幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
妖々夢からはちょっと軽めに
須臾とは時間の最小単位である。その短さは1000兆分の1…刹那にも満たない例えなき概念。それは確かに存在するのだ。
時というのは須臾が糸を構成する繊維のように織り合わさり、それが断続的に組み合わさることによって成される流れだ。そして須臾と須臾の間には僅かな空白の時が存在する。いや、その存在を確かめる術は現時点ではないのであくまでその存在は仮説に当たる。しかしこうして須臾という概念が在り、今時点でも時が巡っている限り、それは半ば証明されたようなものだ。
空白の時はただ在るだけ。そんなモノは生きているだけでは気付くことすらままならない。あってもなくても変わらない存在など所詮その程度だ。
しかし…十六夜咲夜はある日、唯一の温もりの手によってその世界を知った。
否、その世界を支配した。
それは
咲夜の感じていた世界は、所詮ただの一端に過ぎなかった。深淵は恐ろしいまでに広く、深く、暗く、冷たく…咲夜を見返す。
不思議と恐怖は感じなかった。
そして次に感じたのは自分の新たな力。冷たく硬い、自分の恐れていた世界が急に優しく見えた。
ふと、目の前の床に刺さっていたナイフに触れてみる。その危険性は把握しておきながらも、胸のうちから溢れる大丈夫だという謎の安心感に身を委ねた。
ナイフは冷たくて…柔らかかった。
咲夜は世界を支配し、レミリアに支配された。
身体が持つ限り、自分がそこに在る限り、主人へと忠誠を貫き続ける。それのみが咲夜の信条であり、全てであり、能力の使い道。
その『世界』が続くのは約五秒。
十分すぎる。一秒あれば十回殺せる。
さあ、切り刻んでやろう。私怨は否定しない。しかし自分のような従者程度すら突破できないようでは、お嬢様に会う資格もない。
死んだのならば、あの世でお嬢様の期待に添えなかったことを後悔しろ。
「幻世『ザ・ワールド』──時よ止まれ」
──さあ、お前の時間は…私のものだ。
霊夢は露骨に嫌そうな表情を隠そうともせず、砕けた結界の合間から飛来するナイフを打ち落としてゆく。咲夜が『ザ・ワールド』を使用する直前に『二重結界』を張ったのだが、単純に強度、数が倍になったそれでも咲夜のナイフを防ぐことができず時止め中に破壊されてしまう。どうにも『ザ・ワールド』には僅かなクールタイムが必要なようで、連続して『ザ・ワールド』を使ってくることはないのだが、それとは違う時止めを併用して使ってくる。
直接干渉がないとはいえ時を止めてくるだけでも十分厄介だ。それにそっちの方には時間制限がないようである。
お札をいくら投合しても咲夜の視覚スピードがそれを捉える限り、先に時を止められてお終い。攻撃にもなりはしない。
あまりにもジリ貧。
霊夢はここで咲夜を厄介な敵と判断した。だからといってここでそれなりの本気を出すのも色々と都合が悪い。
それに…あくまで霊夢の勘だが…
時止めの時間が徐々に長くなってきているようにも感じる。この死合いの中で咲夜は着々と成長してきているというのか。しかもまだまだ隠し玉を持っていると見える。
さて、どうしようかと霊夢は考え始めた。
しかしジリ貧なのは咲夜も同じである。
霊夢の鉄壁の守りは咲夜の能力を持ってしても突破することは容易ではない。しかもそれに拍車をかけるのが博麗の勘だ。霊夢のその理不尽なまでの勘の良さは咲夜の絶え間ない猛攻をぬらりくらりといなしてゆく。そして少しでも気を緩めば瞬く間にお札に囲まれ、封殺されてしまうだろう。
なにより…
──あの巫女はまだこれっぽっちも本気を出しちゃいない。私のことを敵とすら思っていない。障害としてすらも見てない。
その事実こそが咲夜をらしくもなく狼狽えさせ、その激情を煽ってゆく。
ただでさえ私怨のある相手なのだ。
咲夜の攻撃の苛烈さは時を止めるごとに増してゆき、確実に霊夢を追い詰めている…はずなのに。
なぜだ、追い詰めている気がしない。追い詰められている気はしないのだが、ただ…掴めそうで掴めない…まるで雲のような────
「霊符『夢想封印』」
「ッ!! 時よ止まれ!」
咲夜の一瞬の気の緩み。それを知ってか知らずか霊夢はなんの前触れも、なんの予備動作もなくスペルカードを取り出し発動したのだ。
霊夢の周りに展開された複数の巨大な霊力弾は咲夜に触れる直前で静止した。
咲夜はふぅ…と深い一息を吐くとゆっくりと霊夢の背後へと回り込んでゆく。ふと、空中に静止したままの複数の霊力弾を見る。
一つ一つに莫大な霊力が込められている。当たれば間違いなく一撃。この世に塵すらも残すことを許してはくれないだろう。恐れはしないが恐怖はする。パーフェクトメイドの咲夜でもそれには冷たい汗を流すしかなかった。
時止めを解除すると同時にナイフを振るい霊夢へと攻撃を仕掛けるが、初めから分かっていたかのように霊夢の背後には結界が張られており、それを破壊するだけにとどまった。
少し遅れて『夢想封印』が紅魔館の壁を吸い込むように粉砕し、なおかつ咲夜を追う。高威力、なおかつ高速のホーミング弾…それは咲夜に対してはよく刺さる戦法なのだろう。即興の戦闘方法としては上出来だ。
だが咲夜はそれをさらに超える。
咲夜が展開した時空の穴より怒涛のナイフの嵐が巻き起こり、その一つ一つの刃を削らせながらも数による封殺で『夢想封印』を散り散りに霧散させてしまった。
時間を圧縮し、自分の設定した過去と未来までの間のナイフを撃ち出したのだ。これには過去、及び未来において存在を確立させている物限定になるのだが、ことナイフにおいては別段厳しい条件ではないだろう。
咲夜と霊夢。
互いが互いを厄介・面倒臭い敵と判断している。だがしかし、両者とも己の勝ちを確信していた。そして、それと同時に相手を認めざるを得なくなってしまった。
霊夢のシンプルな強さ、咲夜の強大な能力…霊夢の別次元の勘の良さ、咲夜の圧倒的多彩さ…。どれがどれを取っても互いに引けを取らない強力な技能である。
だが敢えてどちらが有利であるかを断定するのであれば…それは咲夜の方に軍配が上がるだろう。
理由は単純明快…時止めだ。
時間を支配する咲夜に干渉するのはほぼ不可能。時間の流れに抗える存在など、そこに在る限り存在するはずがないのだ。咲夜の前にはどのような事象も、どのような意志も、すべてがすべてゼロとなる。
「…どれだけしつこく食い下がっても無駄よ、無駄。私の能力の前には全てが無力。貴女の奮闘もただただ滑稽にしか見えないわ」
「…ごちゃごちゃ言ってないで、殺せるもんなら殺してみたら?多分、次に時を止めたその時が…この戯れの最期よ」
「違うわね。訪れるのは戯れの最期じゃない…愚かな巫女である
世界が咲夜の意思の元に停止する。
霊夢も例外なしに咲夜の眼の前で結界を展開させたまま静止している。咲夜は冷たくその姿を見やるとスペルカードを取り出した。
「時符『パーフェクトスクウェア』」
咲夜によって射出された四本のナイフが結界の四隅へと突き刺さり、霊力を噴出するとそのまま長方形に空間を切り取った。
その瞬間に咲夜は猛スピードで霊夢へと肉薄する。ナイフを投擲するだけではこの巫女を殺せそうにない。ならば直接切り裂くのが霊夢を殺すのに一番適した方法である。
ナイフの攻撃力は高いわけではない。その部分の空間を切り取り、術式を滅茶苦茶にしてしまうことによって咲夜のナイフによる攻撃は霊夢の強固な結界を砕いていたのだ。しかしその問題の攻撃力もナイフに霊力を纏わせてしまえば即解決である。
停止可能時間にはまだまだ余裕がある。
この勝負──もらった。
咲夜のナイフが静止する霊夢に向かって容赦なく振り下ろされ─────
「衝夢」
止まっていたはずの世界に風が吹き荒れた。
咲夜の持っていたナイフが粉々に砕け、鳩尾へとお祓い棒が突き刺さった。衝撃は咲夜の鳩尾から背中を突き抜け背後の壁を破壊する。
咲夜はその不可解な出来事に狼狽えながらも、震えながら二、三歩後ろへと後退した。
「ぐ、ゲホッ!カハッ…!」
「ふーん…これが停止している世界…か。案外変わらないものねぇ、ちょっと色素が落ちてる感じかしら? まあどうでもいいけど」
取り乱し、悶え苦しむ咲夜を他所に霊夢は呑気に周りの風景を観察している。
やがて時間切れによって世界は動き出し霊夢は「あら」と呑気そうに声を上げた。
一方の咲夜はまだしばらく痛みに蹲っていたが、一度体を大きく震わせると何もないように立ち上がった。自分の体の時間を進めて痛みを消したのだろう。しかしその驚愕に彩られた表情は治せなかったようだ。
そして再び時間を停止させる。
咲夜は霊夢から一定の距離をとりつつしっかりと彼女を見据えながら移動を開始した。霊夢は…ジッと咲夜を目で追っていた。
「貴女…見ているわね…!!」
「…まあ」
ここで否応なしに咲夜は思い知らされることになる。目の前の巫女が…自分の世界に当然のように侵入していることに。
「…この…私の世界へ…入門してくるとは…! まさかとは思うけど…貴女は元々から時を操る能力を────」
「んなわけないでしょ」
霊夢は呆れたように息を吐くとお祓い棒をワシャワシャと振りながら何気なく答えた。
「まずはあんたの時止めをよーく観察させてもらったわ。結局何もわからなかったけど」
霊夢の言葉に咲夜は怪訝そうな表情を浮かべ睨みつけるが、霊夢はそれを無視して咲夜とは目線を合わせずさらに話を進める。
「そう、私は何もわからなかったのよ。だから気づいたの。あんたは私に理解できないことをやっているってね」
「…そりゃそうでしょうよ」
「だから一から考えてみた。私に見えてない世界がどんなものなのか、私が今の今まで感じることのできなかった世界ってのはどんなものなのかって…。
一度理解できてしまえばどうということはないわ。あとはあんたと同じことをするだけ。まあ、案外チンケな世界だったみたいだけど」
──いや待て。この巫女は何を言ってるの?
理解が追いつかない。彼女をまともに見れない。
頭は良く冴えているはずなのだ。脳内はクリア、考えも良く回っている。なのに…彼女の言葉を一つも理解できなかった。
理論で知っただけであの世界に入り込めるはずがない。そんなチープなものではない。自分だけが感じることのできる唯一無二の世界。
しかも、だ。
咲夜はレミリアの能力の補助によって世界を開拓することができた。だがこの巫女は…自分の力のみで入ってきたのだ。こんなことが許されていいのか…?いや、許されるはずがない。
奴の行為、態度は自分への…引いては敬愛する己の主人への侮蔑である。
咲夜は痛む頭を抑えながらナイフを構える。
端正に整った顔はいつもの瀟洒な微笑ではなく憎悪に歪み、目は濁りきって黒い深紅に染まる。熱いものが心の内から沸るのを感じた。
「貴女も…八雲紫も…あの時の妖怪も…!! どいつも、こいつも……!! 私を…! お嬢様を…!! コケにしてッ!!」
「…知らないわよ」
喚くなと言わんばかりに霊夢は鬱陶しそうに答えた。すでに霊夢の視線に咲夜は入っていなかった。
咲夜は己の体をぐっと抑える。苦しそうに呻き、深紅の瞳がどんどん黒くなってゆく。それは咲夜の今の行動が決して体に優しいものではないことを証明していた。
「う、くぅ………殺し、きる…!」
「あっそ。ならかかってらっしゃ────」
視界が反転した。
霊夢は吹き飛ばされたのだ。勢いそのままに厚い壁を突き破り床を二、三回バウンドしたところで動きを止める。
苦痛に歪みもせず、変わらぬ表情で天井を見つめていた霊夢はゆっくりと上半身を起こしてゆく。
だがそれは叶わず、霊夢は頬に受けた衝撃により床へとめり込んだ。煙のように咲夜が霊夢の眼前へと現れると馬乗りの形になり霊夢の体を乱打する。ナイフは咲夜の音速を超える動作のせいでバラバラに砕けてしまったようだ。しかしそんなことは関係ないと言わんばかりに素手で霊夢を殴る。その一撃一撃が霊夢へと突き刺さるたびにその細く華奢な体が跳ね上がり、床を歪にへこませていった。
────いらない、貴女なんていらない。
私の世界に貴女はいらないっ!
咲夜の時間は加速する。
ぐんぐんと速度を増してゆく拳は霊夢と咲夜の血で濡れていた。周りは絵の具をぶちまけたように真っ赤な館がさらに紅く染まっていた。それに伴うかのように咲夜の口から血が吹き出るが、気にせずただただ目の前の憎き巫女を殴る。
今の咲夜に数分前の面影はなかった。
「ゲホッ…ゥ…!死、ね…!」
トドメとばかりに腕を思いっきり振り上げ、霊夢の顔面へと神速の拳を放つ。
しかしそれは他ならぬ博麗霊夢の掌によって遮られていた。
血に染まり、影に埋もれているようにも見える霊夢の紅黒い顔。それとは対照的に霊夢の目は真っ白で、冷たく咲夜を見つめていた。
奇しくもそれはそれは紅白であった。
「邪魔」
弾かれたように咲夜が吹っ飛び壁へと叩きつけられた。ずるずると重力に従い咲夜は壁を背にへたり込む。
霊夢はコキコキと準備運動を終えたかのように首や肩を伸ばす。その身からは絶えず血が流れ出しているが、大して気にした様子はない。
一方の咲夜も荒い息を噛み殺し、疲労で震える体を無理矢理持ち上げる。瞳からは戦意も、憎悪も消えてはいない。
「…殺し、きる。貴女を…お嬢様に会わせるわけには…いかない」
(…めんどくさ)
霊夢はお祓い棒を前へと突き出し体の重心を低く持ってゆく。まるで何かに備えるかのように────。
「傷魂…ッ! 『ソウルスカルプチュア』ァァァァッ!!」
スペル発動と同時に咲夜が両手に持っていたナイフが白く、妖しく光を発する。そして咲夜が繰り出したのは斬撃の嵐。あまりの攻撃スピードの速さに霊夢と咲夜の周りに存在していたものは全て素粒子レベルにまで斬られ、分解されていた。
一方の霊夢は、こちらもブレて見えなくなるほどに素早くお祓い棒を小手先のみで動かし、斬撃を相殺させる。ただ坦々と苦戦するようでもなく斬撃を弾いていた。霊夢の足場とその後ろのみ、紅魔館が原型を残している。
咲夜の挙動はもはや光速に近い。
斬撃により物体が、空間が刻まれる音がひたすら不協和音として響き渡っていた。坦々と作業の如く咲夜の『ソウルスカルプチュア』をあしらっていた霊夢も徐々に動きが大振りになってゆく。小手先だけでは追いつかなくなっているのだ。
「…! くっ…!」
ついに、霊夢の表情が崩れた。咲夜のスピードが霊夢を超えたのだ。巫女服は端の方が切り刻まれてゆき、お祓い棒も削り取られる。
咲夜の紅い瞳がさらに黒く、輝きを増してゆく。その光に照らされ白き刃は真紅へと染まった。そしてその真紅の刃はついにお祓い棒を切り裂き、霊夢を捉える。
獲った────ッ!
そして崩れたのは…咲夜だった。
あと数撃…というところで膝から崩れ落ちてしまった。コヒューコヒューと生々しい呼吸音が切り刻まれ、ほぼ楕円型の形になってしまった紅魔館の一画に響く。
自らの時を速めるという荒技を行使し続けた結果だ。もはや体の筋繊維一つ動かすことはできまい。代償はとてつもなく大きかった。
霊夢は二つに裂けたお祓い棒を両手で持ち上げると、お札を貼り付けて修復させる。そして静かに咲夜を見ると…その胸に封魔針を突き刺した。咲夜は口からゴフッ…と多量の血を吐き出し、しばらく震えた後動かなくなり、そのまま息絶えてしまった。
霊夢は咲夜が息絶えたのを確認し、ふぅ…とひと息つくと、紅魔館の主人の元へと向かおうと後ろを振り向く。
「『デフレーションワールド』!」
目の前にはスペルを発動させた死んだはずの咲夜の姿があった。霊夢は驚く暇もなく咲夜が放った純黒の球体に呑まれ、その存在をこの世から消失させた。
咲夜が放ったのは自作の四次元空間へと相手を強制的に送り込む一撃必殺のスペルカードである。送られた者は最後、死してもなおその未来と過去の交錯する四次元迷宮を彷徨い続けるのだ。
霊夢を欺いた方法は簡単だ。
不干渉の時止めを使い、その場に幻影魔法で憔悴する自分の姿を残せばいいだけ。その隙に自分は背後に回り『デフレーションワールド』の準備を整える。見事な咲夜の作戦勝ちだ。
「はぁ…はぁ…」
咲夜は激しく肩を上下させ空気を取り込む。そして霊夢がいた場所を見て、笑った。
──激しい死闘だったが最後に勝利したのは自分。所詮博麗の巫女といえどもこんなものだ。この巫女に勝利することによって自分はお嬢様に揺るぎなき忠誠心を証明できた。ただそれだけがこの十六夜咲夜の幸せ…!私の世界に温もりなどお嬢様以外には欲しくもない。ここでこの巫女を始末できたのは幸運だったか。
咲夜は大きく息を吸い、吐き出すと、誰もいない虚空に向かって言葉を発した。
「貴女の敗因は…たったひとつです…博麗の巫女。…たったひとつの単純な答え……」
──バリィ
「「貴女は私を怒らせた…」とでも?」
「貴女は私を────ッ!?」
空間の破れる音ともに凛と響いたのは聞こえるはずのないあの声。咲夜は機械人形のようにぎこちなく、けれども急いでその方向を振り返る。
そこには、破れた空間の穴を背に、スペルカードを構えた霊夢の姿があった。
「────ッ!時よ止ま────」
「神霊『夢想封印 瞬』」
咲夜が時を止めるよりも早く、霊夢はスペルを発動し、光速を超えた動きで咲夜に肉迫。その腹部へと強力な霊力弾を撃ち込んだ。
既にダメージの大きかった咲夜はなす術なく衝撃に身を任せて吹っ飛び、壁を突き破った先の部屋で意識を失った。
最後の一撃は呆気ないものだった。
霊夢が四次元迷宮を抜けられた方法。それは、勘である。何か特別な理由があったわけでもない。ただ自分が進もうと思った場所へ進み続けただけ。ただそれだけだ。
霊夢は祈祷して体の傷を癒すと咲夜には目をくれず、方向を転換させて一直線にこの館の主人の元を目指す。
元々から霊夢に咲夜を殺す気はなかった。咲夜の幻影に封魔針を投擲したのも、咲夜の『デフレーションワールド』に呑まれたのも、彼女の計算込みのことだったのかもしれない。
stage5.クリア
*◆*
藍は私に対して恭しく頭を下げた後、厳しい目つきで橙を睨む。その目はとてもじゃないが己の溺愛する式に向けるものではない。先ほどのレミリアが放っていたようなドス黒い何かを感じる。違うのはそれが殺気ではないというところぐらいか。
橙はその重圧にさっきまでの勢いは何処へやら、消沈して藍を上目で見ている。かわいい。
「…橙。私からの命令はなんだった?」
「……紫様の警護です」
「では問う。警護とはなんだ?」
「…紫様へ危害を及ぼすと考えられる可能性が目に映り次第、速やかに排除することです。重々承知しています…」
え、警護ってそんなんだっけ?
藍は橙の言葉を聞くと妖しい輝きを放つ細められた目をさらに細め、冷たく言い放った。
「自惚れたか? 己の力量を理解し、その場その場に適切な判断を下しそれを迅速に行動へと移すのが式として必要最低限の技能。何故私を呼ばなかった? まさか自分一人でどうにかなるとでも思ったのか? お前如きが奴らの本拠地で紫様の万が一を保証することができるのか?」
「…でき…ません…」
「…まさか自分の罪が分からないわけではあるまい。もしもの時があればどうするつもりだったんだ?私にどういう言い訳を言うつもりだったんだ?答えてみろ」
「…」
あまりに厳しい言葉だった。今まで橙を溺愛する藍の姿しか見たことがなかったから、その分衝撃も大きい。
いや、あのね?橙も私を脅してまで付いてきたとはいえとっても頑張ってくれたのよ?流石にそこまで怒る必要はないんじゃないかしら…。むしろそれなりに褒めてあげてもいいくらい。
気づけば私は仲裁に出ていた。
「ねえ、藍。橙は式としての役割は果たせずとも、十二分に最善を尽くしてくれたわ。
だって橙は私の反対を押し切ってまで貴女の命令を守ろうとしたのよ? 式としての判断は未熟でも、やったことに間違いはないわ。
それに橙にも言えることだけど、私たちの繋がりは命令する、命令されるだけなんていうつまらない関係じゃないはずよ……そうでしょ? 私と貴女は対等。ならば私と橙も対等よ。厳しいことばかり言わないで、少しばかりは褒めてあげて頂戴?」
「紫様…まだそのようなことを仰るので?」
あ、はい。ごめんなさい。本当にごめんなさい。でしゃばってすいませんでした。私と貴女が対等なはずないですよね。何言ってんだこいつって感じですよね。
すっこんでますからどうか命だけは…!
「……紫様は甘すぎるのです。橙にも…私にも。これでは我々の面目が立たないではございませんか。それに何度も申し上げている通り、我々は紫様の式…道具なのです。決して対等ではございません」
「そんな悲しいことを言わないで?私たちは家族なんだから」
橙の表情が日が灯ったかのように明るくなった。その一方で藍はなんとも複雑な表情を浮かべている。そう、私たちは家族よ。だから早く独り立ちしてね?ていうか独り立ちさせてね?
「…まあ今日は大事に至らなかったし、紫様のお言葉もあったから良しとするが、ちゃんと己の力量を考えて行動しなさい。いいな?」
「はい…!」
橙は力強く頷いた。藍はその様子を見届けると満足そうに頷き、先ほどまでの剣呑な雰囲気を霧散させていった。
まあ、私から言えることは橙に敵う奴なんてそうそういないから、力量を判断するっていうのも凄く難しいことなんだろうなーってこと。私からしたらそんな悩みは羨ましい限りよ。いつも下手に回ってヘコヘコしている私からしたらね!
さて、どうやら藍のお説教も終わりみたいだしさっさと寝ちゃいましょうかね。そろそろ体力の限界が近いわ。
「それじゃあ藍。私はもう寝────」
「あ、申し遅れましたが」
藍は私の言葉を遮って懐から簡素な手紙を取り出した。あれ?なんかデジャブを感じるような…
「地底の主より紫様へと」
「地底の主…ですって?」
地底の主。このワードを聞いた瞬間私の額から冷たい汗が滝のように流れ始めた。
忘れるはずもない…あのさとり妖怪のことである。あいつの性格は冷酷、陰湿、残忍! そしてじわじわと人を弄ぶことに定評のある幻想郷一内面が醜悪な妖怪だ! 外面は整っているけどそんなの関係ない。あいつの性格と能力が全てを台無しにしているのだ。
駄目…嫌な予感しかしない…。
藍から手紙を受け取り、恐る恐る封を開く。
[拝啓 八雲紫
今すぐの対談を望みます。
即、地霊殿まで来ていただければ幸いです。
美味しいお菓子を用意して一同(ペット込み)でお待ちしております。
敬具 古明地 さとり]
やっぱりね!大的中!
紫ちゃんって頭いいー!
………私死ぬかも。主に胃痛で。
ボスラッシュなんていらないのにぃぃ…!
あんまりよこんなことぉ!!
「ご安心を紫様。今度はこの藍が紫様とともに参りますので警護はバッチリ任せてください」
全然嬉しくナァァァァイ!!!