幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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霊夢視点から



表と裏の境界

 

 夢想天生はこの世のありとあらゆる事象から己を解き放ち、全てを宙に浮かせる博麗の秘技。

 誰であろうと破ることはできない。

 

 だが強力な技である故にリスクは付き物で…使用後はしばらく後遺症が残る。

 

 例えば夢の中で過ごすことが多くなることで睡眠時間が長くなったり、日常生活のふとしたところで意識が宙に浮きかけたりと色々だ。

 

 本来の夢想天生にはこのような後遺症が発生することは決して無いらしいのだが…どうも私は特別みたい。

 なまじ夢想天生が本来のものより強力なせいで思わぬ副産物が生まれている…と、紫は分析しているらしい。藍から聞いた。

 

 だが私からしてみればこれらよりももっと問題なのが、二度目からの夢想天生は時間制限付きになるということだ。

 最低2年の間隔を置かなければ、夢想天生は本来の効力を発揮できなくなってしまう。

 

 実際そのことを意識したことはあまりなかった。

 そんな定期的に使わないから奥義であるわけだし、そこまで追い詰められたのは余興で始めた魔理沙との10日間弾幕模擬戦の時だけだったから。

 

 レミリアも幽々子も、私が異変を解決してきた相手の中でもかなり特別な存在だった。

 その無慈悲なほどに強力な能力ゆえに。夢想天生を使わざる得なかったのだ。

 

 そして、()()()()よ。

 

 

 

 喪失感とともに私の体から輝きが失われ、色を取り戻してゆく。そしてすぐに黒へ、灰色へと染まってしまった。

 

 呪いが体中に纏わりつく。

 病魔のように心身を蝕み、私を冥土へと誘おうとしている。

 いくらあがいても動けない。漆黒に周りを塗りつぶされ、時間切れで浮くことすらもできなくなった。

 

 ああ……これが”死”なのかしら。

 だんだんと視界が狭まり、意識が遠のいてゆく。

 安らかで心地よい感触が体を撫でる。

 

 

 ……悔しいけど、このままでいいような気がしてきた。疲労がのしかかって、安息に心を委ねることを催促する。

 

 これだけ時間を稼げれば、藍たちが幻想郷と冥界の境目を塞ぐには十分だろう。私の最低限の仕事は終了したはず。

 

 

 意識を手放すと同時に結界が砕けた。

 遠くで魔理沙の叫び声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 走馬灯かしら?

 闇に沈んだ私の脳裏を、色々な情景が掠めては消えてゆく。脆弱な灯火のようで、かけがえのない思い出の日々。

 

 たくさんの異変を解決してきた。

 たくさんの繋がりを絶ってきた。

 たくさんの犠牲を払い、払わせてきた。

 

 ……たくさんの言葉を受け取った。

 

 紫……。

 魔理沙、アリス、藍、橙、……レミリア、咲夜にフラン。あと霖之助さんに文、そして……まあその他諸々の大勢。

 全員がホントに面倒臭くて、ことあるごとに何かと私に突っかかってきたっけ。……ああ、霖之助さんは違うか。

 

 なんにせよ、そんな毎日が私にとっては何よりもかけがえのないものだったのかもしれない。失う時になって、ようやくそのことが分かった。

 遅かったけど……最後に気付けてよかった。

 

 そういえば、この全員と知り合えたのは紫のおかげだった。あいつが関わったせいであいつらと知り合うことになってしまったのよね。

 あいつ、頻りに私に交友関係を作るように言ってきてたっけ。「繋がりを大切にしなさい」って。

 ……今思えばこれも全部紫の手引きだったのかしらね。

 

 ……最後の最後までワケが分からない奴。

 怪しくて、胡散臭くて、口からでまかせばっかで、そのくせ口煩くて、私のことをいつまでも子供扱いして。

 ……お節介で、居なくていい時に何処からともなく現れて、居て欲しい時に居てくれなくて、母親のようで。

 

 私が泣いている時は、いつもそっと寄り添ってくれた。笑いかけてくれた。

 

 紫は……私の────。

 

 

 

 

『霊夢、貴女はここで死ぬような子じゃないわ。こっちに来ちゃダメ、境界を踏み越えて。

 生きるのよ……生きて幸せを……幻想郷を───』

 

 

 

「…ッ!!」

 

 瞼を光が通過した。

 それと同時に身体中が熱くなってゆく。血が巡り、隅々まで自分のコントロール下へと戻っているようだ。

 

 そうよ、なんで私が死ぬ気になってるのよ。こんなところで死んでちゃ幻想郷中の笑い者じゃない!

 まだ今年は花見もしてないのよ!?こんなところで死んでたまるもんですか!

 それにまだ紫をしばいてないし。散々私を翻弄して、許さないんだから!

 

「うっ…ぐぅ……!」

 

 重い目蓋を抉じ開けて、鉛のような身体を持ち上げる。苦悶の声を漏らしてしまったが、大した怪我は無さそうだ。

 死の瀬戸際か。いい体験させて貰ったわ。だけどもう懲り懲りね。

 

 ふと横を見ると、巨大な枯れ木が突っ立っていた。木の幹には注連縄が巻かれ、漏れ出す妖気を完全に抑え込んでいる。

 

 間違いない……この木は西行妖ね。

 けどこの木はさっき私たちが木っ端微塵に吹き飛ばしてやったはず…。どうなっているの?ていうかどうやってあの呪いの靄を消したのかしら?

 

 状況がまったく読めなくて辺りを見回してみると、少し離れた場所に人だかりを見つけた。この異変に関わった全員がいるみたいね。

 ったく……逃げなさいって言ったでしょうに。ホント面倒臭い連中よねぇ。

 

 ……あら、紫までいるの?

 こりゃ手間が省けていいわね。紫をしばいた後に、西行妖が再生している理由を聞けばこの異変は終了だ。

 ああ、あとなんで幽々子に加担したのかも聞かなきゃいけないわね。そしてしばく。

 

 紫、アンタをボコボコのギッタンギッタンにしばいて、この異変は終わりよ!

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 消し去ったはずの西行妖が、映像を巻き戻しているように再生してゆく。

 その根元では意識を失った霊夢が項垂れていた。霊力の流れを視れば、しっかりと安定しているので命に別状はなさそうだ。

 

 西行妖に起きている不可解な現象の原因は一目見れば分かる。それは、西行妖へ手を翳している紫様に他ならない。

 

「紫……さ、ま?」

 

 橙から恐怖に似た呟きがこぼれた。

 この子にとって、このような感情体験は初めてのことなのかもしれない。

 私も頭がどうにかなりそうだ。

 

 どこまでも美しくて優しかった紫様の御顔は深い闇を湛えていた。

 左目や右腕が欠損しており、他にも体のいたるところが其処だけ空間を切り取ったかのように消え去っていた。そしてそれらを補うのは闇に蠢く隙間(スキマ)

 我が式に書き込まれた紫様の数式の力によって、お借りしている隙間(スキマ)とは系統も、格も、全てが一線を画している。

 

 

 

「はぁ……何年ぶりかしら」

 

 

 

 恐怖だ。

 私は、紫様に恐怖しか抱くことができなかった。

 

「……そう、こっちに居るのね」

 

 紫様はとある方向を視ると、空へ手を翳した。突然の行動に私を含めた全員の身が固まる。

 しかし私たちのリアクションとは裏腹に、何も起こることはない。

 紫様は何度か繰り返し虚空へと手を翳したが、結局何かが起こることは一度もなかった。

 

 アレは……恐らくスキマを開くモーションだった。紫様は移動用のスキマを開く際に一呼吸を入れる癖がある。その癖をたった今、私の前で見せたのだ。

 しかし、紫様はスキマを開かなかった。……いや、開けなかった。現に今も、紫様は虚空へとスキマを開こうとしている。

 

 紫様は一体何処へ行こうと……?しかもあんな……痛々しい、悍ましい身体で…。

 

 そうだ、早く紫様を止めよう!あんな状態で行動させるのは流石にマズそうだし、何より安静にさせなくては。

 

 意を決して紫様へとお声をかけた。

 

「紫様、その身体は?……い、いや今そのことは置いておきます。取り敢えず安静にしておいてください。私がすぐに身体の状態を調べますので……」

 

「……ああ藍」

 

 紫様が私へと焦点を合わせた。

 紅桔梗の右の瞳が私を映し、左の隙間が私を引き込むように深淵を覗かせる。

 その不気味さに思わず目を逸らしてしまった。

 紫様は軽く微笑んだ。

 

「いい所に居てくれたわ。この通り、今の私はかなり不安定なの。だから体の構成にストックしていたスキマを全部使っちゃったのよ。それで、情けないことにスキマを開くことすらもできない」

 

「は、はぁ……?」

 

「だからね、貴女に外の世界への道を開いて欲しいのよ。いきなりだけど」

 

 外の世界へ?またなんで急に……。

 紫様の要求に若干拍子抜けしながらも、その危険な申し出に気を取り直した。

 今の不安定な状態で外の世界に出られれば、その存在に異常をきたすかもしれない。私としては到底従うことなどできない。

 

「紫様…それはダメです。そんな身体で一体何をしようと言うのですか。安静にしていてください」

 

「あら、私の言いつけが聞けないのかしら?

 ……もう一度言うわ。”今すぐ”外の世界への道を開きなさい」

 

「ダメです!紫様の従者として……その命令に従うことは、できません!」

 

 チリチリと焼け付くような痛みが内側で燻る。主人の命令に逆らっているからだろう。

 普通ならば死ぬほどの痛みが流れるはずなのだが、紫様のご懇意によってこの程度の痛みに抑えられているのだ。不肖の至りである。

 紫様のご命令に従えぬことを心苦しげに思うが、背いてでも今の紫様を外の世界へ向かわせることはできない。

 

 紫様は右目を細めると、低い声音で語られた。

 

「そう……分かったわ」

 

「申し訳ございません。私は紫様が本当に心配で───!?」

 

 目の前が真っ暗になった。

 体中に肉が裂けるような激しい痛みが走り、地面に倒れこんだ。あまりの痛みに瞼の奥がチカチカとフラッシュを起こしている。

 

 何が……何が起きて……?

 

 五感が完全に麻痺する中、紫様の声だけが私の頭の中へと入ってゆく。

 

「何時から貴女はそんな生き物臭いことを言うような式になったの?たかが道具風情がくだらない妄言を……呆れるわね。昔の貴女はもっと生意気で、従順だったわ」

 

「あ、あぁっ……ぐぅ……!」

 

 体に浮遊感を感じる。ひとりでに手足が動き、十字架に架けられたようなポーズを取らされた。体はピクリとも動かず、目を僅かに開けることしかできない。

 紫様は私へと人差し指だけを向けていた。相変わらず美しい微笑を浮かべている。

 だけど、幽界の存在がそのまま目の前にいるような、違和感と恐怖を殺しきれない。

 

「さて、最後にもう一度だけ言うわ。”今すぐに”外の世界への道を開きなさい。私もね、使える道具は潰したくないのよ」

 

「……ダメ…です」

 

 震える声で答えた。

 たとえどう思われようと、紫様を危険へと向かわせるわけにはいかない。

 私は殺されてもいい。だからどうか……

 

「…まったく、使えない式。貴女は昔からそうよねぇ……私の足を引っ張ることしかできない。私が半端者は嫌いなこと、知ってるでしょう?」

 

「う……ぅ…」

 

 紫様は私から興味を無くされたのか、視線を外す。そして次に捉えたのは…橙だった。

 橙の肩が恐怖で跳ね上がったのが見える。

 

「橙。貴女は私たちがスキマを使う瞬間を誰よりも多く見てきたわよね。使い方自体は把握できていると思う。……今の貴女なら、『八雲』を得ることで使えるようになるんじゃあないかしら?」

 

「ひっ……ゃ…」

 

 橙には、八雲の名が与えられた後に私と同等のことができるようにプログラミングしてある。スキマを開くことも可能になるだろう。

 だけど、それはまだ機じゃない。橙にはまだまだ経験が足りてないのだから。

 

「止めてください、紫様…!」

 

 橙は……八雲の名を与えられることを夢見て日々厳しい鍛錬を重ねていたんです。いずれは私や紫様に認められる立派な式になりたいって。

 なのにこんな渡し方で橙の気持ちを踏みにじるなんて……あんまりじゃないですか。

 

 だけど紫様は私の制止に耳を傾けることなく、無慈悲に言い放った。

 

「貴女は今日より”八雲橙”よ。さあ外の世界へのスキマを開きなさい」

 

「わ、私……でも…」

 

「時間がないの、早くしなさい」

 

「わ、私じゃ無理です!そ、それに藍さまにこんな…なんで?優しい紫さまがこんな……」

 

 混乱する橙を他所に、紫様は心底うんざりするような表情を浮かべた。

 とても冷たい感じがする……。

 

「……仕方ないわねぇ。なら、無理にでも使えるようにしてあげるわ。暫くは私の言うことしか聞けないようになるけど」

 

「いや、やだ!止めて、紫さまっ!」

 

 紫様が橙へと手を伸ばした。橙に憑いてる式を強引に書き換えてしまうのだろうか。

 そして、橙を壊してでもスキマを開かせるつもりなのかもしれない。

 

 

 ================

 

 

「今日から貴女は私の家族よ」

 

「名前は、そうねぇ……。私からの愛を込めて、”藍”…なんてどうかしら?紫に準ずる、此方側の色よ」

 

「もう離れない。私たちの未来永劫続く繋がりは、途切れたりなんてしないんだから」

 

 

 

 

「ねえ、藍。橙は式としての役割は果たせずとも、十二分に最善を尽くしてくれたわ。

 だって橙は私の反対を押し切ってまで貴女の命令を守ろうとしたのよ?式としての判断は未熟でも、やったことに間違いはないわ。

 それに橙にも言えることだけど、私たちの繋がりは命令する、命令されるだけなんていうつまらない関係じゃないはずよ……そうでしょ?私と貴女は対等。ならば私と橙も対等よ。厳しいことばかり言わないで、少しばかりは褒めてあげて頂戴?」

 

「そんな悲しいことを言わないで?私たちは…家族なんだから」

 

 

 ================

 

 

 いつかのそんなやり取りを思い出した。

 紫様の一字一句が心に染みて、暖かい気持ちになってゆく。

 

 私が望んだ理想の紫様。

 それは今まさに目の前に居られる紫様のことを言うのだろう。

 

 

 

 それでも……違う。紫様じゃない。

 紫様はこんなこと絶対にしないから。だけど、目の前のお方は間違いなく紫様なんだ。

 

「……止めましょう?…紫様」

 

 体を縛りあげていた謎の拘束を無理矢理引きちぎって、自由を取り戻すと、一気に歩みを進めて紫様のボロボロの手を握った。

 橙を守るために。

 紫様を止めるために。

 

 

 

 紫様は繋いだ手と手と私の顔をゆっくり交互に見て、嬉しそうに優しく微笑まれた。

 

 ──ああ、間違いない。紫様なんだ。

 

 

 

 

「……貴女は式失格よ、藍」

 

 紫様が指で空をピンッと弾く。

 それと同時に体全体へ凄まじい衝撃が走った。

 

 勢いはそのまま反転して後ろに吹っ飛び、何が起きているのかも把握できずに地面へと叩きつけられ、引き摺られた。

 

 思考が薄れ、意識が暗転してゆく中、此方へ向ける霊夢の驚愕の表情が、妙に頭に残った。

 

 

 

 *◇*

 

 

 

 白玉楼の庭に深い溝が刻まれた。藍の姿は地中に埋もれて目視することができない。

 

 紫はそんな惨状を一瞥するだけに留まり、再び橙へと視線を戻す。

 しかし橙はその場から消えており、同時に紫の顳顬(こめかみ)へと熱を持った金属が押し付けられた。

 その金属は八卦炉、そして突きつけたのは黒白の魔法使い霧雨魔理沙。視線の隅では咲夜が時止めで回収した橙を抱えており、アリスと妖夢が油断なく構えていた。少し後方では幽々子が佇んでいる。

 

 全員に明確な敵意が芽生えていた。

 

「あらなぁに?まさか貴女たち全員が私を邪魔するの?……残念ね」

 

「お前……紫じゃないな?」

 

「フフッ…甚だしい妄言ですわ。私以外に八雲紫が存在し得るはずがないでしょう?」

 

「私の知ってるアイツはこんなに力をひけらかす奴じゃないんだがなぁ。……それに、式の扱い方としては”さっきのアレ”が適切なのかもしれんが、お前がそれをやるとどうも不自然に思える」

 

「……今まではその必要が無かっただけよ。だって藍が全て片をつけてくれたんですもの。だけどその藍がこんなに腑抜けてしまっているなら、少しばかり荒っぽくさせてもらわないと。

…さて──そろそろ、その物騒なものを私の頭から離してくれないかしら?時間も押してるの」

 

「そうはいかないぜ。今のお前はあまりにも不審すぎる。本当ならあの靄を消したことを褒めてやりたいところなんだがな。これまでの行動を見ると胡散臭いを通り越して危険だ」

 

 いつでもレーザーを放てる程度まで魔力を八卦炉へと過密させてゆく。マスタースパークとまではいかないが、冥界に巨大な穴を開けれる程度には威力のあるマジックレーザーである。

 しかし紫はそんな脅しも意に介さず、じっと手元を見つめていた。欠けた部位から覗く隙間がとても不気味だった。

 

「焦れったいわねぇ。私は時間がないって言ってるでしょうに……」

 

「お前の事情はどうでもいい。今は───」

 

 

 

 ──ぼとっ

 

 魔理沙の言葉が途切れた。

 地面に質量を持った何かが落ちる。

 

 

 それは()()()()()()()()()()だった。

 

「あ……え?はっ!?」

 

 腕に走った激痛に魔理沙は顔を歪ませ、腕を抑えた。酷い喪失感が纏わりつく。

 しかし触ってみると腕はしっかりとくっ付いているし、八卦炉もちゃんと握っている。血の一滴すら出ていない。

 だが確かに切られた痛みは感じたし、腕が落ちた瞬間も見た。幻覚かとも思ったが、アリスや咲夜の様子を見ると、彼女たちも目を見開いていた。

 

「な、にが……?」

 

 やはり自分は、先ほど腕を切断されたのだ。

 認識と現実の大きな誤差に揺れた魔理沙は、思わず後ろずさって尻もちをついてしまった。

 

「私の言うことを聞かなかったお仕置きよ。これに懲りたら大人しくしてなさい」

 

 混乱する魔理沙を紫は一蹴し、橙へと着実に歩みを進める。自らの目的を達成するために。己の孫とも言える存在を利用するために。

 

 しかし、瞬きと同時に紫の姿は消えた。

 否……金物に覆われて隠れたのだ。びっしりと隙間がない、繊維の織り込まれたカーペットのようにナイフが突き刺さっていた。

 やったのは勿論、完全で瀟洒な悪魔の従者、十六夜咲夜である。

 

 レミリアからの命令は『紫に一杯食わせること』

 しかし咲夜が今に行ったのは明らかな『八雲紫の惨殺』だった。

 確かに咲夜の紫に対する憎悪は深い。決してレミリアが紫と和解しようと、その禍根を完全に断つことは咲夜を持ってしても難しいのだ。

 

 だが、咲夜は別にやり過ぎたなどとは思っていない。むしろ、()()()()

 

 ナイフがスキマへと沈み込み、紫へと消えてゆく。当然の如く紫には傷一つない。

 

「…化け物ね。不気味で不吉」

 

「あら、化け物は貴女のところのお嬢様もでしょう?何を今更」

 

「お嬢様を貴女なんかと一緒にしないでいただきたいわね」

 

 口では軽く言い放つが、そんな可愛らしいものではない……というのが咲夜の率直な感想だ。

 これを聞けばレミリアは怒るだろう。しかし、自分の気持ちには嘘がつけなかった。

 

 すると紫はうんざりした表情を隠そうともせず咲夜へと手のひらを翳す。

 

 咲夜は警戒した。

 

 紫が手のひら、または指を相手に向けることによって藍は盛大に吹き飛び、魔理沙は腕が一時的に切断された。

 自分に対して何かのアクションを起こそうとしているのは確実だろう。

 

 

 だがその時が訪れることはなく、代わりにハッキリとした…しかしそこまで大きくない声が白玉楼に響いた。

 

「アンタ、なにをやってるの…?」

 

 霊夢だ。

 その傍らには傷だらけで意識のない藍が抱えられている。

 声音には困惑がありありと感じられた。

 

 博麗の勘が霊夢へと警鐘を鳴らす。

 目の前の異形の紫が、いつもの紫ではないことは一目瞭然だ。

 

「おかえり霊夢。これで全員が揃ったのね」

 

 霊夢の登場によって紫の気が逸れた。

 今までの自分の何らかの目的を達成することにしか意欲を見せていないようだった紫が、霊夢に注意を持ったのだ。

 

 

 そして、前触れもなく紫がふらついた。

 

 紫が粒子となって崩れてゆき、体の虫食い状態の規模がどんどん拡大しているのだ。そしてそれを補うために体をスキマがさらに埋めて構成する。

 

 

「うっ、くっ!……ふぅ、やっぱりあまり時間は無いのね。……はあ───」

 

 初めて焦ったような表情を浮かべた紫は、平静を取り戻すとすこしだけ俯向く。

 ぼそぼそと、小声で呟いた。

 

「……()()()()()()()、『───』」

 

 顔を上げた紫は光のない薄暗な瞳を周りに向けて、橙へ、場の各々へと視線を合わせる。

 

「私はただ外の世界に行きたいだけ、ただそれだけよ。それを拒むなら……もう容赦はできなくなってしまう。今の私には寛容さが足りていないから」

 

 その物言えぬ迫力に重圧が体を抑えつける。逆らってはいけないと無意識に心が求めている。だが同時に紫は胡散臭くもあった。どこからどこまでが本意であるのかが読み取れない。

 

「見たでしょう?私は藍でも容赦しなかった。たとえ相手が幽々子であっても、霊夢であっても、決して変わりはしない。───不要な異物は排除しないとねぇ」

 

 

 一番最初に声を出したのは幽々子だった。

 

「……ええ、私は観客に徹するわ。私たちの異変は終結してしまったし、外の世界へ行きたいならどうぞお好きに」

 

「わ、私に紫様を止める権利は御座いませんので……」

 

 幽々子が一番に言う。それに妖夢が続いた。

 紫を無二の友人として、はたまた紫を脅威と捉えての決断なのか、その腹の内は幽々子のみぞ知る。そんな主人の決定に従者である妖夢が逆らうわけにはいかないだろう。

 

 だが同時に、妖夢は幽々子の瞳から静かに、僅かに流れ出していた滴を見逃していなかった。

 その涙には様々な感情が込められていた。

 

 だが紫はそれに気づいたのか、気づいていないのか…納得した様子で頷いた。

 

「流石は私の友人とその従者、話が分かるわね。

それで……アリス、貴女はどうなの?ようやくの再会を棒に振って悪いけど」

 

「……私もここから先はノータッチよ。

私が望んでいたのは貴女との再会と会話。だけど、私が求めていた貴女は…今は居ないみたいね。なら私にもう用は無いわ」

 

 言葉からは、酷い悲しみと侮蔑が感じられた。

 アリスはそれだけを言うと、自分周りに魔法陣を展開して、そのまま霧のように消えてしまった。

 

 だが紫にしてみれば、これは非常に幸運なことだったのかもしれない。この中で敵に回して最も手がかかるのは、藍の次点でアリスだったからだ。

 

「さて。橙は除外して……これで残るは三人。貴女たちは……言わずもがな、かしら」

 

 ナイフを、八卦炉を、お祓い棒を紫へと向ける。

 殺意を、敵意を、懐疑を一斉に紫へ突き刺した。

 

「八雲紫…貴女を打倒せしめることが私の悲願であり、お嬢様の望み。貴女が力を発揮したところで、見逃す理由にはならない」

 

「一応こいつら(橙と藍)とは知った仲だからな。……藍が守ろうとしたんなら、私が守ってやる。あとついでに今のお前が気にくわないぜ。だからいつものお前に戻るまで、自慢の弾幕で頭を叩いてやるよ」

 

「何が何だかよく分からないけど…アンタをしばくことは最初から決めていたことだから。それでこの異変は終了よ」

 

 理由も動機も能力も全てがバラバラな三人。

 しかし彼女たちに共通するのは”人間”だと言う点。人間が、八雲紫に挑むのだ。

 

 非力で矮小、そして脆弱な人間。

 だがその存在は時に大いなる者を生み出し、さらには打ち倒す。穢れた地上で最も醜くく、そしてこの上なく美しい。

 それが人間だ。

 

 紫はそのことをよく理解している。だから彼女たちは最後まで自分に立ち向かってくるだろうと確信していたのだ。

 

「勇気ある貴女たちに挑戦権を与えましょう。この楽園で最も恐ろしくも儚い……人間と妖怪の境界を踏み越え、私へと挑みなさい」

 

 まるで自分の悲願を邪魔されるのが心底嬉しいような、喜色に満ちた声音。

 それとともにスキマが拡散して彼女たちを飲み込んだ。





妖溶無完結と言ったな?ありゃ嘘だすみませんごめんなさい!
次こそ完結のはず。

作者だってねぇ、早くゆかりん出したいんだよチクショウ!あと登場と同時に偽物呼ばわりされる紫様かわいそう。


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