時計盤の針が動く音が、部屋の空気を伝って、壁に消えてゆく。
規則的な機械音と、重い沈黙が二人の間に漂う。
シャルルの目は時折私に向けられ、そして行き場を失う。
私は彼女の首に下げられたいつかの鍵を、呆然と見つめる。
『お願い、私を見捨てないで……………私まだ、役に立てるのだから……………』
顔も思い出せない彼女の声が、頭の中で小さく反響する。
少し色褪せた銀の色は、その鍵がすでに長い年月を経てしまったことを私に伝えていた。
「……紅茶を入れよう。少し待っててくれ」
「あ……ありがとう」
気まずい顔をした彼をそのままに、私は台所へと向かい、ティーカップを出す。
出来上がった紅茶から生まれる微かな湯気は、私の視界を無造作に白くさせた。そしてそれは、夢の中の彼女の優しく、慈愛に満ちた美しい白の髪を思い出させた。
私は、シャルルに紅茶を静かに渡す。
「出来たぞ」
「あ、ありがとう」
おどおどしく、彼女は紅茶を受け取る。
その時、彼女の指が私の指に触れた。
「きゃっ!」
彼女は驚き、手を引っ込めてしまった。
その反動で、彼女の紅茶が私の指にかかる。
「っ!」
「ご、ごめん!」
「大丈夫だ、君の服にかかってないか?」
「僕は大丈夫だよ!それよりも、マリアの指が──────」
「冷やせば治るだろう」
私は再び台所へと戻り、水を出す。
吐き出される水の冷たさと勢いに、私の指は、少し沁みた。
「大丈夫⁉︎ほんとにごめんね!ちょっと見せて!」
「平気さ、気にするな」
「ううん、ダメだよ!あぁ、赤くなってる……ほんとにごめん!」
シャルルは私にぴったりとくっついてしまう。それ程心配されるようなことでもないのに。
心配そうに私の指を見つめる彼女の顔は、目と鼻の先にあった。
彼女の顔を見ていると、夢の中の彼女も自然と脳裏に浮かんでくる。
「……?ど、どうしたの?」
私の視線に気付いた彼女は、私の目を見て少し困惑した表情をした。
私はそれを気にせず、そこにいる彼女と、顔も思い出せない夢の中の彼女を目に映す。
「─────似ているな……」
気付けば、独りでに私はそう呟いていた。
「……え?ど、どうしたの?」
「……いや、何でもない。それよりも……」
私は水を止め、彼女のジャージへと指を伸ばす。
「胸元がはだけてる。風邪を引くぞ」
胸元で止まったチャックを静かに上げ、私は指を離す。
すると彼女は顔を赤らめ、腕で胸を隠すような身振りをした。
「……マ、マリアのえっち」
「………」
少し、無神経だったかもしれない。
◇
「それで、どうして男のフリをしていたんだ?」
少し落ち着いた私たちは、互いのベッドで向かい合って座っている。シャルルの目は、相変わらず彷徨っていた。
「………実家からそうしろと言われて……」
「君の実家……確かデュノア社の」
「そう。僕の父がそこの社長。その人からの直接の命令でね」
「………」
彼女は目を瞑り、浅く息を吸って、吐いた。
そしてゆっくりと瞼を開ける。
「僕はね、マリア……。父の本妻の子じゃないんだ」
「……どういうことだ?」
彼女の目が、少しずつ哀しみの色を見せ始める。
「父とはずっと別々に暮らしていたんだけど、二年前に引き取られたんだ」
「……引き取られた?」
「そう……お母さんが亡くなったとき。デュノア家の人が迎えに来たんだ」
母を亡くしてまだ二年しか経っていない。
彼女の表情を見るに、きっとその傷は、まだ癒えていないのだろう。
「色々検査を受けていった過程で、IS適性が高いことが分かってね。非公式ではあったけど、テストパイロットの試験も受けたの。でも、父に会ったのは、たったの二回だけ。話した時間は一時間にも満たないかな」
「………」
自分の娘であるにも関わらず、ただ検査を受けさせ続け、話す時間も持たせてやれないとは、その人物を父親と呼ぶに値するのだろうか。
「─────それからだよ。経営危機に陥ったのは……」
「しかしデュノア社は、量産機のISシェアが世界第三位じゃなかったか?」
「そうだけど……結局リヴァイヴは第二世代型なんだよ。現在ISは、第三世代型の開発の着手が主流になってるんだ。セシリアさんやラウラさんが日本へ来たのも、そのためのデータ収集が理由だと思う」
「……私のことは知っていたのか?」
「ううん。イギリスやドイツは、何故だか分からないけれど情報がほとんど手に入らないんだ。だから、マリアのことは知らなかったし、マリアがイギリスの援助を受けてることも知らなかった」
「………」
「兎も角、このままだと、デュノア社のIS開発許可が剥奪されてしまうんだ」
シャルルの言葉を聞いて、何故彼女が男のフリをしたのかを大体察した。
つまり……
「それを阻止するために、男を装うことで再び注目を集める、といった訳か」
「……そう。広告塔になれってことだよ。それに、同じ男子なら日本にいる特異ケースと接触しやすい─────……一夏とね」
「そして、一夏の身体とISのデータを盗用できるかもしれない、か……」
「うん……でも、一つ問題が起きたの。同じ男子同士だから、僕と一夏も同じ部屋に割り振られると父は思い込んでた。部屋はターゲットの注意力が最も抜ける環境だから、データ盗用には最適だった。けど、実際は違う部屋に割り振られたから、あの人にとっては想定外だったみたい」
本来なら、男子同士を同じ部屋に割り振るだろう。
しかし、以前に会った生徒会長の楯無はシャルルのことを疑っていた。
恐らく、楯無が真耶や千冬を通して、私と一緒の部屋にさせた。
そして楯無が私に転入前のシャルルの情報を与えたのは、彼女が私にシャルルの疑惑を突き止めるよう仕向けた、ということだろう。
シャルルは深く息を吐き、少しだけ微笑みを見せた。
「なんだか、話したらスッキリしたよ。聞いてくれてありがとう。それと、今まで嘘を吐いて、ごめん」
しかしそれでも彼女の顔からは、哀しみの感情が抜けていなかった。
私は、彼女に質問を投げかける。
「これからどうする?」
「女だってことが知られたら、本国に強制送還されるだろうね……。良くて牢屋行きかな」
覇気のない笑いを、彼女は作る。
だが、彼女は私の質問にしっかりと答えていない。
「違う。それは君の周りがしようとすることだ」
「……え?」
「君が……
「ぼ、僕は………」
彼女の目に、迷いが生じる。
私は立ち上がり、彼女の横に座って、目を合わせる。
「いつか、私に聞いたことがあったな。何故この学園に来たのか………」
「う、うん………」
「君はどうだ?君は国に帰って、明日も望めないような余生を過ごしたいか?」
「そ、それは………仕方ないよ」
シャルルは私の視線から逃れるように目を逸らす。
私は彼女の頰に手を添え、此方を向かせる。
まだ、彼女は自分の気持ちを隠している。
私は彼女の本音を引き出すため、棘のある質問をする。
「──────もう、自分の人生を諦めたのか?」
私がそう言うと、彼女は涙を浮かべて鋭い目を私を睨む。
震えた声で、彼女は声を張り上げた。
「そんなわけない!僕だって生きたいよ……僕は僕の人生を生きたい!!でも、でも………どうしようもないじゃないか!」
彼女は俯き、肩を震わせる。
彼女の涙は小さな粒となり、服の生地に湿った斑点を作った。
「……ここにいたいか?」
私は、もう一度彼女に問いかける。
彼女は、私の言葉に大きく頷いた。
「いたい!檻の中で過ごすなんて絶対に嫌だよ!僕は……僕は、一人の人間として生きたい……」
私の目をしっかりと見て、彼女は言った。
彼女の本当の意思を聞くことが出来、私は彼女の頭を撫で、微笑む。
「よく言った。それならここにいろ」
「………え?」
シャルルは目を見開く。
「私が黙っておけば済む話だ。それに、仮にその事実が暴かれたとしても、君の父や企業には手出しできない筈だ」
私は頭の中で、IS学園の特記事項を思い出す。
「この学園の生徒でいる限り、ありとあらゆる国家・組織・団体は君を拘束することは出来ない。それがこの学園のルールだ。少なくとも三年間は、身の安全が保障される」
シャルルの頰の緊張が、少し解れた。
「……IS学園特記事項………はは、よく覚えてたね……。特記事項って55個もあるのに……」
「ふふ、本を読むのは好きでな。この学園の図書館の蔵書も、大体読んだ」
「す、凄いねそれ……」
「それに──────」
私の脳裏に、微笑を浮かべた彼女の顔が浮かんだ。
「そんなものが無くとも、私が君を守ってみせる」
「──────!!」
私がそう言うと、シャルルは私に思い切り抱き着いた。
そして心の枷が外れたかのように、彼女は涙を流し続けた。
彼女が泣き止むまで、私も彼女の抱擁を受け止めていた。
ベッドの横の小さな光が、彼女を温かく包んだ。
母親を亡くし、未だ傷の深い少女を、現実というものは冷たい棘でその傷を更に深くしようとする。
夢の中の彼女が、頭の中で私に微笑みかける。
君は、私を恨んでいないか?私は一体、君に何をした?どうして思い出させてくれないんだ?
──────恨んでもいい。私をその棘で縛ってもいい。ただ………
ただ、この子だけは、見守ってやってくれないか。
もし君が、君の欠片が、まだその鍵に残っているのなら──────。
◇
涙も収まり、再び時計盤の音が部屋を支配し始めた頃。
シャルルは私の身体からゆっくりと離れた。
「落ち着いたか?」
「う、うん……ごめんね」
不思議と、シャルルの顔が赤く染まっていた。泣き腫らした後だからだろうか。
シャルルは私に優しく微笑んだ。
その微笑みは、本当に彼女とそっくりだった。
「マリア……僕を庇ってくれて、ありがとう」
頰を赤く染めて、シャルルは言った。
その優しい顔が見れただけで、もう十分だった。
私は、何となく彼女の胸元にある色褪せた鍵を見つめる。
すると、私の視線に気付いた彼女も、その鍵を見た。
「この鍵が、気になる?」
「あ、いや……」
その鍵を見ていたことについ後ろめたさを感じ、目を逸らした。
シャルルはその鍵を手で優しく包む。
「小さい頃ね……お母さんが僕にくれたんだ。だからこの鍵を付けていると、いつでもお母さんが僕を見守ってくれている気がして、ね………」
「君の母が……」
「家に代々伝わる御守りなんだって……。お母さんも、すごく大切にしていたみたい」
「
愕然とした。
その言葉は、私を混乱させるのに余りにも強すぎる重みを持っていた。
『代々伝わる』とは、シャルルの家系を辿れば、
それはつまり、シャルルが
まさか、
気付けば、私は涙を流していた。
「え、ど、どうしたのマリア⁉︎」
シャルルが私の突然の涙を見て、心配気な表情をした。
「だ、大丈夫だ……なんでもない。君がここに居てくれて、安心したんだ」
私は涙を拭き、シャルルに微笑みかける。
もう、二度と会えないと思っていた。
もう、二度と思い出すことは出来ないと思っていた。
まさか、
─────私がこの世界で目覚めたのも、何か意味が在るのかもしれない─────
その憶測は、間違いではなかった。
ここは異世界などではなかった。
彼女の血は、確かに、ここに存在していた。
本当に、本当に……会えて良かった。
「本当にありがとう……シャルル」
私はシャルルをそっと抱き寄せる。
シャルルは少し驚いたようだが、また温かく優しい表情をしてくれた。
その顔は、本当に、本当に夢の中の彼女とそっくりだった。
「マリアこそ……僕を助けてくれてありがとう………」
これ以上ない優しい温もりが、私たちを包んだ。
心の中で、私は誓った。
私は、これから何があっても、この子を守り続ける──────。
*
その夜、夢を見た。
目の前には、彼女がいた。
今までは霞んで見えなかった彼女の目も、今では包帯が巻かれているのがハッキリと見えた。
彼女がどんな目をしているのか──────それは包帯が巻かれている限り分からない。
けれど、彼女が優しい目をしているのは、何故だか分かった。
手を伸ばせば届く距離に、彼女はいる。
彼女はゆっくりと、私に抱擁をした。
一回り小さい彼女の身体は、少しでも腕に力を入れれば壊れてしまいそうなほど華奢で、その美しい白の髪からは、私の知っている懐かしい匂いがした。
彼女は私の耳元で、優しく囁いた。
『ありがとう』
そして、彼女は私の抱擁を解き、引き寄せられるようにどんどんと離れていってしまう。
彼女が消えてしまう前に、私は彼女に叫ぶ。
「必ず!私が君にしてしまったことを、必ず思い出す!!」
「赦してくれなくてもいい!ただ、あの子だけは──────」
「シャルルだけは!!側に居てやってくれ!!!」
涙を流しながら、私は叫ぶ。
遠い彼方で、彼女がまた微笑んだ気がした。