平城京、二条大路東端、東大寺。
仮設
「ガヅラ、紫香楽宮跡より南下!
伊賀上野において転進、泉川沿いに
「到達予想時刻は、今、夜半!」
橘諸兄、舌なめずりなどして曰く、
「……来たな大将ォ!
泉川防衛線の鈴鹿に通達!
全軍を予定位置に展開、作戦準備を開始せよ、
下知を下す橘諸兄の背後。
高野姫天皇は、高御座にて
だが、その手は小刻みに震えている。
震えが、止まらぬのだ。
そのとき隣に、院のかたが膝を突きて寄り添い、姫天皇の手をそっと包んだ。
その手の温もりが、骨の髄にまで染み込んだ凍気を、ひととき温ませてくれた。
姫天皇は院を見つめ、頷いた。
そしてすぐさま、姫は、帝そのものの如く、静かに威儀を正したのであった。
*
平城京の北、泉川河岸にて。
大伴家持、陣の中にありて、満天の星空に流るる天の川を東に眺め観て、詠める。
白きを見れば 夜ぞ更けにける
鈴鹿王は、大伴家持のそばで、氷像の如く立ち尽くし、東を睨んでいた。
もうじきだ。もうじき、ガヅラがあの山間から現れる。
「こんなときにも詩歌とは。
余裕だな、大伴どの」
大伴家持、くすりと微笑み、
「こんな時だから詠うのよ。
それが
よく見れば、彼の額には、この寒さだというに玉の汗が浮かんでいるのだった。
そこで何か思い立ったのか、鈴鹿王、天を仰ぎ見て、歌を詠まんとした。
……が、しばらくして、
「やめた。
私は目の前の仕事をしよう。
それが、私の歌なのだ」
大伴家持、頷きて、
「そうね。
とっても、すてきな歌よ」
と、不意に。
腹を底から突き上げるかのような、恐るべき地鳴りが届いた。
金切声が夜に響く。
「ガヅラ到達! ガヅラ来ます!」
そのとき、山の向こうに浮かんだ影が、星空すべてを塞いで立って、漆の黒に塗り込めた。
ガヅラ。
鈴鹿王、吠えた。
「
*
「作戦開始!」
「作戦開始了解。
左右衛士府、弓手一斉射。放て!」
ガヅラの左右を挟む山から、無数の鉄矢が飛翔した。
その全てがガヅラの顔一点を叩く。
弾かれ、弾かれ、それでも執拗に叩き続ける。
一矢一矢は雨だれの如きもの、されど一つに集まれば、雨だれとても石穿つ。
ついにガヅラ、一声呻き、口の中に青白い光を灯した。
「攻撃中止! 退避!」
閃光ほとばしり、左を、右を、山を焼く。
しかしそのとき、すでに衛士は、背後に掘っておいた深い壕へ逃げ込んだ後。
光線は、ただ空しく木々のみを薙ぎ払う。
そこへ、
「第2陣、大和、河内両団! 撃てーっ!」
別方向の別動隊から、ふたたび鉄の雨が降り注ぐ。
ガヅラ、すぐさま光線をそちらへ向ける。
だが今度はまた別の場所から、いや、壕から這い出た第一陣さえもが、代わる代わるに休むことなく矢を浴びせる。
止むことのない猛攻に、ガヅラは怒った。
大きに吠えた。
木々は震えあがり、山は凍り付き、星々さえもが雲間に逃げた。
それでも矢の雨は尽きることなし。
ガヅラ、怒り狂い、また矢から逃げんとして、谷から平地へと疾走する。
そのとき、
「予定地点、到達!」
ガヅラの踏み締めた大地が、抜けた。
あらかじめガヅラの進路を予想し、大きな落とし穴を掘り、その上を材木と葉、そして少々の土で覆い隠していたのである。
落とし穴とはいえ、ガヅラにとっては膝までの深さでしかない。
それでも、全力疾走してきたガヅラの足をすくうには充分。
ガヅラ、その巨大な体があだとなり、なすすべもなく転び倒れた。
そこへ、
「剣戟隊突撃!」
数百の兵が一斉群がり、力の限り刃を叩き込み、
「離脱!」
即座に転進、逃げ出していく。
「続いて破城槌隊! 行け!」
破城槌、といっても、城壁を持たぬ当時の
これは唐国の文献を元に、日本中から集めた寺社の撞木(釣鐘をつく丸太棒)で作った間に合わせの品。
とはいえ威力は目を見張るものであった。
大勢の力士たちに、勢いよく槌を叩き込まれ、さしものガヅラも悲鳴を上げた。
――このままいけるか!?
などと思ったのも束の間。
ガヅラが倒れたまま、大地を撫でるが如く光線を放った。
青の光が陣をひと薙ぎ。
土を抉って堀と為し、軍を蒸発させ白煙と為し、反対へ
「逃げろ! 逃げろ逃げろっ! 逃げっ……」
声さえもまた、涅槃に溶け消えた。
戦場見下ろす丘の上、鈴鹿王は歯噛みして、
「楊貴妃タイミング遅いぞ!
何やってんの!」
*
別の山頂、楊貴妃は唐、天竺の高僧引き従えて、
「今やってるでしょ
――
「般若心経砲! てーっ!!」
*
高僧たちの読経に応え、山頂より仏の威光が、白き光線となってガヅラを襲った。
般若シン経ではない、その抜粋の意訳の要約に過ぎない般若心経。
それとて名だたる高僧の手にかかれば、
……が。
それでもガヅラ相手には足りぬ。
ガヅラ、怒りを籠めて立ち上がり、蠅でも払うかの如く般若心経砲を払いのけ、一閃、破壊の青炎を撃ち返した。
楊貴妃、高僧たちと団子になって、大慌てで壕に転がり込み、
「きゃああー!
やっぱ
ガヅラの熱線は、今や無差別に辺りを暴れ狂っていた。
川が裂け、流れを変えた。
山が崩れ、ふたつとなった。
人々は散り、恐れおののき身を潜めるしかなかった。
*
一方。
鈴鹿王は、数えていた。
「56、57、58……59、60……」
ガヅラが光線を放っている時間を、だ。
かつて甲賀京が襲われたとき、好き勝手に暴れまわったガヅラは、あるとき突然動きを止めた。
何故か?
目的を達したから?
破壊に飽いたから?
どちらも正解とは言いがたい。
阿倍仲麻呂の目的は朝廷への復讐。
聖武天皇が崩御すれば、高野姫が新たな帝となることは明白。
中途半端に活動を停止する理由はないはず。
となれば答えは一つ。
鈴鹿王は鮮明に覚えている。
あの日のガヅラの暴れるさまを。
ゆえに今でも目の前のことのように思い出せる。
奴が光線を放つことができる、
「……62!」
ガヅラの熱線が、止まった。
「今だ!
大盧舎那仏像改二号仏、
*
東大寺、大仏殿、吉備真備、絶叫。
「動け大仏―――――ッ!!」
大きなる仏、蓮弁の台座より動き、大仏殿の屋根をば打ち割り、雄々しく立ちて、地を踏み締めて、壁、柱などかなぐり捨てて、一目、
ガヅラもまた、仏を睨んだ。
これぞ我が最大の敵なりと。
ガヅラ、走った。
大仏、応じた。
今、平城二条大路に、二つの巨影が激突した!
つづく。