もし1㍉も乙女ゲーを知らないアタシが悪堕ち転生をしちゃったら?   作:ぴんぽんだっしゅ

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泥沼にどっぷり腰まで

さて。

タルタ西側で起こった反乱は当初あっさり片がつくものに思われていた。

規模の大小はあれ、このような反乱は年末行事のようなものだった。頻発していた。

なぜ年末なのかというと、早い話が獣人たちが食えない。からであるという結論でしかない。

 

反乱というのは、そう簡単には出来るものではない、ましてや相手は『日の出から日の入りまで。』を支配する帝国。

一人では出来る物でないし、結束してやっと出来るものだったりする。

結束力を生む推進剤みたいな働きをするのが怨み、憎しみといった暗い心情の積み重なり。そんな憎しみを彼らに抱かせる理由が必要でもある。

何があっても弛まないように結束させ、塗り消せない憎しみを染み込ませる事柄というか要因が必要なはずで、獣人たちと人間との間にはこの時それがあったわけだ。

無意識の差別───見た目が圧倒的に違うことから、そうなってしまってからは浸透していくまではあっさりとしたものだったという。

 

今でこそ迫害差別虐待の対象である獣人には最初から待遇が悪かったわけでもない、幾ばくかの迫害はあったとしてもだ。

誰が悪いか、そんなことは聞かれるまでもない。

いつの事もこうした事柄の根幹や源泉にあるのは搾取している側が、搾取される側の待遇を上げ下げしているだけなんだから。

ある時、貴族が急に掌返ししたのだ───獣人たちは人間の下である、と。

 

庶民のさらに下を作ることで、迫害の対象をあえて作ることで庶民の不満を軽減させるのが当初の狙いであった。

謂れのない粛清が吹き荒れた後、居住区という名の巨大な檻に獣人たちは押し込められた訳なのだ。横暴なやり口で。

 

居住区はその中にひとつの世界があるようなもので、居住区で物事が完結していた。

帝国からの監視があり簡単には逃げ切れない。

中の情報が外に出ることも難しく、その逆、外の情報を手に入れるのも困難だった。

隔離、軟禁、正に居住区は獣人たちの檻の役割を果たしている。

中では、ろくな仕事があるわけでなく居住区では畑を耕すくらいしかすることが無かった。

冬は作物が育たない。

更に、痩せた土地のため夏場でも十分に作物が育たない、そんな土地だった。

それは金を得る術がないのと同じこと……自然と貧困の集団に様変わりしていく獣人たち。

 

年末になると食えなくなるのかと言うと、そうだと言わざるを得ない。

冬がやってくる。

作物が育たない。

商人の往来で持っている商売の殆どが停滞するなどがあった。

人の動きが減る、真っ先に資材などの重量のある荷が運ばれなくなり次に食材や、葉タバコ酒など嗜好品と続き最後には郵便物まで停滞したという。

勿論、貴族はコストがどれだけ高くついても食材や手紙といった必需品を動かすのだが、一般的には停滞するということに他ならない。

 

物流が滞ると生業にしているものは真っ先に煽りをくうのだが、問題は仕事が無い事も一因でありつつ、物価が跳ね上がることだった。

爆発的な物価高騰といっても裕福なものなら耐えられる、富裕層にはその程度の小事なわけで逆に貧困に喘ぐ者たちにとっては少額の値上がりでも生き死にに関わることになる。

だからこそ物が手に入らなくなる年末に蜂起は頻発した。

しかし、そのどれもあっさりと鎮圧されてきたのだった。

食えなくなった貧困の集団にどれほど憎しみや怒りのパワーが有ったとしても、腹を空かせた者より腹を満たしている者の方がより動ける。そんな当たり前な道理として、反乱したところで何処にも勝てる要素が反乱軍に無かった。

 

要は、食料が高くなって口に出来なくなった獣人たちが食い物よこせ、と怒り狂って暴れても鎮圧にやって来た兵士たちは食うもの食ってるしもちろん装備もいいんだから獣人たちは敵わなくてバタバタ殺されて反乱は収まる、とこうなるのがお決まりのパターンになる。

 

そのような経緯があるので、小事がまた起こった。そのぐらいに思われていた。帝都でも、帝都に住まう貴族達にも。

 

それが───不味かった。

 

極めて連携は密に取られていた。鎮圧軍が想像していたよりも今回の反乱軍は。緒戦を大敗しつつ、それでも鎮圧軍が鎮圧軍としての形を為していたのは運がよかったのか悪かったのか。

 

タルタ領内で起こった蜂起は狼煙となって俺も俺もと連鎖すると鎮圧軍はただ留まることを余儀無くされた。動けなかった。

前後左右、四方から周囲をぐるりと囲まれ身動きが出来なくなった鎮圧軍はタルタを一度捨てる、逃げの一手それすらさせて貰えないのだ。

結果、援軍は孤立した鎮圧軍を救出に向かわねばならなくなり、本来の役目である鎮圧は愚かになるという……本末転倒な有り様を晒す。

 

そんな鎮圧軍の一角、大きな陣幕の中にはおよそ人より化けガエルと表記したほうがらしく見えてしまう我らがごみくず。

それは、タルタが反乱を起こしたという一報を受けて思惑を砕かれた形での今回の鎮圧軍参戦をしたオーウェンその人でした。

タルタそのものは自分の領地では無いものの、タルタの東と北部はオーウェンが預る領地ディボタルタだったこともあり飛び火されると不味いのは勿論、対岸の火事と悠長にしてられない理由もあったわけです。

 

今もゼロみたいな領民感情をこれ以上にマイナスされると、予定している開拓事業が水の泡に為りかねない、いや、白紙状態で停止してしまうだろう、という領主としての痛い悩み。

 

オーウェンは、そんな思いで充分な準備も無いまま戦場に立っていた。

多くの貴族が持っている私兵も雇っていない彼が出来るのは領主である権利を使い、指揮官から帝国の兵を借り受けて戦うくらいの事だった。

 

少し、話を戻そう。

 

帝都ヴェリアリアーナからディボタルタを通り抜けてタルタ西の最前線へと入る。その途上でオーウェンは同じようにタルタへ向かう兵列に追い付くことに成功した。

邸で報告を受けてすぐ帝都を発ったオーウェンだが、彼に事の次第が伝わるまでに時間として一日の差で帝都の中枢、王宮にも反乱の方は届いている。当然、情報というのは真っ先に伝わるべき所に入ってからそれから他の所にも流れて伝わるものだった。

 

こうした反乱の鎮圧には類歴、大物が乗り出すのが習いであり当たり前の慣習となっていた。

大物に充分すぎる兵力を与え見事な戦功を挙げさせるのが目的である。

大物が座る、指揮官は御輿でもあり、その場所にいるだけでもよかった。

あくまで、戦場にあって回り回って兵士の士気が上がれば万々歳、とそういう裏での思惑の部分が強い。

 

今回鎮圧軍を率いるのは皇太子、側室の一人が産んだ皇帝の子で現在目下の世継ぎと噂にのぼる、第二王位継承者である所の、ルヴェリオという。

その皇太子が功の一つも持たせたいと重臣らにせっつかれていたのもあって、この鎮圧軍の大将を務めることになった。

オーウェンはその事を身なりのいい隊長らしい兵士から聞き出すとすぐにルヴェリオに接近することにする。

見たことはあれ、口を開く所を見ることの無い皇太子と言葉を交わすきっかけにもなるわけだ。

 

「ふん。数で押せばなんとかなる戦だからこそだろうがな、やっと……公的な場に登場というわけか?王子様」

 

オーウェンは跨がる馬の腹を蹴り上げて長い兵列の前へとするする上手く避けながら進んでいく。その視界にはより大きく、兵列のどれより豪華な馬車を捉えていた。

 

「皇太子様の馬車とお見受けした。我は、ディボタルタ公爵オーウェン。お話をどうか聞いて頂きたい!」

 

「………………」

 

『──公爵だぞ?俺は。

それを、発言すら控えろだと?継承二位だか一位だか知らんがな……大仰過ぎじゃないか。近衛任せのくせに!』

 

兵列は歩兵の歩く速度に合わせて、ひどく遅いものだった。

そのおかげですぐに、先を行っていた馬車にもオーウェンは追い付く事が出来た。

 

大物が乗っていると思われる馬車は、四頭引きで特別製の大きな馬車だ。狭い道ではぎりぎりの車幅を取るくらいには大きいものだった。華美な装飾が施され見る目を引く。オーウェンが一目見て、表情が険しく変わりその装飾をどう思ったかと言うと

 

『どうぞ、襲ってくださいと言ってんのか?

悪目立ちするだろうよ、こいつが戦場にいくんならな』

 

と、こうだった。白を基調にコレでもかと派手な塗りの外観に帝国のあちこちから粋を集めて作り上げられた最新の馬車。正に皇太子専用車といった風情が漂う。動く芸術品だと言う人も中にはいるだろう。簡単には、目立つ。

 

馬車に追い付いてもオーウェンは発言を制限され苦々しく微笑むことになる。ルヴェリオの近衛が応対し、本人は窓の向こう側から動かなかった為だった。

オーウェンが皇太子の馬車に向かって声をあげたので、行軍はゆっくりとなり、遂には止まってしまう。

オーウェンとルヴェリオは共に相手の事をよく知らず、警戒した近衛がこのような応対をした事でオーウェンは一層、側室達が産んだ王子を毛嫌いする。

 

「皇太子様。ディボタルタ公爵を名乗るオーウェンという方を御存じでしょうか?」

 

「……むう。知らぬな、どこか田舎領主か?」

 

「開拓もままならぬ辺境のことです。皇太子様には判らぬ事でしたね。では、こちらで応対をしておきましょう。皇太子様は変わらず席でごゆっくりして貰ってよろしいですよ」

 

「そうか。では、そのように。任せたぞ」

 

中ではこのような一コマもあったかも知れない。

もちろん、近衛はディボタルタという辺境領の名くらいは耳にしているのだが。

 

皇太子であるルヴェリオと、間近で言葉を交わす事は叶わなかったものの、オーウェンは部隊の一角を借りることに成功する。ルヴェリオの近衛が馬車を出て取り次ぎ、仲介をしてくれたのが大きかった。

 

 

 

今回の鎮圧軍は全体で五万。

オーウェンはその内三百を任されて言われるままに戦地に赴いた。

本隊である皇太子の兵列を離れて、南北に別れた幾つかの遊撃隊が周辺の反乱軍を押し出し、街道を西進した本隊と挟撃するのが今回の作戦ということだった。

つまりのところ、美味しいところを頂くのは本隊の兵たちということになる、そんな包囲戦術を敷いて鎮圧軍は行軍していたのだ。

戦場に近くなるにつれ、オーウェンは大きな間違いに気付いていたが引き返す選択肢は彼には無かった。

 

「進撃あるのみ。規模が大きくとも反乱は鎮めねばならぬだろうが。くそっ、どうなっている?

……守備隊は何をやっていた?」

 

思っていたよりずっと反乱軍の進行が早い。街道を行った皇太子の本隊と離れて側道を通りここまで来たが、さて……本隊がたどり着けばどうにかなるだろうが俺たちは生き延びれるかな?

 

魔道を極めたオーウェンの眼にも、弱音がすらすら脳裏を過るぐらいには戦況は良くは映らなかった。

もともとタルタ西側には征服され、なすすべなく降った犬人族の獣人たちのコミュニティーがあり、今回の反乱軍の大本がここの住人だけとオーウェンもここに付いて戦場を間近で見るまで思っていたからだ。

 

それが、実際にはもっとずっと規模が大きく思えた。最前線と思われる戦場は足元の丘の下に広がっている。

丘の下は草原になっていたが、その草原が赤く染め抜いたように燃え上がり、揺らめく炎に照らされて影を映した人で埋め尽くされていた。

 

毛で覆われた特徴的な耳と尻尾を持ち、うっすら全身が人間より毛深い、獣人たち。

反乱軍の旗なのだろう、赤黒くに染め上げられたその旗を草原のあちこちで掲げた行進はもの凄い数になっている。

 

草原が赤黒く、そして歩みを止めない獣人たちの姿で染まっていた。

 

静かになった後ろをオーウェンが馬首を返して振り返れば、そこには預けられたばかりの三百の兵士達の戦々恐々とした顔。

このぐらいの戦場を目の当たりにしたからと言って、士気を上げようと勉めようとするならまだしも引いて見てもガクンと士気が下がるようでは半人前もいいところ。

気を引き締めねば眼下の草の上に転がっている骸の仲間入りになるだけなのだから。

 

『くっ……兵の練度が低いな。政の停滞のしわ寄せが、こんな所にも見え隠れしてるというわけだ。これでは、誰かがどうかしないと……足下から揺らぐぞ……!』

 

今すぐにも政の停滞を正せる方法がある。

皇帝が隠居をして、側室の誰かの王子がそれを継ぐのが一番早いわけだが、それはオーウェン自身が困る。とっても困る事になるのだ。

 

返り咲く為の発言力が今以上に下がる事に加え、新しい皇帝の母の実家とその後援の貴族が台頭した先は、皇帝が傀儡政治に使われるのは見え見えであったし、これまで身を尽くして帝国と歴代皇帝を支えてきた王権派は軒並み失脚ないし凋落するだろうからだ。

皇帝には隠居なんかして貰っては最悪、跡継ぎを巡っての後ろ楯になる貴族たちの抗争、そして血で血を洗う罪なき粛清の嵐が吹き荒れる可能性がなくないのだから。

 

次期皇帝かも知れない皇太子の母というだけで、現にふんぞり返っている側室とその実家も少なくない数が、表の事に皇帝が見向きもしなくなった隙を突いて政治に首を突っ込んできている。

中央の目が届かない所で好き勝手に振舞い、領民を守る立場である領主が逆に領民を苦しめていることとなった、長い歴史の経緯を経て積み上げられた財産を妬み短いスパンでそれと並ばんとする、目もあてられない重税を課しての搾取という情勢になりつつある今より更に、おかしな事態に変化しても手が出せなくなってしまうだろう。

だからこそ、首のすげ替えは出来ないと五大老と呼ばれる帝国に長きにわたって仕え続けた長老たちも解っていた。

 

国がおかしな流れに乗せられている事に気づきながら、何の手立ても出来ないのだ。

 

それはオーウェンのような皇帝の側に居て長らく大領を預かる立場にある者なら誰もが苦々しく思っていることであり、皇帝が政治に見向きもしなくなった今、その流れは他の誰にも元のように戻すことは叶わない。

 

この皇太子ルヴェリオを大将に祭り上げる鎮圧軍の出撃は、そんな王権派貴族達の警戒心をメラメラと燃え上がらせる一件となる。

 

 

 

鎮圧軍は孤立していた。

五万の大軍が罠にかかった川魚のように退路を閉ざされてしまったのだ。

 

進むにも周囲の情報が錯綜し進むことにも難しく、退くにも来た道である街道は封鎖され、その周辺の街や村々が陥落していると偵察からの報告があり、やはり退くにも決断が付かない状況。

それは孤立という現状を産み、鎮圧軍に、皇太子に、帝国は救援の兵を向かわせねばいけないという、笑い話のような顛末に陥っていたのだった。

 

逆に寡兵だったことが災いせず、自由に展開出来たオーウェンら遊撃隊が活躍の場を多く手に入れたほどである。

帝都で徴った兵の練度が低かったことと、参加した貴族達の士気の低さ、それに皇太子ルヴェリオの存在が軍を動けなくしているのは明らかだった。

ルヴェリオさえ先に逃がすか、この場に居さえしなければ各々が敵陣に飛び込んで情報を掴むなり、退路なりを作ることが出来たのだ。

 

結果、戦場の真っ只中に孤立し周辺の町に籠る策しか取れないでいた。愚策である。しかし、今はこれが最善のようにも思えた。

側面を回り込まれて、通ってきた街道も後ろをいつの間にか抑えられている。獣人、特に犬人族猫人族は馬より疾く走れるものも居た。

彼らは道なき道をその健脚で踏破し後ろを先んじて取る先陣となって駆け抜ける。

人間には到底真似出来ない迅速な行動で鎮圧軍のノロマで統率力を失った最後尾に食らい付いた。

そうなると最早、差違が生まれ鎮圧軍は破綻状態となった。

後ろから響く怒号と、断末魔に押され、押し出されるように先頭は反乱軍のひしめく草原にたどり着く。

先頭は皇太子と近衛が乗る馬車と名のある貴族がその馬車を守るように兵を展開していた。

この貴族の名はコッテーザ伯といい、皇太子の教師の一人であり教育係であり監視役も勉める。

なんの為の監視かというと皇太子にあるまじき行為を取ってむざむざ死なさない為だった。

 

そもそもこの鎮圧軍は皇太子に“箔”を付けさせる為に集められた。

皇太子が万にひとつもでしゃばって死んだとなればそれは派閥関係なく大事件となる。

それを防ぐ為のコッテーザ伯の堅兵だ。

 

フルプレートと長物の槍・パイクと呼ばれるような槍を伯爵の後ろ周辺、配下の誰もが構えている。

コッテーザのこの兵たちは堅いが、重かった───動作の一挙手に至っても重く、ノロマで。

それが、災いした。

獲物を嗅ぎ付けた獣のように殺到してくる反乱軍から出会い頭に強襲を受けつつ、なんとかルヴェリオだけは守らねばと反撃する。

長い兵列が敵陣に止められて停滞するどん詰まりの様相をなした。

そんな先頭ではコッテーザ伯の兵である彼らが肉壁となって、押し寄せる様々な獣人たちから皇太子の乗る馬車をなんとか守っていたのだが……フルプレートも重く、パイクは取り回しがしづらい。

加えて、槍を振り回すスペースも無い。

 

つまり、獣人たちは好き放題に前衛に立っている彼らに攻めかかれたわけだ。

爪と牙はもちろんのこと、剣や槍と弓まで用いる獣人の攻撃の波に持ちこたえているのが奇跡的に見える。

どこから見ても圧倒しているのは少なく思える反乱軍の方だった。

 

前と後ろで上手く情報伝達がこの時出来ていないのが致命的となる。

前は停滞する、後方はなおも追いたてられ前へ逃れようとする。

すると、どうなるか。

 

例えば、交差点に止まる車の列にブレーキの壊れた後方からの車が次々と衝突するようなもの……そう、玉突きを起こすわけだ。

鎮圧軍は逃げるために反転するスペースの確保も出来ず、草原に降りる丘からのなだらかなカーブを描いた坂の上から下の間で身動き取れず右往左往。

道幅もそれまでより細くなり人がひしめき10人も横に並べばぎゅうぎゅう。

 

そうなると、戻るに戻れないのだから足並みは乱れ、その上更に停滞して動きを止めた兵列の横に、丘の傾斜も関係なく駆け上がってくる反乱軍に戦力を展開され数の上に優位であっても主導権を剥ぎ取られることになったのだ。

こうして、鎮圧軍は逃れられぬ蜘蛛の糸に絡め取られるように身動きのしづらい中で大した反撃も出来ずに大敗する。

 

お互いに進軍してきた鎮圧軍と反乱軍はここ、ドサロパ坂で激突。

丘からなだらかに下る地勢、数で勝る鎮圧軍はその優位を示すことも出来ないまま、反乱軍に押し潰されるように前後左右で潰走し、なんとか逃げるように草原に這い出たものの追撃に次ぐ追撃を受け五千の兵を全体で失うこととなった。

これは死んだ兵が五千という、地獄がそこに現れたということもない。

逃げ出した兵も含まれる、怪我を負って置いていかれた者も、捕まった者も、捕虜も含んでの五千。

 

遊撃隊に別けた一万とは別に、鎮圧軍本隊と行動を供にしなかった兵が五千出たという意味ということになる。

追われながらも鎮圧軍は草原の町ドサロパへと逃げ込むことに成功し、この町に残っていた反乱軍を追い払って一時の拠点とする。

 

時をおなじくして、ドサロパ坂。

オーウェンが兵を引き連れてここに辿り着いた時には既に事は終わった後で、辺りは死臭と流れるのを止めない血の臭いが入り交じった地獄のような光景が広がっていた。

 

「なんということだ。……まさか」

 

側道を行く遊撃隊とされたオーウェンは言われたまま、側道を進み街道から外れた草原の北側に出た。

草原は南北に長く伸び、馬で半日も掛かって街道を進んだ本隊と合流する。その手筈だった。

 

「帝都から来た奴等だぞ。これ」

 

「皇太子は無事だよな?」

 

「くそ。荷駄まで壊されてんじゃねえか」

 

「おい。じゃあ、食うものがないんじゃないのか!」

 

「黙れッ!……皇太子の馬車はここにはない。つまり、無事だ。自由かどうかは解らないがな」

 

口々に目の前の惨状を視界に捉えた瞬間、兵たちが思ったままの言葉の応酬を繰り返したのを聞き逃せず、我慢を止めたオーウェンが一喝したのは当然といって良かった。

兵たちが浮き足だつのも当然だったが、それを許したら残党狩りに逢った場合、目の前に転がる骸は我が身と同じ。そう考えるのも全くおかしくない。

 

「おお」と、「そうか」という一縷の安心の声がオーウェンに一喝された兵たちから繰り返される中、群集から一頭の馬が出てくる。馬の上には鎧装束の男が一人。

 

「隊長さん、隊長さん」

 

男は馬首をオーウェンの乗った馬に並べる、そして被っていた兜を脱ぎながらオーウェンに気楽に話し掛けてきた。

 

「何だ?礼儀を知らんやつだな。俺はお前の名を知らんぞ。まずは、名を名乗る。そうじゃあないか?ん?」

 

思案顔のオーウェンがそれの声に気付いて、声のした方に首を回す。じいっと顔を一瞥してから口をついて出た言葉がそれだった。

不信感が漂っている。それには訳があった。

 

「お、おう。そうな……お、俺……いや、私はハイブ伯の兵で百人を任されるリブムッテというんだが……隊長さんこそ誰なんだ。それにこれだけ死んで死体の山ができてんだ、皇太子が生きてるなんて解らないだろ?馬車持ってかれちまってココに無いってこともあんじゃないか」

 

「むう。リブムッテと言ったか……名乗るのを俺も忘れていたか、も知れん」だがな、と静かに付け加えて息を吐き出しオーウェン。

リブムッテと名乗った男を睨みつけるように鋭く視線が尖って、睨まれた相手、リブムッテに眼力が具現化して刺さるようだった。

不信感をオーウェンが持っているのにも理由がある。

 

「そもそも急時だ。俺は家称も旗も持って来てない……が、貴様に無礼な振る舞いをされる覚えはない。そう、そう……俺はディボタルタを預かっているんだ。名を知りたい、と言っていたよな?

聞かせてやる、俺の名は!」

 

「いや、無礼を働くとかそんなつもりは無かったんだ。ただ、礼を言いたかっただけでさ……追われてた俺らを助けて貰ったことを」

 

リブムッテはオーウェンの言葉を切って淡々と礼を述べた。

その間も、視線はオーウェンのギョロリとしたカエルに揃えられている。

 

「いいとこだろうが。口を挟むな……」

 

オーウェンは最後まで言わせろと含んだ言い方。吐き出したその息は重い。思い通りにことが進まないとどうしてもいらいらしてくるもの。

オーウェンもそれは同じだったということだろう。

 

「これは守備隊全員の言葉と思ってくれ、ありがとうな。ディボタルタ伯様」

 

「……はぁ。貴様のその言葉使い、礼を言う態度には見えんが。まぁ、いい。俺はオーウェン。“公爵”だ──」

 

オーウェン率いる遊撃隊は燃え上がる草原に下りてから南へと進路を取る。その途中、反乱軍の集団から身を守りながら逃げてくる一隊を救うことがあった。

 

それは、リブムッテが任されていた守備兵が逃げてきた場面だったという。数は百いた兵が半数を失ったりなんだかんだで脱落している。反乱軍は二百はいただろうか。馬もなく、武器も棒切れだったりする反乱軍だったが逃げる守備兵よりは大勢でとてもリブムッテたちだけでは敵うはずがなかった。

馬に全員が乗れているわけでなく、二人が跨がる馬もあった。速度は相対的に落ちる。反乱軍からすれば格好な獲物に見えていたということかも知れない。

 

間接的に助けてしまっただけだったが、オーウェンたちが現れたからこそ集団は数が増えた帝国軍を追い回すのを止めて退いていったということがあって、リブムッテは恩を少なからず感じていたという。

手出しをしたかが大事なのでなく、彼らの必死な抵抗も実を結ばなかったかも知れない。

そう思えば、通りかかっただけのオーウェンといっても現れてくれたことで助かったのだからリブムッテの眼には救世主にも映ってたのかも知れない。

 

閑話休題。(そんなことはどうでもいい)

 

「皇太子が死んでいたと、してだ。じゃあ、念頭にそれを置いて回りを見てみろ。どうだ?

皇太子を殺しておいて───近衛が居ないのは変じゃあないか?

俺はそう思うがな。だから、こんな所で言い合っている暇はないと思うぞ」

 

「近衛……近衛のやつら、が居ない。……本当だ」

 

そう話すオーウェンに、回りを囲んでいた兵たちからも口を挟まれる。

 

「俺が話してる間、外野は黙ってろっ。こんな時間がそもそも無駄なんだよ!着いてこい、追うぞ!血を追え!」

 

「なるほど──解った!近衛が守って逃げているってわけだな。皇太子を!」

 

被り気味でリブムッテはそう返すがオーウェンは既に地面の血の跡を追って馬を走らせていた後だった。

 

草木を染めた赤い印と力尽き倒れた兵士の骸をを頼りにして、炎が点々と燃え上がり火の粉が舞い散る戦場となった草原を駆けながら頭をひねる化けカエル……もといオーウェン。

 

おかしい………………戦を知らないはずの反乱軍はここまでやれるか?帝都の練度は望むべくも無いがそれでも、こんなにもズタボロに負けるなんてことがあるのか?素人だけの反乱軍に、だ。

じゃあ───素人と思い込んでいた敵がこちらより戦馴れしていたとすれば?

まさか、獣人同士が戦った所で小競り合い程度だろうが。

大軍が動いてのおお戦が起きたなら帝都に報告され、情報なり噂なり耳にするもんだよな?しかし、そんな話は最近じゃ聞いた覚えがない。

 

何か、ある。そう、考えるのが正しいんだろう。ただの反乱ってだけじゃ終わってくれはしないんだろ?よりによって……いまこの時にか。はあ……、こっちの都合もあるんだがなあ。戦に首突っ込んでる場合じゃない。

皇帝に省みて貰って今の宮廷の空気を入れ替える。その為にも!婚儀をしなくてはならんのだ、俺と!ティルフローズ姫の!

 

皇帝を引っ張り出す空気を作り出すために、何よりこの戦は奇麗に幕を閉じたいんだがな。果たして、どうなるか────。

 

その後、オーウェンはドサロパの町へと辿り着く。

それは少なくない亡骸を見て見ぬ振りを続けての道程だ。そこに広がっていたのは赤と黒の色彩で描かれる地獄の光景。

反乱軍である獣人の骸もあるのだが、相対的に鎮圧軍の兵士のものであろう人間の骸の方が目立って転がったまま無念を晒している。

 

「ふ、ふざけるなっ!俺は公爵だぞ?」

 

町に辿り着く頃には薄く紫に染める夕靄が周辺を包み、肌寒くなっていた。

見渡してみると町に入りきれない兵士の陣幕が町を囲むようにずらりと並べられている。

オーウェンは嘆息を漏らし、そして憤慨した。

 

既にドサロパの町の要所は埋まり、町の中でもテントを立てている状況らしく……オーウェン一行は門の前に立つ鎮圧軍兵士から入ることそのものを断られたのだ。

後を付いてきたリブムッテや貸して貰った兵士の残りが町の入り口でオーウェンが一悶着あった内に追い付き、今はそれらを伴って引き返して少し離れた場所に丁度良く空いていた空間を見つけ陣幕を張らせて、その陣幕の中に居る。

 

「帝都に帰ら無いんで?」

 

「皇太子を捨てて俺が帰れるかっ!出来るなら、さっさとそうしてる!立場があるんだよ!!」

 

話しているのはリブムッテと、汗だくになった化けカエルことオーウェン。怒髪天というが、彼は淡々とした目の前に座るリブムッテと対照的に歯噛みをして悔しがり、顔はぐったりと歪んでしまいおよそ人ではないように見える。

顔が大きなその耳まで赤く染まりきって赤いガマガエルに似ているじゃないとティルフローズが見れば思ったことだろう。

とはいえ、そのティルフローズから見れば普段から人間を止めている生き物にオーウェンの外見はティルフローズの瞳に映っていた。

閑話休題。(それは今は関係なかったね)

 

「皇太子を連れ出せれば帝都に帰りますか?帰れますか?」

 

「ふん……反乱軍をこのままにして逃げ帰るか?と聞いてるんだな……?

そんな事は出来るわけがないだろう。

して、……皇太子をこのままにしておけるわけもない……。

どうなるにしろどう動くにしろ、……こうなってしまって、……手柄もくそもないからな」

 

リブムッテも必死だ。淡々としていながらもその声の語尾に強弱がある。

オーウェンは歯噛みをぎりりとして、泥のような視線は睨むようにリブムッテをギョロリと。

それから落ち着けるためか、顔を大きな左手で横から覆った。

落ち着いたのか、ぽつりぽつりと語気を軟らかくオーウェンは返した。悔しさが滲み出るようだった。

 

「公爵さまはどうなされるんです?」

 

「お前な……。俺に出来ることは無い。今は何にも出来ん。休めるときは休む。食べるときは食べる。で、いざ戦いとなったら戦ってくれ。こう言えば解るな?」

 

「そうですねぇ。皇太子さまが御心ひとつでしょうしね。解りました、自分らは休むことにしますよ」

 

うむ。と短く返してオーウェンは簡素な椅子に身を沈めた。

木が擦れ合って軋んだ音がする。

壊れそうで心配になったオーウェンは胸の前辺りの高さに右の掌を差し出し、何もない空に魔術印の羅列を書き上げる。

すると、椅子に力ある黄緑色の閃光とともに光が灯ってやがて消えた。

椅子のひじ掛け部分を弄びながらオーウェンはその光景を見て満足そうに頷いて少し微睡んでいく。

 

 

 

思えば、昼から休む時間を惜しんでの気を張り積めた一日。

オーウェンは疲れた、とだけ呟いて重くなった目蓋を閉じた。

布を引いただけの寝所に体を滑り込ませるのも面倒に思った結果だった。

 

それから数日のオーウェンは休んでいるか、皇太子のご機嫌伺いをしようと町の入り口に立つ兵士と口論をするだけとなるわけだが。

それでもなにもしないよりは建設的な行いだったようだ。

少しずつ情報も聞けるようになってくる。

兵士の話によると皇太子は何もしてない訳でなく、近衛と側近の貴族を集めて此れからの事を話し合っているそうだ。

 

悠長な。

 

そんな場合ではないだろう!とオーウェンは苦々しく思う。

 

鎮圧軍は、思惑が見事に外れてこんな所に押し込まれている。

当初、往復15日程度の行程での予定で皇太子ルヴェリオを始め、各地の貴族もここにやって来ていて、誰もが考えに入っていなかった問題がふって湧いていた。

 

つまり……糧食が足りなくなりつつあるのだ。

 

「貴様の言った通りになったな。……リブムッテ」

 

オーウェンは丘から流れるように続く坂の下で見た、死体の山と沢山の叩き壊された木材を思い出し頭に浮かべる。

 

人が居ない場所に群れになって押し込まれているわけだ。今。

 

まあそりゃあ、腹が減るよな……時間が経てば。腹が減れば飯を食う。食えば当然───無くなるんだ。

もっと早く気づいた筈なんだが、考えるのを止めて隅に追いやっていたかも知れんな。どうする?

無いものは食えないぞ。得意の魔術も腹は満たしてやることは出来んし、困った。ああ、困ってしまった。

 

「地方に飛ばされて住んでるんでね、元々の土地持ちで暮らしてるやつらよりは危機感が強くなっちまってるんですよ。反乱は毎年やって来てそのたびに食うものが減るんで」

 

「いまこそ、ここは戦場になってはいるが……本来なら荷駄を用意させて引っ張ってくればいいんじゃないのか?」

 

「……本気で言ってるんで?……すぐそこまで来てんですよ。冬が」

 

寒いのは寒かった。が、オーウェンは問題が山積みになってしまった思考の中でそれを見失っていたということに気付いて青くなる。

リブムッテの声を聞いて顔色が悪い方に傾く。

陣幕のめくれあがった入り口から外をオーウェンは視界に映した。

陽こそ出ている。が、吹き付ける風が入り込んでくるたび体温が下がるのを感じてしまう。

彼の言う通り、季節は冬を迎えようとしている。つまりは───

 

「……流れが止まるな。運ぼうにも動かしようがなくなるってわけだな」

 

椅子を立ったオーウェンは、急いで布切れ何枚かを陣幕の隅に置かれた木箱から取りだし、リブムッテに掛けてやる。陣幕の中も気付くと寒く冷えてきたような気がした。

オーウェン自身は魔法でどうとでもなる。風邪知らず。猛毒以外はオーウェンは死ぬことも無いかも知れない。まあ、寿命というものは、化けカエルにもやってくるものだろうけど。

病はオーウェンの命を脅かす存在では無くなっていたのだ。もう、等の昔。

 

「でしょう?

獣人がとち狂うのも解んねえわけじゃないんですよ。食うものがこっちじゃ無いんです、足りないじゃなくて元から無い。ここ2、3年、特に」

 

俯いたリブムッテの落胆する低い声が重くなった陣幕の空気を更に重いものにする。

座り直したオーウェンも視線を落とした。

貴族の横暴がまかり通っているおかしな状態がある時を境に続いているのを知っていた。だからこそ、リブムッテの言葉に同調してしまう。

 

「政がまともに執り行われて無いからだろうな」

 

「はん。……その眼はガラス玉なんですかねえ……税です。タルタ(ここら)はあり得ないくらいつり上がっちまってんですよ。公爵さまはディボタルタでしょう?搾りに搾ってる貴族さまにはわかんねえ話でしたね」

 

「──だからだよ。……勘違いするな。俺は、俺が来てからは税は戻した。それでも満額は納まらないが」

 

「ほう。ひとつ、公爵さまを見直しましたよ。ディボタルタは自分、全く関係ないんですけどね。ここより北の方じゃ、人があっちこっち流れ出てるって話を前に風の噂で聞いてまして。……眼が飛び出るような税を払わさせられてるって、ね」

 

オーウェンより前の領主は賄賂だか、私欲のためか特別重い税を払わせていたようなのだ。

ディボタルタという土地は、枯れて水場も少ない、丘陵地帯のある北部はまだ荒れ地だけですむが、森以外の西南、南東の平地は大地から枯れている。土地神が消されたかのように住むに値しない土地になっていた。

オーウェンが改易されて土地替えによりディボタルタに来て一年も経ってはいない。

が、ただの一度もまともに税が納まったことが無かったことも事実。

それでも、来てすぐの頃よりはマシな程度の額が最近は納められているわけで改善は見えている。

 

「貴様が貴族に対してどんな感情を持っていようとどうでもいいんだよなあ……俺と一切関係ない。俺は、俺で。何処かの貴族は──俺じゃあ無いんだよ」

 

そう言うオーウェンの言葉は刺々しく。

耳にしたリブムッテはあわてて語気を幾分トーンを落とした。

重くのしかかってくるようだった空気が、お互いを差し合うようなひりついたものに変わっているのを気付けたのは彼にとって幸運だったのかも知れない。

何故ならオーウェンの両眉が上がり、どう見ても好意の欠片もリブムッテには感じられなくなっていた。

いつ、オーウェンが腰に提げている剣が振り上げられても少しもおかしくない。

 

「見直したと言ったでしょうが……。そんなに……睨まないで下さいよ」

 

「こういう顔なんだ。悪いか?」

 

散々言い合い白熱した二人だったが、それだけ言うとオーウェンは手首の先だけを大きく振ってリブムッテを下がらせた。もう、用は無いと言った素振りで。

 

リブムッテはオーウェンの求めた解を持っていなかった。

糧食を持ってこい、又は糧食を持って越させたいがどうすればいいか?という問いの解をだ。

なあなあで世間話になってしまったことにオーウェンは一人苦笑いを冷え冷えとした陣幕の中で溢した。

 

 

 

動きはそれから数日経って起こった。

町の人間や兵士の誰もが、待ちに待った援軍が向かっていることを早馬が飛び込んできて報せたのだ。

早馬は皇太子と次いでオーウェンの元に伝兵を寄越し沈んでいた内々の空気を新しいものに入れ換えていく。

援軍が来ることを報せたそれは鎮圧軍の面々を奮わせる程に勇気づける物だったからだ。

 

門には使者が置いていった旗が悠然と舞っているのはオーウェンも見て知っている。

早馬を寄越した援軍がもたらしたそれは赤地に金糸で見事な竜の刺繍が施された立派な旗印───ライクルゾール侯爵という、生ける伝説であり帝国きっての英雄の存在を示すものだ。

意外な大物の援軍は先の見えなかった鎮圧軍に一筋の閃光を差す。

 

救いの神、救世主として兵士や町の人々に迎え入れられたのだ。それはオーウェンにも救いとなった。

 

「久しいな。若僧」

 

「若く見えるなら師匠の眼はどうかしてますな。お久しぶりです、ライクルゾール侯爵」

 

「畏まった口振りをお前にされるとこそばゆい。前と変わらぬ、小生意気な口を聞かせてくれるとそれでよいんだがな」

 

「シュリー、じじい。五年振りというのに前と変わらぬように話せと。……もう、俺は忘れてしまった」

 

じじいと、呼ばれたその呼び名に似合わない、精悍な顔つきをした、振り上げられたダンビラのような威圧感を伴う眼光。

赤地に金で装飾をされた特別な鎧を纏った出で立ちの男。

ライクルゾール侯爵その人だった。

名はシュリー。元は帝国の敵の家に生まれる。そこから、数奇の運命的出逢い、宿命の流れに身を曝して今現在の身分がある。

紫の髪の隙間から見える額には金で出来た見事なサークレット。

その身を彩る装飾品も英雄の風格を漂わせ引き立てている。見れば指にも、腕輪にも金が使われていた。

 

「それだ。会いたかったぞ、オーウェン。我が弟子」

 

「……と、まあ───茶番はこれくらいにしよう。シュリー、いやライクルゾール侯爵、遠路はるばる西の果てまで良く来てくれた。足りなくなっていた糧食を届けて貰えて嬉しく思う」

 

「普段の喋り方でいいよ。物分かりの良いフリなんぞは俺の前ではしなくていいと言ったよな?忘れたか?」

立ったままのシュリーはこの時つかつかと歩き及んでオーウェンの目と鼻の先まで近寄る。

それでも、歩みを止めずに額同士がぶつかった。

凶暴な笑みを浮かべてシュリーの視界一杯に広がったオーウェンの血で濁った瞳を睨み返す。

この時を待っていたかのようにオーウェンが眼を細めるのにあわせて再度口に出す、忘れたか?と。

 

「何時言った?」

 

「今だ。───くっ、ハハハハハ!」

 

耐えきれなかった風に背を反り返して笑う。哄笑するシュリー。

すると、オーウェンも釣られるように笑い出す。表情は悪漢のそれだ。あんた、敵だ。間違いなく。

 

「くくくっ、アハハハハハっ!そうだな、シュリーと話していると友と話している気になってしまう。そう、今この時だ。変な気分だよ、英雄を前にしているってのに」

 

「友か。うん、それでいい、肩肘はお互い張る必要なければ張りたくは無いだろう?

少なくとも、俺はオーウェンの前で英雄でござい、偉ぶるから頭(こうべ)を垂れよ。などとは言わないだろうよ」

 

 

 

 

「───よく、解った。皇太子と近衛から話を聞くよりずっといい話を聞けた。お前が居るならやっぱりお前の口で喋らせた方が良かったな。そうか、どん詰まりと思うわけか。へえー」

 

一頻り笑い合った二人はわずかな距離をとって座り合う。

オーウェンが用意するのを待たずに、シュリーは隅にあった椅子を持ち出してくるというわけだ。

既に、シュリーはここにくる前、ルヴェリオと面通しをし、近衛を交えて話をしてきたのだった。

 

「シュリーは思わないのか?」

 

「無駄に大人数で居るから鈍る。飛び出してみるといいぞ?オーウェン」

 

そう言うシュリーの言葉に言い淀む。オーウェンの目の前で口を開いているのは師と仰いだ才人であり、救国の英雄なのだ。その英雄が口にする、『鈍る』、『飛び出せ』など単語がもつ意味を飛び越えた意味を探す。

 

「大人数……ああ、それは解ってるんだ。でも、シュリー、飛び出せ……とは?」

 

しかし、オーウェンには解らなかったようだ。椅子を引き摺ってにじりよるオーウェンは眼を鋭く細めてシュリーに実を問う。

 

「基本じゃないか?地図を見たらすぐに頭に浮かんだんだがな。街道はこれ、で、ここに今居るなら……」

 

「そう、か……ここ二日は敵が襲って来てない。やられた……周りに既に居ないのか」

 

胸元に一度手を入れてから気付いたシュリーは腰に付けた袋から一枚の紙を広げる。厚地の羊皮紙だ。これは地図。それも鎮圧軍が使っていた上等なものだった。

それをオーウェンにも見えるように広げてオーウェンに片方の端を、シュリーがもう片方の端を掴んで二人は地図を眺めた。

 

暫く視線を動かしていたオーウェンが肩を震わせて悔しそうに呟いたのが先の言葉となった。

シュリーが指摘するまで、敵が辺りに居ないとは思ってはいなかったのだから。

襲ってこなくても、それは簡単には町の防備を崩せなくて戦力を整えているのだ、と思っていたのだ。オーウェンは。

 

その、戦力はどこからくるもので……というのを埋没していた。

反乱軍はあちこちにいる、と思わせる動きを見せていたというのもある。

オーウェンが何も間違った思考をしていたという訳でもない、ただ……敵に上手く誤魔化されていた。上手く思い込まされていたんだからオーウェン一人を責めてもいいものではない。

 

「情報は常に最新のものを頭に叩き込めと言っといただろう。偵察は基礎だよ、危険な賭けだとしても斥候はオーウェンも出すべき」

 

だと、しても。シュリーは思う。

周りに眼を向けられなければ、こちらが期待していた分損だと。

師と弟子の間柄に請われてなったのは誰でもよかったわけじゃない。オーウェンには、才能を感じていたのに。

 

「少しは情報は手に入れてたんだ。ド=サンでも戦闘があったくらいには」

 

地図をがさっと手離してオーウェンはシュリーに体全体を向き直り、口答えにしか聞こえないそんな言葉を返した。すると、返す刀でぶったぎる様に。シュリーは続ける。飄々とした口調は見た目以上に年齢を下げたものに見えた。

 

「それくらいだと致命的だぞう。もっとあちこちに飛び火してる、シュエニーブもそうだし。そうそう、エスト家も出刃っててね」

 

「死なせる兵があいにく、手元には無いんだ。俺たちがまごついてる内に余所じゃそんなことに……」

 

シュニエーブというのは先の話に出てきたド=サンよりも南部の土地で、峻険な山地と豊かな沃土で構成される帝国の最大の穀草地帯。

そこにも、ここタルタ以上に劣悪で酷い扱いを受ける獣人たちのコミュニティがあった。

貴族が労もなく魔法でぱぱっと出来てしまうのにわざわざ彼らを使っていた。山を拓くのだ。峻険な山々には鉱石が少なからず埋まっている、それを知った領主たちは目の色を変えた。山を見る目は金を写しているようだった。

何の事はない、鉱夫として獣人たちは使われていたわけだ。

ダイナマイトも無い。魔法なら風穴も楽々空けられるだろうに、それをしない。

領主が領地に張り付いていることが珍しいのだ。シュニエーブのこの辺りの貴族も他となんら変わらない。

帝都に住んでいるくせに、指示だけを口うるさくしてくる。

能率をあげろとか、もっと沢山掘り出せとか。

閑話休題。(長くなったのでこの辺で)

 

「俺の領地をほっぽって、俺がこんなとこにまで出向いて来る時点で……気付いて欲しかったなあ。オーウェンには。まあ、さらっと言うと裏切りがあったことが解ったんだよね。……大規模だよ、飛びきりデカい」

 

「裏切り?」

 

オーウェンはそのとき、やっぱりそうきたかと心の中でざわついた。疑問は常にあったはずだ。あの坂で。リブムッテを助けたあの場で。このドサロパを襲ってきた反乱軍どもを見て。町につくまでの道中の乱狩りの様を見て。

 

「───なるほど。それで……ああ、頭の中のモヤモヤがスッキリした気分だ」

 

なおも続く、シュリーのイキイキしたそれでいて飄々とした言葉にオーウェンは脱力して呻いた。

 

「軍人貴族がシュエニーブじゃ指揮をとって反乱軍を率いてるって話だぞう。皇太子が起爆剤になったんだよ、きっとねえ」

 

軍人が裏切った。そう、シュリーは言った。軍人貴族というのは、領地をもってその領地経営で生活する貴族とは違い、騎士とも違って、戦争の功だけで爵位を手に入れた総称となっている。

戦爵などは伯爵や子爵以下の低い爵位で、領地はもっているが代官が治めていて上がってくる年貢が金貨に変わって納められるようになっていた。

そんな戦に才ある人間のことを言った。

 

そいつらが裏切った。知らない、そんなことは。知らなかった、……知っていればこんなところでのんびりしている訳がない。

 

「どんな風にやられたかなんて解りはしない。だけど、ここでも散々にやっつけられた。当然だろ?素人と見くびっていたんだからな、軍人相手に……」

 

「連中、堪忍袋の緒が切れたってわけだ。そうなると、でも……その青地図を書いたやつが居る筈だよ。そそのかした黒幕ってのがさあ」

 

シュリーはあらぬ方向を泳いでいたオーウェンの視線を自分に向けると静かに、しかし、語気強く言葉を紡いでいく。

その瞳にはある種の決意した人間の彩が浮かんでいた。

 

「しょせん、年末の御約束。誰でもそう思う、この反乱を合図代わりに蜂起するよう準備がされてた、と?

それは考え過ぎだ、シュリー」

 

視線を無理やり、頬を掴む両手で固定されたオーウェンは真っ直ぐ見るしかないシュリーの瞳を逸らせずに見続けた。

 

「……解らないの?

解ってないの?ダメなんだあ。勘が鈍いんじゃないか、オーウェン。昔はそんなじゃなかっただろう……?

はっきりとは言えないけど、これ───クーデターだよ」

 

そう言うシュリーの声音は踊っていた。待ち兼ねたような狂気が見え隠れする。

オーウェンがなかなか答えに辿り着けないのが苛立たしかったのかも知れない。

 

「な、んだと?」

 

事の大きさに言い淀むオーウェン。

クーデターだって?

だって、それは……つまり?

嘘だろう。皇帝を亡きものにしようと?

そう言いたいのか、シュリー。

 

オーウェンの瞳に焦りが射したことに気付いて、満足したシュリーはそこでようやく両手を離して立ち上がると、オーウェンに背を向けるように外に歩きながら咥う。

さも楽しいと言いたげに。

笑い終わると、陣幕の入り口を背にオーウェンに向き直る。

 

「だってそうじゃないかい?軍人貴族はなんのために?まさか、獣人たちを可哀想に思って手助けを?……まさか。断言するね、それは無い!無いんだ」

 

「おい。じゃあ、空になった帝都に攻め込んでるって言うのか?そう言いたいのかシュリー」

 

「御名答。そうはならない、そうさせない。その為の俺だよ?実家にも動いて貰って、ついでに引っ張り出せるものも全部。使える手札は出しきるつもりだよ?」

 

オーウェンはじりじりとシュリーに近づいていきながらも言葉でお互いぶつかり合う。

シュリーの実家とはつまりゼルノート王家。

帝国の範図に入りながらも存続する唯一の王家ということになる、広大な領地は召し上げられたものの影響力はかの地では絶大。

 

「頼もしいな。ゼルノート、それに大公もか」

大公と呼ばれるのはゼルノートの隣国のことだ。

その名をウィコットといい、南北に細長い領地はさらなる敵を呼び込んで、帝国領となった今、ウィコット大公国は帝国の最大の戦場となっている。

その辺りは微妙な事情もあって大公はノータッチなのであるが。

閑話休題。(それは置いといて)

 

「これ以上の裏切りを出すと、きっつくなる。帝都近辺の大物とか、どっちにつくか」

 

シュリーとオーウェンの会話はさらにヒートアップ。

 

「小火騒ぎで是非に食い止めないとなんだな」

 

「狙いは、どこでしょーかっ?オーウェン、お前に解る?」

 

「タルタは狼煙ていどなんだろ?なら、ここだ」

 

シュリーがおどけたように、拾い上げた地図を広げて見せた。

その地図のある部分──タルタの南東の辺りを人差し指で叩くオーウェン。トントンと音をたてて。

 

「連中、大物食いがしたい。解るじゃないか、オーウェン。そうだよ、ド=サン、ここが落ちると……ここから兵を出せる。こりゃ大変だぞう」

 

「エスト家に頑張ってろ。と伝えないとな」

 

そう言うオーウェンの呻き交じりの声にシュリーが即座に反応した。このじじい、英雄であるだけはあって慧眼の持ち主であった。

誰も気付けない事柄にもいち速く気づけることができる。敵にまわすと厄介だが、味方となるとこれ以上に頼りになる存在もそうそうは現れてはくれないだろう。

 

「シュエニーブにも活路が見出だせる。ま!そうは、させてやんないけど!」

 

 

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