IS学園・地下特別区画
電脳仮想空間伝送室
「地下にこんな場所があったなんて……」
目の前の光景を目にした箒がぽつりと呟いた。それは周りにいた専用機持ちたちも同じだったようで、全員息を呑み、自身らがいる空間を見渡す。
専用機持ちたちが現在いる空間は、地上からおよそ30m下にある地下特別区画『電脳仮想空間伝送室』。その天井は高く、まるで研究室のような白い空間に所々液晶の光源が配置されている。目の前には壁と筒が一体となったような、一人分が入れるほどの半カプセル型の機械空間が七つあった。
この空間は本来一般生徒が入れるような場所ではなく、相当な権限を持つ人物、もしくは極めて機密性の高い作戦・実験・研究が行われる場合にしか入室を許可されない。
とある週末の休日に千冬から突然プライベート・チャネルで呼び出された専用機持ちたちは、転送された地図を頼りにここまで来たのであった。故に専用機持ちたちは、一体これから何が起こるのかをまだ何も知らない。
『────では、状況を説明する』
スピーカーから響き渡った千冬の声。全員が振り返り上を見ると、そこにはガラス張りの向こうに立っている千冬と、その横で空間投影型ディスプレイを操作している真耶の姿があった。彼女たちがいるのは『電脳仮想空間管制室』であり、『電脳仮想空間伝送室』の心臓部の役割を担っている。
『学園祭襲撃事件から四週間が経った。諸君らも知っての通り、重度の被害を受けたマリアは未だ昏睡状態が続いている』
その重い事実に、各々が顔を暗くさせる。シャルロットが静かに拳を握りしめる様子を、そばにいたセシリアは見逃さなかった。
『一週間前……つまり襲撃から三週間後のことだ。その時彼女はまだ小康状態だったが、脳自体は少しずつ安定してきていた。そして現在は、より安定の様子・回復の兆しを見せているらしい』
「少しずつ回復してきてるんだな……よかった……」
ほんの少し、一夏は胸を撫で下ろした。しかし次に千冬から告げられたのは、あまり喜ばしくない事実だった。
『だが医師たちによれば、ここが峠の分かれ道であるとのことだ。いずれは彼女も目を覚ますということは分かっている……しかしそれがいつになるかは分からない。数ヶ月後、あるいは数年後になるかもしれん』
「っ……やりきれないわね」
鈴が小さく嘆いた。
『────だが同時に、彼女を目覚めさせるきっかけを与えうる可能性もある』
「……教官、それはどういうことですか?」
ラウラが尋ねると、千冬は一息置いて改めて専用機持ちたちを真っ直ぐに見た。
『今回諸君らを呼んだのは、彼女を目覚めさせるプロジェクトを行うためだ。……しかしこれは強制ではない。このプロジェクトの指揮を取るのは私だが、それは諸君らの同意を得られたうえでの話だ』
専用機持ちたちに沈黙が広がる。その表情は、なんと反応して良いのかまだ分からないといった様子だった。
するとしばらくして、セシリアが声を上げた。
「……織斑先生、まずはその内容をお聞かせ願えますか?」
すると千冬も頷き、そのプロジェクトの内容を話し始める。
『────諸君らがいるその空間は『電脳仮想空間伝送室』と呼ばれている。IS
「で、電脳ダイブ……」
「それって、もしかして……」
セシリアと鈴が不安な表情を見せた。一夏は聞き慣れない単語に首を傾げたが、その単語の響きでなんとなくのイメージをする。
「IS操縦者保護神経バイパスから電脳世界へと仮想可視化しての侵入……か。理論上可能であることくらいは耳にしたことがあるな」
ラウラが顎に手を添え考え込む。
『そうだ……。しかし飛び込んだ先の各々の電脳世界は、必ずしも一致するとは限らない。操縦者によってその景色は様々だという説がある。分かっているのは、この電脳世界は操縦者自身の意思・解釈・願望・記憶に大きく左右される、ということだ』
「記憶……」
シャルロットが小さく呟いた。
『つまり理論上、ある者の脳を基盤とした電脳世界を作り上げた場合、
その言葉で、専用機持ちたちは千冬が何を言いたいのかが分かってきた。千冬もその表情を読み取ったのか、静かに深く頷く。
『……ああ、そうだ。このプロジェクトは、マリアの脳を基盤とした電脳世界に諸君らが侵入……そして彼女を昏睡状態から連れ戻すといった内容だ。彼女だけを電脳世界に飛び込ませても、それによる脳への刺激は少ないだろう。人間の脳に刻み込まれた記憶にはある程度の“位相”が存在し、ここでいう刺激とは、その周期を乱すことによる反発を誘うことだ。つまり……より成功の可能性を上げるためには、諸君らのように外界から侵入してきた者たちからの刺激が必要になってくる』
『電脳ダイブ理論』は、まだ完全なる道筋が解明されていないというのが実情だ。理論で語られる結果というものは、必ずしも実践の結果とイコールで結びつくとは限らない。ISが発達した今の世界でも、まだ『電脳ダイブ』の研究例は数えるほどしか存在しておらず(本当は解明されているが世間に明かされていないという説もある)、またこの理論は抽象的な概念を多く含むテーマでもあるので、それを精査出来る者もほとんどいないのだ。
『無論、彼女の状態も考慮した上での今回の話だ。これによる彼女へのダメージは限りなく少ないと、医師からも許可は下りている。しかし我々はあくまで教師であり、出来る限り生徒たちの自由意思を尊重するのが義務だ。このプロジェクトに関しても、諸君らの意思を尊重したい。──── 改めて問う、このプロジェクトを希望するか?』
専用機持ちたちに緊張と沈黙の空気が張りつめる。お互いに困惑しながら目を合わせるが、そう簡単に言葉は紡がれなかった。
しかしそんな中ただ一人、俯いていたシャルロットが凛とした声で千冬に発言する。
「────織斑先生」
シャルロットの声に、専用機持ちたちも彼女を見る。
『なんだ』
「僕は……このプロジェクトの実行を希望します」
「!?」
横にいたセシリアが驚いて彼女を見る。シャルロットの眼差しは真剣だった。
『電脳ダイブ』という、そのほとんどが不明瞭である謎に包まれた一理論。普通に考えればそれに未来を託すことは出来ないだろう。しかし医師の言葉のように、タイミングがあるとするならば今しかない。この理論は脳活動に回復の兆しを見せている今だからこそ通用するかもしれないということであり、やがて時間が経ってその回復が落ち着いてしまうと、つまりそれは一定以上の回復を見込めない、活性化の衰えを意味するのだ。ここで未来を掴むか、何年も夢を見るか……その二択にはあらゆる不安が想像されるが、その恐さを必死に抑え、シャルロットなりに勇気を出したのだろう。
その真剣な表情を見て、セシリアも覚悟を決めた。
「────
他の専用機持ちたちも色々と思慮を巡らせた結果、覚悟を決めたようだった。
「俺も……俺も参加します!マリアは俺たちを……学園を守ってきてくれたんだ。今度は俺が、俺たちが助けないと……」
「教官、私も希望します。私の数少ない友人のひとりだ……戻ってきてもらわねば困りますので」
「あたしも……辛い時、マリアに支えてもらったことがあった。今度はあたしがここで助けなきゃ、友達として顔向けができない」
「織斑先生、私も参加します。私も、クラスの皆もマリアに早く戻ってきてほしい……そして静寐もあれからかなり元気をなくしています……ここで希望が持てるなら、私も全力を尽くします」
覚悟を決めた一同の眼差しに、千冬も深く頷いた。
『ありがとう。諸君らの覚悟、しかと受け取った』
「────織斑先生」
手を挙げたのはシャルロットだった。
『どうした』
「このプロジェクトを実行するにあたって、ひとつ約束していただきたいことが」
『聞かせてくれ』
シャルロットは一息置き、真っ直ぐな目で千冬を見た。
「もし実行中、マリアや他の専用機持ち……一人でも危険な兆候が見られたら、すぐにプロジェクトを中止してください。たとえそれが、もうすぐマリアを呼び起こせるような状況であっても」
「シャルロットさん……」
セシリアがシャルロットを見る。するとその言葉を聞いた一夏が声をかけた。
「シャル、俺に関しては心配するな。マリアを呼び起せられるかもしれないのは、またとないチャンスだ。俺としては……俺のせいで、そのチャンスを逃したくはない。俺よりも、マリアの覚醒の方が大事だ」
するとシャルロットは一夏を見て微笑む。力のない、悲しげな微笑みだった。
「ありがとう、一夏。僕、一夏のそういうところ好きだな。でもね、一夏がそう言うなら、僕はこのプロジェクトの参加を取り消すよ」
「な、どうして!?」
「一夏……僕はね、マリアに目覚めてほしいよ。でもね、僕にとってはマリアと同じくらい、一夏のことも大切なんだ」
シャルロットは一夏だけでなく、他の皆も見渡す。
「一夏だけじゃない……ここにいるみんなのことも、僕にとっては大切な存在なんだ。学園に入った時は色々あったけど、みんな温かく迎えてくれたし、僕が挫けそうになった時もみんな声をかけてくれた。そんなみんなのことを、僕は大好きなんだ。これ以上……誰かを傷つけたくない。きっとマリアも、自分のせいで他の誰かが目覚めなくなってしまうことは望んでいないと思う」
専用機持ちたちにとって、その言葉はこのうえなく響いた。シャルロットの強い覚悟に、一夏もゆっくりと頷いた。
「分かった……ありがとう、シャル」
シャルロットも優しく微笑んだ。
『デュノア、約束しよう。諸君らの安全を最優先に行う。山田先生、彼らの身体状態から目を離さないようお願いします』
『了解です!』
ガラス越しに、真耶が小さく皆に手を振る。その表情はいつもの幼げなものとはちがい、頼れる心強い大人の顔だった。
話もまとまり、千冬がパンッと手を鳴らした。
『各人、スタンバイ!プロジェクトを開始する!』
それと同時に、伝送室の扉から数人の医師が
驚いた専用機持ちたちだったが、声をかけたい気持ちを必死に抑え、今はプロジェクトの準備を最優先させる。
専用機持ちたちはそれぞれ決められた半カプセル型の機械空間に身体を預けていく。千冬から見て左から順に、箒/セシリア/鈴/ラウラ/一夏/シャルロット……そして一番右端が今回基盤の電脳世界を形成するマリアだった。
身体を預けて仰向けになったシャルロットは、しばらく真っ白のカプセルの内側を眺めていた後、シャルロットの方を向いた。マリアも同じく仰向けに寝かせられており、医師たちが慌ただしく呼吸器や管の接続整備などを行っている。昏睡状態が続いているのもあり、やはりその腕は当初よりも痩せ細っていた。
(マリア……もう少しだけ頑張っててね。みんなと、必ず助けに行くから……)
やがてマリアへの作業が終わったのか、医師たちは静かに素早く退散した。そしてゆっくりと、専用機持ちたちのの寝ている機械がカプセルの内側へと入っていく。
目の前にはHUDが表示され、やがて読み込み作業が終わったのかパーセンテージが100になった。
『────それでは、マリアさんの電脳世界へと接続します。焦らず、深呼吸を続けてください』
機械の中で、真耶の声が響く。カウントダウンが始まり、専用機持ちたちはそれぞれの空間の中で呼吸を落ち着かせた。
そしてついに、カウントがゼロになる。同時に、専用機持ちたちの意識は仮想世界へと飛び込んでいった────。
◇
IS学園・地下特別区画
電脳仮想空間管制室
「────さて、お前には別の任務を与える」
「……なんなりと」
千冬の後ろに静かに立っていた楯無が返事をした。
「知っての通り、先ほど学園地下のある一部分がなんらかの勢力によってハッキングを受けた。すでにそのハッキングは解除したが、恐らく侵入をしてくるだろう」
「……排除、ですね?」
「そうだ。今のあいつらは戦えない。悪いが頼らせてもらう」
「はい……────」
すると千冬はもう一つ、あることを話した。
「それともう一つ……これは憶測の話だが」
「ええ」
「数日前、
「はっ!」
楯無は音もなく、千冬のそばから姿を消す。残されたのは、真耶のタイピング音だけだった。
千冬はただ静かに、カプセルの中で眠る専用機持ちたちを見つめていた。
電脳ダイブ実行の5日前
『経過報告書』
患者氏名:Maria
事実経過:
脳内にヒモ状のような微小な生物を発見。寄生虫のような見た目にも思えるが、宿主となる同患者への影響は見られなかった。恐らく襲撃の爆発時に同患者の体内に入り込んだと考えられる。潜伏期間は23日間。
同患者の