提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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【狂界線】

 魚雷の爆発と、連続する砲撃により海上は赤く染まった。漏れ出したオイルにでも燃え移ったのか、遠方より臨む海域には、まるで不知火の火の如く燃え盛る炎の一本道が見てとれる。

 

 その中心に桃色の髪の少女が立ち尽くしていた。

 

 魚雷は不知火に直撃しなかった、予定距離より大幅に前方で魚雷と交差したため、奴らの繊細な電探に狂いが生じたのだった。魚雷は雷跡を引きながら不知火の足の下を通過し、彼女の後方で炸裂した。奇跡的に不知火はあの危機を小破する事すら無く乗り切ったのだ。

 しかし、この全てを不知火自身が予期していたかと言えば、答えは否である。

 

「……」

 

 不知火は無言で前方のイ級を睨みつける。左手に装填された12.7cm砲が、海面の反射を受けて鈍く光った。

 

 ドン ドン

 

 水平射二発。

 イ級を沈めるまで、目が合ってから2秒と掛かっていない。

 不知火は沈み始めたイ級には目もくれず、そのより後方、黒煙の奥に潜む何者かに目を凝らした。

 黒い煙の奥の、黒い影。その正体を見極めるより先に、煙の内側より巨大な砲身がぬっと突き出された。不知火は咄嗟に上体を低く構える。

 

 間髪入れずに砲音がただ一発。気の抜けた口笛のような風切り音を引き連れて、遥か上方を通過した。不知火の背後、かなり離れた位置に着弾し…

 

 オオオオオオオオオオオオオン

 

 龍の咆哮を思わせる爆音が辺りに響き渡った。

 不知火は後方に逃れようと上半身を逸らすが、すぐに背後の熱気に押されて前傾に身を固めた。

 周囲を炎に取り囲まれていた。海面が炎上し、炎の帯が空に向かって高々と手を伸ばす。隊とも分断され、不知火は完全に退路を失った。

 

 黒々とした砲身が今度は不知火に向けて照準を合わせて、ぎしぎしと歪んだ音を立てた。自分に向けられた真っ黒な穴が何重にも歪んで見える。手に持った主砲がぐらぐらと揺れ、焦点の合わぬ目はあらぬ虚空を見つめていた。

 

 震える指先が無意識に胸元に引き寄せられる。艤装を固定するベルトの上に、小さな球体のキーホルダーがぶら下がっていた。球体からは短い紐が垂れ、その形はまるで小学生が持ち歩く防犯ブザーを思わせる。

 

 自決用の爆弾である。

 

 艦娘は轟沈した肉体が妖精の手に渡らぬ様に、航行不能になった際に機関部を爆破して自決する義務がある。その紐は、まさに爆弾を起爆させるスイッチであった。

 

 目を瞑り、深呼吸する。そして一気に紐を引き延ばした。

 

 不知火は自分に向けられた大砲を見つめる。長い主砲に穴ひとつ。大丈夫だ、まだ戦える。

 不知火は力を込めて紐を引いたが、紐が完全に抜けきる事は無かった。この爆弾は誤作動が起こらないように爆弾内部に海水が入った時にしか紐が引けないようになっている。轟沈したその時しか爆発しないように設計されているのだ。

 もちろん不知火はそれを知っていた。それでも、紐を引いた。「もしかしたら」という妖しい期待が、緊張感と共に不知火の頭に冷静さを取り戻させた。

 

 狂っている。彼女の事をそう軽蔑する者もいる。

 

 真っ黒な穴が不知火を中心に捉えて停止した。底の見えない暗い穴をじっと見つめる。額の汗を拭う事もせず、細く長く息を吐いた。

 

 動け、動け、動け、動け

 

 頭の中で警告の鐘がけたたましく鳴り響いている。

 

 周囲を取り囲む炎が一際大きく盛り上がった時、不知火が動いた。

 全速力で波を蹴り、細かく之字運動を交えながら一気に距離を詰めた。黒煙の先、みまごうはずもない、戦艦タ級に向かって。

 12.7cm砲が唸りを上げる。撃ち放たれた砲弾が放物線を描いて一直線にタ級へ向かっていく。黒い砲弾はタ級の眼前で爆発した。

 

(まだ…)

 

 不知火は突撃する。黒煙を押しのけて現れた標的には目立った致命傷は見られなかった。庇った左手の艤装に小さく焦げ目がついているだけで、直撃弾があったにもかかわらずピンピンしている。16inch三連装砲が音もなく不知火に向けられた。

 

 それでも怯む事なく不知火は突撃を続ける。上体を沈ませ、弾道の下に潜るようにして初弾を回避すると、たちまち互いの距離は触れ合うほどまで接近した。不知火がタ級の砲身をつかんだ時、遅れて背後で爆音が響いた。立ち上る水柱を背に、不知火はほくそ笑む。

 

「下手糞」

 

 不知火の左の砲身はタ級の喉元につきつけられていた。右手はしっかりと砲身をつかみ逃がさない。必中の距離。しかし、これはもはや砲撃戦の距離とは到底呼べなかった。

 砲口とタ級の距離はわずか数cm。砲弾を撃ち出せば、不知火もタダでは済まない。

 それでも不知火はためらう事無く引き金を引いた。飛び出した砲弾は射線を描く間も無く、不知火を巻き込んで爆発した。反動で吹き飛びながら、不知火は右手で太腿に固定した注射器を引き抜いた。

 

 まだ終わっていない。それだけはわかる。

 

 もうもうと煙を上げるタ級と対峙しながら、不知火は使い物にならなくなった連装砲を足元に投げ捨てた。沈んでいく鉄の塊と交差するように、小さな肉片が海面に浮かびあがる。

 

 それは不知火の指であった。

 

 さっきまで連装砲を持っていた自分の手を確認すると、親指だけを残してすべての指が消し飛んでいる。並んだ4つの傷口から白濁とした液体が噴水のように溢れ出していた。

 

 艦娘の体内を流れる人工血液は、真っ白く濁った色をしている。艦娘は建造された直後は人間と同じ赤い血が流れているが、直後にこの人工血液とそっくり入れ替えられる。人工血液は代謝が良く、負傷部の修復やエネルギーの循環が各段に早い。血液型の分類も無いため、輸血も簡単だった。

 しかし、さすがにこれだけの傷を自然治癒だけ治すのは不可能だ。

 

 不知火は注射器を口にくわえて、健在な右手で左手の頸動脈を強く抑えた。出血の勢いが強すぎると、傷がうまく塞がらない事がある。そして注射器を手に取って、動脈の上にそれを思い切り突き刺す。悲鳴を噛み殺しピストンを押し込むと、押し出された緑色の液体が体内に流れ込んだ。

 

 『高速修復剤』である。

 

 並んだ四つの丸い穴がぼこぼこと膨れ上がり、傷の上をかさぶたのような蓋が覆った。さすがに即座に指が生えてくるような事は無いが、これで出血を止めつつ鎮守府で治療ができる。軽く手を降ってみるが痛みはない。この後の戦闘行動にも支障はなさそうだ。

 

 高速修復剤は艦娘の代謝を促進させ、入渠の際に使用すれば格段に修復が早くなる効果がある。しかし、こうやって直接体内に取り込む事でも一時的に傷口を固めることが可能であった。ただし、強い中毒性がある為この使用法は軍律で固く規制されている。

 

 タ級がよろよろと動き出した。不知火は注射器を投げ捨てて、右手一本で背負った魚雷管を作動させる。今度は十分に距離を取り、照準をタ級に向けた。荒い息を抑えて、ぎりぎりまで狙いを絞る。

 

「発射ぁ!!」

 

 解き放たれた4本の魚雷が雷跡を引きながらタ級に向かっていく。巨大な水柱と共に、戦艦の巨体がぐらりと傾いた。不知火は轟沈艦を一瞥し、すぐさまタ級の背後に目を向けた。

 

「もう一隻…」

 

「ドアホ、不知火!先行しすぎだ!」

 

 そこでようやく摩耶が追いついてきた。外装が所々焼け焦げて穴が開いているのが見える。もしやあの炎の海を突っ切ってきたのだろうか。

 不知火はすぐに標的へ視線を戻し、鋭い口調で言った。 

 

「旗艦殿、雷撃戦です」

 

「くそったれ!」

 

 ガシャンと摩耶の腰に装備された魚雷管が回転する。不知火も親指しかない左手で器用に魚雷管を操作し、右手で素早く装填を完了した。

 

「次弾装填完了」

 

「魚雷発射!!」

 

 

 

 

 

 

 約2時間後の指令室。

 作戦から帰投した摩耶はぼろぼろの外装のまま司令官の前に立った。外装の帽子を胸の前で抱き、椅子に深く腰掛ける司令官、そして並び立つ秘書官の日向に向けて鋭く敬礼した。

 

「本日哨戒任務にて敵艦隊と遭遇。脱出は困難と判断し、交戦いたしました。敵編成は戦艦2、軽巡洋艦2、駆逐艦1。我が艦隊はこれを撃退。戦果は戦艦『轟沈』1、『大破』1、軽巡『中破』2、駆逐『轟沈』1」

 

「ご苦労。こちらの被害は?」

 

「こちらの被害は旗艦、摩耶『小破』。それから」

 

 摩耶は報告を続けつつ、バツが悪そうに提督から視線を逸らした。

 

「駆逐艦、不知火『大破』」

 

 つぶやくようなその報告に、提督も同じく窓の外へ視線を向けた。

 

「“また”不知火か」

 

 

 

 

「しらぬいっ!」

 

 浴びせられた怒声と共に、不知火の体が勢いよく地面に叩き付けられた。

 作戦棟横の防波堤の一角。倒れ込んだ不知火は腫れた頬をおさえながら、よろよろと立ちあがった。

 

「こんの、大馬鹿者!」

 

 報告から戻った摩耶は、大声を張り上げて不知火の前に飛び出した。

 

「まてよ鳥海!やりすぎだ!」

 

 不知火を殴り飛ばした張本人の鳥海は、防波堤に寄り掛かる不知火へずかずかと歩み寄った。間に入った摩耶には目もくれず、不知火の襟首を捩じり上げる。

 

「何度言えば理解するんですかっ!あなたのような死にたがりのせいで、どれだけ隊が危険にさらされているか!わからないとは言わせませんよ!」

 

 鳥海はメガネの下に青筋をたてて唾をまきちらす。

 対する不知火は戦場での闘争心が嘘のように、ただぼんやりと向けられるままに鳥海の怒りを受け入れていた。

 鳥海は不知火の胸倉を引き寄せて、その顔面に頭突きを叩き込んだ。不知火は後方に大きく吹き飛び、砂埃を上げて倒れこむ。

 

「鳥海、鳥海!」

 

「うるさい摩耶っ!旗艦の貴女が甘やかすから、駆逐艦が暴走するのでしょう!」

 

 鳥海は止めに入る摩耶を押しのけ、倒れこんだ不知火の髪をつかんで起き上がらせた。

 

「何か言ってみなさい、この死にぞこない」

 

 不知火は抵抗するでもなくただだらんと腕を垂らして、視線の動きだけで鳥海を見上げた。

 

「不知火は、貴女より戦果をあげました」

 

「なっ…」

 

 狼狽する鳥海の表情を見て、顔全体をゆがめるようにニヤリと笑った。

 

「不知火に何か落ち度でも?」

 

 鳥海の拳がみぞおちに突き刺さると、不知火は白い液体を吹いて昏倒した。

 

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