私もこの小説を作る上で、色々な解釈をしています。
だからといって皆さんに、私の解釈を信じろと言うつもりはありません。
寧ろ、皆さん自身が持つ考えを大切にしてほしいと願います。
私と皆さんの間で、物語に関して当然違った考えもあると思います。
それを理解された上で、この小説を楽しんでいただければ、私にとってそれに勝る幸せはありません。
私は、貧しい家庭に生まれた。
決して、幸せとは呼べないような暮らしを強いられた。
酒浸りの父からは毎日のように暴力を振るわれ、私の身体は青い痣に蝕まれていった。
それでも母は、いつも父から私を守ろうとしてくれていた。そのせいで、母も私と同じように、父から毎日殴られ、蹴られ、血を流した。
ある日、父が出掛けている時、私は母に訴えた。
外に出たい、と。
同い年の少年少女たちは外で毎日楽しそうに遊んでいるのに、どうして私だけがこんな目に遭わなければならないのか。
子供に出来る、精一杯の反抗だった。
しかし母の口からは、もう何百回と聞き飽きた言葉しか出てこなかった。
『絶対に、外に出てはいけません』
物心ついた頃から、家の中だけでの生活を強制された。
理由を聞いても、母はいつもはぐらかし、愛情という便利な手段で私を誤魔化した。
だが、子供というものは純粋で、単純な生き物だ。
母の優しさ一つで、自分の主張など簡単に折れてしまうのだから。
『ごめんね………』
母は、痣のついた顔で、ぐっと歯を食いしばり、涙を堪えながらそう言った。
母は
そんな顔をされれば、娘の私は何も言うことが出来なかった。
そうやって、ずるずると、外の景色を見れない私の生活は続いていった。
ある日。
母は夕べの食事の材料を買うため、一人で外に出掛けた。
これもいつもの日課だった。
父も、母も、家には居ない。いるのは私だけ。
何度も外に出たいと思ったが、扉に手を掛けようとすると、母のあの悲痛な顔が脳裏に浮かび、私は手を引っ込めた。
その日は珍しく、母の帰りが遅かった。
時間が経つにつれ、私の中でどんどんと恐れの感情が湧き上がっていた。
このままでは、父が先に帰ってきてしまう。
身震いがした。
私が父の暴力を耐えられたのは、優しい母がいつも側で守ってくれていたからだ。
母のいない私には、何も残されていないのだ。
しかし、とうとう現実は私に背を向けたままに終わった。
父が、先に帰ってきてしまったのだ。
その日の父は、外で何かあったのか、いつもよりもずっと苛立っていた。
家の扉を閉めるや否や、横にある小さな花瓶を蹴り飛ばしてしまう。
あれは、母が大切にしていた花瓶だ。
あの可愛らしい白い花を見て、私はいつも癒されていた。
それなのに、父はただ自分の憂さ晴らしのために、母と私にとって大切な花瓶を壊したのだ。
憎かった。
だが、反抗など、到底出来るわけなかった。
子供である私の憎しみなど、父を前にすれば、容易く恐怖の感情に変わる。
花瓶を壊した父は、息を荒くしながら、私を見た。
そして、私を見るやいなや、頭を殴り、殴り、蹴り飛ばした。
床に倒れ伏した私の上に、父が跨る。
鼻血の出た私の顔を、太い荒れた指で、ゆっくりとなぞる。
『あいつに似て、顔のつくりは悪くないな────』
母のことを言っているのだろう。
気色の悪い、ニヤニヤとした目つきで、私の顔を触る。
ねっとりとした、酒臭い父の息が、私の顔を舐め回すように吹きかかる。
すると父は更に息を荒くさせ、興奮しながら私の服を剥ごうとした。
『やめて!』
私は、必死に抵抗した。
だが、父は私の髪を捻じ上げ、壁に叩きつける。
身体中の筋肉が、痛いと叫ぶ。
暴力を受け過ぎた私の身体は、既に限界を迎えていたのかもしれない。
私はとうとう力を入れることも出来ず、抵抗も虚しく終わった。
服を剥がされ、私の胸や下半身が、父の前で露わになる。
もう何もかも諦めた私は、壊れた花瓶に目を移した。
水で濡れた白い花が、酒の空瓶に囲まれていた。
私と母の大切な花瓶が割れてるのに、何の役にも立たない酒瓶だけは悠々と床に転がっていることに、私は酷く憎しみを覚えた。
そして父が、自分のズボンに手を掛けたその時────
『マリア!!!』
母が、帰ってきた。
母は目の前の惨状を見ると、顔を真っ青にし、父を止めにかかる。
『あなた!やめてください!』
私を守ってくれようとした母も、私と同じように、父に殴られる。
殴られた衝撃で、母の買い物籠の中身が床に散らばった。
散らばった野菜や果物の中に、綺麗に光るものがあった。
それは、新品の小さな髪飾りだった。
『何だこれは』
父がその髪飾りを手に取り、母を見て言う。
『それは……マリアに買ってあげたものなの。だから────』
『こんな無駄なもの買う金があったら、酒を買ってこい!』
父はまた母を殴る。
母のその言葉を聞いた私の心に、温かいものが広がっていた。
母が、私のために買ってくれた髪飾り。
今すぐそれを、自分の髪に付けてみたかった。その姿を、母に見せたかった。
『ふん……こんなもの、酒よりも価値がねぇ』
現実は、どこまでも非情だった。
あろうことか、父はその髪飾りを床に叩きつけ、踏み
そしてまた母を殴り、殴られる内に、母は気を失っていた。
私の中で、再び怒りの感情が湧き上がった。
その怒りは恐怖に変わることなく、私の身体に力を入れさせた。
憎い。
憎い。
この男が憎い。
私の中で、殺してやりたいという決意が芽生えた。
私は床に落ちている薄汚い酒瓶を取り出し、父の後頭部を目掛け、振りかざした。
気付けば父は血まみれになって倒れており、ピクリとも動かなかった。
私の手には、血塗れになって割れた酒瓶。
倒れた父の身体の周りには、同じ血塗れになって割れた酒瓶が何十本もあった。
もう、父は死んでいた。
いつの間にか、母は私を強く抱擁していた。
涙を流しながら、母は私の胸の中で言った。
『ごめんなさい………』
『ごめんなさい………!!』
そんな言葉を、聞きたくはなかった。
けれど、母は何度も私の胸の中で謝っていた。
『あなたを、守れなかった………!』
破れた私の服が、母の涙で湿る。
私の目は、乾いたままだった。
母は、私の身体の傷を手当てし、代わりの服を着させてくれた。
そして何かを決心したように荷作りをし始めた。
荷作りを終えた後、母は私に頭巾を被せ、家の灯りを消す。
私は、母に聞いた。
『どこへ行くの?』
『知り合いのところよ。あなたもついてきて』
思いがけない形で、私が外に出れる時がやってきた。
私はボロボロになった少し窮屈な靴を履き、扉の外へと出る。
月に照らされた夜のヤーナムは、誰も人がいなかった。
不思議と、外に出れた嬉しさは感じなかった。
この時私の心は、もう何も感じることが出来なかったのかもしれない。
母は家の鍵を閉めた後、私の手を繋ぎ、夜の道を歩き始めた。
お互い、家を振り返ることは無かった。
私と母は月に照らされながら、長い間歩き続けた。
やがて街を抜け、森を抜けたその先に、大きな廃城が見えた。
山と森に囲まれた閉鎖的な環境にあるその廃城からは、まるで人の気配が感じられなかった。
母は私の手を取り、その城へと歩を進める。
城に入り、幾つもの広間を抜け、階段を上る。
そして、最上部への階段を上ると、城の屋外へと出た。
荒れた吹雪の中、母は私を連れて前に進む。
そして暫く歩き、母は足を止めた。
母は、何処か虚空を見つめている。
しかし母の視線の先には何も無かった。
『お母さま、なにもないよ?』
『……そっか。あなたは初めて来たものね』
母は屈んで、私と目線を同じ高さにした。
そして目を閉じ、私の額に自分の額をくっつける。
『マリア、目を閉じて』
母は、何かまじないのようなものを唱えていた。
私も、言われた通りに目を閉じる。
母がいくつかのまじないを唱えた後、私に目を開けるように言った。
目を開けても景色は先程と変わっていなかった。
しかし、突然私たちの周りを吹雪が吹き荒れる。
私は少し怖くなり、母の手に抱きついた。
こんな吹雪の中でも、母の手は温かかった。
次第に、吹雪は落ち着いていく。
すると、さっきまで何も無かった虚空に、城のさらなる最上部が現れた。
人間の目を避け、今まで身を隠していたその部分に、私は驚きを隠せなかった。
母は、私の手を握り、その幻の最上部へと入っていった。
内部に入ると、長い階段が待ち受けていた。
階段の横には、規則的に並び置かれた、馬に乗った騎士兵達の銅像。
銅像は城内の薄暗い灯りを微かに反射させていた。
階段を上りきると、そこは広く開いた場所だった。
辺りには乱雑に置かれた西洋風を思わせる人々の石膏像。
床にはいくつもの蝋燭の火と、誰のものかも分からない血が染みついていた。
目の前には二つの椅子があり、女性が一人座っていた。
金色の髪をしたその女性は、何を言うわけでもなく、こちらの様子をじっと見ていた。
彼女はこの城にずっと居続けている
彼女の視線に怯えた私は、母の背中に隠れた。
すると、母が口を開いた。
『この子を匿ってほしい』
アンナリーゼは母の背中に隠れた私を見て、冷たく嘲る。
『私にこの娘の身を保障しろと?』
『もうあの家には居られない。この子が
『去れ。
『世話を見てほしいなんて言わない……ただ、ここに居させてあげて………このままだと、この子まで危ない目に遭ってしまう………』
『………』
その後、私は母に連れられ、城の中の空いている部屋へと案内された。
さっきまで住んでいた家と比べ、綺麗すぎる内装だった。
母は私に、少しだけの別れを告げた。
私は嫌だと駄々をこね、母に抱きついた。
母が側にいない私など、何も残らないのだ。
こんな訳も分からない城に居たくなどなかった。
私は母を離さまいと、必死に母の背中に腕を回した。
しかし母は、何度も私に説得した。
これが最後じゃない。
暫くしたらここにまた返ってくる、と。
それでも私は、母から手を離すのが嫌だった。
そんな私に、母はとうとう涙を流して、訴えた。
『お願いだから……』
『お願いだから……私の言うことを聞いて、マリア………』
母は狡い。
娘の私にとって、母の涙には到底敵わない。
勝てるはずなど、なかった。
『すぐ、帰ってくるよね………?』
母が何と言ったかは、もう思い出せない。
数日後、母が殺された。
城の部屋で一人いた私に、アンナリーゼがそう告げた。
嘘だと思った。
私は母の元へ行こうと城を出ようとした。
だが、アンナリーゼが私の行く手を阻んだ。
私はアンナリーゼを押し退け外へ出ようとしたが、彼女は小さい身体の私を力ずくで連行し、部屋に監禁した。
私は泣き叫んだ。
今すぐにでもここを出て、母に会いに行きたかった。
アンナリーゼを殺してでも、母に会いたかった。
いつしか私は、母を殺したのはアンナリーゼだという考えに至った。
アンナリーゼのいる場所は、人間の目には見えない幻の場所だ。
自分の居場所を知っている母が、娘を置いて外に逃げた。
アンナリーゼは、母が誰かにその場所について口外するのではないかと危惧し、殺そうと考えたのだろう。
しかし彼女は女王だ。
女王が自分の手を汚すわけにはいかない。
きっと手下を使って、私の母を殺させたのだろう。
なんという、卑怯な人物だろうか。
私は監禁された部屋で独り涙を流し、アンナリーゼへの復讐を誓った。
外の世界から隔離された生活が、また始まった。
*
数年後のある日。
私は城の外へ出ることを決意した。
監禁は何年も前から解かれていたが、私は敢えて自分なりに鍛錬することで、脱出を図った。
そして、アンナリーゼをこの手で殺すことも。
しかし私は、この時脱出のことだけを考えていた。
何故なら以前に、私は彼女が不死の寿命を持つということを知ったからだ。
所詮城の中の鍛錬だけでは、彼女を殺めることなど出来ない。
ならば、外の世界で更に力をつけ、彼女を討取る。
それが私の考えだった。
私はアンナリーゼの目を潜り抜け、固く閉じられた扉を壊し、脱出を図る。
ここに初めて来た当時の小さい身体では無理だったことが、鍛錬した今では可能になっていた。
私はついに城の外へと繋がる扉を壊し、脱出した。
領地の正門に着いた時、一度だけ振り返った。
吹雪の空に浮かぶ幻の最上部の窓で、アンナリーゼがこちらを見ていた。
追ってくるでもなく、焦った様子もなく、ただただ私を眺めていた。
そして、何かを諦めたように、彼女は背を向け、城の中へと姿を消した。
荒い吹雪が吹いた。
腕で顔を隠し、再び目を開けると、そこにはただの虚空が広がっていた。
私は城に背を向け、森を駆け抜けた。
*
私が彼と出会ったのは、それからまた数年経った時のことだ。
外の世界へ出た頃から、私は少し大人になっていた。
ヤーナムの外れで、私は彼が剣の鍛錬をしている姿を見て、直ぐに懇願した。
私に剣を教えてほしい、と────。
私の目を見て、彼は私の願いを断った。
私の目に映る復讐の誓いが、彼を拒絶させたのだろう。
だが私は同時に、いや、それ以上に、自分自身の強さを手に入れたいと考えていた。
生きていく上で、私には彼の持つ強さが必要だった。
何度も頭を下げ、懇願する私に折れたのか、彼はついに承諾してくれた。
名前を聞くと、彼は
それから数年間、私はゲールマンの弟子となり、寝食を共にした。
私は、彼にありとあらゆる剣と銃の教えを受けた。
毎日、血を流すほどの鍛錬を積み重ねた。
崖から落ちそうになったりするなど、何度も死ぬ思いをした。
ゲールマンは常に厳しく当たり、しかし時に優しさを見せてくれた。
ある時、彼は私に贈り物を渡してくれた。
箱を開けると、中には小さな髪飾りがあった。
驚く私に、彼は優しい顔で私の髪にそれを付けてくれた。
『よく、似合っているよ』
母を思い出した私は、彼の優しさに涙が止まらなかった。
私は、いつしか彼を愛するようになっていた。
彼の、
*
ゲールマンの教えを受け数年が経った頃、私は彼にある誘いを受けた。
ビルゲンワースは学長ウィレームを筆頭に考古学の研究に力を入れている学府らしく、最近、中心街の外れにある漁村で、貴重な資料を発見したとのことだった。
研究を進めるためには、志の強い人材が必要である、と。
ゲールマンは考古学が好きな人物で、寝食を共にしながら、私は彼の知見をよく聞いていた。
私自身、考古学に造詣が深いわけでは無かったが、新たな発見があるたび、彼が嬉しそうに話す様子が何より愛しいものだったのだ。
私は、愛する彼の笑顔が見れるならと、迷いなくビルゲンワースに入ることを決意した。
ビルゲンワースは漁村で入手した資料を元に、神の子を造ろうと励んでいた。
ウィレームによれば、この世界にはかつてトゥメルと呼ばれた文明があり、宇宙を支配する『ゴース』という強大な存在を崇拝していたというのだ。
『月を司る指導者』であるゴース、またそれらに従属する神々を、人々は『上位者』と呼んだ。
街の名前である『ヤーナム』とは元々トゥメルの女王のことであり、ある時ゴースと交わり赤子を授かった。
トゥメルの女王・ヤーナムを初めとした、上位者と交わった穢れた血を引く一族を、人々は『カインハースト』と呼んだ。
しかしある時、ゴースはある上位者の手によって惨殺される。
月を司る神殺し────『月の魔物』となったそれは、他の上位者たちに恐れられ、新たなる宇宙の支配者となった。
ゴースを失ったトゥメル文明は赤子の力を制御することが出来ず、やがて文明は崩壊し、赤子も埋没した。
しかしカインハースト一族は、その身体に流れる血の生命力もあり、何とか生き延びることが出来た。
今もカインハーストは人々の目から避け、何処かでひっそりと生き延びているという噂があるという。
ビルゲンワースが漁村で発見した資料とは、まさにその『ゴース』の遺体であり、神の子を再び創造するという試みは、カインハーストの血を引く者の存在がいて初めて成り立つものだったのだ。
私はそれまで、ビルゲンワースの教室棟にしか入ったことがなかった。
しかしその時、私は初めてビルゲンワースの実験施設へと足を踏み入れた。
そこには、恐ろしいほどの血液の資料が並べられていた。
血液の資料には、人の名前と、血液自体の区別の名称が記されていた。とても少量とは言えないものだった。
そこで私は学長から真相を聞いた。
ここにある血液の殆どは漁村の人間から採取したものである、と。
元々漁村の住民たちは、村の浜辺に打ち棄てられたゴースの遺体を豊漁の守り神として崇め、豊かな暮らしを送っていたのだ。
しかし漁村に、上位者に関する貴重な資料があると知ると、学長は直ぐに住民たちに、ゴースの遺体を研究に使いたいということを熱弁したのだ。
しかし守り神を引き渡すことを住民たちは頑なに拒絶し、それに怒りを覚えた学長は、ビルゲンワースを率いて漁村を無理矢理制圧したのだ。
当然、そこにはゲールマンも協力していた。
ここにある血液は、その住民たちの死体から採取したものだったのだ。
私はゲールマンに裏切られた悲しみと、ビルゲンワースへの恐怖と怒りを覚え、学長の目の前で側にある血液の入った資料を割った。
そのとき、割れたガラスの破片が私の頰を掠め、床に滴り落ちた。
学長の困惑の顔が、途端に狂喜の熱へと豹変した。
私の身体を流れる血はまるで生きているように蠢いており、それはカインハーストの血を引く何よりの証拠であるらしかった。
私はそこで、初めて自分がカインハーストの穢れた血を引く傍系の人間であると知った。
あの時、母があの城へ連れて行ったのも、私がカインハーストの人間であったからだと、今になって漸く分かったのだ。
学長は私に、上位者の赤子を造るために血液を採取させてくれと頼んだ。
当然、私は拒絶した。
しかし、学長は協力しなければ処刑隊に密告すると私を脅した。
カインハーストの穢れた血を厭い、今もなおその血を持つ者を探し、殺そうと考えている集団だ。
私は密告されても構わなかった。
だが、学長は更に卑怯な手を使った。
『協力しなければ、君の慕う
ゲールマンのことだ。
私の弱みにつけこみ、自分の欲望だけを求める学長に酷く憎悪を覚えたが、私は逆らうことが出来なかった。
私は、何故これほどまでに赤子へと執着するのか疑った。
それに対し、学長はこう言った。
『我々は、思考の次元が低すぎる』
『嘗てトゥメルの遺跡を発掘したとき、解ったのだ』
『────
宇宙に一歩でも近づくため、赤子を創造する。
私は学長の思惑通り、ビルゲンワースの計画の糧として利用された。
勿論ゲールマンは、このことを知らなかった。
私が隠したからだ。
*
私の血液が利用され数ヶ月が経った頃、ついにビルゲンワースは、人工の赤子を創造することに成功した。
しかし、事態は急変した。
人工赤子の持つ力はビルゲンワースが予想していた遥か上に及ぶものであり、その強大な力によって、月は赤くなり、人間たちの自我が欠落し始めたのだ。
人と獣の境界は曖昧となり、国中で『獣の病』が蔓延した。
しかし幸い、ヤーナムにはまだ到達していなかった。
ビルゲンワースに協力していた自分の愚行に酷く後悔したゲールマンは、私に頭を下げた。
私が裏で実験台として使われていたことも知った彼は、涙を流しながら謝罪した。
そして、共にビルゲンワースを出ようと言ってくれた。
簡単に赦すことなど出来なかったが、それでもやはり、私は彼と共に生きたかった。
彼への愛は、簡単に消せるものではなかったのだ。
ビルゲンワースを脱退した私とゲールマンは、獣となってしまった者たちを葬る存在、『狩人』として行動を始めた。
私たちはヤーナムの街の深部に『工房』を作り、そこで獣を狩るための狩武器を造った。
獣とはいえ、彼らは人間だった。
狩人として生きることに抵抗を覚えたが、それを選ぶより他は無かった。
同時に、ゲールマンの友人であり、ビルゲンワースを共に脱退した聖職者のローレンス、そして同じ剣士仲間であるルドウィークと共に、医療教会を設立した。
獣の病は、血液の感染によって発症する。
感染者を見分ける方法は、血液の色を見ることだった。
感染者の血は、純粋な真っ赤な色ではなく、
医療教会はヤーナム中の全ての教会にいる、穢れなき高潔な存在と信じられている聖女たちに協力を募り、彼らの血液を採取し、ヤーナムの人々の身体から一度血液を抜き、新たな聖女たちの血を入れることで、獣の病への予防線を張ることを計画した。
そのためには、多大な実験が必要だった。
医療教会は街の中に実験棟を作り、血液の実験を行った。
その頃、私はとある教会の聖女と親しくなった。
彼女の名前は
常に優しく、温かい心の持ち主である彼女と親しくなったきっかけは、私と同じ白く長い髪をしていたからだ。
私よりひと回りもふた回りも小さい彼女は本当に可愛らしく、私は彼女と常に楽しく話をしていた。
彼女は、自分が生きてきた中で一番と呼べる親友だった。
*
血の医療を始め、ヤーナムの人々に新たな血を輸血し、暫くの期間が経った頃。
私たち医療教会は、この行動の全てが過ちだと気付いた。
街中で、人々が獣になり始めていったのだ。
そして実験棟内部でも異変は起きていた。
聖女たちは皆瘦せおとろえ、次第に頭部が肥大化するという現象が起きたのだ。
中には我を失い、本能のままにこちらを攻撃してくる者もいた。
私たちはもはや危険となってしまった患者たちを実験棟に隔離させ、誰も入れないようにした。
私たちは原因を追及し、ついにそれが一人の女性の仕業であることが発覚した。
彼女を拘束し問い質すと、彼女はビルゲンワースの手下だった。医療教会の同志として潜み、私たちの目が届かない所で、聖女たちの身体に人工赤子の血を輸血していたのだ。
ビルゲンワースは上位者を創り、あるいは上位者に伍する者になりたいという執念を掲げていた。
血の聖女たちは、水面下でビルゲンワースの実験台として利用されていたのだ。
彼女は私たちを嘲りながら言った。
『元々聖女たちは感染していた。獣を作り出したのは
『だがそれも、ただの失敗作に終わってしまった』
その後、彼女は私たちに武器を構え不意打ちし、私たちは彼女の医療教会からの脱出を無念にも許してしまった。
獣が狩人を作り出したのではない。
実験棟は、頭部の肥大した患者たちで埋め尽くされた。
痛みを訴える彼女たちを少しでも救えないかと思い、私は彼女たちに鎮痛剤を与えた。
しかし鎮痛剤は日に日に増える一方で、やがて鎮痛剤は効果を示さなくなった。
ある患者はベッドの上で身動きの取れないよう縛られ、ある患者は彷徨うように歩き続け、ある患者は痛みを消すために壁に頭をぶつけ続ける。
『……ああ、マリア様………』
『チュパ、チュパ、チュパ………』
『痛い……痛い……』
『ねぇ、マリア様?マリア様?』
『お願いです………マリア様………』
彼女たちの脳には決まって湿った音が聞こえ続け、それを苦痛とする者もいれば、まるで天国にいるような気分になる者もいた。
『聞こえる……水の音が………』
『殺してくれ……殺してくれ……』
『ねぇ、マリア様………海の音は不思議ね………』
私は狩人としての生き方に厭悪し、自分の狩武器である『落葉』を捨てた。
*
アデラインも、例外ではなかった。
彼女の美しく長い髪は既に肥大化した頭部に埋もれ、彼女はある一室の中の椅子で、只々静かに座っていた。
私は何度も彼女の所へ行き、よく話をした。
そして、何度も涙を流し、謝罪をした。
彼女はそんな私を怒りもせず、ただ優しく笑いかけてくれた。
その優しい笑みは、私の心に強く罪悪感を残した。
ある日、私はアデラインに花を渡した。
彼女のように純粋で、優しい白い花だ。
それは実験棟にある庭から摘んできたもので、彼女はとても喜んでくれた。
私は、庭に出るための
せめて外気と花の香が、彼女の癒しとなるように。
*
ビルゲンワースの悪行、そして人工赤子に終止符を打つため、私は再び武器を手に取り、ゲールマン、ローレンス、そしてルドウィークと共に人工赤子の抹殺に乗り出した。
ビルゲンワースと医療教会の大戦が始まった。
私は、自分のせいで人工赤子が創り出されたこともあり、無謀とも言えるほどの戦い方をしてしまっていた。
しかし、私たちの手は後一歩というところで届かなかった。
ローレンスは撃ち殺され、私も瀕死の状態に陥った。
全身から血を流し、もう助からないであろう私を、涙を流しながら介抱するゲールマン。
そして、そんな私たち二人を庇って、ルドウィークも戦死してしまった。
ゲールマンの涙が、私の頰に落ちた。
彼は泣き叫びながら、ずっと私の手を握ってくれていた。
温かかった。
それが、私の最期の記憶だった。
*
それからは、何も覚えていない。
当然だ。死んだのだから。
だが、何故か私は目が覚めると、時計塔にいたのだ。
私は時計塔から出ることが出来なかった。
何度も脱出を試みたが、それはとうとう叶わなかった。
何度自分の胸に刃を突き立てても、解放されることはなかった。
死んでは生き返り、死んでは生き返る。
地獄以上の悪夢だった。
脱出を夢見すぎた者は、いずれ夢の中へ脱出していくしかないのだ。
そして、何人もの狩人が時計塔を訪れた。
時計塔の先は、あの漁村。
もう二度とあのような冒涜的なことを繰り返してはならない────私は時計塔の中で座り続け、罪を秘匿した。
そして、訪れる狩人たちを全て退けてきた。
罪を秘匿しなければならない────そう思っていた一方で、やはりこの悪夢から解放されたい思いもあった。
私はまた胸に刃を突き立て、死のうとした。
しかし、死にきれなかった。
悪夢に囚われ続け、何十年も経ったある時。
時計塔に、月の香りを漂わせる狩人が訪れた。
私は罪を秘匿するため、彼女に刃を向けた。
しかし私は敗れ、血塗れになって倒れた。
秘密は、いつか暴かれる。
そう感じていた私はとうとう秘匿することを諦め、目を閉じた。
理由は分からないが、
脳裏には、優しく微笑む母と、アデラインの姿が浮かんでいた。
『古狩人』
だが彼らは、ある時を境に姿を消し
ヤーナム民は口々に囁いたという。
それは狩人の罪。
血に酔い、獣を追い、
そして皆悪夢に去っていったのだと。