済むのなら、私は構いません」

 

 ルシフはいつの間にか掴んでいたマイの腕を離していた。

 マイは逃げようとすれば逃げられるのに、逃げない。それどころか、自由になった手で服を脱いでいく。

 

「……やめろ」

 

 ルシフは吐き気がしていた。

 マイは無視して、服を脱ぎ続ける。

 

「やめろって言ってるだろ! やめろ! やめてくれ! これ以上ぼくを惨めにするな!」

 

 ルシフはベッドから転げ落ちるように離れ、扉に駆け出した。扉を開けようとドアノブを捻るが、外側から鍵がかけられているため、開かない。

 ルシフは苛立たしげに何度も扉を蹴った。

 そんなルシフを、後ろからマイが抱きしめた。

 

「アシェナさま、どうか落ち着いてください。私はあなたが誰よりも強く、優しいことを知っています。あなたならきっとどんなことも乗り越えていけます」

 

「優しくするな! そういうのが一番頭に来るんだよ!」

 

 ルシフは抱きついているマイを引き剥がした。振り向き、マイを平手打ちしようとする。しかしその手は、マイの頬に当たる直前で止められた。

 

「くそッ! なんなんだよ!? なんでキミに暴力を振るおうとすると身体の言うことが聞かなくなるんだ!?」

 

 ルシフは振り上げた手をおろし、力の限り握りしめた。悔しげに顔が歪んでいる。涙すら目に滲んでいた。

 マイは今度は正面からルシフを抱きしめた。ルシフは振り払えなかった。

 

 

 

 もうすっかり夜になっていた。

 ルシフは顔を壁側に向いて寝ている。

 マイはベッドから起き上がり、ルシフのベッド横の床に座った。散乱していた本は日中に片付けている。

 マイの目は虚ろで、焦点は定まっていない。

 

「マイ、いつもありがとう」

「別に感謝されることじゃありません。ルシフさまのお力になれれば、私はそれで幸せです」

「そうか。これからも俺の傍にいてくれ」

「はい。ルシフさまが望むなら、いつまでもお傍にいます」

「マイ、お前に出会えて良かった」

「私もです、ルシフさま」

 

 マイはぶつぶつと一人で呟いた後、ベッドに戻っていった。ベッドに寝るとすすり泣く声が微かに聞こえる。

 ルシフは壁を向いたまま、ゆっくりと目を開けた。

 

 ──毎日毎日、飽きもせず一人芝居か。ぼくの名前はいつも呼ばないくせに、芝居の時は呼ぶんだよな。けど、『俺』なんて一人称は使わない。

 

 ルシフの表情が暗くなる。

 

 ──マイ・キリー。あの女とぼくはどういう関係だったんだ?

 

 ただマイの顔を見ると、胸に込み上げてくる何かがある。マイが悲しい表情や辛い表情をしていると、自分も同じ気分になってくる。なんにせよ……。

 

 ──キミはぼくを見ていない。記憶を失う前のぼくを見ている。

 

 それが何故か無性に腹立たしかった。

 記憶が戻ったら今の自分はどうなるのか。消えて、マイが好きな自分になるのだろうか。それとも、今のままいられるのだろうか。

 そんな考え事をしている内に、ルシフはいつの間にか本当に眠りに落ちた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフが目をゆっくり開けた。誰かの自分を呼ぶ声が聴こえたからだ。

 

 ──……ここは?

 

 ルシフは辺りを見渡した。何も無い。闇があるだけだ。

 その空間で、膝を抱えてうずくまっている者がいた。ルシフと同じ姿形をしている。違うのは身体の大きさで、五歳児くらいの身体だった。

 ルシフは幼い自分の前に立つ。

 

「ぼくは誰よりもすごいんだ! 誰よりも優れてるんだ! ぼくより優れた人間なんてこの世にいないんだ! なのにッ、なんでぼくがこんな目に……!」

 

 幼い自分は膝を抱えて泣き叫んでいた。

 ルシフは状況がよく理解できていない。いったいこの幼い自分は何を嘆いているのか。

 幼い自分の叫び声が止まり、膝を抱えたままゆっくりと頭を上げた。ルシフの顔を見上げている。幼い自分の顔が憎悪に染まった。

 

「キミのせいだ!」

 

 幼い自分は目の前のルシフを指さした。

 幼い自分が立ち上がり、ルシフの右足にしがみつく。そのまま、何度も何度もルシフの右足を叩き出す。

 

「キミが何かしたせいで、ぼくの剄が失われたんだ! 返せ! ぼくの剄を返せ!」

 

 ルシフはここでああ、と合点がいった。幼い自分は剄が使えなくて嘆いていたのか。

 しかし、それは当たり前だ。自分は死んだのだ。死後の世界で剄が使えるわけがない。ならばここは地獄であり、こうして過去の罪を責め続けられる場所なんだろうか。だが、何かが引っ掛かる。

 ルシフが首を傾げて思考を巡らせている間も、幼い自分の右足への執拗な打撃は続く。

 

「なんで誰よりも優れたぼくがこんな目に遭わないといけないんだ! ふざけるな! お前に分かるか!? 足元にも及ばない他人より弱くなった屈辱が!」

 

「……ククク」

 

 ルシフは思わず笑ってしまった。

 幼いルシフはそれに気分を害したらしく、ますます表情が厳しくなる。

 

「何がおかしい! 何笑ってるんだよ! ぼくをバカにしているのか! こんな屈辱を味わっているそもそもの原因はお前なんだぞ! 早くぼくに剄を取り戻させろ!」

 

「アハハハハハハ!」

 

 幼い自分が必死になればなるほど、笑いが込み上げてしまう。ルシフは高笑いした。

 自分は誰よりも器量が大きい人間だと信じて疑わなかった。

 だが、この姿はどうだ? 剄という力を奪われ、自我を揺さぶられた途端、情けなく他人に当たり散らし、見苦しく泣き喚き、まるで自分こそがこの世で一番不幸な人間だと思っている。他人は自分の下位互換でなければならず、自分より上にいくことは何よりも許せない。

 こんなもの、笑うしかないではないか。誰よりも器量が大きいと考えていた自分はその実、誰よりも器量が小さかったのだ。自分の才能や力に執着し、他人を受け入れる度量もない。自分が中心で、自分だけで世界を完結させている。

 ルシフは自分の今までの勘違い振りと滑稽さを嗤っていたのだ。

 ルシフは右足を叩き続ける幼い自分を引き剥がした。

 

「なんでこうなったか教えてやるから、そこに座れ」

 

 幼い自分はその言葉を聞くと、すぐに泣き止み静かになった。ルシフに言われた通りにルシフの向かいに正座する。幼い頃は座る時、正座で座れと父から叩き込まれていた。

 ルシフもそのままあぐらをかいて座った。そして、話し出す。マイと出会ってから死ぬまでを。

 幼い自分は、話し終わるまで黙って聞いていた。表情が怒りに染まることはあっても、声には出さない。

 

「……なんでそんなバカになったんだ、ぼくは」

 

 話を全て聞き終えた後、幼い自分が呟いた。

 

「王なんてくだらないものだと分かっていただろう! 都市なんかの、世界なんかのために自分の人生を捧げて生きるなんて、苦しいことばかりで楽しいことなんて一つもありはしないこと、ぼくはよく分かっていたはずじゃないか! 自分のためだけに生きることこそ楽しい人生に決まってる! 他人なんてどうでもよかったじゃないか! ぼくは強者なんだ! どんな世界でも生きられるのに……!」

 

 幼い自分は顔をうつむけている。

 

「お前も俺だから、正直に言おう。俺も他人なんて初めはどうでも良かった。マイさえ幸せに生きられるなら、それで良かったんだ。けど……分かるだろ? お前は俺なんだ。たった一人のために生きるなら、凡人でもやっている。俺は選ばれた人間だとその時思っていた。ならば、マイと同じ境遇にある全ての人間を救うために生きる生き方こそ、選ばれた人間の生き方だと思ったんだ」

 

「……」

 

「マイは、俺が初めて惚れた女だ。一目惚れだった。アザだらけで泥まみれの顔を、美しいと思ったんだ。強い意思を秘めた青い瞳が、俺の心を打ったんだ。俺もこんな風に生きてみたいと思ったんだ」

 

「なら……キミが責任を取れよ。キミの行動の報いなんだ。ぼくじゃなく、キミが苦しむべきじゃないか」

 

「もう苦しめない。俺は死んだんだから」

 

「死んでない。どんな方法かは分からないけど、グレンダンの奴らが復活させたんだ」

 

「……は? 復活?」

 

 ルシフは不機嫌そうに顔を歪めた。

 どれだけ医療技術が進んでいようと、復活なんてできないと思っていた。だがもし復活させたと言うなら、愚策と言わざるを得ない。俺を復活させれば、世界の人々はどう思うか、分からないはずがあるまいに。グレンダンも非難の対象にされるだろう。

 だが、仮にそうだとすれば、この状況はなんなのか。夢か、別人格と話した時のような精神空間なのか。

 幼い自分が立ち上がった。ルシフも立つ。

 

「ぼくはこんな人生耐えられない。だから、キミにぼくの身体を渡す」

 

 幼い自分の足が光の粒子となり、ルシフに吸い込まれていく。

 

「それに、マイって女はキミが好きみたいだし。毎晩毎晩ルシフさまルシフさまって枕元で言われて、鬱陶しくて仕方ない。けどさ、泣いてるんだよ。毎晩毎晩、泣いてるんだ。それでもぼくが起きてる時はそんなところ一切見せずに、笑うんだ。笑って、ぼくの傍にずっといてくれるんだ。

キミはマイのために闘い、全てやり切って死んだ。でもぼくの目には、マイは楽しそうに生きてるようにも、幸せそうに生きてるようにも見えない。マイは今でも苦しんでるんだ。キミは一番救いたい女を救えなかったんだ。だから今度こそ、マイを幸せにしてやれよ。……誰よりも優れたぼくが、惚れた女だ。誰よりも幸せに生きるべきじゃないか」

 

 ルシフは消えていく幼い自分をじっと見た。

 この幼い自分も、いつの間にかマイに心を惹かれていたのだ。

 

「ああ、約束する。マイを誰よりも幸せにしてみせる」

 

 幼い自分は消えていく最後に笑みを浮かべ、そのまま光の粒子となった。

 闇の中に、一筋の光が差した。

 ルシフはその光に向かって歩き出す。やがて、光がルシフを包んだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフは眩しさに目を開けた。日の光が窓から差し込んでいる。

 その日の光がマイの顔に遮られた。

 

「アシェナさま、おはようございます」

 

「……マイ。なんだその他人行儀な呼び方は?」

 

「私のような者が、アシェナさまをお名前で呼ぶわけにはまいりません」

 

「ほう……? 俺と初めて出会った日から一度も『アシェナ』とは呼んでないはずだが?」

 

「……『俺』?」

 

 マイの目が見開かれた。ルシフの記憶が戻ったかどうか半信半疑らしく、ルシフの顔を凝視している。

 ルシフは一つため息をついた。

 

「マイ、覚えているか? 初めてお前に錬金鋼を与えた時、お前は喜びのあまりその場で錬金鋼を復元した。そしたら端子が暴れ回って……」

 

「アゼルさまに、止めてもらいました」

 

「バケツに入った大量の砂を、俺にぶっかけてたよな? なんでだ?」

 

「ルシフさま! うわああああん!!」

 

 マイがルシフに抱きついて、泣き出した。

 ルシフはマイの背中をぽんぽんと軽く叩く。

 

「色々、迷惑をかけたようだな」

 

 マイは泣き続けている。

 

「マイ、俺は死んだはずだ。お前が知っていることを俺に教えてくれ」

 

 マイはルシフからゆっくり身体を離し、涙を拭いながらコクリと頷いた。

 

 

 

「……メルニスクのバカが。余計なことを……」

 

 全てを聞き終えたルシフは不機嫌そうに吐き捨てた。

 

「私は、感謝します。またこうしてルシフさまと一緒にいられるんですから」

 

 マイはそう言って、身体をルシフに寄り添わせた。

 そんなマイを見て、ルシフは柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフはグレンダンの旗が立っている塔の頂上に立っていた。マイも隣にいる。

 ルシフの容姿はまるっきり変わっていた。赤みがかった黒髪は茶色に染められ、肩付近まであった髪も刈り上げられて短髪になっている。本来の赤の瞳はカラーコンタクトにより、黒になっていた。

 マイの容姿も変わっている。首にあった火傷の跡はグレンダンの医療技術できれいに消え、腰まであった長い髪は肩付近でバッサリ切られていた。青い髪も黒に染められているが、毛先に近付くにつれ赤色になっている。毛先は完全に赤色だ。

 これはアルシェイラや天剣授受者たちから事情を聞いた結果だ。ルシフやマイの顔は世界中の人間に知られているし、ルシフに関して言えば世界中の人間に恨まれている。もし生きていくなら、完全な別人として生きていくしかない。

 別にマイはやらなくてもよかったのだが、マイもルシフに付き合い、別人のような容姿になった。

 ルシフが唐突に頂上から飛び下りた。

 マイは悲鳴をあげ、慌てて念威端子のボードを組み上げる。

 ルシフの足元に念威端子のボードが現れ、ルシフを下から持ち上げた。また元の高さまで浮かび上がってくる。マイとルシフの目線が同じになった。

 マイはホッと息をつき、次にルシフを睨んだ。

 

「何やってるんですか!? 今のルシフさまは剄が使えないんですよ! こんな高いところから落ちたら死にます!」

 

「だが、死んでない」

 

 ルシフはつま先でコンコンと念威端子のボードを軽く叩いている。

 

「それは私が足場を創ったからです!」

 

「うん、そうだ。そういうことだよ」

 

 マイはルシフの言いたいことが分からず、首を傾げた。

 

「俺はな、これを自分ができなきゃ駄目だとずっと思っていた。自分ができて初めて、それを他人に命令できるのだと。自分にできないことは命令する資格がないと、思ってたんだ。それは俺の弱さだった。他人を頼る強さが、俺にはなかった。いつも俺は他人を自分の手足としか、見ていなかった。マイも、剣狼隊も、俺にとってはどこまでも自分の一部で、本当の意味で相手を見ていなかったと思う」

 

「……ルシフさま。私、ルシフさまの傍にいられるなら、ずっと『ルシフさまの目』で、『ルシフさまの一部』でいいと、そう思っていました。だけど、記憶を失ったルシフさまと一緒にいてこう思いました。私はいつもルシフさまに頼ってばかりで、知らず知らずの内にルシフさまの大きな負担になってしまっていたんじゃないかって。

ルシフさま……。ルシフさまは私を美しいと言ってくれますけど、私、全然そんなことないんです。嫉妬深いし、ルシフさまの気を引くために色々やっちゃうし、自分のことしか考えられない、わがままで汚なくて醜い女なんです。だから、これから言うわがままを聞いてください!

私、『ルシフさまの一部』として、あなたの傍にいたくありません! マイ・キリーという一人の人間として、あなたの傍にいたい! 私以外の女の隣であなたに笑っていてほしくない! この世界の誰よりも、私は──」

 

 ルシフが念威端子のボードから跳び、マイの口を右手で塞いだ。マイの言葉は途中で遮られる。

 マイは驚いて目を見開き、ルシフの顔をじっと見つめた。

 

「……こういうのは、男の方が言うべきだ」

 

 ルシフはマイの口から右手を離す。

 マイは黙ったまま、ルシフの顔を見つめ続けた。

 

「マイ。俺も、ずっと『王』として、お前と接してきた。本来の俺でお前と接したことなんて、多分数えるほどしかない。だから今、一個人として、ありのままの自分として、お前に言いたい。この世界の誰よりも、お前を愛している」

 

 マイの目が更に見開かれ、涙が溜まっていく。

 

「……やっ……たぁ!」

 

 マイは思わずグッと握り拳を作っていた。

 ルシフは気まずそうに、マイから視線を逸らす。

 

「だが、俺はお前の傍にいる資格がない」

 

「えっ……? なんでですか!?」

 

 マイの表情が満面の笑みから一転、悲しそうに歪められる。

 

「お前に出会ってから今日まで、俺のわがままにお前を付き合わせた。今までのお前の時間を俺は奪ってきたんだ。そんな俺に、お前の傍にいる資格はない」

 

「……は?」

 

 マイの目が据わり、顔から表情が消える。握りしめられた拳はぶるぶると震えていた。

 

「ルシフさま、最初に謝っておきます。ごめんなさい」

 

「は?」

 

 ルシフがそう返した瞬間に、マイがルシフの右頬を思いっきり殴った。ルシフの身体が吹っ飛ぶ。頂上をぐるりと囲んでいる石積みにぶつかった。

 ルシフは身体を半分起こし、マイを見上げた。マイは涙目だが、顔を紅潮させ怒っている。

 

「ルシフさまのバカ! 私にとってルシフさまと一緒にいた人生は、宝石みたいにキラキラ輝いていて、とても幸せで楽しい時間でした! その時間を不幸な時間なんて決めつけるのは、たとえルシフさまでも許さない!」

 

「……え? 俺に嫌々付き合っていたんじゃ……」

 

「私は好きであなたの力になることを決めたんです! 自分の人生をあなたに奪われたなんて思ったことは一度もありません!」

 

 ルシフはぽかんと口を開けていた。

 なんだそれは? つまり、俺は勝手にマイの気持ちを分かった気になっていて、勝手に判断していたと。

 

 ──……ただのアホじゃないか。

 

「……ククク……」

 

 自分のアホさ加減に笑いが込み上げてくる。

 

「アハハハハハ!」

 

 結局自分はマイの気持ちを何一つ理解しようとしていなかった。マイという人間と向き合って生きていなかったのだ。

 ルシフは笑い続けた。

 マイの顔は不愉快そうに歪められる。

 

「何がおかしいんですか……? もう一回殴ってもいいです?」

 

 そうマイに言われても、ルシフは今までの自分を笑うしかない。

 ルシフはなおも笑い続ける。やがてマイはため息をつき、笑い続けるルシフを呆れた表情でずっと眺めていた。

 なお、このルシフとマイのやり取りは当然念威端子に監視されていたため、アルシェイラや天剣授受者、ニーナ、レイフォン、シャーニッド、リーリンといった面子に観られていた。リーリンがいる理由は、決戦から一ヶ月後に、レイフォンがルシフのことを教えていたからだ。

 

「……お熱いことで……」

 

 念威端子の映像を観ながら、リーリンが呟いた。

 リーリンの傍にいるニーナ、レイフォン、フェリはどことなくピリピリしているリーリンの癪に障らないよう、リーリンをそっとしておいた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 グレンダンの外縁部付近。放浪バスの停留所前。

 ルシフとマイが隣同士で立っていた。その背後には剣狼隊小隊長であるエリゴ、プエル、レオナルト、ハルス、オリバ、アストリットがいる。赤装束ではなく各々の私服だ。彼らは死ぬ直前にリンテンスの鋼糸による応急処置が間に合ったため、死なずに済んだ。

 ルシフが振り返る。短めの茶髪に黒の瞳。ルシフだと知っていなければ、誰も分からないだろう。

 

「今の俺は武芸者じゃない。それに、剣狼隊はすでにエリゴ、お前に任せてある。お前らが俺に従う理由は無くなった」

 

 小隊長たちは顔を見合わせた。はぁ、と全員ため息をつく。

 

「なら旦那、俺の決断を聞いてくれ。剣狼隊は旦那の力になり続ける」

 

 ルシフが驚きで目を見開く。

 

「……俺はもう武芸者ではなくなったんだぞ」

 

「関係ねえな、兄貴。俺は……いや、俺たちはあんたの力に惚れたんじゃねえ。あんたの心に惚れたんだからさ」

 

「ハルスの言う通りだぜ。あんたが武芸者じゃなくなったところで、あんたへの尊敬は消えない。俺たちは仲間だろ? お互い足りないもんを補い合えばいいじゃねえか」

 

「そうだよ、ルっちゃん。剄がない人だってたくさんいるし、ルっちゃん頭すごく良いじゃん。ルっちゃんの力が必要になること、きっとこの先もあると思うな!」

 

「ルシフ殿。ルシフ殿がなんと言おうと、わしはルシフ殿に命続く限りお供いたしますぞ。今のあなたに護衛がいないのは万が一があるかもしれませんしのう」

 

「ルシフさま。私もルシフさまのためならどこまでだって付いていきますわ。ただ、私に会いに来てくださる時はマイさんは外してくださいね」

 

「ルシフさまはもう私の恋人だからだめー」

 

 マイが勝ち誇った顔でアストリットを見ている。黒髪に赤色を混ぜたショートヘアと、青い瞳。この容姿もマイと知っていないと気付かないだろう。

 アストリットは不愉快そうに舌打ちし、そっぽを向いた。

 そんな彼らの更に背後には、アルシェイラや天剣授受者たち、レイフォン、ニーナ、シャーニッド、フェリ、リーリンが立っている。

 彼らはルシフの見送りに来たのだ。あの決戦から、アルシェイラや天剣授受者たちはルシフを認めていた。

 

「……陛下。監視は本当に付けなくてよろしいので?」

 

 カナリスが尋ねる。

 

「構わない。ただ、どの場所にいるかは教えて。何か政務でアドバイスが欲しい時があるかもしれないしね」

 

 これはルシフと事前に話し合って決めたことで、ルシフも承諾した、いわば契約のようなものだ。ルシフとしては、アルシェイラが中心にまとまっている今の世界の状況は壊すほど悪くないのだろう。

 

「女王陛下」

 

 ルシフが声を張り上げた。少し距離があるため、声を多少は大きくする必要があった。

 全員がルシフに注目する。

 

「もしまたこの世界を破壊しなければと感じたら、その時はまた俺たちが立ち上がり、全力をもってぶっ壊してやるからな。肝に銘じておけ。それから、今まで世話になった。感謝する。ありがとう」

 

 カナリスは顔を紅潮させていたが、アルシェイラは苦笑した。なんともルシフらしいというか、物事をしっかり別々に考えている。普通ならあの流れで感謝の言葉など言えない。

 リーリンは、ぎゅっと握り拳を作っていた。

 自分もルシフの旅に同行したい。そう思っているがなかなか言い出せない。そんなジレンマが苛つきを加速させている。

 そんな時、レイフォンがリーリンの肩をぽんと叩いた。

 リーリンがレイフォンの方を見る。

 

「ルシフたちに付いていきたいんじゃない? 行ってきたら? 後悔するくらいなら、そっちの方が絶対いいよ」

 

 リーリンは微かに笑みを浮かべる。

 

「レイフォンのくせに、なかなか鋭いじゃない?」

 

「まあ、一応弟みたいなもんだし。姉の気持ちくらいはね」

 

 その姉の気持ちを長年分からなかったのはどこのどいつだ、とリーリンは言いたかったが、レイフォンの優しさに感謝した。

 リーリンは駆け出す。ルシフの前まで一息できた。

 

「ルシフ、わたしも──」

 

「リーリン。お前も一緒に来るか? 世界を見に行こう」

 

 リーリンの言葉を遮り、ルシフが言った。

 リーリンはぽかんと口を開けたが、すぐに微笑みへと変化する。

 

「うん!」

 

 この気持ちが恋愛感情かどうかは分からない。ただもっとルシフを知りたい。ルシフたちと一緒にいると楽しい。その気持ちは本当だ。

 そんな自分をマイがじっと見つめているのに気付き、リーリンはばつが悪そうに視線を泳がせた。

 

「それじゃあ、行くか」

 

「はい」

 

 マイがルシフと手を繋いだ。

 ルシフは驚いたが、振り払いはしなかった。もし『王』として生きていた時だったならば、振り払っていただろう。人類の先頭に立ち、導き続ける者に隣を歩く人間は許されないからだ。実際、ルシフにとってこれが初めての手繋ぎだった。

 しっかりとマイの体温が感じられる。自分が歩くとマイも隣を歩く。こんな当たり前のことがとても新鮮で、嬉しかった。これからは『王』としてではなく、ルシフとして生きていく。

 

「なあ、マイ。俺は決めたよ。俺のせいで一万人以上が死んだ。どんな理由があろうと、その罪は消えない。だから、俺はこれから人を助け続ける。この命尽きるまで。それがルシフとしての生き方だと、俺は決めた」

 

「私もお傍で力になります」

 

「ああ、頼む」

 

 ルシフは後ろを振り返る。

 

「お前らも、俺を助けてくれると嬉しい。友人として、な」

 

 背後にいた面々はそれぞれ笑顔で頷いた。

 そして、彼らは放浪バスに乗り込んでいく。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 それから数日後。

 ルシフが珍しく一人で座っていた。一人で過ごしたいと言ったからである。

 もうすっかり夜で、街灯だけが都市を照らしている。

 ルシフは高い建物の屋上にいて、空を見上げていた。

 ルシフは書物でしかほとんど知らない都市を巡ることで、よりその都市を理解しつつ改善案などを考えていた。

 

「メルニスク。いい加減にしろ。いつまで応えないつもりだ」

 

 ルシフはさっきから一人でずっと話しかけていた。

 

《……ルシフ……すまぬ》

 

 ようやく聴こえてきたメルニスクの声は、どこか元気がなかった。

 

《汝は人間であることに拘っておったのに、我はそんな汝の思いを踏み躙った。汝を……人間ではなくしてしまった》

 

「電子精霊と融合したことを言っているのか?」

 

《以前のような憑依とは違う。汝の体組織の大部分を我が補ったのだ。もはや切り離すことはできん。汝は人間の理から外れた。老いにくく、人間の身体では考えられないほどの長い時間を生きることになるだろう。本当にすまぬ》

 

「……一つ訊きたい。それは俺を哀れんでやったことか?」

 

《断じて違う。汝が決断したように、我も我のやりたいように決断した。汝がどう思おうとも、汝に生きてほしかったのだ》

 

 ルシフは夜空を見上げたまま、笑った。

 

「だったら、もうこの件に関して、ぐだぐだ言うつもりはない。俺も好きなようにやり、お前も好きなようにやった。ただそれだけの話だ。だが、やっぱりまた生きることができて嬉しい気持ちはもちろんある。死ぬ前には気付けなかった俺の器の小ささも分かった。

だから今は、お前にどれだけ感謝と謝罪をしてもし足りないと思っている。メルニスク、お前の決断と思いに心からの感謝を。そして、半永久的に生きられた命が、俺の死と共に消滅してしまうことに対して、心からの謝罪を。俺が決戦に勝っていたら、お前がそんなことやる必要はなかった」

 

《ルシフ、よいのだ。先に言ったであろう。我はそうしたくてやったと。我はお前と共に生き、お前と共に死ぬ。それ以上何も望まぬ》

 

「そうか。俺のことが嫌になっても、ずっと一緒にいるしかないからな。覚悟しとけよ、相棒」

 

《おう》

 

 ルシフは立ち上がった。

 

「それから、俺には一つ確信がある。俺の剄は失われたわけじゃない。眠っているだけだ」

 

《……!》

 

「電子精霊の力はそのまま剄に通ずる。電子精霊と融合したら使えなくなる? そんなのは原因と結果が噛み合ってない。そう思わないか、相棒?」

 

《……ルシフよ。我には汝の言葉がよく理解できん。必ずしも原因と結果が噛み合うとは限らないのではないか?》

 

 事実を言ってしまえば、メルニスクがルシフの剄脈を制御し、剄を使えなくしていた。今まで世界のために戦い続けたルシフには休息が必要だと考えたからだ。

 ルシフはしばらく無言になった。

 やがて、笑みを浮かべる。

 

「まあいい。また世界に俺みたいな奴が必要になったら、その時は俺の剄が目覚めるだろう。それまでは剄無しで生きてみるさ。その時が来たらまた頼むぞ、相棒」

 

《……うむ》

 

 そこで屋上の扉が開かれ、マイがやってきた。

 

「もう夜も遅いです。そろそろ寝ませんか?」

 

「ああ、そうしよう」

 

 マイが引き返し、その後ろにルシフが続く。マイの黒と赤が混じったショートヘアの髪が揺れている。

 

「マイ、なんでその髪の色にしたんだ?」

 

「私、今の茶髪のルシフさまも大好きですけど、やっぱりあの赤みがかった黒髪のルシフさまが一番なんです。だから、髪色を似せて本来のルシフさまの髪色を忘れないようにしたかったんです。ルシフさまの髪色に比べれば、この髪色なんて全然きれいじゃないんですけど」

 

「その気持ちだけで嬉しいさ。俺も自分の髪色は気に入ってるしな」

 

 マイは歩くペースを落とし、ルシフに並んだ。ルシフの手を握り、ルシフの方に顔を向けてにこりと笑う。ルシフも微笑み返し、手を繋いで歩き続けた。




このアナザーエピローグは個人的に色々つっこみどころがありますが、読後感はラノベっぽくて良いと思います。

長々と書いてきましたが、これにてこの作品は完結です。ここまで書き続けてこれたのもお気に入り登録、評価、感想をくださった方のおかげであり、何より読んでくださった読者さまのおかげです。この場を借りて、心からの感謝を。本当にありがとうございました。
色々テーマを詰めこんで書いたつもりですが、何をテーマにしていたか書くつもりはありません。それは読者さまの受け取り方に委ねます。ただ読後に何かを心に刻み込んでやりたいという気持ちで書いてましたので、何かを感じてもらえたなら作者冥利に尽きます。
あと、この作品はぶっちゃけ鋼殻のレギオスの世界で水滸伝のようなストーリーを書きたかったというのがあります。はい、水滸伝のパク……オマージュです。作中にも水滸伝のようなシーンをこれでもかと入れています。水滸伝みたいな構成がとても好きなんですよね、私。

最後になりますが、もしよろしければ、3つのエンディングの内どれが一番良かったかとか、いやいやこういうエンディング、展開が良かったとか、作品全体のことでもなんでも良いので、感想をいただけると泣いて喜びます。

重ね重ねになりますが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。
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