幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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2023.6.13 あらすじに挿絵を追加しました


東方荒魔境
幻想境界は心憂い


 並行世界は存在する。

 

 並行世界の数だけ幻想郷は存在する。

 

 しかしその全ては違う道を辿ってゆく。

 

 並行であるから決して交わらない。だから同じものなど一つも存在しないのだ。

 

 

 

 吸血鬼との戦いに敗れ、レミリア・スカーレットを元首とする支配体制となった幻想郷が存在する。

 

 月の浄化作戦が成功し、ぺんぺん草一本生えない不毛の地に変貌した幻想郷が存在する。

 

 天邪鬼の下剋上が成功し、上下関係はひっくり返り、支配体制が丸々崩壊した幻想郷が存在する。

 

 妖怪が人間を食い尽くし、自ら自滅の道を歩んで行った幻想郷が存在する。

 

 人間によって妖怪が滅び、人間にとっての桃源郷となった幻想郷が存在する。

 

 皆が手を取り合い、互いに助け合い、幾多もの困難を乗り越え、八雲紫の願った姿が完成した幻想郷が存在する。

 

 

 しかしこれから語られる幻想郷はそのいずれでもない。

 

 これはとある救いのない幻想郷のお話。

 

 幻想を葬る幻想郷のお話。

 

 並行に存在する数多の幻想郷の…その一つのお話。

 

 

 *◆*

 

 

 ――妖怪の山 天魔の屋敷――

 

 妖怪の山、天狗の里にて最も豪華絢爛な屋敷。

 そこに居を構える主人は勿論、天狗の頭領”天魔”。鬼にも引けを取らないその妖怪としての格の高さでこの地位まで上り詰めた紛れもない強者である。

 

 そんな天魔の屋敷はよく賢者による集会の会場として使われる。

 その警備の固さ故にである。極秘会議の場としてはこれほどうってつけな場所はない。

 

 そして今日、この屋敷で賢者たちによる緊急集会が行われていた。

 賢者とは幻想郷の創設者たちの名称である。全員がそれなりの権力を持ち、それぞれに管轄する役職がある。なお、幻想郷に日頃から留まっているのは数えるばかりの者であるのも特徴だ。

 

 皆一様に僅かに視線を下にやり、そわそわと落ち着きのない様子であった。無理もない。今幻想郷には存亡の危機が迫っているのだ。

 それぞれ思惑は違えど最終的な到達点は共通している。

 

「えー…今日の議題は…例の”紅い霧”のことです。皆様、既にこの惨状には目を通されたかと思います」

 

 大天狗の一人があらかじめ用意してあった書を読み上げる。賢者一同、そんなことなどわざわざ言わなくてもいい…という気持ちであるが。

 

「簡単な話、犯人はわかっておるのだ。ならば対策のしようはある。そこまで問題視するほどのことでもなかろう」

 

 うち一人の賢者が答えるが、その賢者は一斉に周りから強く冷たい非難の目に晒された。

 

「お主は阿呆か。そんなこと…それが出来ておれば苦労はせんわ」

「死ねよカス。なんでテメェみたいのが賢者を名乗っている」

「まあまあ、落ち着いて。あの方は先の吸血鬼による侵攻の際、あの紅い館の連中と直接対峙していないのです。多少思慮の足りない発言をするのも致し方ないことです」

 

 一度荒れる会議場であったが、なんとか一人の思慮ある賢者によるとりなしで持ちこたえる。しかしピリピリとした険悪な雰囲気は全く解消されなかった。

 これもひとえに、”紅い館の連中”が原因である。

 彼らの心には”紅い館の連中”というトラウマが深く植えつけられているのだ。

 彼らが妖怪である以上、トラウマというものは自身を形成する上での最たる根幹に影響を及ぼす。

 

「えーオホン…続けます。それで今日皆様にはその対策について話し合って欲しいのです。あちらの狙いが分からぬ以上、早急な対策は必須でございます」

 

 ふむ…と殆どの賢者が顎に手をやり熟考する。ここに集う者たちは知識、策謀、機転に長けているだろう。しかしそんな彼らを持ってしても会議は難航を極めた。それほどまでにこの問題は簡単な問題ではないのだ。

 

「奴らの生活供給ラインを断って兵糧攻めというのはどうだ?……いや無理だな。撤回してくれ」

「確かにな…。見す見す奴らがそれを見逃すとは思えぬ。せいぜい包囲したところで一点突破、壊滅に追い込まれるのは目に見えている」

「それに奴ら、独自に外の世界へのルートを確立しているという噂もあるぞ。確かめる術はないが…」

 

 賢者たちには紅い館の勢力と正面からぶつかるという案はない。出しても一蹴、一笑されるのがオチであろう。

 

「天魔殿…そちらの…山を救った例の烏天狗は出せないのですか?彼女の協力があればこの異変の解決もグッと楽になるのでは?」

「射命丸の…文のことか…。無理だ、我々天狗は既にこの異変については不介入を決定している。こちらから戦力を提供することはできん」

 

 天魔はピシャリと言い放った。

 協調性のなさが実に光る一場面である。しかし天狗には色々と面倒な制約があるので仕方ないと言えば仕方ない。

 

「博麗の巫女は…無理なのか?」

 

 一人の賢者がポツリと言葉をこぼすがそれは一瞬にして否定される。

 

「ダメだ。いくら博麗の巫女といえどもあの化物どもに敵うわけがない。博麗の巫女を失った途端、幻想郷は崩壊するぞ」

「確かに博麗の巫女を使うのはリスクが大きすぎる。むぅ…打つ手なしか…?やはり、ここは…」

 

 場の賢者たちの視線が一斉に一人の人物へと向けられる。期待と安心が込められた視線だ。

 

 その人物…八雲紫は扇子を仰ぎながら涼しげに微笑む。その口はいつものように優雅な笑みを浮かべていた。何を考えているのか分からない…底なしの笑顔。

 その身から放たれる圧倒的存在感が彼女の異質さを物語っていた。

 

 紫は賢者の中でもトップクラスの発言力を持ち、更には幻想郷の最高責任者でもあるのだ。

 そしてなにより、その最強とも呼べる絶対的能力が彼女を絶対者とする所以である。

 現に先の吸血鬼異変…幻想郷の賢者全員が打つ手なしと判断したこの異変を彼女は一人であっという間に解決してしまった。

 

「そうねぇ…天魔に動く気がないのなら…私は普通に霊夢に全てを任せるのが最善手であると思うわ」

「し、しかし…万が一にでも博麗の巫女が敗れるようなことがあれば…」

「敗れる…?霊夢が…?…クッフフフ…アッハハハハハハ!」

 

 賢者の不安の声を聞いた紫は突然バカ笑いを始めた。

 困惑し、右往左往、顔を見合わせる賢者たち。

 やがて紫は笑い終えると目から滲んだ涙を指で拭う。

 

「そんなことがあるわけないでしょう。あの子を何と思っているの?この八雲紫の最高傑作よ、たかが蝙蝠風情にどうにか出来る存在ではありませんわ」

 

 圧倒的自信であった。

 実力と実績への信頼だろう。

 しかしそれだけでは賢者たちは納得できなかった。

 博麗の巫女は幻想郷が存在する上での要なのだ。それを失うことは決して許されない。

 

「それでも…もしものことがあれば――――」

「そうですか……ならばこの私自らが出るのも、やぶさかではございませんわ」

 

 扇子をピシャリと閉じ、平然と言い放った。

 瞬間、会議の間に冷たい緊張が走る。

 ダメだ、八雲紫を戦わせてはダメだ。それが賢者一同の共通見解であった。

 

「実力行使というのも私…嫌いじゃありませんことよ?」

「お、お待ちくだされ!わ、分かりました。博麗の巫女を派遣しましょう!貴方ほどの方が言うのだ、恐らく大丈夫でございましょうから!なのでどうか、貴方自らが手を下すのはお避けになってください!」

 

「あら、そう?」

 

 まるでそうなることを図っていたかのように満足げに笑うと、八雲紫はスキマを開く。

 スキマから覗く異質な異空間はなんとも不気味である。

 

「ならば霊夢に早速、事を伝えて参りますわ。それでは皆様、ごきげんよう」

 

 紫はスキマへゆっくりと入っていくと、スキマは消失した。

 直後、会議の間には安堵の溜息が漏れる。

 

「助かった…九死に一生を得た気分だ…」

「あながち間違いではなかろう。八雲紫がまた再び暴れるようなことがあれば…幻想郷は間違いなく消失する」

 

 賢者たちの脳裏に浮かぶのはかつての”吸血鬼異変”。

 幻想郷の四分の一が焼失するという大きな犠牲を払い、手に入れた勝利だ。

 そして、その幻想郷を四分の一焼失させた化物というのが…何を隠そう、八雲紫なのだ。

 

 

 *◆*

 

 

 内と外、海と山、幻と真、夢と現の境界。存在もあやふやな空間、そこにはとある屋敷が存在している。

 そんな場所に建っている屋敷の主など世界広しといえど、この妖怪以外には存在しないだろう。

 

 八雲 紫。

 

 それなりの妖力、スーパーコンピューターに匹敵すると揶揄されたそれなりの頭脳、神にも及ぶと言わせしめ周りからは強力だと思われているそれなりの力『境界を操る程度の能力』

 それなりの大妖怪と呼ぶにふさわしい存在と言える。

 

 そんな八雲紫は頭を抱え、悶えていた。

 原因は…二つある。

 一つは幻想郷中を包み込んだ紅き霧。

 発生源は霧の湖に浮いている小島の上に建つ燃えるように真っ赤に染色された派手な館”紅魔館”。

 本来ならすぐにでもそこの主である吸血鬼のガキンチョに幻想郷流の制裁を叩き込んでやりたいところだ。しかし、それは到底無理な話である。

 協定云々の関係もあるが…一番は…その吸血鬼のガキンチョはこの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだ。

 勿論、八雲紫はそれなりに強い。それは保証できる。しかし、相手がとにかく異常なのだ。

 

 もう一つはその紅い霧のせいか否か、自分の体調が優れないことである。胃腸がキリキリ痛むのは元からであるが。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 もう嫌だ。

 今まで積み上げてきたもの全てを放り出して夢幻の彼方へ隠居したい。一体私が何をしたっていうの?もしも今置かれた状況が前世の因果応報だというのなら私はとんでもない重罪人なのだろう。妖怪の私に前世なんてものが存在するかは知らないけど。

 

 蘇るのは数年前の記憶。

 吸血鬼が大挙して幻想郷に押し寄せた異変、”吸血鬼異変”の時だ。

 私…八雲紫は幻想郷連合を組織し、それら西洋勢力に対して対抗の姿勢を見せた。

 幻想郷連合の勢力はかつての月面戦争時とほぼ変わらない規模であり、その約束された勝利への未来に私は細く微笑んだものだ。

 しかし、その笑顔は戦争後に引き攣った笑みへと変貌した。

 

 結果は…幻想郷連合の全滅。大敗を喫したのだ。

 敗因は…たった一つ。紅魔館なる西洋勢力の一端に過ぎない吸血鬼の勢力のせいだ。

 その他西洋勢力は私だけでも十分どうにかなる有象無象の集まりであり、現にそれらはこの世界より消滅している。

 

 しかしそれまで静観を保っていた紅魔館のガキンチョ吸血鬼擁する勢力は突如幻想郷に牙を剥き、大妖怪を薙ぎ払い、妖怪の山の全戦力のうち、その半数を壊滅させるというとんでもない戦果を挙げたのだ。

 その紅魔館の末端による妖怪の山の危機は妖怪の山に巣食う射命丸という()()()()()()()()が救ったが、これにより妖怪の山は幻想郷連合を脱退した。

 

 その知らせを聞いた時、私は己の耳を疑ったが同時にチャンスでもあると思った。妖怪の山を蹂躙したのには驚いたがそれだけ奴等(紅魔館)は戦力を其方へ投入したということ。つまり本拠地である紅魔館は手薄だと…そう考えたのだ。

 私は幻想郷連合に紅魔館への総攻撃の指示を出した。今もその選択は普通ならば間違いではなかったと胸を張れる。その結果の連合全滅だったけど。

 後に聞いた話では妖怪の山に攻め込んでいたのは一人だったという。私は吐いた。

 

 その後、なんとか気持ちを持ち直し、幻想郷中のこれまた()()()()()()()()()()()()に恥を忍んでの救援要請を出した。相手によっては土下座までする始末。それほどまでに紅魔館という勢力はやばかった。賢者の意地だとか、大妖怪としての誇りとかに構っている暇などなかったのだ。

 

 結局、私の必死の救援要請に呼応してくれたこれまた()()()()()()()()が紅魔館を鎮圧し、吸血鬼異変は終結したのだが、その被害は計り知れないものがあった。

 実に幻想郷の四分の一が焦土と化し、その影響により第三勢力であった花妖怪の参戦を誘発する始末。言うまでもなく被害は拡大した。

 

 かつての美しかった幻想郷は、幻想へと消えた。

 いや、元からその美しいという定義は崩れつつあったが、吸血鬼異変の余波によりトドメを刺された形になる。

 幻想が最後に行き着く地で幻想に消える。それ即ち消滅という。

 今の幻想郷は修羅の国。化物どもが群雄割拠する世紀末。

 

 弱小妖怪の殆どは死滅し、大妖怪ですらそれからは細々と暮らしている。それに変わって台頭したのは例の()()()()()()()()。殆どがその規格外の力を気まぐれに行使しており、私はその後始末に日々追われている。

 

 しかし私の胃にダメージを与えたのはそれだけではない。

 

 吸血鬼異変終結後、生き残った吸血鬼のガキンチョと平和条約を結ぶべく紅魔館を訪れた。勿論、門からの入館だ。

 実はと言うとスキマからニュッとガキンチョの前に現れて只者ではない…というインパクトを見せつけてやりたかったというのが本音だ。

 しかし間違って攻撃されでもしたら私は木っ端微塵。美しく残酷にこの大地から往ねってしまう。

 そんなこんなの理由があって律儀に門から紅魔館にお邪魔した。途中、チラリと門に佇む門番を見たがそのあまりの威圧感にブルッときてしまった。こんなのが門番なのは絶対おかしい。

 

 そして館に入った途端、吐き気を催す殺気が私の身へと降り注いだ。

 必死に歯を食いしばって吐き気を抑えながらその殺気の根源を探す。発生元は少し先にいたメイドであった。

 凍てつくほどに冷たく、薄い笑みを浮かべながら私を出迎えたメイドは主のもとへと案内する。一身にその殺気を受け続けた私には主の間までの何ともない廊下がやけに長く、きつく感じた。

 私が愛想笑いをなんとか返しても彼方の殺気は膨らむばかり。泣きたくなった。

 私が一体何をした。

 

 そして主の間。

 そこにいたのはカリスマ溢れる憎きガキンチョ吸血鬼。しかしここで節度のない行動を取れば即座に己のタマを取られる。

 私は半泣きで、少し口をひくつかせながらガキンチョ吸血鬼に恐る恐るお辞儀をした。とても戦争に勝った側の行動とは思えない。

 しかし紅魔館のガキンチョ主人は私の態度が気に入らなかったらしく、声を低くし、即座にお辞儀をやめさせると椅子へ座るよう催促した。多分私の顔面は蒼白だった。

 そこからの会話はよく覚えていない。賢者としての面目とガキンチョに対するご機嫌取りという境界線上の狭間でとても苦労したということだけ覚えている。

 

 そんなこんなで結ばれた吸血鬼条約。

 内容を簡単に説明すると

 

 ・人を襲わないでください。お願いします。

 

 ・出来るだけ大人しくしてください。お願いします。

 

 ・代わりに血はあげます。お願いします。

 

 ・何か言いたいことがあれば八雲紫まで。

 

 という感じだ。

 ちなみに最後の一文は条約締結後にパイプ役を欲した紅魔館側からの追加だったわ。その夜、私は一人涙し枕を濡らした。

 

 しかも後日、私の考案したスペルカードルールは却下された。理由?紅魔館を含めた化け物連中がそんなきまりを守るはずが無いから。

 

 

 

 

 

 さて話を戻そう。紅魔館の連中がどれほど恐ろしいかはよく分かってくれたはず。

 そんな紅魔館がついに異変を起こした。私は泣きたい気持ちをグッと堪え、どうすれば良いかひたすら考えた。ひたすらひたすら考え、その結果の霊夢派遣である。

 

 

 ふと傍に控えている、いつの間にか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をチラッと見やる。

 

 八雲藍は最強の妖獣であり私の式神だ。

 その身体能力は走れば雷を追い抜き、腕を振るえば大地が抉れる。さらに恐るべきはその彼女の能力。アレを見るたびにお腹が痛くなる。

 恐らく私が彼女と戦えば100回中100回、0.1秒と経たずにミンチにされてしまうんじゃないかしら…。

 式神にした…というか、式神になってもらった当時はここまで規格外ではなかったと思うのだけれど……いや、昔でも十分規格外ではあったか。

 なぜ私の式神をやっているのか甚だ疑問だ。私にそこまで主人としての器があるようには自分でも思えない。

 

 

 

 

 そんな彼女に今回の案件の全てを任せればどうにかなるかもしれない。

 しかし藍は”吸血鬼異変”の際に獅子奮迅といえるほどの働きをしてもらった。それも彼女がそれなりの傷を負い、消耗するほどに。

 あの時の自分を見上げる藍の目を紫は何回も夢に見た。血走った妖狐の目だった。その後もれなく藍に殺されるのがその夢のオチだ。何かの暗示だろうか?夢枕にご先祖総立ちである。

 とにかくそんなことがあったのだ。似たような命令を出せば今度こそ反感を買われてしまうかもしれない。そうなればこの八雲紫の命は…ない。

 思わず震えてしまった。

 賢者会議の際は霊夢の派遣を否決されかけた時、「私(の式神)自らが出るのも、やぶさかではございませんわ」なんて自信満々に言っていたが、そうならなくて心底よかった…と切に思う。

 

 やはり自分が頼れる存在は霊夢しかいない。

 少しばかり態度は冷たいがちゃんと幻想郷のことを思っているし、何より自分には心を開いてくれている…気がする。

 さらに何と言っても彼女は恐らく幻想郷最強である。信頼と実績の塊のような存在だ。万に一つでも負けるなんてことはない。そのことを紫ちゃんは身をもって知っている。

 

 ここで一つ問題がある。

 さっそく霊夢に異変解決を頼みに行きたいのだが現在幻想郷には紅い霧が充満している。

 この紅い霧、厄介なことにかなりの毒性だ。試しに一回吸ってみたが直後に吐血した。私のボディではこの霧に耐えられなかったのだ。

 よって私がスキマの外に出ることは出来ない。つまり霊夢を呼びに行けないのだ。

 再び藍を見る。何故か藍には紅い霧が通じなかった。橙や霊夢もだ。

 つまり便宜上、霊夢に異変解決を頼むには藍に言付けを頼まなければならない。

 

 やはり怖い。彼女が乱心を起こせば私は一瞬で肉塊となってしまうだろう。それほどまでに私と彼女の間には力の差がある。というか何故彼女は自分の式神などをやっているのか…不思議でならない。

 しかしいつまでもオドオドしている場合ではない。震える身を抑えながら恐る恐る指示を出す。

 

「あのね…藍?霊夢に異変解決の出撃要請を出して欲しいのだけど…。いいかしら?」

「かしこまりました紫さま」

「……ちょっと待って藍。念のため…魔理沙にも同様の要請をお願い」

 

「かしこまりました紫さま」

 

 いつものように忠実に快く私の命令を引き受ける八雲藍。

 その姿に不気味さを覚えているのは内緒である。自分の主の力をとうの昔に超していることに気づいているのかいないのか。

 というより自分の式神(ちぇん)が主の力を超えつつある…というより超えていることに気づいているのかいないのか…。

 一体彼女は何を考えているのだろうか…うぅ…お腹が痛い…。

 

 藍が軽く手を振るい、創り出したのは”スキマ”。ピョンと軽く飛び上がると藍はなんのためらいもなくスキマへと飛び込んだ。

 私だけの能力のはずなのになんで使えるの?……とツッコむのも何回目かしら…。あの式神に常識を求めてはいけない。幻想郷にも言えることではあるけど。

 

「もう…こんな幻想郷嫌よぉ…」

 

 半泣きになりながら、震える声でそう呟いた。

 私はただ…ただ妖怪や人間にとっての桃源郷を作りたかっただけなのに。もはや私の身も、心も、精神も、妖怪としてのプライドも、全てがズタズタだ。

 私が思うことはただ一つ。一つのみ。

 

「どうしてこうなったのぉ…」

 

 幻想郷は全てを受け入れる…いや、受け入れてしまった。それは…なんて無残で残酷なことなんだろうか。

 

 ここは幻想が葬られる場所、人呼んで、”幻葬狂”。

 

 

 ◆

 

 

「――――というわけだ。博麗の巫女としてこの異変、解決に導いてくれ」

 

 博麗神社に降り立った藍は口早に霊夢へとそう告げた。

 境内でお茶を飲んでいた霊夢は鬱陶しそうに顔を顰める。

 

「…こんなのが異変に認定されるの?ただ紅くなっただけじゃない。太陽も遮ってくれて涼しいし、快適なものよ」

「そうも言ってられんのだ。人里の者が続々と倒れている。中には死者までいるみたいだ。今のところは、異常に勘付いた上白沢慧音の強力な結界のおかげでなんとか持っているみたいだが…早急に手を打つ必要がある。………ついでに言うと紫さまが機嫌を崩しつつある」

 

 そう言う藍の顔は焦燥で歪み、額には汗が滲んでいた。

 もしも…もしも自分の主が激怒し、自らその力を行使したら幻想郷は…今度こそ間違いなく滅びる。

 あの人はとても聡明。しかしそういう人なのだ。

 

「怒りに身を震わせるほどだ。このままでは幻想郷が危うい」

「紫が…?この霧でねぇ…そんなに影響が来るものかしら?私も…魔理沙も平気だったけど?」

 

 面倒くさそうに聞いていた霊夢であったが、紫の機嫌の様子を聞いて眉をひそめる。

 彼女自身、もし紫と戦ったとしても遅れをとるつもりは決してない。しかしこの世で最も戦いたくない相手であることは事実。本気で霊夢と紫が死力を尽くした戦闘を始めた際、幻想郷が…いや、世界が原型を留めているかは保証できない。

 

「私も平気だ。私の式神(ちぇん)も平気だ。だがそれ以外には被害が出ている。紫様が動き出す前に…異変解決…頼んだぞ」

 

 言うことを言った藍は再びスキマを開くと今度は魔法の森に存在する霧雨魔法店へと向かった。

 その姿を見届けた霊夢は面倒くさそうにため息を吐くと…傍に置いてあったお祓い棒を何気になく拾い、ビュッと振った。

 

 ――ゴウッ

 

 天が割れた。

 その一凪により大気は震え、博麗神社周辺を漂っていた紅い霧は消滅し、一時博麗神社周辺は風速五十メートルを超える暴風域に達した。

 

「はぁ…面倒臭いわ…」

 

 そう呟きつつもゆっくりと浮遊し、何処へともなく漂う作業を開始した霊夢。

 異変解決は秒読み段階へと入った。

 

 

 ◆

 

 

「お嬢様。博麗の巫女が動き出したようです」

「ふぅん…やっとなの…。待ちくたびれたわ」

 

 視界の全てが紅で塗りつぶされた主の間。

 そこに化物が約二名。

 一人は白のナイトキャップを青髪に被り、王座に座る。身長は十歳程度の幼い風貌だが、背中から生えた巨大なコウモリの羽が彼女が人外であることを象徴していた。その小さな体から放たれる圧倒的強者の風格は全生物の頂点に立つ最強の種族である証である。

 もう一人はメイド服に身を包み月の如き銀髪を持ち、主の側で瀟洒に佇んでいた。ワイングラスとボトルを抱え、主人に給仕しているのだ。彼女からもまた、只者ではない圧力を感じる。

 

「私の”全世界クリムゾンナイトメア”計画を成功させるにおいて一番の障害となるのはあの不気味なスキマ妖怪、そして博麗の巫女。

 半分の未来は、私がスキマ妖怪に諭されるか、博麗の巫女によって私が倒されるかで計画は失敗に終わる…いや、終わった」

 

 王座に座る幼き吸血鬼は傍に佇む従者よりワイングラスを受け取ると、血のように真っ赤なレッドワインを一飲みする。

 

「だが、それらの首を挙げてこそ、我が紅魔館の絶対的な力を幻想郷に知らしめることになる。逆らう者もいなくなるでしょうね。

 もっとも、スキマ妖怪が自ら出張ってくる運命はかなり少ないけど。そのスタンスが正直気に入らないのは本音。どうやって引きずり出してやろうかしら…」

 

 ワイングラスをゆらゆらと揺らし、波打つレッドワインをさも楽しげに見つめる。

 レッドワインも、人の命も、この世のありとあらゆる事象すらも、全ては彼女の掌の中…。彼女の意思一つで、それらの”運命”は決定する。

 

「まあ…巫女に関しては私自らの手を煩わすまでもない…かしら。博麗の巫女が私の手を下すにふさわしい存在かどうか…。貴方に選別を頼みましょうかね?」

「かしこまりました。この十六夜咲夜、目にかからぬ場合はお嬢様の手を煩わせることなく、博麗の巫女を排除してみせます」

「クックック…流石は、我が一番の従者ね。だが…」

 

 吸血鬼は立ち上がるとテラスへと赴く。

 心地よい紅霧が彼女の体に纏わりつく。ふと、紅く染まった月を仰ぎ見た。

 今夜の月は彼女だけの月。煌々と紅い月光が彼女を照らし続ける。

 

「…それで終わらないのが運命の面白さよ。今宵の運命はどっちに転がる?私か?博麗の巫女か?それとも…」

 

 吸血鬼が見つめる先には黒々とした空間が自分の紅い霧を塗りつぶし、広がってゆく光景があった。

 あの中には恐らく…

 

「クックック…余興も十分」

 

 満足したように頷くと、主の間へと戻り座り直す。そして従者に再びレッドワインを要求した。

 

「今日は…楽しい夜になりそうね」


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