提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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【センチメンタル・アドミラル】

 

「霞ちゃん」

 

「ん~?」

 

「今日は…」

 

「…」

 

「お仕事はしないのかい?」

 

 私がそう聞いたのと同時に、午後9時を知らせる鐘が鎮守府全体に響き渡った。ばたばたと表の廊下で足音が遠ざかっていく。

 霞ちゃんは一人、素知らぬ様子でソファーの上にうつぶせになって雑誌をめくっていた。

 

「今日はいいわ」

 

「仕事に今日も明日もないと思うのは私だけかね…」

 

 私は露骨に不満を漏らすような事はせず、言葉の端に微かにそれを匂わせる程度に留めた。

 書類に万年筆を走らせ、サインする。判子に手を伸ばしながら、空いた手で眠気により熱を帯びてきた頬の肉を軽くつねった。

 

 ここ連日「もぐりこみ」が続いた為か睡魔の進撃が激しい。

 工員達の前に顔を出している昼間ならともかく、書類仕事を片付ける夕方から夜にかけてはこの所とても身が入っているとは言い難い状態が続いていた。

 

 片付いた書類の束を机の端に追いやり、大きく伸びをする。指の先からブルブルと全身の緊張が抜けていく。私は腕を伸ばしながら欠伸を噛み殺した。

 

「霞ちゃんももう帰りな」

 

「私が寝るから」とは告げずに、こちらに向けられている霞ちゃんのお尻に向かってそう呼びかけた。

 霞ちゃんはピクリともせず、食い入るように雑誌を眺めている。

 私は椅子から立ち上がって、ゆっくりと霞ちゃんの寝転がっているソファーに忍び寄った。 少し背伸びするだけで、小さな霞ちゃんの背中から雑誌の記事を覗き込む事ができる。案の定、それは「霞改二」の特集であった。

 

「『B-4基地の霞』改二へ」

 

 霞ちゃんはページの端を指先で「ぺらぺら」している。そして、思い切ったようにページの端に「耳」を折った。

 

「霞ちゃん、軍の支給品」

 

「うっさいクズ」

 

 私は軽く息をつきながら、霞ちゃんの横に腰を下ろした。

 

「私は会った事があるよ、『その霞』にね」

 

 霞ちゃんは私の言葉を聞くと、パタンと音を立てて雑誌を閉じた。こちらに顔を向ける事は無いが、どうやら私の次の言葉に耳をそばだてているようだ。

 

「君とは正反対な性格でね、元気があって常に笑顔を絶やさない、隊のムードメーカーだった。ちょっと男勝りな所があってな、演習では進んで第一陣を切り込んでくような勝ち気な性格で、なびく金色の髪が太陽の光(ひ)のように見えるんだ」

 

「それが『私と同じ霞』?」

 

 霞ちゃんはじっと私の話を聞いている。

 私は大きくうなずいた。

 

「成績も優秀だった。今の君に負けないくらいね」

 

「なら、妥当な采配ね」

 

 霞ちゃんは興味なさそうに呟くと、雑誌を持って立ち上がった。

 

「『霞ちゃん』が改二になれるかどうかは、分からないな」

 

「聞いてないわよ」

 

「そうか、おやすみ」

 

 廊下の影に消えていく霞ちゃんの背中は、やっぱり少し寂しそうに見えた。

 

 『B-4基地の霞』が改二になったとしても、『うちの霞ちゃん』が改二になれるとは限らない。

 2隻は全く別の性質を持った艦であるし、大本営(うえ)の許可が出ても私が許可を出さないかもしれない。私が「良し」と思っても、現場の日向が「良し」としなければ私は改二を取り下げるだろう。

 

 艦娘とはそういうものだ。同じ艦名でも素体となった深海棲艦は全くの別個体であるわけで、性格も外見も鎮守府によってバラバラだ。

『B-4基地の霞』が熱く力強いのに対し、『うちの霞ちゃん』は冷静で情熱的だ。艦名が同じなのは軍の悪趣味なゲン担ぎの的となっただけに過ぎない。

 

 彼女らは卵から生まれた新生物でも無ければ、かつての戦争を生きた軍艦の生まれ変わりでもない。

 

 ただの少女だ。

 

 もちろん社会がそれを許さない。全身に強化細胞による肉体改造を施し、鉄でできた骨格を持つ人造兵器を少女と呼ぶのは世間が許さないだろう。

 彼女たちは兵器であり、戦いの道具だ。戦争が終われば存在価値を失う。それはもう、ただの少女などでは決して無い。

 

 しかし、かつてのものたちがあの面影の中に絶えぬ笑顔を携えていたのも、また揺るぎの無い事実なのである。

 

 それを思うたび私は、自らの外道を再確認する。罪悪感は無い。後悔や自己嫌悪は既に一生分を終えていた。

 深海棲艦の殲滅に命を捧げると誓ったあの瞬間に、私の中の人道は断末魔も上げずに死んでいる。私は兵器にも、鬼にもなれなかった半端者。言い聞かせるまでもなく、自覚している。

 

「だめだ、眠い」

 

 思考のまとまらない頭は、時折余計な事を考える。

 

『気軽にのんびり、気長にやろう』

 

 鎮守府(ここ)に来た時の元帥の言葉を思い出す。

 当時は何を呑気な、と思ったものだが、今ならあれ程身に刻むべき激励も無いのであろう。「イレギュラー」によって生まれた奴らは、今や数を増やし「種」となりつつある。それを根絶しようと言うのだから、1年や2年で終わるような戦争(たたかい)とはならないだろう。

 

「気軽にのんびり、気長に殺ろう」

 

 思い立って、自然に笑いが漏れた。

 

「馬鹿馬鹿しい…」

 

 考えれば考えるほど気がめいる。限界だ、寝よう。

 

 

 

 

 私は自室の扉を開けると、ベッドに大の字に倒れ込んだ。布団に勢いよく飛び込んだ衝撃で、ふわりと甘い香りが漂う。

 霞ちゃんか漣か、はたまた初雪か。

 私も軍人として硬派を気取っていたつもりだったが、随分な「女たらし」になったものだ。やっと提督らしくなったか、などと皮肉を言う者もあるかもしれない。

 

 久方ぶりの、一人の夜だ。

 

 誰かが側にいてくれればなどと、考えてはいけない。

 

 一人で存在(い)なければいけない。

 一人で戦わなければいけない。

 一人で背負わなければいけない。

 

 重圧ではない。孤独は救いだった。

 私が孤独であると言うことは、戦争が万全で順調で、世界が平和で幸福だという事だ。

 私が本土に顔を出すということは事態がそこまで逼迫しているという事。

 誰とも会わず、連絡も無く、一方通行の報告を繰り返す。それが世界にとっての平和だった。誰とも会わなければ、私自身が他者に害を及ぼす心配もない。

 

 胸の奥の淡い不安は、自覚してはならぬ破滅への抵抗。暗闇の中の孤独な精神が、私のやわな心臓に爪を突き立てている。忘れていた恐怖と焦燥。「もぐりこみ」が思い出させた、ぬくもりと不安。

 

「誰か、私をここから連れ出せ…」

 

 思うだけならタダだ。そう思った。

 

 口に出していた事には、気がつかなかった。

 

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