既に想定していた事態であり、八幡はもう驚くことはない。
目の前に現れた世話になっている教師に対し、いつもと変わらない様子で話しかける。
「先生、こんばんは」
時間から見て普通の挨拶。
その挨拶を受け、平塚 静は慌てつつも応じた。
「あ、あぁ、そうだな。その……こんばんはだ。あ、あははは、何かこうしてこんな会話をしているとこそばゆいな」
アルコール以外の要因で真っ赤になっている頬を掻きつつ静はそう言う。
その様子はいつもより少しばかり幼さを感じさせる。
そんな静に八幡はこうして会ったのも縁だと判断、もとい諦めて世間話を振ることにした。
「今日はどうしてこんなところに?」
「そのだな、一応はこれも仕事なんだ。こういったイベントに学生は浮かれがちだからな。こうして各学校から教員を一人ずつ監視として派遣させるんだ。今回は私というわけなんだがな」
その理由に八幡は納得する。
確かにそうだろう。この手のイベントでハメを外しがちな若者を監視し止めるのも教員の仕事と言えなくもない。どの学校でも自分の所の生徒の暴走で泥を被りたくはない。ならば泥を掬いあげる前に中止させればよい。そのための措置だろう。
それには八幡の後ろにいる3人も理解した。
それとは逆に静が八幡がいる理由を聞いてきたが、それに対しての答えは雪乃達に言った答えと同じ物が帰ってきた。
それを聞いてこんなイベントの時に労働とは感心すると静は八幡を褒める。
その様子は教師と生徒というより、年上のお姉さんと年下の男の子といった感じであり、それが妙に不服なのか雪乃が冷たい視線を向け、結衣が頬を膨らませる。
(むぅ~、ヒッキー、先生に構ってばかり。先生も先生で何かずるい!)
(まったく、速く仕事に戻れば良いのに………)
二人のそんな思念を感じてなのか、小町はこれはこれで面白いと思ったらしい。結構イイ笑顔をしていた。
そんな背後の3人の気配を感じ、若干冷や汗を掻きつつ八幡は会話を続ける。
どうせここまで来たら今更も何もないだろう。
そう判断した八幡に、静は少しばかり意地悪そうな笑みを浮かべながら八幡をからかう。
「仕事中だというのに部活の女子達と一緒で両手に花など良い御身分だな、比企谷?」
そこには確かにからかいがあったが、同時に八幡と一緒にいる雪乃達への嫉妬もあった。だからこそのこの問いかけ。そこには確かな恋する女の焼き餅があった。
それに際し、八幡は苦笑する。
別に焼き餅に気付いたわけではない。ただ、からかってきた静の様子がまるで仲間はずれにされてむくれている子供のように見えたからだ。
いつもは凛々しいのに、こんな『可愛らしい』部分を見せられて、内心笑う。
だから向こうの皮肉に此方も皮肉で返すことにした。
「そういう先生こそ仕事中に飲酒ですか?」
「うっ!?」
八幡にそう指摘され、それまで後ろに隠していたビールの入ったコップが揺れる。
八幡が指摘したことはもっともであり、仕事中に飲酒などもってのほか。それを指摘されれば誰だってそうなるだろう。
顔を恥ずかしさで赤くしたりバレたことへの不安から青くしたりと慌てる静。
そんな静に八幡はクスクスと笑いながら話しかけた。
「まぁ、こういう時は所謂無礼講というものですから、細かくは言いませんよ。それに、先生がお酒を飲んでもバレなければ問題もないでしょうしね」
内緒ですよといったニュアンスを含ませながら片手の人差し指を口元に寄せる。
それを見て何故かは知らないが静は顔を赤らめる。
「そ、そうしてもらえるならありがたいな、うん。それにしても比企谷、君は随分と大人らしい言い回しをするのだな。その、正直恰好良すぎだぞ………」
後半は小さくて言葉として出ていない。
だから八幡は最後の方は聞いていないので、特に反応することなく答えた。
「これでも一応、勤労学生ですから」
そう答えると、静はそうかと小さく頷く。その様子は日頃の彼女とはまったく違っていて『可愛い』。
と、そのように二人で話していたわけだが、そろそろ我慢ならないと雪乃と結衣が行動を起こし始めた。
「っ?」
八幡は突如として脇腹をつねられる感触を感じ、そちらに振り向く。
すでに誰がそれをしているのかは分かっているので、内心何故そうされたのかの理由が知りたい所である。
振り向けば予想通り、雪乃と結衣が犯人であった。
雪乃はギロリと睨みつけ、結衣はう~~、と少々唸りつつ涙目で可愛らしく睨む。
二人の抗議を受け、八幡は苦笑するしかない。
理由までは分からないが、どうにも二人は不服らしい。
「比企谷君、そろそろ花火が始まる頃合いよ。移動しましょう」
「ヒッキー、もっと良く見える所を探しに行こう。それに先生はまだ仕事中なんでしょ? 邪魔したら悪いって」
まさに焼き餅。
そんな二人の様子に悶える小町。予想以上だと喜んでいるようだ。
そんな小町の奇行に疑問を持ちつつも、八幡は内心で思う。
(由比ヶ浜、俺もまだ仕事中なんだがなぁ……)
そう思いつつも時間を確認しその通りなので応じることにした。
「先生、そろそろ花火の時間みたいなので」
その言葉に若干の寂しさを感じつつも静は八幡に微笑む。
「そうか。なら私は仕事に戻ることにしようか」
そう言って八幡達と別れようとしたが、その前に何かを思い出したらしく八幡の方へと振り返った。
「そうそう、一つ言うことがあったのを忘れていた」
そう言うと、静は八幡へと静かに、しかし素早く近づく。
そして雪乃と結衣の二人に服を掴まれて多少身動きが取りずらい八幡へと近づくと、八幡を抱きしめるように身体を近付け、彼の耳元で囁いた。
「お前もあまりハメは外すなよ。まぁ……私にはいいけどな」
腕に当たる大きく柔らかな感触、そして若干アルコールの匂いがしつつも大人らしい控えめな香水の香りが鼻腔をくすぐる。
そのダブルパンチにキスが出来るくらい近い距離にある静の顔。
それらにより、いくらそういったものに鈍い八幡でも顔を真っ赤にして意識してしまう。
それが静は嬉しかったのだろう。実にご満悦な、そしてしてやったりといった顔を八幡と後ろの二人へと向けた。
「それじゃ君達もこの祭りを楽しみたまえ……適度にな」
そう言って静は今度こそ八幡達の前から去って行った。
その背中を見送る八幡。
そして………。
「な、ななな、なななななぁあああああああああああああああ!?」
「比企谷君、後でじっくりと話し合いをしましょう。えぇ、勿論貴方に拒否権などないわよ。そして逃げることも許しません」
真っ黒なオ―ラと真っ赤なオーラを噴き出しながら怒りに染まった目で八幡を睨みつける雪乃と結衣。
そんな二人の視線を受けて八幡はどっと冷や汗を掻き始めた。
まるで初めて実戦に参加した時のような心境だ。ヤバいヤバいと本能が警報を鳴らす。
本音で言えばこの場から離脱をしたい。だが、既に二人にガシっと両肩を掴まれている時点でそれは無理だろう。仮に逃げたとしても、絶対に跡を引きずる。うやむやには出来そうにない。
だから八幡は素直に降参する。
「ま、まぁ………なんだ、その……お手柔らかに頼む……」
この後、八幡は雪乃と結衣の二人にそれはもう絞られた。
そしてさっきの静に影響されてなのか、二人とも顔を真っ赤にしながらも八幡の腕を遠慮がちとはいえ抱きしめる。
その際に当然距離が近づき密着するのだから二人の胸も密着することになり、その感触と二人の少しだけ違う、しかし、確かな女の子の香りを感じて八幡は顔を紅くしてしまう。
ドキドキと高鳴る胸の音が互いに伝わってしまい、八幡は確かに結衣と雪乃の鼓動を感じていた。
(うぅ~、どうしよう……先生に負けたくないからってこんな大胆な真似しちゃって……ドキドキしてるのが伝わっちゃうよ~~~~~~!!)
(負けたくない一心とはいえ、これは些か派出にし過ぎてしまったわ。で、でも……比企谷君の腕、やっぱり男の人なのよね。筋肉、思っていた以上についていて引き締まっているわ…………!!)
尚、この際に小町はそれはもう嬉しそうにニヤニヤとしていたんだとか。
そしてこの状態が10分しか持たず、湯気を噴き出しそうな程顔を真っ赤にした雪乃と結衣は再び八幡の後ろへと戻り、彼の上着をちょんと摘まむ。
そのまま歩いていると、八幡は再び彼女達と会うことになる。
「あ、はーちゃんだ~~~~~~~~~!!」
そのとろけるように幼い声とともに、八幡の腹辺りに飛び込む衝撃。
そこに目を向ければ、彼女の姉と同じ青に近い黒髪をした幼女がいる。
そしてそんな幼女を心配するように、慌てて彼女もまた出てきた。
「もう~、けーちゃん!勝手に走ったら危ないでしょ」
そう言ったのは青に近い黒髪をポニーテールにした彼女。
そして彼女は八幡の姿を見るなり頬を染めつつ八幡の名前を呟く。
「ひ、比企谷……何でまた……」
そんな彼女と腹に抱きついている幼女に八幡は再び挨拶を返す。
「よう、けーちゃんにさーちゃん。さっきぶり」
こうして八幡は川崎 沙希と川崎 京華と再び会った。
そして同時に後ろの二人からのプレッシャーも感じることになった。