朦々と熱気の広がる船渠。混雑時間は艦娘30人が同時入浴できるこの大浴場で、現在ゆっくりと湯銭につかっているのは北上と不知火の二人だけであった。
雨天演習を行っていた第八駆逐隊は軽くシャワーを浴びて潮を落とすと、早足に浴場を後にする。最後に旗艦の朝潮が全員分の洗い場を確認すると、出入口の前に移動して背を伸ばして敬礼した。不知火が湯の中からそれに答えると、ぴしゃりと音を立ててガラス戸が閉じる。曇りガラスの裏側で四人の小さな影が、我先にと外装に袖を通していた。
取り残された二人は大きな湯船に肩まで浸かりながら、会話も無くぼうとただ立ち上る湯気を眺めていた。隣接された工廠の音が遠くで響く。広場の天井に反響して、静寂の中に独特のリズムを刻んでいた。
「お前はアタシの手に負えねぇ」
そのリズムを断ち切るように北上から話を切り出した。
「あなたがそれを言うんですか…」
皮肉ではなく本心からの疑問を口にした不知火を無視して、北上は続けた。
「新聞、読んだ?」
艦娘達は外部の情報を無断で知識として取り込むことは許可されていない。この鎮守府で「新聞」といえば、「鎮守府の友」の事だ。
(今週の記事内容は駆逐艦の待遇改善と意識調査…)
「司令との個人面談ですか?」
「イエス」
「話が早い」と北上が指を鳴らした。
不知火も大して興味があって記事に目を通していた訳では無かったが、情報提供元に北上の名が上がっていた為に、駆逐艦達が必要以上に騒いでいた事を特別覚えていたのだ。
以前よりこの「個人面談」の噂は駆逐艦内では水面下で広まっていた。不知火が独自に得た情報によれば、漣が駆逐嚮導の任を解かれたのも、霞が秘書艦補佐の座に落ち着いたのも、この面談を通した提督への直談判が引き金になっているようだ。
「お断りします」
「うんうん、話が早いって…え?」
目を丸くする北上を余所に、不知火は丁寧に首を横に振った。
不知火を「そこ」に呼ぶ理由。説教はもとより除隊かはたまた解体か。雷蛇の思惑がどうであれ、明るい先行きを考えろと言う方が無理な話であった。不知火がこの申し出を断るのは、ある意味当然であるといえる。
「丁寧にお断りさせていただきます」
「何でさ」
心底意外そうな北上の声。「とぼけているのか?」と不知火は目を細める。
「雷蛇こそ何故私にその話を持ちかけるのです。それも嚮導艦の仕事なのですか?」
「そういう訳じゃないが…」
「なら尚更、貴女に命令権は無いわけですね」
しまった。北上は頬をひっかく。
嚮導艦命令と言われれば、不知火だって腰を上げないわけにはいかない。しかしそうする事もせず、ただ相手を諭し軽く背中を押すように先を促す。まるで嚮導艦のような行動、あの大井のような。
善意に「毒」される。先ほどの北上の言葉が不意に思い出された。
「でもあんたに死なれちゃ困る。嚮導艦の監督責任になるかもしれないからね」
北上が咄嗟にそう言い繕う様を見て、不知火は薄く笑った。
「不知火は死ぬのは怖くありません」
「なら尚更」
「……」
いなしたつもりが、すぐさま返しの刃を突きつけられる。不知火は途端に表情を崩し、ムッとして北上をにらみつけた。
北上の目障りなニヤケ面が目に入る。口の端を釣り上げながら、目を瞑ってとぼけたように首をかしげている。
「馬鹿は、死んだって直りゃしないんだからさ」
不知火の怒気を含んだ視線が鋭く光る。目が合う前に、北上は視線から逃れる様に湯の中に頭を沈み込ませた。