Evangerion〜The girl from Roanapura〜 作:宵茶
Ep.1
タイの片田舎に存在する港湾都市"ロアナプラ"。35年前までは寂れた港町に過ぎなかったこの街は、香港系マフィア"
ある雨の日のことだ。
1人の少女が今にも倒れそうな様子でサータナム・ストリートを歩いていた。年齢は4、5歳ほどであろうか。長らく手入れされていないのか、髪は伸び放題で、ボロ切れのようになった服を着ている。この街では対して珍しくないストリートチルドレンだ。
少女はやがて、力尽きたかのように水溜りに崩れ落ちた。生気のない、ノロノロとした動きで半身を動かし、目の前にある"ブーゲンビリア貿易"と看板に書かれた事務所とおぼしき建物の壁に身を預ける。
「…死んじゃうのかな……私…」
少女は日本語でそう呟いた。もうかれこれ1週間かそれ以上、もはや時間感覚が曖昧で詳しくは分からないが、長い間何も食べていない。意識が朦朧とし、それまで自分を襲っていた空腹感や苦痛も感じなくなっていたのである。雨に濡れた体は冷えきり、体力が奪われていく。少女は既に限界だった。
「…お母さん……もう、いいよね…」
少女は生きることを諦め、死を受け入れようとしていた。雨に濡れた顔に、すでに枯れたと思っていた涙が一筋流れた。
その時、事務所のドアが開き、軍の士官用のコートを羽織った女と、顔に切り傷がある男が出てきた。女は、事務所の前に停められた黒いメルセデス・ベンツSクラスに乗り込もうとして、壁によりかかる少女に気がついた。
女と少女の目が合う。
「…おやすみ……なさい…」
そこで少女の意識は途絶えた。
♯♯
赤木博士に連れられてネルフ本部に直結している病院に来た私は、身体検査を行っていた。MRI?や心電図検査?など、およそ聞いたことのない近代的な設備を一通り経験し、今は最後の脳波チェックを行っている最中である。電極が繋がった帽子のようなものをかぶらされているが、どう見ても何かの実験体になっているとしか思えない見た目となっている。
撃たれたことも刺されたこともあり、病院自体には言ったことはあるが、こんなマッドサイエンスな機械などに何度も繋がれ、一定のリズムを刻む電子音を聞き続けた経験は初めてである。特に、この脳波チェックは見た目が最悪だ。しかも検査中はずっと横になっていなければならず、暇を持て余すあまり、眠ってしまったのである。
一応言っておけば、普段は周囲に知らない人間がいる状態でうたた寝することなどはない。しかしながら、先ほどまでの戦闘のダメージがまだ抜けきっておらず、慣れない使い方をした頭が休息を訴えていたのも、無防備に寝てしまった原因である。
「チェック終了。問題無し」
医師と共に画面を見ていた赤木博士のその言葉で、私は目を覚ました。
(夢……か)
戦闘中に意識を失った時に朧気に走馬灯を見たせいだろう。今度は、私が"死人"から"歩く死人"になった、今の私を形作った運命的な出会いを、夢に見ていた。
目を開けば、シミ1つない真っ白な天井が視界一杯に広がった。
「知らない天井だ」
看護師が検査用の器具を私から取り外た。私は起き上がり、少し乱れた青い病院着の前をあわせた。そこに、赤木博士がPCの前から立ち上がり、様子を伺うようにやって来た。
「お疲れ様。検査はこれで終了。特に異常は見当たらなかったわ」
「だから、平気だって言っただろう。寧ろ、機械の電流やら電波やらで今後具合が悪くなったりしないだろうね」
「全て医療機器よ。そんなことあるわけないじゃないの」
ため息を付きつつ、赤木博士は大ぶりな袋を渡してくる。中に入っていたのは私が検査前まで来ていた服だ。クリーニング直後らしく、まだ乾燥後の熱を感じる。というか、服を洗濯して乾燥させることが出来るほどの時間を、検査に費やしていたのか。時計を見ていなかったために正確な時間は分からないが、やけに長いと感じていたのは正しかったようだ。
私は紙袋の中を見て、思わず眉根をよせた。
「……足りないな」
「足りない?」
「とぼけるつもりか?」
グラッチはもとより、ナイフ、予備弾倉、そしてそれらを身につけるためのホルスターまでもが、袋の中にはない。味方と呼べる人間が1人もいない状態で、完全な丸腰状態というのはかなり危険だ。今周囲に武器となり得るものは、赤木博士が白衣の胸ポケットに差しているボールペンくらいなものである。
「あれらは完全に持ち歩くことそのものが違法行為よ。例外的に認めるとしても、正式な手続きを踏んでからじゃないと返却は出来ないわ。そういう規則なの」
「そういうことなら、仕方ないか」
「分かってくれるかしら?」
「ああ、その辺の職員から適当に奪うとするよ。それに、
この国の法だか何だか知らないが、私は――いや、私たちが縛られるのは国家が制定した法などではない。私たちが従い、そして信奉するものは、純粋なる力、ただそれだけである。
どうにかして彼女を脅して装備を持ってこさせるか、それともここで排除してから調達に向かうか、どちらにするか決めようとした私の前に、机の下からさっきとは違う袋を、赤木博士は取り出して渡してきた。
「そんなことになるだろうと思ったわよ。技術屋の私には貴方を強制的に従わせる力はないわ。バレないように持って行って頂戴」
ガチャリと鉄の触れ合う音がした。警戒しつつ中を見ると、ロアナプラから持ち込み、携行していたものが全て入っている。
正直、かなり驚いた。すんなりと返してくれるとは思わなかったからだ。一体どういうつもりなのか。まさか本当に私が暴れるのを防ぐためだけに、これを用意しておいたとでも言うのだろうか。
「意外だったかしら?」
「ああ。予想外だったよ。この国の人間は融通の利かない、頭がタングステンで出来ている奴らばかりだと思っていたからね」
まあ、返却して貰えるのならば、文句はない。軽く見た感じ、細工をされている様子もない。超小型発信機なんかが内部に取り付けられていたのなら、分解しなければ分からないが、今すぐ私を害する類のものは一切ない。
さて、赤木博士の気が変わらないうちに、着替えを済ませるとしよう。
私は病院着を脱ぎ捨て、最初に渡された方の袋から服を取り出す。その間、妙に赤木博士の視線を感じたので、下着を付けてシャツを羽織った段階で、彼女に視線を向けた。
「……何か、私に気になる点でもあった?」
「そうね、貴方はとても興味深いわ。色々とね」
「こんなつまらない人間も、そうは居ないと思うけどね」
シャツのボタンを一番下まで留め、スカートを履く前に両足にレッグホルスターを付けて武装を納めてゆく。
「さっきの礼だ。何か聞きたいことでもあれば、1つだけなら答えてあげるよ」
「じゃあ、そうね。好きな食べ物は?」
「は? いや、まあ、そうだね。甘いものなんかは割と好きだよ。メドヴィクとか」
メドヴィクとは、いわゆるはちみつケーキのことである。はちみつを練りこんだクッキーとクリームを何枚も積み重ねて作るもので、その発祥は19世紀のロシア王朝の宮廷が起源とされている、ロシアでは馴染みの深いスイーツだ……なんてことは、どうでもいい。いや、本当は作る際のこだわりとか色々とあるが、今注目すべき点はそこではない。
「え、それだけ?」
この国の人間から見れば、私が異常であることは自覚している。
セカンドインパクト以降、世界的に治安が悪化し、日本もその例に漏れなかったとは言え、アメリカや中国、ヨーロッパ諸国と比べればそこまででもない。街中を歩いていて発砲事件に遭遇する可能性はかなり低く、私たちのような稼業の人間も、基本は大人しくしている。拳銃を携帯していること自体が違法行為であり異常であるこの国において、私のバックボーンを知りたいと思うことは想像に難くない。
と、思っていたのだが。こっちが大サービスして設けてあげた質問タイムに、何故"好きな食べ物"なのだ。訳が分からない。
その考えが顔に出ていたのだろう。赤木博士は表情も変えずに言った。
「私は貴方の人間性に興味があるだけよ。今まで会った事がないタイプだから。でもまあ、好きな食べ物は普通なのね」
「だから言ったでしょ。私はつまらない人間だって」
「そうかしらね?」
意味深な赤木博士に、からかわれたように感じた私は、内心面白くはないものの、着替えを終えようとスカートを履き、ネッカチーフを首に巻いて上にジャケットを羽織った。
「で、この後は?」
「多分、今後の貴方の扱いについて、話し合うことになると思うわ……あら、メドヴィクはこの第3新東京市では販売している店はないようね」
「それはまた、この街の人間は人生の半分を損しているね。まあ、自分で作るからいいけど」
「食べたことないから、私もご相伴にあずからせて貰いたいわね」
「作ってみると、意外と簡単だよ。まずは――」
どうやら赤木博士はグルメなタイプであるらしい。私は料理を趣味としており、レシピについて話しているうちに、段々と盛り上がっていく。しまいには、コーヒーの淹れ方についての談義にまで話題が広がっていった。
「――の場合、ブレンドの比率を…」
「ちょっと、リツコ? 入ってもいい」
赤木博士が特製ブレンドコーヒーについて語っていた時、唐突に部屋のドアがノックされた。
「ええ、いいわよ」
話を遮られて不満げな赤木博士が入室を許可すると。やや不機嫌そうにしながら葛城一尉が入って来た。
「いつまでやってんのよ? しかも、検査なんてしてないじゃない。何やってたのよ」
「あら、ごめんなさい。話が弾んじゃって」
悪びれもなくそう言った赤木博士に、葛城一尉は恨めし気な視線を向ける。
「今後の説明をマリちゃんにしなきゃいけないから、終わったら連絡してって言ったでしょ? おかげで、保安部から嫌味の電話くらったわよ。しかもここに来る途中、司令とエレベーターで鉢合わせになったのよ? どんだけ気まずかったことか」
「悪かったわよ」
「悪かった、じゃないわよ! あの司令と狭い空間に2人っきりよ? 冗談じゃないわ」
葛城一尉の言葉に、思わず吹き出しそうになる。ここの司令官は随分と部下から嫌われているようだ。2人きりになったら気まずいと言われるような人望で、よくもまああの男は司令など務めているな。
それは置いておき、このまま放っておくと葛城一尉は赤木博士に永遠と文句を言いそうなので、赤木博士に助け舟を出すとしようか。
「ほどほどにしておきなよ、葛城一尉。これ以上時間をくったら、また嫌味を言われるぞ。それで、私はどうすればいいの?」
「まったく……はぁ、まあ、それもそうね。で、マリちゃんには、私と一緒に本部に来てもらうわよ」
「構わないけど…葛城一尉が案内を…?」
本部についた時、ミサトに連れられて迷子になったことを思い出す。赤木博士も同じ思いなのか、訝しげな視線を向けている。
「赤木博士、頼み事を1つしてもいい?」
「そうね。戦闘データの解析結果が全て揃うまではまだ時間があるし、一緒に行ってもいいわよ」
「
赤木博士は皆まで言わなくても分かっていたようだ。その様子にミサトがまるで子供のように頬を膨らませてムッとする。
「何よぉ、信用ないわね。それに、何か仲良くなってない? 貴方たち」
「「気のせいじゃない?」」
発言が見事に被った私と赤木博士を見てむくれる葛城一尉に苦笑いしながら、私は病室を後にした。
新劇場版一挙放送に伴い、久しぶりに更新しました。
年単位で放置してしまった本作ですが、多数の方から評価、ご感想を頂いており、非常に嬉しく思っています。リアルが忙しいのでコメント返しはできませんが、全てのご感想は読ませていただいております。本当にありがとうございます。
これからも思い出したかのように、亀よりも遅い更新速度ではありますが、よろしくお願いいたします。