ゴジラ vs 大仏   作:外清内ダク

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巻の三、楊貴妃、来日

 

 楊玉環、蒲州永楽の人。(現在の中華人民共和国山西省)

 唐の九代玄宗皇帝が寵姫、人呼んで楊貴妃。

 

 艶髪は雲、美貌(かんばせ)は花、歩みは(かんざし)の揺れるが如く。

 華麗を極めた衣の隙間から、惜しみなく衆目に晒したるは、豊満なる躰、白そのものより白き肌。

 

 楊貴妃は、多くの僧侶を具して紫香楽宮を訪れ、帝への拝謁を願い出た。

 その場の男たちは、みな一様に、楊貴妃の肢体に目を奪われ、ひととき息を呑んだ。

 賢明な者はすぐに目を逸らした。長く見れば目を焼かれかねぬ、赤熱した鋼の如き美女であった。

 

 

 帝、大いに驚きてのたまわく、

「大唐国の皇帝夫人がなにゆえ日本(やまと)に?」

 

 楊貴妃、答えて申さく、

「倭王どのに有益な情報をお持ちしました。

 あなたがたの懸案――呉爾羅(ガージュラヴァナ)についてね」

 

 帝以下、百官みな驚きを隠せなかった。

 楊貴妃はその反応を愉しんでいるようだった。

 

 

 帝、“南家”武智麻呂に目配せして、

「南家に任す」

 

“南家”武智麻呂。

「御意。

 唐国の御使者にお訊ね申す。

 なぜガヅラをご存知なのか?」

 

 楊貴妃。

「倭国の右丞相にお訊ね申す。

 話を聞く心づもりの有りや無しや?」

 

日本(やまと)の右大臣がお答え申す。

 痛い腹の内を隠しておられては交渉になり申さぬ」

 

「わたくし楊貴妃がおこたえもーす。

 ゴチャゴチャうっせーな国傾けんぞコラァ!」

 

 宮廷じゅうが、しんと静まり返った。

 楊貴妃は帝の御前に立ちながら、平伏さえしていない。

 その迫力と美しさが、みなに納得させた。この女は本当に国を傾けかねぬ、と。

 

 

 楊貴妃、一転して微笑み、

「でも、まあ、いいでしょ。

 愛し合うには、まず裸を晒さないとね。

 これをご覧ください」

 

 楊貴妃は一書を差し出した。

 

 帝、その書を見てのたまわく、

呉爾羅(がづら)……」

 

 楊貴妃。

天竺(てんじく)(現在のインド)に祀られし破壊の神。

 その研究資料は極めて詳細に纏められています。

 由来、能力、そして――召喚の方法までね。

 

 それを記した者の名は、大唐国秘書監、朝衡(ちょうこう)

 またの名を、遣唐使、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)!」

 

 その名を耳にしたとたん、末席にいた吉備真備がよろめいた。

 とっさに橘諸兄が抱きとめたが、吉備真備の顔面は蒼白であった。

 

 

  *

 

 

 遣唐使、阿倍仲麻呂。

 霊亀3年(西暦717年)、吉備真備らとともに唐へ赴く。

 そのまま帰国せず唐に留まり、科挙の難関を突破して任官を果たした。

 この快挙を成し遂げた日本人は、史上、阿倍仲麻呂ただひとりである。(西暦2016年現在)

 

 学識深く詩経に通じた阿倍仲麻呂は、かの高名な詩人李白、王維らと交わり、玄宗皇帝にも認められ、順調に出世していった。

 だが、皮肉にもそれが彼の命を縮める結果となってしまった。

 

 

  *

 

 

 楊貴妃、再び申さく、

「彼は倭国を恨んでいました。

 彼の学識は、この狭苦しい孤島では認められることがなかった。

 その怨念を執念に変えて、大陸での出世を果たしたようですが、そこでも彼は壁にぶつかってしまった。

 急速な出世に危機感を覚えた高官が、阿倍仲麻呂を陥れて幽閉したのです。

 

 しかしある日、仲麻呂は突如として牢から姿を消した。

 

 その後の詳しい足取りは不明。

 確かなのは、彼が何らかの方法で倭国への帰還を果たしたこと。

 

 そして――自らを人身御供(いけにえ)に、呉爾羅(ガージュラヴァナ)を召喚したこと……

 

 倭人の為したこと、とはいえ、これは唐国の不始末でもあります。

 わたくしが連れてきた菩提僊那(ぼだいせんな)以下高僧30名、いずれも仏の道を究めたものばかり。

 呉爾羅(ガージュラヴァナ)調伏に力をお貸ししますわ。大唐国の威信にかけて」

 

 

 帝は、話を聞き終えても、痛恨の想いで顔を伏せたままだった。

 

 それを見て、楊貴妃、悪戯に嗤いていわく、

呉爾羅(ガージュラヴァナ)は……ガヅラは、あの男の故国に対する怨念そのものです。

 重ねて問います、日本(やまと)の天皇陛下。

 汝は、その思いに応える心づもりの有りや無しや?」

 

 

 帝。長い沈黙の後に。

「朕は……」

 

 

 そこへ、急報が舞い込んだ。

 使者が息を切らせて述べるには、

 

「陛下に申し上げます!

 伊勢海(いせのうみ)安濃津(あのうつ)付近にガヅラ出現!

 すでに能褒野(のぼの)を突破しました!」

 

 

  *

 

 

 伊勢海湾岸、安濃津(現在の三重県津市)。

 やや山間部へ移動し、能褒野(同、亀山市)。

 

 ガヅラは変貌を遂げていた。

 もはや、かつて難波津に現れた時の、魚類か鳥に似たあの姿ではない。

 今のガヅラは、どこか人に似ていた。

 天を貫くかのように直立し、二本の脚で地を踏み割り、足元の家々と人々を蹴散らしながら、西へ進行する。

 

 その進路は、まっすぐに、紫香楽宮を向いていた。

 

 

  *

 

 

 ガヅラ襲来は、遅くとも今夜。

 紫香楽宮は騒然となった。

 

 帝、早足に回廊を行きながら、鈴鹿王に問うて曰く、

「大仏は動かせるのか?」

 

 鈴鹿王。

「完成度は七割にも届きません。まともに動いてくれるかどうか……」

 

「是非もなし。鈴鹿王、橘諸兄、吉備真備は大仏の起動準備。

 靫負(ゆげい)衛士(えじ)兵衛(つわものとねり)、および慈賀(しが)軍団投入。

 藤原四兄弟は指揮を執れ!」

 

 

  *

 

 

 それぞれが配置につき、息を殺して、待った。

 日は没し、闇が垂れ込め、風は緩やかに肌を蝕む。

 誰もが寒気に震えながら、東の山際の、星光に明るむさまを見つめていた。

 

 

 一方、甲賀寺、建造半ばの大仏前にて。

 

 鈴鹿王は、僧侶たちを指揮して、大仏開眼準備を進めていた。

 

 その喧噪から少し外れたところで、吉備真備が震えていた。

 橘諸兄が、それに気づき、寄って肩を叩いた。

 

「どうした。緊張してるのかい」

 

 吉備真備。

「仲麻呂。仲麻呂。私を許さない、仲麻呂」

 

 橘諸兄。

「一体何が――?」

 

 

 そこへ、悲鳴じみた一方が舞い込んだ。

「ガヅラ襲来! ガヅラ来ました!」

 

 

 東、山際、その向こうから、掻き分けるように覗くは、巨大な頭。

 視点の定まらぬ虚ろな目は、今や、人々の思い描く“死”そのもの。

 言いしれぬ恐怖が人々を襲った――が。

 

“式家”宇合、吠えるが如くに下知したことには、

「弓手一から七番隊、放て!」

 

 号令一下、一斉に鉄矢が放たれた。

 矢は打ち上がり、闇夜に銀の扇を描き、ついには幾千の雨粒と化して、ガヅラの頭をしだれ打った。

 ガヅラの鱗に矢尻突き立ち、あるいは弾かれ、鉄火散らして赤々煌々。響き渡るは鋼の響き。耳をつんざくガヅラの咆哮。

 

 ガヅラ、弓手の軍を(じっ)と見下ろし、やおら、駆けた。

“式家”宇合、再び吠えて、

「弓手後退! 下がれ! 下がれ!」

 

 だが遅かった。

 ガヅラの足が、木々踏みつぶし、瓦を弾き、道も家ももろともに、一軍をひと蹴りに粉砕した。

 血の花が咲く。悲鳴が上がる。

 

 ――やはり、人間では敵わないのか。

 

 目の前に屹立する巨躯を見上げ、誰もが怖気づいたことだろう。

 されど、今宵は決して怯まぬ。兵どもはそう心を決めていた。

 

「弓手、第二射放て!」

 

 

 一方、甲賀寺では、橘諸兄が戦場のありさまを見つめていた。

 

「よし、予定通り盆地に誘い込んだ」

 

 その隣では吉備真備が今なお震えていた。

 いや、ガヅラを目の当たりにして、恐怖はいやましたかに見える。

 橘諸兄、吉備真備の肩を掴み、

 

「何があったかは後で聞く。

 だが、今は、やるしかない。そうじゃないのか?」

 

 吉備真備、頷いて、大仏の元へ駆け寄った。

 

 

 大仏の周囲は、十重二十重に僧侶たちが取り囲み、各々仏具を携え、すでに万端用意を整えていた。

 鈴鹿王、僧たちと、吉備真備に目配せして、

 

 

「行くぞ――大盧舎那仏像初号仏、開眼(リフト・オフ)!!」

 

 

 

つづく。


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