幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで   作:東方兎流陽寿

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ゆかりのち*

 

 

 藍はこれまでにない屈辱を感じていた。

 

 目の前にいて手の届かないもどかしさ。大切な者を救うことのできない無力さ。

 そして最愛の人を我が手で殺させようとした卑劣なやり方。全てが気にくわない。

 

 その焦燥、怒りもまた永琳の策略だった。

 

 感情の乗った攻撃など永琳の前では無力に等しい。全てが予測、誘導された結果である。先ほどの紫に対する楔もまた永琳の一計。

 紫と橙のどちらを撃ち抜いても今の趨勢には何の影響もない。結果として矢を受け倒れたのが橙であっただけの話で、紫の死期が少し伸びた、たったそれだけの些細なこと。

 むしろ目先の結果を度外視するのであればこちらの方がやりやすい。

 

 ただ一つ。永琳にとって懸念があるとすれば、不可解な八雲紫の言動である。

 なにやら妙な妖力を渦巻かせながら機を伺っているようだ。その規模からして永琳を死に至らしめる程のものには到底なりそうにないのだが、一体なにを企んでいる? 想定していた人物像とは大きく異なっていたこともあり、意識を削ぐに足る懸念だった。

 

 だが逆に言えば所詮その程度。

 

 無論、藍とて───。

 

 

「……あら?」

 

 接近戦を敢行していたはずの藍が不意に距離を取った。中遠距離は命取りだと先ほど学習したばかり……思慮が足りない訳ではあるまいに。

 ……何にせよ永琳はセオリーに従うだけ。

 

 弓に矢をつがえ、即死の攻撃を繰り返し放つ単純な作業。藍ならギリギリで反応して回避するだろう。だが、その繰り返しは確実に藍の心を追い詰める。

 弓矢による射撃の弱みは、次矢装填の遅さの他に矢の本数の限度がある。結局は長期戦、消耗戦は本来なら弓使いの得意とするところではない。

 しかし魔法を少し嗜んでいればその弱点は無いも同然である。空間魔法を駆使すれば即座に矢を手元に召喚することができるし、さらには管理の難しい毒を簡単に取り扱うことができる。

 

 終わりのない攻防という異常な時間は精神に尋常でない負担をかける。一刻の時間も惜しい藍の立場ならそれは尚更のことだろう。

 簡単に言うならば相手の『凡ミス』を誘う戦法。回りくどいことは永琳自身、そう思っている。だが彼女はこれがベストであると判断した。

 

 

 強いて永琳の失敗を挙げるなら、それは慢心と奢り、そして蔑視だろう。

 永琳が相手しているのは知能を持たぬ獣ではない。地上にて比類無きほどの計算能力を持った最強の妖獣であり、式神なのだ。

 

 得意の妖力操作により脚を最大まで強化し、跳躍。そのまま天井を足場に永琳へ飛び掛かった。勢いたるや天井を粉微塵に吹き飛ばすほど。

 さらにそのスピードは永琳の眼を持ってして完璧な判別を不可能にさせる。妖力タンクとなる九本の尻尾を推進力とした得意の回転飛行法である。

 

 すでに射撃体勢に入っていた永琳の一撃と、藍の回転が交差し───。

 

 

「九尾を舐めるなよ、原人が」

「……!」

 

 矢を破壊する。藍も傷付くが深手には程遠い。

 

 即座に回避行動を取ろうとするが、途端床から吹き出した呪力が永琳の身体を縫い付けた。藍や橙の得意とする不動陰陽縛りである。

 なるほど、闇雲に接近戦を挑んでいたわけじゃなかったようで、おそらくその時に攻撃を躱されながらも床に術式を描いていたのだろう。

 永琳は胸をぐちゃぐちゃに破壊されながらも、心の中で藍を敵ながらに賞賛した。

 

 夥しい量の血液が流れ落ち、どこの部位とも知れない肉片が床にぶちまけられた。藍の全てを込めた一撃は永琳の内臓を悉く破壊していた。

 後ろから紫の息を呑む声が聞こえる。

 

「獲った……な」

「───」

 

 勝利の悦楽を久方ぶりに感じる。

 記憶も朧げなほど昔の感覚……それを少しだけ取り戻したような気すらした。己の矜持への拘りを捨てきれていなかったのは、藍にとって望ましくないことではあるが、今はそれよりも達成感による高揚の方が優った。

 もしかしたら格上かもしれなかった相手を一瞬の隙を突いて始末することができた。紫との約束を守ることができた。そしてなにより、これで橙を救うことができる。

 

 ……嗚呼、なんと良いことづくめではないか。

 獰猛に弛緩しそうになる表情を抑えながら永琳の身体から失われる力に感じ入った。

 

「参ったわね……こんなところで、命を落とすのは、計算に……なかったのに……。ここで諸共、死のうってことかしら?」

「いいや、死ぬのは貴様だけだ。妖力の循環を傷口に集中させれば毒素を蒸散させることなど容易い。擦り傷じゃ私は殺せんよ」

 

 表皮だけならどのような猛毒も命に関わるほどの脅威にはならない。これは藍にとっても一種の賭けだったのだが、今回は藍の回転力が弓矢の貫通力を上回った。

 

 永琳の腕が力無く垂れ下がる。

 そして息も絶え絶えに辞世の句を告げた。

 

「そう……。なら……次は────ちゃんとこうやって刺さないといけませんね」

 

「っ!!? 貴様っ!?」

 

 密着していた状態から永琳を蹴り飛ばし、またもや距離を作る。

 そして致命傷を負ったはずの永琳は何事もないように立ち上がり、勝利したはずの藍は太腿の辺りに突き刺さり紅い染みを広げる矢じりに唖然としていた。

 

「なにが起きたの……? 藍が仕留めたんじゃ──」

 

 状況を全く理解できない紫だったが、次に起こったあまりにも巫山戯た現象に息を詰まらせた。

 流れ出た血肉を補うように霊力とも妖力とも知れない力が患部を覆い、一瞬で元の身体へと再生させたのだ。しかも服まで新品同然というオマケ付き。

 

「ごめんなさいね。私は貴女達と同じ土俵に立つことすらないのよ。住んでいる世界も、ましてや構造も違うんですもの」

「お前も……不死、なのか?」

「御名答」

 

 身体に感じる脱力感は、毒のせいだけではないだろう。

 願わくばこの予想だけは当たって欲しくなかった。先に前例を身を以て体験してしまった藍には、酷な話である。

 

 即座に傷口あたりで妖力操作を行い毒の侵食を遅延させるが、根本の対策にはなり得ない。それどころか感覚の消失によりその妖力操作すらままならなくなってきている。

 このままでは立つことすら危うい。

 

 藍の想定を遥かに上回る侵食速度だった。

 不規則になっていく呼吸を整えようと何度も自分の胸を殴りつける。

 

「がはっ……く、そ……!」

「進行状況からして先はあまり長くないわよ? もってあと5分ってところかしら。まあ、動けなくなるのには2分もかからないでしょうけど」

「そんな、藍っ! くっ……悔やみきれない一瞬の抜かり……! 惜しんでる場合じゃなかったのに、私はどれほど愚かなの!」

 

 もはや死にゆく憐れな獣。先程までの僅かな脅威は完全に失われた。

 あとは大元のみ。

 

 膝をつく藍を視界の端に、紫と永琳の視線が交錯する。表情の隠し方はどちらともが最高峰ではある、が……違うのは両者から放たれている敵対者への圧迫感だろう。

 レミリア、橙、藍を排しついに牙城へと手を掛けようとする強大な力と、負の意識のみを発する張りぼての力では、比較にできない。

 

「そろそろ高みの見物にも飽きてきた頃でしょう? ……お互いに」

「……既に見えている結果を急かすほどではありませんわ。けど確かに、このやりようのない感情をぶつける手立てを欲していたところではあるわね」

 

 先に見せた逃げの意思はない。

 無駄だと悟っているからなのか、それとも対抗する手段が存在するからなのか……。

 なんにせよ、ここからは一直線だ。

 

 永琳はセオリー通り、弓に矢をつがえて紫の胸へと照準を合わせる。対して紫が取った行動はいつも通りで、現れたのはいつもと違う境界。

 開かれたスキマからは従来の特徴が悉く消失しており、妖しい光を発する暗闇が対象者を静かに待ち構える。

 

 藍は紫がついに動いた事への一抹の希望と同時に、拭いきれない不安と違和感を抱えていた。何に対してなのか、それすらも分からない。

 

「十六夜咲夜! 橙とレミリアと一緒に離れていなさい。下手したら巻き込まれるわよ! 藍も気をつけて!」

「……広域的な範囲攻撃? いや、それにしては八雲紫の纏う妖気が少な過ぎる。ブラフ、は意味ないわよねぇ」

「ふ、ふふ……不死ですって? 相手にするには想定内過ぎるわ。私の歩み、数百年の集大成……! これで終わりよ八意永琳!」

 

 紫の掛け声とともにスキマの規模が膨れ上がる。それに伴って、唸り声のような悍ましい雄叫びが、耳をつんざかんばかりに轟く。

 永琳はその正体を立ち所に理解した。

 

 対象物を吸い込もうとする吸引力による、風が鳴く音だ。徐々にそれは大きくなって───永琳の身体を持ち上げるまで強くなる。

 どうやら紫の意思によって対象を限定することができるようで、藍やその他周りには全くと言っていいほど無害を保つ。

 

「貴女を一風変わったスキマツアーにご招待するわ! 永劫の時の中で後悔するがいい!」

「残念ですけど間に合ってるわ」

 

 永琳の身体は空中で静止する。スキマバキュームの力はどんどん増していくが、反発する永琳の霊力はそれをさらに超えて膨れ上がる。

 結果、両者は拮抗した。

 

「……大方引き摺り込もうってところね。 その奇妙な空間の先に何があるのかは知らないけど、貴女の策は決定的な欠陥を抱えているわ」

「そのよう、ですわね……!!」

 

 致命的な失敗だった。

 吸引力が永琳を引き摺り込むのに力不足過ぎる。せいぜい永琳の大きな動きを封じる程度にしか干渉できないようだった。牽制の矢は何とかスキマが吸い込む事で紫には届かないのだが、肝心の永琳を吸い込めないのであれば本末転倒。

 

 しかもスキマを開いて間もなく、その消耗により紫の息は絶え絶えだった。豆粒のような妖力では入り口を開くのでやっとなのだ。

 さらに永琳(対象物)のみを限定して吸い込む為の精神力も大きな負担になっている。どちらにしろ紫の体では長くは開き続けられない。

 

「く、ぐぐ……! もう、少し……!」

「───……やはり私の考えは正しかった。果たして貴女が弱過ぎるのか、それとも私が強過ぎるのか……。まあ、どっちともでいいわね」

 

 力場の比重がどんどん永琳へと偏り、崩壊しようとしている。スキマの力よりも放出される霊力の方が上回り、紫の術を打ち消そうとしているのだ。

 紫の顔がみるみる蒼白に染まっていく。

 

「ぜぇ……ぜぇ……っ! ここでやらなきゃ、なんだってこんな事を……! 藍も、橙も! 絶対に死なせない……っ!」

「終わりがあるだけ有情よ。だから私が与えるのは貴女達に対するほんの情け。これで終わりね、八雲紫」

 

 均衡は脆くも崩れ去った。

 

 

 永琳の自壊という結末を以って。

 

「ならば与えてやろう。私からの貴様に対する最大限の情けを、ねッ!」

「──っ! 貴女……!」

 

 永琳の背後に舞うは緋色のノクターナルデビル。渾身の蹴りを放ち、衝撃をスキマめがけて突き落とす。流石の永琳もこれには反応できなかった。

 だがまだ踏み留まる余力は残っている。大きく霊力を展開、スキマの手前で静止し───。

 

 

「とどめを刺せ八雲藍っ!」

「言われなくとも、そのつもりだ!」

 

 回転する藍が永琳へと突進し、諸共スキマの中へと突き落とした。

 我が身を捨てた、文字通り捨て身の一撃。しかし永琳と藍では前提条件が大きく異なった。式と生身という、大きな隔たりが。

 

 つまり、スキマに落ちたのは実質永琳ただ一人である。最期まで無表情を崩さずに、だけども半ば諦めながら虚無へと落ちていく。

 

 

 入り口は完全に閉ざされ脱出の手段は失われた。スキマの中に広がっていたのは上下が黒と白に地平線まで分かれた曖昧な空間。飛行能力は消失し、地に足を着けると同時に身体が粉々に砕かれていく。なるほど、紫が奥の手と銘打っただけのことはあるだろう。

 

「……さて、どうしたものかしら」

 

 既に膝から先は闇に呑まれている。試しに次元でも穿ってみようかと矢を放つが、やはり対策は施してあるようで永琳を以ってしても穿ちきれないほど次元が多重に存在しているようだ。

 

 ひとまずここがどういう空間なのかの選定を始めようとした、その矢先だった。

 

 遥か上空に黒い点が見えた。時が経つにつれそれは大きく、そして多くなり───。

 

「……古い手を」

 

 忌々しげに告げた後、衝撃に備えた。

 

 

 

 *◆*

 

 

 

「紫様っ……! ご無事ですか?」

「それは、貴女の方でしょ? 毒が……」

「先ほど消滅させた式の方に毒を移しておいたのでなんとかことなきを……。まだ身体の感覚を戻しきれてはいませんが……」

 

 まあ要するに主従揃ってボロボロってことね。藍は勿論、毒を受けて今にもぶっ倒れそうなほど顔を青くしてる。一方で私もまともに呼吸ができないほど消耗していた。

 こんなに頑張ったのはね、多分妖生初めてじゃないかしら? そしてここまでの大物っぽいのを倒せたのも多分初めて。

 

 八意永琳……当初の想定を遥かに上回る強さだった。最後まで余裕たっぷりでまだまだ力を隠してるようだったけど、私のスキマ空間に閉じ込められたんじゃ二度と出てくることは叶わないわ。

 勿論、あの空間の入り口を開くことは今後一切ないだろう。永琳は私が墓まで持っていくことにしましょう。

 

 大金星よねこれは。

 

 勿論、私だけの力じゃない。藍、私を守ってくれた橙、サポートに回ってくれた咲夜とレミリア……そしてここには居ないけど『奥の手』開発に一役買ってくれた幻想郷の妖怪その他諸々のみんな……全てに感謝ですわ。

 

「それにしてもあれだけの深手を負ってたのによく復帰できたわねレミリア。てっきり死んだものかと思っていましたわ」

「あんなことで死ぬか。確かに厄介な毒ではあったけど、私たち吸血鬼は身体を霧にすることができる。毒を抜き出すことなんて一切れのケーキを食べてしまうよりも簡単なことよ」

「お嬢様……」

「貴女は何事も気にし過ぎよ咲夜。此度の出来事は一夜の迷いに過ぎないわ。むしろ……貴女の()()()()()()()()()を用意することができなかった私の落ち度よ。過ぎ去った運命を手にする方法も無いし、今回のことは互いに忘れてしまった方がいい」

 

 いつにも増して痛々しいことを言ってるわね。その割には服も身体もボロボロで、威厳とのギャップがなんとも言えないことに……。これにはメイドもキョトンとするしかないだろう。

 ていうかさ、自分しか分からない専門用語を当然ようにペラペラ話すのやめてくれない? 特に幽々子レミリア藍の三人! いつも適当に相槌打ってるけど全然意味わかんないんだからね!

 

 はぁ……なんだか疲れたわ。心身がボロボロって言葉をこの身で体現しちゃってる……。

 

「───そろそろ説明してくれてもいいんじゃないの? 八雲紫。あの月の化け物は無事始末できたのかしら?」

「あのスキマには只事ではない程の力が有りました。初めて拝見しましたが、一体どのような技なのでしょうか?」

 

 あっ聞きたい? うーん、一応秘匿してた奥の手なんだけどなぁ……まあこの場にいる者たちは命の恩人であるわけだし、教えちゃってもいいかしらね。レミリアについてはちょっと不安があるけど。

 

 さてどこから話したものか……。

 

 

 

 先にも言った通りあの技は今の私一人の力によるものではない。言わば何百年にも掛けて準備してきた、幻想郷の一撃である。

 

 大元のベースとなる能力はご存知"スキマ"。これに毎日毎日一定量の妖力を使って強化成長させていく。

 貧弱な私の妖力でも、地道に貯めていけば最大瞬間風速的に連中とタメを張れる程度にはなるのだ! まあざっと数百年続けてこれだけどね!

 

 んでもってスキマ空間は無限に近いレベルの厚みによる多次元的構造になってて、微粒子の一つすら此方の世界には帰還させない程、あらゆる面での隔離能力に充実している。ここら辺は我が盟友のおっきーな監修(丸投げ)なのでクオリティは折り紙つきよ!

 

 次に下手なことをされないようトラップとしてルーミアより特別な闇を貰ってそれを床に敷き詰めたわ。あの暗黒空間に触れればどんな物体も粉微塵になって消滅してしまうという恐ろしいものだ。どこの亜空の瘴気さんですかね?

 他にもバキュームは河城にとり経由で河童の技術を駆使して付与したものだし、どこまでも広がっているように見える空間はマミさんの高度な変化幻惑術を応用してそう見せているものだ。

 

 最後に地上の負の遺産であり、文明最強の兵器である核をこれでもかと投下して灰すらも残さないほど徹底的に破壊する。破片や魂が残っていれば復活するようなしぶとい奴も、身体を破壊してルーミアの闇に絡めてしまえば満足に再生することは決してないわ。

 入手経路についてはお隣の馬鹿でかい国からいくつか失敬した。連邦崩壊時は混沌としてて色々とガバガバで楽だったわね。多分向こうじゃ大騒ぎになったんじゃないかしら(無責任)

 

 とまあ、そんな感じ?

 実はさらなる強化案として地底の土蜘蛛の病原体を散布したり萃香爆弾を設置しておくなんてのもあったんだけど……大人の事情で断念したわ。そもそも今のままでも十分すぎるしね!

 

 ただ一つ、厄介な代償があった。

 

「使わないに越したことはなかったわ。何せスキマの容量を大幅に食ってしまうから……この通り、もうスキマは開けないわ」

「確かに、開けませんね。では───」

「これにて『スキマ妖怪』八雲紫は終わりってことでしょうね。これからは『普通の妖怪』八雲紫よ。……残念だけど」

 

 私と一心同体とも言えたスキマ。それを失うのは正直辛いし、この先どうすればいいんだろうと、そりゃお先真っ暗なところもあるわ。

 だけど、自分や家族の命を救う為なら致し方ないわよね。ぶっちゃけ「後悔は無い」って、はっきり言えるのよ。

 

 だから実は結構清々しい気分だったりするのよね。命あっての物種とはこの事だ。

 だけど藍の顔は浮かなかった。これは難しい計算式を考えてる時の表情……いや、多分それ以上。全てが終わったのに何故深刻な表情をしてるんだろう? それに永琳戦の前あたりから私を見る目がいつもと違うような気がするし……おかしな子ね。

 

「どうしたの? 藍。まだ何か懸念が?」

「───……いえ何でもありません。スキマが使えないのならこれからは幻想郷に居を構えないといけませんからね。その事を考えていたのです」

「ああ確かにそれは困った問題ね。どこかいい物件を探さないといけないわ」

「ウチに来てもいいわよ?」

 

 そりゃ嬉しい申し出だけど後ろのメイドさんはどう見ても歓迎してないのよねぇ。「絶対くんな」って目で脅してるもん……。多分紅魔館に移住したらフランと一緒に地下で引き篭もり生活になるんでしょうし、健康面を考慮したらなんとも……!

 やっぱマヨヒガかなー? いや、このどさくさに紛れて博麗神社に転がり込むという手も……!

 

 ……って、そんな事話してる場合じゃないわ! 時を止めてるから無事だとはいえ、橙は毒を受けているのだ。それに藍も万が一があるかもしれない。

 早く解毒剤を探さないと!

 

「取り敢えず永琳の言ってた解毒薬を探しましょう。それに一応毒を受けたんだし、貴女達の時も止めてもらった方がいいかもしれないわね」

「心配はご無用……と言いたいところだけど、こっちにも色々と面倒な事情がある。永琳(あいつ)の研究施設の探索には協力するわ。咲夜なら一瞬で───っと、その必要は無くなったわね」

 

 レミリアが視線で指し示す先には襖を開いたまま呆然と固まる例の玉兎の姿があった。

 背中には逃げたはずのてゐが血だらけで背負われてて、さらにその後ろには幽々子と妖夢を確認することができた。あっちでも何か一悶着があったみたいね。

 

 幽々子がアイコンタクトで安否を気にしてたのでグッドサインを返した。

 

「師匠……? ど、何処に隠れてるんですか? てゐが怪我してて、すぐ治してもらわないと、死んじゃうんです! 何処ですか師匠!」

「ちょうどいいタイミングね。そこの兎に薬の場所まで案内させましょう。そいつもそれなりに強いみたいだけど、さっきの奴に比べれば可愛いもんね」

「し、師匠が負けるはずない……負けるはずがないんだ! 何か卑怯な手を使って何処かに閉じ込めてるに違いないわ!」

 

 あら正解。

 玉兎の立場からすればありえないことなんだろう。それほどまでに八意永琳は絶対的な存在だった。だがあいつは油断して、尚且つ私たちが月の頭脳を上回った……それだけのこと。

 

 さて……てゐも永琳も倒された今、異変は完全に終息したと見ていいだろう。調伏というわけにはいかなかったけどこれもまた異変解決の一つの形。あとは敵対勢力を完全に無力化するだけ。

 

 つまり、残るはこの玉兎のみ!

 退路は幽々子たちが塞ぐ感じになってて逃げ場もない。勿論、勝機もないだろう。

 

 玉兎の方も既に心が折れてしまっているようで、愕然としながら膝から崩れ落ちた。そして半泣きになりながらガタガタ震えている。

 ここぞとばかりに指を鳴らしまくって楽しそうに圧力をかけてるレミリアときたらホント大人気ないわね! これは敵ながら同情してしまう。

 

「この兎の処遇は私が決めていいかしら? 散々コケにした報いを受けてもらわないとねぇ」

「あらダメよ〜? その子と妖夢の戦いがまだ終わっていないんだから」

「ならその後に殺すわ。さあ今すぐ始めなさい」

 

 容赦なさすぎやしませんかね……? ほら妖夢が「マジで今からやるんですか?」って感じの顔してるじゃない。ていうか妖夢も血だらけでボロボロなんだから休ませてあげればいいのに……。

 

 取り敢えず止めてあげましょうか。

 

「まあまあ……異変を起こした者への落とし前の付け方はもうご存知でしょう? 八意永琳は例外だったとして、この兎たちには幻想郷流の償いをしてもらってはいかが?」

 

 幻想郷流の落とし前というのは、要するに反省の意として無賃パシリになるという優しいんだかそうじゃないのかよく分からないものだ。

 レミリアだって異変の後は魔理沙が使った核の処理とか請け負ってるし、萃香は言わずもがな幻想郷各地の再建に尽力しているところよね。

 幽々子? ……何やってるんだろそういえば。

 

「てゐを殺すのは私としても本意ではない。……貴女がてゐを殺したいと思っているのならその限りではないですけど」

「そんなことは……!」

「なら投降なさい。てゐは恐らく貴女を助けたい一心で異変に加担したのよ。貴女にはそれに報いる義務が当然生じるんじゃなくて?」

「……」

 

 てゐの言ってたことを照合すると件の人物がこの玉兎であることはほぼ確定だろう。この兎のどこにてゐが体を張るほどの要素があるのかはまだ分からないけど、そうとしか考えられない。

 多分、てゐが昏睡しているのもそれが起因してるんでしょうね。

 

 二人の友情?を利用して弱みに付け込むのは正直汚いことだと思う。だけどそれが彼女らにとっても一番な道であることには間違いないのだ。

 それにてゐを殺しても幻想郷には平穏よりも先に争乱が齎されるだけだし? 賢者絡みの既得権益を考慮するなら絶対に死なれちゃ困るわ。

 

「分かったわ。投降する……だからてゐを助けてあげて。あと、姫様も……」

 

「───……姫、様?」

 

 えっ、何それこわい。

 突然飛び出した新たなワードに思わず聞き返してしまった。もう次から次へと問題が噴出し過ぎて心とポテンシャルのキャパシティを完全に上回ってるんです勘弁してください。

 

 藍やレミリアと顔を見合わせて、詳しい説明を求めようとした───

 

 

 

 

 その瞬間だった。

 

 何の前触れもなく、目の前の景色が忽然として変わった。

 そのまま先程までと同じ部屋に居ることには居るのだが、各々の位置関係が変化…………いや違う、そんなんじゃない!

 

 この光景には見覚えがあった。つい先程まで見ていた、そのままの光景。

 

「馬鹿な……そんな馬鹿なっ!!」

 

 元に戻ったんだわ……!

 藍は毒を受けて、レミリアは再起不能になっていて、幽々子と妖夢はまだ到着していなくて──私はまだ奥の手を使っていない。

 

 だから、つまり……。

 

 

「紫さッ……ぐあッ!?」

「……化け物め。許されることではないわよ」

 

「当然許されないでしょう。そして実現するものでもない。しかしそれでは今ここに居る私の存在が矛盾となってしまう。矛盾の解決法とは実に単純なもので、如何に全てを誤魔化すか……我ながら稚拙なトリックだと思うわ」

 

 念入りにと言わんばかりに膝をついていた藍へ何本もの矢が打ち込まれた。そして油断なくレミリアへと殺意を向けて牽制する。

 私たちの隠し持っていた切り札が悉く潰された。……それはそうだろう。だってあいつは、これから何が起きたのかを、全て知っているのだから。

 

 理屈では何とか理解できる。

 だけど到底許容できることではないわ。

 

「過去に戻すなんて、信じられない。一体どんな手を使ったの……? 答えなさい、八意永琳ッ!!」

「──『未来を予め知ることで何度でもやり直すことができる薬』を信じるかしら? 私はそれをこのタイミングで服用していた、それだけよ。あくまで保険のつもりだったんだけど、まさか使うことになるとは夢にも思わなかったわ。中々面白い空間だったわよ? 私じゃなければ、蓬莱人ですらも倒せたほどにね」

 

 いつもの私ならずっこけるところだろうが、今ばかりは……目の前の確かな現実に打ちのめされ、絶望を認めるしかなかった。

 そんな薬が存在してもいいの? というかまずそれって薬なの?そもそも薬を服用する時間なんて、そんなの一瞬たりともなかったはずなのに……。

 

 だめだ。頭の中がぐちゃぐちゃに。

 

「さて、続きを始めましょうか。今度は貴女達の手の内を見極める必要もない。確実に排除するだけの簡単な仕事よ」

 

 永琳の掌に魔法陣が浮かび上がる。そして生成されたのは、先程までの矢ではなく、矢じりから矢筈までが鈍色の光沢に覆われている物体。

 生物的な面影を感じさせないそれは、まるで得体が知れなくて生理的な嫌悪感を醸し出している。永琳もそれには直接触れず、魔法で浮かしているのが嫌に特徴的だ。

 

 なんなの……この底冷えするような嫌な感じは。

 レミリアの叫びが聞こえる。

 

「絶対にアレに触れるな! あの矢にある力は……私やフランのものと似ているけれど、根本が全然違う! 破壊なんて生易しいもんじゃないわ!」

「核なんて大雑把なものよりも遥かに使い勝手がいいわよ? 私が知る限りではこれよりも強力な兵器は存在しない。故に、この世に一本だけ」

 

 向けた矢先に居るのは私。

 

「貴女の消滅を以って終わりとしましょう。……さようなら」

 

 永琳が振りかぶった。だが私は横からの衝撃を受けて地面に伏し、矢は頭上を通過してなんとかことなきを得た。藍が助けてくれたのだ。

 

 しかし矢は大きく旋回し再び私たちへと迫っている。当然のように追尾してくるのね……!

 

「紫様っお逃げください! がふっ……早く!」

「あ……ひっ……」

 

 藍の血が目に入った。視界が真っ赤に染まっていく。毒の影響だろう。

 

 こ、腰が抜けて上手く身体を動かせない! 恐怖と緊張の倦怠感が私を地面に縫い付ける。

 すると視界の端からレミリアが飛んできて、いつぞやの紅い槍で矢を弾き返した。だが矢はそれでも射線のブレることなく私に向かってきている。紅い槍は鈍色の矢に触れるたびに原型を大きく拉させている。

 

 恐ろしいまでの執念を感じた。やはり永琳があの矢を操っているのだろうか?

 

「くっ、タゲが移ったわ! やはりこの矢、全てを尽く破壊している……!」

「お嬢様援護を!」

「来なくていいッ! 矢が届く範囲から離れなさい! 急いでッ!」

 

 凄まじい音だった。レミリアの槍がけたたましい音を立てながら崩壊している。

 八合目だろうか。

 槍が根元からへし折れ、紅い火花が散った。

 

 だが矢はレミリアには刺さらず、やはり私へと向かってきている。

 

「クソッ、私は元から眼中に……!?」

「当たり前じゃない。一本しかないんだから慎重に使わないと」

 

 身体は動かない。例え動かせたとしても私じゃあの矢を避けることはできない。毒を多量に受けてしまった藍では私を抱えての回避など不可能だろう。

 万策尽きた。

 

 眼前に迫る死以上のナニカ。こんなにゆっくりに感じるのは……これが走馬灯というものなのか。変な涙が出てきちゃった。

 

 なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの? 変な巡り合わせでここまで来てしまっただけの私が……なんで?

 

 嫌だ……死にたくない!

 誰か、助けて……!

 

 

 

「良かった。まだ動く」

 

 ───っ!?

 

 血を吐きながら、身体を引きずりながら、藍が私の前に進み出た。そして我が身で鈍色の矢を抑え込もうとしている。

 それは悔しくも妹紅の爆発から守ってくれた時のように。

 

「藍……!?」

「貴女様に……紫様にお仕えできて、藍は本当に幸せでした。ふふ、死に方としては上々でしょう。……紫様を守って死ぬことができるのなら」

 

 鈍色の矢が藍の胸に吸い込まれていく。八意永琳の言葉では矢は一本のみ……なら、藍の犠牲で私は助かる……?

 

 助かっ、た……?

 私は生き延びて…………藍が、死ぬ?

 

 

 

 嫌よそんなの。私は人が喪われる瞬間なんて見たくない。況してやそれが藍だなんて、そんなの……そんなの! 絶対に嫌!

 

 

 無意識的に起こされた行動は、これまでに何千回、何万回と繰り返してきた動作。

 そうよね。巻き戻してるなら、当然……!

 

 気づけば手は伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつまで経っても訪れない終わりに痺れを切らして、目を強く瞑っていた藍は、ゆっくりと瞼を開く。もしかしてもう既に自分は死んでいるのではないかと、嫌な予感を覚えながら。

 

 しかし、藍は未だに健在だった。

 

 目の前には神妙な面持ちのまま、こちらを見据える八意永琳。その少し手前には呆然として間抜け面を晒しているレミリア。

 二人の反応を見て気付いた。永琳の攻撃が"失敗"に終わったという、その結果に。

 

 乾いた笑いが溢れる。

 

「虚仮威し……だったのか? はは、なんだ……せっかく啖呵を切ったのに、これじゃただの馬鹿みたいじゃないか。傷一つ付いてな───」

 

 頭が急速に冷える。

 

 胸に手を当ててやっと気付いた。矢が効かなかったんじゃない。矢が当たらなかっただけ。

 当たったのは自分の身体ではなく、胸に空いた大きな空洞。主人が「もう使えない」と言っていた"スキマ"だった。

 

 猛烈な違和感が駆け巡る。身体中が震えだした。

 永琳とレミリアは藍を見ていたのではない。その後ろに控えていた、何よりも大切な主人を見ていたのだ。

 

 そして彼女は見た。見て、しまった。

 

 

 スキマは、使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、()()()()()()()()()()()()()()()。例えば今のように───

 

「なん……で……。そんな……」

 

 ───藍への攻撃を肩代わりすることが可能だ。それが、八雲紫が咄嗟に応用させた数少ない能力の使い道だった。

 

 忠臣の必死の想いを無下にしてでも、越えられない一線が紫にはあった。

 

 頭の中は真っ白で、喉がやけに渇く。

 目の前の光景が現実だとは信じられない。脳が受け入れる事を拒否してガンガン痛む。

 

「ごめんなさい。貴女の頑張りを……無駄にしちゃったわ。いつも、本当にごめんなさい……」

「ゆかり……様ぁ、あっ……あぁ……!」

 

 深々と刺さった鈍色の矢じりから無色の奔流が溢れ出す。流れが強くなるほどに、紫の存在が希薄に、そして破壊されていく。

 苦しそうに呻き声を上げながら崩れ落ち、藍にもたれかかった。感じる重みと温もりは霧散していくばかりだった。

 

 遅れて再び襖が開かれた。異変を感じ取って前の時間軸より早く到着した幽々子と妖夢だったが……全てが遅かった。

 紫が崩れ落ちる瞬間を見て、目の色が変わる。

 

「紫……紫っ!」

「何があったんですか!? ゆ、紫様!」

 

「巫山戯るなよ、紫……っ!」

「八雲紫……」

 

 怒り、憤り……様々ある。薄れていく中で紫は感じ入っていた。

 その思念ら一つ一つが紫を中心に渦巻き、何故だか、こんな時だというのに笑みがこぼれた。

 

「ふ、ふふ……幽々子ったら、あんな声が出せるのね。藍も、そんな顔しないで? 貴女はいつまでも、綺麗で、カッコいいままで……」

「私のセリフですよ紫様っ! 貴女に出会ってから私は……ずっと、想い続けていたのに……。ここまで来て約束を破るなんて、酷いではありませんか……!」

「ああ、藍……。ごめんなさい。ごめんね」

 

 大粒の水滴が紫の頬を打つ。肌の上から涙が見えるほどに、紫の姿は希薄なものになっていた。重さはほぼ消え失せた。

 もう存在が消えかかっている。金の髪は宙に溶けて、爛々に輝いていた美しい桔梗色の瞳は、どんどん白濁としていく。

 

「どうしてなんでしょうね。辛くて、苦しくて……怖いのに、とても満ち足りてるような気がする。貴女と、橙には、感謝してもしきれない。けど心残りは……貴女達の行く末を見れなかった事と、霊夢にさよならを言えなかったこと、かしら……。願わくば、みんな幸せに、幻想郷を……」

「イヤだ紫様……もう置いていかないで……。あんな想いはもうイヤなのに……」

「いつもそうよね。大切な物は、無くして初めて、気付くんですもの。ふふ、私ったら、ずっと失敗ばかり繰り返してたのね……」

 

 比較的穏やかな様子で紫は言う。だけど、その身体に触れていた藍には伝わっていた。紫の奥にある、今にも消えそうな想いに。

 

 震えだ。紫は怯えているのだ。

 いま、初めて気付き、手にした何物にも代え難い《財産》を失うことに。

 

 あの普段は落ち着いた幽々子は、感情を露わにするほど自分の事を想ってくれていて、いつも冗談のように掛けられていた言葉の数々が嘘ではない事を知った。

 とても嫌な奴だと思っていたレミリアは、案外優しくて思慮深く、自分の死を悲しんでくれる奴だってことが分かった。

 いつも大袈裟で、小煩くて、時にはその近過ぎる関係性に怯えていた藍が実はこんな……自分の為に泣いてくれるほど弱かったなんて。

 

 

 ──本当に、残念だ。

 

 

「ああ、死にたく、ない……。みんな、一緒に、幻想、郷……で」

 

 

「──……紫、様」

 

 もう手の内に主人は居なかった。僅かな光の残留粒子が瞬く程度で、やがてそれらも消え失せる。完全な虚無へ。

 

 気付けば藍に張り付いていた式が霧散してしまっている。式契約が契約主の死亡により消失してしまったのだろう。

 今の九尾は、再び「八雲藍」ではなくなった。そして二度と戻ることはない。

 

「これにて『チャプター完了』」

 

 抑揚のない永琳の声が響く。

 

「我ながら恐ろしい威力よ。だって輪廻まで破壊してしまうんですもの。本来ならあの矢の用途は、私達を殺す為に開発した物だった」

 

 「殺せるかどうかは別としてね」と付け加える。静かに紫の最期を見守っていた永琳は、変わらぬ口調で語り出した。だが反応は薄い。

 レミリアは目を瞑り、幽々子は顔を俯かせ、藍は全く変わらない体勢で微動だにしなかった。

 

 彼女らの気持ちを大体は察しながらも、永琳は解せない様子で肩を竦める仕種をする。

 

「終わってみれば呆気ないものね。まさか長年の月の悲願がこんなところで叶ってしまうなんて……一刻前までは想定もしていなかったわ。だけど同時に拍子抜けでもある」

 

 この場に居る者達が聞いていようが聞いていまいがどうでもいい。ただ、この疑問だけはどうしても口から出しておきたかったのだ。

 

「それに関連してずっと不思議に思っていたことがあるわ。何故、貴女達は八雲紫に期待していたの? 何故、こんなにも弱い妖怪に頼っていたの?」

 

「紫様が、弱い……?」

 

 妖夢の口から溢れた疑問に永琳は更なる確信を強めた。これが八雲紫の成功の秘訣であり、失敗の発端となった理由だ。

 

「確かに、八雲紫の放つ雰囲気は強者のものだった。騙される者も多々存在したんでしょうね。だけど、貴女達……特に式神である貴女はどうしても気付く筈。何故──八雲紫がかつてと変化していることを認めきれなかった?」

 

 八雲紫の変化は一瞬で見抜いた。

 というものの、永琳は遥か遠い過去に紫を見たことがあった。天地開闢により地上を離れるその頃から、月と紫の禍根は延々と続いていたのだ。

 

 その時の当時の都の勢力では、紫を滅ぼすことはできなかったらしい。大きな被害を互いに与えつつ、痛み分けのような形で終結したと聞き及んでいる。

 優秀な科学者であり、参謀でもあった永琳はバックに控えていたので相見えることはなかったが、その時に自分も出ていれば八雲紫を倒せていたと悔やんでならなかった。

 

 八雲紫は、生かすには危険すぎる存在だから。何を為すまでもなく、存在することすら許されない禁忌であった。

 

 ……そして今日、晴れてその因縁に決着を付けたわけだが、あの頃の紫とは根本から違っていることは一目瞭然で、疑問が残る。

 探りの為に適当に藍をいなしつつ、徐々に圧迫していくことで紫の行動を伺ってみたが、結局最期まで弱いままで、待ち望んだ切り札は紫以外の力が大部分を占めるという有様。

 

 さらに不思議だったのが、藍達の紫に対する異常なまでの期待と依存である。またそれはてゐの不可解な言動からも見て取れた。

 それ故に永琳は最期まで紫を疑い続け、挙句には封印していた兵器まで持ち出した。

 

 彼女らは何かを知っているんだろうと踏んでの、遠回りな攻略戦だった。

 だが結果としては間違いだったらしい。

 

 

「……まあいいわ。消えた妖怪のことなんて気にかけるだけ無駄よね」

 

 脅威と懸念は完全に払拭した。精神的支柱を失った元式神など恐るるに足らない。吸血鬼も亡霊も、自分を倒すことの無謀さを感じ取ったはず。

 永琳にとっての戦いはまだ終わっていないのだ。月の使者による侵入に備える為、一刻も早い藍達の退去が求められる。

 

「もう特に用もない。解毒剤を受け取り次第この場から立ち去るなら───」

 

 

「し、しし……師匠……!!」

 

 敢えて表現するなら、それは永琳の誤算だろう。幻想郷の妖怪達は普通の心理構造など持ち合わせていなかった。

 

 鈴仙の異常な怯え。波長を読み取れるからこそ、特定分野では永琳よりも強い観察力を持ち合わせる彼女が、怯えていた。

 

 そして永琳も気付いた。

 

 穏やかで平静を保ちつつ、着実にこんこんと膨れ上がっているドス黒い濃色の妖力。

 自分に準ずる古さを持った古代の力。決壊したダムの水のように、際限なく膨れ上がっている。もはや元の原型はなかった。

 

 ダムの門は八雲紫だった。

 そして蓄えられていたのは、身に付けていたはずの本来の姿。藍が忌み嫌い、紫の為に捨てた力と姿。

 

 もう、隠す意味はない。

 守り通す意地もない。

 

 そして幻想郷の存在する意義もない。

 

 高尚な考えも思考も無く、只管に叩きつける暴力が、藍の欲する最大の願い。

 

 最も()に深かった()は捨てた。

 愛する者達を余すところなく包み込んでいた柔らかな尻尾は、敵を殲滅するだけの道具と化す。かつて一尾を振るうたび、国を一つ滅ぼすとまで言われた殺戮の獣。これが取り戻された真の力。

 

 

「最期まで付き合ってあげるわよ、()()()。だが、貴女はそれでいいのね? ……ここから先は紫の望まない運命よ」

 

 レミリアの言葉は最もだ。

 主人の言葉に反してしまう……これが幸せに繋がるはずなんてない。

 だけど、紫はもういないのに、幸せなど何処にある? 橙になんと言い訳をする?

 紫を守る為に、果てる覚悟を決めたあの子に。

 

「は、はは……はは……は……」

 

 決別の時だ。

 

「約束を破っても、もう謝ることもできないなんて……そんなのダメだよ紫さま。そんなの、約束にならないんだから……」

 

 紅い涙が落ちる。

 

 無意に動く壊れた妖獣。

 憐憫に全てを想う吸血鬼。

 殺意を胸に刻んだ亡霊。

 

 はてさて……と。永琳は次の一手を考えつつ、自らの失策を悟った。

 

 これから何度死ぬことになるのだろう。

 ……いや、何度やり直すことになるのだろう。

 

 これから訪れるであろう嫌な未来を深く憂いながら、静かに前を見定める。

 

 

 そして、それが実際に訪れるのには、然程の時間すら取らなかった。

 

 




 
 
「はたして過去とはやり直すことができるものなのでしょうか? 仮にそうだと肯定するならば、それはさぞ素晴らしい世界になるでしょうね。
……勿論皮肉ですよ。それこそ夢物語に過ぎない仮定です。八意永琳も()()を利用したのでしょうね。ドレミーがいない今だからこそ、あんな荒技ができたのです。

生きる事とは、不安やストレスから逃れる等の回避行動の連続だなんて言ったりしますけど、時にはそれらに自分から向かっていってしまうこともややあるでしょう。なんだってそんな行動を取るのか、理解に苦しむことだってあります。
結局、心を動かすに足るものなんてこの世に一つしかないんですよ。ただそれがどの方向にどう作用するのか、自己と他者のどちらに向けられるのか、たったそれだけの偏差。
だって善も悪も区別し得ないのは、元々が一つの起源から始まっているから。それは私だからこそ、そう断言する事ができるのです。

正しく貴女の事ですよ。紫さん」

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