幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:とるびす

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うどんちゃん「幻覚は脳内で起こる。つまり、幻覚は光速を越える!」←???




優曇愚鈍(前)

 永い。

 

 兎に角時間が流れるのが遅い。

 

 これで何度目の欠伸だろうかと、レミリアは溢れ出る吐息とともに噛み殺した。

 咲夜も瀟洒な佇まいこそ崩してはいないが、流石に飽き飽きしている様子でひっきりなしに周りを見回している。

 

 手首と足首には当然のように拘束具がはめ込まれている。これでは弾幕一つ展開することは愚か、寝返りを打つことすらままならない。しかし、レミリア達にとってもっとも厄介なのは、自分たちを閉じ込める檻だった。

 いや、檻は勿論頑丈で見るからに厄介そうな代物なのだが、それよりも目を惹くのがそれらを雁字搦めしている"紐"と思われる未知の物質である。

 

 先ほどまでレミリア達の監視に付いていたやけに上から目線の兎に詳しい概要を聞いたところ、兎は何故か得意げに聞いていないことまで語ってくれた。

 フェムトファイバーと呼ばれるその紐は、特別な構成により最強の硬度を誇る月の都自慢の一品だそうだ。さらにはおまけと言わんばかりにそのフェムトファイバーの周りに纏わり付くのは反重力粒子。これによりレミリア達にはフェムトファイバーに触れることすら叶わないのだ。

 

 その兎は先ほど何処かへと行ってしまい、レミリアと咲夜は広い空間に二人きりとなった。つまり、またとない脱出のチャンスである。

 ここに至るまでの状況は全てレミリアの計画通り。当然、この拘束から逃れる術も用意して然るべきなのだが……。

 

「それにしてもホント窮屈ねえ。二人も入れるんだからもうちょっと大きい牢を用意してくれてもいいのに、敵さんもケチだこと。ねぇ咲夜、ここの空間を広くできないかしら?」

「……お言葉ですがお嬢様、広くすることは確かに容易いのですが、それは牢から出ることでも事足りるのではありませんか?」

「うーん、無理でしょうね。私じゃこの拘束からは逃れられないわ。私に無理なんじゃ貴女にも無理でしょう? なら手筈はないわね」

「左様ですか」

 

 そう。この吸血鬼、おおまかなプランこそ用意していたものの、それに至る過程と方法を全く考慮していないのだ。

 一時期能力を意識的に封印していたかと思えば、今度は能力にかまけた立ち回りを繰り返すレミリア。咲夜を始めとした紅魔の従者達は大いに困惑していた。今回に関してはもはや、無為自然の境地ともいえるだろう。

 だがしかし、それでもレミリアは何だかんだで最高の結果をもたらすのだから敵わない。最高の実績と圧倒的自信から成るレミリアのカリスマは異変に敗れてもなお増していくばかりだ。

 

 

 ふと、咲夜との軽い談笑を楽しんでいたレミリアが微弱な反応を見せる。そして満足するように大きな笑みを浮かべるのだった。

 対して咲夜は温和な表情を崩していつもの鉄仮面へと顔を作り変える。

 

 運命が廻り始めた。

 

「見てごらんなさい妖夢。これが世にも珍しい吸血鬼と人間擬きの生簀よ。兎ばっかで目が肥えてたところでとんだサプライズねー」

「い、言い過ぎですよ。恐らく戦いに敗れて傷心しているこんな時にそのような事を言われては、彼方も立つ瀬がないじゃないですか!」

 

 ふらりと現れたのは西行寺幽々子と魂魄妖夢のあの世コンビだった。幽々子の煽りには勿論イラついたが、紅魔の主従ペアにとっては妖夢の天然擁護の方がどちらかというと気に障った。

 普段であればすぐにでも叩きのめしてやるところだ。しかし今は状況が状況なのでグッと我慢。世に言う大人の対応である。

 

「その様子だと正面から入って来たみたいね。もしかして兎どもを皆殺しにでもしたの? それなら納得がいくのだけど……」

「食材は活きが命。無闇矢鱈に殺生を行うつもりは毛頭ないわ。それに兎にはちらほらとしか遭遇しなかったのよねぇ。しかも私たちに気付かないで何処かに行っちゃうんですもの。紫から聴いてる話と違っててガッカリしてるところだったのよ」

 

 なお、この両者が知る由はないのだが、幽々子が兎達に遭遇しなかったのには理由がある。それはひとえに兎達の索敵方法にとある欠陥があったからだ。

 月の技術を流用して作られた『穢身探知機』は文字通り穢れを元に相手を探知する。

 その精度に狂いはないのだが、反面穢れを持たない者には悉く無力となる。浄土の人間である幽々子と妖夢は穢れが軽微であった故に、兎たちの目に止まる事がなかった。

 

 

 さてここで幽々子達が現れたのは消して偶然ではないはず。つまりこれもレミリアの能力による導きの一つなのだろう。

 ならば言うことはただ一つ。

 

「そこの半人半霊の剣士さん、お願いがあるわ。貴女の謳い文句の通り『この決して斬ることのできない紐』を斬って見せてはくれないかしら? ふふ……貴女の実力を見込んでの頼みだけども」

「絶対に……斬れない…っ!?」

 

 楼観剣に手を伸ばした妖夢だったが、それは直前で幽々子によって制止される。

 

「扱い易さ全一といえどそれだけの言葉で妖夢を操るなんて、流石は吸血鬼……と言ったところかしら。催眠術にも長けてるのね」

「吸血鬼だからじゃない、"私"だからさ。まあそこのひよっこ剣士は特別暗示にかかりやすい性分みたいだけどねぇ」

「えっ、えっ? どういうことです?」

 

 数瞬、刹那の駆け引きを生業とする妖夢は、他の少女達に比べて五感の発達が著しい。それこそ、体術において他の種族の追随を許さないレミリアに匹敵するほどだろう。

 しかしそれ故に催眠や暗示といった五感を利用される戦法には滅法弱いのが常であり、妖夢もまたその例に漏れない。それどころか豊かな感受性によってその弱点を尚更引き立ててしまっているのが現状なのである。(なおレミリアの催眠に対する耐性は頗る高い)

 

「さてどうしましょう。助けてあげても後が面倒臭いだけだし、紫もそっちの方が喜びそうよねぇ。それともこのまま家まで持って帰って観賞用に飼うことにしましょうか」

「それの世話役って私になるんですかね?」

 

 好き勝手言いまくる幽々子に、ついに、と言うべきか。手首の拘束具を引きちぎった咲夜がナイフを指の間に挟み込み威嚇した。次に下手なことを言えば咲夜は躊躇いもなく幽々子の眉間にナイフを突き立てるだろう。効くかどうかはともかくとして。

 

 一方のレミリアも神妙な顔で幽々子と妖夢を見ていた。懇願すればこの主従は直ぐにでも自分たちを助けてくれるだろう。しかし面白いことには目が無いあの亡霊のことだ、必ず屈辱的な対価を突き付けてくるはず。

 勿論、レミリアも咲夜もそれに乗るつもりはない。だからこそ……。

 

「──『貸し一つ』……これでどう?」

 

 レミリアは妥協案を提示した。

 貴族社会における『貸し』とは、世俗的なそれよりも遥かに強い拘束力を有する。恩を着せるというのはそういうことだ。

 それを知ってか知らずか、幽々子は途端に神妙な面持ちになると、地に足を付けレミリアと向かい合った。従者二人がその様子を見守る。

 

 そして緊張の糸は幽々子の手によって切られることとなった。

 

「妖夢、目の前の矛盾に立つ永遠……貴女に斬ることが出来るかしら?」

「はい!」

 

 妖夢は鞘に刀を収めながら言った。

 

「斬りました!」

「あら随分とあっさり」

 

 レミリアと咲夜を苦しめた檻と縄は容易く斬り裂かれ、大きな音を立てながら床に転がった。

 この結果にはレミリアも苦笑い。咲夜は訝しむ視線を妖夢へと向ける。

 

「ええ、以前までの私ならこんな事を為すのは不可能だったかもしれません。しかし十六夜咲夜……貴女に勝ちたいが為に己の全てを逐一見直し、技術を昇華させたのです。もし今後戦り合うことがあるのならば、次こそは無限の螺旋時空ごと貴女を斬り捨てて見せましょう」

「へぇ面白いやつね、気に入ったわ。西行寺幽々子、こいつを貰ってもいいかしら?」

「なら今すぐ昇天させて私が貴女ごと丸々雇ってあげるわよ。それでいいなら」

 

 交渉決裂である。

 

 実のところ、レミリアは妖夢に大きな期待を抱いてはいなかった。もしも彼女で無理だったなら紫と霊夢の到着まで待つつもりであったし、それでもダメなら自分が無理矢理にでもなんとかするしかないと腹を括っていた。

 だが結果として、あの時(春雪異変)に咲夜を送り出したことによって、巡り巡った恩恵として事が上手く運んだ。そう、計算通りだ。

 

「すまないね。それじゃ、これで貸し借りは無しってことでよろしく。異変の時に咲夜が貴女を助けたことの件はこれでチャラよ」

「……そんなことだろうと思ったわ。私がそういう考えに至ることもお得意様の?」

「ふふ、運命の導くままよ」

 

 そう、計算通りなのだ。

 

 やはり運命というものは、げに面白い。大きな唸りは変幻自在に形を在り方を変容させながらも、最後に到達するのはただ一つの結果。

 その結果さえを崩さなければ如何様にでも未来を変えることはできる。

 

 だからこそ、レミリアは気に食わない。

 この先に訪れるであろう()()()()()()()()()を何もせずに迎えるのは、彼女のプライドが許すところではなかった。

 でなきゃ、なんでわざわざこんな回りくどいことを進んでやらねばならないのか、その意味すら曖昧になってしまうではないか。

 

 

 かつて幻想郷に仇なした4人が並び立つ。

 胸中に秘める想いは勢力・主従の各々違えど、目的は完全に統一されている。

 

 月を楽しむため。

 そして大切に思う者への奉仕、または助力として恩に報いるために。

 

 だが、その歩みは一歩目からダダ滑り。

 

「ではこれよりここ(永遠亭)の探索を行うわけですが……一応の協力体制を敷く、ということでよろしいのでしょうか……?」

「私が手を組むですって? ふふ、残念だけどお呼びじゃないわね。黒幕の相手は私達だけで十分だから貴女達は外で兎と戯れてるといいわ。大好きな八雲紫もいるわよ?」

「助けられた身で随分と調子のいいこと。私だったらそんな図々しい態度を取るなんて恥ずかしいことできないわー」

「好き勝手言うのもここまでにしてもらおうかしら。お嬢様は親切にも『足手纏いだから帰れ』とのことを遠回しに仰っているのです。貴女達の出番はないわ」

 

 絶望的なまでに噛み合わない二勢力。萃夢異変以来の和解はあっという間に崩れ、一触即発の雰囲気が辺りに充満する。

 目的は一緒でもレミリアと幽々子という二大巨頭が手を携えるというのはあり得ない話で。さらには従者同士の拗れた関係がそれに拍車を掛けている。

 もしも紫がこの場にいたのなら、存分に胃を痛めていたことだろう。彼女は幸運だ。

 

 

 そこに割り込む空を切る音。

 即座に反応した妖夢と咲夜が各々の獲物を引き抜き、散弾として向かうそれらを叩き斬る。

 

 鉄のような手ごたえを感じたが、弾丸は霧散し消えてしまった。正体は高密度の妖力で作られた弾幕であり、レミリアの魔眼にはこの弾幕に含まれていた"狂気"が写っていた。

 体内に入れば、妖力によりなんらかの細工が成される事は一目瞭然だ。

 

「はーっはっはー! 遅かったわね地上の穢れた囚人に有象無象ども! 全ての扉の封印はたった今完了したわ! 後はあなた達を叩き潰して今宵の出来事を葬れば万事解決よ!」

「あっ帰ってきた」

 

 そして迎撃する側とは思えないほど仰々しく登場したのは、これまでの兎とは雰囲気の違う、桃色の髪を腰まで流すブレザー兎。

 気配は一切なかった。つまりこの兎はレミリアや妖夢を欺くほどの高度な隠密スキルを有しているということ。

 しかし、そんな圧倒的優位な立場にあったにも関わらず姿を現したのは、大いなる自信によるものだろうか。

 

 さらにその傍にはその頭一つ低い兎が気怠そうな面持ちで様子を伺っている。衣服の乱れ、頬や腕に絆創膏を貼っていることから手負いの状態であることが判る。

 幽々子達とは双方ともに初対面だが、レミリア達との対面は二度目だ。

 

「あら変わった兎たちね。親玉かしら?」

「特別に名乗ってあげましょう。我が名は鈴仙・優曇華院・イナバ! 高貴なる玉兎最強の戦士にして、月の賢者の直弟子なり! ……ほらアンタも」

「……どーも幻想郷の賢者やってる因幡てゐです」

 

「ふふふ……一人で楽しそうねぇ。妖夢と良いお友達になれそう」

「な、なんでですか? 敵ですよ?」

「痛々しいノリがなんとなくね」

 

 妖夢からしてみれば誠に遺憾な話である。そして鈴仙もまた、地上人と一緒くたにされたことに強烈な不快感を示していた。

 

「どうやらまだ格の違いが分かっていないみたいね。もはやお前たちの生殺与奪は私が握っているも同然だと言うのに……気楽だこと」

 

 地上の兎へと身を堕とした鈴仙ではあるが、出自は高貴なる月の大地。生まれも育ちも、況してや存在の格そのものが地上の民とは違うのだ。

 豚と一緒にされて喜ぶ人間など何処に居ようか。プライドまで失くしては、鈴仙を鈴仙たらしめるモノは崩れ去ってしまう。

 

 故郷と仲間を捨てたのだ。挙句に自分を捨てる事などあってたまるものか!

 

「ふふん、どんな手を使ってあの拘束から抜け出したのかは知らないけど、今から檻の中に戻るなら見逃してあげても良くてよ?」

「よし咲夜、あいつを縛るわよ。檻の中で受けた屈辱を百倍にして返す」

「かしこまりました」

 

 そしてプライドを傷付けられたのはこちらも同じ事だ。檻に収監されている間さんざん詰られた恨み、いま晴らさずしていつ晴らす?

 

 レミリアの独断専行は気に入らないが、障壁を相手してくれるなら好都合である。

 幽々子と妖夢は黒幕の元へ向かうべく、行動を開始しようと歩みを始めた。

 

 だがそれは、中止せざるを得なくなる。

 

「あら、お迎えかと思ったらただの迷い妖怪と亡霊? まあ、お迎えが来れる筈ないけど」

「ちょっ!? まだ負けてませんよ師匠!」

「様子を見に来ただけよ。貴女と……てゐのね」

 

 

「また変なのが出てきましたね。手持ち無沙汰なことですし、どうしますか幽々子様」

「見たところあれが黒幕。倒さないわけにはいかないわよねぇ。さあ妖夢、目の前の愚者を斬ってしまいなさい」

「今日は無茶振りが続くなぁ」

 

 軽く愚痴りつつも油断なく居合いの構えを取り、容赦なく敵意と威圧を目の前の敵達へとぶつける。殺気を織り交ぜたそれはまさに無刀の一閃。

 首に刃を当てられるよりも、間近に感じる死の気配。死をぶつけられたからこそ分かる生への執着。それがさらに死を感じさせるスパイラル。

 しかし、それに反応したのは鈴仙一人だけであった。てゐと月の賢者は妖夢を見向きもしなかった。……いや、正確に言うと、てゐは見向きができなかった。

 

「てゐ、今回の韜略は失敗に終わったようね。あなたともあろう者が失敗(しくじ)るなんて珍しい。現状の報告を手短にお願いするわ」

「……どうも身が乗らなくてさ。今日の私にはあんまり期待しない方がいいかも」

「そうかしら。私はそうは思わないけど」

 

 軽く言い放つと同時に手に持つ矢じりをてゐへと差し向ける。賢者の行為は好意で受け取れるものではなく、おおよそ味方に向けるものではない。

 突然の仲間割れにレミリアたちは勿論、鈴仙ですら身を固まらせるほどだった。

 一見大したことないように思える矢じりだが、この場にいる全員が本能的に感じ取っていた。アレを喰らえばタダでは済まないことを。

 

 懐疑と威圧がてゐへと重くのしかかる。

 流石のてゐも身動ぎ一つ取れないようだった。

 

「まさか此の期に及んで輝夜を裏切る、若しくは、()()()()()()()なんてことは無いと、是非とも思わせて欲しいわね」

「……私がいつ裏切ったって? こんな簡単な損得勘定もできないほど落ちぶれた覚えはないよ。何にせよ考えられることはただ一つでしょ」

 

 てゐがおもむろに指差したのは本来現れる計算ではなかった侵入者たち。つまり幻想郷の力が、月と地上の賢者の思惑に支障をきたしたということ。てゐからしてみれば不思議でもない話。

 

 だが、月の賢者からしてみれば頗る不本意だ。

 彼女からしてみればそれは、てゐの裏切り行為に他ならないのだから。

 

 訝しむ表情はそのままに賢者は次なる対策の為、思考を切り替えた。

 

「……まあいいわ。取り敢えずこの場の対処はうどんげに一任します。当初の予定通り、私とてゐはそれぞれ持ち場に戻りましょう」

「ら、了解(ラジャー)!」

「…りょーかい」

 

 結局月の賢者は最後までレミリアや幽々子達のことを一瞥もすることなく現れた襖から姿を消し、てゐもまた別方向へと駆け出して逃亡する。

 勿論、彼女らに相対していた妖夢がそれを看過できるはずもなく、追撃を仕掛けるべく刀の柄に手を当てる。

 

 しかし、それはレミリアによって遮られた。

 

「悪いがあいつは私が貰う。貴女たちにはあの兎の相手を頼みたい」

「……そっちの都合で振り回すのもいい加減にしてくれないかしら。私は貴女の部下じゃないのよ?」

 

 過ぎる我が儘に幽々子が呆れたように言う。だがそれでもすぐに断らないのを見るに、幽々子自身も何か思うところがあるようだった。

 その一因は、先程までとは打って変わったレミリアの雰囲気にある。傲慢ながらも余裕を一切消し去った、らしくない面持ち。

 

「今度こそ『貸し一つ』だ。親友の為を思うのなら、是非とも私に任せてちょうだい」

「親友……紫の?」

 

 少しして幽々子は気付く。この吸血鬼、やはりただのパリピ蝙蝠ではないようだ。

 実際にこの展開が紫にどう繋がるのかは今のところ検討もつかないが、その名が出てきてしまっては幽々子の取ることのできる行動は限られてしまう。

 もはや答えを待たずして選択肢は定まってしまった。狡猾で大胆な手段である。

 

 大きな溜息が込み上げる。

 

「そうねぇ……。それじゃあこれからは催しをやる時は私達にも招待状を出してちょうだいね。美味しい物を用意してないと許さないんだから」

「あらそんなのでいいのかしら。ふふ、ならちょうど良かったわね。この後うちで異変解決パーティをやる予定だからいらっしゃいな」

 

 クセの強い二人ではあるが、切り替えの早さは流石というべきか。即座に敵のシャッフルを行い役割分担を構築する。

 妖夢は殺気の方向を鈴仙に変更し、レミリアは一気に加速して行く先の扉を魔爪で薙ぎ払う。

 

「あいつだけは私達の手で仕留めるわよ咲夜! 五分でケリをつける!」

「……! かしこまりました」

 

「みすみす師匠を追わせるわけがないでしょうが! 粉微塵に消し飛べ……!」

 

 狂気の紅い瞳が輝きを強める。

 ルビライトの眼光が辺りを照らすと同時に、凄まじい破断の音が響き渡る。そして禍々しい朱色の空間が一面を塗り潰していく。

 

 が、それらはレミリアと咲夜に到達するよりも先に霧散。白銀の剣閃によって絶ち斬られた。刹那の居合も空を斬ることも、妖夢には赤子の手を捻るより容易い。

 

「なっ……そ、そんなバカな!? 光の崩壊と同じ速度に付いて来るの!?」

「至極単純な話……私はそれよりも早く斬ることができる。たったそれだけの理由!」

「ま、まさか地上に依姫様と同じ事ができる奴がいるなんて! そんなの聞いていないんだけど……!

 

 この分では飛び道具も斬り落とされてしまうのがオチだろう。ならば一旦ここは戦闘を有耶無耶にしつつ連中の追跡を───。

 

 と、考えていた矢先に退路が大量の蝶弾幕によって覆い尽くされた。美しき檻に隔離された鈴仙は思わず息を詰まらせた。

 四季色に揺めき漂う優美な蝶々。その中に内包される濃密な"嫌な波長"は、レミリアと咲夜への追跡を諦めさせるには十分過ぎる。

 

 ここで鈴仙は漸く気付いた。

 この幽霊たちは、背を見せながら対応できるような甘い相手ではないことに。

 そして、自分の生命を脅かしかねない稀有で危険な存在であることに。

 

「ぐぬぅ……へ、へえ? 地上にも中々骨のある奴がいたみたいね。まあ、それでも私の圧倒的優位は揺るがない! 地上人の分際で下手に半端な力を手にしたこと、後悔するといい!」

「幽々子様は下がってください! 私一人でカタをつけてみせますから!」

「頑張れ妖夢〜」

 

 

 

 

 

 

「お嬢様。一体、何が見えているのですか? そろそろ種明かしのほどを……」

「この異変は全てが奇妙なバランスの上に成り立っている。前例がないから断定はできないけど、これは恐らくかなり稀なことよ」

 

 レミリアの能力、因幡てゐの能力、何者かの干渉や手引きに茶々入れ、そして毎度想定外のイレギュラーを引き起こす八雲紫。

 それら全ての思惑と運命が複雑に絡み合い、幾つもの未来へと分裂する事態に陥っている。はっきり言って異常な現象。

 

 だけど、収束点はただ一つ。

 そこからは一直線だ。

 

 幻想郷はレミリアにとって漸く見つけ出すことのできた最高の止まり木なのだ。フランの為にも、咲夜の為にも、決して失うわけにはいかない。

 

 そしてなにより、レミリアはあの月の賢者とやらに並ならぬ因縁を感じていた。

 それは一種の責任といえるものだろうか。

 

 霊夢や魔理沙、紫のお陰でついに辿り着いた答え。運命を操るばかりで気付かなかった。真に操られていたのはどっちだろう、と。

 そのことは能力を手に入れた時から心得ていた筈ではあったのだが、いざそれを自覚するにはレミリアはまだ幼かった。

 

 結果だけでは見えてこないものはこの世に多々ある。例えば自分の気持ち、例えば妹の気持ち。果てには従者のこと。

 

 自分の能力は運命を思うままに操るのではない。運命を選択する力なのだ。

 絶対者レミリア・スカーレットがそんな事も知らずにのうのうと生きてきた。そのことだけで腹が煮え繰り返る思いだ。

 

 期して訪れた予定通りの展開は、レミリアに残された最初で最後の名誉挽回のチャンスと言えよう。逃せばもう次はない。

 これより行われるのは運命の選択。そして、運命の決着である。

 

 レミリアは胸に手を当て、そして強く握りしめた。決意の強さと同じほどに。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

 我が式たちからの視線が熱すぎて今にも吐きそうな件について。なんだかこんな感覚も久方ぶりのように感じるけど、勿論懐かしくも好ましくもない。

 

 あの子たちの気持ちは分かるわ。それも痛いほどにね。だけども悪いのは断じて私ではないのだ! 断じて! てゐをみすみす逃してしまったのはもはや不可抗力という他ないのだから!

 

 というわけで藍に術の解呪を任せた私と橙は、片っ端から襖を蹴破って消えたてゐを探している。

 絶頂からのどん底ということで絶賛テンションだだ下がり中な私。襖を蹴破るのを純粋に楽しんでる橙を見習いたいところだ。

 

「ここか! ここかぁ!」

「このままじゃ埒があかないわね。てゐか玉兎が移動した痕跡でもあれば……」

 

 そう思ってあたりを見回してみるが、髪の毛一本落ちちゃいない。

 

「因幡てゐを連れ出した人物……紫様の言葉通りなら、そいつはかなりのヤリ手でしょうね。私と橙を欺いたこともそうですが、なにより恐ろしいのが痕跡どころか臭い一つすら残していない隠密技術。凄腕の傭兵か何かしょうか?」

「玉兎は月の実戦部隊。連中とは何度か手合わせしたことがあるけど、妖怪としての強さは地上の水準より遥か上だったわ。……やはり捨て置けないわね、月の都は」

 

 昔のことを思い出してちょっとぶるった。

 

 ここで一つゆかりん豆知識。

 私は動物が人並み以上には好きである。さとりと唯一共有できる認識がこれね。動物好きに悪い奴はいないなんて言葉が戯言だと分かるでしょう?

 ちなみにうちの家族構成にやたら妖獣が多いのはたまたまだと思う。

 

 ただね、私は烏と兎だけがどうしても好きになれないのだ。理由はね、多分その妖獣形態の親玉どもがロクでもない連中だからでしょうね。

 そう考えれば玉兎と八咫烏が対の存在なんて呼ばれていることに納得できるわ。天帝さんもさぞ苦労したんだろうとしみじみ思う。

 

 ていうかそもそも玉兎の連中にはこれまでに何回も殺されかけたからね。

 

 あー兎嫌い。妖怪兎嫌い。

 玉兎はもっともっと、もーっと嫌い!

 

「……! 紫様、動きがありました。どうやら何者かが術を構築し直しているようで、部屋の構造が著しく変化しています。これは──もはや我々以外の外からの侵入は難しいやもしれません」

「てゐを逃したおかげで侵入に気付かれたってところかしらね。退路は問題ない?」

「───くっ、申し訳ございません! 敵の方が私よりも数枚上手だったようです。たった今ほぼ完全に元の場所から隔離されました。脱出は今からでもおそらく可能でしょうが、再突入は今回よりも苦しくなるのは必至かと……」

 

 申し訳なさそうに藍が言う。

 いやいや、病み上がりというか死に上がりというか……兎に角そんな状態でよくここまで頑張ってくれたと思う。だって今の藍には右腕すらないんだもの、流石に無理をさせ過ぎたわ。

 

 彼女の言葉を確かめるべく私たちが入ってきた襖の先を確認してみたが、確かに先程までとは場所そのものが違うようだ。元々から迷路みたいなもんだから見分けがつきにくいんだけどね。

 スキマは問題なく開くが……移動の為の座標軸が完全に狂わされていて、移動に使うのは無理そうだ。小声でおっきーなに合図を送ってみたりもしたが反応は無し。……んー。

 

 やばくないかしら?

 これってもしかして退き際なんじゃ……。

 

「ただ術の根本の探知に成功しましたので因幡てゐの協力者──若しくはこの異変の黒幕が居る場所を割り出しています」

「それじゃあ! 早速殴り込みに……」

「落ち着きなさい橙、話はまだある。……またその副産物として拘束されていると思われる紅魔館の連中と、どういうわけか幽々子様と妖夢の場所も割り出すことに成功いたしました。どうやら因幡てゐもその近くに居るようで……」

「中々差し迫った状況ね」

 

 勝ち確だと思ってた異変がいつの間にか混沌と化してるのはなんでなんでしょう? ちょっと頭が痛くなってきちゃった……。

 正直な話、勝ち確じゃなくなってしまった事により私の戦意は著しく低下している。つまり取るべき行動戦術は逃走なのだ。

 

 だけど、幽々子と妖夢がここに居るですって? しかもレミリアたちも一緒に?

 はい、嫌な予感しかしませんね本当にありがとうございました。かつて異変を起こした二人が揃い踏みして何を企んでるの……? 幽々子は兎も角として、レミリアが私に手を貸すなんて考えられないし……これは最悪のケースも考えられるのでは?

 

 もしもレミリアがてゐ側に寝返る事態に発展しているのなら、なんとしても幽々子と合流して協力を要請しないと!

 ゆかりん的格付けチェックでは幽々子とレミリアはほぼ互角、若しくは幽々子有利と見ている。つまり合計戦力はイーブンイーブン!

 

「……そうね。幽々子を経由してその術者の元へと向かいましょうか。藍がこんな状態なのに最終決戦を挑もうとしたのは、正直失策だったわ」

「も、申し訳ございません」

「ああ、責めてるんじゃないのよ。どちらかと言うと……自分への不甲斐なさ、かしらね。私が弱いからいつも貴女に押し付けてばかりで」

 

「そんな滅相も無い! 私としての理想の形は紫様にお手を煩わせないことで、あって──……だからわざわざ私に……、あれ…?」

「え?」

 

 藍の素っ頓狂な声。そして確かな困惑の色。

 私もまた、藍の言葉から微量の違和感を感じた。

 

 互いの言葉の端々から感じる深刻なすれ違い。何故か私と藍の間に何らかの意識の齟齬が生じているようだった。

 二人で首をかしげる。

 

「……」

「……?」

 

「紫様、藍様! はやく行きましょうよ!」

 

 橙の声でハッとした。

 そうよ、こんな事で時間を潰している場合じゃ無いわ! 刻一刻と情勢が変化している。私たちがそれに置いていかれるわけにはいかないでしょう!

 

 

 

 

 

 

 道順が判っていれば自ずと進むスピードや効率も上がるというもので、幽々子の元に辿り着くのにそれほど時間は使わなかった。

 この短縮できた時間を有効に使わなければならない……んだけど、目の前のおかしな光景に思わず立ち止まって目を見開いてしまった。

 

 やけに興奮しながら何もない場所を繰り返し斬り続ける妖夢。目が血走っていて、泡を吹きながら何事かを喚き散らしている。

 そしてそのうしろでけらけら笑いながら妖夢に語りかける半透明の玉兎。

 そしてトドメには、彼女らとは関係ないと言わんばかりに床に座り込んで楽しそうに見物する幽々子である。低みからの高みの見物といったところか。

 

「あら紫じゃない。てっきりまだ外でやってるのかと思ってたわ。そっちは……順調ではなかったみたいだけど。藍ちゃん腕大丈夫?」

「大丈夫ではないですね。この通りですし」

 

 笑いながら消し飛んだ腕の先を見せる藍。私から見れば紛うことなき狂気であるが、彼女らにとっては擦りむいた程度の認識なのかもしれない。

 いやそれよりも妖夢よ! 戦況は明らかに劣勢……体中傷だらけで、どう言うわけか見当違いの方向を攻撃し続けている。

 

 と、藍と橙に援護をお願いするよりも早く幽々子に静止された。妖夢の痛ぶられている姿を真剣に見つめている。

 

「ここは妖夢の晴れ舞台、手は出さずに応援だけに留めてちょうだいね」

「親バカ……でいいのかしらこれは」

 

 そう言えば幽々子からは妖夢の教育方針についてよく愚痴られたっけ。その結果がこれならこの八雲紫ドン引きである。

 前々から思ってたんだけど、幽々子って愛が変な方向に拗れてるよね? ヤンデレではないんだけど、天然腹黒っていうのかしら……。

 

 妖夢には悪いけど、保護者である幽々子にそう言われたんじゃ助けの手を差し伸べることはできないわね。なら声援だけでも!

 

「妖夢、そこを右に撫で斬りよ!」

「み…右ですか!?」

 

 困惑しながら放たれた剣筋が玉兎の頬を掠める。私を睥睨する紅い瞳がなんとも恐ろしいが、それよりも周りからの驚愕の視線の方が怖い。

 えっと……私いま変なことしたっけ? 「そこで右フック!」みたいな感じで声援を飛ばしただけなんだけど……。

 

「お言葉ですが紫様……どのようにしてアレを見分けたのですか……?」

「見分けたも何も、そこにいるでしょう?」

 

 玉兎を指差しても藍や橙は首をかしげるばかり。幽々子や戦闘中の妖夢も、頭にクエスチョンマークを浮かべている。

 あれれ、もしかして私にだけ見えちゃいけないものが見えてる感じの展開が再び? ちょっ、もうやめましょうよそういうの!

 

 やっぱり異変が終わった後は病院に行った方が良さそうね。うんそうしよう!

 

「地上人なんかに見破られるなんて、やっぱりおかしい。もしや月の関係者!? ……そこの妖怪名を名乗りなさい!」

「紫様! 次はどこを斬れば宜しいですか!?」

「もう。甘やかしちゃダメよ紫」

「……やはり紫様は──」

「流石です紫さま!」

「やっぱ変な奴だよお前」

 

 ちょ、一人ずつ話してくれないかしら!? 聖徳太子じゃあるまいし! 四方八方なら声かけられちゃ混乱するわよ。

 

 ……ん? 四方?

 深刻なデジャヴを感じるとともに振り返ると、あの兎が予想通りと言うべきか、杵を振りかぶって私の頭へと振り下ろして……──

 

 

 ──っぶねぇ!?

 半ばブリッジの体勢になりながら、鼻を高速で掠めた。謎の好調が無ければ即死だった!

 

 藍が即座に捕縛にかかる。しかし流石はてゐと言うべきか、右腕が無い手薄の場所へと身体を滑り込ませて藍を躱す。いつ見ても神がかってる回避である。

 

 そして向かうは勿論私の場所。狙うは私の脳天ただ一つ。今日何度目かの命に差し迫る危機。手に携えた血濡れの杵が鈍く紅明としていた。

 

 私は死を覚悟した、が。

 

 み、見えた……見えたわ! 最初は視認することすらできなかったてゐの動きが、まるで手に取るように分かった!

 藍たちに見えなかったものが見えたりといい、この動体視力の向上といい! まさかついに目覚めの時が来たというの!? ニュータイプ八雲紫の誕生が!

 

 フハハ! 見える、見えるぞぉ!

 眼前に迫る横薙ぎの一撃を隙間でブロック! よもやこんなカッコいい戦い方ができる日が来ようなんて夢でしか思ってなかった。

 今までありがとうドレミー! 私はとうとう都合のいい夢から卒業する日が来たのよ!

 

「やっぱ無理か。……そっちは任せたよ鈴仙!」

 

 そう叫ぶとてゐは一目散に逃走を開始。それを見た幽々子が退路を蝶弾幕で潰しにかかるが、幸運補正あってか、するりと通り抜けてしまった。

 そう何度も逃げられてたまるもんですか! 今度こそしっかり貴女を捕まえてこの異変は終了よ! さあ追跡開始……といきたいんだけど。

 

「幽々子、これじゃあ先へ進むことができないわ」

「ええ。進めないようにしてるんですもの」

 

 てゐが潜り抜けた後も幽々子の蝶弾幕はその場に留まり続けていた。つまり、私の為に道を開けたくない、ということだ。

 幽々子の蝶弾幕は一つ一つが掠るだけで命を持っていくヤベェ弾幕、てゐみたいに間を縫って…なんて真似は絶対したくない。

 幽々ダラボッチ怖いです。

 

「私の予感が正しければこの先に待ち受けるのは、おそらく無限死地の坩堝。あの素兎が用意してるのは幸せなんかじゃない……そうでしょう?」

「まあ身に染みてるわね」

「紫……まだ死ぬには早いわよ」

 

 不吉なこと言わないでよぉ。せっかく自信がついてそういう恐怖全部乗り越えることができてたのにぃ……! また怖くなってきたじゃないの!

 けどここでてゐを捕まえなきゃ、夜が明けることはない。幻想郷を守らなきゃ! なけなしの勇気を振り絞れ八雲紫!

 

「前にも言ったじゃない。『私が生きている事こそ、貴女がこの世に生きていた確かな証拠』なんだって。大丈夫、貴女をこれ以上死なせたりなんてしない。それに私も命が惜しいですし?」

「……卑怯よね紫もレミリアも。私に反対すら言わせてくれないんだから。……もし死ぬなら、その時は私の目の前にしてちょうだいね。妖夢の方が終わり次第すぐに向かうから」

 

 呆れながらも、どこか嬉しそうな様子で幽々子は言った。そして蝶弾幕は眼前で消え去り、通路が拓けた。

 貴女の声援(?)確かに受け取ったわ!

 

 

 いざ我ら八雲三人で駆け出し──置いて行かれそうになったのでスピードを落としてもらった。じっくり行きましょう! うん!

 

「紫様。奴の狙いは協力者との合流にあるようです。走っている方向が術者の場所と完全に一致しています。もう距離は然程もございませんが……誘導されていますね」

「逆に考えればついに諸共追い詰めた、ということね。さあ、さっさと異変なんて解決させてみんなでお月見と興じましょう」

 

 そう、本来の目的は月見にあるのだ。橙がこっちをチラチラ見ていたので「もちろん貴女もいらっしゃい」と声をかけてあげた。そういえば橙には月見のことを言ってなかったっけ。

 

 と、前方にてゐの姿が見えた。

 この建物内で今まで見た中でも特に大きな襖を背に、私たちと向き合う形になる。

 なるほど……そこに協力者、若しくは異変の黒幕がいるってわけね。

 

「年貢の納め時よ、てゐ。これにて異変を終わりとしましょう」

「そうだね。私ももう腹を括った。……ここからが正念場さ」

 

 てゐの言葉から交戦の意を感じたのだろう。藍と橙が妖力を漲らせ、臨界体制を取る。だがその一方で私は、勿論藍と橙も、並ならぬ違和感を感じた。

 言葉とは裏腹にてゐから全くと言っていいほど闘志を感じない。言動と雰囲気が一致しないのはてゐの常ではあるが、今回はまさに顕著だった。

 

 さらにおかしいのが、不自然な想いの強さ。

 一体、何を決意しているの?

 

「紫。私はお前を殺したいとは思っていないわ。例え相入れぬ存在同士であったとしても、私はお前のことを結構信用してるんだ」

 

 これまでのケースを鑑みるにてゐの言葉に耳を傾け過ぎるのは危険。だけど何故だか今だけは、彼女の言う事を聞いてみたかった。

 

「私に未来を見通す力はない。同時に、未来を決定づける力もない。できるのはせいぜいポジティブに未来を考えるくらいの事だ。似たところで言えば、座敷わらしかな? 連中は幸運を呼び込むんじゃない、幸運に至る道順を知っているに過ぎないんだから」

 

 せせこましい能力だろうとてゐは言う。……つまり、てゐの能力の本質は未来を予測しつつ幸せを感じとる力ってことなのかしら。

 もし幸運のバイオリズムなんてものが実在するんなら、とっくの昔に藍の手によって解析されてそうなもんだけどね。

 

「つまりだよ、私たちは全員流されるままに生きているのさ。思い立った意思も、それに至る数奇な偶然も、全ては計画され、構築されたものに違いない。十億分の一なんて確率が存在し得るはずがなかったんだ」

 

 じわりと、汗が吹き出る。

 場の圧が数倍膨れ上がって、思わず呼吸が詰まる。思わず藍と橙の後ろまで後ずさった。

 

 

「だからさ、死なないでね、紫」

 

「は?」

 

 

 困惑の呟きは破砕音に掻き消えた。

 襖を突き破って人間の形をした物体がすぐそばの床に叩きつけられた。それは何度かバウンドし、慣性に引きづられながら動きを止めた。

 

 下半身だった。

 薄ピンクのフリル付きドレスを着ている奴なんてあいつぐらいしか思い浮かばない。

 誇り高き紅魔の主人、レミリア・スカーレット……その半身の、半身。

 もはや欠損と言えるレベルじゃない。少なくとも私に観れる範囲では、下半身のさらに半分しか認めることができないから。

 

 視線を戻すとてゐは居なかった。この混乱に乗じてまたもや逃げ果せたのだろう。

 だけど、今の私たちにはどうでもいいことだった。

 

 襖の奥に広がっていたのは、広々とした木張り床の一室。至る所が抉れたり焼き焦げたりしていて、直近での戦闘が行われていたことが想像できる。

 

 中央に佇むのは一人の()()。美しい銀髪を持ち、紺と赤から成る特殊なツートンカラーのナース服?を着こなす。

 少なくとも、私には彼女が妖怪にも人間にも、況してや神のような超常的なモノに見えなかった。敢えて例えるなら、機械や人形のような人間を形取ったレプリカ、とでも言おうか。

 

 その前に膝をつく十六夜咲夜。そして彼女に抱えられたレミリアのもう半身。彼女と咲夜たちの間には幾多もの肉片が転がっている。

 

 なによ……これ……。

 

 

「参ったわね。まさかここにきて計画に狂いが生じるなんて。はっきり言って、想定外」

 

 起伏のない声が響き渡る。

 

「抜本的な問題じゃない。前提条件からして成り立つ筈のない計画を練らされるなんて、斯様な屈辱は何世紀ぶりかしら。貴女たちもそうだけど、何よりも許せないのは……」

 

 視線が私たちの背後へと向けられる。誰に怒っているのだろうか。

 

「……てゐに感謝することね。おかげでまんまと乗せられた私はこうして今日の今日まで行動を起こすことができなかった。もしここ(幻想郷)が貴女の手によって作られた箱庭だと判っていたなら、全ての事は既に終わっていたでしょう」

 

 私に向かって彼女は言う。

 ああ、そうか。なんで目の前の女性がこんなに恐ろしいのかが分かった。

 

 これまで数多の者たちと会ってきた中で殺意を向けられることは多々あった。ていうか今の知り合いたちにも一回は殺意をぶつけられてると思う。

 

 だが奴の殺意からは、感情を感じない。

 まるで今から行うことが自らの義務である、とでも考えているかのような不気味さ。

 

 ……そうか…!

 

「貴女、月人ね? それも相当古い部類の」

「ご名答、と言いたいところだけど、別に大したことではないでしょう? 貴女は既に私が何者であるか知っていた筈。八意──地上風に言うならば永琳の名は廃れたのかしら。好都合ではあるけれど……おかしいわね」

 

 やっぱりか!

 この妙に価値観がズレてる感じ、正しくそうだと思ったのよ! それならレミリアを千切って投げるこの強さにも説明がいくわ。なお八意永琳とかいう名前は初耳である。

 

 いや、だがいくら月人といえどレミリアをここまでできる奴なんてそういない筈だ。それこそあの最恐最悪の月人姉妹ほどでない限り。しかも彼女は私が知る中では……もしかすると……。

 

「レミリア──……この吸血鬼達にはほとほと手を焼いてまして。簡単に倒せるような者たちではないのだけれど、どんな手を使って追い詰めたのか、お聞かせ願えるかしら」

「手を使わなきゃいけないほどの妖怪だったかしらね? まあ、余計なことをしなきゃマトモな勝負になれたのかもしれないけど、使えない従者がいたのは彼方にとって不運なことだったのでしょう」

 

 言葉の端々から伝わってくるヤバイ奴の波動。ほんの片手間にレミリアとメイドを倒す奴なんて……どう形容すればいいのか分からない。

 

 よくよく見てみればレミリアとメイドの位置関係からして、まるでメイドを庇った後のように血痕が拡がっている。

 何があったのかはあくまで推測に過ぎないのだが、私の予想通りならそれは非常に喜ばしく、そして悲しい限りだ。

 

 レミリア……!

 

 

「最後に訊ねさせて貰うわ。貴女、本当に退くつもりはないのね? ──……いや、こと無粋な質問だったかしら。もはや不戦は───」

「ええ、成し得ない。月の賢者とも謳われしこの私が、況してや貴女(八雲紫)を見逃す手立てなどあるはずがない。見つけたからには……

 

──確実に、消す。全ては姫とそれに通ずる者の為に、私は冷酷になろう」

 

 レミリアや萃香のような叩きつける示威行為ではない、じっとりと私たちを諸共覆い尽くすような巨大な力。

 

 次元そのものが違う……! 幻想郷にだってこれほどの力を持った妖怪は、いないかもしれない。これまでの相手とは明らかに一線を画してる。

 

 こうなってしまっては私も腹を括るしかなくなった。ここから先はもはや異変解決ではない。幻想郷という枠を超えた──。

 

 私の生死を賭けた殺し合いだ。

 

 

 ……やるしかない!

 

「藍ッ! 橙ッ! ──この戦いに退転はないわ。私とともに戦ってちょうだい!」

「……この藍にお任せを」

「はい、勿論、ですっ!」

 

 藍は汗を流しながら、橙は震えながらも、私に付いてきてくれると言ってくれる。……ありがとう、二人とも。

 

 やってやる、やってやるわ!

 ぶっちゃけ凄く怖いし、お腹も痛い。泣いて逃げ出したいし、なんなら無条件降伏でもしながら命乞いがしたい。

 

 でも分かるのよ。

 私には戦うか、諦めるかしか選択肢はないのだ。

 月の奴を相手にした時、命取りになるのは妥協策を練ること。あっちは私を殺すことしか考えていないんだから、どんな条件を突きつけても納得するはずがないのだ。

 

 こんな状況でこんな奴と出くわすなんて、本当に運が悪いと思う。だが同時に幸運であったとも思えるのだ。

 だってこんなどでかい爆弾が竹林の奥に潜んでいたんですもの。そんなこともつゆ知らず、のうのうと暮らしていたのにちょっとした寒気を覚えるわ。

 

 こいつをこのまま幻想郷に置いておくにはリスクが高すぎる。ここでこの脅威を排除せずして、平穏など訪れるわけがない。

 

 やってやろうじゃないのよ! 逃げるばかりが私の戦い方ではないこと、見せてくれるわっ!

 

 八雲(主に式)の力、思い知れっ!




東方最強議論……長年不毛な諍いを生み出してきたその論議の頂点にかつて君臨していたという八意永琳という賢者。その実力や如何に

てゐちゃんの幸運については今回大まかに大切なことが三つだけ。

・うどんちゃんが死なずに済んだ
・ゆかりんがこのタイミングで永琳と邂逅できた
・永琳に殺されずに済んだ

今回の物語はてゐちゃんがMVPかもしれない


というかてゐちゃんレミリア姫様と色んな方が因果律系に介入しすぎてるせいで幻想郷の磁場時空が乱れる乱れる! なお他にも三人ほど介入してる模様

何をそんなに争うのか……
そりゃあ、八雲紫の調理の仕方でしょうよ

煮るか、焼くか、切るかの違い……でなければ、なんでこんな事をやってるんだい?






ここから先の東方原作は個人の見解によって解釈が異なるケースが多々発生します。なのでもし「この設定はどう理解してるの?」等の質問がある場合はどうぞ気軽にお願いします。核心に迫るモノ以外はなるべく簡単に答えさせていただきます

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